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もうすぐ北風が強くなる

がん患者にも言わせろ:近藤、丸山論争

 「恫喝する恐怖の医療産業:近藤誠インタビュー」にてがん手術と抗がん剤による死亡を取り上げました。
 近藤誠氏の論説は医療関係産業と学会の利害に反するものなので、当然ながら多くの反論が出ています。

 その中で近藤氏の論を「珍説」と罵倒した、癌研内科部長丸山との論争インタビューです。
 「珍説」と罵倒し、意見の違いを思想の違いと強行に発言するのですが、その中身である手術と抗癌剤のリスクについてはなんと近藤氏と大きな違いは無いのです。

 二人の論争を紹介しながら、がん患者の言い分で解説している貴重な引用と思います。 
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 22 すこしながいあとがき
 ―患者にも言わせろ―
   胃癌物語から

これは,早期胃癌を宣告された,70歳でもなく,80歳でもない男の物語である。
こういう場合,ひとには二つの種類があるという。
一つは他人に言わずに死ぬまでじっと秘めておく人。
死んでから,“あの人はもうだいぶまえから癌だったことはわかっていたんですって,そんなことちっとも感じさせませんでしたね”と言われる人である。
もう一つは,言いふらす人だ。

どっちにしようかと考えた。
“私はガンです”なんて言われたら,友人,知人は,会ったときにどんな顔をしてよいか困る,迷惑な話かもしれない,といっときは思ったのだが,ひとの迷惑かえりみず,言いふらすことにした。
ガンの手術をした人はたいてい公表しているように思う。
郷ひろみにはおよびもないが,世の中,ころんでもただ起きない精神が必要だ。
せっかくガンになったのに,だまっているなんて手はない。
にくまれぐちの一つもたたけば,いくらかひとさまのお役にたてるのではないか。

だいいち自分の心が落ち着くというものだ。
だれでも,ならないという保証もないが,だれでもなれるというものでもない。
これは,ある種の“人体実験”でもあろう。
みずからすすんで,その材料になろうという人間がここにいる。
それほどおおげさなものでもないが,すくなくとも,ひとつの症例ではある。
こういう症例は,ほんとうはたくさんあるのだが,医学界はまだ十分にはつかんでいない。
つかもうとしてこなかったようだ。

医学界がもっと早くその気になっていれば,私などがいまごろ実験台にならなくても,結論がもう出ていることなのかもしれない。
いまそれを言ったってしかたがない。
患者は常に自分のいまおかれた現実で,どうするかを考えるしかない。
もっとも人間死ぬときはみな,医者からみれば,人体実験みたいなものだろう。
こういうたぐいのものは,死んでから発表するのがふつうかもしれない。

すぐに死ぬかもしれない。
しばらくしてから死ぬかもしれぬ。
なかなか死なないかもしれない。
ほんとうは,せめて3年生存したくらいのところで,実は,3年前に胃ガンといわれまして,と言い出すのがちばんかっこいいかな,とも思ったが,死ぬまえに聞いてもらいたい。

“ね,聞いて,聞いて”という次第である。
「癌」というと,やはり,“たいへんだ”と思ってしまう。
もちろんそういう癌もあるが,そうでもない癌もあるらしい。

そもそも,癌という漢字がよくない。いかにも,“なおらないぞ”という感じである。
辞書をひいてみる。
癌 岩 厳 嵒 嵓
これらはみな,音は「がん」で,意味も同じだという。
嵓 は,山のけわしいさまをいう。
群馬県谷川岳連峰の稜線南側の岸壁で「まないたぐら」とよばれるところがある。
「俎嵓」と書く。
嵓は「いわお」である。
巌=「いわお」と同じだ。

