プーチン:シリア攻撃は違法な侵略行為
2013-09-05

4日、プーチン氏は米国のシリア攻撃は国際法の違反行為であり、米国議会が承認できるものではない。
国際法は侵略行為を禁止している。米国議会にそれをくつがえす権限はない。
プーチン氏は外交用語に考慮したやや婉曲な言葉を使っている。
つまり、米国が押し通そうとしているシリア攻撃は国際法が戦争犯罪と規定する侵略行為に他ならないからである。
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プーチン大統領「米議会は、シリア攻撃を承認することはできない」 9/4 ロシアの声
4日、プーチン大統領は、大統領付属人権評議会の会議で
「米議会は、シリア攻撃を承認できない。それは彼らの権限ではない」と述べ
「実際上、彼らは今、対シリア攻撃を認めようと問題を検討しているのであり、そんなことは絶対に許されない」
と指摘した。
プーチン大統領は又「どの国の議会も、そうした事を決める事はできない」
と強調し、次のように続けた―
「そんなことは、健全な考えや国際法に関する理解の完全なすり替えである。
シリアは米国を攻撃していない、それゆえ自己防衛の問題ではない。
米国当局は、シリアでの化学兵器使用問題を議会で討議する際、米国の攻撃がシリア国内における『アルカイダ』の立場強化に繋がる事はないと請合い、『アルカイダ』はシリア国内にそもそも存在しないと主張しているが、これは嘘だ。
『アルカイダ』は、シリアの反政府側にたって戦っている軍隊の主要な一部である。」
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山内徳信氏インタビュー沖縄と日米:岩上
2013-09-05

1968 全軍労ストを弾圧する米軍憲兵隊。ストは勝利した。
「「日本は、させてはいけない人を首相にしてしまった。」山内徳信氏インタビュー:岩上安身氏」 岩上安身WebJournalから
読谷村村長を6期務めた後、7月まで参議院議員を務められていた山内徳信氏は8月30日、岩上安身のインタビューに応え、戦中、戦後と、激動の時代における自身の経験や、米軍の読谷飛行場を取り戻すための戦略、今後の目指すべきビジョンについて詳細に語った。
戦中の日本は、皇民化教育、軍国主義教育が徹底され、「鬼畜米国」と教えこまれたという。「日本が1等国民で、アジアの人々は2等3等だ」とした民族差別も激しかったと語る山内氏は、「そうでないと戦場で人を殺せなかったんです」と当時を振り返った。
読谷村が米国の上陸地点になってしまった理由について、山内氏は、「飛行場があったために上陸地点になってしまった」と解説し、米軍の記録でも、「読谷と嘉手納の飛行場を占領してしまえば、本土への攻撃も充分」と書いてあったこと、「物資を陸揚げできる場所も読谷にあった」ことを挙げ、「戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない」と力を込めた。
米軍の訓練による事故などで、たびたび民間人犠牲者が出るなど人権が侵されていた状況の中、学生時代から沖縄の平和運動、帰村運動に尽力してきた山内氏は、1974年に村長に就任して以降、基地に脅かされない安全な村を作ろうと、米軍に占領された読谷飛行場を取り返すため、基地の中に運動広場を作った経緯を語った。
米軍基地の工事を白紙撤回しようと、当時のジミー・カーター大統領に手紙を書き、2ヶ月後には「白紙撤回する」との返事をもらったエピソードを紹介。「アメリカのしたたかな性格も知っているつもりだから、知恵で勝つ必要があった」と、村総出で戦略を立て、米国を説得していったことを詳細に語った。
山内氏は「基地を取り戻せる構造は文化の構造」であるとの持論を展開し、読谷村を文化村として再興してきた経緯を説明、沖縄においても「平和と観光」が重要であると主張した。
終盤、日本の現状に関する岩上安身の問いに山内氏は、
「歴史から学ばなければならない。安倍首相にやってほしいのは、ひとりよがりの歴史認識ではなく、対話をもっとしていくべき」と語り、
「人間の信頼関係ができるかできないか。日本のためにも信頼を失ったらいかん」と、日本が国際社会から信頼を得られるよう、外交努力をしていく姿勢が必要だと力強く語った。
(IWJ・安斎さや香)
ーーーーーーーーーーーー書き起こし「晴耕雨読」氏から
岩上「アメリカがシリアで開戦するか否か、そういうアメリカが進めていく戦争に日本が自動的に組み込まれていくかもしれない。順を追ってお話をうかがいます。
この読谷村では戦中、戦後、当時どのように生活されてきたのでしょうか」
山内氏
14世紀、当時の琉球の王様は、読谷の北にあるところから中国に貿易に行った。琉球王国の発展に寄与した人。
ここは農林漁業の豊かな、教育熱心の村でした。アメリカに最初に任命された沖縄主席は英語が達者な人物でした。
読谷村は、沖縄本島にアメリカが最初に上陸した場所。事前に徹底的に調査されて上陸した。
4月1日の上陸の1週間前から、ものすごい爆撃で全て焼き払われてから上陸しました
皇民化教育、軍国主義教育で軍国青年を作っていく。『鬼畜米国』と教えられました。
日本が1等国民でアジアの人々は2等3等だと民族差別もすごかった。そうでないと戦場で人を殺せなかったんです
実際に戦争になったときから、日本軍への尊敬や信頼関係は逆転しました。防空壕の中で赤ちゃんが空腹で泣いて訴えても、日本兵は『殺せ』と言う。
お母さんがタオルで声を押さえる場面を何度も見ました
アメリカが放った弾を計算すると、沖縄では1坪に9発の弾が撃ち込まれたということになる。
飛行場ができる前も、後の姿も私は見ています。
肥沃な畑が飛行場に変わっていく。飛行場があったために上陸地点になってしまった
読谷と嘉手納の飛行場を占領してしまえば、本土への攻撃も充分。物資を陸揚げできる場所も読谷にあった。
戦争では基地が一番の標的になる。だから基地を作らせてはいけない。
朝鮮戦争のとき、爆音で一日、20回も30回も授業が中断することがあった
戦争に巻き込まれる可能性がありました。なので、そのときに南米へ移民した人もおりました。
朝鮮戦争があって、日本はサンフランシスコ講和条約で一応の独立を果たした。そこから沖縄の根本的な悲劇が始まったんです
沖縄を切り離してアメリカの統治下において本土は独立。読谷、那覇、宜野湾などで、キャンプ・ハンセンなどの基地が作られていった。
それに沖縄の人々は抵抗して、伊江島での闘いを沖縄本島にも広げていかなければならないということになった
いろんな団体が協力していくようになりました。滅茶苦茶な基地接収を止めるのに、基地のアメリカの軍用機を使ってアメリカ本国へ抗議に行くということもありました。
戦後の沖縄を救おうと、米国へ移民した人々の動きもありました
戦中は英語を使えなくて授業で先生が困っていました。アメリカの白人は戦争に勝つからと、戦後処理についても勉強してきていた。沖縄の言葉で『どこへ行くの?』と聞かれたこともありました。
私たちが戦中に教えられてきたことと全然違いました
アメリカの捕虜になった時、母が『毒が入っているから』とお菓子を食べるなと言いました。
『神の国』だというような合理的でない発想。『先手必勝でハワイの真珠湾を落とせる』と山本五十六は言ったかもしれないけど、野蛮な精神主義ですよ
負け戦と分かっているのに、真珠湾までのこのこ行くから、沖縄も、広島もやられた。
身の程を知らない。相手を侮った日本は東京大空襲も地方の都市も皆攻撃された。敗戦後の日本政府の努力もなされないまま今日まできてしまった
アジアの国々に対する総括もされていない。
日本は、させてはいけない人を首相にしてしまった。
浅い迎合的な思想が日本人にはまだある。これは日本外交のアジアの国々との関係も悪化させている要因です
平和外交でアジアの国々をリードしていける存在にならないと。
歴史の過去と現在とを認識した上で、今後を考えていかないといけない。それをできていないのが安倍首相です
岩上「読谷というところが基地というところから脱却していったという話がありますね」
山内氏 アメリカの海兵隊が沖縄に来ることになって、読谷も接収されていくということになりました
アメリカの独立宣言には幸福追求権、人権、言論の自由がある。私たちも同じpeopleでしょと抵抗した。
退学まで追い込まれたが、ひめゆりのナカソネ先生が東京へ渡り石垣出身の早稲田大学の先生が転校の手続きをしてくれました」
