ブリューゲル
2013-01-16
昨年の秋からこの新年にかけて、神戸市立博物館で「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画展」が開催され、フェルメール初期作品の他にレンブラント、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、ライスダールなどが展示された。
これが契機となって、日本では静かなフェルメールのブームがおきているようである。
17世紀オランダはスペインの没落と相まって、海上商業の最盛期となる。
同時期の北ドイツ、イングランドなどは未だ産業革命前の貧困農業国であったが、オランダとフランドル地方は世界の海運と富の集散地となり富裕な金融商人は文化、芸術作品も扱いスペインをはじめとするヨーロッパ王族に売ったわけである。
フェルメールが使う青色「フェルメール・ブルー」は黄金ほどの価格だったと言われる。
そんなネーデルラント・フランドル派の絵画は欧米各地の美術館で大きな地位を占めています。
美術館をあちこち多く廻ったわけではありませんが、印象派の前で写真機が存在しない時代の絵画は遠近法以来非常に克明な描画が要求され、17世紀はその頂点であったかとも思うのです。
一面では客観描写においても写真機以上の精密さとモチーフの訴える力がバランスしています。
ここでフェルメールの絵画を紹介するわけではありません。
17世紀フランドル絵画を見ると、なぜか私が思い起こす画家はブリューゲルなのです。
ブリューゲルは16世紀アントウェルペン(現ベルギー)の作家なので、17世紀フランドル画家はほとんどがその影響を大なり小なり受けています。
私が思い起こすブリューゲルのイメージで最も強烈なのは次の絵です。

雪中の狩人と言う名前ですが、当時今より寒冷だった北西ヨーロッパはベルギー地方でも積雪と結氷がありました。
どんよりと曇った午後の日暮れに山から降りてきた猟師たちの前方では、湿地や水路でスケートをしている人々が細かく克明に描かれています。
彼が描いた絵はほとんどが神でも金持ちでもありません。
寒さと労働、寒さと遊び、貧富と喜怒哀楽の人間(庶民)をあくまで中心テーマにしており、当時としては極めて珍しい立場です。

ピーテル・ブリューゲルの死後発掘された肖像画
当時の画家、画商、図書などの同業組合は現在の職能組合の機能も併せ持ったギルド組織で、聖ルカ組合と称していた。
生地、血筋来歴は不明。
1551年アントウェルペン(仏語でアンベルス、英語でアントワープ)の聖ルカ組合にブリューゲルの名が現れる。
その後イタリアに修行したらしく、1555年に組合に戻っている。
版画の下絵(版下)を描いていたが、1660年ころから油彩となる。63年にブリュッセルに移り、結婚。
5年後1669年に幼い息子二人を残して亡くなる。40歳の前後だったと推定されている。
ブリューゲルは子どもたちには何の手ほどきもできなかったと思われる。
だが、子どもたちは成長と共に父の絵を模写するようになり、画風はかなり異なるが画家となった。
ピーテル・ブリューゲルの息子二人、孫と玄孫の各一人が画家となった。
ブリューゲルの油彩はわずか9年ほどの間に描かれた。
その極めて精細克明な技法は70年前の初期フランドルの画家、ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)の影響との意見があり、私も同意である。

1559年ネーデルラントの諺。集落で様々な行為をしている人々と家屋、道具なども極めて丹念精密に描く、と同時に幻想的超現実的でシュールな感覚。ブリューゲルの一貫したスタイル。

1560年子どもの遊戯。
遥か遠くまでを遊ぶ子どもで埋め尽くしている。この幻想とリアル。
ブリューゲルは遊ぶ子どもたちに、「救い」を感じたのかも知れません。
様々な遊びがすべて丹念に描かれ、歴史資料としてこの絵の「遊び」を解明解説した本が出ているという。

1563年バベルの塔。

1567年怠け者の天国。独特のシュールなリアリズムを感じる作品。

1568年農家の婚礼。農民への愛情を感じる絵。

1568年農民の踊り。祭りの広場に集まってくる農民、飲食し、踊る農民。
日本では最もよく知られていると思われる作品。
ブリューゲルは、「股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる習慣があり、その姿勢の最中に死んだ」という伝え話があるが、もちろん真偽は明らかではない。
ブリューゲルの70年ほど前の画家にヒエロニムス・ボッシュがいます。

ボッシュは1450年オランダ南部の画家アーケン家に生まれる。
本名はイェルーン・ファン・アーケンだが、作品には住んでいた都市デン・ボスにちなむ「Bosch」の署名をした。
時代はメディチ家のフィレンツェが最盛期で、スペインは92年にグラナダを制圧する。
ネーデルラントは小自由都市の時代。
ボッシュについても詳しいことはわからないが、生涯ほとんどを生まれた都市で暮らしたようである。
1516年8月に亡くなった。
聖書に関する絵画が多く、16世紀改革によって破壊消失したものが多い。

快楽の園。1503年前後の作と考えられている。折りたたみの三面衝立である。
宗教的な寓意啓発の作品と思われるが、見方によってはかなり異端的でもある。ボッシュ特有の怪奇幻想的なモチーフと精密克明な技法の作品。

