北朝鮮はどこへ向かうか(2):田中宇
2012-05-19
「北朝鮮はどこへ向かうか:田中宇」の続編です。
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北朝鮮で考えた(3)
北朝鮮の首都、平壌には、かつてキリスト教会が数多くあり「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。
金日成主席の母親である康盤石は、代々キリスト教会の牧師をつとめる家系の人で、彼女自身も敬虔なキリスト教徒だった。
平壌郊外に育った金日成は幼少のころ、母や康家の親戚に連れられて平壌の教会に行き、礼拝に参加していた。
この経験が、金日成の人格形成に影響を与え、朝鮮民族が自分たちの力で苦難を乗り越えることをめざす主体思想など、金日成の革命思想には、キリスト教的な発想が存在している。
もともと北朝鮮にはキリスト教徒が多く、キリスト教的な要素が入っている革命思想が人々の心に響きやすいという利点もあった。
金日成の母は、北朝鮮で大変に尊敬されている。また、金日成が幼少時に通い、母の一族が牧師していたチルゴル教会(七谷教会)は朝鮮戦争で破壊されたが、その後、金日成の指示で、元の場所とは違うものの平壌市内に再建され、平壌の主要な教会の一つとなっている。これは、在日朝鮮人の知識人から聞いた話だ。
北朝鮮側が設定した平壌での私たちの日程には、七谷教会とならぶ平壌の主要な教会であるボンス教会(鳳岫教会。烽燧教会?)の日曜礼拝への参加が含まれていた。
4月29日、日曜日の午前10時にボンス教会についてみると、教会の牧師がわれわれを出迎え、彼が最初に私たち社会科学者の訪朝団に向かって話したことは「社会科学者は、マルクスが宗教は迷信だと主張したと言うが、マルクスが書いたものの全体を読むと、それが間違っていることがわかる。
マルクスの弟はユダヤ教のラビだった」という話だった。
社会主義の北朝鮮の人なのに、いきなり思想的に挑発的なことを言うので驚いた。驚かす作戦なのかもしれない。 (【写真】ボンス教会の牧師(中央のネクタイ背広姿))
ネクタイと背広姿の牧師は金日成バッジをつけていない。教会の信者たちも、誰もバッジをつけていなかった。
外ではバッジをつけているが、教会に入るときに外すという。信者の中に労働党員はいないという。労働党員は無神論者でなければならない。
信者の中に、一党独裁でないことを形式的に示すために存在している社会民主党の党員はいるという。同党は終戦直後の結党時からキリスト教徒が多く、労働党の政策を全面支持している。
女性信者の中にはチマチョゴリ姿も目立った。 (【写真】チマチョゴリ姿の幹部信者たち(中央の男性2人は日本人))
ボンス教会は新しくてきれいだ。2000年に金大中大統領が北朝鮮と和解する太陽政策を開始した後、韓国のキリスト教会が寄付を集め、08年に教会の新しい建物を寄贈した。
1950年に朝鮮戦争でもともとの教会の建物が破壊された後、信者は家庭で礼拝を続けていたという。牧師の説教も、韓国の教会での説教に似ている。 (【写真】美しく立派なボンス教会の外観)
かつて朝鮮半島のキリスト教徒は北側に多かったが、朝鮮戦争時に南に逃げて信仰を維持した者が多い。
韓国のキリスト教徒は、北朝鮮に特別な感情を持っている。南北の交流を初期につないだのは、北朝鮮から韓国に逃げ、そこから米国に移住したキリスト教徒だったという。
キリスト教関係では、統一教会の文鮮明(米国在住)も平壌を訪れ、金日成に「お兄さんと呼ばせてください」と頼んで親しくしたという。
統一教会系の英字新聞であるワシントンタイムズは共和党右派系だが、北朝鮮を「悪の枢軸」に入れたネオコンを「保守でなくリベラルの亜流」として、同じ共和党右派なのに強く批判している。
韓国のキリスト教徒は、北朝鮮にキリスト教を再度広めたくて、もしくは北朝鮮のキリスト教徒のために、ボンス教会の建物を寄贈したのだろう。
半面、北朝鮮側の思惑は、世界から持たれている「宗教を弾圧している」という悪いイメージを払拭し、キリスト教徒が自由な信仰を保証されている証拠として、韓国側から提案された教会の再建を受諾したのだろう。
平壌での外国人の旅程には、ボンス教会やチルゴル教会での礼拝参加が含まれることがよくある。
教会では私たちのほか、オランダから来た旅行者の一団も礼拝に参加し、賛美歌が始まると口ずさむ人もいた。
朝鮮語の牧師の説教には、欧州と日本からの訪問者を歓迎するかのように、ベートーベンや野口英世が、努力で苦難を乗り越えた偉人の例として登場した。
脱北者の証言などによると、北朝鮮ではキリスト教徒が弾圧されてきた。
北朝鮮を敵視するメディアは、ボンス教会の信者自体がキリスト教徒でなく、韓国や世界の宗教関係者の目をあざむくために、北朝鮮当局が訓練した、信者のように演技する当局の要員であると書いている。 (“ボンス教会の信者は, 全員特殊教育を受けた要員”)
私が参加したボンス教会の礼拝は、前の方の席が日本と欧州からの訪問客で占められていたが、後ろの方には、市民の信者とおぼしき人々も数十人ほど座っていた。
すべてニセモノ(当局要員)が演技しているのでなく「本物」の信者がいるように感じられた。ボンス教会の牧師や信者は、信仰が許され、布教までもが許されていると話していた。
私が話を聞いた女性信者は「私は伝道師ですから、毎日布教をしています」と高らかに宣言した。しかしこれは「言葉のあや」を越える現実とは、私には思えなかった。
現実はどうなのか。北朝鮮の多くの事象と同様、確認をとることは非常に困難だ。 (【写真】礼拝開始前の教会内。前の方は外国人客、後ろの方は市民に見える。)
私の推測は以下の通りだ。
過去に弾圧があっただろうし、布教活動も許されていないだろうが、北朝鮮には本物のキリスト教徒が存在している。
キリスト教徒は、できるだけ信者どうしで結婚し、親戚の中で代々信仰を維持することが許されている。
ボンス教会に信者もいるだろうが、教会にこないで家庭で礼拝する人も多いだろう。
中国のキリスト教徒、特に、中国共産党の愛国教会(バチカンの司教任命権を認めない)でなく、愛国教会と敵対しているバチカン(ローマ法王)を支持するカトリック教徒は、教会にこないで家庭(地下教会)で目立たないように礼拝を続けているが、それに近いのでないか。
私が以前訪れたサダム・フセイン政権時代のイラクのキリスト教徒も、そうした状況に似ていた。
フセイン政権はキリスト教徒(人口の3%)の存在を許容して閣僚に取り立て、宗教弾圧していないという国際イメージを作るために使っていた。
北朝鮮も、キリスト教会を国際的な「見せ物」として使っている感じがするが、それは「ニセモノ」でないだろう。「本物だけど見せ物」だというのが私の推測だ。
開城を訪れた際には、天台宗の霊通寺という仏教寺院を訪問した。
こちらも金大中政権の太陽政策に基づいて韓国側がお金を出し、日本の仏教系の大学も協力して、400年前の遺跡の上に立派な大伽藍の新しい寺院を04年に建設した。
2人の僧侶が寺につとめ、600人の信徒が開城市内などにいるという。私たちが訪問した際、寺にいたのは2人の僧侶と1人の事務員(当局者?)だけで、信徒も参拝客もまったくいなかった。
北朝鮮には30ほどの仏教寺院があり、全国で40人ほどの僧侶がいて、彼らが読経などを学ぶための「仏教学院」が平壌にあるそうだ。 (【写真】霊通寺の伽藍と僧侶)
南北関係が良かった金大中などの時代、38度線に近く古い町並みが残る開城市を、韓国からの観光客の訪問を受け入れる観光地する計画があった。
開城の郊外にある霊通寺の再建も、韓国からの観光客に訪れてもらい、北朝鮮の外貨獲得に貢献するためのものだった観がある。
その後、李明博政権で南北関係が決定的に悪化したため、観光地計画は頓挫している。日本の有名寺院の多くと同様、この寺も、信仰というより観光地のおもむきだ。
寺の駐車場脇の公衆トイレには「外国人用」というハングルの札が立てられたものと、立て札のないもの(簡易トイレ)が並び、立て札がある方は故障中なのか鍵がかけてあり入れなかった。
▼「見せ物」的な印象