東京で沖縄の運動をしたら、帰りのパスポートが出なかった
岩上「緊迫感があったんですね」
山内氏 読谷村の青年団を代表して残波岬のミサイル発射に反対する集会を開いて、『パスポートを出さない』と、嫌がらせも受けました
1952年、読谷村全体の85%は米軍基地でした。その後帰村運動をして、私が村長に就任する1974年は74%。訓練事故で小学生や女性が死亡することがありました。
戦後、たびたび人権が侵されていた。基地に脅かされない安全な村を作ろうと
教え子たちが私たちのところに押しかけてきました。『先生、私たちと一緒に立ってください』と。若い人の声、可能性を無視してはいけないと、決意を固めました。
総決起集会を開くその日まで教員でしたので、その日の午後に退職届を出しました
20年近い運動を通して、憲法にあることを、この村で実現しようと訴えた。
教師を辞めて入ったんだから後には引けないと。憲法の3原則を守ると。255ヘクタールの読谷飛行場を取り返す、と唱えたら、保守系の議員から『非常識だよ』と言われた
しかしこれは人為的に作られたものだから、自然にできたものではないんだから、人が解決するもの。飛行場を撤去するロードマップの道筋を作るまでやめないと言いました。
圧倒的な支持を得られて、24年間、6期村長を続けました
青年たちは運動場を、老人たちは福祉センターを作ってくれと言ってる。まず基地の中に運動広場を作る計画を立てた。基地の工事は60%完了していたが、文化村を作る構想があったので、お年寄りと座り込みをやりました。彼らも責任を感じていた
警察から、機動隊が出て座り込みのお年寄りを排除するという知らせが入りました
岩上「60%進んでいた計画を白紙撤回しようとしたんですか」
山内氏 パッとひらめいたのが、アメリカの最高責任者ジミー・カーター大統領に手紙を書くこと
土日で一気に書き上げて月曜の14時に記者会見。沖縄タイムスと琉球新報が夕刊で大きく書いてくれた。朝日も書いてくれた。
外務省と防衛省からは抗議の電話がかかってきて、『自治体の長がアメリカの大統領に手紙を出すというのは、おかしい』と
2ヶ月ぐらいでアメリカから『白紙撤回する』と、運動広場を作っていいと返事をもらった。
でもぬか喜びはできんから、アメリカのしたたかな性格も知っているつもりだから、運動広場は日本政府の補助金で作って、アメリカに知恵で勝つ必要があった
読谷の陸上競技大会を米軍に見せて、彼ら若い人も基地を作らすなと言っているから、これは村民の総意だから基地は諦めてくれと言いたい。
あなた方、押しきれないよと。ここが勝負の分かれ目だった。防衛省の中にも努力してくれた職員がいました
アメリカ軍の基地を管理する不動産部長にできた野球場を案内した時、『次は何を考えてる』と聞くから、読谷の南に読谷村役場を作って、赤瓦をしつらえた琉球建築で作ると。
米軍が見てもすごいと思わせるようなものを作らなければと
みんなの目にかなう設計にしてくれということでできたものがこれです
岩上「かつて基地として接収されてきたものを交渉で取り返してきた、これをどちらで学んだのですか」
山内氏 基地を取り戻せる構造は文化の構造。文化村としてやっていくと
文化は金儲けが目的ではありません。人々に夢や希望を与えるのは文化。そこに基地を置いてはおけないねという発想。
琉球王国の時代やその前の時代、中国や朝鮮、東南アジアの文化もここにあると
外交の秘訣は歴史を語れること。相手を揺さぶるには相手を感嘆させられるような話をする。
基地が多いと、人間的な豊かな環境も作れない。文化村には3つの構想があります。1つは伝統的な焼き物の村にするということ
2つ目は機織り。4つのセンターに女性たちが通ってくれた。
3つ目は紅芋で洋・和菓子を作るということ。ヘルシーな紅芋はヒットすると。地元の原産物を使って作るということ
岩上「皇民化、軍国教育がある中で、アメリカの民主主義、歴史を学ばれた。それを逆手にとって交渉された。
今、憲法が改正されようとしていて、若い世代は憲法・民主主義のありがたさを知らずにきてしまった。私たちと違った体験をされていると思いますが」
山内氏 戦前は、大自然に依拠している。山、海、川の幸を大事にしてきた。
読谷に2つのホテルを誘致したとき、ビーチは読谷村が整備すると言いました。管理はホテルにお願いする。大自然の海までやりたい放題にはさせないよと
教科書に書かれていることではない、社会教育の場が自治体、地域にある。大地は最高の教科書。子どもたちの豊かな人間性がつくられていくのが、ふるさと教育論です
岩上「普天間を返すと言いながら、辺野古に移して大きな基地を作るということになった。これに反対されてきたと思いますが」
山内氏 普天間には夢がありました。都市計画を学んで、ふるさとを21世紀にふさわしいように残さないと、と講演で言いました
基地は戦争のためのもの、人を殺すためのもの。そんなものがあるのは不健全。基地がなくて良かったなと思ってもらうことが大事。基地の多くが返還になると日本政府も財政が負担になります。後治療も早めにやったほうがいい
第一次産業を盛んにすることも大事。他では4年5年かかると言われたけど、読谷では要請した翌年から調査費がつきました。『あんたらには迷惑をかけんから』と言って、国の職員にもその気になってもらいました
村長になった者がやるべきことは、一番生活が困難な人のための政策。自然を大事にすること。
日本が生きていく道はこれしかない。国境があることは元凶。ナショナリズムをあおるようなことになる」
岩上「21世紀になって、ナショナリズムの高揚が強調されているように感じますが」
山内氏 普天間は使い勝手が悪かった。辺野古なら、飛行場もあれば軍艦も着岸できる。北部訓練場は人を殺すための訓練もできるからアメリカとしてはほしかった
沖縄の人々は、『ここが昔の射爆場か』とゴルフ場やホテル、肥沃な農地に変わった姿を見て、誰も文句を言わない。基地の跡地を自分たちの力で使いたいということになってきている。
沖縄の平和と観光がないといけない。文化の光をみるのが観光
人の交流が大事。そこで世界の人類が結びついている。それを全部潰すのが戦争
岩上「一方、北朝鮮の話になると、朝鮮総連と関係があったりすると、北朝鮮のシンパなどと言われてしまったりするかと思いますが」
山内氏 何万人も慰安婦として連れてきた過去に触れず、戦後の拉致問題だけにしてしまっている。
また警備当局は知っていたはずなのに、拉致が横行する状態を許した。神経が過敏になってしまうのは分かるけれども
戦前や戦中を知る世代の罪滅ぼしとして教科書の無料配布など、国会議員がやるべきことだと思いました。
少なくとも独立国家なら、対話と制裁の対話の方をもっとしていくべき。6者協議の世話役のアメリカ人にそのように述べたんです
岩上「仲良くしようと言いながら、返すものは返してもらうと」
山内氏 熟したりんごやみかんは地に落ちる。落ちたものからは芽が出る。
早く芽を出すこと。古いものにしがみついていてもしょうがない
本土復帰運動は平和憲法でなければならないということを言ってきました。日本国憲法は、今後も守り通していかなければならない。
経済は下部構造、上部構造は文化だと私は考えています。戦後は生活の基盤を所得倍増などといって進化してきました
歴史は前に進んでいくんであって、歴史から学ばなければならない。
日本の安倍首相には歴史認識について『あなたはヒットラーになるな』と言いました。彼は過去から学ぼうとしない。
地位協定、日米安保、これでいいのと
安倍首相にやってほしいのは、ひとりよがりの歴史認識でなく、ドイツのヴァイツゼッカー大統領の様な発言をしてほしい。日本にもこういう首相が誕生したかと。戦後レジームから脱却するなら、憲法改正じゃないでしょと。中国とも仲良くしてほしい
過去の歴史から見ても、中国を抜きにしての外交安全保障はありえない。
不幸な道を歩む方向にいっている。アメリカに利用されながら、中国に尖閣へ出て行く口実を与えて、アメリカの小軍になるような国作りはいかんだろうと思いますね
岩上「かつてなかったほど、中国は拡張主義的になり、過去の負い目もあって居丈高になり、今なら中国に勝てると言っている人たちがいます。この危機は乗り越えられるとお思いですか」
山内氏 今の中国と日本の関係では日本が怖い。中国の台頭は歴史の必然
倒すための空手ではなく、自分を守るための空手。
