もうすぐ北風が強くなる

県民が普天間基地を封鎖、沖縄は植民地ではない

  オスプレイ:住民が普天間の3ゲート封鎖  9/29 沖縄タイムス

 米軍の新型輸送機MV22オスプレイの配備に反対する市民らが29日午後、米軍普天間飛行場の主要な出入り口となる三つのゲートの前に車を止め、車が出入りできないよう封鎖した。

 住民が封鎖しているのは、宜野湾市大山、野嵩、佐真下の各ゲート。住民らは27日夜から野嵩ゲート前に車を止めていたが、29日午後になって大山、佐真下にも車両を止めた。

 28日に市民ら約120人が座り込み、米軍が一時閉鎖した大山ゲートには10台余の車が止められ、再び閉鎖。車に乗って近づこうとする市民団体と警官が小競り合いになった。

 野嵩は3台の車両が、佐真下ゲートも1台の車で封鎖している。
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 米兵に基地内に引きずり込まれようとする山城博治さん=29日午後11時10分ごろ、米軍普天間飛行場の第4ゲート

  普天間3ゲート、車で封鎖 米兵、市民引っ張る  9/30 琉球新報

 【宜野湾】オスプレイの米軍普天間飛行場への配備に反対する市民グループは29日午後、同飛行場の大山ゲートと佐真下ゲートを車両で封鎖した。
 27日に封鎖した野嵩ゲートを含め、同飛行場の主要3ゲートが市民グループの直接行動によって全て封鎖される異例の事態となった。大山、佐真下のゲートには警察官が駆け付け、30日午前0時現在も緊張状態が続いている。

 市民広場のゲートで午後11時すぎ、米兵が鍵をかけようとゲートを開ける際に市民団体メンバーと米兵がもみ合った。沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんがゲート内に足を踏み入れた際、米兵が手をつかんで基地内に引きずり込もうとする場面もあった。

 大山ゲートでは午後4時25分ごろ、市民グループが4台の車をゲート前に駐車。その後、12台で封鎖した。駆け付けた宜野湾署員が車両の移動を求めたが市民側は拒否している。

 佐真下ゲートでも車両2台が封鎖した。同ゲートを封鎖した午後4時すぎにはゲート前に立つ市民は2、3人だったが、ツイッターなどで知った付近住民や若者が次第に集まり、午後8時には風雨の中、約30人がゲート前に集まった。

 近所に住む会社員の女性(31)もツイッターを見て佐真下ゲートを訪れた。「警察とぶつかったり、米兵に直接怒りをぶつけたりすることは怖いが、『こんなに怒っている』と分かってほしい」と話した。
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   社説 オスプレイ配備/沖縄は植民地ではない 軍事至上主義を改めよ 9/28 琉球新報

 日本政府は米軍岩国基地で試験飛行が行われている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、28日以降に米海兵隊が普天間飛行場へ移動を開始することを県や関係自治体に通告した。
 9日の「オスプレイ配備に反対する県民大会」の抗議決議を踏まえ、24、25日には仲井真弘多知事が森本敏防衛相ら政府側へ配備中止を強く求めたが、国は結局聞く耳を持たなかった。
 これは一貫して配備に反対している県民総意を無視する蛮行である。日米は民主主義を真っ向から否定する国に成り下がったのか。

 有名無実の「安全」

 本紙が毎日新聞社と合同で5月に実施した世論調査では、県内回答者の9割が「配備すべきでない」と反対の意思表示をしている。中でも普天間飛行場を抱える宜野湾市は97%と高率だった。
 同調査以降も、6月にフロリダ州で空軍のオスプレイが墜落するなど事故は続いている。政府は「安全宣言」を行ったが、全く説得力を持たない。

 不思議なのは、自由と民主主義、法の支配、基本的人権の尊重を共通の価値観として、ことあるごとに世界へアピールする日米両国が、なぜ沖縄に対してそれと相反することができるのか。沖縄は民主主義の適用外とでも言うのか。

 そもそもオスプレイ配備以前の問題として、両政府は県民が住宅密集地に立地し「世界一危険な基地」と称される普天間飛行場の一日も早い閉鎖・撤去を求めていることを忘れてはいないか。
 「配備ありき」の政府の強硬姿勢に関係市町村の首長らが「県民を自国民と思っていないのではないか」「民主主義国家の体をなしていない」と反発するのは当然だ。

 普天間の県内移設、オスプレイ配備への反対が大多数の県民の意思であることは明白なのに、民主国家を自認する日米両政府はなぜこの現実を直視しないのか。なぜ沖縄の声を無視し続け、沖縄以外の地域と不平等な扱いをするのか

