田坂:11/2脱原発は選択の問題ではない、不可避の現実である
2012-11-05
「原発ゼロはこうして潰された」に続く、元原子力技術者で菅内閣官房参与だった田坂氏の告発。
今後の原子力の課題について 田坂広志 11/2 自由報道協会 書き起こし「kiikochan.blog」から
私もまず最初に自由報道協会の方にお礼を申し上げたいと思います。
私自身、あんまりこういうところにしゃしゃり出てくるような、話をなんですけれども、
今、日本で原子力の話がいろんな形で言われている訳ですが、
ほぼ、わたしの目で見る限り、極めて重要なことは、あまり議論されていないという印象があります。
メディアの方には一人一人いろいろとお話をするようにしているんですが、
やはり何かの理由があるのかもしれませんが、
原子力の問題で根本の問題に触れないような論調が多いように思われます。
そんな事を感じていました矢先に、自由報道協会の方から、
こういう場を使って何かのメッセージを出したらどうかという、
そんなお誘いをいただきましたので、
本当に感謝を申し上げながら、この場を務めさせていただくことにいたします。
私の経歴などについては今ご紹介を、
少し身に余るようなご紹介も含めて頂きましたので、本題に入ってまいりたいと思います。
で、私自身の経歴で、もう一回だけ申し上げておきたいのは、
私は原子力の、いわゆる原子力ムラと言われるところを。ま、20年間歩んだ人間です。
これはもう、隠しようのない現実の私の経歴になって残っていることですので、
1970年に大学に入り、71年から原子力工学科に進学を決め、
そして、後に国立研究所に、アメリカの国立研究所に行くこともあり、勤める事もありましたが、
民間企業でのいろいろな原子力のプロジェクトにも携わって、
91年にその世界から、ま、離れたわけです。
離れた訳というのは、決して原子力について極めて強い批判を感じたからではない。
これも正直に申し上げておきます。
むしろ、自分のやるべきことはもうやった。
後輩の皆さんが本当に優秀な方々がいらっしゃるので、
これからは世界で最も安全な原子力を実現してもらいたいという気持ちを持ち、
同時に私自身、それ以外の自分で取り組んでみたいシンクタンクという、
やりがいのある仕事がありましたので、そちらに向かったわけです。
これが91年ごろですね。
そしてこの20という数字に意味があるのか分かりませんが、
20年原子力ムラで勤めた人間が、働いた人間が、
20年離れて、2011年、何故かまた原子力の世界に戻ることになってしまったわけです。
私はこの事故が無ければ、
かりにそれなりの高い立場、たとえば原子力委員長とか、そういう立場でお誘いいただいたとしても、
戻る事はなかった人間かと思います。
ただ、あの3月11日の事故の後、
一人の市民としてまずはあの事故を見ながら、
「なぜSPEEDIが動かないか?」
実は、SPEEDIのような環境安全に関わるシュミレーションは私の専門でもありましたので、
あのSPEEDIをかいするために、ま、国費を何百億円も使い、何年もの歳月を使って作ったものが、
一番必要な時に動かないという現実も見ながら、
本当に福島の方々の事にも、やはり、これはどうなっていくんだろうか?という思いながら、
外から政府に対しては、いくつかの提言をしておりましたが、
結局29日、内閣官房参与として、政府の仕事を手伝う。というよりももう、
東京電力と経産省、保安院そして官邸。
この方々とこの事故対策に取り組むという日々が始まったわけです。
で、5カ月と5日勤めて内閣総辞職とともに内閣官房参与を辞任する事になりましたが、
5か月の前半は、やはりこの事故対策、
やはり事故対策だけではもう、私自身が進めるべきことは十分ではない、
原子力行政の改革にも取り組むことになり、
さらには原子力政策、現在話題になっている原子力脱原発依存という、
こういう政策論にも関わることになったわけです。
で、まぁこういう立場の人間ですので、
原子力ムラの裏も表も、率直に申し上げればよく分かっております。
その意味では、
何か運命的にこの世界に戻って原子力行政と原子力産業の改革という事を論じざるを得なくなった時に、
かつて私が見てきたことが何かの意味があるんだろうと思って、
今、ささやかな活動をしております。
とはいえ、僕の経歴はもう十分にご理解いただいたと思うので、
実は今日申し上げたい事、時間さえあれば、もう、いくつもありますが、
今日はたった一つ、是非とも多くの国民の方々に伝えていただきたい事を中心にお話をしたいと思います。
最初に結論を申し上げます。
よくこの間に政府が、原発ゼロ社会、30年代という事も述べて、
いろんな意見を、批判もあるようですが、
いずれにしても原発ゼロ社会を目指すというビジョンを出したわけです。
で、この原発ゼロ社会というものについての論調がですね、
今回閣議決定がされなかった事がどうかという次元の話はさておいてですね、
私が一番気になるのは、
原発ゼロ社会はみなさん選ぶんですか?という論調が今非常に広がっています。
特に原発を推進するという立場の方々から、
「原発ゼロ社会などを選んだら、この国の経済はおかしくなりますよ」
「電力料金は2倍になるし、雇用も減るし、海外に企業が行ってしまいますよ」みたいな事をおっしゃいます。
この議論が正しいかどうか?という事をも、ま、あるんですけれども、
それ以前に私が一番申し上げたいのは、
今この時点に於いて原発ゼロ社会というのは、
政策的な選択の問題ではありません。
つまり、ゼロ社会を選ぶんですか?選ばないんですか?という選択問題ではありません。
これは不可避の現実だという事を申し上げています。
つまり、立場が推進であろうが反対であろうが、
なんであろうが関係なくやってくる、
もう避けることができない現実になっているんだという事を
一人でも多くの国民の方に理解していただきたいと思います。
先ほど申し上げたように私は原子力の世界を歩んだ人間です。
特に感情的に原子力をつぶしたいと思っている人間でもありません。
ただですね、専門家として、今現実のこの状況を見た時に、
もう原発は推進反対に関係なく、
必ず止めざるを得なくなっている状況になっているという事を、
まず、直視するべきだと思います。
よく、原発脱原発の議論に対して、
「そういう非現実的な話しはおかしい」という方がいらっしゃいますが、
いったい誰が非現実的であるか?という事も少し考えてみる必要があると思います。
今、全ての国民、そして政治家、官僚、財界の方が直視しなければいけない現実を見ていないのは、
むしろ、もしかしたら財界の方や行政の方ではないのかという印象が私の中にはあります。
その事を申し上げたうえで今から、短い時間ですので、ポイントを申し上げたいと思います。
「原発の未来をめぐる7つの誤解」と、あえてつけさせていただきました。
第一の誤解。
この話は今要点を申し上げましたが、ここに書いてあるのは誤解の認識です。
私の認識ではありませんが、よくこういう言葉を聞きます。
「福島の経験に学び、原発を世界でも最高の安全を実現しよう」と。
そうすれば原発は再稼働をし、今後も使っていけるというような論調ですね。
もしくはこういう言葉もよく聞きます。
「最近の原発は最高の安全対策が行われているんですよ」と。
「福島で原発事故を起こしたけれども、あれはまァ車に例えて言えばT型フォードのような古いタイプですよ」
と。
「今の世界の原発日本の原発最新鋭のものはフェラーリのように最先端の技術が使われていますよ」
ということがよく言わます
この事をもって先ほど申し上げたように
福島の経験に深く学んで最高の原発をつくっていけば、
「いやこれは使っていけるんだ」という論調があります。
ただここでですね、深く見つめておくことがあります。
「そもそも原発の安全性とは何か?」という事ですね。
というのは、良く総理も海外などのいろいろな場で、国際的な会合の場で、
「世界でも最高水準の安全性を実現する」というような事をおっしゃいます。
で、その考えは全く私も賛成です。
ただですね、ここで言う安全性の意味をすこーし誤解されているように思います。
原発の安全性というのは技術的な安全性だけではないんですね。
つまり、
津波対策はしっかりやりました。
さらには電源喪失についてもちゃんとバックアップをやりましたということをもって、
「原発の安全性は極めて高いレベルになりました」ということは、
実は一面にしか過ぎないわけです。
本当の原発の安全性というのは、
人的・組織的・制度的・文化的安全性の事です。
これは、是非皆さんのような報道の立場に立たれる方に、
是非、世の中の常識として広めていただきたいと思うんです。
というのはですね、世界の原子力施設の事故というのは、私も専門ドクター論文を書くなかで、
これは随分学びました。
世界の原子力の事故の大半は、その原因は、ほとんどがヒューマンエラーなんですね。
一番最初の人身事故と言われるアイダホホールズのS1事故も含めて、
人間のヒューマンエラーです。
このヒューマンエラーというのは人間のミスだという事で、すぐに、まぁ
「だったら人災の訓練、スタッフの訓練をちゃんとやろう」みたいな話になる面もあるんですが、
実はヒューマンエラーと言われるものは、その背後にもっと広い問題が横たわっています。
これを私は人的組織的制度的文化的要因と呼んでいます。
で、一つの分かりやすい例を申し上げると、
分かりやすいというには少し辛い例なんですが、
JCOの臨界事故があったわけです。
これはもう皆さんご存じの世に東海村で臨界事故が起こった。
この施設で事故が起こった時、わたしは東京で仕事をしてたんですけど、
ある会合にあったんですが、
この事故の情報が届いた。
「東海村のウラン転換工場で臨界事故が起こった」
聞いた瞬間に私はこう申し上げたんです。
これはもう忘れもしないですけれども、そこにいらした会合のメンバーに
「これは誤報です」と。
私は実はウラン転換工場と同じタイプの工場で働いていましたので、
その工場の設計についてもよく分かっております。
したがって、周りの方に申し上げたのは、
「これは誤報です、あの手の施設はもう、・・たとえば作業員が右に回すべきバブルを左に回したとか、
その程度の事で事故が起こらないように、臨界事故など絶対に起こらないように
そういう設計がなされているんです。だから、・・臨界事故というのは誤報です」と申し上げた。
ところが…事実はご存じのように、実は臨界事故が起こっていた訳です。
それをよく調べてみると、これも私は驚いたんですが、
ウラン溶液は本来タンクからタンクへパイプで送液しなければならないものをですね、
作業を急いだ作業員が何故かバケツで汲みあげて注ぎ込んだ訳です。
その瞬間にチェレンコフが見えたといいますから、紫色の光が見えた。
これが見えた方は本当にお気の毒ですが数時間で死亡します。
その死に方も人間の死に方としては一番辛い、全身の細胞が崩壊するような形で亡くなっていくわけです。
で、この悲劇については論じる場面ではありませんが、
何が問題か?と言えばですね、この作業員は、確かにエラーをしたわけです。
でもこの事が先ほどの人的組織的制度的文化歴問題に必ず繋がります。
単に「この作業員がミスをしてしまった、残念だな」では終わらない。
そもそもこの作業員に対する教育訓練はどうなっていたのか?
さらには監督責任者はどこにいたのか?という、人的組織的な問題になります。
さらには何故作業員がこれほど急がなければならないほど、
そういう雇用制度の問題は無かったのか?制度面ですね。
職場の安全文化はどうだったのか?こういう問題があるわけです。
したがって、皆さんに是非お願いしたいのは、
この福島の事故もですね、どうも世の中この1年半見ていると、
「安全か安全でないか?」という事を論ずるときにですね、
実は反対派の方も含めてですね、技術的な面のところで議論することが多いんです。
たとえば「電源対策はちゃんとできているか?」
これはもう、重要ですよ、もちろん。
「津波対策は十分か?」
これも非常に重要ですが、
本当はもうひとつ非常に強い質問をしなければならないんです。
あれから1年半たって、あの福島の事故を起こした、
人為的組織的制度的文化的要因については、本当にきちっとこの解決策を取られたんですか?
ということですね。
これは、国会事故調査委員会が、福島の事故は人災だったという事をハッキリと指摘していますね。
この人災というのもどこかの政治家が一人、
何か間違った判断をしたという次元の話だけではないと思いますね。
むしろ、官僚機構、本来こういう場面で動くべき官僚機構がちゃんと機能しなかった。
SPEEDIもそうですね。
それ以外にもいろいろと問題がありますが、
これを誰か個人を攻めろという意味ではなく、
組織全体の持つ「なぜ、安全が求められる場面でその機能が果たせなかったのか?」という事に
メスを入れなければならない。
にもかかわらず、今なにが起こっているか?というと、
みなさん、1年半たって、原子力行政の改革って、何が行われたんでしょうか?
それ以前に、そもそも「組織のここに問題があった」という事がですね、
どれほど行われたのか?という事をやはり論ずるべきだと思うんです。
たとえばですね、国会事故調査委員会が、
「規制当局は電気事業者の虜になっていた」ということをかなり率直に指摘された訳です。
これは、私も原子力ムラに長くいた人間として、あの・・その通りだと思います。
あの・・これは事実ですね。
そして国民の多くも「もう、それはそうだろう」と思っているわけです。
では、その虜となった原子力規制組織が、今、どう変わったか?という事を見つめてみたいんですけれど、
おそらく行われたことは原子力規制委員会がメンバーが新たに選任され、
組織としての看板が変わっただけのことだろうと思いますね。
その下にある原子力規制庁については、
スタッフの8割は、原子力安全保安院です。
それがそのままスライドしてきているわけです。
つまり原子力保安院が虜になっていたという文化的な問題があったとすればですね、
それが、そのスライドしてきた組織は何を持って、この虜となっていたその構造が変わったのか?
というところに対するメスが入っていないんですね。
ただその時に行政の側の説明はたった一言で、
「ノーリターンルールを導入した」と言っています。
つまり、「元の経産省、保安院には戻れない。
そのルールでみんな骨をうずめる形で新しい規制庁の方へ行っていますので、
「みんなそこで心を入れ替えて頑張るでしょう」という事を言っているわけです。
これも100%信じることがなかなか難しい面があるんですが、
この論理ですら、最後に法案が通る時に、経った一行入ってきてしまったわけです。
「5年間の猶予条項」ですね。
つまり、これから5年間は元に戻れる。
元の組織に戻れるという条項が入ってきてしまっているわけです。
私はこれは、最後の最後まで反対したんですが、入ってきてしまいました。
これがなにを意味しているか?
