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もうすぐ北風が強くなる

36%に甲状腺異常、見解と提言:カルディコット

 福島県内18歳以下の3万8千人のエコー検査で36%に甲状腺異常が表れている。
 ふつうは若い人には現れないことで、これはチェリノブイリと比べても、まだ事故から1年目の時点だったことを考慮するなら、驚くべき高い発生率であると言う。
 先に「福島の子どもたちが危ない:Business Insider」で紹介したカルディコット博士の見解と提言です。
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福島の子どもの36%に甲状腺異常:
ヘレン・カルディコット博士の見解と提言  AKIO MATSUMURAから

放射能汚染下における日本への14の提言 原子力の犠牲になっている私達の子供達
ヘレン・カルディコット医学博士   2012/8/24  
翻訳 平沼百合 FRCSR 翻訳校正 安友志乃 FRCSR

1979年にキューバを訪問した際、私は、道路脇にある「私達の子供達は国の宝です。」と宣言 をしている看板の数の多さに驚きました。
小児科医の私にとって、それは共鳴に値することであり、そしてもちろん、真実でもありま す。
しかし、松村昭雄氏が記事で書かれたように、子供達は、今まさに現在進行形で、国際連 合の政治的・原子力的協議事項と、そのほぼ全体を男性が占める政治家達の政治的生存競争、 および「国家安全保障」の犠牲となっているのです。

この世界における現代のもっともな問題は、科学者達が一般の人々の科学に対する理解を促そ うとせず、人々を置き去りにしている、という点にあります。
つまり、一般の人々の科学に対 する理解と認識は、科学の誤用、 おいても原子力科学の誤用が、生態圏と人々の健康を既に破 壊し、今後も半永久に破壊し続けるであろう、と言う所に到達していません。

同時に、ほぼ全ての政治家、財界人、エンジニア、そして核物理学者においてすら、放射線生 物学や先天性奇形、何代にもおよぶ遺伝性疾患について、あるいは、放射能に対する感受性 は、子供達は大人の20倍であり、女の子は男の子の2倍、胎児の感受性は子供達より更にもっ と高いということなど、全く理解していないというのが真実です。

従って、日本の政治家達の福島原発事故に対する反応は、根本的に無知だけでなく、ばかげた ほど無責任であると同時に、それは、東京電力、そして日本の政治的議題の大部分を編成する 傾向にある原子力産業との政治的な繋がりのせいでもあると言えます。

日本で責任ある地位につく人達は、こういった恐ろしい医学的予測を無視するか隠蔽するのに 忙しく、その無知が故に、住民は高濃度放射能汚染区域に戻って住むか、または住み続ける事 ができる、としています。東京ですら、家の埃、植物や土壌に、福島由来の危険な放射性核種 が見つかっている場所があるにもかかわらず、です。

チェ ルノブイリでの甲状腺癌は、事故後3-4年たたない内に出現し始めました。(今までに9 万2千人が甲状腺癌の診断を受けています。)
しかし、事故後わずか12ヶ月で、福島県内の3万 8千人の18歳以下の子供の内36%に甲状腺エコー検査により甲状腺のう胞か結節が見つかっています。(これらの病変のほとんどは、悪性腫瘍を除外するために、生体組織検査を行うべき です。)
潜伏期間がこれほど短いと言うことは、この子供達が吸入と飲食によって取り込んだ 放射性ヨウ素による甲状腺被曝量が尋常ではない高さであるということは、疑いの余地があり ません。

そして、これらの結果は、さらなる多種多様の癌の発症を予測させるに十分な、非常に悪い前 触れです。
何故なら、放射性ヨウ素以外に、何百種類もの放射性核種が放出され、それが今現 在、食べ物、魚や人体で濃縮され、呼吸によって肺に取り込まれているからです。
放射性核種 の中には、数分だけしか放射能を放出しないものもありますが、多くの核種は、何百年も何千 年も放射能を出し続けるために、日本の食べ物は今後、何世代にも渡って放射能汚染から免れ ることはできません。
原子力事故に終わりはないのです。
ヨーロッパ大陸の40%は今でも放射 能で汚染されており、そしてこれから何千年もの間、放射能汚染が続くことになります。

だとすれば、日本はどのように対処すべきなのか。ここに提言します。

1. 日本国内全土、土壌と水の放射能検査を行い、現在の汚染状況を把握すべきです。
これは、 風によって、放射能汚染が福島の点源から何百マイル(注:1マイル=1.6km)もの遠方まで 飛ばされるからです。

2.いかなる状況においても、放射能を帯びたゴミや瓦礫を焼却してはいけません。
焼却する と、放射性核種が遠く広域に広まり、食べ物と魚で再濃縮するだけです。

3.すべての食べ物は、スペクトロメーターを用いて、特定の放射性核種の検査を十分に行うべ きです。

4.放射能汚染された食べ物の売買や飲食をすべきではありません。
また放射能汚染された食 べ物を汚染されていない食べ物と混ぜて売買するべきではありません。
放射性核種は、体内の 様々な臓器内で再濃縮されるのです。