 岩国基地で行われたオスプレイの試験飛行では「市街地上空を飛んだ」などの情報や苦情が相次いだ。日米合同委員会で合意した安全確保策では、移動の際は可能な限り水上を飛行することになっている。また、米軍の施設・区域外で、原則として認められていないへリモードの飛行をしたとの指摘も寄せられた。

 わずか数日間の試験飛行でも、米軍は安全確保策を逸脱した。沖縄にオスプレイが配備されればこの状況が日常化し、県民はいつオスプレイが落ちてくるか分からない恐怖の中で暮らすことになる。

 非人道的政策

 先の世論調査では、普天間飛行場の移設について県内回答者の9割が県外か国外移設、または無条件撤去を求めた。住宅密集地域に存在する危険な普天間飛行場は閉鎖・撤去を最優先すべきというのが揺るがぬ民意だ。
 県民が沖縄戦の悲惨な体験を教訓に一貫して平和を希求しているのに対し、日米両政府は一貫して県民の願いを無視し軍事優先の非人道的政策を繰り返している。

 着実な基地返還で、究極的に「基地のない平和で豊かな沖縄」の実現を望む県民の思いと、オスプレイ配備を強行する両政府との隔たりはあまりに大きい。
 野田佳彦首相にあらためて問いたい。ぜひ答えてもらいたい。

 沖縄では県知事と県議会、県内の全市町村長と議会、県選出の全国会議員が人命、人権の脅威である「欠陥機」の配備に明確な「ノー」を意思表示している。そのような代物を、あなたはお膝元の千葉県民に対し強制することができるのですか。

 配備強行は沖縄を植民地扱いする暴挙だ。このままだと全基地が県民の敵意に囲まれる。強欲な軍事至上主義とも言うべき愚策は容認できない。オスプレイ配備を断念し、日米関係の劇的改善につながる普天間飛行場の閉鎖・撤去こそ強力に推し進めるべきだ。
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近藤誠インタビュー(1)医師は患者が決める

 近藤誠

 近藤誠医師については、これまで「法の基準を守れ、100mSvで安全と言う狂気」、「胃がんと抗がん剤治療」、「近藤誠:放射線被曝、CT検査で癌になる」で紹介してきました。
 このインタビューは2001年のものですが、近藤氏が批判するとおり、医療資本の利益追求に甘い我が国医療制度が過剰な検診、検査、投薬により病気を製造し、拡大生産するシステムになっていること。
 これに反省なき医療の学会、医師たちと言う構図はまったく改善されていない。
 長文なので(1)と(2)に分けました。 
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  慶応義塾大学医学部放射線科講師 近藤 誠 インタビュー「あの人に聞く」 e-doctorから  

近年、医療従事者が医療過誤に問われることが増え、患者も医療について知る権利を訴えるようになっています。また不祥事を隠すことで信頼を保とうとしてきた医療機関も徐々にではありますが、公開することで信頼を得るという動きが出てきています。今回の「あの人に聴く」は慶應義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠先生です。
その著書『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)では検診やがん治療に対して疑問を投げかけ論争を巻き起こし、同時にセカンド・オピニオンの重要性を早くから訴えてきました。
乳がん治療では早くから乳房温存療法を実践し、患者数、温存率ともに日本で最高の実績を持ち、一方で"患者の権利法をつくる会""医療事故調査会"の世話人を務めるなど、患者本位の治療を実現するために、医療の情報公開を積極的に進めています。
それら活動を中心に2回にわたってご紹介します。

近藤先生は昭和48年に慶応義塾大学医学部を卒業し、同大放射線科に入局。
その後、昭和54年から55年にかけてアメリカのロスアラモス国立研究所へ留学されました。
帰国してからは、がん治療を専門とした医療を続けるかたわら、執筆活動を通じて広く社会に医療のあり方、問題点を提起してきました。
その著作も『ぼくがすすめるがん治療』(文藝春秋)、『なぜ、ぼくはがん治療医になったのか』(新潮社)、『本音で語る! よくない治療ダメな医者』(三天書房)、『「がん」ほどつき合いやすい病気はない』『「治るがん」と「治らないがん」』 『安心できるがん治療法』『医原病』(以上、講談社)など数多く出されています。
先生ご自身は、昭和58年に慶應義塾大学医学部放射線科講師となり、現在に至っています。
 
  消去法で放射線科医に

―ご実家は開業医だったそうですね。

普通の家庭と違うところは家に注射器があるということですね。それで基本的に注射に懐疑的になりました。

―すぐ打たれますからね。やはりトラウマになりましたか?