みなさん一つの組織を魂込めて、みんな心を入れ替えて作り上げなければいけない。
その文化をゼロからつくらなきゃいけない、その最初の5年間が、
これは我々がその立場で同じ思いになると思うんです。
誰といえども本省で出世することをみんな求めて、
王道を歩むことを求めて省庁に入ってきたわけですから、
そこから外れてノーリターンと言われることは辛い。
戻れるとなれば常に本省の方を意識しながら仕事をするのは人の心のこだわりではないでしょうか。
そう考えるならば、こういう行政の改革のように見えること、
私は「本当の改革なんだろうか?」という事を言わざるを得ないんです。
そして、原子力行政、原子力産業、
ま、産業の何が変わったのか?というのは、
今日は時間がありませんので一応考えていただきたいと思います。
東京電力は半分国有化されたような状態になっただけ、それ以外は何も変わっていない訳です。
従って、今 について申し上げました。
2番目の誤解
後は本当に手短に申し上げたいと思いますが、
原子力規制の改革を行い、絶対に事故を起こさない安全な原発を開発すれば、
原発の利用を進めていくことができるという、
この言葉がよく語られます。
先程の問いをもう一度、
「原発の安全性とは一体何なんでしょうか?」
これは、原発の安全性とは原子炉の安全性の事だけではない訳です。
原発の安全性とは今日本で取っている政策である、核燃料全体の安全性の事ですね。
そして、核燃料サイクル全体の安全性というのは、
再処理工場と高速増殖炉の安全性の事だけでもないんですね。
これもよく反対の方もちょっとここでストップしてしまう方もいらっしゃるんですけれど、
増殖炉が安全であることは大前提ですが、
仮に再処理工場も原発も高速増殖炉も絶対に事故を起こさないものができたとしても、
全く問題は解決していません。
なぜなら、核燃料サイクルを実践するための最大の課題というのは、
高レベル廃棄物と使用済み燃料の最終処分だからです。
そして、これはもう昔からトイレ無きマンションという批判が投げかけられてきたわけです。
で、実は私自身の経歴は、
1971年に原子力工学を選び、そして原子力の専門を選ぶ時に、テーマとして選んだのは、
周りの優秀な友人たちはみな
高速増殖炉とか再処理工場、再処理施設、さらには核融合を選んでたんですが、
わたしは少し違った視点から、高レベル廃棄物の最終処分の問題を選びました。
その理由は、あの~、今となっては懐かしい自分の姿ですが、
原子力の未来に夢を抱いていた一人の若い研究者として、
原子力を実現するために一番大きなネックになるのは、結局、このゴミが捨てられない。
廃棄物の処分ができないんだという事を、考えてこの問題に取り組んで、
ドクター論文の高レベル廃棄物の最終処分というものを研究したわけです。
そして、のちに民間企業に出ても、政府の外郭団体でこの研究を、現場での臨床実験もやりました。
いわゆる堀野辺とかそういう名前が上がるような場所ですね。
そして、アメリカの国立研究所に行って、世界でも最も有名な高レベル廃棄物の処分研究、
処分プロジェクト、ユッカマウンテンプロジェクトにもメンバーとして参加しました。
日本でも低レベル廃棄物は六ヶ所村でも処分施設はその設計、安全審査にも携わりました。
言わば放射性廃棄物の専門家としての20年間を歩んだわけですが、
あのー、この問題はいまだに解決していません。
というのはですね、3番目の誤解ですが、
こういう議論になると推進される側の方は、これはかつての私もそうですが、
「高レベル廃棄物は地層処分ができるだろう」と。
国の計画も今は再処理工場で、使用済み燃料を全部ガラス固化体へと、ま、廃棄物をしっかりと固めて、
それを、30年から50年貯蔵したうえで、これを地下深くに、
今は300メートルより深いという事になりました。
私のころは1000メートルよりも深いという数字だったんですが、
いつのまにか300メートルになっていますが、
「深い、安定な、地下水の移動の少ない岩盤中に埋めればいいんだ」という事を言う訳です。
今の政策も公式にはこうなっています。
ところがですね、私がずーーっと、研究者として格闘し続けたテーマは、
10万年の安全をどのようにして証明するか?という事です。
この10万年の安全というのは、これもみなさんよく聞かれると思いますが、
使用済み燃料というのは、何を持って10万年と言われるか?と言えば、
もともとはウラン鉱床を地下深くから掘り出してきて、それを燃やしてすごい放射能になる。
それを最後地面の深くに埋めるとすれば、
元のウラン鉱床と同じくらいの毒性にまで減衰すれば、これで安全と言えるのではないか?
比較的理解しやすい考え方ですが、
この考えに基づくと10万年かかります。
高(低?)レベル廃棄物の場合には数万年です。
いずれにしても、
現在の科学ではこれは証明できないというのが私の20年間の研究で悩み続けたことです。
で、ところがですね、もうひとつのセプテンバー・イレブンと私が呼んでいるんですが、
今年の9月11日に皆さんもご存じのように日本学術会議が提言書を出したわけです。
これは、正式な報告書を原子力委員会に出したわけです。
で、日本でも最高の権威が三つの事をおっしゃったわけです。
「日本において地層処分を行う事は適切ではない強調文」とハッキリおっしゃったわけです。
その理由は先ほど申し上げた現在の科学では10万年の安全は証明できないという、
これは、あの、原子力を推進するためにこのテーマに取り組んできた一人の人間が正直に申し上げれば、
「おっしゃるとおりです」
これはもう、正鵠を得た指摘としか言わざるを得ないのです。
この事についてはNHKがしばらく前にクローズアップ現代で、
非常に分かりやすくこの事を解説されていたと思いますが、
たとえば今まで地層処分ができるという論理は、
地図を広げて活断層がない地域を全部マッピングして、
活断層の無い地域がこれ位あるから、そこに埋めれば大丈夫だという論をしていたんですが、
実は活断層が無いところでも地震が起こったという事を
NHKは、あの番組で示しました。
そして、地下水の速度が非常に遅いということを論拠としていた地層処分ですが、
これも福島ですか、地下水がある、地震が起こった後にもう、
毎分4リットル出て、1年半たっても地下水が止まらないという状況まで紹介していましたが、
分かりやすく言えば、まだ現代の科学で分からないことが沢山ある。
という事を分かりやすく説明されたと思うんですね。
その事を持って学術会議第一の提言ですが、
第二の提言は、したがって地層処分はするべきではないし出来ない。
従って数10年から、数100年です。
こちらの数字の方が重いと思います。
そして、現実にはこちらの数字の方が、我々が直面する問題になると思いますが、
暫定保管をするべきだと、
つまり長期貯蔵をするべきだという事を指摘したわけです。
これも論理、必然的にそのような話だろうと思います。
で、実は世界の主要国の政策をみなさんご覧になると、
アメリカもドイツもフランスもイギリスもカナダも
どこも、一応地層処分をやるという建前で政策はつくられていますが、
よく読まれるとその手前のところに、
長期貯蔵ができるような政策論になっています。
フランスの場合には可逆的処分なんていう言葉を使っていますが
分かりやすく言えばいつでも取り出せる。
貯蔵ですよね。
ですからどの国も処分ができなくなるという事を想定しつつ、公式には認めず、
ただし、いざ、もう処分ができずに長期貯蔵が永遠と続く場合にも
数百年位はできるような体制に入っているのが現実です。
ただし日本は学術会議がそれを堂々と明確に指摘されたというところが、
ある意味では一つ世界から注目される部分かと思います。
で、3番目の提言が従って、長期貯蔵をせざるをえなくなるとすれば、
捨て場所の無いゴミがどんどん出るわけですから、総量規制をするべきだ。
これも、もう常識の範疇だと思います。
捨て場所が見つからないのであれば、とにかくゴミをどんどん出すわけにはいかない。
従って、いま1万7000トン存在するといわれる使用済み燃料を、
仮にですけど、2万トンとか、仮に仮に3万トン、
で、もう打ち止めにするという事をやらざるを得ないわけです。
そうすると当然のことですが、
総量規制を行わざるを得ないという事は、
「原発に依存して電力を供給していく」要するに原発を稼働させるという事は、
この一点からの理由で、限界がやってくるという事です。
従って、最初に申し上げた、
原発に依存しない社会、もしくは原発ゼロ社会というものは、
政策的な選択の問題では、もはや無くなっています。
これは不可避の現実と言わざるを得ないです。
で、一言付け加えれば、
廃棄物の方策の問題をまっとうに考えずに、
工場を操業しているのは原子力産業だけではないでしょうか。
後はもうほとんど一言だけで申し上げますが、
今申し上げたのは、もう一度言葉で申し上げれば、
「選択するか否か?」だというのは選択の問題ではない。
これは、「依存できない社会がやってくる」ということですね。
で、もう一つだけ付け加えておくと、5番目の誤解というのは、
ここまで議論しても尚、
「いや、でも例の消滅処理とかというのがあるそうじゃないですか」
「高レベル廃棄物は原子炉の中で燃やすことができるそうじゃないですか」
「なくなるまで燃やしてしまえばいい」
「もしくは宇宙処分というのがあるそうじゃないですか」
これも私も20年研究し続けました。
「宇宙処分」はまず、あの瞬間に宇宙処分は無理だというのが世界の常識になりました。
チャレンジャーの爆発ですね。
それから「消滅処理」というのは原子炉の中で燃やし続けるという事で、
わりと素人の方は簡単に「それができるそうじゃないですか」とおっしゃいますが、
大きく二つの問題があります。
ひとつは、エネルギーバランスがそれでとれるんですか?
それから、コストはどれくらいかかるんですか?
という問題。
これは相当重い問題だと思いますが、それ以上に重い問題は、
消滅処理は、・・・これもちょっと長い時間がとれませんので一言で申し上げれば、
原理的に重元素、
重くて半減期の長いものを中性子をぶつけて、
これを軽くて半減期の短い元素に変えるという概念なんですが、
じつは、核物理学で研究をすると、
この中性子を当てて壊れた後にですね、
実は、軽くて長半減期の放射性物質が出てきてしまいます。
これはテクネチウムと呼ばれる元素ですが、これが実は一番悩ましいです。
つまりこれ以上壊しようがない。
だけれども、極めて長半減期のものになるという。
ですからあんまりこういう事をイージーに原発を進める事の根拠として語ることには私は慎重です。
そして、「未来の世代がどうせ解決してくれるよ」というのも、言葉の使い方の問題だと思いますが、
現実に学術会議が真摯な姿勢で提言されているのは、
「未来の世代の科学の発達や技術の発達に期待せざるを得ない」という事を
謙虚におっしゃっているわけです。
しかしこれをあまりイージーに逆手にとって、
「未来の世代が解決してくれるよ」という事で原発を進めるというのは、
わたしは姿勢として「似て非なる姿勢」だろうと。
これはもう明らかに世代間倫理の問題になります。
地層処分をやって、埋めて、もし地表に汚染が戻って来るとしても、100年以上先だと思います。
ここにいらっしゃる方は私も含めて、我々の世代の方が被害を被ることはないだろうと思いますが、
だからこそこの問題は非常に成熟した国民の判断が求められる。
原発そのものは現在の国民にも被害が及びますけれども、
廃棄物の処分は、我々がほんの少し無責任になればやれてしまう政策的な課題だという事が、
私はむしろ非常に怖いと思います。
国民一人一人の意識の成熟が、実は今求められている。
だからこそ、国民の意識の成熟という事は、これは私自身も問われていると思いますが、
メディアの方々もまた、国民がまっとうに考えるべきテーマを、深く問うていただきたい。
これは数百年を超えて、ま、10万年とまでは言わないですけれども、
「未来の世代に非常に難しい問題を先送りする政策なんだ」という事。
その事を申し上げてまずは私からの問題提起とさせていただきます。
今後の原子力の課題について 田坂広志 11/2 自由報道協会 書き起こし「kiikochan.blog」から
私もまず最初に自由報道協会の方にお礼を申し上げたいと思います。
私自身、あんまりこういうところにしゃしゃり出てくるような、話をなんですけれども、
今、日本で原子力の話がいろんな形で言われている訳ですが、
ほぼ、わたしの目で見る限り、極めて重要なことは、あまり議論されていないという印象があります。
メディアの方には一人一人いろいろとお話をするようにしているんですが、
やはり何かの理由があるのかもしれませんが、
原子力の問題で根本の問題に触れないような論調が多いように思われます。
そんな事を感じていました矢先に、自由報道協会の方から、
こういう場を使って何かのメッセージを出したらどうかという、
そんなお誘いをいただきましたので、
本当に感謝を申し上げながら、この場を務めさせていただくことにいたします。
私の経歴などについては今ご紹介を、
少し身に余るようなご紹介も含めて頂きましたので、本題に入ってまいりたいと思います。
で、私自身の経歴で、もう一回だけ申し上げておきたいのは、
私は原子力の、いわゆる原子力ムラと言われるところを。ま、20年間歩んだ人間です。
これはもう、隠しようのない現実の私の経歴になって残っていることですので、
1970年に大学に入り、71年から原子力工学科に進学を決め、
そして、後に国立研究所に、アメリカの国立研究所に行くこともあり、勤める事もありましたが、
民間企業でのいろいろな原子力のプロジェクトにも携わって、
91年にその世界から、ま、離れたわけです。
離れた訳というのは、決して原子力について極めて強い批判を感じたからではない。
これも正直に申し上げておきます。
むしろ、自分のやるべきことはもうやった。
後輩の皆さんが本当に優秀な方々がいらっしゃるので、
これからは世界で最も安全な原子力を実現してもらいたいという気持ちを持ち、
同時に私自身、それ以外の自分で取り組んでみたいシンクタンクという、
やりがいのある仕事がありましたので、そちらに向かったわけです。
これが91年ごろですね。
そしてこの20という数字に意味があるのか分かりませんが、
20年原子力ムラで勤めた人間が、働いた人間が、
20年離れて、2011年、何故かまた原子力の世界に戻ることになってしまったわけです。
私はこの事故が無ければ、
かりにそれなりの高い立場、たとえば原子力委員長とか、そういう立場でお誘いいただいたとしても、
戻る事はなかった人間かと思います。
ただ、あの3月11日の事故の後、
一人の市民としてまずはあの事故を見ながら、
「なぜSPEEDIが動かないか?」
実は、SPEEDIのような環境安全に関わるシュミレーションは私の専門でもありましたので、
あのSPEEDIをかいするために、ま、国費を何百億円も使い、何年もの歳月を使って作ったものが、
一番必要な時に動かないという現実も見ながら、
本当に福島の方々の事にも、やはり、これはどうなっていくんだろうか?という思いながら、
外から政府に対しては、いくつかの提言をしておりましたが、
結局29日、内閣官房参与として、政府の仕事を手伝う。というよりももう、
東京電力と経産省、保安院そして官邸。
この方々とこの事故対策に取り組むという日々が始まったわけです。
で、5カ月と5日勤めて内閣総辞職とともに内閣官房参与を辞任する事になりましたが、
5か月の前半は、やはりこの事故対策、
やはり事故対策だけではもう、私自身が進めるべきことは十分ではない、
原子力行政の改革にも取り組むことになり、
さらには原子力政策、現在話題になっている原子力脱原発依存という、