平壌滞在中に金日成総合大学を訪問し、学部長3人を含むそうそうたる大学教授陣と交流したが、この大学訪問でも、私は「見せ物」的な印象を受けた。
大学の建物(電子図書館棟)は立派で美しく、金正日が大学生を激励するために書いた直筆のメモを拡大した壁画が図書館入り口を飾っている。
建物は美しいが、学生の姿がほとんどない。コンピューター(OSは、マイクロソフトのウインドウズと、リナックスベースの国産OSが混在していた)が100台ほど並ぶ電子閲覧室には、10人あまりしか学生がいなかった。私たちが大学を訪問したのは4月30日の平日だった。 (【写真】美しいが学生がほとんどいない閲覧室)
金日成大学は北朝鮮で最重要の大学だから、大学生はエリートで勉強熱心のはずだ。
図書館が大学生で満員であったなら、大学の情景として納得できるが、事態は全く違っていた。北朝鮮では今年「強盛国家」になるための生産加速の国家キャンペーンが行われており、大学では昨年末から、大半の学生に対して授業を行わず、勤労奉仕など学外の作業に参加させている。
だから、学内で学生の姿をわずかしか見なかった。 (North Korea shuts down universities for 10 months)
金日成大学では、経済学、法学、国際関係学(外交学)の学部長ら教授たちに会った。
経済学は北朝鮮経済を発展させるための政策を考え、法学は制度の枠組みを考案し、国際関係学は外交官を養成して外交で欧米日韓や中露と渡り合う国家的能力をつけるために必要で、3つとも北朝鮮を「強盛国家」にするために不可欠な学部だ。
それなのに学生たちの多くは、経済法学や外交術を学ぶのでなく、土木工事など人海戦術の勤労奉仕に参加させられている。北朝鮮はまったく非効率な国家政策をやっている。
私が帰国した後、訪朝団の残りの人々は5月3日、平壌で「ハナ音楽情報センター」を訪問した。ここも平壌を訪れる多くの外国人の旅程に組み込まれている。
ここは、金正日書記の発案で、平壌市民がデジタル録音された音楽を自由に検索して聞ける図書館として、欧州の機関の協力で作られた施設だ。
この施設を訪問した訪朝団の参加者によると、ここにも音楽を聞きに来ている市民の姿がほとんどなかったという。
メーデーの休日、平壌の動物園が満員で、門前の入場券売場に無数(千人以上?)の人か並んでいたのと対照的だ。 (【写真】動物園の前で入場券を買おうと並ぶ人々)
外国人に対し、学生で満員の大学図書館や、市民で満員の音楽情報センターを見せた方が、北朝鮮の国際イメージがずっと良くなるはずだ。
ほとんど利用者がいない素晴らしい施設を「金正日総書記のおかげで作られました」「最新の電子技術です」と説明して見せたがるので、外国人たちから「見せ物だ」「うそくさい」と思われてしまう。
プロパガンダが大好きな国家なのに、やり方が稚拙だ。 (【写真】直筆壁画のある大学図書館の美しすぎる玄関。私たち以外、ほとんど人がいない。)
▼人工衛星打ち上げの展示館
平壌では「3大革命展示館」という博物館の中の、人工衛星打ち上げに関する部門の展示も見学した。
これは、4月中旬に北朝鮮が人工衛星の打ち上げを試み、日本で「衛星打ち上げでなく、ミサイル用ロケット試射でないか」と騒がれたので、私ら訪朝団を受け入れた朝鮮社会科学者協会が旅程に入れてくれたものだ。 (【写真】人工衛星の展示館。私たち以外誰もいなかった)
展示館の説明員によると、北朝鮮は、外国の支援を何も受けず、全く自力で、98年に「光明星1号」という人工衛星の打ち上げに成功し、この衛星は信号を発信しつつ2年間、衛星軌道を回った後、軌道を外れ行方不明となった。
09年には、同様に全く自国の技術だけで「光明星2号」の打ち上げに成功し、これは今でも470メガヘルツの信号を発信しつつ、1周104分で衛星軌道を回っている。
4月に打ち上げた「光明星3号」は、報じられたように失敗したが、今後もまだ衛星打ち上げの努力が続けられるだろうという。 (【写真】今も地球を回っているという光明星2号の模型)
日米など「国際社会」では、北朝鮮の人工衛星はエジプトのミサイル設計図をくすねて開発したものの、一つも衛星軌道に乗っておらず、全部失敗したとされている。
北朝鮮の「光明星2号」が本当に今も衛星軌道から470メガヘルツの電波を発信しているのなら、なぜ北朝鮮以外の国々の観測機関が、この電波を受信できないのか。私はこの点が気になった。
北朝鮮が、過去の衛星打ち上げの成功を世界に認めさせたければ、たとえば日本の朝鮮総連に信号を受信させ、総連が受信記録と受信方法を発表し、日本と世界の天体観測者たちが信号を受信できるようにしてやれば良い。
総連は、そのような作業をやっていない。やはり北朝鮮の人工衛星打ち上げは、まだ一つも成功していない可能性が高い。
北朝鮮政府は、自国民の士気を鼓舞するために「わが国は外国の手を借りずに人工衛星の打ち上げに成功した、世界でも数少ない国の一つである」とウソを教えていることになる。
展示館では、コンピュータグラフィックを使った、人工衛星が成功裏に打ち上がっていく映画を上映していた。美術として美しいが、事実性は立証されていない。
▼友好人士っぽく書くことを期待されるという脅し
北朝鮮を訪問する人は、訪問の前、最中、後に、北朝鮮に対して友好的な姿勢をとり続けることを、朝鮮総連などを含む北朝鮮側から期待される。
期待はずれの言動をとった場合、次の訪朝ができなくなる可能性が高まる。私も「日本に戻ってから記事をお書きになるのはご自由です。ですが・・・」という感じで、総連系の人に言われた。
「・・・」のあとの部分は、明確な言葉として聞いたわけでない。「友好人士とみなされなくなり、訪朝できなくなりますよ」ということだと私には推測された。
北朝鮮の案内人も、重要な局面になると、この手の言い方をした(特に若気の至り的な若い男の案内人)。
私から見ると、これは真綿で首をしめるやり方の脅しだ。友好的でない人を入国させない傾向は、日本を含む多くの国に共通しているし、
日本が北朝鮮を敵視しているのだから、北朝鮮側が日本人の中の敵味方を見分けることに敏感になるのは自然ともいえる。
しかし私は、じわじわ脅されて執筆に影響を与えさせられることがいやだ。だから今回の訪朝記事は、次の真綿が首に迫ってくる前に、できるだけ早く3本の記事を書き、無数の人々に無料版で不可逆的にメール配信するやり方を選んだ。
今回の3本の記事で、私は総連や北朝鮮から「非(反)友好人士」とみなされるかもしれない(真の反朝人士は、君の記事は北朝鮮に十分おもねっていると言うだろうが)。
実際のところ私にとって、北朝鮮を二度と訪問できなくても大したことでない。
訪朝団の中にいた韓国朝鮮語を話す学界の方々は、北朝鮮に行けなくなったら問題だろうが、私が主に注目してきたのは米国の覇権体制が今後どうなるかであり、北朝鮮の国内情勢は周縁の諸事象の一つにすぎない。
日本の「ジャーナリスト」は「現場(過剰)重視」で、北朝鮮のような入境困難な場所に行って取材したがる傾向が強いが、私は、めずらしい場所に行って記事を書くことより、誰もが行っている場所に行って(または行かないで)新たな視点の記事を書く方が意味が大きいと思っている。
北朝鮮を再訪する機会があったとしても、時間を割いて訪朝したいと思うかどうかわからない。
そのような気持ちに加え、総連系の人々や、日本人の北朝鮮友好人士とのつきあいや、政治的な感じの駆け引きは、疲れるものなので避けたいという気持ちも、私の中に存在する(このような言い方は、訪朝時に親しくしていただいた方々を失望させるだろうが)。
北朝鮮敵視人士から受ける中傷も含め、徒労感が大きい。といいつつ私は、この項を書いたことにより、親朝・反朝の両側からの批判を煽動しているのかもしれない。
▼開城工業団地の政治
韓国人も、北朝鮮とつき合うことに政治的な大変さを抱えている様子を、開城工業団地で感じた。
前回の記事(2)にも書いたが、開城で、南北が共同運営する開城工業団地も訪問した。
平壌では4日間の滞在中、一度もホテルの停電がなかったが、開城では夜に何度も停電し、ホテルではそのたびに自家発電機を動かして給電していた。