それはあるね。ですが、こういった医療は必要なのかな? という疑問も持ちました。
つまり風邪なら抗生物質を打てばそれで良いのか、他にもやり方があるのではないか、とね。こうした体験が今の医療を吟味する姿勢に影響しているのではないかと思っています。

―「医者になって継いでくれ」と言われて育てられていたとうかがいました。

言われてはいたが、小学校の頃までは遊び好きで勉強嫌いだったから、とても自分が医者になれるとは思えなかった。ところがなぜか成績が上がって、慶應の中等部に受かってしまった。
受かったとはいえ成績順位はビリのほうだったので、勉強法を夜型に変えてみたが、リズムが狂ってダメだった。それで昼型に変えたら成績が上がった。
高校は1クラス50人でR組まであるほどの生徒数で、落第生も多かった。賭けマージャン事件なんていうのもあって、これは「周りに流されちゃいけない」と考え、本気で勉強しようと心に決めて実行した。

―やがて医学部へと進学されたわけですが。

将来何をやりたい、という希望はなかった。こんなこと言うとひんしゅくを買うかもしれないけど、医学部に進んだのも成績が良くなり、どの学部でも進学が可能になったからだった。
サラリーマン生活というのも実家が開業医だったので想像がつかなかったし、そうかといって自由業だと将来的に不安がある。
同じ自由業であれば医者が良いかと考えた。それで医学部を選んだわけで、はなはだ動機としては曖昧なわけだ(笑)。
大学ではボート部と茶道部へ入部して、クラブ活動と勉強に熱中していました。

―放射線科医となった経緯を教えてください。

将来やりたいことがなかったのは相変わらずだが、研修先を決めねばならなくなり、不器用だったから外科系は外した。
そして理論的なことが好きだったので内科系を考えた。しかし勤務も大変で、時間も不規則と聞いていたので迷った。
当時、僕は同級生だった妻と学生結婚していて卒業時には子どももいた。
妻も医者になるわけで、家庭との両立のため比較的規則正しい勤務体制の診療科目が良いと思った。
結果的に残ったのが放射線科だった。それでも将来は放射線診断学を身につけて内科へ転科しようと思っていた。
でも放射線科に3年間籍を置いてみると、居心地が良かったので、今でも変わらずやっています。

―その後、アメリカへ留学されました。

放射線診断、放射線治療、核医学の3つを3年間学び、研修後は治療と核医学の二股をかけ、博士号は核医学で取得した。
しかし両方を専門にはできないと思い、放射線治療をやっていこうと考えた。そんな時、アメリカでの放射線治療実験を手伝ってくれとの話があった。
僕は研修医になった年にECFMGという、アメリカが外国人向けに行う医師国家試験に合格していて、向こうで働く資格があった。
それで採用になり、ニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所パイ中間子施設へ1年間行くことになった。

―留学によって先生が得たものも多かったと思いますが。

主治医が患者さんに病気のことを率直に話しているのに新鮮さ感じた。
それに結構自由時間もあったので、放射線治療関係の論文を多数読むことができたことも良かったな。
なによりアメリカでは放射線治療が、がん治療法として十分に認知されていることを知り、帰国したら放射線治療の利点を他科の医者に知ってもらうための活動をしようと思った。
乳房温存療法を知ったのもこの頃でした。

―帰国後、認知活動を実行されましたが、国立東京第二病院(現・東京医療センター)へ出向され
ていますね。慶應と比べてどうでしたか。

なかなか居心地は良かったよ。他科の医師とも食堂で会って自由に議論したりできる場だった。
ただ、帰国してから患者さんの治療法を巡って、衝突することがあった後の出向人事だった。
その頃、義父が癌で亡くなったこともあって虚無的になっており「俺もこれで慶應には戻って来られないな」と思いながら出たわけだ。
それが1年ちょっとで戻された。講師になったのはその1年ぐらい後の昭和58年だった。
慶應に戻って、放射線治療をもっと知らしめなければいけないし、そもそも医者がその良さを知らないのであれば、その説得のために論文を書こうと思い、今までの成績をまとめたものを出すようになった。
英文論文を1年間に10本ぐらい書いたこともある。