過去にはナポレオンでさえ敗退した、その歴史から学ばなければならない。先手必勝という言葉があるが、兵器がこれほど進んだ時代には、そんなことはありえない。間違っていると
解決できる力を持っているのは総理。あおりたてることを言っちゃいかんのです。
向き合って戦った時に何が残るのか、総理の責任は重いですよ。なんでもやれると思ったら間違い。やってはいかん、そう思っています」
岩上「粘り強く対話をし、平和を求めていく、この沖縄の姿勢を日本にも求めていくと」
山内氏 人間の信頼関係ができるかできないか。日本の経済発展のためにも中国の信頼を失ったらいかんですよ」

1970/12 積年の怒りがコザで燃え上がった。住民を掃討する米軍憲兵隊。
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小出:9/1さようなら原発講演会
2013-09-05
さようなら原発講演会 小出裕章 9/1 日比谷公会堂 書き起こし「kiikochan.blog」から
小出裕章氏:
みなさんこんにちは
みなさんが今日
福島のことを忘れないでこの場所に集まって下さっているという事は大変ありがたいことだと思います。
今日私は、福島を忘れないという事を一つお伝えしたいというか、
みなさんと共有したいと思いますし、
福島の事、それは全てに繋がっているという話をさせていただきたいと思っています。
これはみなさんご存じのとおりの福島原発の写真です。
原子炉が1号機2号機3号機4号機と並んでいましたが、
1号機2号機3号機は運転中に事故に遭遇しまして、全て炉心という部分が溶け落ちてしまいました。
いまその炉心がどこにあるのかもわからない。どうしたらいいのかもわからないという中で、
?におよぶ下請け孫請けという労働者たちが、今この瞬間も作業に当たっているという状態です。
4号機の方は当日運転はしていませんでした。
それでもこのように爆発して建物が吹き飛んでしまいましたし、
未だに使用済み燃料プールという中に大量の放射性物質を抱えたまま、
何時プールが落ちてしまうかもわからない困難な状況の中にあります。
2011年の暮れに当時首相だった野田さんが、事故の収束宣言なんていうものを出したのですけれども、
残念ながら事故は全く収束していないのです。
今現在も危機は続いています。
運転中だった1号機から3号機、それは溶けた炉心がどこにあるかもわからない。
ただ、ひたすら水を入れ続けて冷やすしかないということを2年半にわたって、今日までやってきました。
しかし、水を入れてしまえば汚染水なんてあふれるのは当たり前なのであって、
マスコミは最近になって「汚染水が大変だ」って言い始めたわけですが、
私としては「なにをいまさら」と思いました。
2011年3月11日から、ずーーっと汚染水は流れ出ていたのです。
これからもそうですし、ずっとこれまでも何とか汚染を食いとどめようとして戦いが続いてきて、
労働者が被ばくをしていってしまうという状態が続いています。
これからも何十年もその作業を続けなければいけない、困難なものです。
そしてすでに大量の放射性物質がまき散らされてしまって、
今日も福島から来て下さっている方がいらっしゃると思いますけれども、
何10万人もの人々が故郷を追われてしまったのです。
生活もコミニティーも生活も全部が破壊されて流浪化してしまうという、
こんなことは戦争が起きても起きないという位の事が今現在も続いている。
そしてこれがまだ何十年も続かざるを得ないという状態になってしまっています。
そして、先ほど見ていただいた4号機ですけれども、
建屋が爆発しまして、
炉心の中にあった使用済み燃料も使用済み燃料プールというところに入れられていたのですが、
そのプールは宙づりのような状態になって、今存在しています。
そして、そのプールの底には、
広島原爆に換算すれば多分1万4000発というぐらいに相当する膨大な放射性物質が、
まだ、宙づりのプールの中に眠っているという状態です。
なんとかそれを、一刻も早く何とかしなければいけないのですが、
いかんせん、なにかをしようと思えば労働者が被ばくをするしかない。
そういう状態の中で、今でも苦闘が続いています。
では今まで一体どれだけの放射性物質が環境に漏れてきたかというと、
今から私が皆さんに見ていただこうと思うのはIAEAが行っている、
国際的な原子力推進団体、原子力マフィアの一つの組織であるIAEAという組織があるんですが、
その組織に日本国政府が報告書を出しました。
その報告書の中に大気中に放出したセシウム137という放射性物質の量が書き込まれています。
どの程度だったかという事をお見せします。
まず左の下に黄色い四角を書きました。
これは広島原爆が大気中にまき散らしたセシウム137の量です。
数字も書き込んでありますが(8.9×10の13乗)
多分皆さんピンとこないと思いますので、数字は無視していただいて結構です。
ただしこの黄色い四角の大きさだと思って下さい。
では、福島の第一原子力発電所から、どれだけのセシウムが噴き出してきたかというと、
1号機だけで広島原爆の6発分から7発分(5.9×10の14乗)噴き出させました。
なんと言っても悪いのは2号機なんです。(1.4×10の16乗)
こんなに噴き出した。
そして3号機もやはり噴出させて、(7.1×10の14乗)
当日運転中だった1号機から3号機を合わせると、
広島原爆の168発分をすでに大気中にばら撒いたと、日本国政府が言っているのです。
しかし私はこの数字は必ず過小評価だと思っています。
何故かと言えばこの事故を引き起こした直接の責任は東京電力という会社にありますが、
その東京電力に「お前のところの原子力発電所は安全だ」
「安全性を確認した」といってお墨付きを与えたのは日本国政府なのであって重大な責任があるし、
私は「責任」という言葉は甘いと思います。
「犯罪」と呼ぶべきことをやったのです。
犯罪者が自分の罪を軽く申告する道理はないのです、出来る限り、
あ・・・ごめんなさい。
「重く申告するど道理はない」ですね。
「できる限り軽く見せたい」と言ってはじき出した数字がこの168発。
多分これの2倍か3倍だと私は思います。
つまり、広島原爆がまき散らした放射性物質の
400倍とか500倍がすでにまき散らしてしまったという事故だったのです。
大変な事故なのです、これは。
そのためにどんな汚染が生じたかという事を日本国政府が地図に示しました。
福島原子力発電所はこの位置にあります。
西側は土地ですし、東側は海です。
そして日本というこの国は北半球温帯というところにありますので、
基本的には偏西風という西風が吹いているのです。
福島原子力発電所から大気中に放出された放射性物質は、
ほとんどが西風に乗って太平洋に流れたのです。
日本というこの国にとってはありがたいことだと思います。
しかし、風ですから、北風の日もあった、南風の日もあった、
という事で、日本の国土もこんなふうに汚れたのですね。
今日はこの汚染を詳しく皆さんに聞いていただく時間はありませんが、
福島第一原子力発電所の北西の方に赤と緑の帯がずーっと延びているのを分かって頂けると思います。
ここが猛烈な汚染地帯です。
民主党が政権をとっていた時代に、
一番初めは
福島第一原子力発電所から3kmの範囲の人たちに、万一のことを考えて避難しろという指示を出しました。
しばらくしたら10kmの人達に対して万が一のことを考えて避難しろと支持を出しました。
その次にまた、半径20kmの人に対して、万が一のことを考えて避難しろという指示を出しました。
そしてバスを差し向けて、住民を避難所に連れていった。
それっきりもう住民は帰れなくなってしまったわけです。
しかし、猛烈な汚染を受けたのは、20kmでもとどまらない、30kmでもとどまらない
なんと、40km、50kmという離れたところまでが猛烈な汚染を受けてしまいました。
この40km、50km離れたところには、福島県の飯舘村という村があります。
原子力発電所からは何の恩恵も受けないで、「自分たちの村は自分たちでつくる」と言って
長い年月苦闘を続けて日本一美しい山村と自他ともに認める程の村を作り上げました。
しかしその村が何の警告も受けないまま猛烈な汚染地帯に巻き込まれて、
住民たちはその汚染地帯の中で被ばくをしてしまって、
数カ月経ってから「お前のところが汚れている」と教えられて、今は全損離村です。
こんなことが起きていい事なんでしょうか?