開城では、美観重視の平壌で見られない自転車通勤の人々の流れががあった。 (【写真】自転車が多い開城市内の朝)
平壌から開城に行く高速道路や、開城市内の主要な道路は舗装されていたもののガタガタだった。
だが、開城市内から工業団地に向かう道は、途中から格段に舗装の状況が良くなり、突然日本に帰国したかのような錯覚に陥った。
開城市内の道路は信号機がなく、交差点では制服姿の係官が交通整理していたが、工業団地内の道路は信号機が多く、周囲のモダンなビルと相まって、韓国風の景観を作り出していた。
工業団地の管理委員会のビルも、外見は韓国の高層ビルだった。
だが、中に入って運営状況の説明を聞いてみると、圧倒的に韓国風の外観と裏腹に、運営をめぐる南北の政治駆け引きでは北朝鮮がなかなか優勢で、韓国側は譲歩、苦慮していた。
その一例は、前回の記事で紹介したが、工業団地の韓国企業が北朝鮮の工員に直接に賃金を支払うことができず、いったん工業団地の運営委員会の北朝鮮当局に全額を支払い、当局が一部を税金的な要素として取った残額を、個々の工員に支払う制度だ。
韓国側が工員に渡している月給の平均は112ドルというが、この給料のうちのどのくらいの比率を、北朝鮮当局が税金相当分として取っているか、韓国側は公式に聞いていなかった。
知っているのかもしれないが、私たちに発表しなかった。北朝鮮側がピンハネ(税金)の比率を明らかにしたがらない状況を、韓国側も了解していた。 (【写真】開城工業団地の生産風景)
工業団地は年に総額15億ドルの生産を行い、このうち13億ドル分が韓国市場で消費され、残りの2億ドル分が韓国以外の国に輸出されていると、運営委員会の金副委員長(外交官出身)は述べた。
だが、輸出先を問われると「言えない」との返事だった。米欧日などの諸国の中には、北朝鮮に対する経済制裁を発動し、北朝鮮製品の輸入を禁じている国が多い。
開城は北朝鮮国内なので、工業団地で生産されたものは制裁対象品になる。開城で作られた製品は「Made in Korea」と記され、南北どちらのコリアで作ったのか曖昧にしてあったりする。
開城で製造したものを「半製品」とみなしていったん韓国側に送り、韓国国内の工場で追加の加工を行えば、韓国製品として世界に輸出でき、制裁対象品にならない。
だが、韓国での追加の加工が名目的なものだったりすると、これまた曖昧にしておく必要がある。
開城工業団地の運営委員会が最終的な輸出先を公表すると、その国の議会やマスコミで問題にされ、韓国での追加の加工が名目的なものにすぎないことが暴露され、事実上の北朝鮮製品だから輸入禁止だということになりかねない。
委員会が輸出先を言えないのは、こうした事情があるからだと私は考えた。
日本からは、日本と韓国との合弁企業「テソンハタ」が、開城工業団地で化粧品の容器を製造している。
数年前の訪朝時に開城にきてテソンハタの工場を見学したという日本人学者によると、工場で製造する化粧品の容器には日本語が印字され、日本向けに輸出する製品が作られていたという。
化粧品の容器だけ開城で製造し、中身の充填などを韓国で行えば、たとえ北朝鮮側に労賃のお金が支払われていても、韓国製品として日本に輸出できる。
日本からはヒロセ電機も、韓国企業と合弁し、開城工業団地で操業していると報じられている。
開城工業団地では5万3千人の北朝鮮従業員が働いており、韓国側が用意した260台の大型バス(ソウルの市バスの車両)で朝夕の送迎が行われている。
従業員総数は06年の約1万人から6年間に5倍になったが、進出企業はもっと雇いたいと考えている。
韓国側は追加の雇用を申請しているが、北朝鮮側の開城市の各機関が人手不足になってしまうので、追加の雇用を急増できないという話だった。 (【写真】開城市内から工業団地への出勤者を乗せたバス)
資本主義系の発展途上諸国では、貧困層ほど親が子供を学校に行かせず働かせる傾向が強く、教育水準が高まらないが、北朝鮮のような社会主義系の国では、教育が無償で義務性も高いので、教育水準が高くなる。
北朝鮮の人は勤勉で教育水準が高く、韓国語がそのまま通じることもあり、韓国企業は、ベトナムで半年かかる従業員教育を、開城なら1カ月で終えられるという。
大消費地のソウルまで2時間で製品を運べるので、韓国財界で、開城工業団地の潜在的な人気は高い。
だが、北朝鮮側とのさまざまな政治的な関係があり、工業団地の規模をなかなか拡大できないでいる。
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北朝鮮で考えた(3)
北朝鮮の首都、平壌には、かつてキリスト教会が数多くあり「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。
金日成主席の母親である康盤石は、代々キリスト教会の牧師をつとめる家系の人で、彼女自身も敬虔なキリスト教徒だった。
平壌郊外に育った金日成は幼少のころ、母や康家の親戚に連れられて平壌の教会に行き、礼拝に参加していた。
この経験が、金日成の人格形成に影響を与え、朝鮮民族が自分たちの力で苦難を乗り越えることをめざす主体思想など、金日成の革命思想には、キリスト教的な発想が存在している。
もともと北朝鮮にはキリスト教徒が多く、キリスト教的な要素が入っている革命思想が人々の心に響きやすいという利点もあった。
金日成の母は、北朝鮮で大変に尊敬されている。また、金日成が幼少時に通い、母の一族が牧師していたチルゴル教会(七谷教会)は朝鮮戦争で破壊されたが、その後、金日成の指示で、元の場所とは違うものの平壌市内に再建され、平壌の主要な教会の一つとなっている。これは、在日朝鮮人の知識人から聞いた話だ。
北朝鮮側が設定した平壌での私たちの日程には、七谷教会とならぶ平壌の主要な教会であるボンス教会(鳳岫教会。烽燧教会?)の日曜礼拝への参加が含まれていた。
4月29日、日曜日の午前10時にボンス教会についてみると、教会の牧師がわれわれを出迎え、彼が最初に私たち社会科学者の訪朝団に向かって話したことは「社会科学者は、マルクスが宗教は迷信だと主張したと言うが、マルクスが書いたものの全体を読むと、それが間違っていることがわかる。
マルクスの弟はユダヤ教のラビだった」という話だった。
社会主義の北朝鮮の人なのに、いきなり思想的に挑発的なことを言うので驚いた。驚かす作戦なのかもしれない。 (【写真】ボンス教会の牧師(中央のネクタイ背広姿))
ネクタイと背広姿の牧師は金日成バッジをつけていない。教会の信者たちも、誰もバッジをつけていなかった。
外ではバッジをつけているが、教会に入るときに外すという。信者の中に労働党員はいないという。労働党員は無神論者でなければならない。
信者の中に、一党独裁でないことを形式的に示すために存在している社会民主党の党員はいるという。同党は終戦直後の結党時からキリスト教徒が多く、労働党の政策を全面支持している。
女性信者の中にはチマチョゴリ姿も目立った。 (【写真】チマチョゴリ姿の幹部信者たち(中央の男性2人は日本人))
ボンス教会は新しくてきれいだ。2000年に金大中大統領が北朝鮮と和解する太陽政策を開始した後、韓国のキリスト教会が寄付を集め、08年に教会の新しい建物を寄贈した。
1950年に朝鮮戦争でもともとの教会の建物が破壊された後、信者は家庭で礼拝を続けていたという。牧師の説教も、韓国の教会での説教に似ている。 (【写真】美しく立派なボンス教会の外観)
かつて朝鮮半島のキリスト教徒は北側に多かったが、朝鮮戦争時に南に逃げて信仰を維持した者が多い。
韓国のキリスト教徒は、北朝鮮に特別な感情を持っている。南北の交流を初期につないだのは、北朝鮮から韓国に逃げ、そこから米国に移住したキリスト教徒だったという。
キリスト教関係では、統一教会の文鮮明(米国在住)も平壌を訪れ、金日成に「お兄さんと呼ばせてください」と頼んで親しくしたという。
統一教会系の英字新聞であるワシントンタイムズは共和党右派系だが、北朝鮮を「悪の枢軸」に入れたネオコンを「保守でなくリベラルの亜流」として、同じ共和党右派なのに強く批判している。