「君が代」の歌詞を高校生に書かせたら,「岩音鳴りて」と書いたのがいたというが,日本語はむずかしい。
もちろん「巌となりて」である。
「巌」をかんたんにしたのが,「岩」である。
「山」と「石」で「岩」だ。
そういわれてみると「君が代」は,“がんの歌”と考えると,よくできている。
「さざれ」は,広辞苑によれば,「或る語に冠して『わずかな』『小さい』『こまかい』意をあらわす語」とある。
“さざれ石の巌となりて,苔のむすまで”というのだから,こうなったら,助からない。
『中華大字典』には,癌,臓腑に生じる所の毒瘤なり。凹凸平らならず,且つ硬固にして,疼痛あり,と出ている(諸橋徹次『大漢和辞典』)。

いかにも固い。
どうにもこうにもなりそうもない。
しまつにおえないしろものである。
嵒に「やまいだれ=」はいつついたのだろうか。
貞享3年(1686年)の『病名彙解』には,「乳岩」の記事がみられるという(日本国語大辞典)。これ以上は,日本医学史,中国医学史をひもとかなくてはならない。
私などが,いまごろ手をださなくても,きっとだれかの研究があるにちがいないが,いまは,そこまでは手がまわらない。
華岡青洲が乳癌の手術をしたのは,1805年(文化2)である。

今回,医師の書いたものを,二,三読んで感じたことの一つに,やはり,臨床医と歴史教師,医学者と歴史学者の類似というか,共通点と相違点のことである。
あるいは,臨床医と医学研究者の関係と歴史教師と歴史研究者の関係の共通点である。これは胃癌の治療とは直接関係がないから,ここでは書かない。

はじめ私は,近藤誠医師を,医学界の藤岡信勝かと思ったが,そうではなかった。
今回私は,医師たち,研究者たち,その関係者たちが,必死でガン治療のために闘っているのをみた。
また一方で,医師の世界だけとはかぎらないが,医学の世界には,さまざまな問題をはらんでいるとも思った。
直接人間をあいてにするしごとという点では,教育界と共通のもんだいをきあかえている。

私の書いたものを,近藤氏に送ったところ,すぐに礼状が来た。
「ざっと読ませていただきましたが,患者心理を確認でき,大変参考になりました」
とあった。
癌研付属病院内科部長の丸山雅一との対談「がん論争」(“Medical Tribune”98.6.4)が同封されていた。
丸山雅一といえば,近藤説を「珍説」と『胃と腸』に書いていたことを紹介したひとだ。
名前を聞いて,ああ,あの人だとすぐ気づくとは私も医学界にくわしくなった?ものだ。

この雑誌の丸山氏の紹介欄に,一般向けの本として,『がんと向き合う精神――「患者よ,がんと闘うな」を読む』(四谷ラウンド,97年)という,近藤批判の著書があることを知った。
そんなことも知らずにいっぱしのことを書いているのだから私も頼りない。

送ってもらったこの論争?なるものを読んでいると,いってはわるいが,医者(医学者)どうしがなにをごちゃごちゃいってるの,と思われる部分もあって,いささかがっかりする部分もあったが,私とどっこいどっこいじゃないか,とも思えてきた。
これはよいことなのか,困ったことなのか。

この出版社がだした『「がんと闘うな」論争集』にはだいぶお世話になったことだし,と急に思い立って,私の原稿を,“Medical Tribune”紙にも送ることにした。
“患者にも言わせてよ”という気持ちである。医師どうしだけで話し合っているのはよくないのである。
患者あっての医師なのだから。生徒あっての教師とおなじである。

話はちがうが,98年7月7日の『読売新聞』に遠藤周作の奥さんが書いているのを読んでおどろいた。
遠藤周作が死んでもうずいぶんたつ。いまごろこんなことを知るなんて,やはり教師の世間知らずだなぁと,われながらあきれるのだが,
奥さんの話だと,遠藤氏の主治医が出していた睡眠薬のために遠藤氏は腎臓をわるくし,腹膜透析までやったが,ついに死に至った。

その睡眠薬は,そういう副作用があるために,厚生省が認可を取り消した薬だった。その医師はそれも知らずに与えつづけたのだという。
遠藤周作は医者に殺されたようなものである。