放蕩息子。15世紀末ころの作品。
旅する貧困な農民の若者。
膝は破れ、靴は壊れ、背景には、屋根の壊れた廃屋のような家とその家族。
壊れかけた窓から覗く老人。
その感情表現。 現代ヨーロッパの庶民階級の原型はこうだったのでは、あるいはもっと酷かったのではと感じます。
貧困の克明な描写はリアリズム思想とも言え、後のブリューゲルに影響したことは疑いないでしょう。
ボッシュ-ブリューゲル-フェルメールといったリアリズムの流れと同時に、一方ではボッシュ-ブリューゲル-ゴヤ-ダリにつながるシュールリアリズムの流れを感じます。
これが契機となって、日本では静かなフェルメールのブームがおきているようである。
17世紀オランダはスペインの没落と相まって、海上商業の最盛期となる。
同時期の北ドイツ、イングランドなどは未だ産業革命前の貧困農業国であったが、オランダとフランドル地方は世界の海運と富の集散地となり富裕な金融商人は文化、芸術作品も扱いスペインをはじめとするヨーロッパ王族に売ったわけである。
フェルメールが使う青色「フェルメール・ブルー」は黄金ほどの価格だったと言われる。
そんなネーデルラント・フランドル派の絵画は欧米各地の美術館で大きな地位を占めています。
美術館をあちこち多く廻ったわけではありませんが、印象派の前で写真機が存在しない時代の絵画は遠近法以来非常に克明な描画が要求され、17世紀はその頂点であったかとも思うのです。
一面では客観描写においても写真機以上の精密さとモチーフの訴える力がバランスしています。
ここでフェルメールの絵画を紹介するわけではありません。
17世紀フランドル絵画を見ると、なぜか私が思い起こす画家はブリューゲルなのです。
ブリューゲルは16世紀アントウェルペン(現ベルギー)の作家なので、17世紀フランドル画家はほとんどがその影響を大なり小なり受けています。
私が思い起こすブリューゲルのイメージで最も強烈なのは次の絵です。

雪中の狩人と言う名前ですが、当時今より寒冷だった北西ヨーロッパはベルギー地方でも積雪と結氷がありました。
どんよりと曇った午後の日暮れに山から降りてきた猟師たちの前方では、湿地や水路でスケートをしている人々が細かく克明に描かれています。
彼が描いた絵はほとんどが神でも金持ちでもありません。
寒さと労働、寒さと遊び、貧富と喜怒哀楽の人間(庶民)をあくまで中心テーマにしており、当時としては極めて珍しい立場です。

ピーテル・ブリューゲルの死後発掘された肖像画
当時の画家、画商、図書などの同業組合は現在の職能組合の機能も併せ持ったギルド組織で、聖ルカ組合と称していた。
生地、血筋来歴は不明。
1551年アントウェルペン(仏語でアンベルス、英語でアントワープ)の聖ルカ組合にブリューゲルの名が現れる。
その後イタリアに修行したらしく、1555年に組合に戻っている。
版画の下絵(版下)を描いていたが、1660年ころから油彩となる。63年にブリュッセルに移り、結婚。
5年後1669年に幼い息子二人を残して亡くなる。40歳の前後だったと推定されている。
ブリューゲルは子どもたちには何の手ほどきもできなかったと思われる。
だが、子どもたちは成長と共に父の絵を模写するようになり、画風はかなり異なるが画家となった。
ピーテル・ブリューゲルの息子二人、孫と玄孫の各一人が画家となった。
ブリューゲルの油彩はわずか9年ほどの間に描かれた。
その極めて精細克明な技法は70年前の初期フランドルの画家、ヒエロニムス・ボッシュ(ボス)の影響との意見があり、私も同意である。

1559年ネーデルラントの諺。集落で様々な行為をしている人々と家屋、道具なども極めて丹念精密に描く、と同時に幻想的超現実的でシュールな感覚。ブリューゲルの一貫したスタイル。

1560年子どもの遊戯。
遥か遠くまでを遊ぶ子どもで埋め尽くしている。この幻想とリアル。
ブリューゲルは遊ぶ子どもたちに、「救い」を感じたのかも知れません。
様々な遊びがすべて丹念に描かれ、歴史資料としてこの絵の「遊び」を解明解説した本が出ているという。

1563年バベルの塔。

1567年怠け者の天国。独特のシュールなリアリズムを感じる作品。

1568年農家の婚礼。農民への愛情を感じる絵。

1568年農民の踊り。祭りの広場に集まってくる農民、飲食し、踊る農民。
日本では最もよく知られていると思われる作品。
ブリューゲルは、「股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる習慣があり、その姿勢の最中に死んだ」という伝え話があるが、もちろん真偽は明らかではない。
ブリューゲルの70年ほど前の画家にヒエロニムス・ボッシュがいます。

ボッシュは1450年オランダ南部の画家アーケン家に生まれる。
本名はイェルーン・ファン・アーケンだが、作品には住んでいた都市デン・ボスにちなむ「Bosch」の署名をした。
時代はメディチ家のフィレンツェが最盛期で、スペインは92年にグラナダを制圧する。
ネーデルラントは小自由都市の時代。
ボッシュについても詳しいことはわからないが、生涯ほとんどを生まれた都市で暮らしたようである。
1516年8月に亡くなった。
聖書に関する絵画が多く、16世紀改革によって破壊消失したものが多い。

快楽の園。1503年前後の作と考えられている。折りたたみの三面衝立である。
宗教的な寓意啓発の作品と思われるが、見方によってはかなり異端的でもある。ボッシュ特有の怪奇幻想的なモチーフと精密克明な技法の作品。