韓国のキリスト教徒は、北朝鮮にキリスト教を再度広めたくて、もしくは北朝鮮のキリスト教徒のために、ボンス教会の建物を寄贈したのだろう。
半面、北朝鮮側の思惑は、世界から持たれている「宗教を弾圧している」という悪いイメージを払拭し、キリスト教徒が自由な信仰を保証されている証拠として、韓国側から提案された教会の再建を受諾したのだろう。
平壌での外国人の旅程には、ボンス教会やチルゴル教会での礼拝参加が含まれることがよくある。
教会では私たちのほか、オランダから来た旅行者の一団も礼拝に参加し、賛美歌が始まると口ずさむ人もいた。
朝鮮語の牧師の説教には、欧州と日本からの訪問者を歓迎するかのように、ベートーベンや野口英世が、努力で苦難を乗り越えた偉人の例として登場した。
脱北者の証言などによると、北朝鮮ではキリスト教徒が弾圧されてきた。
北朝鮮を敵視するメディアは、ボンス教会の信者自体がキリスト教徒でなく、韓国や世界の宗教関係者の目をあざむくために、北朝鮮当局が訓練した、信者のように演技する当局の要員であると書いている。 (“ボンス教会の信者は, 全員特殊教育を受けた要員”)
私が参加したボンス教会の礼拝は、前の方の席が日本と欧州からの訪問客で占められていたが、後ろの方には、市民の信者とおぼしき人々も数十人ほど座っていた。
すべてニセモノ(当局要員)が演技しているのでなく「本物」の信者がいるように感じられた。ボンス教会の牧師や信者は、信仰が許され、布教までもが許されていると話していた。
私が話を聞いた女性信者は「私は伝道師ですから、毎日布教をしています」と高らかに宣言した。しかしこれは「言葉のあや」を越える現実とは、私には思えなかった。
現実はどうなのか。北朝鮮の多くの事象と同様、確認をとることは非常に困難だ。 (【写真】礼拝開始前の教会内。前の方は外国人客、後ろの方は市民に見える。)
私の推測は以下の通りだ。
過去に弾圧があっただろうし、布教活動も許されていないだろうが、北朝鮮には本物のキリスト教徒が存在している。
キリスト教徒は、できるだけ信者どうしで結婚し、親戚の中で代々信仰を維持することが許されている。
ボンス教会に信者もいるだろうが、教会にこないで家庭で礼拝する人も多いだろう。
中国のキリスト教徒、特に、中国共産党の愛国教会(バチカンの司教任命権を認めない)でなく、愛国教会と敵対しているバチカン(ローマ法王)を支持するカトリック教徒は、教会にこないで家庭(地下教会)で目立たないように礼拝を続けているが、それに近いのでないか。
私が以前訪れたサダム・フセイン政権時代のイラクのキリスト教徒も、そうした状況に似ていた。
フセイン政権はキリスト教徒(人口の3%)の存在を許容して閣僚に取り立て、宗教弾圧していないという国際イメージを作るために使っていた。
北朝鮮も、キリスト教会を国際的な「見せ物」として使っている感じがするが、それは「ニセモノ」でないだろう。「本物だけど見せ物」だというのが私の推測だ。
開城を訪れた際には、天台宗の霊通寺という仏教寺院を訪問した。
こちらも金大中政権の太陽政策に基づいて韓国側がお金を出し、日本の仏教系の大学も協力して、400年前の遺跡の上に立派な大伽藍の新しい寺院を04年に建設した。
2人の僧侶が寺につとめ、600人の信徒が開城市内などにいるという。私たちが訪問した際、寺にいたのは2人の僧侶と1人の事務員(当局者?)だけで、信徒も参拝客もまったくいなかった。
北朝鮮には30ほどの仏教寺院があり、全国で40人ほどの僧侶がいて、彼らが読経などを学ぶための「仏教学院」が平壌にあるそうだ。 (【写真】霊通寺の伽藍と僧侶)
南北関係が良かった金大中などの時代、38度線に近く古い町並みが残る開城市を、韓国からの観光客の訪問を受け入れる観光地する計画があった。
開城の郊外にある霊通寺の再建も、韓国からの観光客に訪れてもらい、北朝鮮の外貨獲得に貢献するためのものだった観がある。
その後、李明博政権で南北関係が決定的に悪化したため、観光地計画は頓挫している。日本の有名寺院の多くと同様、この寺も、信仰というより観光地のおもむきだ。
寺の駐車場脇の公衆トイレには「外国人用」というハングルの札が立てられたものと、立て札のないもの(簡易トイレ)が並び、立て札がある方は故障中なのか鍵がかけてあり入れなかった。
▼「見せ物」的な印象
平壌滞在中に金日成総合大学を訪問し、学部長3人を含むそうそうたる大学教授陣と交流したが、この大学訪問でも、私は「見せ物」的な印象を受けた。
大学の建物(電子図書館棟)は立派で美しく、金正日が大学生を激励するために書いた直筆のメモを拡大した壁画が図書館入り口を飾っている。
建物は美しいが、学生の姿がほとんどない。コンピューター(OSは、マイクロソフトのウインドウズと、リナックスベースの国産OSが混在していた)が100台ほど並ぶ電子閲覧室には、10人あまりしか学生がいなかった。私たちが大学を訪問したのは4月30日の平日だった。 (【写真】美しいが学生がほとんどいない閲覧室)
金日成大学は北朝鮮で最重要の大学だから、大学生はエリートで勉強熱心のはずだ。
図書館が大学生で満員であったなら、大学の情景として納得できるが、事態は全く違っていた。北朝鮮では今年「強盛国家」になるための生産加速の国家キャンペーンが行われており、大学では昨年末から、大半の学生に対して授業を行わず、勤労奉仕など学外の作業に参加させている。
だから、学内で学生の姿をわずかしか見なかった。 (North Korea shuts down universities for 10 months)
金日成大学では、経済学、法学、国際関係学(外交学)の学部長ら教授たちに会った。
経済学は北朝鮮経済を発展させるための政策を考え、法学は制度の枠組みを考案し、国際関係学は外交官を養成して外交で欧米日韓や中露と渡り合う国家的能力をつけるために必要で、3つとも北朝鮮を「強盛国家」にするために不可欠な学部だ。
それなのに学生たちの多くは、経済法学や外交術を学ぶのでなく、土木工事など人海戦術の勤労奉仕に参加させられている。北朝鮮はまったく非効率な国家政策をやっている。
私が帰国した後、訪朝団の残りの人々は5月3日、平壌で「ハナ音楽情報センター」を訪問した。ここも平壌を訪れる多くの外国人の旅程に組み込まれている。
ここは、金正日書記の発案で、平壌市民がデジタル録音された音楽を自由に検索して聞ける図書館として、欧州の機関の協力で作られた施設だ。
この施設を訪問した訪朝団の参加者によると、ここにも音楽を聞きに来ている市民の姿がほとんどなかったという。
メーデーの休日、平壌の動物園が満員で、門前の入場券売場に無数(千人以上?)の人か並んでいたのと対照的だ。 (【写真】動物園の前で入場券を買おうと並ぶ人々)
外国人に対し、学生で満員の大学図書館や、市民で満員の音楽情報センターを見せた方が、北朝鮮の国際イメージがずっと良くなるはずだ。
ほとんど利用者がいない素晴らしい施設を「金正日総書記のおかげで作られました」「最新の電子技術です」と説明して見せたがるので、外国人たちから「見せ物だ」「うそくさい」と思われてしまう。
プロパガンダが大好きな国家なのに、やり方が稚拙だ。 (【写真】直筆壁画のある大学図書館の美しすぎる玄関。私たち以外、ほとんど人がいない。)
▼人工衛星打ち上げの展示館
平壌では「3大革命展示館」という博物館の中の、人工衛星打ち上げに関する部門の展示も見学した。
これは、4月中旬に北朝鮮が人工衛星の打ち上げを試み、日本で「衛星打ち上げでなく、ミサイル用ロケット試射でないか」と騒がれたので、私ら訪朝団を受け入れた朝鮮社会科学者協会が旅程に入れてくれたものだ。 (【写真】人工衛星の展示館。私たち以外誰もいなかった)
展示館の説明員によると、北朝鮮は、外国の支援を何も受けず、全く自力で、98年に「光明星1号」という人工衛星の打ち上げに成功し、この衛星は信号を発信しつつ2年間、衛星軌道を回った後、軌道を外れ行方不明となった。
09年には、同様に全く自国の技術だけで「光明星2号」の打ち上げに成功し、これは今でも470メガヘルツの信号を発信しつつ、1周104分で衛星軌道を回っている。