送ってもらった近藤・丸山の対談を読んで,私の手記に,またつけ加えねばならないことがでてきた。
“そういうことか”とわたしなりにわかってきたことを書き出しておきたい。

医師どうしの対談,医師だけの対談で,医師仲間しかたぶん読まない,いわば「業界紙」での話し合いだけに,本音がでているともいえるのかもしれない。
水掛け論的な,部分ははぶくことにする。

近藤 「がんもどき」に関しては,これまでのデータでも説明できていると思いますが,それ以外にも自分の経験も今,少しづつ増えている。というのは,胃の早期癌と診断されて,ぼくのところで経過を診てる人が何人かいる。その経験からすると――。

丸山 あなたが診断して診ているわけ?

近藤 いや,それは他の医者たちに協力してもらっている。それで1年から3年ぐらいの経過ですけど,全然大きくならないか,なかには消えてしまった人もいる。

丸山 悪性サイクルに入ったのは大きくならないし,消えることもありうるでしょう。

近藤 悪性サイクルに入っている人は1人いますが,とにかく症状なく発見された早期胃癌はなかなか大きくなってこない。

丸山 われわれの価値観からしても,そんなの全然不思議でない。

近藤 丸山さん自身が「早期癌を3年放置しても,ほとんど変化しないということは日本の専門医にとって常識以前のことです」と本に書かれている。
でも一般の人たちは,早期癌はどんどん大きくなってしまうのではと思わされ,一刻も早くと手術に駆り立てられてきた。
それが非常に問題だと思う。
丸山さんはそれを正直に書いておられるけれども,「常識以前のことです」といわれてしまうのでは,ね。

丸山 研究者では常識以前だよ。

近藤 しかし,例えばぼくへの反論本を書いた,斎藤健さん(自治医科大学病理学教授。『「がんもどき」理論の誤り』主婦の友社)は,その常識すら認めようとしないので,読者は反論に理があるかと思ってしまう。
この常識以前のことを専門家の口から言わせるのが一番大変だったんですよ。
研究者の常識を一般の人たちの常識にしないとね。

丸山 だから本を書いたんじやないですか。

という会話がかわされている。
丸山のこの
「早期癌を3年放置しても,ほとんど変化しないということは日本の専門医にとって常識以前のこと」
というのは,『胃と腸』に丸山が書いた
「早期癌と診断されてから手術を受けないで37ヶ月経過すると半数が進行癌に発育・進展し,77ヶ月経過するとその半数が死亡する,ということも事実としてみとめておくことにする」
といっていることと,矛盾しないのか。
「37ヶ月云々」の論拠は,まえにも書いたように『International Journal of Cancer』の1983年の大阪府立成人病センターの論文である。
どうもよくわからない。

少なくとも,この「研究者の常識」は,一般の人たちはおろか,日本の現在の医師たちの常識になっていないのではないか。

要するに3年くらいは命に別状はないが,進行癌になるのもあるのだから,進行癌にならないうちに切れば,命が多少のびるだろう,というていどのことらしい。
丸山は,手術についてこういっている。

「早期癌が進行癌になるまで放っておくよりは,早期癌の状態で連続性を遮断したほうが長生きするんだという前提で話している。
要するに,早期癌をみつけて切った,それで生命の危機を少し回避できたという程度の解釈で構いませんよ」
医師が,早期胃がんを手術するときの気持ちは,切ってみたところで,少しのちがいだが,切らないよりは少し死ぬ時期をおくらせられる,くらいのつもりでのぞんでいる,ということなのだろう。

近藤はこれを受けて言う。

近藤 さっきの,早期癌を発見されて手術すれば当面の生命の危機を回避でさるという話は,それが内視鏡的な治療ですめばいいけど,胃袋を取るような場合は,かえって当面の生命の危機を生じさせると思う。
全摘をしないまでも胃袋を取るような手術では,大抵はリンパ節転移があるだろうということで,リンパ節の郭清もする。
この点はいいですね。