放蕩息子。15世紀末ころの作品。
旅する貧困な農民の若者。
膝は破れ、靴は壊れ、背景には、屋根の壊れた廃屋のような家とその家族。
壊れかけた窓から覗く老人。
その感情表現。 現代ヨーロッパの庶民階級の原型はこうだったのでは、あるいはもっと酷かったのではと感じます。
貧困の克明な描写はリアリズム思想とも言え、後のブリューゲルに影響したことは疑いないでしょう。
ボッシュ-ブリューゲル-フェルメールといったリアリズムの流れと同時に、一方ではボッシュ-ブリューゲル-ゴヤ-ダリにつながるシュールリアリズムの流れを感じます。
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小出1/12ラジオフォーラム「原発事情の今」
2013-01-16

ラジオフォーラム
石丸次郎(ジャーナリスト・アジアプレス)
今西憲之(ジャーナリスト)
西谷文和(ジャーナリスト)
湯浅誠(社会運動家・元政府参与)
20130112 ラジオフォーラム「初回特別版 原発事情の今」小出裕章氏出演部分 書き起こし「ぼちぼちいこか」から
(石丸氏)ゲストとして、京大原子炉実験所助教の小出裕章さんにおいでいただいております。
(小出氏)こんばんは。小出です。よろしくお願いします。
(石丸氏)小出さんはたね蒔きジャーナルに最初に出られたのはいつのことでしたか?
(小出氏)2011年の3月14日だったと思います。事故が起きて3日経ったときから読んでいただいて、それ以降連日のようにお話を聞いていただけるようになりました。
(石丸氏)たね蒔きジャーナルが打ち切られるというお話を聞いた時は、どんなふうに思われましたか?
(小出氏)えー、私自身の発言ができなくなるというよりは、大変良質なジャーナリズムというものを背負ってきた番組が無くなってしまうということを、大変残念に思いました。
そのため、毎日放送に伺った時も、
「私はもう出してもらえなくてもいいから、たね蒔きジャーナルを存続させてください」
というふうに、私からお願いもしました。
(石丸氏)そのたね蒔きジャーナル、残念ながら去年の9月に終わりましたけれども、その精神を引き継いで、このラジオフォーラムを続けていきたいと思います。
ということで、今日は私たち3人と小出さんの4人で、
『今の原発事情』
これをテーマにお送りしたいと思います。
(今西氏)前半は去年12月16日、衆議院選挙がありまして、民主党から自民党に政権が変わりました。政権が変わって政府の原発対応も大いに変わりつつあるという、そのあたりについて前半戦語っていきたいなと。
後半については、福島第一原発は今どうなってまんねんという現状ですね。その辺についてお届けしたいなというふうに思っております。
(石丸氏)はい。それでは小出さん、今日よろしくお願いいたします。
(小出氏)よろしくお願いします。
(石丸氏)はい。第一回目の特別番組をお送りしております。
それではさっそくテーマに入っていきたいと思います。
民主党政権が自民党に代わってしまいました。民主党政権は一応、2030年代に原発ゼロを目指すという、脱原発を掲げていたわけですけれども、新しくできた自民党安倍政権は、これを白紙化するということを公言しております。
この辺について、政治の動き、それからこの原発政策が変わっていることについてどう考えたらいいのか、この辺について話を進めていきたいと思います。
今西さん、原発のことをずっと取材もされてきましたよね。
(今西氏)はい。そうですね。
(石丸氏)何を今日は集中してお聞きしていきましょうか?
(今西氏)やはりもともと日本の原発っていうのは、やっぱり自民党政権の歩みとともにですね、数が増え、発展していったという側面があると思うんですよね。
やはりその歴史から考えると、自民党政権に戻るということは、原発を推進する政策というものが掲げられていくのではないか。
小出先生、そのあたりいかがでしょうか?
(小出氏)今、今西さんがおっしゃってくださったけれども、日本の原子力発電所は自民党が全て作ってきたのです。
今福島を中心に大変な苦難が存在しているわけですが、福島第一原子力発電所の原子炉に対しても、それが「安全だ」といってお墨付きを与えたのが自民党だったのです。
あの原子炉を作ったことに一番の責任がある政党なわけで、その政党が未だ事故も収束していない段階で、更にまた原子力発電を続けるというような道を開こうとしているわけで、私から見ると、大変呆れた人たちだし、大変呆れた政党だと思います。
(今西氏)その中でね、やはり民主党が政権を握ってた時に、ひとつの大きな看板というか、ポリシーとして「2030年代…かなり先ではあるけれども、もう原発やりません」と、「ゼロにしまっせ」というようなことを総理大臣自らが言ってたわけですよね。
それをいとも簡単に、
「いやもう民主党から自民党に政権変わりましたから、そんなん踏襲しません。同じこととはやりません」
と。それどころか、
「いや、再稼働をやってもいいのではないですか」
おまけに安倍さんなんかは、
「いや、形の違う原発をやればいいのではないか」
という、本末転倒な訳の分からん話をされているんですが、その当たり、先生いかがでしょうか?
(小出氏)もともと民主党政権の時に、パブリックコメントというのを求めて、
『2030年に原子力発電を0%にするのか、15%にするのか、25%にするのか』
ということを聞いたのですね。
それに対してたくさんの国民が意見を寄せて、ほとんどの意見は、
「2030年にゼロにしろ」