4月に打ち上げた「光明星3号」は、報じられたように失敗したが、今後もまだ衛星打ち上げの努力が続けられるだろうという。 (【写真】今も地球を回っているという光明星2号の模型)
日米など「国際社会」では、北朝鮮の人工衛星はエジプトのミサイル設計図をくすねて開発したものの、一つも衛星軌道に乗っておらず、全部失敗したとされている。
北朝鮮の「光明星2号」が本当に今も衛星軌道から470メガヘルツの電波を発信しているのなら、なぜ北朝鮮以外の国々の観測機関が、この電波を受信できないのか。私はこの点が気になった。
北朝鮮が、過去の衛星打ち上げの成功を世界に認めさせたければ、たとえば日本の朝鮮総連に信号を受信させ、総連が受信記録と受信方法を発表し、日本と世界の天体観測者たちが信号を受信できるようにしてやれば良い。
総連は、そのような作業をやっていない。やはり北朝鮮の人工衛星打ち上げは、まだ一つも成功していない可能性が高い。
北朝鮮政府は、自国民の士気を鼓舞するために「わが国は外国の手を借りずに人工衛星の打ち上げに成功した、世界でも数少ない国の一つである」とウソを教えていることになる。
展示館では、コンピュータグラフィックを使った、人工衛星が成功裏に打ち上がっていく映画を上映していた。美術として美しいが、事実性は立証されていない。
▼友好人士っぽく書くことを期待されるという脅し
北朝鮮を訪問する人は、訪問の前、最中、後に、北朝鮮に対して友好的な姿勢をとり続けることを、朝鮮総連などを含む北朝鮮側から期待される。
期待はずれの言動をとった場合、次の訪朝ができなくなる可能性が高まる。私も「日本に戻ってから記事をお書きになるのはご自由です。ですが・・・」という感じで、総連系の人に言われた。
「・・・」のあとの部分は、明確な言葉として聞いたわけでない。「友好人士とみなされなくなり、訪朝できなくなりますよ」ということだと私には推測された。
北朝鮮の案内人も、重要な局面になると、この手の言い方をした(特に若気の至り的な若い男の案内人)。
私から見ると、これは真綿で首をしめるやり方の脅しだ。友好的でない人を入国させない傾向は、日本を含む多くの国に共通しているし、
日本が北朝鮮を敵視しているのだから、北朝鮮側が日本人の中の敵味方を見分けることに敏感になるのは自然ともいえる。
しかし私は、じわじわ脅されて執筆に影響を与えさせられることがいやだ。だから今回の訪朝記事は、次の真綿が首に迫ってくる前に、できるだけ早く3本の記事を書き、無数の人々に無料版で不可逆的にメール配信するやり方を選んだ。
今回の3本の記事で、私は総連や北朝鮮から「非(反)友好人士」とみなされるかもしれない(真の反朝人士は、君の記事は北朝鮮に十分おもねっていると言うだろうが)。
実際のところ私にとって、北朝鮮を二度と訪問できなくても大したことでない。
訪朝団の中にいた韓国朝鮮語を話す学界の方々は、北朝鮮に行けなくなったら問題だろうが、私が主に注目してきたのは米国の覇権体制が今後どうなるかであり、北朝鮮の国内情勢は周縁の諸事象の一つにすぎない。
日本の「ジャーナリスト」は「現場(過剰)重視」で、北朝鮮のような入境困難な場所に行って取材したがる傾向が強いが、私は、めずらしい場所に行って記事を書くことより、誰もが行っている場所に行って(または行かないで)新たな視点の記事を書く方が意味が大きいと思っている。
北朝鮮を再訪する機会があったとしても、時間を割いて訪朝したいと思うかどうかわからない。
そのような気持ちに加え、総連系の人々や、日本人の北朝鮮友好人士とのつきあいや、政治的な感じの駆け引きは、疲れるものなので避けたいという気持ちも、私の中に存在する(このような言い方は、訪朝時に親しくしていただいた方々を失望させるだろうが)。
北朝鮮敵視人士から受ける中傷も含め、徒労感が大きい。といいつつ私は、この項を書いたことにより、親朝・反朝の両側からの批判を煽動しているのかもしれない。
▼開城工業団地の政治
韓国人も、北朝鮮とつき合うことに政治的な大変さを抱えている様子を、開城工業団地で感じた。
前回の記事(2)にも書いたが、開城で、南北が共同運営する開城工業団地も訪問した。
平壌では4日間の滞在中、一度もホテルの停電がなかったが、開城では夜に何度も停電し、ホテルではそのたびに自家発電機を動かして給電していた。
開城では、美観重視の平壌で見られない自転車通勤の人々の流れががあった。 (【写真】自転車が多い開城市内の朝)
平壌から開城に行く高速道路や、開城市内の主要な道路は舗装されていたもののガタガタだった。
だが、開城市内から工業団地に向かう道は、途中から格段に舗装の状況が良くなり、突然日本に帰国したかのような錯覚に陥った。
開城市内の道路は信号機がなく、交差点では制服姿の係官が交通整理していたが、工業団地内の道路は信号機が多く、周囲のモダンなビルと相まって、韓国風の景観を作り出していた。
工業団地の管理委員会のビルも、外見は韓国の高層ビルだった。
だが、中に入って運営状況の説明を聞いてみると、圧倒的に韓国風の外観と裏腹に、運営をめぐる南北の政治駆け引きでは北朝鮮がなかなか優勢で、韓国側は譲歩、苦慮していた。
その一例は、前回の記事で紹介したが、工業団地の韓国企業が北朝鮮の工員に直接に賃金を支払うことができず、いったん工業団地の運営委員会の北朝鮮当局に全額を支払い、当局が一部を税金的な要素として取った残額を、個々の工員に支払う制度だ。
韓国側が工員に渡している月給の平均は112ドルというが、この給料のうちのどのくらいの比率を、北朝鮮当局が税金相当分として取っているか、韓国側は公式に聞いていなかった。
知っているのかもしれないが、私たちに発表しなかった。北朝鮮側がピンハネ(税金)の比率を明らかにしたがらない状況を、韓国側も了解していた。 (【写真】開城工業団地の生産風景)
工業団地は年に総額15億ドルの生産を行い、このうち13億ドル分が韓国市場で消費され、残りの2億ドル分が韓国以外の国に輸出されていると、運営委員会の金副委員長(外交官出身)は述べた。
だが、輸出先を問われると「言えない」との返事だった。米欧日などの諸国の中には、北朝鮮に対する経済制裁を発動し、北朝鮮製品の輸入を禁じている国が多い。
開城は北朝鮮国内なので、工業団地で生産されたものは制裁対象品になる。開城で作られた製品は「Made in Korea」と記され、南北どちらのコリアで作ったのか曖昧にしてあったりする。
開城で製造したものを「半製品」とみなしていったん韓国側に送り、韓国国内の工場で追加の加工を行えば、韓国製品として世界に輸出でき、制裁対象品にならない。
だが、韓国での追加の加工が名目的なものだったりすると、これまた曖昧にしておく必要がある。
開城工業団地の運営委員会が最終的な輸出先を公表すると、その国の議会やマスコミで問題にされ、韓国での追加の加工が名目的なものにすぎないことが暴露され、事実上の北朝鮮製品だから輸入禁止だということになりかねない。
委員会が輸出先を言えないのは、こうした事情があるからだと私は考えた。
日本からは、日本と韓国との合弁企業「テソンハタ」が、開城工業団地で化粧品の容器を製造している。
数年前の訪朝時に開城にきてテソンハタの工場を見学したという日本人学者によると、工場で製造する化粧品の容器には日本語が印字され、日本向けに輸出する製品が作られていたという。
化粧品の容器だけ開城で製造し、中身の充填などを韓国で行えば、たとえ北朝鮮側に労賃のお金が支払われていても、韓国製品として日本に輸出できる。
日本からはヒロセ電機も、韓国企業と合弁し、開城工業団地で操業していると報じられている。
開城工業団地では5万3千人の北朝鮮従業員が働いており、韓国側が用意した260台の大型バス(ソウルの市バスの車両)で朝夕の送迎が行われている。
従業員総数は06年の約1万人から6年間に5倍になったが、進出企業はもっと雇いたいと考えている。
韓国側は追加の雇用を申請しているが、北朝鮮側の開城市の各機関が人手不足になってしまうので、追加の雇用を急増できないという話だった。 (【写真】開城市内から工業団地への出勤者を乗せたバス)