この赤、黄、緑のところは面積にすると約1000キロ平方メートルあります。
琵琶湖が1.5個入ってしまうという、それほどの広大な土地がすでに無くなってしまったのです。
かつての戦争で日本は負けました。
負けたけれども「国破れて山河あり」だった。
国家なんていうものが負けたって、大地があれば人々は生きられる。
この範囲はもう人々が生きることすらが出来ないという事にされてしまったのです。
戦争が起きたって、こんなひどいことは起きないという事が、今もうすでに発生してしまっています。
そして福島県を中心にして青く塗ったところが
東北地方、関東地方にずっと広がっているのが分かって頂けると思います。
そしてその青の周りにくすんだ緑があります。
福島県で言えば会津の方がそうですし、群馬県の西部、宮城県の南部も北部も
岩手県の一部もあります。
茨城県の南部、千葉県の北部、東京の一部にもありますけれども、
こういう色のところは現在の法律に照らしあわせるのならば、
「放射線の管理区域」にしなければなりません。
普通のみなさんは入れないんです。
私のようなごく特殊な人間だけが立ち入ってもいいと許されるのが放射線管理区域です。
が、その場所に私は立ち入った途端に水すらが飲めなくなる。
というのが放射線管理区域です。
それがこんな広さですでに生じてしまった。ということになりました。
こういう状態を見て、日本の国は一体何をしたでしょうか?
これまで日本は法治国家だと自分のことを呼んできました。
国民がなにか悪いことをすれば、国家がちゃんと処罰すると
「しょっ引いていって処罰するから、日本の国の中には悪いやつはいないから安心しろ」と言ってきました。
それなら、法律をつくった国家が法律を守るのは最低限の義務だと私は思います。
そして国家が被ばくとか放射能について決めた法律だってたくさんあります。
例えば一般の人々。
今日この会場にいらっしゃるほとんどの方々は
1年間に1ミリシーベルト以上の被ばくはしてはいけないし、させてもいけないという法律があったのです。
そして今、放射線管理区域のことを聞いていただきましたけれども、
放射線管理区域からなにか物を持ちだす時には、
1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているような汚染物は、
どんな物でも持ち出してはいけないという法律で決まってたのです。
しかしさっき見ていただいた地図で、
青いところは1平方メートル当たり6万ベクレルを超えてすでに汚れている。
くすんだ緑のところも3万ベクレルを超えて汚れているんです。
それも放射線管理区域の中で汚れた私の実験道具では無い、
私の実験着でもない、
「大地そのものが全部汚れてしまった」と言っているのです。
それを見て日本の国は何をしたか?
私は先程犯罪者だと呼んだわけですけれども、
その犯罪者の日本の国は自分が決めた法律を一切反故にしてしまい、
「1ミリシーベルトなんていう基準はもう守れない、20ミリシーベルトの被ばくまでは我慢しろ」という。
「放射線管理区域の基準は超えているけれども、そこにみんな住め」ということにしてしまいました。
今逃げている人に対しても、「帰還しろ」というようなことを言っているわけです。
あるいは「勝手に逃げるなら国はなんにも知らない」というような事を言っています。
犯罪なんじゃないですか?これは。
ここまできてなぜ罪を裁けないかと、わたしは思いますし、
絶対にこの事故を起こした責任のある人たちを処罰していかなければならないと思います。
先ほどもおっしゃっていたけれども、東京には原発はないんですね。
これは東京電力のパンフレットから取ってきた図ですけれども、
東京電力は東京湾に沢山の火力発電所をつくりました。
当り前ですね。東京湾周辺で沢山の電力を使う訳ですから、電気をそこでつくるのが一番効率がいい。
送電のロスもなにもいらないわけですから、東京湾につくったわけです。
そしてみなさんも東京電力の電気を使っていた方々だと思いますが、
東京電力は、では原子力発電所をどこに作ったかと言えば、
福島第一第二、そして柏崎刈羽という、
これは、東京電力とは何の関係もない地域なんです。
この関東地方のこの部分が東京電力が給電の責任を負っている範囲ですけれども、
それとは全然関係のないところに原子力発電所を建てたんですね。
「万が一でも事故が起きたら大変だ」という事でこんなところに建てた。
そして事故が起きてしまえば、
こういうところの人達が苦難のどん底に突き落とされるという事になってしまっているわけです。
そして今彼らは、この事故をなかった事にしようとしています。
日本ではこれまで58基の原子力発電所がつくられてきました。
その全ては自民党政権が「安全性を確認した」と言って建てたのです。
福島第一原子力発電所もそうです。
安全性を確認して建てたのです。
その原子力発電所が事故を起こしているのに、いま自民党政権、安倍さんですけれども、
「安全性を確認して、いま止まっている原発を再稼働させる」と言っているんですね。
真に正気の沙汰ではないと私は思いますし、
安倍さんはさらには「新しい原発をつくる」そして
「海外に原発を輸出する」というようなことまで言っているわけです。
そしてそれをやるためには、
「福島の原発の事故を忘れさせる」という事が彼らにとって必要になっているのだと思います。
マスコミもそれにどうも乗っているようですし、
福島のニュースはどんどん少なくなってきて、
被災者の方々がどれだけ苦しんでいるのかという事についても、
報道はほとんどなされなくなってきているとおもいます。
そうであれば私たちに必要なことは「福島を忘れない」という事だと思いますし、
私もそうしたいと思いますし、
今日この会場にいらっしゃって下さっている方は
その思いでここに集まって来て下さっていると思いますし、
これからも福島を忘れないという事で、是非ともお願いしたいと思います。
これからですが、
福島の問題はもちろんとてつもなく重大な問題です。
しかし、原子力の問題というのは、単に安全か危険かという問題ではありません。
もともと日本が原子力をやろうとした動機は、「核開発」です。
ここに我が国の外交政策大綱という文書があるんですが、その中の1説を紹介したいと思います。
こう書いてある。
核兵器については,
NPTに参加すると否とにかかわらず,当面核兵器は保有しない政策をとるが,
核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに
これに対する掣肘(せいちゅう)をうけないよう配慮する。
また、核兵器の一般についての政策は、国際政治、経済的な理解特質の計算に基づくものである。
との趣旨を国民に啓発する
すでに1969年にこういう方針を建てて原子力を進めてきたのです。
ある時には外務省の幹部が新聞のインタビューでこんなことを答えています。
(朝日新聞 1992年1月19日)
個人としての見解だた、日本の外交力の裏付けとして、
核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。
保有能力はもつが、当面政策として持たないという形でいく。
そのためにもプルトニウムの蓄積と、
ミサイルに兼用できるロケット技術は開発しておかなければならない。
というのです。
まことに見事だと私は思います。
原子力の平和利用だと言いながらプルトニウムはどんどんどんどん蓄積して懐に入れてきました。
すでに日本には45トンの分離されたプルトニウムがありますが、
それで原爆をつくれば4000発作れてしまいます。
そしてつい先日はイプシロンというロケットの打ち上げようとしました。
その前にはH2ロケットは沢山打ち上げているんですね。
それも全てミサイルに転用できるロケット技術を開発できるという事でやってきたのです。
日本国内では、たとえば朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げる、
そのために「ロケットを打ち上げるんだ」と言って、イカオ(ICAO)という国際的な団体に申請しました。
申請した通りにロケットを朝鮮民主主義人民共和国が打ち上げた。
それに対して日本という国は「実質的なミサイルを打ち上げた」というんですね。
「撃墜する場合もある」というような事を言う国でした。
何のことはない、日本は沢山H2ロケットでもなんでも打ち上げている。
「それはじゃあ、実質的なミサイルではないのか?」と、むしろ私は聞きたくなります。
朝鮮民主主義人民共和国が核兵器をつくった作らないということがありますけれども、
私は実はまだ、彼らは作ってないと今でも思っているのですが、
どうせ出来たとしてもするはずです。
それなのに日本はもうすでに4000発もつくれるだけの材料を懐に入れているという、そういう国なのです。
今、世界を支配しているのは国連です。
国連というのは英語で言えばUnited Nationsです。
かつて日本と戦った連合国が今世界を支配している訳です。
日本は戦争で戦った国ですから、国連憲章の中には敵国条項というのがあって
悪い国には特別のやり方、制裁をとっていいという事がいまだに国連憲章の中に残っているのです。
その国連の常任理事国は、米国、ロシア、英国、フランス 中国ですけれども
沢山の連合国があった中で、なんでこの5カ国だけが常任理事国になっているのかと言えば、
核兵器を持っているからです。
核兵器を持つという事は現在の世界を支配するために決定的に重要なファクターになってしまっているという、
そういう世界があります。
そして、その5カ国には核兵器を製造するための中心3技術というのがあります。
ウラン濃縮、原子炉、再処理、という3つの技術ですけれども、
その3つをもちろん持っています。
で、自分は持っているけれども他の国にはそれは持たせないというので、核不拡散条約をつくって、
自分たちだけが独占できるようにする。
そして、さっきもちょっと出ました
IAEAという国際的な原子力マフィアを使って、他の国を監視するという、
そういう体制をずーーっと作ってきました。
しかしそういう体制の中で、
核兵器保有国ではなくて中心3技術の全てを持っている国が世界で1カ国だけあるんです。
どこですか?