丸山 うん。まあ,そういうことになるだろうね

この,「その点はいいですね」「うん。まあ,そういうことになるだろうね」というのは,なにを確認しあっているのかわかりにくい。
内視鏡的な手術をこえる手術は,命を延ばすよりもちぢめる危険のほうが大きいということを,二人で確認しあっているのかと,はじめ思ったが,そうではないらしい。

“手術をするとなれば,たいてい,リンパ節までもとる手術をやってしまうのが現状だ,そうですね。”“そうなるだろうね”ということのようだ。

近藤 それで早期胃癌でも広めのD1手術か,もしくはD2手術になって,生命の危機が生じる。
国立がんセンターの外科医は死亡率がl%ほどという。慶應では0.2%。癌研では大さな手術をするからでしょう,0.8%ほど。
高齢者では,この危険性がさらに高まりますね。
去年の日本癌学会の会長をやった高橋さん(高橋俊雄・京都府立医大教授)のところでは,65歳以上で2.5%,80歳以上では5%がlか月以内に死亡している。
手術後数か月内まで見れば,その数倍が死んでいるでしょう。
しかも今後ますます高齢者の胃癌が多くなる。
75歳ぐらいで早期癌が見つかって,胃袋を取られて苦しくなって,危険な目に遭うよりは,放っておいたほうがよいという話になるんです。
これは「がんもどき」が正しいかどうかでなく,それ以前の話です。

丸山 そうしたことは,ぼくも結構主張している。
厚生省の研究班で,近藤さんの言われる親分衆の手打ち式みたいなところで,ぼくは「孫のいる世代に『検診』なんかいらない」
って言ったんですよ。活字で残ってはいないけれど。
このことは誤解されるに決まっているから説明しますが,世代の交替が終わった年の人たちは,自分の健康は自分で管埋すべきだということです(丸山注:人間ドック,健診を受ける,という意味)。

こういうのを読むと,私が胃の3分の2切除手術をやらなかったのは,やはり正解だったと思わざるを得ない。
私が3分の2切除手術を選択しなかったのは,ここで近藤もいっているように,「がんもどき」論が正しいと思ったからではなくて,それ以前の問題としての選択だった。

「がんもどき」論が正しいかどうかの判定はまだできない。
かといって,切るほうがよいとも考えられない。
そこで私の年齢を考えて,切らないことにしたのである。
私が74歳になってから癌を発見したのは幸運だったというしかない。

このような話し合いを読んでいるかぎりでは,
“癌は放置しても進行しないものが多い”
という意見が医者仲間でもみとめられだした,近藤ひとりの意見ではなさそうだ,というようにみえる。
“進行しないものがある”から“進行しないものが多い”にまですすんできたようだ。

だが医学界はそんなにあまくはないぞ,とも思う。
それに,「多い」は「全部」ではない。
このことに関して,近藤と丸山は同じ意見ではない。
まるでちがうといっていい。

「放置しておいても死にいたらない癌はどのくらいあると考えているか」
という司会者の質問にたいする答えは,丸山が0%,近藤が,90~90数%である。

丸山はつぎのような言い方をする。
「もし人間の寿命がこれ以上延びるのであれば,もっと胃癌が増えるはずです。
ただ幸いにして80歳くらいでもって人間というのは寿命がつきるから,このような微小胃癌(胃潰瘍で手術した人の標本を連続切片にすると1mmとか2mmの癌がいっぱいみつかる)では亡くならない。
だからこれを『がんもどき』というなら,そうでしょうね。
でも少なくともわれわれが臨床的にこれは癌だと言ったもののほとんどは,時間に大きな幅はあるけれども,全部進行癌になって人を滅ぼしますよ。
だから100%です。
もちろん他の病気で死ぬ人もいるから検証はできませんけれどね」