5.飲料水はすべて、毎週放射能検査を行うべきです。

6.日本の太平洋側で獲れた魚はすべて、これから長期に渡り、放射能検査をしなければいけ ません。

7.まだ高線量放射能汚染区域にまだ居住しているすべての人々、特に子供、妊婦や妊娠が可能 な女性は、直ちに日本国内の放射能汚染がない場所へ避難してもらうべきです。

8.福島事故による放射能被曝を受けたすべての人達、特に新生児、子供、免疫力が低下してい る人、年配者などは、癌、骨髄抑制、糖尿病、甲状腺異常、心臓病、早期老化や白内障の医学 的検査を徹底的に、そして生涯に渡って定期的に受け、必要であれば治療を受けなければいけ ません。
白血病は、これから2-3年で出現し始め、5年でピークを迎えるでしょう。
固形癌は 事故後10年から15年で出現し始め、今後、70年から90年に渡る世代間で頻発する可能性があ ります。

9.日本のすべての医師や医療従事者は、ニューヨーク科学アカデミーから出版された、「チェ ルノブイリ大惨事、人と環境に与える影響」を読んで勉強し、自分達が直面している状況の真 の医学的重大さを理解するべきです。

10.また、特に医師達、政治家や一般の人にも、私のサイトであるNuclear Free Planet nuclearfreeplanet.org において更なる情報を得ていただき、私のラジオ番組、If You Love This Planetで、福島やチェルノブイリに関連するインタビューを聴いていただき、私の著書、 Nuclear Power Is Not The Answerを読んでいただくことを、謹んで提言させていただきま す。

11.国際医学コミュニティー、特にWHO(世界保健機構)は、直ちに結集し、上記で概要を 述べたとてつもなく大きな任務を、日本の医療従事者や政治家が実行するのを助けるべきで す。

12.日本政府は、国政的なアドバイスと援助を受け入れなければいけません。

13.非常に緊急を要する事項として、日本政府は、マグニチュード7以上の地震が起こった場 合に福島第一原発4号機と使用済み燃料プールが崩壊しないよう、IAEA(国際原子力機関)と 米国のNRC(原子力規制委員会)、そしてカナダやヨーロッパなどの原子力専門家の国際的ア ドバイスと援助を求め、受け入れなければいけません。
仮に、使用済み燃料プールが崩壊して地面に落ちた場合、その熱によりチェルノブイリの10倍 の放射性物質が放出されるでしょう。
無駄にしている時間はありません。
現時点において、世 界のコミュニティーは大惨事が起こるのを、無抵抗に待っているのです。

14.国際メディアと日本のメディアは、上記に述べたような日本からの事実を直ちに報告し始 めなければいけません。
そうしないことには、世界的な大惨事を招くことになります。
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Helen Mary Caldicott ヘレン・マリー・カルディコット(1938年8月7日生まれ)はオー ストラリアの医師、著者、反核唱道者。これまで、原子力や劣化ウラン武器の使用、核兵器拡 散、戦争や軍事活動全般への反対を目的とする多くの協会を設立して来た。ラジオ番組”If You Love This Planet”を毎週主催し、原子力や核の問題、環境や人体への影響など時代を反映した 鋭いトピックと、切れ味の良いトーク、人間味あふれる人柄で多くのファンを獲得している。 2009年には、National Women's History Projectにより、Women's History Month 受賞者 に選ばれた。

生い立ち オーストラリア・メルボルン生まれ。カルディコットは、Fintona Girls' Schoolで 教育を受けた後、アデレード大学医学部を1961年に卒業。1977年にはボストンのChildren's Hospital Medical Center のスタッフとなり、1977年から1978年までハーバード医科大学小 児科にて教鞭をとる。1980年、スリーマイル島原子力発電所事故後、世界の目を核競争の「狂 気」と発展しつつある原子力依存に注目させるべく、医学の道を去る。1982年にオスカーを 受賞したNational Film Board of Canadaによる、論争を招いたドキュメンタリー映画If You Love This Planetの主役である。

活動 カルディコットは、政府関連の機密情報である、ザ・ハーシー・カンパニーは自社のペ ンシルバニア工場がスリーマイル島事故現場に近いために自社商品に使われた牛乳の放射能レ ベルを気にしていたと言う点に着目。また、ペンシルバニア州立大学工学部の1979年3月30日 の研究を挙げ、ペンシルバニアの芝草に落ちた放射性汚染物質は、地元の乳牛に取り込まれた と言及し、これはスリーマイル島事故直後に政府から発表された報告書内の情報と異なる、と 指摘した。カルディコットは、著書Nuclear Power is Not the Answer内でこの報告書に異議 を唱えている。