日本ですよね。
日本という国は平和利用だという事を言いながら、
実質的な核保有国にすでになったという、非常に特殊な国なのです。
そのためまた日本は、さらなる悪事を働こうとしています。
昨年の6月に原子力基本法というものが改定されました。(2012年6月20日成立)
もともと基本方針にはこう書いてありました。
「原子力利用は平和の目的に限り、安全の確保を旨として、
民主的な運営のもとに実質的にこれを行うものとし、その成果を公開し、
進んで国際協力に資するものとする」と書いてあります。
なんとなく文言は綺麗に読めますけれども、
「平和の目的に限り」なんてあっても
「実質的には核兵器を開発するためにやってきた」というのは今聞いていただいた通りです。
そして去年の6月にこんな文言を付け加えました。
前項の安全の確保については確立された国際的な基準を踏まえ、
国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全、
並びに我が国の安全保障に資することを目的として行うものとする。
「安全保障」という言葉はみなさんよくご存じだと思いますけれど、
「日米安全保障条約」という名前がある通り、軍事的な専門用語です。
つまり日本は原子力をやるにあたって、
「安全保障を目的としてやるんだ」というところにまで、日本の政府は踏み込んできている。
つまり、日本というこの国が核兵器を持つか持たないかという事は、
政策の問題だし、利害確執に基づくものだという事を、国民にちゃんと知らせようという事を
多分やり始めたという事だと思います。
私は原子力にいる人間として、
原子力は徹底的に危険だと思います。
こんなものはやってはいけないと思いますけれども、
私が原子力に反対しているのは単に危険だからではありません。
原子力というのは他者の犠牲の上にしか成り立たないという、そういうものです。
差別に基づかなければできないという、そういうものに私は反対しています。
もともと原子力発電所で働いている労働者の被ばくは、
9割以上は下請け孫請けの労働者が担ってきました。
そこで事故が起きたら大変だという事で、都会を離れて過疎地に押し付けた。
過疎地で事故が起きてしまえば、そこの人達が本当に苦難のどん底に突き落とされて、
そして事故の収束に行くのは
下請け孫請けの労働者たちがまた被ばくをさせられてしまうということになります。
仮に事故が起こらなくても、原子力を使ってしまう限りは、
核分裂生成物という放射性物質を生み出してしまって、
その放射性物質を私たちが無毒化する力を持っていないのです。
100万年にもわたってどこかに隔離をしなければいけない。
そんな事が出来る道理が無いのです。
私が死んでも、皆さんが死んでも、自民党政権なんてなくなっても、
無くならない毒を残していくという事になります。
今私たちが原子力を選択するという事に、何の決定権も持たない子どもたち。
未来の子どもたちが毒物だけを押し付けられるという事になります。
「未来犯罪」とでも呼ぶべきだと私は思います。
その上で今聞いていただいたように、
原子力というのは核です。
核兵器そのものなのです。
皆さんは原子力と核は違うものだと思い込まされてきたかもしれませんが、同じものなのです。
その核を持つ事が世界を支配するための力なのだと、
要するに自民党政権もみんな思っているわけですけれども、力の論理で平和が築ける筈はないのです。
その事に気付かなければいけないと思うし、
私たちは他の人々を犠牲にするという、そういう原子力、
原子力的なものというものを捨てるということが必要なのだと思います。
これはお分かりになりますね。
では、私たちがいる日比谷公会堂です。
私は日比谷公会堂のこの壇上にいます。
そして、53年前、この壇上でなにが起きたかというとこういう事でした。
今見て下さった通りですけれども、
当時社会党の副委員長だった浅沼稲次郎さんが、こういう姿で殺されました。
犯人は防共挺身隊(ぼうきょうていしんたい)の山口二矢(おとや)という、17歳の少年でした。
この事件を受けて、大江さんが小説を書いて、「政治少年死す」という小説でしたけど書いてくれました。
大変困難の多い時代であったと思います。
自由とか平和とかを守るという事は、大変難しい。
自由や平和をつくっていくことも大変難しいことだと思います。
今私はここに、日本国憲法の前文を書こうと思っているのですけれども、
初めの方にこういう事が書いてあります。
政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こる事が無いようにする事を決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言する。
つまり、政府がバカなことをやらないように私たち国民がちゃんとチェックして政府を監視するんだと、
それを決意したというのが日本国憲法なのです。
私たち一人一人がしっかりしなければならない。
そうしなければ自由も平和も作れない。
また戦争になってしまうよという事が憲法前文に書いてある。
そして、こう書いてある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
というのです。
軍事力によってわれらの安全を保障しようというのではないのです。
軍隊では無い、諸国民の公正と信義に信頼して、自分の安全を守ると決意したというのです。
これは大変な事なのです。
簡単なことではない。
とても大変なことを私たち国民が請け負うという事を書いているのです。
そしてこうです
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
というのです。
日本だけでは無いんです。
世界中全部の国の人々が平和のうちに生存する権利があるということを認める。
一国平和主義でもなんでもないんです。
世界全体を平和にするために自分たちは軍隊を捨てると言っているわけですし、
諸国民の公正と信義に信頼すると言っているんです。
大変素晴らしい憲法だと私は思います。
なんとしてもこれを守るという事も同時に考えています。
かつて戦争がありました。
大本営の発表ばかりで、一般の人々はほとんど真実を聞かされませんでした。
いつも勝っている、戦争で勝っていると聞かされて、
日本は神国だ。
天皇陛下がいるから絶対に戦争は勝てると言われました。
実際の軍隊は選別されて無くなっちゃっている時は今度は転戦だと言うことばで報道したわけです。
ほとんどの日本人は戦争は勝てるだろうと思いこまされた。
そして中に反対する人がいると、国家がその人たちを虐殺していくという事をやったわけですし、
それどころか住民自身がそういう人を村八分という形で虐殺して言ったという歴史もあるんです。
そんな歴史が一応は終わったけれども、
その後で、「いや、悪かったのは軍部だ」と。
「俺たちはちゃんとしたところを聞かされなかったからこうなった」
と言い訳をする人は多分沢山いたと思います。
でもそれで本当にいいのか?と私は思います。
福島の事故が起きた今もそうです。
今日この会場を埋め尽くして下さっている人たちにしても、
福島の事故が起きるまでは原子力がこれほどのものだと言う事に気がつかないでこられた方は多いと思います。
もちろん日本の国は安全だと言って、
マスコミ全てが安全だという宣伝を流してきたわけですから、
普通の方々がそう思っても不思議ではないし、
皆さんが騙されたと思っても私は不思議でなありませんけれども、
「騙されたから無罪だ」というんなら、またきっと騙されてしまいます。
騙された事に関しては、騙された責任があるだろうと思っています。
そして未来を私たちは子どもたちから問われるのです。
福島の事故が起きて以降、お前たちはどうやって生きたか?