こういうのを,早期癌は100%進行癌になって人を死に至らせる,というのだろうか。
だから,手術で早く除去するのがよいということになるのだろうか。
現実の患者にしてみれば,自説をまげないためのむりな主張のように思える。

近藤説も10%の危険性はあるのだから,安心して放置してはおけない。
それを,見分けてくれるのが医者ではないかといいたくなる。
いまのところ,両者ともそれを見分けることはできない

早期癌を放置しておいて,進行癌になる率が,方や100%,かたや5~10%。
ともに,れっきとした癌専門の医師・研究者である。患者からすれば,いいかげんにしてくれ,といいたくなる。
しかも私のは進行するやつかしないやつか,どっちの癌ですかときけば,それはわからないというのだ。
手術派としては,100%といわねばならないのだろう。

90%は進行しませんとなったら,手術に踏み切る根拠がなくならないまでも弱くなるだろう。
だって,切れば90%は治りますといって切ってきたのだから。
あとは,進行する可能性が5%でもあるかぎり,切っておけばまちがいありません,といって切るしかない。

ところが,内視鏡手術を越える手術はむしろ命をちぢめる恐れが多いという。
進退極まっているのは,医師のほうかもしれない。

先日も新聞に,乳癌の温存手術の話が出ていて,そうとは知らずに摘出してしまったひとの悔しさが語られていたが,これこそ後の祭り,とりかえしがつかない。乳でも胃でも同じである。
教師に劣らず医師も罪深い職業かもしれぬ。

二人の対談で,もう一つ私が注目したことというか,再確認できそうなことがあった。抗癌剤についてである。

近藤 抗癌剤の医学的評価では,丸山さんは,ぼくとの違いはほとんどないんでしょう。

丸山 基本思想は違いますよ。薬で癌を治すという試行錯誤の延長線上にゴールはないと思っている。

近藤 ゴールはないっていうのは,抗癌剤では将来的にも治らないということね

丸山 そう

近藤 ますます,ぼくに近くなってきたじやないですか。

丸山 近くないなんて言ってない。ただその問題で七三一部隊になぞらえるのがおかしいわけで。とにかく,抗癌剤については,うちでも本当に困っている。
ぼくは内科部長ですけど,ぼくが反対だから化学療法をやめろとは言えないわけです。

本紙 消化器の癌に関して,ですね。

丸山 オーソライズされている薬であって,厚生省も認めているとね。
例えば治験したいという場合に,ぼくの印鑑がなければ治験は進まない。そういった場合に悩むわけ。本当に悩む。
本紙 でも,簡単じやないですか。全部言えばいいんですから。間違ったら訂正しますけど,確か治験の対象になるのは,すぐ死んだら実験の意味がないから余命は2か月以上あって他の抗癌剤の効果は期待できないとか,フェーズl試験までは単なる毒性試験であるとか,そういう情報を全部本人に開示して,それでも本人が治験を受けるなら問題ないと思います。

丸山 私が部長になってからは全部言っていますよ。

本紙 それなら,とりあえず問題ない。
………
これも,しろうとが聞いたら,おどろくような発言である。これとても研究者の常識以前のことだろうか。
だいたいの察しはつくことではあるが,ちかごろふうに言えば,“そうなんだぁ”というところである。

丸山 ぼくも勉強してみて分かったんだけど,開発段階で期待有効率を20%に設定してあるんですね。

本紙 どういう意味ですか。10個開発して2個当たればいいという意味ですか。

丸山 固形癌の場合,延命効果が20%あれば薬として認めるという意味。これはあまりに志が低い,こんなもの薬かと思うわけで,もう錬金術に似てくる。

近藤 それは,全くそう思いますね。
ただ,正確を期すために言っておくと,臨床試験で患者の20%程度において癌が縮小すれば,「有効」として認可するのであって,その段階では延命効果は調べられていません。
したがって,副作用で寿命が縮むかもしれないくすりでも認可されている