いや、それどころか
「即刻ゼロにしろ」
という意見が多かったのです。
ところが民主党政権は、国民の意見を求めたにも関わらず、
『2030年』
ではなくて、
『2030年台』
という『台』という一つの言葉をつけた。そのため、『2039年12月31日まで』10年間インチキでさばを読んだのですね。
そして、そのインチキをしたにも関わらず、それを閣議決定すらができないという、そういう政党だったわけで、私は大変情けない政党だと実は思ってきました。
しかし、その民主党よりも更にまた原子力に関して悪い政策をとろうとしているのが自民党なわけですから、これから国民はどれだけ苦難を抱えなければいけないのかなと私は思います。
(今西氏)先生、そのへんでね、要するに安倍総理は、今までと違う原発をやればいいんだというようなことをおっしゃられてるんですけれど、…
(小出氏)原子力発電というものも機械ですので、年が経るに従って、様々な改良をしていくということは当たり前のことなのですね。
ですから、福島の第一原子力発電所だって、1号機と2号機は違うし、2号機と3号機も違う。3号機と4号機もまた違うというように、少しずつ改良していくというようなものなわけですから、これから作る原子力発電所が今までのものと全く同じでないということは、むしろ当たり前のことなのです。
しかし、原子力発電所というものがウランを核分裂させる、つまり核分裂生成物という放射性物質を生みだしながら、それでエネルギーをとって発電するという原理は全く同じなのであって、基本的には同じだと皆さんにも思っていただきたいと思います。
(石丸氏)まだ安倍政権発足して1か月弱ですけど、ちょっと心配は心配ですけど、この話は引き続きしていただきたいと思います。
ラジオフォーラム、今日は京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんにおいでいただいております。
* * *
(石丸氏)はい。それでは、話を続けていきたいと思います。
(今西氏)先生、自民党政権に戻って、本当に今まで日本全国の原発、大飯を除けば止まってた原発が、にわかに今にも再稼働してきそうな雰囲気があるんですけれども、その辺について先生はどのようにお考えでいらっしゃるでしょうか?
(小出氏)この前の選挙というものを経て、自民党が圧勝してしまったということがあるわけですから、自民党としては今の状態を維持しながら、原子力発電所をドンドン再稼働させる、そして可能であれば新しい原子力発電所を作ろうとするだろうと私は思います。
ただし、もうすぐまた参議院選挙がある。
そこでもし自民党が負けるようなことになると、自民党は大変やりにくくなるでしょうから、私は多分参議院選挙が終わるまでは自民党は静かにしているのだろうと思います。
(今西氏)この衆議院選挙で一部の政党が原発問題を語る上で大きな問題にしたのは、やっぱり使用済燃料棒の問題だと思うんですよね。
六ケ所村のプールも、もう数年でこのまま稼働してると満杯になるというような話にもなっていて、この問題は避けて通れないということになると思うんですが、自民党政権というのはそういうことも無視して突き進んでいくような政権なんですかね。
これだけたくさん原発を作った政権なんで、自民党にとっては簡単なことかもしれませんが…。
(小出氏)原子力発電をやってしまうと、ウランを燃やす=ウランを核分裂させるわけで、使用済の燃料=放射能まみれの燃料が残ってしまうということは、当たり前のことなのです。
もちろん原子力を進めてきた人はみんな知っていたわけですが、
「いつか誰かが何とかしてくれる」
と思い続けて、ここまで来てしまった…
(今西氏)誰も何もしてくれまへんわな。
(小出氏)残念ながら、科学の力ではそれをどうすることもできないまま、70年の歴史が流れてきてしまったのです。
これからもどうできるかという見通しは、残念ながら無いのです。
そうであれば、私は自分が始末できないような毒物を生む行為はまずは止めるというのが、本当の選択の仕方だと思うんですが、残念ながら自民党、或いは日本の財界というところは、「とにかく自分たちが金を儲けたい」ということでここまで来てしまったわけで、その流れが簡単に彼ら自身の手で止められるとは、私には思えないのですね。
(今西氏)それで使用済燃料棒の問題ですね。
去年一部の報道で、海外に持っていったらどうなんだというような報道がなされました。
その辺について、西谷さんがこの間モンゴルに行って取材をされてきたみたいなので、ちょっとその辺詳しく聞いてみたいなと僕は思っていたんですが。
(石丸氏)あの、西谷さん、いつモンゴルのどのあたりに行かれたんでしょうか?
(西谷氏)去年の11月14日から10日ほどモンゴルに行ったんですが、埋められそうな場所は、おそらくノモンハン事件ってありましたよね。旧満州とモンゴルと…今はロシアの国境になりますが、そこに大きなウラン鉱山がありましてね。そこのウラン鉱山は今使ってないんですけど、その辺りではないかと思ってちょっと取材に行きましたね。
(石丸氏)そのウランを曾て掘っていた鉱山の近所に、新たに廃棄物のゴミ捨て場を作ろうという計画があるんじゃないかということ?
(西谷氏)一応この問題は水面下にもぐってますけどね。でも今小出先生がおっしゃったように、もうどんどんどんどんゴミが出てくるんですね。それを埋める場所が無いので、日本にもアメリカにも。
(今西氏)というか、世界探してもなかなか無いですね。
(西谷氏)無いですよね。