こういう政策論にも関わることになったわけです。
で、まぁこういう立場の人間ですので、
原子力ムラの裏も表も、率直に申し上げればよく分かっております。
その意味では、
何か運命的にこの世界に戻って原子力行政と原子力産業の改革という事を論じざるを得なくなった時に、
かつて私が見てきたことが何かの意味があるんだろうと思って、
今、ささやかな活動をしております。
とはいえ、僕の経歴はもう十分にご理解いただいたと思うので、
実は今日申し上げたい事、時間さえあれば、もう、いくつもありますが、
今日はたった一つ、是非とも多くの国民の方々に伝えていただきたい事を中心にお話をしたいと思います。
最初に結論を申し上げます。
よくこの間に政府が、原発ゼロ社会、30年代という事も述べて、
いろんな意見を、批判もあるようですが、
いずれにしても原発ゼロ社会を目指すというビジョンを出したわけです。
で、この原発ゼロ社会というものについての論調がですね、
今回閣議決定がされなかった事がどうかという次元の話はさておいてですね、
私が一番気になるのは、
原発ゼロ社会はみなさん選ぶんですか?という論調が今非常に広がっています。
特に原発を推進するという立場の方々から、
「原発ゼロ社会などを選んだら、この国の経済はおかしくなりますよ」
「電力料金は2倍になるし、雇用も減るし、海外に企業が行ってしまいますよ」みたいな事をおっしゃいます。
この議論が正しいかどうか?という事をも、ま、あるんですけれども、
それ以前に私が一番申し上げたいのは、
今この時点に於いて原発ゼロ社会というのは、
政策的な選択の問題ではありません。
つまり、ゼロ社会を選ぶんですか?選ばないんですか?という選択問題ではありません。
これは不可避の現実だという事を申し上げています。
つまり、立場が推進であろうが反対であろうが、
なんであろうが関係なくやってくる、
もう避けることができない現実になっているんだという事を
一人でも多くの国民の方に理解していただきたいと思います。
先ほど申し上げたように私は原子力の世界を歩んだ人間です。
特に感情的に原子力をつぶしたいと思っている人間でもありません。
ただですね、専門家として、今現実のこの状況を見た時に、
もう原発は推進反対に関係なく、
必ず止めざるを得なくなっている状況になっているという事を、
まず、直視するべきだと思います。
よく、原発脱原発の議論に対して、
「そういう非現実的な話しはおかしい」という方がいらっしゃいますが、
いったい誰が非現実的であるか?という事も少し考えてみる必要があると思います。
今、全ての国民、そして政治家、官僚、財界の方が直視しなければいけない現実を見ていないのは、
むしろ、もしかしたら財界の方や行政の方ではないのかという印象が私の中にはあります。
その事を申し上げたうえで今から、短い時間ですので、ポイントを申し上げたいと思います。
「原発の未来をめぐる7つの誤解」と、あえてつけさせていただきました。
第一の誤解。
この話は今要点を申し上げましたが、ここに書いてあるのは誤解の認識です。
私の認識ではありませんが、よくこういう言葉を聞きます。
「福島の経験に学び、原発を世界でも最高の安全を実現しよう」と。
そうすれば原発は再稼働をし、今後も使っていけるというような論調ですね。
もしくはこういう言葉もよく聞きます。
「最近の原発は最高の安全対策が行われているんですよ」と。
「福島で原発事故を起こしたけれども、あれはまァ車に例えて言えばT型フォードのような古いタイプですよ」
と。
「今の世界の原発日本の原発最新鋭のものはフェラーリのように最先端の技術が使われていますよ」
ということがよく言わます
この事をもって先ほど申し上げたように
福島の経験に深く学んで最高の原発をつくっていけば、
「いやこれは使っていけるんだ」という論調があります。
ただここでですね、深く見つめておくことがあります。
「そもそも原発の安全性とは何か?」という事ですね。
というのは、良く総理も海外などのいろいろな場で、国際的な会合の場で、
「世界でも最高水準の安全性を実現する」というような事をおっしゃいます。
で、その考えは全く私も賛成です。
ただですね、ここで言う安全性の意味をすこーし誤解されているように思います。
原発の安全性というのは技術的な安全性だけではないんですね。
つまり、
津波対策はしっかりやりました。
さらには電源喪失についてもちゃんとバックアップをやりましたということをもって、
「原発の安全性は極めて高いレベルになりました」ということは、
実は一面にしか過ぎないわけです。
本当の原発の安全性というのは、
人的・組織的・制度的・文化的安全性の事です。
これは、是非皆さんのような報道の立場に立たれる方に、
是非、世の中の常識として広めていただきたいと思うんです。
というのはですね、世界の原子力施設の事故というのは、私も専門ドクター論文を書くなかで、
これは随分学びました。
世界の原子力の事故の大半は、その原因は、ほとんどがヒューマンエラーなんですね。
一番最初の人身事故と言われるアイダホホールズのS1事故も含めて、
人間のヒューマンエラーです。
このヒューマンエラーというのは人間のミスだという事で、すぐに、まぁ
「だったら人災の訓練、スタッフの訓練をちゃんとやろう」みたいな話になる面もあるんですが、
実はヒューマンエラーと言われるものは、その背後にもっと広い問題が横たわっています。
これを私は人的組織的制度的文化的要因と呼んでいます。
で、一つの分かりやすい例を申し上げると、
分かりやすいというには少し辛い例なんですが、
JCOの臨界事故があったわけです。
これはもう皆さんご存じの世に東海村で臨界事故が起こった。
この施設で事故が起こった時、わたしは東京で仕事をしてたんですけど、
ある会合にあったんですが、
この事故の情報が届いた。
「東海村のウラン転換工場で臨界事故が起こった」
聞いた瞬間に私はこう申し上げたんです。
これはもう忘れもしないですけれども、そこにいらした会合のメンバーに
「これは誤報です」と。
私は実はウラン転換工場と同じタイプの工場で働いていましたので、
その工場の設計についてもよく分かっております。
したがって、周りの方に申し上げたのは、
「これは誤報です、あの手の施設はもう、・・たとえば作業員が右に回すべきバブルを左に回したとか、
その程度の事で事故が起こらないように、臨界事故など絶対に起こらないように
そういう設計がなされているんです。だから、・・臨界事故というのは誤報です」と申し上げた。
ところが…事実はご存じのように、実は臨界事故が起こっていた訳です。
それをよく調べてみると、これも私は驚いたんですが、
ウラン溶液は本来タンクからタンクへパイプで送液しなければならないものをですね、
作業を急いだ作業員が何故かバケツで汲みあげて注ぎ込んだ訳です。
その瞬間にチェレンコフが見えたといいますから、紫色の光が見えた。
これが見えた方は本当にお気の毒ですが数時間で死亡します。
その死に方も人間の死に方としては一番辛い、全身の細胞が崩壊するような形で亡くなっていくわけです。
で、この悲劇については論じる場面ではありませんが、
何が問題か?と言えばですね、この作業員は、確かにエラーをしたわけです。
でもこの事が先ほどの人的組織的制度的文化歴問題に必ず繋がります。
単に「この作業員がミスをしてしまった、残念だな」では終わらない。
そもそもこの作業員に対する教育訓練はどうなっていたのか?
さらには監督責任者はどこにいたのか?という、人的組織的な問題になります。
さらには何故作業員がこれほど急がなければならないほど、
そういう雇用制度の問題は無かったのか?制度面ですね。
職場の安全文化はどうだったのか?こういう問題があるわけです。
したがって、皆さんに是非お願いしたいのは、
この福島の事故もですね、どうも世の中この1年半見ていると、
「安全か安全でないか?」という事を論ずるときにですね、
実は反対派の方も含めてですね、技術的な面のところで議論することが多いんです。
たとえば「電源対策はちゃんとできているか?」
これはもう、重要ですよ、もちろん。
「津波対策は十分か?」
これも非常に重要ですが、
本当はもうひとつ非常に強い質問をしなければならないんです。
あれから1年半たって、あの福島の事故を起こした、
人為的組織的制度的文化的要因については、本当にきちっとこの解決策を取られたんですか?
ということですね。
これは、国会事故調査委員会が、福島の事故は人災だったという事をハッキリと指摘していますね。
この人災というのもどこかの政治家が一人、
何か間違った判断をしたという次元の話だけではないと思いますね。
むしろ、官僚機構、本来こういう場面で動くべき官僚機構がちゃんと機能しなかった。
SPEEDIもそうですね。
それ以外にもいろいろと問題がありますが、
これを誰か個人を攻めろという意味ではなく、
組織全体の持つ「なぜ、安全が求められる場面でその機能が果たせなかったのか?」という事に
メスを入れなければならない。
にもかかわらず、今なにが起こっているか?というと、
みなさん、1年半たって、原子力行政の改革って、何が行われたんでしょうか?
それ以前に、そもそも「組織のここに問題があった」という事がですね、
どれほど行われたのか?という事をやはり論ずるべきだと思うんです。
たとえばですね、国会事故調査委員会が、
「規制当局は電気事業者の虜になっていた」ということをかなり率直に指摘された訳です。
これは、私も原子力ムラに長くいた人間として、あの・・その通りだと思います。
あの・・これは事実ですね。
そして国民の多くも「もう、それはそうだろう」と思っているわけです。
では、その虜となった原子力規制組織が、今、どう変わったか?という事を見つめてみたいんですけれど、
おそらく行われたことは原子力規制委員会がメンバーが新たに選任され、
組織としての看板が変わっただけのことだろうと思いますね。
その下にある原子力規制庁については、
スタッフの8割は、原子力安全保安院です。
それがそのままスライドしてきているわけです。
つまり原子力保安院が虜になっていたという文化的な問題があったとすればですね、
それが、そのスライドしてきた組織は何を持って、この虜となっていたその構造が変わったのか?
というところに対するメスが入っていないんですね。
ただその時に行政の側の説明はたった一言で、
「ノーリターンルールを導入した」と言っています。
つまり、「元の経産省、保安院には戻れない。
そのルールでみんな骨をうずめる形で新しい規制庁の方へ行っていますので、
「みんなそこで心を入れ替えて頑張るでしょう」という事を言っているわけです。
これも100%信じることがなかなか難しい面があるんですが、
この論理ですら、最後に法案が通る時に、経った一行入ってきてしまったわけです。
「5年間の猶予条項」ですね。
つまり、これから5年間は元に戻れる。
元の組織に戻れるという条項が入ってきてしまっているわけです。
私はこれは、最後の最後まで反対したんですが、入ってきてしまいました。
これがなにを意味しているか?
みなさん一つの組織を魂込めて、みんな心を入れ替えて作り上げなければいけない。
その文化をゼロからつくらなきゃいけない、その最初の5年間が、
これは我々がその立場で同じ思いになると思うんです。
誰といえども本省で出世することをみんな求めて、
王道を歩むことを求めて省庁に入ってきたわけですから、
そこから外れてノーリターンと言われることは辛い。
戻れるとなれば常に本省の方を意識しながら仕事をするのは人の心のこだわりではないでしょうか。
そう考えるならば、こういう行政の改革のように見えること、
私は「本当の改革なんだろうか?」という事を言わざるを得ないんです。
そして、原子力行政、原子力産業、
ま、産業の何が変わったのか?というのは、
今日は時間がありませんので一応考えていただきたいと思います。
東京電力は半分国有化されたような状態になっただけ、それ以外は何も変わっていない訳です。
従って、今 について申し上げました。
2番目の誤解
後は本当に手短に申し上げたいと思いますが、
原子力規制の改革を行い、絶対に事故を起こさない安全な原発を開発すれば、
原発の利用を進めていくことができるという、
この言葉がよく語られます。
先程の問いをもう一度、
「原発の安全性とは一体何なんでしょうか?」
これは、原発の安全性とは原子炉の安全性の事だけではない訳です。
原発の安全性とは今日本で取っている政策である、核燃料全体の安全性の事ですね。
そして、核燃料サイクル全体の安全性というのは、
再処理工場と高速増殖炉の安全性の事だけでもないんですね。
これもよく反対の方もちょっとここでストップしてしまう方もいらっしゃるんですけれど、
増殖炉が安全であることは大前提ですが、
仮に再処理工場も原発も高速増殖炉も絶対に事故を起こさないものができたとしても、
全く問題は解決していません。
なぜなら、核燃料サイクルを実践するための最大の課題というのは、
高レベル廃棄物と使用済み燃料の最終処分だからです。
そして、これはもう昔からトイレ無きマンションという批判が投げかけられてきたわけです。
で、実は私自身の経歴は、
1971年に原子力工学を選び、そして原子力の専門を選ぶ時に、テーマとして選んだのは、
周りの優秀な友人たちはみな
高速増殖炉とか再処理工場、再処理施設、さらには核融合を選んでたんですが、
わたしは少し違った視点から、高レベル廃棄物の最終処分の問題を選びました。
その理由は、あの~、今となっては懐かしい自分の姿ですが、
原子力の未来に夢を抱いていた一人の若い研究者として、
原子力を実現するために一番大きなネックになるのは、結局、このゴミが捨てられない。
廃棄物の処分ができないんだという事を、考えてこの問題に取り組んで、
ドクター論文の高レベル廃棄物の最終処分というものを研究したわけです。
そして、のちに民間企業に出ても、政府の外郭団体でこの研究を、現場での臨床実験もやりました。
いわゆる堀野辺とかそういう名前が上がるような場所ですね。
そして、アメリカの国立研究所に行って、世界でも最も有名な高レベル廃棄物の処分研究、
処分プロジェクト、ユッカマウンテンプロジェクトにもメンバーとして参加しました。
日本でも低レベル廃棄物は六ヶ所村でも処分施設はその設計、安全審査にも携わりました。
言わば放射性廃棄物の専門家としての20年間を歩んだわけですが、
あのー、この問題はいまだに解決していません。
というのはですね、3番目の誤解ですが、
こういう議論になると推進される側の方は、これはかつての私もそうですが、
「高レベル廃棄物は地層処分ができるだろう」と。
国の計画も今は再処理工場で、使用済み燃料を全部ガラス固化体へと、ま、廃棄物をしっかりと固めて、
それを、30年から50年貯蔵したうえで、これを地下深くに、
今は300メートルより深いという事になりました。
私のころは1000メートルよりも深いという数字だったんですが、
いつのまにか300メートルになっていますが、
「深い、安定な、地下水の移動の少ない岩盤中に埋めればいいんだ」という事を言う訳です。
今の政策も公式にはこうなっています。
ところがですね、私がずーーっと、研究者として格闘し続けたテーマは、
10万年の安全をどのようにして証明するか?という事です。
この10万年の安全というのは、これもみなさんよく聞かれると思いますが、
使用済み燃料というのは、何を持って10万年と言われるか?と言えば、
もともとはウラン鉱床を地下深くから掘り出してきて、それを燃やしてすごい放射能になる。
それを最後地面の深くに埋めるとすれば、
元のウラン鉱床と同じくらいの毒性にまで減衰すれば、これで安全と言えるのではないか?
