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もうすぐ北風が強くなる

消費増税を許すな!三党談合政権を倒そう

 日本の「消費税」は、いくら貧しくても、失業者でも、餓死しかかっていても、生活に必須の衣食住すべてに課税されるという世界に類例の無い悪税である。
 つまり、所得把握もなく、インボイス制もなく、必需品免税もないために、還付も控除もないのである。
 欧米の付加価値税などとは、比較すること自体がたわけた話である。

 現実にこの十数年の経過をみるなら、勤労家計の可処分所得が減少を続ける中で、小売は絶対的に安くなければ勝ち残れない状況に追い込まれており、中小、零細の小売業はほとんどが勝ち残れなく窮乏化してしまった。
 消費税の価格転嫁どころではないので、そのしわ寄せは農業、漁業の自営業と製造業に転嫁されてこれも窮乏化している。

 さらに勤労家計の消費が伸びないというより減少しているために、製造業は設備投資できない。これは農業、漁業も同じでいずれもは消費が伸びない中での設備投資はリスクが大きくて金融は融資ができない。
 金融は金融で本業である貸し出しが伸びなく国債と投信窓販の手数料が安定収入になっている。

 こうして97年の消費税増税以来、今日に至るまで、失業の増加、非正規社員と派遣の増加は消費の減衰となり、設備投資も冷え込み、さらに倒産、失業、雇用の質悪化の循環、すなわちデフレ・スパイラルが進行してきた十数年なのである。

 消費性向の高い階層と言うのは(例えばエンゲル係数も似ているが)生きるために必要な生活必需品に支出する率が高い階層であり、失業者を始めとする貧困な勤労者-中流勤労者-自営業者-末端管理職と中小企業主である。
 これらが国民経済の消費支出を動かす核心の部分である。日本の消費税はこの核心部分に大打撃を与えるものであるため、設備投資も減衰し、97年増税以降のデフレ・スパイラルを招いたのである。

 今は97年の消費増税も米国の要求に橋下政権が屈したためだったことが解っている。
 そして今また、民自公の三党談合までして消費増税法案をとおしてしまった。
 消費増税こそ、国民経済の循環の核心部分に大打撃を与えて経済循環を叩き潰すものである。
 農業から金融にいたるまで壊滅した後はどうなるのか。
 もちろん、ハゲタカとかいらいが収奪するだろう。

 消費増税を許してはならない。
 すべての原発を廃止することと併せて、99%の声を大きくしよう。
 こんどこそ、政権交代の果実をかいらい共に奪われてはならない。 
 民自公の三党談合を許すな。  
 ーーーーーーーーーーーーーーーー
 消費増税法が成立 民意が握る最終判断   8/11  東京新聞

 消費税率引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革関連法が十日午後の参院本会議で、民主、自民、公明などの賛成多数で可決、成立した。関連法では現行5%の消費税率を二〇一四年四月に8%、一五年十月に10%へと二段階で引き上げる。
 一方で社会保障制度の抜本改革はほとんど先送りされた。
 募る生活不安にこたえる議論は展開されず「成立ありき」の民自公三党の思惑が先行。
 国権の最高機関としての役割を果たせなかった。
 増税実施は景気回復を前提としており、一三年秋ごろの閣議決定で正式決定される。

 参院本会議での増税法採決では、民主党からは六人が反対した。六氏は本会議後、離党しない意向を示した。
 野田佳彦首相はこの後の記者会見で、消費税増税について「〇九年衆院選の民主党マニフェストに記載がなかった。深く国民におわびしたい」と陳謝。「増収分は全額社会保障で還元されることを約束する」と述べた。

 自民、公明両党党首との会談で一体改革関連法成立後の「近いうちに」行うことで合意した衆院解散の時期については「重要法案をきちんと仕上げるのが責任だ」と指摘。衆院の「一票の格差」是正に関する選挙制度関連法案や、本年度予算の財源の裏付けとなる公債発行特例法案の成立が前提との考えを示した。

 十日成立した一体改革関連法は増税法など八本。税率引き上げの条件として「経済成長率で名目3%、実質2%を目指す」ことを努力目標とした「景気条項」が設けられた。民主党マニフェストの主要政策である最低保障年金の創設や後期高齢者医療制度の廃止などは結論を棚上げし、新設される「社会保障制度改革国民会議」が議論する。
 参院本会議では増税に反対する「国民の生活が第一」など野党七党派が平田健二議長の不信任決議案を提出したが、民自公三党などの反対で否決された。