ここで問題になってくるのは、いわゆる包括的燃料サービス。日本がベトナムとかトルコに原発を売り込みに行ってますけど、その時にベトナム政府に
「ベトナムで出た核のゴミは引き取ります」
と言ってるんですよ。つまり、ベトナムに売る際に、売り込みセールスで
「あなたのところには、核のゴミは残しません。引き揚げます」
と。
でも、日本に引き揚げても日本に埋めるとこないですよね。
だから、ウランは生産地に送りかえるという。だから、ウランの生産量でモンゴルもたくさん埋まってますので、モンゴルは貧しい国ですから、ウランを輸出して儲けて、そして核のゴミで儲けたい。
日米政府は埋めるところはないし、これから海外に原発を売り込みにかける時に、ロシアとか韓国と競争ですから、そういう意味ではセールスポイントの一つとして、
「核のゴミは残しませんよ」
という売り込みを掛けてますからね。
(石丸氏)現状モンゴルは今もウランを生産・輸出はしてるんですか?
(西谷氏)一応かすかに。世界の13位ですけどね。埋蔵量は1位だと言われてるんですが。
だからそういうウランを精製したり採掘する技術が今ないので、それを中国とかカナダの資本がやっているわけですけど、それを日本とアメリカと組むことによって技術をモンゴルとしては得たいと。ゆくゆくはモンゴルに原子力発電を作りたいと、こういうことだと思います。
(石丸氏)現場はどんな場所でしたか?まだそこが廃棄物処理場になると決まったわけではないですが、目星つけて…
(西谷氏)あの、予算はついてるんですよ。そこの村に予算はもう付いちゃってるんですよ。モンゴル政府は。
それでどんなとこかといいますと、ウランの露天掘りです。旧ソ連が1980年代から96年まで掘ってたんです。そのソ連の崩壊で、ソ連は引き揚げまして、現在は中国が採掘権を持っています。
(今西氏)露天掘りって、けど放射能すごいんやないですか?
(西谷氏)だから測ったら、ウラン残土のところで24マイクロ出ましたから、いきなりピーピーなってましたよね。
(今西氏)だいぶ放射能浴びたんちゃいます?
(西谷氏)いや、浴びてきたかもしれませんね。まぁ50歳超えてますから。残土そのままで。
(石丸氏)24マイクロ。これは小出さん、かなり高い?
(小出氏)24マイクロシーベルト/時ということだと思いますが、通常例えばこのスタジオでもし測ると、0.05くらいしかありません。
0.6を超えてしまえば放射線の管理区域にしなければいけませんし、私の実験所にはもちろん放射線の管理区域がありますが、管理区域の中でも20マイクロシーベルト/時を超えるようなところは、『高線量区域』として立ち入りを制限するくらいのところです。
(西谷氏)小出さん、そこに遊牧民が草を食べさせてるんですよね。
(小出氏)西谷さんが行かれたところは、私のような特殊な職場でも『高線量区域』として立ち入りが制限されてしまうようなところに、普通の人々が生きている。
(西谷氏)何の囲いも無いですからね。
(石丸氏)草原ですか?
(西谷氏)そうです。大草原です。人口密度は極めて低く、少数民族が住んでるんですよ。ブリヤード人というね。モンゴルの少数民族が住んでいて、ものすごくウランバートルから離れてますから。
そういう意味では日本の構図と一緒ですよね。
大都会から離れていて、少数民族が住んでいる。そういうところに「反対運動は起こらないだろう」と、そういうところに持っていくのではないかと。
現実に予算もついてますから。
(石丸氏)予算というのは、モンゴル政府の予算?
(西谷氏)モンゴル政府の投資計画に、日本円にして30億円くらい予算がその村にもうついてます。
(今西氏)日本円にして30億円って、モンゴルにとってはすごい予算ですよね。
(西谷氏)500億トゥグルグですからね。モンゴルにとったらものすごい予算がついてるっていうのは、恐らくビックビジネスですから。
そういう意味ではやるんじゃないかなと僕は思っておりますし、フランスのアレバとかそういうところも支援してるんですよ。
(今西氏)フランスのアレバっていうのはね、東京電力福島第一原発の収束作業にも大いに関わってる、冷却循環システムなんかを入れてるのがフランスのアレバですね。
(石丸氏)なるほど、そこに日本が関わってる可能性が高いと…関わっていく可能性が高いと…
(西谷氏)間違いなく関わってるんですよ。極秘文書というスクープ記事が毎日新聞に載ってました。でも極秘文書は明らかになってないですけど、そういうのが決定はしてると思うんです。
【参考記事】
7月1日 東芝:米政府高官に書簡「使用済み核燃料の処分場をモンゴルに建設」
7月18日 使用済み核燃料をモンゴルが引き取る「包括的燃料サービス」を日米モンゴル政府で…
(石丸氏)なるほど。モンゴルの話、現地まで行かれてご苦労さまです。引き続きまたお聞きしたいので、回をかえてじっくりお話を聞かせてください。
なお、小出さんにはこれから電話ゲストとして毎週このラジオフォーラムにご登場いただきたい。題して『小出裕章ジャーナル』これを皆さんにお送りしていきたいと思います。
(小出氏)ありがとうございます。私がお伝えできることがあれば、喜んでやらせていただきます。
(石丸氏)ありがとうございます。それでは来週からもよろしくお願いいたします。
* * *
(石丸氏)ラジオフォーラム、記念すべき第一回目の放送を大阪府岸和田市のラジオ岸和田のスタジオをお借りしてお送りしております。特別ゲストとして、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんにおいでいただいております。ここからも引き続きお話をよろしくお願いします。