比較的理解しやすい考え方ですが、
この考えに基づくと10万年かかります。
高(低?)レベル廃棄物の場合には数万年です。
いずれにしても、
現在の科学ではこれは証明できないというのが私の20年間の研究で悩み続けたことです。
で、ところがですね、もうひとつのセプテンバー・イレブンと私が呼んでいるんですが、
今年の9月11日に皆さんもご存じのように日本学術会議が提言書を出したわけです。
これは、正式な報告書を原子力委員会に出したわけです。
で、日本でも最高の権威が三つの事をおっしゃったわけです。
「日本において地層処分を行う事は適切ではない強調文」とハッキリおっしゃったわけです。
その理由は先ほど申し上げた現在の科学では10万年の安全は証明できないという、
これは、あの、原子力を推進するためにこのテーマに取り組んできた一人の人間が正直に申し上げれば、
「おっしゃるとおりです」
これはもう、正鵠を得た指摘としか言わざるを得ないのです。
この事についてはNHKがしばらく前にクローズアップ現代で、
非常に分かりやすくこの事を解説されていたと思いますが、
たとえば今まで地層処分ができるという論理は、
地図を広げて活断層がない地域を全部マッピングして、
活断層の無い地域がこれ位あるから、そこに埋めれば大丈夫だという論をしていたんですが、
実は活断層が無いところでも地震が起こったという事を
NHKは、あの番組で示しました。
そして、地下水の速度が非常に遅いということを論拠としていた地層処分ですが、
これも福島ですか、地下水がある、地震が起こった後にもう、
毎分4リットル出て、1年半たっても地下水が止まらないという状況まで紹介していましたが、
分かりやすく言えば、まだ現代の科学で分からないことが沢山ある。
という事を分かりやすく説明されたと思うんですね。
その事を持って学術会議第一の提言ですが、
第二の提言は、したがって地層処分はするべきではないし出来ない。
従って数10年から、数100年です。
こちらの数字の方が重いと思います。
そして、現実にはこちらの数字の方が、我々が直面する問題になると思いますが、
暫定保管をするべきだと、
つまり長期貯蔵をするべきだという事を指摘したわけです。
これも論理、必然的にそのような話だろうと思います。
で、実は世界の主要国の政策をみなさんご覧になると、
アメリカもドイツもフランスもイギリスもカナダも
どこも、一応地層処分をやるという建前で政策はつくられていますが、
よく読まれるとその手前のところに、
長期貯蔵ができるような政策論になっています。
フランスの場合には可逆的処分なんていう言葉を使っていますが
分かりやすく言えばいつでも取り出せる。
貯蔵ですよね。
ですからどの国も処分ができなくなるという事を想定しつつ、公式には認めず、
ただし、いざ、もう処分ができずに長期貯蔵が永遠と続く場合にも
数百年位はできるような体制に入っているのが現実です。
ただし日本は学術会議がそれを堂々と明確に指摘されたというところが、
ある意味では一つ世界から注目される部分かと思います。
で、3番目の提言が従って、長期貯蔵をせざるをえなくなるとすれば、
捨て場所の無いゴミがどんどん出るわけですから、総量規制をするべきだ。
これも、もう常識の範疇だと思います。
捨て場所が見つからないのであれば、とにかくゴミをどんどん出すわけにはいかない。
従って、いま1万7000トン存在するといわれる使用済み燃料を、
仮にですけど、2万トンとか、仮に仮に3万トン、
で、もう打ち止めにするという事をやらざるを得ないわけです。
そうすると当然のことですが、
総量規制を行わざるを得ないという事は、
「原発に依存して電力を供給していく」要するに原発を稼働させるという事は、
この一点からの理由で、限界がやってくるという事です。
従って、最初に申し上げた、
原発に依存しない社会、もしくは原発ゼロ社会というものは、
政策的な選択の問題では、もはや無くなっています。
これは不可避の現実と言わざるを得ないです。
で、一言付け加えれば、
廃棄物の方策の問題をまっとうに考えずに、
工場を操業しているのは原子力産業だけではないでしょうか。
後はもうほとんど一言だけで申し上げますが、
今申し上げたのは、もう一度言葉で申し上げれば、
「選択するか否か?」だというのは選択の問題ではない。
これは、「依存できない社会がやってくる」ということですね。
で、もう一つだけ付け加えておくと、5番目の誤解というのは、
ここまで議論しても尚、
「いや、でも例の消滅処理とかというのがあるそうじゃないですか」
「高レベル廃棄物は原子炉の中で燃やすことができるそうじゃないですか」
「なくなるまで燃やしてしまえばいい」
「もしくは宇宙処分というのがあるそうじゃないですか」
これも私も20年研究し続けました。
「宇宙処分」はまず、あの瞬間に宇宙処分は無理だというのが世界の常識になりました。
チャレンジャーの爆発ですね。
それから「消滅処理」というのは原子炉の中で燃やし続けるという事で、
わりと素人の方は簡単に「それができるそうじゃないですか」とおっしゃいますが、
大きく二つの問題があります。
ひとつは、エネルギーバランスがそれでとれるんですか?
それから、コストはどれくらいかかるんですか?
という問題。
これは相当重い問題だと思いますが、それ以上に重い問題は、
消滅処理は、・・・これもちょっと長い時間がとれませんので一言で申し上げれば、
原理的に重元素、
重くて半減期の長いものを中性子をぶつけて、
これを軽くて半減期の短い元素に変えるという概念なんですが、
じつは、核物理学で研究をすると、
この中性子を当てて壊れた後にですね、
実は、軽くて長半減期の放射性物質が出てきてしまいます。
これはテクネチウムと呼ばれる元素ですが、これが実は一番悩ましいです。
つまりこれ以上壊しようがない。
だけれども、極めて長半減期のものになるという。
ですからあんまりこういう事をイージーに原発を進める事の根拠として語ることには私は慎重です。
そして、「未来の世代がどうせ解決してくれるよ」というのも、言葉の使い方の問題だと思いますが、
現実に学術会議が真摯な姿勢で提言されているのは、
「未来の世代の科学の発達や技術の発達に期待せざるを得ない」という事を
謙虚におっしゃっているわけです。
しかしこれをあまりイージーに逆手にとって、
「未来の世代が解決してくれるよ」という事で原発を進めるというのは、
わたしは姿勢として「似て非なる姿勢」だろうと。
これはもう明らかに世代間倫理の問題になります。
地層処分をやって、埋めて、もし地表に汚染が戻って来るとしても、100年以上先だと思います。
ここにいらっしゃる方は私も含めて、我々の世代の方が被害を被ることはないだろうと思いますが、
だからこそこの問題は非常に成熟した国民の判断が求められる。
原発そのものは現在の国民にも被害が及びますけれども、
廃棄物の処分は、我々がほんの少し無責任になればやれてしまう政策的な課題だという事が、
私はむしろ非常に怖いと思います。
国民一人一人の意識の成熟が、実は今求められている。
だからこそ、国民の意識の成熟という事は、これは私自身も問われていると思いますが、
メディアの方々もまた、国民がまっとうに考えるべきテーマを、深く問うていただきたい。
これは数百年を超えて、ま、10万年とまでは言わないですけれども、
「未来の世代に非常に難しい問題を先送りする政策なんだ」という事。
その事を申し上げてまずは私からの問題提起とさせていただきます。
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田坂:11/2質疑応答(1)
2012-11-05
今後の原子力の課題について 田坂広志 11/2 自由報道協会 質疑応答 書き起こし「kiikochan.blog」から
1.望まない被ばく「今後何十年と極めて重い心の重荷を背負う事になる」
質問:
放射能の人間に対する影響という問題なんですが、
今現在、肉体的・精神的両面にわたって、
様々な苦悩、苦痛というものがあるという事が伝わってきています。
低線量被ばくとか、内部被ばく被害、
そういうものが公には認められていない現状がありまして、
避難勧奨地域というような形で、
線量が高いという事も認められない状態のまま汚染地域にいる福島の人達、
それから福島以外の東京にもそのような場所がありますが、
そういう人たちの苦悩、それを救う道というのはあるんでしょうか?
その辺をお聞きしたいです。
田坂広志:
これも本当に深く大切なご質問だと思うんですね。
で、あの、これほど多くの方がいろいろな検討をされて、
なかなかに、あの…
福島の方々を始めですね、被害を受けられた方々の苦しみというものがなくならない訳ですから、
何かうまい妙案があるという事は当然申し上げられない訳です。
ただ、一つ私は、政府と行政がしっかりと理解すべきことがあると思っています。
つまりその苦悩というものが存在し、それがどういうものなのか?という認識が、
私は残念ながら「甘い」と思います。
というのはですね、
この福島で放射性物質が環境中に広まって、量のレベルは、高は別としても、
「被ばくをされた方々の被害とは一体何なのか?」という事がですね、
極めて狭い範囲でしか議論されていないんですね。
それは何なのか?と言うと、
基本的には健康的被害というレベルでしか議論されない訳です。
健康的被害というのは、分かりやすく言えば、
「これ位、なんミリシ-ベルト浴びたから、これ位浴びると将来どの位癌になる可能性があるか」とかですね、
もしくは「基準から見て十分に低い」とか、
基準から見て「無視していいレベル」だとかといういろんな議論があるわけです。
この議論の基本はどこまでも
「健康被害は起こりませんよ」とか、
「いや起こるんじゃないか」というところで議論している訳です。
ところがですね、
実は福島の方々の受けている被害というのは、
もちろんこの後健康被害が出るかでないか、これはもう本当に、
このあと我々は本当に祈るような思いで見守ることになるわけですけが、
実は健康被害だけではないんです。
心理的被害があるという事を私はずっと申し上げているんです。
それはどういう事か?と言うとですね、
基準値より下であろうがなんであろうが、
自分の意図せざる、そして全く、受け入れるつもりなど全くない被ばくを受けた方にとってですね、
それから後の何十年というのは、極めて重い心の重荷を背負う事になるんです。
この意味が分かる方が、残念ながら行政の方に少ないような気がします。
政治家の方にも少ないような気がします。
むしろ、
「今基準以下なんだからそんなに騒がない方がいい」
「これ位の基準では発がんは起こらないよ」と、
「さぁ、大丈夫なんだ」って、
「あんまりそういう事を言うもんじゃない」という、
こういう議論があります。
一面の一つの考えではあるんですけれども、
私のささやかな経験をあえて申し上げます。
私は若いころ、自分自身が意図して、つまり自分が求めて原子力の研究に携わった人間です。
そして私は研究者の時代はずーっと放射性物質を扱っています。
ただし、
放射線管理の手帳も持ち、
毎日きちっと線量を測りですね、
そして管理区域と呼ばれるしっかりと管理されたところで、
性質もよく分かった放射性物質を扱って、何がしかの被ばくをしています。
これも国内法の基準とICRPの基準から見ても十分に無視できるほどの、
無視とは言いませんけれども、許容できるレベルの被ばくです。
そして私はその分野の専門家です。
放射線健康管理学を、つまり放射線管理をやるのを専門にした人間ですから。
その専門家の立場で、私は若い頃に被曝をして、
実はそれから10数年たって、放射線被ばくが原因となっても起こり得る病気、
大体お分かりになると思いますが、…に罹ったんですね。
その瞬間に私はやっぱり…ものすごい辛い…心の、その、苦しみの経験があるんです。
私は誰よりも、そういう被ばくがどれ位人体に影響を与えるかについては良く、
一番よく分かっている人間です。
そしてその理性の方は、
「これ位の被ばくで、そんな病気になる筈はない」という事も分かるし、
「それが起こるとしても確率は非常に低い」と思うんです。
でも現実に病気になった瞬間には、やっぱり人間というのは
「あれが原因じゃないか」と思って苦しむんです。
しかし私の場合は自分で、その…分かって被ばくした人間です。
しかも管理区域で、放射線現場で線量までしっかり確認した人間ですよね。
福島の方は、全く管理などされていない、突然放出された量も分からない放射性物質で、
自分で意図せず、好むことを全く、好んでやったわけではないんです。
むしろ逃げようと思って被ばくしてしまっているわけです。
どれ位被ばくしたかの記録も残ってない。
ただ被曝したという事だけが非常に明瞭に出てくる。
それをいっくら基準値から見て、
「これ位ですから大丈夫です」と言われてもですね、
もちろんそれはしっかりと示して差し上げるべきだと思いますよ。
きちっと分かっている情報は伝えて差し上げるべきだし、
それが医学的に見てどれ位のリスクかは、それも正確に伝えて差し上げるべきですが、
間違っても、
「あなた基準値がこれ位だから発がんの確率は非常に低いですから心配しなくてもいい」と言って
済ませられる話では、本当は無いんです。
どうしてか?と言えば、
我々ここにいらっしゃる方も含めて、
これから数10年間の間に3人に1人は、あの…癌になられる訳ですね。
あの…癌で亡くなられる訳です。
そうするとですね、皆さん考えてみて下さい。
今、無用の被ばくをされて、そして
「基準値以下ですよ」と言われたとしてもですね、
何十年か先に癌になった時に、人間は必ずその事で苦しみます。
もちろんみなさんレントゲンも受けていらっしゃいますから
被ばくで言えばそっちの方が多いかもしれませんが、
人間の心理というのは、
自分で受け入れたリスクについては比較的心が許容してしまうんです。
でむしろ、
仮に私が突然皆さんにある状態で被爆をね、するような状況にしてしまった時に、
「俺はこんな被ばくはしたくなかった」という思いがあるときは、一番辛いです。
やはり人間ってそういうものですよね。
自分で受け入れたリスクの結果出てきたものというのは
比較的人生の中で心が受け入れることができるんですが、
受け入れたくなかったものが自分にリスクをもたらしたのではないか?