―短期間に集中した執筆をしていたことが、現在の数多くの著書の出版につながっているのでしょうね。

そうかも知れないね。今も何冊かを平行して進めていますよ。
 
  患者に決定権を

―慶應へ戻られてから、先生は乳房温存療法に関わるようになり、この分野では日本のパイオニアとされていますが、当時は外科との意見の相違がかなりあったと思います。

結果から見ればすごい抵抗があったわけだが、最初はそこまではないだろうと思っていた。
昭和58年に僕の姉が乳がんになり、まだ初期の小さながんで乳房温存に向いていた。
欧米ではどんどん行われていて、しかも「くじ引き試験」といって、患者さんを二群に分けて従来の治療法と新しい治療法を行う比較試験でも成績が変わらないという結果も出ていた。
唯一障害となるのは日本でほとんどやったことがないということだけだった。
僕が乳房温存療法を良いと思っても、姉が良いと思うかはわからない。グラフまで見せて説明した。
他の患者であれば言わなかったが、肉親だったし「僕だったら温存療法を選ぶ」と言った。同意してくれたので行ったが、その後は患者さんから「切るべきかどうか」と僕に聞いてきても、もう一回押し戻して「あなたが決めなさい」と答えることにしている。
ちなみに姉は再発転移もせずに済んでいる。

―温存療法はその後どうなりました?

数人に対して行った後に「日本でも温存療法ができるんだ」と成績を発表するようにした。
しかし、まったく反響がなかった。温存療法を最初に取材して取り上げてくれたのは読売新聞だったが、受診に来たのはたった一人。
翌年に朝日新聞に働きかけて掲載してもらったがやはり数名だけ。
ところがその記事を読んだ患者さんが、慶應に来て外科に入院させられ、僕の知らないところで乳房切除の話が進むということがあった。
そのことをアルバイトに来ていた看護学生から偶然聞いて驚いた。
つまりその患者さんは、僕と担当の外科医が相談した上で乳房切除することに決めた、と思っていたわけだ。

―患者さんにとっては、同じ病院だから、そう思うのは自然でしょうね。

うん。まあ、その患者さんに会ってみると、温存療法を受けたいと言ったので、退院させて僕の同級生が手術して、あらためて僕が放射線治療をした。
このことがあっても「直接『俺の患者に何をするんだ』なんて、その医者に言ってもしかたがないな」と思った。
これは世の中を変えるしかないと考えた。個々の医者に文句を言っても、誰かがまた繰り返すだけだからね。
しかし、大学病院でこんなことがまかり通って良いはずがなく、もっと開かれた場所にしようと思って情報公開を始めた。
当たり前のことだが、患者さんには正直でないといけない。つまり隠し事をしないことだ。僕は病名を患者さんに100%告げるということを、おそらく日本で最初に行ったと思う。
80年代の前半からそうしてきた。

―告知は先生のポリシーに照らして、するべきだと考えられたからですか?

最初からポリシーがあったというよりも、必要から生まれた。
知らせたら患者さんが自殺するのではないかという懸念があったのは事実です。しかしがん治療をする上では、きちんと認識していただかないとできない治療もある。
例えば僕は一時期、抗がん剤で悪性リンパ腫を治療していたことがある。その場合「慢性炎症ですよ」と言ったら、抗がん剤を十分に使えないわけだ。
しかし「あなたは、がんだけど治る可能性が高いから、抗がん剤を使いますよ」と言えば納得していただける。
こうしたことがあって、知らせても不都合がないことがわかってきた。それで知らせる対象を広げていって、転移にしても再発にしても告げるようになり、数年のうちに100%になった。
こうなってくると今度は「何で知らせないんだろう」となってくる。
きちんと病名を告げて、情報を患者さんと共有したほうが良いと思って、著書にも書くようになった。
もう一つポリシーを挙げるとすれば、自分の患者さんが後で後悔しないようにしたい。そのために治療法を患者さんに決めてもらう。

―自己決定権ですね。

うん。AとBの二つの治療法があるとして、どちらかを選びその治療がうまくいけば良いが、悪い結果が出ると、えてして患者さんは後悔する。
「自分は何でこんな治療を受けたのか、あの時医者はこう言ったじゃないか」となって、患者さんは自分を責め医者を恨むことになるわけだ。
こうしたことは100人のうち1人でもいたら良くないと思う。お互い不幸だからね。
99人の患者が満足していれば良いじゃないかと思うかもしれないが、僕は残りの一人がいることが嫌だ。
これをなくすためには100人にきちんと説明して、治療前に納得してほしい。
患者さんには納得して、自分で決めてもらいたいのです。
僕が説明して「この治療法でいきましょう」と言うと、その時は納得しても後悔する結果になるかもしれない。
よく患者さんから「先生だったらどうしますか?」と聞かれる。その時は「僕はあなたじゃないから」と言って押し戻すわけです。

―押し戻す、ということはもう一回患者さんに考える時間を持っていただくこと?。

そう。あと「質問しなさい、質問には何でも答えてあげます」と言う。
ただ、どうみてもやめたほうが良い治療は「やめておけ」と言いますよ。
 
  治療しないという選択肢

―先生はセカンド・オピニオンを求められることも多いとお聞きしています。
しかしセカンド・オピニオンを求める場合は、たいてい最初に受けた説明や治療法に納得がいかないからであって、第三者に意見を求めるということは実は自分で答えを出していることが多いですよね。