やっぱり福島第一原発の現状がどうなってるかすごく気になりますよね。
(今西氏)そうですね。やっぱりあれだけ大きな事故を起こして「どないなっとんねん」と。新聞とかテレビのニュースでもやっぱりだんだん放送される回数がものすごい減ってますからね。
(西谷氏)だから「何となくね、何となく収束に向かってる、なんとなく事態はましになってるんじゃないかな」というふうに世間は思ってるとこあると思いますよ。
(今西氏)そうですよね。「いや、もうあれ安全でっせ」みたいな感じでとられてるとこあると思うんですが、実際は違いますねんと。
要するに一番のこれから問題になってくるところは、要するにメルトダウンしてしまった燃料をどうするのかという部分かなと思うんですけれども、
「優秀なロボットがいるから大丈夫なんだ」
というようなアナウンスが東京電力ですとか政府のほうからは聞こえてくるのですが、その辺りについて先生、どんなもんでっしゃろか?
(小出氏)まずは「優秀なロボット」というのは無いのです。
これからロボットを何がしか開発しなければいけないということは本当だと思いますが
(今西氏)ロボット、ありませんか?先生。
(小出氏)ありません。残念ながら。
(今西氏)はぁ・・・。あれだけ「優秀なロボットがある」ということで、東京電力のホームページとか見たら出てるわけですよね。腕が4つも5つもあるようなのが。
(小出氏)特に日本はこのような事故が起きるということを全く想定していなかったので、ロボット開発ということもほとんどやらないまま事故に突入してしまったのです。
そのため、世界から「何を日本はやってきた!」といってお叱りを受けていると、そういう状況であって・・・
(今西氏)そうすると、例えばアメリカだとかフランスだとか、他にも原発やってる国はあるんですが、そういう国々は最悪のことを考えて、多少なりロボットを開発するとかロボットが必要だとか、何らかの研究はしてきたということですか?
(小出氏)そうです。日本以外の国は日本よりは真剣に取り組んできました。しかし、残念ながらそういう国々が開発してきたロボットも、今の福島で起きていることに関しては、ほとんど対応すらができないという状態になっているのです。
(今西氏)小出さん、そうするとね、それだけとんでもない大事故だったという裏返しということですか?
(小出氏)そういうことです。こんな事故が起きるということは、日本の原子力関係者も思っていませんでしたし、米国にしてもフランスにしてもこれほどひどい事故が起きるということは、ほとんど誰も予想もしてこなかったような事故が、今現在進行しているのです。
(石丸氏)まもなくあと2か月ほどで事故からまる2年が経ちますけれども、今の事故を起こした原発の状況って、どういう状況にあるのか教えていただけますか?
(小出氏)2011年3月11日に地震と津波に襲われて原子力発電所が壊れてしまったわけですが、1号機から3号機は運転中でした。4号機は定期検査で止まっているという状態でした。
そして、運転中だった1号機から3号機の原子炉の炉心は全て溶け落ちてしまったということになっているのです。
そして、この事故が起きているところが火力発電所であれば、事故現場に人が行って、どんな事故になっているかを見ることができるわけですが、原子力発電所の場合には、現場に行くことができないということになってしまいます。
そして、このような事故を予想もしていなかったということで、人が行く代わりに情報を得るための測定器の配置すらが無いのです。曲りなりに通常運転時の状況を知ろうとして設置してあった測定器があるのですけれども、それも過酷な事故の進行の中で次々と壊れてしまって、何がどう進行しているかが判らない。
そしてロボットも送り込むのですけれども、次々と壊れてしまって戻って来れなくなるという、そういう状況になってしまっている。
何よりも一番は人間が現場に行くということが、これまでの技術だったわけですが、それを許さないというものが原子力発電所の事故なのです。
(西谷氏)日本の場合ってロボットの技術って高いじゃないですか。高いと言われている。
だけど、「敢えてそういうロボットを作らなかったというか、開発してこなかったのは、それを開発すると原発が壊れてしまうという可能性があるということがバレてしまうから」という話を聞いたことがあるんですが、その辺りはどうなんですか?
(小出氏)そういう思惑もあったかもしれませんけれども、それ以上に原子力を進めてきた人たちが、「そんなロボットが必要なほどの事故は起こらない」という・・・
(西谷氏)安全神話に乗っかっていた・・・
(小出氏)はい。彼ら自身が安全神話に乗ってしまっていたということだと思います。
(今西氏)その安全神話っていうのは、結局根拠のないものだったわけですよね。この事故で。
(小出氏)そうです。もちろん事実は安全神話というものに根拠が無かったということを示しているわけです。
(今西氏)ですよね。過去アメリカのスリーマイル、ロシアのチェルノブイリでも大きな事故がありました。けれども、今回の福島の場合、なんせ4つの原子炉が事故を起こしてしまっているわけですから、やっぱりそこは決定的に違いますよね。
(小出氏)人類が初めて遭遇する原子力開発史上最悪の事故が、今まだ進行中だということです。