健康被害になったのではないか?と思う時の苦しさというものがあります。
もちろんこの事を申し上げたからと言って、解決策を申し上げている訳ではないんです。
ただですね、私はやはり、
「福島の方々の、まさにこの苦しみという事に対してどう思うか?」という質問を頂いたとすればですね、
まずその、心の苦しみ、
心理的な被害というものを深く受け止めるというところから行政はスタートするべきだと思います。
これは、今のご質問に対する一番大切な私のお答えです。
2.放射性廃棄物「国民の意識の成熟が問われる問題
質問:
今伺ったように
原発ゼロ社会とは選択の問題ではなく、不可避の現実であるという、
そういう事実の前で、これから日本は何をしなければいけないんでしょうか?
高レベル放射性廃棄物、使用済み燃料というのを、どうしたらよろしいんでしょうか?
田坂広志:
これも本当に重要なご質問なので、少し丁寧に申し上げるとですね、
これは直ちに非常に難しい現実に直面する訳です。
たとえば先程の学術会議の提言をふまえて、
「その通りだ」と考えて「長期貯蔵をやろう」と、
もしくは「暫定保管」という言葉も同じなんですけれど、
で、そこまでは仮に政府が方針を定めることはできるとは思うんです。やろうと思えば。
問題はその「長期保存の施設をどこにつくるか?」なんです。
「暫定保管施設」を。
これはもう極めて大きな現実的な問題にすぐに直面します。
つまり一般政策論としては長期保存します、100年でもやりますという事は簡単に言えるんですが、
じゃあどの地域に作るか?となった時に、
皆さんは今もうすでに、がれきの搬入ですらですね、
日本全国の地域の方々が、やはり非常に抵抗がありますね。
この抵抗を感じる方々に、特に私は被害があると申し上げるつもりはないんですけれども、
誰といえども、自分たちの地域に放射性物質で汚染された可能性があるものが持ち込まれることは、
がれきですら、やはり非常に心理的な抵抗があるのが現実です。
ただ、放射性廃棄物の専門家の目で見れば、
がれきはその中でも本当に軽微なものですね。
ほとんど汚染の無いものも含まれている訳ですから。
ところがそれですらこれほど強い社会的な拒否の気持ちが動く。
これから出てくる放射性廃棄物というのは、
もっともっと、大変な放射性廃棄物が出てくる訳です。
たとえば福島で汚染水を処理すると、極めて高放射能の廃棄物が今どんどん溜まっています。
あの解体をやると、外側の解体した建屋も汚染は結構していると思います。
いやそれ以上に、
最後の本丸の福島の原発、メルトダウンを起こした3つの原発というのは、
そのまま、世界に存在する高レベル廃棄物の中で、
最も扱いにくい厄介な高レベル廃棄物です。
それがいずれ出てきます。
そして今ご質問の使用済み燃料。
こういうものが、もっと非常に危険度の高いものが貯蔵に向かう訳です。
もう一回申し上げますが、
一番軽微なものも貯蔵施設ですら今、日本中で受け入れるところがなかなか無い。
その事で政策が行き詰る。
私は「パンドラの箱を開けてしまった」と最初の本で申し上げましたが、
これは誇張ではないです。
パンドラの箱を開けてしまったがゆえに、これから次々と難しい問題が飛び出してきます。
それがこの放射性廃棄物の処分以前に、
貯蔵の場所すら見つからないという問題がこれから次々と出てきます。
この問題にどう処するかという事ですね。
あの、あえてもう一言付け加えれば、これは、解決策というのは、
政府が強権を発動して、「どこどこの地域」とやるわけにはいかない。
これはおそらく政策論的にはですね、一度国民的な議論にしっかりと付するしかないと思います。
つまり我々は放射性廃棄物がやっぱり近くに貯蔵したりする事は、
やっぱり誰といえども抵抗がありますが、
本当は我々がこうやって電力を使ってきた結果として生まれているものでもあります。
もちろん、
「原発推進は政府が勝手にやったんだろう」とか、
「電力が勝手にやったんだろう」という心情を持たれる方もういらっしゃるかもしれませんが、
現実に社会全体として原発を進めることによって生まれてきた廃棄物ですから、
国民全体として、この最後の貯蔵という負担をどう分かち合うかという議論からはじめないと、
あの、なにが起こるか?と言えば、
今存在しているところから動かせない。
従って、存在しているところが貯蔵場所、
最悪の場合は処分場所になって行くというような話になっていってしまうと思います。
その事も含めて、先程国民の意識の成熟が問われる問題が今目の前にあると申し上げた訳です。
核廃棄物の貯蔵
質問:
プレジデン社の石井と申します。
時間の猶予はどれ程ありますか?という質問です。
どこに貯蔵するか、国民的議論に付するしかないと先程田坂先生はおっしゃいました。
その議論によって、どこに貯蔵するという事を決めるまでの、時間的な余裕というのは、
我々に果たしてどの位あるのか?という、
時間的余裕というものがどれ位あるのかという事に関してお伺いしたいと思います。
田坂広志:
これもいいご質問だと思います。あの…ただ、まず理解すべきは、
今ですね、行政とか政策が動かない理由は何か?という事から申し上げたいと思うんですが、
政策がうまく動かない理由というのは、その…
原子力に於いて最も大切なものは何か?という事を行政が理解していないからです。
たとえば行政の方に
「原子力にとって大切なものは何ですか?」と聞くと、必ず二つの事をおっしゃいます。
「安全です」そして「安心です」と。
確かにその通りなんですが、実はもっと大切なものがあります。
「信頼」ですね。
つまり、どれほど日本の行政が、もしくは私が仮に、
「みなさん安全ですから、そして安心して下さい」って言っても、
この行政もしくはそれを言っている識者の田坂が信用できないとなればですね、
信頼できないとなった瞬間に物事は一歩も動きません。
つまりこれを裏返して言うとですね、
政府としてある期間、
「国民のみなさん、今政策を進めていますのでお待ちください」という事が言えれば、
この期間は多少取れます。
ところがですね、この政府に対する信頼が無いとですね、
地元住民の方からすれば
「今すぐ何とかしろ」
「すぐに持ってけ、撤去しろ」という、
このたぐいのやはり非常に厳しい反応が出てくる可能性が非常に高くなります。
従って私はもう1年半前から申し上げているのは、
「今、行政が絶対にやらなければならない事は信頼の回復だ」と、
「これ抜きには一歩も進まない」と申し上げています。
いまの石井さんのご質問に対して、少し違った角度のお答えになってしまうかもしれませんが、
たとえば私が行政の責任者で、
「この貯蔵施設を作るのに10年はやはり必要だ」と、仮に思ったとしてもですね、
問題はその10年待っていただけるか?という事なんです。
それを本当にお願いして、国民なり地域の住民の方に
「こういう手順で進めていきますので10年間お待ちください」
これは仮に30年でも結構です。
それを納得していただくためには、この政府は、
「責任を持ってこの約束を守る」とか、
「言っていることに裏と表が無い」とか、
「国民の命と安全を一番重視して考えてくれている」と、
これは
「間違っても産業界の意向に沿って、虜となって動いている訳ではない」
という事がしっかりと理解された時に、
こういう国民、もしくは住民の方々との話し合いが、比較的円滑に進む可能性があるわけです。
したがって、
とは言っても100年というオーダーで私は当然ないと思いますから、
10年とか30年とかというオーダーの中で、どれ位
地域の住民そして国民との、行政の間で合意ができるか、
このあたりがポイントであろうと思います。
ただし、福島の原発の廃炉だけでも、私は30年でもとても無理、
あれは普通の廃炉とは全く違う概念ですので、
高レベル廃棄物のかたまりをどうするか?という問題ですので、
その問題だけ見ても数10年、50年近い歳月は、最初から覚悟せざるを得ないです。
どこまでの猶予という意味が、テーマごとに違ってきますけれども、
そのことを付け加えておきたいと思いますが。
処分に関して国民的議論を巻き起こすには?
質問:
東電株主代表訴訟のHorie Tetuoと申します。
今まで原発推進という事でやっていけば、推進すれば自然に止まるだろうというような事で、
さきほど、最初にありましたように、使用済み燃料をどう処理するか、
この事の論議というものが出てくれば、自然的に原発は止まるだろうというふうな話しがありましたけれども、
問題は、この使用済み燃料をどうするか?というこの論議をどうやってやって、その遡上に乗せるのか?
国民的論議にするのか?という事は、「なかなか今の状態の中ではない」というふうに思っておりますので、
たとえばですね、「東京に使用済み燃料を持ってくる」とかというような、
極端な意味で、「推進する意味でこういう事が必要ですよ」というふうな何かていぜい的なものを、
何か案があって論議を巻き起こすものっていうんですか?
そういうものが何か、こう、お考えになる部分というものは無いでしょうか?
田坂広志:
これもいいご質問を頂きましたので、やはりお答しますが、
さきほど申し上げたように使用済み燃料というのは、
一回、「国民一人一人の問題なんだ」というようなですね、
その意識の流れを作らないと、なんか、
「うちはとにかく引き受けたくない」とみんなが言いだすとですね、
「たまたま今存在している地域にずっと押し付けることになる」という、
これはやはりやるべきではないんですね。
「東京に使用済み燃料」というのは、なかなか刺激的な言葉ですが、
そこまで明瞭な言い方でないにしても、
我々が電力の恩恵によくした結果発生している使用済み燃料については、
電力の消費の量に、過去の、
消費の量で、ある意味案分した形で、
正確に言うと原発に依存した電力の消費の量に案分した形で、
「それぞれの地方自治体が責任を持って対応すべきだ」というような政策論は私はあり得ると思います。
ただしそれは間違っても全ての県が具体的に何本ずつ持つという事ではありませんが、
そういう政策論から始まって、それぞれの自治体が、
じゃあ、その使用済み燃料を最終的にどうするか?ということで、
地方自治体ごとのまたいろんな議論をしていただくというプロセスを、
私は一回やるべきだと思います。
そうしないと、たまたま受け入れてない県だけは、都道府県は、
「うちはとにかく受け入れたくない」の1点張りで行けば、
この話は非常にイージーに、その県にとっては解決できますので、
従って場合によっては法律制度的に、
使用済み燃料については、全ての恩恵をよくした国民、そして自治体が、
「責任を持ってその最終的な貯蔵あり処分の問題を検討するというような考え方を出すことは、
私は考え方としては「あり」だと思います。
ただしそれを今直ちにやることは相当なパニックになりますので、
あくまでも政策論的な基本的な考えとして申し上げておきます。
もうひとつはですね、もっと具体的なレベルで申し上げると、
この今の原子力委員会そのものを今後どうしていくか?
原子力安全委員会は規制委員会に変わりましたので、とりあえずはひとつ区切りがついていますが、
原子力を推進する立場の原子力委員会が、
今後どういう組織になっていくか?
無くなるか?という議論が出てきます。
このあたりの文脈の中で、是非メディアの方にお願いしたいのは、
「原子力の推進計画」と呼ばれるものの中に、
必ずこの使用済み燃料の最終処分を含めたものを持って、推進なり利用計画と呼ぶんだという事を
常識として広げていただきたいという事です。
今まではその部分だけは「地層処分やります」の1行で終わりですので、
それに対して真っ向おっしゃっていただいたのが、学術会議。
これは明確な国の機関です。
正確には公的なオーソリティーですね。
そしてこの方々は政府からの正式の諮問に応じてですね、報告書を提出したわけですから、
これはどこかの学者の方々が集まって、なんとなく私的研究でやったわけではありませんから、
これを正面から政府が受け止めて、
「地層処分ができない」という前提で、
「どうするんですか?」という事を今後の原子力を仮にしばらく利用するにしてもですね、
その計画の中に入れるべきだと。
入って無いものは計画とは呼ばないと。
この国民的な議論を起こさせることかと思います。
1.望まない被ばく「今後何十年と極めて重い心の重荷を背負う事になる」
質問:
放射能の人間に対する影響という問題なんですが、
今現在、肉体的・精神的両面にわたって、
様々な苦悩、苦痛というものがあるという事が伝わってきています。
低線量被ばくとか、内部被ばく被害、
そういうものが公には認められていない現状がありまして、
避難勧奨地域というような形で、
線量が高いという事も認められない状態のまま汚染地域にいる福島の人達、
それから福島以外の東京にもそのような場所がありますが、
そういう人たちの苦悩、それを救う道というのはあるんでしょうか?