◆実施の前に衆院選

 消費税増税法が十日、成立した。だが増税実施が正式に決まったわけではない。止める道筋は、まだいくつも残っている。

 長引くデフレ経済下の増税は個人消費を冷え込ませ、景気をさらに悪化させるおそれがある。増税を実施するには景気回復が不可欠だ。
 成立した増税法にも「景気条項」と呼ばれる付則がある。そこでは、税率引き上げの条件として「経済成長率で名目3%、実質2%を目指す」と明記した。経済情勢が増税に耐えられるかどうかを見極め、場合によっては引き上げに待ったをかける規定だ。

 長引く景気低迷で「名目3%、実質2%」を達成するのは容易ではない。過去十年間では一度も達成していない。最も高い名目成長率となった二〇一〇年度ですら1・1%だ。付則の数字は「努力目標」ではあるが、法律に書かれた数字を達成しないまま、増税に踏み切ることは許されない。

 さらに大切なのは、増税前に必ず衆院選が行われることだ。
 野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁、公明党の山口那津男代表は「近いうち」に衆院解散・総選挙を行うことで合意。その解釈は割れるが、今秋ごろ解散するとの見方が強い。仮にずれ込んでも、衆院の任期満了は来年八月末。増税前には必ず、民意を表明する機会がある。

 増税の是非は衆院選後の政権が最終判断する。正式には来年秋ごろ経済情勢を踏まえて閣議決定で決まる予定だ。
 衆院選で増税反対を訴える勢力が多数を握り、政権を獲得すれば、増税しない判断をすることになる。
 閣議決定を待たずに、新政権が増税停止法案を提出し、多数で成立させれば、その段階で増税は止まる。

 その政権を構成する国会議員を決めるのは、衆院選で投じられる私たちの一票。増税するかどうか。その最終判断は民意が握っている。 (関口克己) 
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 消費増税とデフレ恐慌の関連ページ。

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原発事故の吉田前所長インタビュー全文

  東日本大震災:福島第1原発事故 一番の衝撃は「3号機の水素爆発」 吉田前所長、ビデオ出演 8/12 毎日新聞 
 東京電力福島第1原発事故で、収束作業の陣頭指揮を執った吉田昌郎前所長(57)=現在は本店原子力・立地本部付=が出演したビデオが11日、福島市であったシンポジウムで上映された。
 吉田氏は「事故で一番インパクトがあったのは3号機の水素爆発(昨年3月14日)だった」と振り返り、「自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。(爆発で)10人ぐらいは死んだかもしれないと思った」と述べた。
 吉田氏が退任後に事故時の心境を語るのは初めて。

 吉田氏は冒頭、「政府などの事故調査委員会が一段落するまで、自分が話すことはルール違反と思っていた」と、インタビュービデオを公開した理由を説明。
 今後の課題については「事故の責任問題もきちっとやるべきだが、第1原発を安定化させることがベースになる」と強調した。

 さらに、原発に残った所員が死亡した場合を考え、「墓標」の代わりにするために、ホワイトボードに所員の名前を列挙して記入したとの当時の秘話を紹介。
 高い放射線量を顧みず、現場に行く部下について「へろへろで、寝ることもできず、食事も十分でなく、体力的に限界という中で、現場に行く連中がたくさんいた。私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩(ぼさつ)のイメージを、すさまじい地獄のような状態の中で感じた」と述べた。

 ビデオは約30分間。シンポジウムは、長野県の出版社「文屋」が主催した。吉田氏は食道がんが見つかったため昨年12月、所長職を退いた。先月26日、外出先で体調不良を訴え、脳出血で緊急手術を受けた。ビデオ収録はその前の10日に行われた。
 ーーーーーーーーーーーーーーー
  福島第1原発:吉田前所長 ビデオでの発言全文  8/11 毎日新聞 

 吉田昌郎・福島第1原発前所長のビデオでの発言全文は次の通り。

−−第1原発の現場の声を伝えてほしい。

 ◆昨年の大震災、それから私たちの発電所の事故で福島県の地元の方々に本当にご迷惑をおかけしている。この場で深くおわび申し上げる。
 まだしばらくこういう状況が続くが、我々も全力を挙げて復旧しており、ご理解をお願いする。本来ならこの講演会に自分で出てきたいと思っていたが、昨年末から病気でずっと入院していてまだ体力が回復していない。そういう中でこういうビデオレターということで失礼する。
 政府などの事故調査委員会が開催されている中で、なかなか一般のマスコミの方に我々の生の声を届けるわけにはいかないと思っていた。事故調査委員会が一段落するまでは変な形でお話しをすることはルール違反になると私は思っていた。
 そういう中で(今回)話を聞いていただけるということは大変ありがたいと思っている。

−−発電所からの全面撤退がささやかれている。事実は?