わたしは必ず問われると思います。
憲法が今危機に存している時に、その憲法を守ろうとしている人たちももちろんいるけれども、
「一人一人はどうやって生きたか」という事を必ず見られ、子どもたちから問われるだろうと思います。
その問いにきちっと答えられるように私は生きたいと思います。
私もそうですし、皆さんもそうですけれども、
たった一度しか生きられません、人生は。
どんなな事を言ったって一度きりです。
みなさんも一度、私も一度。
そのたった一度の人生ですから、歴史と事実をしっかりと見つめて、騙されないようにする。
そして自分のやりたいことの思いに忠実に生きていたいと私は願います。
ありがとうございました、終わります。
小出裕章氏:
みなさんこんにちは
みなさんが今日
福島のことを忘れないでこの場所に集まって下さっているという事は大変ありがたいことだと思います。
今日私は、福島を忘れないという事を一つお伝えしたいというか、
みなさんと共有したいと思いますし、
福島の事、それは全てに繋がっているという話をさせていただきたいと思っています。
これはみなさんご存じのとおりの福島原発の写真です。
原子炉が1号機2号機3号機4号機と並んでいましたが、
1号機2号機3号機は運転中に事故に遭遇しまして、全て炉心という部分が溶け落ちてしまいました。
いまその炉心がどこにあるのかもわからない。どうしたらいいのかもわからないという中で、
?におよぶ下請け孫請けという労働者たちが、今この瞬間も作業に当たっているという状態です。
4号機の方は当日運転はしていませんでした。
それでもこのように爆発して建物が吹き飛んでしまいましたし、
未だに使用済み燃料プールという中に大量の放射性物質を抱えたまま、
何時プールが落ちてしまうかもわからない困難な状況の中にあります。
2011年の暮れに当時首相だった野田さんが、事故の収束宣言なんていうものを出したのですけれども、
残念ながら事故は全く収束していないのです。
今現在も危機は続いています。
運転中だった1号機から3号機、それは溶けた炉心がどこにあるかもわからない。
ただ、ひたすら水を入れ続けて冷やすしかないということを2年半にわたって、今日までやってきました。
しかし、水を入れてしまえば汚染水なんてあふれるのは当たり前なのであって、
マスコミは最近になって「汚染水が大変だ」って言い始めたわけですが、
私としては「なにをいまさら」と思いました。
2011年3月11日から、ずーーっと汚染水は流れ出ていたのです。
これからもそうですし、ずっとこれまでも何とか汚染を食いとどめようとして戦いが続いてきて、
労働者が被ばくをしていってしまうという状態が続いています。
これからも何十年もその作業を続けなければいけない、困難なものです。
そしてすでに大量の放射性物質がまき散らされてしまって、
今日も福島から来て下さっている方がいらっしゃると思いますけれども、
何10万人もの人々が故郷を追われてしまったのです。
生活もコミニティーも生活も全部が破壊されて流浪化してしまうという、
こんなことは戦争が起きても起きないという位の事が今現在も続いている。
そしてこれがまだ何十年も続かざるを得ないという状態になってしまっています。
そして、先ほど見ていただいた4号機ですけれども、
建屋が爆発しまして、
炉心の中にあった使用済み燃料も使用済み燃料プールというところに入れられていたのですが、
そのプールは宙づりのような状態になって、今存在しています。
そして、そのプールの底には、
広島原爆に換算すれば多分1万4000発というぐらいに相当する膨大な放射性物質が、
まだ、宙づりのプールの中に眠っているという状態です。
なんとかそれを、一刻も早く何とかしなければいけないのですが、
いかんせん、なにかをしようと思えば労働者が被ばくをするしかない。
そういう状態の中で、今でも苦闘が続いています。
では今まで一体どれだけの放射性物質が環境に漏れてきたかというと、
今から私が皆さんに見ていただこうと思うのはIAEAが行っている、
国際的な原子力推進団体、原子力マフィアの一つの組織であるIAEAという組織があるんですが、
その組織に日本国政府が報告書を出しました。
その報告書の中に大気中に放出したセシウム137という放射性物質の量が書き込まれています。
どの程度だったかという事をお見せします。
まず左の下に黄色い四角を書きました。
これは広島原爆が大気中にまき散らしたセシウム137の量です。
数字も書き込んでありますが(8.9×10の13乗)
多分皆さんピンとこないと思いますので、数字は無視していただいて結構です。
ただしこの黄色い四角の大きさだと思って下さい。
では、福島の第一原子力発電所から、どれだけのセシウムが噴き出してきたかというと、
1号機だけで広島原爆の6発分から7発分(5.9×10の14乗)噴き出させました。
なんと言っても悪いのは2号機なんです。(1.4×10の16乗)
こんなに噴き出した。
そして3号機もやはり噴出させて、(7.1×10の14乗)
当日運転中だった1号機から3号機を合わせると、
広島原爆の168発分をすでに大気中にばら撒いたと、日本国政府が言っているのです。
しかし私はこの数字は必ず過小評価だと思っています。
何故かと言えばこの事故を引き起こした直接の責任は東京電力という会社にありますが、
その東京電力に「お前のところの原子力発電所は安全だ」
「安全性を確認した」といってお墨付きを与えたのは日本国政府なのであって重大な責任があるし、
私は「責任」という言葉は甘いと思います。
「犯罪」と呼ぶべきことをやったのです。
犯罪者が自分の罪を軽く申告する道理はないのです、出来る限り、
あ・・・ごめんなさい。
「重く申告するど道理はない」ですね。
「できる限り軽く見せたい」と言ってはじき出した数字がこの168発。
多分これの2倍か3倍だと私は思います。
つまり、広島原爆がまき散らした放射性物質の
400倍とか500倍がすでにまき散らしてしまったという事故だったのです。
大変な事故なのです、これは。
そのためにどんな汚染が生じたかという事を日本国政府が地図に示しました。
福島原子力発電所はこの位置にあります。
西側は土地ですし、東側は海です。
そして日本というこの国は北半球温帯というところにありますので、
基本的には偏西風という西風が吹いているのです。
福島原子力発電所から大気中に放出された放射性物質は、
ほとんどが西風に乗って太平洋に流れたのです。
日本というこの国にとってはありがたいことだと思います。
しかし、風ですから、北風の日もあった、南風の日もあった、
という事で、日本の国土もこんなふうに汚れたのですね。
今日はこの汚染を詳しく皆さんに聞いていただく時間はありませんが、
福島第一原子力発電所の北西の方に赤と緑の帯がずーっと延びているのを分かって頂けると思います。
ここが猛烈な汚染地帯です。
民主党が政権をとっていた時代に、
一番初めは
福島第一原子力発電所から3kmの範囲の人たちに、万一のことを考えて避難しろという指示を出しました。
しばらくしたら10kmの人達に対して万が一のことを考えて避難しろと支持を出しました。
その次にまた、半径20kmの人に対して、万が一のことを考えて避難しろという指示を出しました。
そしてバスを差し向けて、住民を避難所に連れていった。
それっきりもう住民は帰れなくなってしまったわけです。
しかし、猛烈な汚染を受けたのは、20kmでもとどまらない、30kmでもとどまらない
なんと、40km、50kmという離れたところまでが猛烈な汚染を受けてしまいました。
この40km、50km離れたところには、福島県の飯舘村という村があります。
原子力発電所からは何の恩恵も受けないで、「自分たちの村は自分たちでつくる」と言って
長い年月苦闘を続けて日本一美しい山村と自他ともに認める程の村を作り上げました。
しかしその村が何の警告も受けないまま猛烈な汚染地帯に巻き込まれて、
住民たちはその汚染地帯の中で被ばくをしてしまって、
数カ月経ってから「お前のところが汚れている」と教えられて、今は全損離村です。
こんなことが起きていい事なんでしょうか?