資本主義系の発展途上諸国では、貧困層ほど親が子供を学校に行かせず働かせる傾向が強く、教育水準が高まらないが、北朝鮮のような社会主義系の国では、教育が無償で義務性も高いので、教育水準が高くなる。
北朝鮮の人は勤勉で教育水準が高く、韓国語がそのまま通じることもあり、韓国企業は、ベトナムで半年かかる従業員教育を、開城なら1カ月で終えられるという。
大消費地のソウルまで2時間で製品を運べるので、韓国財界で、開城工業団地の潜在的な人気は高い。
だが、北朝鮮側とのさまざまな政治的な関係があり、工業団地の規模をなかなか拡大できないでいる。
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原子力村からNO:原研労組
2012-05-19
原発推進の立場で原子力村の一部ではありながらも、電力会社のCMにまでは脳を侵されていない。
というのがいわゆる異端の「安全派」と言うならば、彼らもそんな立ち位置になるのだろう。
深刻な原発事故は原子力村の中にも流動を引き起こしている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【こちら特報部】「原子力ムラから『NO』原発再稼働 原研労組の考え」 5/17 東京新聞 書き起こし「大友涼介のブログ」から
「たとえ数千年に一度の天災であっても、広範な放射能汚染で国を危機に陥れるようなものは運転すべきではない」。どこの脱原発団体のメッセージかと思えば、なんと原子力ムラ内部が発信源だった。日本原子力研究開発機構労働組合(通称・原研労組)の中央執行委員会が今年四月に出した声明文。「もんじゅ」などを所管する独立行政法人で働く原子力の専門家たちが、再稼働にNOを突き付けるそのワケは・・・。(小倉貞俊記者)
※デスクメモ 言うまでもないことだが、原研労組は原子力の専門家の集団だ。その専門家たちが、積み上げてきた専門知識に照らして、原発を再稼働させるのは問題だと主張している。一方、再稼働を進めようとしている政治家に、専門家はいない。どちらの言葉に説得力があるか。それも言うまでもないことだ。(木デスク)
■「事故防げず悔い残る」
「原子力ムラの片隅にいる者として、福島原発で事故を防げなかったことに悔いが残る」
今月十三日、さいたま市内で開かれた、埼玉県医療労働組合連合会の集会。講師として招かれた原研労組の岩井孝中央執行委員長(55)は、素直にこう詫びた。
講演のテーマは、放射能の健康への影響について。看護士ら約六十人を前に、「とても安心はできないが、過剰に怖がっても駄目。きちんと学んで、冷静に対応して」とアドバイス。原発事故を引き起こした国の対応に話が及ぶと「原子力の安全神話のもと、批判的な意見を無視してきた。拙速な再稼働には反対だ」と力説した。
原研労組は、茨城県東海村の日本原子力研究開発機構(原子力機構)内にある、二つの労組のうちの一つだ。日本原子力研究所(原研)の労組が母体になっており、原子力機構の全職員約四千人のうち二百八十人が加わる。原子力機構は二〇〇五年十月、原研と核燃料サイクル開発機構(サイクル機構)が統合して発足した。全労連にオブザーバー加盟する原研労組は、サイクル機構の流れを汲む「原子力ユニオン」とは方針を異にしている。
旧原研時代から、原研労組は折に触れて原子力の安全性などについて問題提起を続けてきたという。岩井氏は「原子力ムラの一員ではあるが、中立的な研究機関として誕生した原研の出自から、推進ありきではなく、常に客観性を心掛けてきた」と話す。
福島第一原発事故からひと月後の昨年四月十一日に出した声明では、早くも「日本の原子力政策を大幅に見直し、国の方針を転換せざるを得ないことは明白だ」と主張した。「事故を食い止められなかった責任について、原子力のプロとして何か発言すべきだと内部で声が上がった」と岩井氏。
その後も、組合員の意見交換を毎月のように実施。昨年末の組合員アンケートで約半数が「将来的に原発をなくすべきだ」と回答したこともあり、それが冒頭に紹介した声明文の発表につながった。
■「安全神話」を前から疑問視
実は原研労組はチェルノブイリ事故が起きた後の一九八九年、組合員に国内で大事故が起きる可能性についてアンケートを行っていた。回答した約三百人のうち「起こらない」と断言したのは11%。「将来にわたって安全基準が維持できるか心配」42%、「十分な安全は立証されていない」28%など、当時から少なくない人数が「安全神話」を疑っていた。
「『軽水炉』と呼ばれる現在主流のタイプは不安定で、さまざまな対策を講じなければ実用化できない代物。それなのに、日本はこれまで、『アメリカの原発の安全性は実証済み』として、独自に安全性を高めるような研究をしてこなかった」
こうした原子力政策の進め方自体が問題であり、それが事故の遠因ともなった、と岩田氏考えている。
■「今後の判断材料を国民に提供していきたい」
原研労組は「脱原発」でまとまっているわけではない。原子力をめぐる組合員の意見は「多少の手直しで継続する」から「手に負えないのでやめる」までさまざまだ。
岩井氏自身は「原子力はいったん白紙に戻って検証するべきだ」との立場という。
「例えば、東海第二原発はヒビがたくさん入っており、もはやリフォームで対応できるレベルではない。他の古い原発も構造計算が甘く、動かすのは非現実的だ」
にもかかわらず、政府は再稼働に躍起だ。岩井氏は「『福島と同じ規模の地震や津波に耐えられるかどうか』を再稼働を認める基準にするのはおかしい。福島クラスが最大のものだとなぜ言い切れるのか。まともな科学者で、あのストレステストを根拠にした再稼働を認める人間はいないはずだ」と釘を刺す。
「フランスは『人が考えることには限界がある』という思想に基づき、過去の事故に学んできた。ベント(排気)時に放射性物質を除去するフィルターの設置がいい例だ。日本はどうか。今に至っても、教訓を生かそうとしていない」とも。
岩井氏が講演を依頼された数は昨年三月以降、四十回近い。事故前は、年に数回ほど。原子力機構職員としての外部発表は許可が要るため、組合活動の一環として要請に応えている。
「原子力ムラは閉鎖的だったが、だからこそ内部から声を上げることに意義がある。原子力政策を今後どうしていくのか、決めるのは『誰か』ではなく国民である『あなた』。その判断材料を提供していきたい」
==================
*** 批判的意見 発信は異例 ***
原子力に携わる企業・団体の労組で声を上げるところは少ない。まして、原発に批判的な意見を発信するのは極めて異例だ。
電力会社など約二百三十社の労組は、産業別労組の上部団体である全国電力関連作業労働組合総連合(電力総連)に加盟しており、基本的な考え方は電力総連の方針に沿っている。
その電力総連は、原子力について「日本のエネルギー政策の一翼を担っていることに誇りを持っている」と推進の立場をとる。福島第一原発事故を受けた一一年九月の定期大会で「原発の在り方について検討を進める」との運動方針を採択したものの、事故そのものへの言及はない。
ちなみに、電力総連は日本労働組合総連合会(連合)の中核組織であり、政治団体「電力総連政治活動委員会」を通じて議員に資金提供するなど民主党を「票とカネ」でバックアップしてきたことは過去に「こちら特報部」でも報じてきた通りだ。(※注1)
※注1 ==================
【こちら特報部】「国民に破綻経営のツケ回し~東電、関電の傍若無人」2012/05/12(東京新聞) http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11248673442.html
【こちら特報部】「再稼働すべきは国会」2012/04/13(東京新聞) http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11222011450.html
==================
福島原発を所管する東京電力の労組は、声明文など事故に対する自らの考えを外部に説明するような情報発信は行っていない。東電労組の担当者は「企業内の労組であり、経営方針と異なった意見を積極的に打ち出すことはなじまない。エネルギー政策全体の考え方は、電力総連の方針に従っている」と話す。