そうですね。例えば早期の胃がんの治療法はいくつかある。
場合によっては手術しないで様子をみることもできるし、手術を受けたくない患者さんもいる。
でも中には手術を受けたいと思う患者さんもいる。
その場合、同じ手術を受けるなら、合併症を出すことの少ない病院を選ぶことができるかを考えるわけだ。
僕としても、進行した胃がんで肝臓へ転移しているのに「手術はどうか」と問われれば「やめておけ」と言いますが、早期がんが見つかって手術はどうかとなれば「やめておけ」と言えるほどのデータを持っていない。
だから患者さんが手術を受けたいのであれば、どの病院で受ければ良いかを相談する。
一方で手術を受けたくない早期がんの患者さんに対しては、僕は手術をしたほうが良いという根拠も持っていない。

―その場合、どうされるのですか?

実際に僕の担当する早期胃がんの患者さんで十数人の方は「様子をみたい」と言うので、手術をしないで経過観察をしている。
すると大部分は、がんもたいして大きくならずに体も調子が良い。
こうした事例を見てみると「手術したほうが良いですか?」と問われたら「良いとは言えないな」という答えになる。
聞いてきた患者さんも手術に乗り気でないので、様子をみるかということになる。
今後、早期胃がんに関しては、様子をみている患者さんの数が増えて臨床データが集まり、あえて手術をしなくても良いという根拠が固まれば「手術をやめたほうが良い」という言い方に転じる時が来るかもしれない。

―様子をみる、とはどのぐらいの期間ですか?

調子が良ければずっとです。
何年も経過を見ている患者さんもいるし、がん自体が消えてしまうこともある。

―消えてしまう? それは自己治癒能力で、ということですか。

何ででしょうね。検診で見つかったものは、消えるものがかなりある。
子宮頚がんでそれを裏づけるデータを最近探し当てた。発表する機会もあると思いますよ。僕は自分の患者さんに全力を傾けることを常に念頭においているが、これは何でも治療するのではなく、場合によっては治療しないという選択もあるということ。
そのためには必死に勉強をする。知らないことは知らないと言うけど、そう言うのは悔しいので勉強を続けている。
考えてみると大学を卒業してから、ずっと文章を読んでいる人生だな。

―部屋中に本がありますが、読書量もすごいでしょうね。

僕は実験はやらないから、暇な時は読書か原稿を書いているかのどちらかです。一日12時間働いているうち、診療していなければ机の前にいる。

―最近はどういった本を読まれていますか?

単行本はあまり読まないな。ほとんど医学書。『New England Journal of Medicine』や『Lancet』には目を通しています。そんなに数は増やせないけどね。

―毎週来るのですぐたまりますからね。

そうそう(笑)。
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 近藤誠インタビュー(2)へ続く

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近藤誠インタビュー(2)医療を変える

 近藤誠インタビュー(1)からの続き 
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医療界を変えるプロセスや展望、医療裁判へのお考えなど、先生ならでは、のお話をうかがいました。

  情報公開による変革

―前回「世の中を変える」と言われました。先生のお立場からすれば、それは「医療界を変える」ことによって、もたらされるもの、と言って良いかもしれません。

キーは情報公開だね。
医療界は内部から変えるのは難しいので、外部から変えていくしかない。そのためには、まず患者さんに変わっていただく。
患者が変われば、医療界も変わらざるを得ない。
その意味では、乳がんの温存療法普及は成功したと思う。去年の全国統計で、40%の患者が温存療法を受けるまでになっています。

―乳がんと診断された場合、誰もが温存を願うと思います。それゆえ、セカンド・オピニオンを求める代表的な疾患といえますね。

そうだね。何の病気でも、痛くも痒くもなく自覚症状がない場合に、手術を勧められたらセカンド・オピニオンを求めたほうが良いね。

―ですが、主治医以外に意見を求めるということは、日本ではなじみが薄く、今でもなかなか踏み切れないと思いますが?

いや、切羽詰まれば求めますよ。
患者の中の、わずか1~2%でもセカンド・オピニオンを求めて転院するようなことが起きると、医者側にとって非常なショックとなる。
なにしろ、今まで患者さんから愛想をつかされたことがないからね。
乳がんでは正にそれが起こった。僕のところに来る年間200人の患者のほとんどが、主治医に「私は近藤のところに行く」と言って来たわけで、その主治医の、その後の行動は容易に想像できる。
つまり対策を練るわけだ。
言葉は悪いが、患者さんに逃げられないようにする(笑)。
小手先での対応では、また逃げられてしまうから、結局は治療法を変えるしかない。
それが、乳がんであれば何でも切る、という方針を変える結果となった。
全員でなくとも一部の人がセカンド・オピニオンを求めたからこそ、医者が変わるきっかけとなった。
これが医療界を変えていく一番の近道と思っている。

―おもしろいですね。最初からこの効果を意識されて、情報公開などの活動をされた?