この赤、黄、緑のところは面積にすると約1000キロ平方メートルあります。
琵琶湖が1.5個入ってしまうという、それほどの広大な土地がすでに無くなってしまったのです。
かつての戦争で日本は負けました。
負けたけれども「国破れて山河あり」だった。
国家なんていうものが負けたって、大地があれば人々は生きられる。
この範囲はもう人々が生きることすらが出来ないという事にされてしまったのです。
戦争が起きたって、こんなひどいことは起きないという事が、今もうすでに発生してしまっています。
そして福島県を中心にして青く塗ったところが
東北地方、関東地方にずっと広がっているのが分かって頂けると思います。
そしてその青の周りにくすんだ緑があります。
福島県で言えば会津の方がそうですし、群馬県の西部、宮城県の南部も北部も
岩手県の一部もあります。
茨城県の南部、千葉県の北部、東京の一部にもありますけれども、
こういう色のところは現在の法律に照らしあわせるのならば、
「放射線の管理区域」にしなければなりません。
普通のみなさんは入れないんです。
私のようなごく特殊な人間だけが立ち入ってもいいと許されるのが放射線管理区域です。
が、その場所に私は立ち入った途端に水すらが飲めなくなる。
というのが放射線管理区域です。
それがこんな広さですでに生じてしまった。ということになりました。
こういう状態を見て、日本の国は一体何をしたでしょうか?
これまで日本は法治国家だと自分のことを呼んできました。
国民がなにか悪いことをすれば、国家がちゃんと処罰すると
「しょっ引いていって処罰するから、日本の国の中には悪いやつはいないから安心しろ」と言ってきました。
それなら、法律をつくった国家が法律を守るのは最低限の義務だと私は思います。
そして国家が被ばくとか放射能について決めた法律だってたくさんあります。
例えば一般の人々。
今日この会場にいらっしゃるほとんどの方々は
1年間に1ミリシーベルト以上の被ばくはしてはいけないし、させてもいけないという法律があったのです。
そして今、放射線管理区域のことを聞いていただきましたけれども、
放射線管理区域からなにか物を持ちだす時には、
1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているような汚染物は、
どんな物でも持ち出してはいけないという法律で決まってたのです。
しかしさっき見ていただいた地図で、
青いところは1平方メートル当たり6万ベクレルを超えてすでに汚れている。
くすんだ緑のところも3万ベクレルを超えて汚れているんです。
それも放射線管理区域の中で汚れた私の実験道具では無い、
私の実験着でもない、
「大地そのものが全部汚れてしまった」と言っているのです。
それを見て日本の国は何をしたか?
私は先程犯罪者だと呼んだわけですけれども、
その犯罪者の日本の国は自分が決めた法律を一切反故にしてしまい、
「1ミリシーベルトなんていう基準はもう守れない、20ミリシーベルトの被ばくまでは我慢しろ」という。
「放射線管理区域の基準は超えているけれども、そこにみんな住め」ということにしてしまいました。
今逃げている人に対しても、「帰還しろ」というようなことを言っているわけです。
あるいは「勝手に逃げるなら国はなんにも知らない」というような事を言っています。
犯罪なんじゃないですか?これは。
ここまできてなぜ罪を裁けないかと、わたしは思いますし、
絶対にこの事故を起こした責任のある人たちを処罰していかなければならないと思います。
先ほどもおっしゃっていたけれども、東京には原発はないんですね。
これは東京電力のパンフレットから取ってきた図ですけれども、
東京電力は東京湾に沢山の火力発電所をつくりました。
当り前ですね。東京湾周辺で沢山の電力を使う訳ですから、電気をそこでつくるのが一番効率がいい。
送電のロスもなにもいらないわけですから、東京湾につくったわけです。
そしてみなさんも東京電力の電気を使っていた方々だと思いますが、
東京電力は、では原子力発電所をどこに作ったかと言えば、
福島第一第二、そして柏崎刈羽という、
これは、東京電力とは何の関係もない地域なんです。
この関東地方のこの部分が東京電力が給電の責任を負っている範囲ですけれども、
それとは全然関係のないところに原子力発電所を建てたんですね。
「万が一でも事故が起きたら大変だ」という事でこんなところに建てた。
そして事故が起きてしまえば、
こういうところの人達が苦難のどん底に突き落とされるという事になってしまっているわけです。
そして今彼らは、この事故をなかった事にしようとしています。
日本ではこれまで58基の原子力発電所がつくられてきました。
その全ては自民党政権が「安全性を確認した」と言って建てたのです。
福島第一原子力発電所もそうです。
安全性を確認して建てたのです。
その原子力発電所が事故を起こしているのに、いま自民党政権、安倍さんですけれども、
「安全性を確認して、いま止まっている原発を再稼働させる」と言っているんですね。
真に正気の沙汰ではないと私は思いますし、
安倍さんはさらには「新しい原発をつくる」そして
「海外に原発を輸出する」というようなことまで言っているわけです。
そしてそれをやるためには、
「福島の原発の事故を忘れさせる」という事が彼らにとって必要になっているのだと思います。
マスコミもそれにどうも乗っているようですし、
福島のニュースはどんどん少なくなってきて、
被災者の方々がどれだけ苦しんでいるのかという事についても、
報道はほとんどなされなくなってきているとおもいます。
そうであれば私たちに必要なことは「福島を忘れない」という事だと思いますし、
私もそうしたいと思いますし、
今日この会場にいらっしゃって下さっている方は
その思いでここに集まって来て下さっていると思いますし、
これからも福島を忘れないという事で、是非ともお願いしたいと思います。
これからですが、
福島の問題はもちろんとてつもなく重大な問題です。
しかし、原子力の問題というのは、単に安全か危険かという問題ではありません。
もともと日本が原子力をやろうとした動機は、「核開発」です。
ここに我が国の外交政策大綱という文書があるんですが、その中の1説を紹介したいと思います。
こう書いてある。
核兵器については,
NPTに参加すると否とにかかわらず,当面核兵器は保有しない政策をとるが,
核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに
これに対する掣肘(せいちゅう)をうけないよう配慮する。
また、核兵器の一般についての政策は、国際政治、経済的な理解特質の計算に基づくものである。
との趣旨を国民に啓発する
すでに1969年にこういう方針を建てて原子力を進めてきたのです。
ある時には外務省の幹部が新聞のインタビューでこんなことを答えています。
(朝日新聞 1992年1月19日)
個人としての見解だた、日本の外交力の裏付けとして、
核武装の選択の可能性を捨ててしまわない方がいい。
保有能力はもつが、当面政策として持たないという形でいく。
そのためにもプルトニウムの蓄積と、
ミサイルに兼用できるロケット技術は開発しておかなければならない。
というのです。
まことに見事だと私は思います。
原子力の平和利用だと言いながらプルトニウムはどんどんどんどん蓄積して懐に入れてきました。
すでに日本には45トンの分離されたプルトニウムがありますが、
それで原爆をつくれば4000発作れてしまいます。
そしてつい先日はイプシロンというロケットの打ち上げようとしました。
その前にはH2ロケットは沢山打ち上げているんですね。
それも全てミサイルに転用できるロケット技術を開発できるという事でやってきたのです。
日本国内では、たとえば朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げる、
そのために「ロケットを打ち上げるんだ」と言って、イカオ(ICAO)という国際的な団体に申請しました。
申請した通りにロケットを朝鮮民主主義人民共和国が打ち上げた。
それに対して日本という国は「実質的なミサイルを打ち上げた」というんですね。
「撃墜する場合もある」というような事を言う国でした。
何のことはない、日本は沢山H2ロケットでもなんでも打ち上げている。
「それはじゃあ、実質的なミサイルではないのか?」と、むしろ私は聞きたくなります。
朝鮮民主主義人民共和国が核兵器をつくった作らないということがありますけれども、
私は実はまだ、彼らは作ってないと今でも思っているのですが、
どうせ出来たとしてもするはずです。
それなのに日本はもうすでに4000発もつくれるだけの材料を懐に入れているという、そういう国なのです。
今、世界を支配しているのは国連です。
国連というのは英語で言えばUnited Nationsです。
かつて日本と戦った連合国が今世界を支配している訳です。
日本は戦争で戦った国ですから、国連憲章の中には敵国条項というのがあって
悪い国には特別のやり方、制裁をとっていいという事がいまだに国連憲章の中に残っているのです。
その国連の常任理事国は、米国、ロシア、英国、フランス 中国ですけれども
沢山の連合国があった中で、なんでこの5カ国だけが常任理事国になっているのかと言えば、
核兵器を持っているからです。
核兵器を持つという事は現在の世界を支配するために決定的に重要なファクターになってしまっているという、
そういう世界があります。
そして、その5カ国には核兵器を製造するための中心3技術というのがあります。
ウラン濃縮、原子炉、再処理、という3つの技術ですけれども、
その3つをもちろん持っています。
で、自分は持っているけれども他の国にはそれは持たせないというので、核不拡散条約をつくって、
自分たちだけが独占できるようにする。
そして、さっきもちょっと出ました
IAEAという国際的な原子力マフィアを使って、他の国を監視するという、
そういう体制をずーーっと作ってきました。
しかしそういう体制の中で、
核兵器保有国ではなくて中心3技術の全てを持っている国が世界で1カ国だけあるんです。
どこですか?