その辺をお聞きしたいです。
田坂広志:
これも本当に深く大切なご質問だと思うんですね。
で、あの、これほど多くの方がいろいろな検討をされて、
なかなかに、あの…
福島の方々を始めですね、被害を受けられた方々の苦しみというものがなくならない訳ですから、
何かうまい妙案があるという事は当然申し上げられない訳です。
ただ、一つ私は、政府と行政がしっかりと理解すべきことがあると思っています。
つまりその苦悩というものが存在し、それがどういうものなのか?という認識が、
私は残念ながら「甘い」と思います。
というのはですね、
この福島で放射性物質が環境中に広まって、量のレベルは、高は別としても、
「被ばくをされた方々の被害とは一体何なのか?」という事がですね、
極めて狭い範囲でしか議論されていないんですね。
それは何なのか?と言うと、
基本的には健康的被害というレベルでしか議論されない訳です。
健康的被害というのは、分かりやすく言えば、
「これ位、なんミリシ-ベルト浴びたから、これ位浴びると将来どの位癌になる可能性があるか」とかですね、
もしくは「基準から見て十分に低い」とか、
基準から見て「無視していいレベル」だとかといういろんな議論があるわけです。
この議論の基本はどこまでも
「健康被害は起こりませんよ」とか、
「いや起こるんじゃないか」というところで議論している訳です。
ところがですね、
実は福島の方々の受けている被害というのは、
もちろんこの後健康被害が出るかでないか、これはもう本当に、
このあと我々は本当に祈るような思いで見守ることになるわけですけが、
実は健康被害だけではないんです。
心理的被害があるという事を私はずっと申し上げているんです。
それはどういう事か?と言うとですね、
基準値より下であろうがなんであろうが、
自分の意図せざる、そして全く、受け入れるつもりなど全くない被ばくを受けた方にとってですね、
それから後の何十年というのは、極めて重い心の重荷を背負う事になるんです。
この意味が分かる方が、残念ながら行政の方に少ないような気がします。
政治家の方にも少ないような気がします。
むしろ、
「今基準以下なんだからそんなに騒がない方がいい」
「これ位の基準では発がんは起こらないよ」と、
「さぁ、大丈夫なんだ」って、
「あんまりそういう事を言うもんじゃない」という、
こういう議論があります。
一面の一つの考えではあるんですけれども、
私のささやかな経験をあえて申し上げます。
私は若いころ、自分自身が意図して、つまり自分が求めて原子力の研究に携わった人間です。
そして私は研究者の時代はずーっと放射性物質を扱っています。
ただし、
放射線管理の手帳も持ち、
毎日きちっと線量を測りですね、
そして管理区域と呼ばれるしっかりと管理されたところで、
性質もよく分かった放射性物質を扱って、何がしかの被ばくをしています。
これも国内法の基準とICRPの基準から見ても十分に無視できるほどの、
無視とは言いませんけれども、許容できるレベルの被ばくです。
そして私はその分野の専門家です。
放射線健康管理学を、つまり放射線管理をやるのを専門にした人間ですから。
その専門家の立場で、私は若い頃に被曝をして、
実はそれから10数年たって、放射線被ばくが原因となっても起こり得る病気、
大体お分かりになると思いますが、…に罹ったんですね。
その瞬間に私はやっぱり…ものすごい辛い…心の、その、苦しみの経験があるんです。
私は誰よりも、そういう被ばくがどれ位人体に影響を与えるかについては良く、
一番よく分かっている人間です。
そしてその理性の方は、
「これ位の被ばくで、そんな病気になる筈はない」という事も分かるし、
「それが起こるとしても確率は非常に低い」と思うんです。
でも現実に病気になった瞬間には、やっぱり人間というのは
「あれが原因じゃないか」と思って苦しむんです。
しかし私の場合は自分で、その…分かって被ばくした人間です。
しかも管理区域で、放射線現場で線量までしっかり確認した人間ですよね。
福島の方は、全く管理などされていない、突然放出された量も分からない放射性物質で、
自分で意図せず、好むことを全く、好んでやったわけではないんです。
むしろ逃げようと思って被ばくしてしまっているわけです。
どれ位被ばくしたかの記録も残ってない。
ただ被曝したという事だけが非常に明瞭に出てくる。
それをいっくら基準値から見て、
「これ位ですから大丈夫です」と言われてもですね、
もちろんそれはしっかりと示して差し上げるべきだと思いますよ。
きちっと分かっている情報は伝えて差し上げるべきだし、
それが医学的に見てどれ位のリスクかは、それも正確に伝えて差し上げるべきですが、
間違っても、
「あなた基準値がこれ位だから発がんの確率は非常に低いですから心配しなくてもいい」と言って
済ませられる話では、本当は無いんです。
どうしてか?と言えば、
我々ここにいらっしゃる方も含めて、
これから数10年間の間に3人に1人は、あの…癌になられる訳ですね。
あの…癌で亡くなられる訳です。
そうするとですね、皆さん考えてみて下さい。
今、無用の被ばくをされて、そして
「基準値以下ですよ」と言われたとしてもですね、
何十年か先に癌になった時に、人間は必ずその事で苦しみます。
もちろんみなさんレントゲンも受けていらっしゃいますから
被ばくで言えばそっちの方が多いかもしれませんが、
人間の心理というのは、
自分で受け入れたリスクについては比較的心が許容してしまうんです。
でむしろ、
仮に私が突然皆さんにある状態で被爆をね、するような状況にしてしまった時に、
「俺はこんな被ばくはしたくなかった」という思いがあるときは、一番辛いです。
やはり人間ってそういうものですよね。
自分で受け入れたリスクの結果出てきたものというのは
比較的人生の中で心が受け入れることができるんですが、
受け入れたくなかったものが自分にリスクをもたらしたのではないか?
健康被害になったのではないか?と思う時の苦しさというものがあります。
もちろんこの事を申し上げたからと言って、解決策を申し上げている訳ではないんです。
ただですね、私はやはり、
「福島の方々の、まさにこの苦しみという事に対してどう思うか?」という質問を頂いたとすればですね、
まずその、心の苦しみ、
心理的な被害というものを深く受け止めるというところから行政はスタートするべきだと思います。
これは、今のご質問に対する一番大切な私のお答えです。
2.放射性廃棄物「国民の意識の成熟が問われる問題
質問:
今伺ったように
原発ゼロ社会とは選択の問題ではなく、不可避の現実であるという、
そういう事実の前で、これから日本は何をしなければいけないんでしょうか?
高レベル放射性廃棄物、使用済み燃料というのを、どうしたらよろしいんでしょうか?
田坂広志:
これも本当に重要なご質問なので、少し丁寧に申し上げるとですね、
これは直ちに非常に難しい現実に直面する訳です。
たとえば先程の学術会議の提言をふまえて、
「その通りだ」と考えて「長期貯蔵をやろう」と、
もしくは「暫定保管」という言葉も同じなんですけれど、
で、そこまでは仮に政府が方針を定めることはできるとは思うんです。やろうと思えば。
問題はその「長期保存の施設をどこにつくるか?」なんです。
「暫定保管施設」を。
これはもう極めて大きな現実的な問題にすぐに直面します。
つまり一般政策論としては長期保存します、100年でもやりますという事は簡単に言えるんですが、
じゃあどの地域に作るか?となった時に、
皆さんは今もうすでに、がれきの搬入ですらですね、
日本全国の地域の方々が、やはり非常に抵抗がありますね。
この抵抗を感じる方々に、特に私は被害があると申し上げるつもりはないんですけれども、
誰といえども、自分たちの地域に放射性物質で汚染された可能性があるものが持ち込まれることは、
がれきですら、やはり非常に心理的な抵抗があるのが現実です。
ただ、放射性廃棄物の専門家の目で見れば、
がれきはその中でも本当に軽微なものですね。
ほとんど汚染の無いものも含まれている訳ですから。
ところがそれですらこれほど強い社会的な拒否の気持ちが動く。
これから出てくる放射性廃棄物というのは、
もっともっと、大変な放射性廃棄物が出てくる訳です。
たとえば福島で汚染水を処理すると、極めて高放射能の廃棄物が今どんどん溜まっています。
あの解体をやると、外側の解体した建屋も汚染は結構していると思います。
いやそれ以上に、
最後の本丸の福島の原発、メルトダウンを起こした3つの原発というのは、
そのまま、世界に存在する高レベル廃棄物の中で、
最も扱いにくい厄介な高レベル廃棄物です。
それがいずれ出てきます。
そして今ご質問の使用済み燃料。
こういうものが、もっと非常に危険度の高いものが貯蔵に向かう訳です。
もう一回申し上げますが、
一番軽微なものも貯蔵施設ですら今、日本中で受け入れるところがなかなか無い。
その事で政策が行き詰る。
私は「パンドラの箱を開けてしまった」と最初の本で申し上げましたが、
これは誇張ではないです。
パンドラの箱を開けてしまったがゆえに、これから次々と難しい問題が飛び出してきます。
それがこの放射性廃棄物の処分以前に、
貯蔵の場所すら見つからないという問題がこれから次々と出てきます。
この問題にどう処するかという事ですね。
あの、あえてもう一言付け加えれば、これは、解決策というのは、
政府が強権を発動して、「どこどこの地域」とやるわけにはいかない。
これはおそらく政策論的にはですね、一度国民的な議論にしっかりと付するしかないと思います。
つまり我々は放射性廃棄物がやっぱり近くに貯蔵したりする事は、
やっぱり誰といえども抵抗がありますが、
本当は我々がこうやって電力を使ってきた結果として生まれているものでもあります。
もちろん、
「原発推進は政府が勝手にやったんだろう」とか、
「電力が勝手にやったんだろう」という心情を持たれる方もういらっしゃるかもしれませんが、
現実に社会全体として原発を進めることによって生まれてきた廃棄物ですから、
国民全体として、この最後の貯蔵という負担をどう分かち合うかという議論からはじめないと、
あの、なにが起こるか?と言えば、
今存在しているところから動かせない。
従って、存在しているところが貯蔵場所、
最悪の場合は処分場所になって行くというような話になっていってしまうと思います。
その事も含めて、先程国民の意識の成熟が問われる問題が今目の前にあると申し上げた訳です。
核廃棄物の貯蔵
質問:
プレジデン社の石井と申します。
時間の猶予はどれ程ありますか?という質問です。
どこに貯蔵するか、国民的議論に付するしかないと先程田坂先生はおっしゃいました。
その議論によって、どこに貯蔵するという事を決めるまでの、時間的な余裕というのは、
我々に果たしてどの位あるのか?という、
時間的余裕というものがどれ位あるのかという事に関してお伺いしたいと思います。
田坂広志:
これもいいご質問だと思います。あの…ただ、まず理解すべきは、
今ですね、行政とか政策が動かない理由は何か?という事から申し上げたいと思うんですが、
政策がうまく動かない理由というのは、その…
原子力に於いて最も大切なものは何か?という事を行政が理解していないからです。
たとえば行政の方に
「原子力にとって大切なものは何ですか?」と聞くと、必ず二つの事をおっしゃいます。
「安全です」そして「安心です」と。
確かにその通りなんですが、実はもっと大切なものがあります。
「信頼」ですね。
つまり、どれほど日本の行政が、もしくは私が仮に、
「みなさん安全ですから、そして安心して下さい」って言っても、
この行政もしくはそれを言っている識者の田坂が信用できないとなればですね、
信頼できないとなった瞬間に物事は一歩も動きません。
つまりこれを裏返して言うとですね、
政府としてある期間、
「国民のみなさん、今政策を進めていますのでお待ちください」という事が言えれば、
この期間は多少取れます。
ところがですね、この政府に対する信頼が無いとですね、
地元住民の方からすれば
「今すぐ何とかしろ」
「すぐに持ってけ、撤去しろ」という、
このたぐいのやはり非常に厳しい反応が出てくる可能性が非常に高くなります。
従って私はもう1年半前から申し上げているのは、
「今、行政が絶対にやらなければならない事は信頼の回復だ」と、
「これ抜きには一歩も進まない」と申し上げています。
いまの石井さんのご質問に対して、少し違った角度のお答えになってしまうかもしれませんが、
たとえば私が行政の責任者で、
「この貯蔵施設を作るのに10年はやはり必要だ」と、仮に思ったとしてもですね、
問題はその10年待っていただけるか?という事なんです。
それを本当にお願いして、国民なり地域の住民の方に
「こういう手順で進めていきますので10年間お待ちください」
これは仮に30年でも結構です。
それを納得していただくためには、この政府は、
「責任を持ってこの約束を守る」とか、
「言っていることに裏と表が無い」とか、
「国民の命と安全を一番重視して考えてくれている」と、
これは
「間違っても産業界の意向に沿って、虜となって動いている訳ではない」
という事がしっかりと理解された時に、
こういう国民、もしくは住民の方々との話し合いが、比較的円滑に進む可能性があるわけです。
したがって、
とは言っても100年というオーダーで私は当然ないと思いますから、
10年とか30年とかというオーダーの中で、どれ位
地域の住民そして国民との、行政の間で合意ができるか、
このあたりがポイントであろうと思います。
ただし、福島の原発の廃炉だけでも、私は30年でもとても無理、
あれは普通の廃炉とは全く違う概念ですので、
高レベル廃棄物のかたまりをどうするか?という問題ですので、
その問題だけ見ても数10年、50年近い歳月は、最初から覚悟せざるを得ないです。
どこまでの猶予という意味が、テーマごとに違ってきますけれども、
そのことを付け加えておきたいと思いますが。
処分に関して国民的議論を巻き起こすには?
質問:
東電株主代表訴訟のHorie Tetuoと申します。
今まで原発推進という事でやっていけば、推進すれば自然に止まるだろうというような事で、
さきほど、最初にありましたように、使用済み燃料をどう処理するか、
この事の論議というものが出てくれば、自然的に原発は止まるだろうというふうな話しがありましたけれども、
問題は、この使用済み燃料をどうするか?というこの論議をどうやってやって、その遡上に乗せるのか?
国民的論議にするのか?という事は、「なかなか今の状態の中ではない」というふうに思っておりますので、
たとえばですね、「東京に使用済み燃料を持ってくる」とかというような、
極端な意味で、「推進する意味でこういう事が必要ですよ」というふうな何かていぜい的なものを、
何か案があって論議を巻き起こすものっていうんですか?
そういうものが何か、こう、お考えになる部分というものは無いでしょうか?
田坂広志:
これもいいご質問を頂きましたので、やはりお答しますが、
さきほど申し上げたように使用済み燃料というのは、
一回、「国民一人一人の問題なんだ」というようなですね、
その意識の流れを作らないと、なんか、
「うちはとにかく引き受けたくない」とみんなが言いだすとですね、
「たまたま今存在している地域にずっと押し付けることになる」という、
これはやはりやるべきではないんですね。
「東京に使用済み燃料」というのは、なかなか刺激的な言葉ですが、
そこまで明瞭な言い方でないにしても、
我々が電力の恩恵によくした結果発生している使用済み燃料については、
電力の消費の量に、過去の、
消費の量で、ある意味案分した形で、
正確に言うと原発に依存した電力の消費の量に案分した形で、
「それぞれの地方自治体が責任を持って対応すべきだ」というような政策論は私はあり得ると思います。
ただしそれは間違っても全ての県が具体的に何本ずつ持つという事ではありませんが、
そういう政策論から始まって、それぞれの自治体が、
じゃあ、その使用済み燃料を最終的にどうするか?ということで、
地方自治体ごとのまたいろんな議論をしていただくというプロセスを、
私は一回やるべきだと思います。
そうしないと、たまたま受け入れてない県だけは、都道府県は、
「うちはとにかく受け入れたくない」の1点張りで行けば、
この話は非常にイージーに、その県にとっては解決できますので、
従って場合によっては法律制度的に、
使用済み燃料については、全ての恩恵をよくした国民、そして自治体が、
「責任を持ってその最終的な貯蔵あり処分の問題を検討するというような考え方を出すことは、
私は考え方としては「あり」だと思います。
ただしそれを今直ちにやることは相当なパニックになりますので、
あくまでも政策論的な基本的な考えとして申し上げておきます。
もうひとつはですね、もっと具体的なレベルで申し上げると、
この今の原子力委員会そのものを今後どうしていくか?