意識はしていたよ。ただ単に「欧米では、温存療法をやっているらしいぞ」という話だけでは、これだけのスピードで普及はしなかったと思う。
ちょうど患者の権利意識が高まった時期であり、乳がん患者の団体であるイデアフォーができたりして「切除以外にも温存療法がある」と患者側から情報を発信し始めた。
こうした動きが普及に大きな役割を果たした。

―患者さん同士は、横のつながりが大きいですからね。
 
  医師選別の時代

―今後の医療界の展望を知る上でのポイントをお聞かせください。

日本経済の将来と非常にリンクしているので、経済の先行き次第で、どのようにも変わる。結局はGDPの何%を医療費に充てるか、ということになる。
全体のパイが大きくなれば医療も活発になるだろうし、しぼんでいけば、抑制される。これがポイントの一つ。
もう一つは老人医療が在宅と福祉へ移行する。
高齢化が進むと、さらに医療費がかかり、やがて破綻するから福祉へ振り向けよう、となってくる。介護保険制度もあるが、今後はさらにその動きが加速するのではないか。

―老人医療として考えるのでなく福祉として考える?

そう。実際、診療所や病院が福祉施設を併設するケースが増えているが、患者さんを囲い込むため、という一面がある。
また今後は医者が増えていくので、医者一人一人の取り分が少なくなる。
ところが一方で、医療費の中で、薬剤費の占める割合が高く、また医療機器も欧米に比べて高い。
このあたりを減らすことができれば、その分、医者や看護婦、薬剤師への人件費にまわせるはずだ。つまり医者が増えても、その給料を下げずに済む可能性もある。
いずれにせよ、パイの取り合いになるだろうね。
適正な医療費配分システムを作ることができるかどうかが、医者のこれからの暮し向きを変えていくと思う。

―具体的には、どういったことが予想されますか?

どんな制度になろうとも、優れた医者を求めるという流れはなくならない。最終的には個々の医者の実力次第だと思う。
きちんと勉強もして、実力もある医者が生き残り、ポストを得て収入も確保できる。
情報公開が進めば、医者の実力もわかってしまい、選別されるだろう。
以前、ドイツでは医者がタクシーの運転手をしていると聞いたことがある。日本でも医学部を卒業したが、医者にならずに医学雑誌の記者になったりする人も出てきている。
医学部卒業イコール医者になる、が当てはまらず、医者の数の調整が起こる。
医療を行うには、ある一定の人数が必要だが、すべてを医療という枠組みに押し込めようとしているので不都合が出てきていると思う。

―歪みが出ている。

うん。本当に医療を必要としている患者さんの数は、あまり変化がない。つまり急に増えたりしないわけだ。
そうなると元気で、ご飯もうまいと思っている健康な人から病気を見つけだそうとする
それで、がん検診や健康診断が叫ばれるようになる。本当にそれが人々の利益となるというデータが実はない

―最近、そうした検診などの効果に対しての疑問の声も聞かれます。

これは効果や効率の問題ばかりでなく、政策的な問題でもある。
がん検診でいうと、そのキーワードは「予防」だが、医者の数が増え続けるので「予防」を叫ぶことにより、そのテリトリーを広げようとしているのだと思う。
言い換えれば医者の数がもっと少なくて、一定の人数であれば、医者たちには予防活動をする余裕はない。
症状の出た患者さんだけしか診られない。結局、今まで日本は医者の数を計画的に配分してこなかった。医者になる人数枠を設けず、増えるに任せている。
イギリスなどは、逆に医者の数に統制をかけているが過疎医療になり、なかなか手術してくれないという状況もある。
どちらも問題はあるが、日本の場合は行き過ぎている。将来、医者の数を減らそうという話が必ず出てくるだろう。
また医師免許の更新制がないのは先進国では日本だけだ

―医師が医療過誤などで有罪になったとしても、免許を失効することなく停止期間を過ぎると、また医師として復帰しますね。

日本では医療ミスで免許を取り上げられた医者はいないんだよ。

―なぜなのか不思議なのですが。

いや、本当に不思議なんだよ。僕もひどいと思う

―たとえば自動車事故で死なせてしまったりしたら、運転免許は取り上げられますよね。

もっと医師会の力を削いで、きちんとしたシステムを作らなくてはいけない。優遇されすぎていると精神も弛緩するからダメなんだよ。
免許更新制度と懲罰の二つは絶対必要だ

―問題を起こせば必ずペナルティーがあってしかるべき、という社会規範に近づけることが必要なわけですね。またその必要がなかったということが、むしろおかしかった?