(今西氏)そんな中で今綱渡り的に水で原子炉を冷やすという循環冷却システムという方法で冷やし続けてるわけなんですが、これも非常にトラブルの多いシロモノでして、おまけに汚染水がどんどんどんどん溜まっていき、もう福島第一原発の中は私実際自分で見てきたからわかるんですけど、もうタンクだらけで、それもかなり高い放射能濃度で汚染された汚染水が、ほんとに想像もつかないような大きなタンクに目一杯はいってるわけなんですが、こういう綱渡りのような方法を続けていてよろしいんですか?
(小出氏)やるしかないのです。
原子力発電所を動かしてしまうと、何度も聞いていただいたように核分裂生成物という放射性物質が大量にできてしまいます。それ自身は発熱体ですので、とにかく冷やさない限りは溶けてしまう。なんとしても冷やし続けなければいけないというものなわけですから、水を入れるという手段しかないのです。
ただ、それをやってしまえば、今今西さんがご指摘くださったように大量の汚染水が発電所の中にどんどんと溜まってきてしまうということで、敷地中タンクで埋まりそうになっているわけですね。
でも止めることはできないのです。
(今西氏)その汚染水、これどうしたら処理できるんですか?高濃度に汚染された汚染水っていうのは、どうすればいいんですか?
(小出氏)処理ができないのですね。
(今西氏)じゃあ使用済燃料棒も処理の方法がない。おまけに今度は汚染水も処理できない。というと、日本は処理できないものを二つ抱える…そういう意味になるわけですか?
(小出氏)要するに汚染の正体は同一物質ですね。ウランを核分裂させてしまって作ってしまった放射性物質というものが使用済燃料の中に溜まっているわけですし、それが溶けてしまったところに水を掛ければ、今度はそれが汚染水として出てくる。
そして人間は放射性物質を消す力が無いというわけですから、いずれにしてもどこかに残ってしまうということになるわけです。
(今西氏)なるほど。この放射性物質を除去するような発明をすれば、やっぱり小出先生も山中先生と同じようのノーベル賞を獲れるんですかな?
(小出氏)…放射性物質を放射性物質でないようにできないかという研究は、70年前から続いているのです。
そして、原理的にはできるということも判っているのですが、それを実際上に適用しようとすると、厚い壁があって成し遂げることができないということが70年あった歴史の今であるわけです。
ですから、それをなんとか壁を超えたいという思いはもちろん多くの研究者にあるし、私もありますけれども、70年間越えられなかった壁というのは、相当厚いというふうに考えなければいけないと思います。
(今西氏)70年ですか・・・。そうすると、日本に原発ができて40年そこらですけれども、その30年前から研究は実はしてはったわけですか。
(小出氏)ええ、まぁ原子炉というのは米国という国が原爆を作ろうとしたときに原爆の材料を得るための道具として作った。それが1942年なのですけれども、去年でちょうど70年になりました。
「科学が進歩すれば、いつか誰かがなんとかしてくれる」
と思いながらここまで来てしまった。
非常に愚かな選択だったと思います。
(石丸氏)はい。ありがとうございます。
ラジオフォーラム第一回目の放送、今日は京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんをゲストにしてお送りしております。
* * *
(石丸氏)では、後半のテーマに行きましょうか。
(今西氏)僕はね、小出さんのところの京都大学の熊取にある研究室っていうのは何回も寄せていただいているんですけどね、やっぱりそこで一番印象に残ったのがあるんですよね。
小出さんの机に足尾鉱毒事件の田中正造さんの銅像があるんですよね。
(石丸氏)銅像?肖像画やなしに?
(今西氏)銅像が置いてあるんですけど。
(石丸氏)どれくらいの大きさなんですか?
(今西氏)どんなもんですか?先生。
(小出氏)このくらいですかね。高さ10㎝くらい。それはついこの間もらってきたのです。
(今西氏)ですよね。最初に行ったときはありませんでしたよね。
(小出氏)その時は写真とかですね。絵とか、土鈴とか。正造さんのものは山ほど私の研究室にあります。
(石丸氏)リスナーの皆さんご存知かと思いますが、田中正造さんは教科書にも出てきますよね。我々の世代は小学校の時習いましたけど。
(今西氏)僕らも習いましたね。今でも習ってるんでしょうか?
(石丸氏)私らは習いましたよね。
(今西氏)誰か公開録音に来ていて詳しい人で教えてくれはったらありがたいですね。「習ってますよ」とかね。
(石丸氏)この田中正造さん、今西さんが言わはりましたけど、栃木県の足尾銅山の鉱毒事件に体を張って、命を懸けて鉱毒事件の解決のため動かれた方。この田中正造さんの没後100年に今年あたるということで、あちこちでイベントなんかも多いようですけれども・・・
(今西氏)小出さんも何度か、栃木県の佐野市でしたっけ?行かれてるということでしたよね?
(小出氏)今年2013年に正造さんが倒れてからちょうど100年になる。それに向けて栃木の人たちを中心に様々なイベントを積み重ねてきています。私は去年没後99年にあたった集会に呼んでいただいて、栃木県佐野市に行ってきました。
(石丸氏)小出さんにとって田中正造さんはどういう方として映ってるんですか?どうしてそこまで思い入れを持って?