 ◆しゃべりだすととまらないが、基本的に私が考えていたのは第1原発をどうやって安定化させるかということに尽きる。
 そういう時に我々が現場を離れるということは絶対にあってはならない。かといって人命は非常に尊いので、関係のない人といったらおかしいが、事故の収拾に直接関与していない人には避難していただく。
 ただやはり現場で原子炉を冷やしたり、そういう作業をしている人間は撤退できないと思っていたし、本店にも撤退ということは一言も言っていないし、私は思ってもいなかった。
 本店には一言も撤退と言っていないということは間違いない。事故調にもそう話をしている。
 あとでいぶかしく思ったが結局、本店と官邸の間でそういう撤退騒ぎが起こっているが現場では一言も絶対そういうことは言っていない。これは間違っていない。

−−自らの命を亡くす覚悟はあったか?

 ◆覚悟というほどの覚悟があったかはよくわからないが、結局、我々が離れてしまって注水ができなくなってしまうということは、もっとひどく放射能漏れになる。
 そうすると5、6号機はプラントはなんとか安定しているが、人もいなくなると結局あそこもメルト(ダウン)するというか、燃料が溶けることになる。
 そのまま放っておくと、もっと放射能も出る。福島第2原発も一生懸命、プラントを安定化させたが、あそこにも人が近づけなくなるかもしれない。そうなると非常に大惨事になる。
 そこまで考えれば、当然のことながら逃げられない。そんな中で大変な放射能、放射線がある中で、現場に何回も行ってくれた同僚たちがいるが、私が何をしたというよりも彼らが一生懸命やってくれて、私はただ見てただけの話だ。私は何もしていない。
 実際ああやって現場に行ってくれた同僚一人一人は、本当にありがたい。私自身が免震重要棟にずっと座っているのが仕事で、現場に行けていない。
 いろいろな指示の中で本当にあとから現場に話を聞くと大変だったなと思うが、(部下は)そこに飛び込んでいってくれた。本当に飛び込んでいってくれた連中がたくさんいる。
 私が昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩(ぼさつ)がわいてくるというところがあるが、そんなイメージがすさまじい地獄のような状態で感じた。
 現場に行って、(免震重要棟に)上がってきてヘロヘロになって寝ていない、食事も十分ではない、体力的に限界という中で、現場に行って上がってまた現場に行こうとしている連中がたくさんいた。
 それを見た時にこの人たちのために何かできることを私はしなければならないと思った。そういう人たちがいたから、(第1原発の収束について)このレベルまでもっていけたと私は思っている。

−−吉田さんは所員の精神の支柱だった。

 ◆私は何もしていない。私のとりえは福島第1原発に4回、赴任したことだ。
 第1原発のメンバーの名前もほとんどわかっているし、協力企業さんも結構つきあいがあり、名前で呼べるんですね。「○○さん、○○くん、大丈夫か」とか。それだけだ。それで声をかけただけだ。私は。
 何もできていない。みんなやってくれたということだ。いまだにそう思っている。

−−事細かなコミュニケーションをとったということか?

 ◆そうだ。やはり知らない間じゃないということだ。昔から一緒に仕事をした仲間だ。
 そういう仲間が大変な現場に行って帰ってき、出て行くというのを見ているので、頭を下げるしかない。

−−3号機が爆発した段階では死ぬかと思ったか?

 ◆今回一番インパクトがあったのは1号機もそうだが、3号機の爆発というのがあった。
 これは今まで経験した中で非常に、あとから考えれば水素爆発だったが、その時点では何が起こったかわからないという状態なので、これから、もう破滅的に何か起こってるんじゃないかと思った。
 爆発について。一つは自分が死ぬということ、メンバーも含めて、免震重要棟の人間は死んでたっておかしくない状態だった。3号機なんかは特にそうだった。
 あれだけのがれきが飛んできて。私は、最初は行方不明者が何人ということを聞いた時に、確か数十人レベルでまだ安否が確認できていないというのが最初の状況だった。
 ああこれは10人ぐらい死んだかもしれないというふうに思った。そこから時々刻々、だれだれがという話が入ってきて、軽傷の人間は何人かいたが。
 それから自衛隊の方には本当に申し訳なかった。水を補給しにきてくれた自衛隊の部隊がけがをされて、本当に申し訳ないと思っている。
 不幸中の幸いで人命にかかわるものではなく、これはある意味、仏様のあれかなという感じが私はしている。

−−原発に残ったメンバーの名前をホワイトボードに書くように指示したとのことだが、どのような思いだったか?