日本ですよね。
日本という国は平和利用だという事を言いながら、
実質的な核保有国にすでになったという、非常に特殊な国なのです。
そのためまた日本は、さらなる悪事を働こうとしています。
昨年の6月に原子力基本法というものが改定されました。(2012年6月20日成立)
もともと基本方針にはこう書いてありました。
「原子力利用は平和の目的に限り、安全の確保を旨として、
民主的な運営のもとに実質的にこれを行うものとし、その成果を公開し、
進んで国際協力に資するものとする」と書いてあります。
なんとなく文言は綺麗に読めますけれども、
「平和の目的に限り」なんてあっても
「実質的には核兵器を開発するためにやってきた」というのは今聞いていただいた通りです。
そして去年の6月にこんな文言を付け加えました。
前項の安全の確保については確立された国際的な基準を踏まえ、
国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全、
並びに我が国の安全保障に資することを目的として行うものとする。
「安全保障」という言葉はみなさんよくご存じだと思いますけれど、
「日米安全保障条約」という名前がある通り、軍事的な専門用語です。
つまり日本は原子力をやるにあたって、
「安全保障を目的としてやるんだ」というところにまで、日本の政府は踏み込んできている。
つまり、日本というこの国が核兵器を持つか持たないかという事は、
政策の問題だし、利害確執に基づくものだという事を、国民にちゃんと知らせようという事を
多分やり始めたという事だと思います。
私は原子力にいる人間として、
原子力は徹底的に危険だと思います。
こんなものはやってはいけないと思いますけれども、
私が原子力に反対しているのは単に危険だからではありません。
原子力というのは他者の犠牲の上にしか成り立たないという、そういうものです。
差別に基づかなければできないという、そういうものに私は反対しています。
もともと原子力発電所で働いている労働者の被ばくは、
9割以上は下請け孫請けの労働者が担ってきました。
そこで事故が起きたら大変だという事で、都会を離れて過疎地に押し付けた。
過疎地で事故が起きてしまえば、そこの人達が本当に苦難のどん底に突き落とされて、
そして事故の収束に行くのは
下請け孫請けの労働者たちがまた被ばくをさせられてしまうということになります。
仮に事故が起こらなくても、原子力を使ってしまう限りは、
核分裂生成物という放射性物質を生み出してしまって、
その放射性物質を私たちが無毒化する力を持っていないのです。
100万年にもわたってどこかに隔離をしなければいけない。
そんな事が出来る道理が無いのです。
私が死んでも、皆さんが死んでも、自民党政権なんてなくなっても、
無くならない毒を残していくという事になります。
今私たちが原子力を選択するという事に、何の決定権も持たない子どもたち。
未来の子どもたちが毒物だけを押し付けられるという事になります。
「未来犯罪」とでも呼ぶべきだと私は思います。
その上で今聞いていただいたように、
原子力というのは核です。
核兵器そのものなのです。
皆さんは原子力と核は違うものだと思い込まされてきたかもしれませんが、同じものなのです。
その核を持つ事が世界を支配するための力なのだと、
要するに自民党政権もみんな思っているわけですけれども、力の論理で平和が築ける筈はないのです。
その事に気付かなければいけないと思うし、
私たちは他の人々を犠牲にするという、そういう原子力、
原子力的なものというものを捨てるということが必要なのだと思います。
これはお分かりになりますね。
では、私たちがいる日比谷公会堂です。
私は日比谷公会堂のこの壇上にいます。
そして、53年前、この壇上でなにが起きたかというとこういう事でした。
今見て下さった通りですけれども、
当時社会党の副委員長だった浅沼稲次郎さんが、こういう姿で殺されました。
犯人は防共挺身隊(ぼうきょうていしんたい)の山口二矢(おとや)という、17歳の少年でした。
この事件を受けて、大江さんが小説を書いて、「政治少年死す」という小説でしたけど書いてくれました。
大変困難の多い時代であったと思います。
自由とか平和とかを守るという事は、大変難しい。
自由や平和をつくっていくことも大変難しいことだと思います。
今私はここに、日本国憲法の前文を書こうと思っているのですけれども、
初めの方にこういう事が書いてあります。
政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こる事が無いようにする事を決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言する。
つまり、政府がバカなことをやらないように私たち国民がちゃんとチェックして政府を監視するんだと、
それを決意したというのが日本国憲法なのです。
私たち一人一人がしっかりしなければならない。
そうしなければ自由も平和も作れない。
また戦争になってしまうよという事が憲法前文に書いてある。
そして、こう書いてある。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
というのです。
軍事力によってわれらの安全を保障しようというのではないのです。
軍隊では無い、諸国民の公正と信義に信頼して、自分の安全を守ると決意したというのです。
これは大変な事なのです。
簡単なことではない。
とても大変なことを私たち国民が請け負うという事を書いているのです。
そしてこうです
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
というのです。
日本だけでは無いんです。
世界中全部の国の人々が平和のうちに生存する権利があるということを認める。
一国平和主義でもなんでもないんです。
世界全体を平和にするために自分たちは軍隊を捨てると言っているわけですし、
諸国民の公正と信義に信頼すると言っているんです。
大変素晴らしい憲法だと私は思います。
なんとしてもこれを守るという事も同時に考えています。
かつて戦争がありました。
大本営の発表ばかりで、一般の人々はほとんど真実を聞かされませんでした。
いつも勝っている、戦争で勝っていると聞かされて、
日本は神国だ。
天皇陛下がいるから絶対に戦争は勝てると言われました。
実際の軍隊は選別されて無くなっちゃっている時は今度は転戦だと言うことばで報道したわけです。
ほとんどの日本人は戦争は勝てるだろうと思いこまされた。
そして中に反対する人がいると、国家がその人たちを虐殺していくという事をやったわけですし、
それどころか住民自身がそういう人を村八分という形で虐殺して言ったという歴史もあるんです。
そんな歴史が一応は終わったけれども、
その後で、「いや、悪かったのは軍部だ」と。
「俺たちはちゃんとしたところを聞かされなかったからこうなった」
と言い訳をする人は多分沢山いたと思います。
でもそれで本当にいいのか?と私は思います。
福島の事故が起きた今もそうです。
今日この会場を埋め尽くして下さっている人たちにしても、
福島の事故が起きるまでは原子力がこれほどのものだと言う事に気がつかないでこられた方は多いと思います。
もちろん日本の国は安全だと言って、
マスコミ全てが安全だという宣伝を流してきたわけですから、
普通の方々がそう思っても不思議ではないし、
皆さんが騙されたと思っても私は不思議でなありませんけれども、
「騙されたから無罪だ」というんなら、またきっと騙されてしまいます。
騙された事に関しては、騙された責任があるだろうと思っています。
そして未来を私たちは子どもたちから問われるのです。
福島の事故が起きて以降、お前たちはどうやって生きたか?
わたしは必ず問われると思います。
憲法が今危機に存している時に、その憲法を守ろうとしている人たちももちろんいるけれども、
「一人一人はどうやって生きたか」という事を必ず見られ、子どもたちから問われるだろうと思います。
その問いにきちっと答えられるように私は生きたいと思います。
私もそうですし、皆さんもそうですけれども、
たった一度しか生きられません、人生は。
どんなな事を言ったって一度きりです。
みなさんも一度、私も一度。
そのたった一度の人生ですから、歴史と事実をしっかりと見つめて、騙されないようにする。
そして自分のやりたいことの思いに忠実に生きていたいと私は願います。
ありがとうございました、終わります。
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