また、再稼働問題を抱え、今夏の電力不足が危惧される関西電力でも、労組は沈黙。「安定した電力供給が使命であり、社の方針に逆行するようなことはあり得ない」と説明する。
一方、原子力機構のもうひとつの労組で、サイクル機構の労組の流れを汲む原子力ユニオンの場合はどうか。担当者は「使用済み核燃料サイクルの実現を目指しているため、原子力政策を批判することはない。そもそも労組は雇用の確保と労働条件の改善が目的であり、考え方を打ち出す場ではない」としている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
声明: 拙速な原発運転再開に反対する。 2012 年4 月18 日 kiikochan.blogから
日本原子力研究開発機構労働組合 中央執行委員会
東北地方太平洋沖地震に続いた東京電力福島第1 原子力発電所の事故は、
3つの原子炉が炉心溶融、そして大量の放射能放出という事態に至り、
地域住民そして我が国に大きな被害を与えた。
原発事故の終息のめどは依然立っていない。
この事故について、発電所のどこがどのように壊れていったのか、
何が壊れ、何が壊れなかったのか、あるいは機能不全にならなかったのかは
調査に手を付けられない部分が多いだけにほとんどわかっていない。
しかし、国、原子力委員会、原子力安全委員会、原子力安全・保安院そして電力会社たちが、
「安全を守るためにはこれで良し」とした考え方が破たんしたことは間違いのない事実である。
それは、そもそも原子力プラントに
「どのようなことが起こりうるかをどのように想定し、どのように準備するか」 という考え方の問題である。
「起こりえない」としてきたことがまとめて起きた。
地震動や津波が想定を超えたこと、想定外の長時間の交流電源喪失が起きたことなどは、
想定手法の間違いが現れた一側面に過ぎない。
原子力は極めて大きなエネルギーと大量の放射能を扱い、大きな事故になれば国家的危機を招く。
であるから、原子力の安全を真剣に考えるならば、
今後、このような大きな想定外があってはならないことは、言うまでもない。
しかし、今、国や原子力安全・保安院は停止している原子炉を
「ストレステスト」なるものを実施するだけで、「安全である」と強弁し、運転を再開しようとしている。
それは、基本的には福島で起きたことを見て、
若干想定を変えた高さの津波や地震動でどうなるかを机上で分析する、
あるいは福島で起きた全電源喪失に対する一定程度の対策が出来ているかを見るだけである。
「ストレステスト」は、原発のサイトに何が起こりうるのかを想定する手法が破たんしたという現状を
しっかり認識した上での原発の安全確認からはほど遠いものである。
問題は、地震動の数百ガルの違いや津波の高さの数メートルの問題ではない。
ストレステストの実施者、検証者の資格も問題である。
今回の事故に対する前述の認識に立てば、
間違った「これで良し」の基準を作ってきた電力会社、原子力安全・保安院、原子力安全委員会をはじめとする
関係者が明確な責任を取らず、そのままの地位にいてテストやテストの検証をしたとしても、
全く信用できるものではない。
一方、「電力なしでは生活できない」などと発言する政界人がいると聞く。
電力の供給は重要であり、需要に応じて制限なしに供給できるとすればそれはそれで意味がある。
しかし、「原発稼働なし」が、直ちに「電力なし」ではないことは言うまでもなく、
原発を動かさないと電気がなくなるかのような発言は問題である。
ましてや、当面の電力に対する渇望を理由に、原発を根拠なしに「安全」というのは犯罪的な行為である。
また、電力会社が、福島事故を見た上で、既存の原発を再稼働できない事態に備えていないとすれば、
電力会社としての責任を果たしているとは言えないであろう。
原子力関係者の立場では、先に述べた失敗の根源を認識し、
目先の運転や、目先の国民の理解、目先の面目などを横に置き、
本質的な問題の解明と将来へ向けての考え方を作っていくことが被害の軽減の次になすべきことである。
たとえ数千年に一度の天災であっても、広範な放射能汚染で国を危機に陥れるようなものは運転すべきではない。
拙速な原発運転再開に反対する。
というのがいわゆる異端の「安全派」と言うならば、彼らもそんな立ち位置になるのだろう。
深刻な原発事故は原子力村の中にも流動を引き起こしている。
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【こちら特報部】「原子力ムラから『NO』原発再稼働 原研労組の考え」 5/17 東京新聞 書き起こし「大友涼介のブログ」から
「たとえ数千年に一度の天災であっても、広範な放射能汚染で国を危機に陥れるようなものは運転すべきではない」。どこの脱原発団体のメッセージかと思えば、なんと原子力ムラ内部が発信源だった。日本原子力研究開発機構労働組合(通称・原研労組)の中央執行委員会が今年四月に出した声明文。「もんじゅ」などを所管する独立行政法人で働く原子力の専門家たちが、再稼働にNOを突き付けるそのワケは・・・。(小倉貞俊記者)
※デスクメモ 言うまでもないことだが、原研労組は原子力の専門家の集団だ。その専門家たちが、積み上げてきた専門知識に照らして、原発を再稼働させるのは問題だと主張している。一方、再稼働を進めようとしている政治家に、専門家はいない。どちらの言葉に説得力があるか。それも言うまでもないことだ。(木デスク)
■「事故防げず悔い残る」
「原子力ムラの片隅にいる者として、福島原発で事故を防げなかったことに悔いが残る」
今月十三日、さいたま市内で開かれた、埼玉県医療労働組合連合会の集会。講師として招かれた原研労組の岩井孝中央執行委員長(55)は、素直にこう詫びた。
講演のテーマは、放射能の健康への影響について。看護士ら約六十人を前に、「とても安心はできないが、過剰に怖がっても駄目。きちんと学んで、冷静に対応して」とアドバイス。原発事故を引き起こした国の対応に話が及ぶと「原子力の安全神話のもと、批判的な意見を無視してきた。拙速な再稼働には反対だ」と力説した。
原研労組は、茨城県東海村の日本原子力研究開発機構(原子力機構)内にある、二つの労組のうちの一つだ。日本原子力研究所(原研)の労組が母体になっており、原子力機構の全職員約四千人のうち二百八十人が加わる。原子力機構は二〇〇五年十月、原研と核燃料サイクル開発機構(サイクル機構)が統合して発足した。全労連にオブザーバー加盟する原研労組は、サイクル機構の流れを汲む「原子力ユニオン」とは方針を異にしている。
旧原研時代から、原研労組は折に触れて原子力の安全性などについて問題提起を続けてきたという。岩井氏は「原子力ムラの一員ではあるが、中立的な研究機関として誕生した原研の出自から、推進ありきではなく、常に客観性を心掛けてきた」と話す。
福島第一原発事故からひと月後の昨年四月十一日に出した声明では、早くも「日本の原子力政策を大幅に見直し、国の方針を転換せざるを得ないことは明白だ」と主張した。「事故を食い止められなかった責任について、原子力のプロとして何か発言すべきだと内部で声が上がった」と岩井氏。
その後も、組合員の意見交換を毎月のように実施。昨年末の組合員アンケートで約半数が「将来的に原発をなくすべきだ」と回答したこともあり、それが冒頭に紹介した声明文の発表につながった。
■「安全神話」を前から疑問視
実は原研労組はチェルノブイリ事故が起きた後の一九八九年、組合員に国内で大事故が起きる可能性についてアンケートを行っていた。回答した約三百人のうち「起こらない」と断言したのは11%。「将来にわたって安全基準が維持できるか心配」42%、「十分な安全は立証されていない」28%など、当時から少なくない人数が「安全神話」を疑っていた。
「『軽水炉』と呼ばれる現在主流のタイプは不安定で、さまざまな対策を講じなければ実用化できない代物。それなのに、日本はこれまで、『アメリカの原発の安全性は実証済み』として、独自に安全性を高めるような研究をしてこなかった」