(小出氏)私は1968年に大学に入ったのですが、当時は公害問題というものが日本中で起きていた時代で、私自身も公害問題というものの深刻さというものに気が付いたわけですが、それを勉強していたらば、それどころではないもっとずーっと前に日本には公害…公害という言葉が生まてきてすらないけれども、国家或いは企業の金儲けのために人々が大変な困難を負わされるという歴史があったということに気が付いたのです。
その上、その問題に一人の人間として、国家を相手に孤立してでも戦い抜くという人がいたということを知りました。
「凄い人だな」
と思いましたし、私から見ると『破格の人』だと思います。
私も国家を相手に今戦っているつもりではありますけれども、あまりにも力が違いすぎる。絶望しかけることだってあるわけですけれども、それでも正造さんがいてくれたということを思えば、諦めることができないと、いつも励まされます。
(今西氏)田中正造さんはそのためも含めて国会議員にもなられ、天皇陛下にまで直訴をされたというね、すごい人ですね。
(石丸氏)これは田中正造さんの言葉だと思うんですけれども、ちょっとネットで拾ってきたんですけど、
『真の文明は、山を荒らさず川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし』
単に鉱毒事件のことだけでなくて、戦争に反対するという考えもしっかり持っておられた方ですよね。
(小出氏)そうですね。当時は日清日露の戦争というのが起きていたわけですけれども、正造さんは国会議員として、
「そんな問題よりは、足尾鉱毒で苦しんでる人を助けるというのが国家の仕事だ」
として抵抗を続けました。
(石丸氏)その田中正造没後100年ということで、栃木県佐野市を中心にいろんなイベントが開かれるようです。
ちょっと話変わります。
私、「このラジオフォーラムをやるんだ」と周囲の人に宣伝をしておりますけれども、最初の回に小出さんに来ていただくので「いろいろ聞いてほしい」とリクエストもありました。
なかなかこういうのは聞いてもいいのかなというのもあるんですけれども、いいですか?
(小出氏)はい。
(石丸氏)一つ目:
『小出先生はなぜ助教なのですか?』
という質問が来ました。
それと
『京大原子炉実験所ってどんな職場なんですか?何をしてるところですか?』
という素朴な質問がありました。
まぁ世間的に言うと、
「なんで小出先生みたいな偉い人が教授じゃないの?」
と聞く人もいたんですけど、その辺ちょっと教えていただけますか?
(小出氏)私の個人的な性格だと思いますが、誰かに命令することが嫌いなんです。そして誰かから命令されることも嫌いなのです。
ですから、組織を私が背負うなんてことは、大嫌いなことなわけですし、教授というような立場になって人々に命令をしていくというようなことは、私が一番嫌なことなのですね。
ですから、私は一人の私なのであって、私のやりたいことをやるということが何よりも私にとって大切なことなわけで…
(今西氏)じゃあ今まで教授になりたいとか思われたことはないですか?
(小出氏)一度もありません。
現在のポストが一番私にとっては快適なポストです。
(石丸氏)それはなぜですか?助教というポストは上にも下にも人がいないということですか?
(小出氏)本当は助教というのは、教授⇒准教授⇒助教という教員の中の最下層の立場ですから、本当であれば教授や准教授は私に命令をしてくるはずなのですが、私が39年前に原子炉実験所に就職した時以降ずっと、私の上に立つ人たちは私に関しては一切の命令をしないという立場を貫いてくださったので・・・
(石丸氏)それは実験所がそういう環境のいい職場だったんですか?それとも…
(小出氏)そうではありません。私が所属した研究部門の特殊性というのがあったと思いますし、その研究部門の特殊性に加えて、私が請け負った仕事、つまり放射線測定という仕事なのですが、その特殊性のために一切の命令を私に実験所のほうからはしない。その代わり私は私の責任を果たすという、そういうお互いの合意のもとに命令を受けなかったということです。
(石丸氏)それは『特殊性』というのは危険だからということですか?それともどういうことなんでしょう?
(小出氏)私が属したのは、放射性廃棄物処理設備部門という名前の部門でしたけれども、放射能のゴミの管理をするというところだったのです。
そこの学問的な専門性でいいますと、いわゆる土木工学であるとか衛生工学であるとか、水処理、そういう専門家もいるところだったのですが、そういう専門家は逆に言えば放射能に関しては専門ではないということになってしまって、私はそういうところに行って、放射能に関しては責任を負う立場であったわけです。
ですから、そういう人たちは私が放射能に関してきちっと責任をとる限りは、私に対しては命令をしないということになったのだと思います。
(石丸氏)なるほど。もっと聞きたいですけどね。
(今西氏)けどね、それってものすごい大切な仕事でして、ちゃんと原子炉実験所ですから、ちゃんと原子炉があるんですよ。すごい重要なお仕事ですよね。
(石丸氏)もうちょっとお聞きしたいんですが、残念ながら放送時間が終わりに近づいてきました。しかし、小出さんには来週から毎週『小出裕章ジャーナル』というコーナーで電話ゲストとしてご登場していただきます。
リスナーの皆さんからも小出さんに是非聞いてみたいという質問を受け付けますので、メール、電話等でお寄せください。
(今西氏)どんどん送ってよ~
(石丸氏)ということで、小出さん今日はどうもありがとうございました。
(小出氏)ありがとうございました。
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