原子力安全委員会は規制委員会に変わりましたので、とりあえずはひとつ区切りがついていますが、
原子力を推進する立場の原子力委員会が、
今後どういう組織になっていくか?
無くなるか?という議論が出てきます。
このあたりの文脈の中で、是非メディアの方にお願いしたいのは、
「原子力の推進計画」と呼ばれるものの中に、
必ずこの使用済み燃料の最終処分を含めたものを持って、推進なり利用計画と呼ぶんだという事を
常識として広げていただきたいという事です。
今まではその部分だけは「地層処分やります」の1行で終わりですので、
それに対して真っ向おっしゃっていただいたのが、学術会議。
これは明確な国の機関です。
正確には公的なオーソリティーですね。
そしてこの方々は政府からの正式の諮問に応じてですね、報告書を提出したわけですから、
これはどこかの学者の方々が集まって、なんとなく私的研究でやったわけではありませんから、
これを正面から政府が受け止めて、
「地層処分ができない」という前提で、
「どうするんですか?」という事を今後の原子力を仮にしばらく利用するにしてもですね、
その計画の中に入れるべきだと。
入って無いものは計画とは呼ばないと。
この国民的な議論を起こさせることかと思います。
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田坂:11/2質疑応答(2)
2012-11-05
今後の原子力の課題について 田坂広志 11/2 自由報道協会 質疑応答 書き起こし「kiikochan.blog」から
3.立地自治体>「地元の経済的自立を図るための政府の支援」
質問:
赤旗日曜版記者の三浦と申します。
使用済み核燃料の問題がもう解決できないという事であると、
六ヶ所の再処理工場はですね、当然すぐに注視するべきだという結論になるかと思うんですが、
そこら辺はいかがお考えでしょうか?
田坂広志:
これも重要な今回の政策論の中で話題になった事ですね、
まず、原発ゼロ社会がやってくる。
したがって、原発ゼロに向かって、
どう、社会に対するインパクトを最小にしながらそれを受け入れていくか?という話ですから、
元より再処理工場は核燃料サイクルそのものも必要ない。
従って再処理工場は止めるべきだというのはご指摘の通りだと思います。
で、あえて二つの事を申し上げたいと思います。
これが結局そうは言ってもしばらく再処理工場の存続を認めるような形になっていく理由は、
分かりやすく言えば、青森県の地元の方々、行政の方々が中心ですが、
やはりそこのお考えが強くあると思うんですね。
分かりやすく言えば、
「核燃料サイクルを止めるんであれば、
青森県が貯蔵している六ヶ所村の使用済み燃料を全部持って帰ってくれ」と。
これは決して異常なことはおっしゃっていないと思うんですね。
もともと、
「再処理をして核燃料サイクルをやりますから、ここは最終処分場にするわけではありません」と、
「ただただ貯蔵するための場所でもありません」
「再処理をするためのまさに保管施設としてお願いしています」という事は歴然たる事実ですから、
この青森県の方がおっしゃるこの考え方はもちろん間違っていない訳です。
ただですね、
現実にこの使用済み燃料を全てのサイトに戻すか?
今、全ての原発の使用済み燃料の貯蔵プールの満杯率が平均7割ぐらいまで来ていますね。
もうこのまま全部再稼働に向かったら、実は後6年位で満杯になると言われているわけです。
ですからこの状況の中で青森県がそういう事をおっしゃった状況でですね、
おそらく政府としては非常に苦渋の決断をせざるを得なかったと思うんですね。
で、あえてもうひとつ申し上げれば、その青森県のお立場というのは、
これは結構重要な問題なので、率直に申し上げますが、
ここまで原発立地自治体、もしくは原子力施設立地自治体というのは、
電源三法交付金というものがかなり自治体に落ちているわけです。
もちろんリスクと引き換えに受けたという面がありますから、
それはそれで一つの政策判断だったんですが、
その施設がなくなるという事は、その地元の利益の観点から見て、
やはり受け入れがたいという心理が今世の中にずーっとあるわけですね。
それを象徴するのが、たとえば大飯の再稼働の時に、
おおいの町と隣の小浜市で調査をやると、再稼動賛成反対でやると、ご存じのように、
おおい町は8割が賛成2割が反対。
すぐ隣の小浜市になると、ほとんど距離も変わらないんですが、これは2割が賛成8割が反対dえすね。
これに象徴されるように地元への電源三法交付金というものが存在して、
これにやっぱり依存して経済が成り立っている地域ですから、
ここで施設を止めることはいかにも耐えがたい。
この心理というものを我々は行政の観点から、私はしっかりと把握、理解するべきだと思います。
従って私が政府に提言したのは、
「脱原発交付金」に切り替えるべきだと。
つまり地元から突然経済的ななにかをですね、支援を取り払ってしまうというのは、
少しやはり極端な行政になってしまいます。
従って、原発、原子力施設を推進することによって地元が恩恵を受けるという形は持たれませんが、
脱原発に向かっての何年間かの期間限定で、地元への交付金は差し上げます。
従ってその交付金を使って、地元の経済的自立を可及的速やかに図って下さい。
そのための支援は政府として全面的にしますという政策論と抱き合わせでないと、
核燃料サイクル辞めました。
再処理工場やりません。
この地域ストップします。
従って交付金は落ちません。という事では、当然地元は非常に強い抵抗を示してくる。
その抵抗の仕方は今申し上げたように、論理としては非常にすっきりとしている論理ですね。
ですからそこの裏の部隊まで考えるとですね、少し深い政策論が求められるかと思います。
4.原子力の技術と輸出「原発ゼロ社会にすると原子力技術者がいなくなる?
質問:
ザ・プレスジャパンのSakurai Mayumiと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
除染事業について関連した質問なんですけれども、
除染作業に携わった作業員の方、あと、原発作業員の方が、
今後不足されると予想されているんですけれども、
不足された場合に先生はどのようにお考えなのでしょうか?
また、除染作業員とか原発作業員のケアについて、先生はどのようにお考えなのでしょうか?
田坂広志:
これも、この2冊目の本でそのテーマを取り扱いましたが、
あの、なにを申し上げたいかと言いますとね、
今世の中で出ている議論は、少し、ちょっと…錯綜した議論があります。
「原発ゼロ社会を目指すと原子力技術者がどんどんにいなくなってしまう」から、
「原発ゼロに向かうためのいろんな廃炉とかすらができなくなるじゃないか」
「だから原発は必要だ」という、
なんかちょっと論理的には詭弁論になってくるんですが、
この議論に対して私が明確にこの本で申し上げたのはですね、
原発技術者がいなくなることも無ければ、原発技術が必要無くなるという事もないです。
というのはですね、廃炉を仮に今、
極めて強い脱原発的な政権が生まれて、「一挙に廃炉にする」と、仮ににしても、
原発の廃炉というのはやっぱり数10年、最低でも30年かかるものです。
さらには日本には福島という原発の事故を起こしたものがありますので、
これの廃炉の作業というのは、さらにプラス数10年というオーダーが必要だと思います。
そして除染についても賽の河原の石包みのように永遠と続くわけです。
従ってですね、これもむしろ政府として、
「仕方なくやらなければならない技術だ」と思った瞬間に、
技術屋の方は気持ちで言えば「もう、何とも未来の無い産業だ」という事で去っていきます。
むしろ私はだからこそ、この本で申し上げたのは、
「原子力環境安全産業」と呼ばれるものを政府の方針で、世界でも最も優れた産業として育てるべきだ強調文と。
これが私のお答えです。
つまり、これから我々は原子力という物の持つ負の側面。
マイナスの側面もすべて払しょくしていくための営みを今からやらなければいけないわけです。
しかも世界でもいちばん難しい廃炉の技術まで、開発しなければならない立場に立っています。
これはある意味では、短期的に言えば非常に辛いことですが、
長期的に見れば、世界全体から見れば、必ず求められる技術ですね。
おそらく世界全体、まぁこれからまだまだ増やそうという国もあります。
たとえば、中国は100基のオーダーで、原発増設の計画、新設の計画がありますが、
お分かりのように日本は黄砂が飛んでくる国です。
従って、日本だけ脱原発やりましたでは、何も話は終わらない。
韓国で事故が起これば、玄海原発で事故を起こすのと同じような被害を受けます。
従って、我々の脱原発という考え方は、
いずれ遅かれ早かれ世界全体の、
この原子力の安全性をまずさらに高めるという事はまず第一歩。
ゆくゆくは脱原発に向かって
すべての国が向かっていくような事を支援するという産業と技術が必要になると思います。
したがってまず日本で、
これは全く必要に迫られて開発する技術でもありますけれど、
単に「やらざるを得ないからやる」という次元ではなく、
むしろ、今回の福島の事故を契機として、
世界で最も優れた「原子力環境安全産業」、
言葉を変えれば、原子力の負の側面を払拭していく産業を、
最高の技術を持った産業として育てていこう、
これを国際的な産業にしていこう、
これを海外でまだ原発推進なり、原発を取り込む国に対して、技術的な支援を
産業的な支援としてやっていこうという方針を打ち出されるべきです。
それをやれば技術者は、またそこに一つの大きな使命感を持たれて頑張っていかれると思いますし、
それは、必ず、日本だけではなく世界にも役に立つ産業になっていくと思いますが。
原発輸出
質問:
フリーランスのSimadaと申します、よろしくお願いいたします。
高レベル廃棄物というか、原発が今の日本、人類の技術ではそもそも無理筋だという中で、
たとえば、ベトナムが日本の原発を買いたいと、
日本としては購入する側がいるならば輸出するという方針だと思うんですけれども、
無理だとわかっていても輸出するという事に関しては、これはどう倫理的に判断すればいいでしょうか?
田坂広志:原発の建設の輸出ですね?
Simada:はい。
田坂広志:
原発を海外に輸出するという話ですね、
これは、これから本当にいろんな議論が出るテーマですね。
「日本が脱原発に向かうんだから、当然そんな危ないものを海外に輸出するべきではない」
というのも一つの考え方ですね。
でも、もうひとつの考え方は、
じゃあ、日本がそういう事の技術的な提供をしないでですね、ま、どこかの国がですよ、
たとえば一般論として申し上げますが、
かなりいい加減な技術でいい加減な原発をつくって事故を起こされた時、
「日本が被害を受けるじゃないか」という考え方もまた一理あるわけです。
従って私は、本当は細やかに理想論で申し上げればですね、
先程の「原子力環境安全産業」の中に、
非常に原発の安全性を高める、もしくは安全な原発技術というものも、私は含みこんでおいて、
それを提供することはありだ・ろ・う、とは、思ってます。
ただしこの議論をあまり軽々にしたくない理由があります。
それは何故かと言えば、こういう議論を出した瞬間に
「そうでしょ、だから日本で原発をやらなきゃいけない、やりましょう」というですね、
この話に流し込む方が、今はむしろ日本では極めて多いと思うんですね。
従って私はこの話はしばらくは、本当は凍結した状態で、先ほど申し上げたような方向に行くべき。
もっと分かりやすく言えばですね、
国民から見てこの政策を出した瞬間に、
「なんだ、結局輸出とか何とか言いながら原発存続の政策を密輸入しているのか」と、
その疑われる信頼感の無い政権である限りはやるべきではない。
逆に国民から見て、この政権はきちっと信念を持って、
しかも何年もかけて脱原発に向かって動いてくれるという、そういう政権であれば、
そういう議論をテーブルに載せて、
「国民のみなさん、こういう考えのもとで海外に対する支援を行う事をいかがでしょうか?」という議論は
スタートし得ると思います。
ただし、日本は政権が実に短期間で代わる国だという事を考えると、
あえて申し上げれば二つの事はしっかりとやっておくべきだと思います。
一つは脱原発の政策について、本当にその方向で行くんなら、
政府はもちろん、その事をしっかりとやってもらいたいですが、
脱原発基本法のようなものをしっかりと定めてですね、
政権が代わっても法律的にそこが縛られているという仕組み。
もうひとつは、国民投票です。
国民投票というのは今は日本の制度では法的にきちっと整備されていませんが、
やはりこのシングリッシュで国民に方針を決めていただくという制度を日本に導入しておかないとですね、
やはり総選挙のようなものがシングリッシュで戦う事は必ずしも健全な形ではありません。
私は、こういうテーマについては、国民投票。
これは海外でも国民投票は随分原子力に関してやっていますので、
日本も、こういう形で国民が一つの歯止めを刺しておくという事ができる仕組みを作るべきだと思います。
政権が代わっただけで、もしくは総理が代わっただけで、政策が変わるという状態では、
わたしは、あまり、あの…危なくて、
そういう政策論について踏み込んだ議論はするべきではないと思っています。
質問:
フリーランスのHiroseと申します、よろしくお願いいたします。
先生は ごいへいわぐらんど というところで何度か講演をされていてですね、そこで、
「原子力という技術体験は人類にとって不要か?と問われれば答えは慎重です。
なぜなら私は人類に与えられるもの全てに意味があり、
その意味を深く考えることによって人類は成長し、成熟していくと思うからです。
その歴史的スケールで見るならば、原子力も人類に与えられた一つの英知なのでしょう」
というご発言があるのですが、
では、先生がお考えになられる原子力の有効利用というものがあるとするならば、
いったいどういうものなのか教えていただきたいてもよろしいでしょうか?