また、1980年には、米国において、政府支出に占める原子力に対する割合を減らし、対処さ れていない社会問題に向けさせるための組織Women's Action for Nuclear Disarmament (WAND) を設立(組織は後にWomen's Action for New Directionsと名称を変更)。
1977年から1986年の在米期間中、(1961年に設立されたが実質1970年から1978年まで休止 状態にあった)、Physicians for Social Responsibility(社会的責任を果たす医師団)を復活さ せ、1978年から1983年まで創立会長として、原子力の危険性について大衆や同僚を教育する 事に専心する医師23,000人勧誘することに尽力した。また、米国外においても、原子力、核兵 器、核戦争の医学的危険性の教育に焦点を合わせた同様のグループを各国で設立した。傘下組 織であるInternational Physicians for the Prevention of Nuclear War(核戦争防止医師会 議)は1985年にノーベル平和賞を授与。カルディコット自身、1982年にAmerican Humanist Associationからヒューマニスト・オブ・ジ・イヤー賞を授与された。1995年には再び米国に 渡り、New School of Social Researchでメディア、世界政治と環境について講義を行う。また、WBAI (Pacifica)で週刊ラジオ番組を主催し、STAR (Standing for Truth About Radiation)財団の創立会長となる。

6冊目の著書、The New Nuclear Danger: George W. Bush’s Military Industrial Complex は2001年に出版された。この本の宣伝ツアー中、カルディコットは、ワシントンDCに本部を 置くNuclear Policy Research Institute (NPRI)を設立。NPRIは主要メディアにおける、核兵 器、エネルギープログラムやポリシーを含む原子力の危険性についての継続した大衆教育運動 を促進した。NPRIはカルディコットと常任理事であるジュリー・エンスザーを中心とする組織 である。NPRIは、大衆教育、キャンペーン、主要メディア内への働きかけ、シンポジウムの後 援側に訴えかけ、原子力の全ての使用を止めるコンセンサスを生み出そうと試みた。NPRIは現 在Beyond Nuclearとなっている。2008年、カルディコットは、Helen Caldicott Foundation for a Nuclear Free Future(核のない将来のためのヘレン・カルディコット財 団)を設立。この財団は、毎週If You Love This Planet と言うラジオ番組を主催している。 こ元々ヒューストンのローカル局KPFTから始まったこの番組は、今では多数の米国、オースト ラリア、カナダのラジオ局で放送されており、www.ifyoulovethisplanet.org からポッドキャ ストで聴くこともできる。またこの財団は、原子力、福島、そして核兵器に関する情報やデー タを含む、NuclearFreePlanet.org と言うサイトも運営している。

2003年5月には、カルディコットは、「新しい原子力の脅威」と言うタイトルの講演を、サン ディエゴ大学のジョーン・B・クロック平和と正義研究所の著名人講演シリーズで行った。
2004年のドキュメンタリー映画'Helen's War: portrait of a dissident'では、カルディコット 博士の日常を姪である映画監督アナ・ブロイノウスキーの目を通して見る事ができる。

カルディコットは現在、米国とオーストラリアに居住し、核兵器と、原子力発電を含む原子力 についての意見を促進するために広範囲での講演を続けている。21の名誉博士号を授与され、 ノーベル賞受賞者のライナス・ポーリングによって、ノーベル平和賞に推薦された。2003年に はLannan Foundation Prize for Cultural Freedom を授与された。2006年にはPeace Organisation of Australia により「核時代の医学的・環境的危険性に対する意識を高める長 期に渡る献身のために」一番最初のAustralian Peace Prize を授与された。スミソニアン博物 館は、カルディコットを20世紀で一番影響力のある女性の一人だと呼んでいる。カルディコッ トは、スペインの前進的シンク・タンクであるFundacion IDEASの科学委員会の一員である。 1992年に出版された著書"If You Love This Planet"の完全改訂最新版は、2009年9月にW.W. Nortonから出版された。

また、デニス・デレストラックの2010年ドキュメンタリー、"Pax Americana and the Weaponization of Space"で、外交問題専門家、宇宙安全活動家や軍関係者と共に、インタビューをされた。2012年3月23日には、サンタ・バーバラのフォークナー・ギャラリーで、満 員の聴衆に、「福島、原子力と核拡散の医学的影響」について講演をした。

政治活動 カルディコットは、1990年の連邦議会選挙で下院におけるリッチモンド選挙区の ニューサウスウェールズの議席を争った。議席は、1901年の就任選挙以来保守派の有議席の一 つであり、1992年の選挙で当選の有効性を初めて争って以来、地方党(現国民党)の有議席 の一つでもあった。カルディコットは、予備選挙投票の23.3%を獲得し、連邦無所属候補者と しては高い投票数を得た。国民党現職(当時の国民党のリーダー)のチャールズ・ブラントの 43.2%と労働党の候補者ネヴィル・ニュールの29.4%と並び、第六選で27.4%の票を獲得し た。カルディコットは落選したものの、カルディコットを第一選好票とした票の多くはニュー ルに流れ、この影響により票数は7.1%変動し、間選好得票の50.5%で労働党が歴史上初めて 議席を獲得することができた。これは、大政党のリーダー(首相)が現職中に選挙で落選した 数少ない三回のうちの一回となった。他は1929年の選挙でのスタンリー・ブルースと2007年 での選挙のジョン・ハワードである。カルディコットは、1991年にオーストラリアの元老院に 入ることを希望し、辞任して間もないニューサウスウェールズ上院議員のポール・マクレーンの 議席を埋めるため、オーストラリア民主党のサポートを得ようとした。しかしながら、オース トラリア民主党は、前選挙のニューサウスウェールズ上院議員公認候補者名簿で最上位に位置 し、選出されなかった人物を選び、カレン・ソワダがその地位を獲得した。
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米軍はなぜ今も日本に駐留:孫崎享