どしろうとの私が前に書いたのと同じことを,専門家どうしがいまごろ語り合っているというのは,どういうことなのか。
抗癌剤はどの程度効けば抗癌剤として認めるか,などということは,医者や薬学者が相談してきめたことではないのか。
それをいままで認めてきたのは,医師たちではないのか,一般には理解しがたいことである。
理解しがたいことであるだけでなく,まえに書いたように,ひどいめにあってきたのは,医師を信じて「抗癌剤」なるものを,投与されて,苦しんできた患者たちである。

もう一つ,この対談のなかで,抗癌剤の問題に関連して,はからずも飛び出した丸山の七三一部隊についての発言を紹介しないわけにはいかない。
丸山が抗癌剤について,近藤の意見に近いが,「ただその問題で七三一部隊になぞらえるのがおかしいわけで」とは,どういう意味か。丸山はこう言っている。

抗癌剤については,近藤さんと大きな違いはない
ただ,思想的に違う。彼は抗癌剤の治検の問題で,ナチスや七三一部隊の所業と同じだと言っている。
ナチスはユダヤ人を抹殺しようとしたが,七三一部隊は単に学問的興味から人体実験しただけの話であって,全然違う」

これはすごい発言である。
七三一部隊についてよく知らぬゆえの発言なのか,それにしても,1941年生まれの,れっきとした医学者・研究者である。
この考えが丸山ひとりのものか,医師一般のものかはわからないが,恐ろしいことである。
患者,健康者はうかうかしてはいられない。もっとも教育の世界にも,藤岡信勝とその一統のような人々がいるのだから,こういう医師がいても不思議はないかもしれぬが,藤岡と一緒にしては気の毒だろうか。よく解釈してあげれば,抗癌剤の治検とナチスの所業とは同じじゃないと言いたかったのかもしれない。

検診については,丸山はどう評価しているか。

丸山 大腸癌の集団検診は時期尚早,今は不要と言ったんです。
血便などの症状があって手術を受けた人と集団検診で陽性となって手術を受けた人との生存率はほとんどかわらないから。

本紙 胃癌検診は「有用」という評価になるんですか。

丸山 個人の利益にはなるとぼくは言っているんで,集団検診がいいかどうかは分からない。
行政検診を受ける率は,40歳以上で13%ほどにしかならない。
その何倍かが人間ドックとか,検診代わりに病院の外来に来る人たちで占められているんだから,行政検診を評価できないでしょう。

本紙 乳癌,子宮癌,肺癌の検診はどうですか。

丸山 肺癌はほとんどだめだと思うな。日本の症例対照試験のパワーは,非常に弱いし。乳癌は,実のところ,判断できない

近藤 でも丸山さんは,やったほうがいいと書いていますよ。

丸山 ぼくは書いてませんよ,そんなこと。

近藤 西さん(西満正・癌研究会病院名誉院長)との共著論文に,そう書いてあるじやないですか。

丸山 西先生に「それは困る」と言えないですよ。あなたが慶應を批判しないのと同じだよ。

[私の注: 薬害エイズの問題で,安部とかいう“えらい”教授にさからえなかった人々がいたことを思い出した。ありそうな話だが,ここで当然のように,言っているところがなおおそろしい。]

本紙 そうかなあ…先に進んで,子宮癌は?

丸山 これも分からないんです。
例えば,胃癌のようにどんどん進行癌になるのかどうか分からないから。ぼく自身の経験はないし,近藤さんのように勉強をしていないから。

本紙 というお話をうかがっていると,「がんもどき」を論点にすれば議論は尽きなくても個別の臨床課題でお2人の考えはかなり共通している。

丸山 でも,胃癌の早期癌は進行癌にならないというから,そこが全然違う。

本紙 でも,そこでの考え方の延長が検診の評価になるわけでしょう。

丸山 検診というのは制度の問題であって,繰り返しになるけど,ぼくが言ってるのは「健診」のほう。

というしだい。はからずも,丸山・近藤対談は,私の手記全体をおさらいすることになった。いやはや患者もらくじゃない。

さて,このようにながながと書き来たって,最低,現段階でいえることは何か,と考えてみる。
患者として,いまわのきわに,これから胃癌になる人に言い残すことがあるかと問われれば,なんと答えるか。