そうだね。
 
  疑問を持つことの重要性

―今後の医療活動ですが。

淡々と日常の診療業務を続けていく。そして医療について、何か問題があれば発言をしていく。
発言することをメインに考えているわけではないが、必要性があって誰も発言していなければ、本に書いたり発言したりしていく。

―何冊か同時進行でご執筆されているそうですが、年間で何冊ぐらいのペースで執筆されているのですか?

ここ何年かは2~3冊のペースかな。

―版元からの依頼のテーマでも書かれる?

今、必要だと思ったことを書くのが、ほとんどです。

―今このテーマで書くべきだ、書く時期である、ということを考えて執筆しているのですね?

そう。本に盛り込むデータを裏づける作業がなければ月に一冊は書けるよ。
ただ、書いたことに誰かが反論してくる場合、たいていは、ある一行だけを抜き出して「これ違っているじゃないか」と言ってくるんだよ。
しかも、そこを強調して全体が違っているかのように印象づけようとする。
それが予想できるから一行一行をよく吟味して、その裏づけとなるデータを用意しておく。その確認作業がなければ早く書けるよ。
今度出す本は、文藝春秋で書いている不定期連載をまとめたものと、もう二冊は患者団体との共著で出そうとしている。
将来は「がんは放っておいたらどうなるか」といったテーマでも書こうかと思っている。

―先生は講師として、後進を指導する立場でもありますが、最近お感じになったことなどあれば。

人間的に素直で良いが、学問に執着しないね。だいたい本を読まない。
僕は研修医の時から時間があれば、机にかじりついて専門書を読んでいたので、余計にそう思うのかもしれないが、そうした人を見かけない。そんなことで良いのかね、と思うことがある。
そういえば僕の学生時代に比べて、持ち歩く教科書が薄くなったような気がするな。洋書を読む学生も見ない。国家試験にしてもマニュアル化が進みすぎている。
僕らの時も国家試験対策はあったが、今ほどじゃなかった。学生時代に『New England Journal of Medicine』を読んで、ディスカッションしたりもした。
国家試験対策のマニュアル本を読む程度じゃいけない。
また、何でも「上の人に言われたから」とか「本に書いてあるから」など、無条件に信じるのは良くない
疑問を持つことが大切だと思う。疑問を持って質問をし、相手に答えてもらい、それを踏まえて、また質問するというディスカッションが必要だ。
よく「何か質問はないか?」と聞くんだけど、めったにないんだよね。

―質問する、ということがわからない?

うん(笑)。自分のことで恐縮だけど、僕は不真面目なところがあって、学生時代はクラブが忙しかったり、授業がつまらなそうだったりすると授業に出席しないことがよくあった。
それでも出席した時ぐらいは、記念に一つは質問をして帰ろうと思っていた。
そのためには講義をきちんと聴いておかないと、トンチンカンな質問になってしまうわけだ。それが疑問の立て方の訓練になって今に役立っている。
学生にもそうした意識を持ってもらいたい。
なぜこういうことを言うかというと、今後の医療に役立つと思うからなんだ。
繰り返しになるが、これから医者は実力のある者しか残れなくなり、淘汰が進む。選抜されるためには「教えられたことだけをやっていく」だけでは通用しない。
つまり日々の医療の中でクリエイティブでなければならない。これは一朝一夕にはできないから、学生の時期に学んで身につけておく。
クリエイティブになる、ということは古いものから一旦離れて、その悪い部分を壊すことだ。
そのために自分で考え、疑問を持つことが重要になる。

―若手の医師に、もっとコミュニケーション力を身につけてもらうことが大切である、とよく聞きます。すぐには身につきませんが、何かコツがあれば。

基本は人の話をよく聞くことだね。
ただ無制限に聞くのではない。僕も患者の話がとりとめない時は「ポイントだけ言ってください」と言います。
しかし言いたいことは全部言わせないといけない。日常での3分診療、5分診療では語り尽くせないこともあるから、あらかじめ紙に書いておいてもらう。
場合によっては診察日とは別枠で、時間を設けてしっかり聞くことが必要だ。聞くことでコミュニケーションの大体8割はとれる。

―聞いてもらうだけで患者さんも安心しますからね。

そうそう。その時に必ず相手の目を見て話すことが大事。

―目を見て話さないと信用してもらえず、人間関係も作れませんからね。患者さんもいろいろ病気などについて勉強することが多くなってきましたが、やはり感じられますか?