海兵隊

12/08/16モーニングバード!「そもそも総研たまぺディア「そもそも米軍はなぜ今も日本に駐留しているのだろうか?」~孫崎享氏出演」書き起こし「Sekilala&Zowie」から

玉川徹氏「“そもそも、米軍はなぜ今も日本に駐留しているのだろう?”というふうなことで、用意していたテーマがなぜか今日、しっくりくるようなテーマになってしまったと。偶然なんですけど。
今日は、実は『戦後史の正体』という本を書かれました孫崎享さん、10万部のベストセラーです。おいで頂きました。孫崎さん、よろしくお願いします」

孫崎享氏「よろしくお願いします」

玉川「まず、孫崎さんはどういう方か、ご紹介したいんですけれども、(元)外交官です。外務省に入省されて、国際情報局長とか、イラン大使とか、防衛大学の教授もされたということで、このへん(イラン大使、防衛大学教授)は分かるんですけど、ここ(国際情報局長)分からないですね。国際情報局というのは何をするところですか?」

孫崎「世界にはCIAですとか、イギリスのMI6とか、情報機関がありますよね。私はそれと交流を出来るだけして、情勢分析の意見交換をするということを一番仕事として頑張りましたね」

玉川「そうすると007だとか、ミッションインポッシブルとか、そういう人たちと話をしてカウンターパートだったと」

孫崎「ええ。007はかなり長い付き合いです」

玉川「ああ、そうですか」

出演者一同、感嘆の声。

玉川「それはいいとして、今回のテーマは『米軍』なんですけれども、何のために日本に居るのかというふうに、この問いを発するとどういうふうな答えが返ってくるか。実は、2010年に朝日新聞で調査しました。日本とアメリカで。
『何のために日本に駐留してますか?』と日本で聞くと、こういう結果なんです。『日本の防衛のために居るんだ』つまり日本を守るために在日米軍がいるんだという人が半分ぐらいいる。
じゃあ、同じ質問をアメリカでするとどうなる?実は、日本の防衛のためにいるって9%しかいないんですね。じゃあ、一番多い59%は何かというと、米国の世界戦略のためにいるんだ。
あくまでアメリカの国益のために日本に駐留しているんだというふうなことがアメリカの一般的な認識なんですね。
これ、実は意外だという人も多いと思うんですけれども、孫崎さん、まず何でこんなに違うんだというところなんですが、これは何なんですか?」

孫崎「基本的にはアメリカ人が思っていることが正しいと思うんですよね」

玉川「そうですか」

孫崎「そうですよね。だけど、日本で、どうして日本の防衛であるかということについては、普天間問題とか、色んな日米間の摩擦がありますよね。
だから、米国がいるのは日本を守るんだ、ということで正当化づけている」

玉川「それは誰が正当化づけている?」

孫崎「まあ、日本のマスコミであるとか」

玉川「ああ、マスコミとか。そういうことですね。政府とか、そういうことです。
だけど、本当はどうなんだろう」

松尾貴史氏「沖縄の人はよく分かっているんじゃないんですか?」

玉川「沖縄の人は結構分かってるんですけど」

松尾「だって72年までアメリカだったわけですもんね」

玉川「我々というのはあんまり分かっていないというふうな部分があって、じゃあ実際はどうなんだ。それは法律上、つまり条約。日米安保条約とかです。そういうものですけれども、それを見ると、だいたい分かってくるというふうな事なんですが、まず歴史からいきたいと思うんですね。
日米安保条約とかそういうものがどういうふうに作られたのか。どういうふうな意図で作られたんだというのを、まずやっていきたいんですが、
キーワードとしてこちらがあります。『アメリカは他国をどう使うかを常に考えている』ということなんですね。そういうなかに日本もきっと位置付けられているという話になるんでしょうね。孫崎さん。
これ、ちょっと歴史を振り返ってみたいと思うんですが、年表がここに並んでいます。終戦から日米安保条約までの年表ですけれども、まず、占領期。アメリカはどういうふうな戦略だったのかというと、こういう戦略でした。まず、日本の非軍事化、それから経済は解体、それから民主化する。
なぜこうかというと、つまり2度と日本に戦争をさせないというふうな事が戦略だったというふうなことなんですね。
そうすると、孫崎さん。これ(非軍事化)が一番大事なんですね」

孫崎「そうですね」

玉川「これ(非軍事化)が一番大事ということは、要するにこれをしないために経済も解体と」

孫崎「ええ。その時の経済の解体の時には、多くの日本人は知ってないんですけれども、アメリカが目指したもの、例えば日本の一般の人たちの経済水準、それは日本が占領した国、例えば朝鮮半島であるとか、インドシナ半島とか、そういうような人たちよりも低くて良いんだと」

玉川「生活レベルが」

孫崎「生活レベルが。そういうような考えで、一番最初スタートしたんですね」

玉川「なるほど。この3つのことが具現化されたものがありますよと。それは何ですか?というと、実は日本国憲法だったと。憲法はマッカーサーが原案を作って、日本にこれをやれというふうに押しつけたということですよね」