早期胃癌と宣告されても,そして,医師に胃切除の手術をすすめられても,決してすぐにその処置をきめてはいけない,ということぐらいだろうか。
早期胃癌を3年放置してもほとんど変化しない」ということは,癌研究者の常識以前の知識なのだから,なにも処置を急ぐことはない。
100%とはいかないが,3年間保証付きなのだ。

消えてしまうことだってないわけじゃない。発見されたからといって,きのう・きょう癌になったのではないし,いまさらあわてるにはおよばない。年齢に関係なくである。
すぐに決める必要はないのである。高齢者はなおさらだ

ゆっくり,日時をかけて,月日をかけて,あるいは年月をかけて,どうしようかなぁと考えればよい。
病院を探すもよし,本を読むもよし,人にきくもよしである。
なにしろ一度切り取ってしまえば,もうもどってこないのだから。
そのうちに,医学だって発達するだろう。おそいにこしたことはない。
やがて,現段階で自分のなっとくできる方法がみつかるにちがいない。

ながながと書いたにしては,そしていのちをかけたわりには,たいした結論がだせなかった。
いまガン治療をめぐって,医師たちの展開している「言い争い」(論争?)に学んだ結果でもある。
死んでからしまったと思わぬようにしたいものである。
(1998.7.10記)
 ーーーーーーーーーーーーー
 近藤誠氏の関連ページ(リー湘南クリニックの近藤氏紹介を含む)。

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 近藤誠
がんの手術、抗がん剤治療は患者を幸せにするのか。近藤氏は早期発見の有効性に異を唱える

  勘三郎さん、ジョブズ氏…「がん手術は間違い」 慶大・近藤誠医師が直言 2013.07.10 zakzakから

 『患者よ、がんと闘うな』などで知られる慶応義塾大医学部講師の近藤誠10+ 件医師(64)が、2014年春に迎える定年退職を前に本紙のインタビューに応じた。独自の「がんもどき」理論、激しい論争、自らの死生観など約90分間で語り尽くした内容を全3回の集中連載にまとめてお伝えする。第1回は「がん“治療”が命を縮める」をテーマに、抗がん剤投与や手術至上主義の実態に迫った。(聞き手・構成 久保木善浩)

 もしもあなたや家族ががんを告知されたら-。抗がん剤治療や手術に望みを託す方が多いのではないか。例えば、食道がんに冒された歌舞伎俳優の中村勘三郎さん(2012年12月死去、享年57)は手術に挑んだ。胸を切り開いて食道を切り取り、胃をのど元まで引き上げる難易度の高い手術を受け、入院から約4カ月後にこの世を去った。
 ◇
 ──勘三郎さんの早過ぎる死はショックだった

 「日本は医師不足といわれていますが、実は余計な分野に医者が多いだけ。食道がんもその1つで、手術をする外科医は2000人もいます。外科医が手術をしたがり、多くの患者が手術に追い込まれているのです」

 ──勘三郎さんが近藤先生の患者だったら、ああいう結末は…

 「あり得ません。勘三郎さんに自覚症状はなく、(食道は)食べ物の通りもよく元気でした。
 まず診るのは転移があるのか、ないのか。転移がない『がんもどき』ならば今後も転移が出てこないと考えられ、即座に手術する必要はありません。
 転移があれば、残念ながら統計上は5年後にはほとんどの方が亡くなっています。
 やはり、即座に手術をする理由はなかったのです」

 《近藤氏は、がんは2種類あると唱えている。1つは転移する本物のがん、もう1つは近藤氏が「がんもどき」と名付けた転移しないもの。本物のがんは転移のため手術や抗がん剤で治る見込みはなく、「がんもどき」なら転移しないので端から切る必要はない、という理論である》