田坂広志:
あの、その発言はもちろん今も同じ考えです。
むしろですね、原子力については私は、仮にここで人類全体が脱原発に向かったとしてですね、
仮に300年先に何かのまた、人類全体が置かれている環境の変化が起こった時に、
人類の英知からすれば原子力というものはですね、
その気になれば技術としては、私はそれほど難しくない回復なり、
また、再利用ができると思っているんです。
ただですね、私が今の時代に非常に強く原子力のイージーな推進に反対する理由は、
先ほど申し上げた、人為的組織的制度的文化的な問題が、解決できないからです。
もっと分かりやすく言えば、
この非常にリスクの高い技術体系を見事に使いこなして見られるほどですね、
人類というのは本当にかしこい社会を作っているのか?と。
この根本的な問いが今あります。
少なくても福島を見て、私は人類社会というのは、
これはもう具体的に見ても、いまの行政の在り方も産業の在り方も、資本主義のあり方も含めて、
私はこの極めて巨大なリスクを持った技術体系を使いこなせるほどには賢くない。
ただしその事を持って、
「この原子力という技術が人類の未来永劫、全く意味を持たないか?」と問われれば、
「それは分からない」としかお答えしようがないです。
従って、具体的な方策・運用云々という文脈のところの発言ではありません。
3.立地自治体>「地元の経済的自立を図るための政府の支援」
質問:
赤旗日曜版記者の三浦と申します。
使用済み核燃料の問題がもう解決できないという事であると、
六ヶ所の再処理工場はですね、当然すぐに注視するべきだという結論になるかと思うんですが、
そこら辺はいかがお考えでしょうか?
田坂広志:
これも重要な今回の政策論の中で話題になった事ですね、
まず、原発ゼロ社会がやってくる。
したがって、原発ゼロに向かって、
どう、社会に対するインパクトを最小にしながらそれを受け入れていくか?という話ですから、
元より再処理工場は核燃料サイクルそのものも必要ない。
従って再処理工場は止めるべきだというのはご指摘の通りだと思います。
で、あえて二つの事を申し上げたいと思います。
これが結局そうは言ってもしばらく再処理工場の存続を認めるような形になっていく理由は、
分かりやすく言えば、青森県の地元の方々、行政の方々が中心ですが、
やはりそこのお考えが強くあると思うんですね。
分かりやすく言えば、
「核燃料サイクルを止めるんであれば、
青森県が貯蔵している六ヶ所村の使用済み燃料を全部持って帰ってくれ」と。
これは決して異常なことはおっしゃっていないと思うんですね。
もともと、
「再処理をして核燃料サイクルをやりますから、ここは最終処分場にするわけではありません」と、
「ただただ貯蔵するための場所でもありません」
「再処理をするためのまさに保管施設としてお願いしています」という事は歴然たる事実ですから、
この青森県の方がおっしゃるこの考え方はもちろん間違っていない訳です。
ただですね、
現実にこの使用済み燃料を全てのサイトに戻すか?
今、全ての原発の使用済み燃料の貯蔵プールの満杯率が平均7割ぐらいまで来ていますね。
もうこのまま全部再稼働に向かったら、実は後6年位で満杯になると言われているわけです。
ですからこの状況の中で青森県がそういう事をおっしゃった状況でですね、
おそらく政府としては非常に苦渋の決断をせざるを得なかったと思うんですね。
で、あえてもうひとつ申し上げれば、その青森県のお立場というのは、
これは結構重要な問題なので、率直に申し上げますが、
ここまで原発立地自治体、もしくは原子力施設立地自治体というのは、
電源三法交付金というものがかなり自治体に落ちているわけです。
もちろんリスクと引き換えに受けたという面がありますから、
それはそれで一つの政策判断だったんですが、
その施設がなくなるという事は、その地元の利益の観点から見て、
やはり受け入れがたいという心理が今世の中にずーっとあるわけですね。
それを象徴するのが、たとえば大飯の再稼働の時に、
おおいの町と隣の小浜市で調査をやると、再稼動賛成反対でやると、ご存じのように、
おおい町は8割が賛成2割が反対。
すぐ隣の小浜市になると、ほとんど距離も変わらないんですが、これは2割が賛成8割が反対dえすね。
これに象徴されるように地元への電源三法交付金というものが存在して、
これにやっぱり依存して経済が成り立っている地域ですから、
ここで施設を止めることはいかにも耐えがたい。
この心理というものを我々は行政の観点から、私はしっかりと把握、理解するべきだと思います。
従って私が政府に提言したのは、
「脱原発交付金」に切り替えるべきだと。
つまり地元から突然経済的ななにかをですね、支援を取り払ってしまうというのは、
少しやはり極端な行政になってしまいます。
従って、原発、原子力施設を推進することによって地元が恩恵を受けるという形は持たれませんが、
脱原発に向かっての何年間かの期間限定で、地元への交付金は差し上げます。
従ってその交付金を使って、地元の経済的自立を可及的速やかに図って下さい。
そのための支援は政府として全面的にしますという政策論と抱き合わせでないと、
核燃料サイクル辞めました。
再処理工場やりません。
この地域ストップします。
従って交付金は落ちません。という事では、当然地元は非常に強い抵抗を示してくる。
その抵抗の仕方は今申し上げたように、論理としては非常にすっきりとしている論理ですね。
ですからそこの裏の部隊まで考えるとですね、少し深い政策論が求められるかと思います。
4.原子力の技術と輸出「原発ゼロ社会にすると原子力技術者がいなくなる?
質問:
ザ・プレスジャパンのSakurai Mayumiと申します。どうぞよろしくお願いいたします。
除染事業について関連した質問なんですけれども、
除染作業に携わった作業員の方、あと、原発作業員の方が、
今後不足されると予想されているんですけれども、
不足された場合に先生はどのようにお考えなのでしょうか?
また、除染作業員とか原発作業員のケアについて、先生はどのようにお考えなのでしょうか?
田坂広志:
これも、この2冊目の本でそのテーマを取り扱いましたが、
あの、なにを申し上げたいかと言いますとね、
今世の中で出ている議論は、少し、ちょっと…錯綜した議論があります。
「原発ゼロ社会を目指すと原子力技術者がどんどんにいなくなってしまう」から、
「原発ゼロに向かうためのいろんな廃炉とかすらができなくなるじゃないか」
「だから原発は必要だ」という、
なんかちょっと論理的には詭弁論になってくるんですが、
この議論に対して私が明確にこの本で申し上げたのはですね、
原発技術者がいなくなることも無ければ、原発技術が必要無くなるという事もないです。
というのはですね、廃炉を仮に今、
極めて強い脱原発的な政権が生まれて、「一挙に廃炉にする」と、仮ににしても、
原発の廃炉というのはやっぱり数10年、最低でも30年かかるものです。
さらには日本には福島という原発の事故を起こしたものがありますので、
これの廃炉の作業というのは、さらにプラス数10年というオーダーが必要だと思います。
そして除染についても賽の河原の石包みのように永遠と続くわけです。
従ってですね、これもむしろ政府として、
「仕方なくやらなければならない技術だ」と思った瞬間に、
技術屋の方は気持ちで言えば「もう、何とも未来の無い産業だ」という事で去っていきます。
むしろ私はだからこそ、この本で申し上げたのは、
「原子力環境安全産業」と呼ばれるものを政府の方針で、世界でも最も優れた産業として育てるべきだ強調文と。
これが私のお答えです。
つまり、これから我々は原子力という物の持つ負の側面。
マイナスの側面もすべて払しょくしていくための営みを今からやらなければいけないわけです。
しかも世界でもいちばん難しい廃炉の技術まで、開発しなければならない立場に立っています。
これはある意味では、短期的に言えば非常に辛いことですが、
長期的に見れば、世界全体から見れば、必ず求められる技術ですね。
おそらく世界全体、まぁこれからまだまだ増やそうという国もあります。
たとえば、中国は100基のオーダーで、原発増設の計画、新設の計画がありますが、
お分かりのように日本は黄砂が飛んでくる国です。
従って、日本だけ脱原発やりましたでは、何も話は終わらない。
韓国で事故が起これば、玄海原発で事故を起こすのと同じような被害を受けます。
従って、我々の脱原発という考え方は、
いずれ遅かれ早かれ世界全体の、
この原子力の安全性をまずさらに高めるという事はまず第一歩。
ゆくゆくは脱原発に向かって
すべての国が向かっていくような事を支援するという産業と技術が必要になると思います。
したがってまず日本で、
これは全く必要に迫られて開発する技術でもありますけれど、
単に「やらざるを得ないからやる」という次元ではなく、
むしろ、今回の福島の事故を契機として、
世界で最も優れた「原子力環境安全産業」、
言葉を変えれば、原子力の負の側面を払拭していく産業を、
最高の技術を持った産業として育てていこう、
これを国際的な産業にしていこう、
これを海外でまだ原発推進なり、原発を取り込む国に対して、技術的な支援を
産業的な支援としてやっていこうという方針を打ち出されるべきです。
それをやれば技術者は、またそこに一つの大きな使命感を持たれて頑張っていかれると思いますし、
それは、必ず、日本だけではなく世界にも役に立つ産業になっていくと思いますが。
原発輸出
質問:
フリーランスのSimadaと申します、よろしくお願いいたします。
高レベル廃棄物というか、原発が今の日本、人類の技術ではそもそも無理筋だという中で、
たとえば、ベトナムが日本の原発を買いたいと、
日本としては購入する側がいるならば輸出するという方針だと思うんですけれども、
無理だとわかっていても輸出するという事に関しては、これはどう倫理的に判断すればいいでしょうか?
田坂広志:原発の建設の輸出ですね?
Simada:はい。
田坂広志:
原発を海外に輸出するという話ですね、
これは、これから本当にいろんな議論が出るテーマですね。
「日本が脱原発に向かうんだから、当然そんな危ないものを海外に輸出するべきではない」
というのも一つの考え方ですね。
でも、もうひとつの考え方は、
じゃあ、日本がそういう事の技術的な提供をしないでですね、ま、どこかの国がですよ、
たとえば一般論として申し上げますが、
かなりいい加減な技術でいい加減な原発をつくって事故を起こされた時、
「日本が被害を受けるじゃないか」という考え方もまた一理あるわけです。
従って私は、本当は細やかに理想論で申し上げればですね、
先程の「原子力環境安全産業」の中に、
非常に原発の安全性を高める、もしくは安全な原発技術というものも、私は含みこんでおいて、
それを提供することはありだ・ろ・う、とは、思ってます。
ただしこの議論をあまり軽々にしたくない理由があります。
それは何故かと言えば、こういう議論を出した瞬間に
「そうでしょ、だから日本で原発をやらなきゃいけない、やりましょう」というですね、
この話に流し込む方が、今はむしろ日本では極めて多いと思うんですね。
従って私はこの話はしばらくは、本当は凍結した状態で、先ほど申し上げたような方向に行くべき。
もっと分かりやすく言えばですね、
国民から見てこの政策を出した瞬間に、
「なんだ、結局輸出とか何とか言いながら原発存続の政策を密輸入しているのか」と、
その疑われる信頼感の無い政権である限りはやるべきではない。
逆に国民から見て、この政権はきちっと信念を持って、
しかも何年もかけて脱原発に向かって動いてくれるという、そういう政権であれば、
そういう議論をテーブルに載せて、
「国民のみなさん、こういう考えのもとで海外に対する支援を行う事をいかがでしょうか?」という議論は
スタートし得ると思います。
ただし、日本は政権が実に短期間で代わる国だという事を考えると、
あえて申し上げれば二つの事はしっかりとやっておくべきだと思います。
一つは脱原発の政策について、本当にその方向で行くんなら、
政府はもちろん、その事をしっかりとやってもらいたいですが、
脱原発基本法のようなものをしっかりと定めてですね、
政権が代わっても法律的にそこが縛られているという仕組み。
もうひとつは、国民投票です。
国民投票というのは今は日本の制度では法的にきちっと整備されていませんが、
やはりこのシングリッシュで国民に方針を決めていただくという制度を日本に導入しておかないとですね、
やはり総選挙のようなものがシングリッシュで戦う事は必ずしも健全な形ではありません。
私は、こういうテーマについては、国民投票。
これは海外でも国民投票は随分原子力に関してやっていますので、
日本も、こういう形で国民が一つの歯止めを刺しておくという事ができる仕組みを作るべきだと思います。
政権が代わっただけで、もしくは総理が代わっただけで、政策が変わるという状態では、
わたしは、あまり、あの…危なくて、
そういう政策論について踏み込んだ議論はするべきではないと思っています。
質問:
フリーランスのHiroseと申します、よろしくお願いいたします。
先生は ごいへいわぐらんど というところで何度か講演をされていてですね、そこで、
「原子力という技術体験は人類にとって不要か?と問われれば答えは慎重です。
なぜなら私は人類に与えられるもの全てに意味があり、
その意味を深く考えることによって人類は成長し、成熟していくと思うからです。
その歴史的スケールで見るならば、原子力も人類に与えられた一つの英知なのでしょう」
というご発言があるのですが、
では、先生がお考えになられる原子力の有効利用というものがあるとするならば、
いったいどういうものなのか教えていただきたいてもよろしいでしょうか?
田坂広志:
あの、その発言はもちろん今も同じ考えです。
むしろですね、原子力については私は、仮にここで人類全体が脱原発に向かったとしてですね、
仮に300年先に何かのまた、人類全体が置かれている環境の変化が起こった時に、
人類の英知からすれば原子力というものはですね、
その気になれば技術としては、私はそれほど難しくない回復なり、
また、再利用ができると思っているんです。
ただですね、私が今の時代に非常に強く原子力のイージーな推進に反対する理由は、
先ほど申し上げた、人為的組織的制度的文化的な問題が、解決できないからです。
もっと分かりやすく言えば、
この非常にリスクの高い技術体系を見事に使いこなして見られるほどですね、
人類というのは本当にかしこい社会を作っているのか?と。
この根本的な問いが今あります。
少なくても福島を見て、私は人類社会というのは、
これはもう具体的に見ても、いまの行政の在り方も産業の在り方も、資本主義のあり方も含めて、
私はこの極めて巨大なリスクを持った技術体系を使いこなせるほどには賢くない。
ただしその事を持って、
「この原子力という技術が人類の未来永劫、全く意味を持たないか?」と問われれば、
「それは分からない」としかお答えしようがないです。
従って、具体的な方策・運用云々という文脈のところの発言ではありません。
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