孫崎「はい。一番最初に日本側が出すんですけれども、そんなものは駄目だということで突き返されて、それでアメリカ側がこの案でいけということで翻訳して日本国憲法になったわけですね」

玉川「ということですね。なので、まさにアメリカの戦略通りの形で憲法も発足している。ところが、これがずっと続かないわけです。これが180度変わっちゃうわけですね。
どう変わったかというと、非軍事化→再軍備、経済の解体→経済の再生、民主化というのは憲法でほぼできたので、新しく『米軍の駐留』というのがあいだに入ったと。
この『米軍の駐留』というところは今も続いているわけですけれども、通常は『独立する』つまり占領が終わって独立すると、占領軍というのはいなくなるのが普通なんですよね。
ところが、アメリカはどうしてもこれを残したかったと。これは何なんですか?」

孫崎「冷戦がありましたからね。冷戦で日本というのはとても重要であると。そういう判断で米軍基地を維持するということが、日本が独立した後も要請された」

玉川「なるほど。つまり、日本を共産主義の防波堤にするんだと。ここ、サンフランシスコ平和条約と、日米安保条約というのが同じ年というか、同じ日に結ばれているんですね。この二つが。
この日米安保条約に基づいて行政協定、今の地位協定ですけども、当然こういう順番(↓)になっている。
重要性としては、日本人にとっては独立が大事で、安保条約というのはその後の話だというふうに我々は思うわけですけれども、アメリカ側としては重要性が真逆(↑)だったと。こっち(行政協定)の方が重要だったというふうな話なんで、これはどういう話なんですか?」

孫崎「サンフランシスコ条約は独立したら、それで終わりですよね。
だけど、日米行政協定というのは、今日もアメリカ軍がどのように日本にいて活動できるかということですから、これ今日も続いているんですよね。基本的に」

玉川「いわゆるどういうふうに駐留するかというのが具体的に詳しく書いてあるということですね、こっち(行政協定)は」

孫崎「そうです」

玉川「安保条約も、まあボヤッとしたもんなんですね。だからこっち(行政協定)のほうが重要だったというふうな話で、こういう形で日本の駐留というのは今まで続いてきているというふうな歴史なんですね。常に『アメリカの国益のため』だというふうなのは条約の成立過程なんかを見ても分かるということですか?」

孫崎「その通りですね」

玉川「これは過去ですと。少なくとも。じゃあ、現在どうなんだというふうなことなんですが、それを考えるときにキーワードがあります。
ダレスさん。ダレスさんってどういう人ですか?」

孫崎「ダレスさんはのちのち国務長官ということで、アメリカの対日政策の最高責任者であったと言っていいと思います」

玉川「なるほど。この人が日米安保条約を作った本人というふうなことでいいわけですね。この人がこういうふうな発言をかつてしているそうです。
1951年に『日本に米国が≪望むだけの軍隊を≫≪望む場所に≫≪望む期間だけ≫駐留させるというのがアメリカの目的だ』というふうに言っていたということですか?」

孫崎「そうです。交渉にのぞむ前に『我々は日本と対峙する時に、望むだけの軍隊を望む場所に望むだけ期間、これを取るのが交渉の一番の目的である』と言っているんですね」

玉川「実際にこれを言っているわけですか?」

孫崎「言ってます」

玉川「じゃあそういう目的で始まっているということなんですね。じゃあ、実はアメリカの方針が今も変わっていないというふうな話を孫崎さんがされているんですけど、こちらでちょっと説明をしていただきたいんですが、日米行政協定、いまの地位協定ですね。さっき、一番大事だと。条約より大事だと言っていた話。ここに、基地を日本に返す時の話というのが条文の中にあるんですね。
このなかで重要なのは、はい、出して下さい。『日本国および合衆国はいずれか一方の当事者の要請がある時』たとえば日本側が、もう基地を返して下さいと、日本に。そういう時。『施設及び区域を日本国に返還すべきこと』つまり、基地を日本に返還すべきことを『要請した』ときには、『双方で合意することができる』というふうな話。
このポイントはこちら。『できる』という表現なんですよね。これを普通に読むと、ああなるほど、合意できるんだと。返ってくることもあるんだというふうに受け取るわけですよ、素人が見ると。これが違うんですか?」

孫崎「問題は、日本側が返してくれと言いますね。合意出来なかったらどうなるのか。合意出来なかったら、そのまま残れるということなんです

玉川「ああ、つまり、基地はずっとそのままということですか」

孫崎「はい」

玉川「ようするに、アメリカ側が嫌だと言ったら」

孫崎「嫌だと言ったら、ということについても、ちゃんと合意文書があるんですね。もしも、嫌だとということを言ったら」

玉川「アメリカ側が」

孫崎「アメリカ側が嫌だと言ったら、そのまま残れますよという文書が別途、交換公文であるんですね」

玉川「それは協定よりももっと下の」

孫崎「下の。一番最初、この文書は、残れるということを行政協定に書いたんですけれども、宮沢喜一さんが、そんなことしたら独立国じゃないじゃないかと、こう言うんですよね。それで、外すんです。外すんだけども、その文書はちゃんと岡崎・ラスク交換文書といって残るんです」