──勘三郎さんは術後、肺炎にかかった

 「手術によって誤嚥(ごえん=異物を気管に飲み込んでしまうこと)防止ができなくなり、消化液が肺の中に入って肺の細胞がやられました。
 何もしなければ1年以内なら体力はほぼ落ちず、亡くなることもあり得ません。(今年4月に始まった)新しい歌舞伎座のこけら落とし公演には十分出られたと思います」

 ──芸能リポーターの梨元勝さん(2010年8月死去、享年65)は肺がんで抗がん剤治療を受けていた

 「体調不良を訴えて(10年5月末に)入院し、進行期の肺がんということで抗がん剤治療が始まりました。投与が進むなか、梨元さんは体調が悪化していく様子をツイッターでつぶやいています。
 そして数回目の投与の後、息を引き取りました。肺がんで症状が急激に悪くなることはなく、こういう亡くなり方は抗がん剤の影響以外ではあり得ません」

 ──がん死というと、スキルス胃がんのアナウンサー、逸見政孝さん(1993年12月死去、享年48)の印象が強烈だった

 「手術でおなかを切り開き、胃を摘出すると傷口ができます。その傷口に腹膜、腹水中のがん細胞が潜り込みます。
 傷口を治すために体はいろいろな細胞を増殖させようとして、その流れにのり、がん細胞も一緒に勢いよく増殖してしまう。メスを入れただけでがんが広がることを、僕は『局所転移』と呼んでいます。
 スキルス胃がんで手術をしたすべての方が局所転移で命を縮めている、といっても過言ではありません」

 《スキルス胃がんは、胃の粘膜から出たがん細胞が約5ミリの胃の壁を垂直に潜り込み、腹膜に達して腹部全体に広がっていくもの。この場合、5年生きる人はいないといわれている》

 ──スキルス胃がんと聞くと「逸見さん」「あっという間に亡くなる」と連想し、手術に走ってしまうのか

 「スキルス胃がんそのものではなく、手術が恐ろしいのだと見方を変えなければならないのです。
 スキルス胃がんで手術した患者の生存期間を調べると、多くは1年以内、ほぼ全員が3年以内に亡くなっています。
 しかし、僕が手術も抗がん剤投与もしないがん放置療法で様子をみていると、ほぼ全員が3年以上、なかには9年生きた方もいます。僕が診た患者さんの経過が『手術は間違っている』ということを証明しています」

 ──アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏(2011年10月死去、享年56)は、膵(すい)がん発見から9カ月放置したことを、後に「早く手術すればよかった」と後悔したとか

 「手術で転移が判明したのですが、膵がんもメスを入れると転移が早まります。
 膵臓を取ったところにがんが再発しやすいのです。
 僕ならば放射線治療でたたく、鎮痛剤で症状を緩和するといった治療をすすめました。
 実際に亡くなった年齢よりは長生きできたのではないでしょうか」

 ──多くの人が、がん治療は早期発見が有効だと思っている

 「結局は医療も産業で、患者さんの幸せより産業の発展が第一目標になっています。
 健康な人たちに病院へきてほしい医者たちが集団検診事業を展開し、治療しなくてもよい『がんもどき』をたくさん見つけ、それを手術した成績を加えているから生存率がアップしたように見えます。
 そうして、早期発見が有効なように感じてしまうのです」

 ──先生は医療を「恫喝(どうかつ)産業」「恐怖産業」と表現している

 「実際にがんになったとき、医者に『治療を受けたくない』といえば、ありったけの言葉で不安に陥れられ、『手術しなければすぐに死ぬ』などと脅されます。
 そこではじめて、医療は恫喝産業、恐怖産業だと実感するのです」
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プロフィール

もうすぐ北風

Author:もうすぐ北風
こんにちは。
いろんな旅を続けています。
ゆきさきを決めてないなら、しばらく一緒に歩きましょうか。

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