 ◆ほとんどその時のことを思い出せないが、たぶん、要するに最後まで残って戦ったのはこんな人間だぞということを残しておこうということだ。
 今から思えば。わかんないですよ。私自身。本当に。

−−墓標になると思って書いたということか。

 ◆はい。そうだ。

−−最後に何かお話はあるか?

 ◆いずれにしても今回の事象は、いろいろ国会とか政府事故調、民間事故調などで書かれているが、我々は特に政府事故調にはすべてを話をさせていただいた。マスコミの方からいろいろ問い合わせがあるが、お話は全部すべてそちらでさせていただいているので、そこをベースに考えていただければいいと思っている。
 ただやっぱりなかなか我々の肉声というのは通じない。調査委員会を通すと肉声がなかなか届かない。その部分はいろいろな形でちゃんとメッセージを発信していかないといけないと思っている。
 私一人ではなくてあそこで一緒にやったいろいろな仲間の経験をちゃんと伝えたい。

−−これから第1原発や福島県はどうあるべきか?

 ◆そういう次元の高い話になると今すぐに答えがないが、やっぱり発電所をどうきちっと安定化させるかがベースだ。そこができていない中で、地元にお帰りいただくわけにはいかないので、そこが最大の(課題だ)。
 これは事故当時も言っていたが、日本国中だけでなく世界の知恵を集めて、より発電所、第1原発をより安定化させることが一番求められている。
 いろいろなだれの責任うんぬんということもきちっとやるべきだが、やはり発電所を少しでも安定させる。それには人も必要だし、技術もいろいろな知恵が必要だ。
 そこに傾注するということが重要なことだと思う。そのうえで、地元の方々に(通常の)生活に戻っていただけるか考えることができる。
 いずれにしても現場を落ち着かせる、安定化させることが一番重要な責務だ。私はちょっとまだ十分な体力がないが、戻ったらそういう形で現場のために力を届けたい。

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「原発事故で死んでない論」は許されない

「原発事故で死んでない論」は許されない    8/12  東京新聞

 将来のエネルギー政策を決める政府の意見聴取会で先月、中部電力の社員が「(福島原発事故で)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。
 この場に限らない。最近、ちまたでよく耳にする「原発事故で死んだ人はいない」論。
 そこでは避難を強いられた地域住民の苦しみは置き去りだ。どうか思い出してほしい。原発事故がなかったら、死なずにすんだ人たちがいる。(中山洋子)

「原発事故で誰も死んでないなんて、まるでうそ。姉の死は間違いなく原発事故のせいだ」
 福島県南相馬市鹿島区の仮設住宅。江井富美さん(71)が声を震わせた。
 同市小高区で独り暮らしをしていた姉=享年(75)=は、震災発生から二週間後に自宅で病死しているのが見つかった。

 福島第一原発から約十五キロ。昨年三月十二日に避難指示が出され、この日には親戚が電話で姉の無事を確認していた。
 「市内のあちこちで断水していたが、近所でお水をもらっているようだった。偶然電話がつながったのはその日だけ。その後は連絡が取れなくなった。どこかに避難してくれていたらと願っていたのに…」

 心配した親族が市に問い合わせ、二十五日に警察や市職員とともに自宅を訪ねると、玄関近くに倒れて死亡していた。
 「近くに『水をください』というメモがあったと聞いた。立ち会った親族によると、発見の数日前の日付だった」

 同じ小高区に住んでいた江井さんも、震災直後に心臓発作を起こしてしばらく動けなかった。
 「同居の娘に『私を置いて逃げて』と本気で頼んだ」。十四日になんとか家族で避難した。混乱の中、連絡が取れない親族や友人については無事を祈るしかなかった。
 江井さんは「姉を助けられなかったことを親族も親しい知人もずっと悔やんでいる」と話す。

 今年四月まで警戒区域だった小高区では、上下水道の復旧が進んでいない。江井さんの自宅もまだ水が使えず、一時帰宅する際にペットボトルは欠かせない。姉の墓所は小高区にあり、納骨もまだできていない。
 江井さんは生前の姉の姿をよく思い出す。
 「健康に気をつけていて、私よりずっと元気だった。詩吟が好きでピアノも始めていた。その姉がなぜ死ななければならなかったんでしょうか」