こうした原子力政策の進め方自体が問題であり、それが事故の遠因ともなった、と岩田氏考えている。
■「今後の判断材料を国民に提供していきたい」
原研労組は「脱原発」でまとまっているわけではない。原子力をめぐる組合員の意見は「多少の手直しで継続する」から「手に負えないのでやめる」までさまざまだ。
岩井氏自身は「原子力はいったん白紙に戻って検証するべきだ」との立場という。
「例えば、東海第二原発はヒビがたくさん入っており、もはやリフォームで対応できるレベルではない。他の古い原発も構造計算が甘く、動かすのは非現実的だ」
にもかかわらず、政府は再稼働に躍起だ。岩井氏は「『福島と同じ規模の地震や津波に耐えられるかどうか』を再稼働を認める基準にするのはおかしい。福島クラスが最大のものだとなぜ言い切れるのか。まともな科学者で、あのストレステストを根拠にした再稼働を認める人間はいないはずだ」と釘を刺す。
「フランスは『人が考えることには限界がある』という思想に基づき、過去の事故に学んできた。ベント(排気)時に放射性物質を除去するフィルターの設置がいい例だ。日本はどうか。今に至っても、教訓を生かそうとしていない」とも。
岩井氏が講演を依頼された数は昨年三月以降、四十回近い。事故前は、年に数回ほど。原子力機構職員としての外部発表は許可が要るため、組合活動の一環として要請に応えている。
「原子力ムラは閉鎖的だったが、だからこそ内部から声を上げることに意義がある。原子力政策を今後どうしていくのか、決めるのは『誰か』ではなく国民である『あなた』。その判断材料を提供していきたい」
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*** 批判的意見 発信は異例 ***
原子力に携わる企業・団体の労組で声を上げるところは少ない。まして、原発に批判的な意見を発信するのは極めて異例だ。
電力会社など約二百三十社の労組は、産業別労組の上部団体である全国電力関連作業労働組合総連合(電力総連)に加盟しており、基本的な考え方は電力総連の方針に沿っている。
その電力総連は、原子力について「日本のエネルギー政策の一翼を担っていることに誇りを持っている」と推進の立場をとる。福島第一原発事故を受けた一一年九月の定期大会で「原発の在り方について検討を進める」との運動方針を採択したものの、事故そのものへの言及はない。
ちなみに、電力総連は日本労働組合総連合会(連合)の中核組織であり、政治団体「電力総連政治活動委員会」を通じて議員に資金提供するなど民主党を「票とカネ」でバックアップしてきたことは過去に「こちら特報部」でも報じてきた通りだ。(※注1)
※注1 ==================
【こちら特報部】「国民に破綻経営のツケ回し~東電、関電の傍若無人」2012/05/12(東京新聞) http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11248673442.html
【こちら特報部】「再稼働すべきは国会」2012/04/13(東京新聞) http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11222011450.html
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福島原発を所管する東京電力の労組は、声明文など事故に対する自らの考えを外部に説明するような情報発信は行っていない。東電労組の担当者は「企業内の労組であり、経営方針と異なった意見を積極的に打ち出すことはなじまない。エネルギー政策全体の考え方は、電力総連の方針に従っている」と話す。
また、再稼働問題を抱え、今夏の電力不足が危惧される関西電力でも、労組は沈黙。「安定した電力供給が使命であり、社の方針に逆行するようなことはあり得ない」と説明する。
一方、原子力機構のもうひとつの労組で、サイクル機構の労組の流れを汲む原子力ユニオンの場合はどうか。担当者は「使用済み核燃料サイクルの実現を目指しているため、原子力政策を批判することはない。そもそも労組は雇用の確保と労働条件の改善が目的であり、考え方を打ち出す場ではない」としている。
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声明: 拙速な原発運転再開に反対する。 2012 年4 月18 日 kiikochan.blogから
日本原子力研究開発機構労働組合 中央執行委員会
東北地方太平洋沖地震に続いた東京電力福島第1 原子力発電所の事故は、
3つの原子炉が炉心溶融、そして大量の放射能放出という事態に至り、
地域住民そして我が国に大きな被害を与えた。
原発事故の終息のめどは依然立っていない。
この事故について、発電所のどこがどのように壊れていったのか、
何が壊れ、何が壊れなかったのか、あるいは機能不全にならなかったのかは
調査に手を付けられない部分が多いだけにほとんどわかっていない。
しかし、国、原子力委員会、原子力安全委員会、原子力安全・保安院そして電力会社たちが、
「安全を守るためにはこれで良し」とした考え方が破たんしたことは間違いのない事実である。
それは、そもそも原子力プラントに
「どのようなことが起こりうるかをどのように想定し、どのように準備するか」 という考え方の問題である。
「起こりえない」としてきたことがまとめて起きた。
地震動や津波が想定を超えたこと、想定外の長時間の交流電源喪失が起きたことなどは、
想定手法の間違いが現れた一側面に過ぎない。
原子力は極めて大きなエネルギーと大量の放射能を扱い、大きな事故になれば国家的危機を招く。
であるから、原子力の安全を真剣に考えるならば、
今後、このような大きな想定外があってはならないことは、言うまでもない。
しかし、今、国や原子力安全・保安院は停止している原子炉を
「ストレステスト」なるものを実施するだけで、「安全である」と強弁し、運転を再開しようとしている。
それは、基本的には福島で起きたことを見て、
若干想定を変えた高さの津波や地震動でどうなるかを机上で分析する、
あるいは福島で起きた全電源喪失に対する一定程度の対策が出来ているかを見るだけである。
「ストレステスト」は、原発のサイトに何が起こりうるのかを想定する手法が破たんしたという現状を
しっかり認識した上での原発の安全確認からはほど遠いものである。
問題は、地震動の数百ガルの違いや津波の高さの数メートルの問題ではない。
ストレステストの実施者、検証者の資格も問題である。
今回の事故に対する前述の認識に立てば、
間違った「これで良し」の基準を作ってきた電力会社、原子力安全・保安院、原子力安全委員会をはじめとする
関係者が明確な責任を取らず、そのままの地位にいてテストやテストの検証をしたとしても、
全く信用できるものではない。
一方、「電力なしでは生活できない」などと発言する政界人がいると聞く。
電力の供給は重要であり、需要に応じて制限なしに供給できるとすればそれはそれで意味がある。
しかし、「原発稼働なし」が、直ちに「電力なし」ではないことは言うまでもなく、
原発を動かさないと電気がなくなるかのような発言は問題である。
ましてや、当面の電力に対する渇望を理由に、原発を根拠なしに「安全」というのは犯罪的な行為である。
また、電力会社が、福島事故を見た上で、既存の原発を再稼働できない事態に備えていないとすれば、
電力会社としての責任を果たしているとは言えないであろう。
原子力関係者の立場では、先に述べた失敗の根源を認識し、
目先の運転や、目先の国民の理解、目先の面目などを横に置き、
本質的な問題の解明と将来へ向けての考え方を作っていくことが被害の軽減の次になすべきことである。
たとえ数千年に一度の天災であっても、広範な放射能汚染で国を危機に陥れるようなものは運転すべきではない。
拙速な原発運転再開に反対する。
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