すごいよ。それこそ今はインターネットで情報を入手できるからね。

―患者さんの質問内容も濃いものになってきていると思いますが、そのためには勉強を続ける必要があるわけですね。

少なくとも自分の専門領域については、答えられなければいけない。そのための研鑚を積んでもらいたい。

―ところで、先生ご自身はインターネットは活用されていますか?
一時やっていたが、時間をとられるので今は接続を切っている。メールもやらない。不便は感じないな。

―スポーツなども、いろいろされたようですが最近はどうですか?

中学の頃から柔道をやったり、ギターやコントラバスを弾いたり、大学ではお茶を習い、ボートを漕いだが、やっぱり今の趣味は勉強だね(笑)。しばらく走ったりもしたけどやめちゃった。

―先生自身の健康は大丈夫でしょうね(笑)?

バタッと倒れるかもしれないね(笑)。
 
  尊敬される唯一の職業

―医師会については、いろいろとご意見もあるかと思います。

有害だね。もっと権益を手放さないとダメだ。もっと開かれた医療にしなければいけない。
今、医療改革に抵抗していますよね。確かに経済優先で医療改革を行うのは経済弱者の問題があるが、さまざまな既得権益を取り払うことについては、国民は迷惑しない。
だが、業界や医師会しか見ていない厚労省では改革も何もできない。
官僚というのはマーケットを見るものだ。つまり、どこを、何を保護した時に、自分らの役所が栄えるかを常に考えている。
それが国民を守らないで業界を守ることにつながる。これはどの官庁でも同じだ。

―厚労省は直接、人の命を預かる医療を管轄する役所であるから問題も大きい。何か手は?

今あなたが言った「人の命を預かる」部門だからこそ、官庁の中では厚労省が一番変わりやすいといえる。
例えばハンセン氏病訴訟での、控訴断念といったドライスティックな動きもある。

―医療過誤も多くなっています。

今までもあったが、表面化していなかっただけだ。

―患者側も勉強するようになって、言いくるめられなくなったということですね。

そう。医療裁判が増えるのは当たり前だと思うね。でも本当は裁判になる前に、専門家集団で解決しなければいけない。
具体的には、ミスを認めて、医者や病院に賠償金を支払わせるといったことになる。
また、何でも医療裁判になるというというのはおかしい。その前に話し合いで解決できる場合もあるわけだからね。

―医療裁判の場合、原告側がミスを証明したくても、証拠となるデータを被告側がすべて持っていることが問題です。カルテ開示も一部では始まってはいるが、まだ十分ではありません。

裁判制度の仕組みの中に、医療過誤を入れるのが間違いだと思う。すべて訴えた側が証明しなくてはならない現在の制度に医療過誤はフィットしない
貸し金訴訟だったら証文もあるし、交通事故は人が死んでいれば大体は轢いたほうに過失がある。こういった場合、原告は勝てる。だいたい交通事故なんて、あまり裁判にもならないでしょ? 
その点で100%原告が証明する裁判制度で、最も問題があるのが医療過誤なんだ。
あなたが言ったように「証拠は全部被告に握られている」しね。
ところが専門家が見れば、どちらが悪いかなんて、すぐわかるものだ。
そういった医療の専門家が審判に加わり、公平に判断を下し、責任をとらせるという仕組みが必要だ。
今はそういった制度もないし、仮に作ったところで、今でも医療裁判では、被告有利の鑑定が多いから期待はできない
そこで僕らは公平な鑑定をやろうという考えで、医療事故調査会を立ち上げたわけです。

―医療裁判は一般の民事訴訟と比べて、平均審理期間が4倍近くかかるそうですね。

時間の問題はあまり強調しないほうが良い。原告は不公平な裁判をされるくらいなら、時間がかかっても良いと思っている
裁判問題のポイントは、国民世論の盛り上がりと鑑定をする医者たちが、真に公平になれるかどうかにかかっている。期待薄だけどね。

―最後に、先生にとって医師とは何でしょうか?

医者はお金をいただいて、しかも原則手放しで尊敬してもらえる唯一の職業だと思う。
世間はリストラもあって、すごく大変な時代を迎えている。そんな中でも医療界は恵まれている。
将来、社会がどうなるかはわからないが、医療を提供して喜んでいただけるということは、変わらなく続いていくと思う。
そこにおいて、医者は自信をなくす必要はないし、やりがいもある。そうした仕事に従事しているのだから一所懸命やらないといけない。

―ゆえに日々勉強をするわけですね。長い時間どうもありがとうございました。
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