玉川「はあ。それはあんまり表に」

孫崎「出しちゃいけない」

玉川「条約だったら、国民がみんな見ますよね」

孫崎「そうそう」

玉川「国会でも審議するし。だけど、一番大事なところはそういう見えないところでやると」

孫崎「さっき言ったように、行政協定にそれが入っているからおかしいということを宮沢喜一さんが文句を言った。しかし、その文書が交換公文になっていることは宮沢喜一さんは知らないんですよ。あとで知ってびっくりするんですね」

玉川「ああ、そうなんですか。これが、行政協定という1952年の協定ですよね。もう今は地位協定になっている。変わっているのかといったら、はい、出して下さい。実は変わってないんですよ。いまもこのままなんですね。
つまり、ここはポイントとなるのはダレスさんが最初に言ったパネルのほう『望む期間だけ』駐留させるというふうなことが現在も生きているということですか?」

孫崎「それが結局、普天間問題とかそういうところにぜんぶ影響を与えてくるわけですよね」

玉川「なるほど。これが普天間問題とかの遠因というか、そういうふうなところになるわけですね」

羽鳥氏「全く変わってないですね」

松尾「元々、僕は意味が分かってないんですけど、合意することができるなんてわざわざ書く必要がないことじゃないんですか?」

孫崎「まあね、逆に言うと、合意することができると書いたことは、合意が出来なかったら残れるということを反対に書き込んだんですよ

松尾「反語的に書いているみたいな」

赤江氏「合意することができるということは、合意できないこともできるということにも」

孫崎「そうそう。合意出来なかったら残れるということを確保することが重要だった」

松尾「合意しなければならない、合意に向けて、ということを書いてるわけじゃない」

赤江「そうですね。本来であれば、提供することマル(。)で終わっておけば、ということですよね」

羽鳥「逆にその裏の意味のほうを言いたいわけですよね」

孫崎「だから裏の意味をちゃんと、合意しなかったらそのまま続けられるということを別途約束しているわけですから」

玉川「そっちが一番大事なんですね」

孫崎「そうです」

羽鳥「そうなんですね」

玉川「これが現在なんですけど、それともうひとつ。私たちも非常に疑問アメリカ軍というのは日本を守るんだろうかどうか、という話なんですが、その前にCM」

玉川「じゃあ、有事の時にアメリカ軍は日本をオートマチックに、つまり有事があったら必ずアメリカ軍は日本を守るために軍事行動を起こすのかどうかということなんですが、これはどうなんですか?」

孫崎「これは安保条約の第5条に書いてあるんですね」

玉川「じゃあどういうふうに書いてあるかと。これ、安保条約の第5条です。お互いに防衛する義務について、ということなんですが、これもひょっとポイントを。
まず、『各締約国』日本とアメリカですね。『日本国の施政のもとにある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って行動することを宣言する』
これ何ですか?『自国の憲法上の規定および手続き』って」

孫崎「ここが非常に、米国の場合には、交戦権というのは議会にあるんですよね。議会が決定するんです。だから、ここに書いてあるということは、議会が日本に対して、日本と一緒に軍事行動をしてもいいと言った時には共通の危険に対処することを宣言する、と書いてある。だから、そんなに絶対に出るということを言ってないんですよね」

玉川「そうすると議会が、もうダメだと。出たらいけないと言ったら出てこない」

孫崎「というのが、条約なんですね」

玉川「そういうふうに初めから、そういう意味で作られているんですか?」

孫崎「もちろん、もちろん。というのは、さっきのダレスが日米安保条約を作った時、一番最初の旧(条約)。『我々はこの条約で日本を守るという義務は負ってませんよ』と言っている」

玉川「その1951年の段階では」

孫崎「ええ。それで、基本的にはその条約が今日まで続いてますから。それを少し日本側との関係で新しい安保条約にしたときにちょっと変えたわけですよね。だけど、そこに自分の国の憲法上の規定に従って、と書いたのは、ダレスの流れが繋がっているんですよね」

玉川「これ例えば、日米安保条約はじゃあこうやって逃げを打っているわけですけど、逃げを打ってないのもあるわけですね、中には」

孫崎「そういうことです」

玉川「例えば、これは何ですか?」

孫崎「これは同じように、NATOとアメリカは持ってますよね。NATO条約の第5条。同じように、もしも攻撃があったときには、『(兵力の使用を含めて)必要と認める行動を直ちに取る』と書いてあるんです」

玉川「やっぱぜんぜん違うんですよ。これ同じ軍事同盟のようにみえるけれども、あきらかにこっちの方が。これは『直ちに』なんですね」

孫崎「そう。『直ちに』『兵力の使用を含む』」

松尾「つまり、議会でアメリカでかけられて、やっぱり中国との関係は、もう今は大事だから、それは戦うわけにはいかないよ、となると、軍事的な行動はアメリカは取って守ってくれることはないということですね」

玉川「そうですね、まあそういう事になると思うんですが、ここまでくると、つまり米軍が日本を守るかどうかというのもその時のアメリカの戦略、国益次第なんだと。オートマチックじゃないんだということですかね」