 同県本宮市の仮設住宅に避難している浪江町の橘柳子さん(72)も、中部電力社員の発言を伝えるテレビに向かって、「何を分かってるっていうの」と思わず怒鳴った。
 津波に襲われた浪江町の沿岸部で、本格的な行方不明者の捜索が始まったのは震災発生から約一カ月後の四月十四日。しかし、原発から十キロ圏内では、住民が立ち入ることはできなかった。
 「避難する直前、ガレキの山から『助けて』という声を聞いた住民もいる。子どもや親と連絡が取れていなかったのに逃げるしかなかった住民もいる。津波だけなら、救助できたかもしれない。それが本当に悔しい」

 原発事故発生に伴う避難の指示内容はくるくる変わった。
 昨年三月十一日に「三キロ圏内」だった政府の避難指示は、翌十二日に「十キロ」「二十キロ」と順次拡大した。二十五日には三十キロ圏内の自主避難も促された。
 そのたびに住民たちは避難場所の移動を強いられた。四月二十二日からは、二十キロ圏は「警戒区域」として立ち入りが制限された。

 前出の橘さんは今年七月、母の大井トシノさん=享年(92)=を亡くした。ただ、震災死扱いはされてはいない。
 認知症のトシノさんは震災当時、約百三十人の入院患者と院長が取り残された双葉病院(同県大熊町)の系列の介護施設に入所していた。
 避難は混乱を極め、十時間以上に及ぶ移動中や到着後にお年寄りが次々に死亡。昨年三月中だけで、入院患者と施設入所者を合わせて五十人が亡くなっている。

 トシノさんの行方を捜していた家族は、しばらくして会津若松市の病院にいるのを見つけた。
 それまでしゃんと背筋を伸ばしていた母は、橘さんが再会したときは別人のようにやせ細り、ふらついていた。
 橘さん夫婦も、避難先を十カ所も転々とした。「母は説明できなかったが、どんなつらい目にあったのか。もっと長生きできたはず」。
 双葉病院のお年寄りたちも、原発事故がなければ死なずにすんだ人たちだ。

 避難した住民たちを苦しめる「原発事故で死んだ人はいない」論には二重のごまかしがある。
 低線量被ばくの健康リスクがある。その実態はまだ明らかではない。
 そして、事故により避難を強いられ、そのために亡くなった人々を無視していること。
 被害を軽んじる議論がその風化をあおっている。

 どれだけの人が犠牲になったのか。明確な統計はないが、復興庁のまとめ(今年三月末)によると、事故避難を含む避難生活などで病状が悪化したり、自殺に追い込まれた震災関連死は福島県で七百六十一人だった。

 同庁による原因分析のサンプル調査では、福島県に限ると、避難所などへの移動中の疲労による死亡が56%。原発事故に伴う死者が「一人もいない」とはいえない。
 ちなみに、今月十日時点での南相馬市の関連死は三百十五人、浪江町は百六十三人、双葉町六十人、大熊町三十八人、富岡町七十七人、楢葉町三十六人と続く。

 この中には自殺も含まれる。警察庁のデータを基にした内閣府の統計(今年六月末現在)では、福島県は十六人が命を絶っており、明確に原発事故が原因と遺書を残したケースもある。
 このうち六人が今年に入ってからの自殺者で、五月には浪江町の自宅に一時帰宅した六十代の自営業男性が町内で首をつって自殺した。

 このほかに震災発生後もしばらく生存していた可能性のある死がある。
 双葉町によると、震災で亡くなったことが明確な直接死の中に、溺死や圧迫死だけではなく、避難区域内での衰弱死が一例含まれている。
 富岡町も衰弱死のケースがあったことを認めている。

 犠牲を生む回路はまだ絶たれていない。仮設住宅には疲弊が蓄積している。前出の橘さんはその心象風景をこう語った。
 「帰れない、と泣く人も増えてきた。ささやかな幸せや何げない日常を奪われた喪失感が心に穴をあけている。これが放射能汚染のせいでなければ何なのか」

<デスクメモ> 「八月ジャーナリズム」という業界用語がある。平和、反戦というテーマがいまごろになると強調されることを指す。やや自嘲的な響きもある。というのは、この時期以外はこのテーマに疎遠だからだ。福島原発事故から十七カ月。「三月ジャーナリズム」を生んではいけない。厳しくいさめたいと思う。(牧)
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