孫崎「そういうことです」

玉川「それともうひとつ。今、普天間の問題が非常に大きくなっていて、普天間基地を返還しろって言ったって、そんなの無理だろうと思っている日本人はいっぱいいるわけですけど、これについてはどうなんですか?」

孫崎「実は、日本の歴代の首相、外務大臣をみると、米国に対して、撤退しろということを言っている人が我々が思っている以上にたくさんいるんですね」

玉川「例えば」

孫崎「ちょっと見てみましょうか。一番最初に1947年の外務大臣、芦田均というのがいるんですけど、米軍は有事駐留だと言っているんです。ということは、普段はいなくていい。何か事件があった時にくればいいから、普通の時には米軍というものはいらないんだということを芦田均は言っているんです。
それから次に、重光葵というのがいるんですけれども、この人は12年以内に米軍の全面撤退。まずは陸軍が6年間、その6年間が終わった後、海空が帰ればいいということで全面撤退というのを提案しているんです、実際に」

玉川「アメリカに対して少なくともこれを言ったということですね」

孫崎「言っているんです。それから、次に佐藤栄作なんですけれども、これはベトナム戦争というのがありましたよね。ベトナム戦争で沖縄が基地として非常に重要な時期だったわけですけれども、それに対して佐藤栄作は沖縄の返還ということを要求して実現させた」

羽鳥「上の2つはどういう理由で退けられたんですか?」

孫崎「この2つはどういう理由か、基本的にはこんなの受け入れられないということでダメですよね。重光さんのときには、これもう少し具体的になっているので、重光さんのときには、それぞれの条件に我々は、じゃあ重光さんが言っているのを真剣に考えて、もしも日本側が本当にそういうことを言ってくるならば、我々は最低限、この程度まで確保しようということで、かなり」

玉川「譲歩があったんですね、本当に」

孫崎「あった」

羽鳥「譲歩はあったんですね」

玉川「ポイントは、こういうことを言った人というのはたいがい短く短命で終わっているんですよ、政権が。色んな形を使って、短くさせられているようなところがあるというふうに本に書いていらっしゃるわけですね」

孫崎「そうですね」

松尾「佐藤栄作さんは長かったですね」

孫崎「ええ、佐藤栄作さんは、だけど結局は潰されるんですよね。芦田均からいきますと芦田均は総理大臣になった時に」

玉川「ま、そこは長くなっちゃうので」

孫崎「はい」

玉川「というふうなことで、だからそういうふうな圧力との戦いだったというふうな部分があるわけですね」

赤江「ひとつだけいいですか?孫崎さん、このオスプレイに関しても、基地に関しても日本は色んな事を飲まされるというような状況ですけれども、せめてさっきの、議会にかけるとかいうのを直ちに変えてくれというふうな交渉はできないんですか?」

孫崎「それは別に置いて、オスプレイとかそういうところは日本側がこうすべきだということを向こう側に正式に言ってないですよね」

赤江「あ、それも言ってない?」

孫崎「言ってないですよね。オスプレイだったら向こうが言うのをそのまま行く。普天間だって、これを米側にしっかりやると、交渉をするというような形で交渉はしてませんから。だから、昔のいくつかのものと違うのは、昔の時には日本側は我々の主張を述べてますけれども、今の政権は何も言ってない」

赤江「何も述べてもいない?」

孫崎「述べてもいない。そのまま飲んでる」

松尾「こちら側があれこれ言うもんじゃないみたいなことを言いますもんね」

孫崎「そうそう。まさに」

立花胡桃氏「最後にいいですか?今、領土問題がすごく問題になっているんですけど。ロシアとか中国とか韓国とか、米軍がそこに駐留してることによってなんらかの抑止力になったりとかしているんですか?」

孫崎「あんまりなってないですね

玉川「それね、たぶん来週やる。なので、ちょっと今日はここまでにさせていただきたいんです。以上、今日のそもそも総研でした」

羽鳥・赤江「孫崎さん、ありがとうございました」

孫崎「恐縮です。どうも」
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配管を無くせないなら再稼働するな

 福島第二原発の建設から福島第一原発のメンテナンスをしていた技術者のブログから。
 原発の最も弱い部分は、その膨大な量の配管であること。 
 ーーーーーーーーーーーーーーーー 
 再稼働するなら配管を無くせ…無くせないなら再稼働するな! 8/23 「がんばれ福島原発」から

原発の建設が真っ盛りだったのは、1980年代でそれまでに今回事故を起こした福島第一原発は完成していた。
80年代には、東電を対象にすると福島第二原発の1~4号機が次々と営業運転を開始し、柏崎・刈羽原発が着工した。

その当時原発1基3000億円とも4000億円とも言われ、その要因は、原発の建設工期の長期化がその要因の一つであった。
この為、原発の建設工事について、合理化を強く求められ工期短縮が強く言われるようになっていた。
ここで、メーカが強く押し出したのが、各部材のモジュール化であり、出来る限り現地作業を少なくし、工場で組み上げたものを設置することで、工期の短縮を図るというものだった。

この発想は、建設工程の短縮だけでは無く、現地溶接点数を減らすことが出来ることから品質向上にも繋がることから、多くのエリアをモジュール化することが急速に進んだ。
設計図面上では、そのモジュール化は理想的であり、全体の溶接点数は、30%程度圧縮することが出来たのだが・・・

合理化策が功を奏して、原発建設の全体工程は、福島第二原発建設当時が60ヶ月であったものが、柏崎・刈羽原発建設時には、50ヶ月強まで圧縮することができた。
電力会社は、建設時においてもコストをカットし、いかに安く原発を作るかを模索していたのだ。
また、定期検査においてもその工期の短縮をメーカに押し付け、一日も早く発電し利益を得ようとする姿勢が如実に現れていた。

しかし、その裏側で隠れた大きな問題が発生し始めた。
それは、設計図面と実際の現場のずれが各所で発生し始め、それを現場合わせで対応していくと、その歪みは、最終的には大きな歪みとなって現れ、設計変更を余儀なくされるというトラブルが多く発生した。

このときは、設計者が現場に来て実際に計測作業を行うので、しっかりと設計図面に反映されるので、その後の管理が出来るということだが、現場合わせでどうにか対応してしまった箇所については、その歪みを抱えたまま営業運転に入ってしまうことになる。


  再稼働するなら配管を無くせ…無くせないなら再稼働するな!(2) 8/24

原発は1年に1回定期点検で停止する。
営業運転から大体5年程度過ぎると、改造工事と称して、新しい系統を追加したり、改善をするために、新たに配管の設置工事が行われる。
メーカで管理されている図面(3次元CAD等)には、現場の歪みは管理されていないために図面と現場のズレが大きく出てしまっていることが発覚することは、日常茶飯事だった。

私が、ウィークポイントと指摘する配管とその溶接部・フランジ部等は、こういった現場と設計との相違からも来ている。
配管は、大小に関わらず必ずそれを支持するオイススナッバー等の支持構造物が存在するのだが、その支持構造物でさえ格納容器や建屋にボルト等で固定され支持されている。

また、原子炉建屋とタービン建屋では、設計上の耐震クラスが違うために、原子炉建屋とタービン建屋の地震時の揺れ方が違うのは当たり前なのだが、そこを貫通している配管は、その揺れの違いを吸収しなくてはならないが、鋼構造部である配管にその余地は無い

代表的な配管は、主蒸気配管でそれがタービン建屋に伸びる原子炉建屋には、MSトンネル室(Main Steam Tunnel Room)が存在し、そこには、主蒸気第三弁と言われる大きな弁が存在する。
この部屋には、原子炉建屋からタービン建屋に貫通する配管が集中して配置されており、おそらく、福島第一の1~3号機は、ここが水没し原子炉建屋側からタービン建屋側へ高線量水が流れ込んだとのだと想定している。
(1号機のこの部屋の扉が歪んで開かなかったことからも、ダメージの大きさが伺えると同時にこの部屋を調査したかった東電の意向は、この事実を確認したかったのだろう)

こうして、合理化策を進めて、発電コストを下げる一方で津波対策などを分かっていてやろうとしなかった
東電の”利益最優先”の経営体質は、崩壊させなければいけない。
国有化された今しか、その体質改善はできないのだ。
モジュールが大型化されればされるほど、現場と設計の間で深い溝が広がっていった。


  原発直下断層ずれても運転可能にする新基準導入を保安院が検討・・・腹が立ってしょうがない! 8/29

原発直下に地盤をずらす「断層」があっても原発の運転を一律に禁止せず、継続の可能性を残す新たな安全評価基準の導入を、経済産業省原子力安全・保安院が検討していることが分かった。

保安院は従来「活断層の真上に原子炉を建ててはならない」との見解を示していた。
新基準では、これまでは活断層と判断される可能性があった一部の断層について原発の直下にあっても、ずれの量が小さく原子炉建屋などに影響が生じないと評価されれば原発の運転継続も可能になるとみられるとし「ずれの量の正確な評価手法はまだ完全ではない」などと課題を一応挙げたものの新基準を無理やり作る事は明らかだ。

こんなことがあっていいのだろうか?
原発直下の活断層の存在が、世の中に知られて追い詰められたと思ったら、そんなことはお構いなしで新たに基準を作って、無理やり再稼動させようとするこの腐った組織はなんなんだ!
権力を傘にしたあまりの酷すぎる横暴は許せない。

技術的にも断層のずれが発生したときにそのズレで大きな影響を受けるのが、ずっと言い続けている配管であることは、誰が考えても分かる事だ。

こんな腐った組織は即刻解体せよ! 
 ーーーーーーーーーーーーーーーー
 津波ではない、その前の地震で既に配管破断して電源喪失していた事実。
 このことについてのページリンク。

メルトダウン!
3号機、大津波の前に地震で配管破損、漏出!
次の原発大事故を準備する政府
すべての原発が地震で配管破断の危険
原因は津波ではない、地震による配管破断
原発は地震で壊れていた:ネイチャー
これからの生活と放射能汚染
地震の配管破断でメルトダウン、津波原因説の矛盾
原発事故の地震原因を封印する保安院
津波ではない、原発は地震で壊れた:国会事故調
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