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もうすぐ北風が強くなる

ユーロの悲劇:三橋

 ユーロ旗

 国民経済が成り立つためには、その国の通貨があるということが不可欠な要素である。
 実に共通通貨ユーロが、そのことを逆に示してくれた。
 共通通貨によって富はドイツに集中し、ギリシャ、スペインは犠牲となる。
 ユーロ圏内が宗主国と植民地になってしまった。
 離脱して自国通貨に戻す以外に、展望は拓けないだろう
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  ユーロの悲劇 4/12  三橋貴明 Klugから

 IMFは「対外負債」の返済不能という、真の意味で財政危機に陥った国に対し、主に以下の「構造調整計画」を実施する。

構造調整計画は、インフレかつ貿易赤字であるにも関わらず、無作為に財政赤字を膨らませた挙句に破綻した国に対し、容赦なく対外負債(外貨建て負債)を返済させるためにIMFが抜く伝家の宝刀なのである。

◆財政赤字の是正:均衡財政もしくは財政赤字対GDP比率の大幅縮小を目指す
◆財政支出削減:特に「金食い虫」である社会保障支出の削減を実施する
◆税制改革:消費税などを増税すると同時に、法人税削減で企業の投資拡大による供給能力向上を目指す
◆金利の自由化:金利の上限を撤廃し、高金利に誘導する。
◆競争力ある為替レート:固定為替相場制の国は変動相場制に移行させる。
◆貿易の自由化:外国製品と国内製品の競争を激化させることで、供給能力向上を目指す
◆直接投資の受け入れ促進:外資導入により供給能力向上を目指す
◆国営企業の民営化:国営企業のビジネスに競争原理を持ち込み、供給能力向上を目指す
◆規制緩和:規制緩和により競争を激化させ、供給能力向上を目指す
◆所有権法の確立:個人や企業の所有権を確立・強化し、政府の介入を抑制する

 上記の各種の政策は、IMFの発展途上国の債務危機に対する処方箋を抽出したもので、ワシントン・コンセンサスと呼ばれている。なぜ「ワシントン」なのかと言えば、上記の抽出を行った国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが、ワシントンDCに位置するIIE(国際経済研究所)に属していたためである。

 上記の構造調整改革、あるいはワシントン・コンセンサスは、発展途上国などの「対外負債返済不能」という問題を解決する上では、確かに効果的だ。理由は、発展途上国が「なぜ対外負債の返済不能に陥るのか」を考えれば、すぐに理解できる。

 そもそも、政府が外貨建ての国債などを発行し、最終的に財政危機に陥るような国は、基本的には国内の供給能力が需要に対して不足している。
 現在の日本とは真逆に、過大になった需要(名目GDP)と不足している供給能力(潜在GDP)との間に、インフレギャップが存在している状態なのである。
 そして、インフレギャップは「物価上昇」と「貿易赤字」により調整される。

 物価が上昇すると、潜在GDPの「見た目」が増える。さらに、外国からの輸入が増えることで、国内の足りない供給能力が補填される。
 とはいえ、外国からの輸入が増えれば、当然その国は貿易赤字が拡大する。輸入が増えた分、輸出を増やせばいいではないかと思うかも知れないが、そもそも輸出を増やせるほど国内の供給能力に余剰がある状況ならば、インフレギャップは発生しない。

 さて、貿易赤字の拡大は、これを放置しておくと経常収支の赤字に繋がる。
 さらに、経常収支の赤字は国内の「貯蓄不足」を意味する。国内が貯蓄不足に陥った国は、政府が税収以外で資金調達しようとした際に、「外国の貯蓄」に頼らざるを得なくなる。
 すなわち、国際金融市場で外貨建て、あるいは共通通貨建ての国債を発行せざるを得なくなるわけだ。

 また、貿易赤字の拡大やインフレ率上昇は、為替レートの下落をもたらす。特に、インフレ率上昇は実質金利を低下させるため、為替レート下落への影響は大きい。
 政府が外貨建て国債を増やしている状況で、為替レートが下落していくと、その国の対外負債の実質的な価値が重くなっていく。経常収支赤字国で自国通貨の為替レートが下落し続けると、政府の外貨建て国債の返済負担は高まり、いずれは「財政破綻(政府のデフォルト)」に至るわけだ。

 というわけで、IMFは「財政破綻」に陥った国に対し、
 「財政破綻国は、外国の金を当てにして財政赤字を膨らませていたのが問題なのだ。財政破綻国は、基本的に均衡財政を目標にせよ。また、そのために年金や医療費など、政府が負担している社会保障を大々的にカットせよ。公務員も減らせ」
 「財政破綻に陥る国は、国内の供給能力が乏しく、インフレや貿易赤字を延々と続けている。潜在GDPを伸ばすために、法人税や富裕層減税を行い、投資を増やさせろ。政府は当然の話として減収になるが、その分を消費税増税や社会保障支出削減で補え」
 「そもそも財政破綻に陥るような国は、国内の規制が多すぎ、経済が非効率になっているのだ。金利や為替の規制を撤廃し、外国との貿易を活発化させ、直接投資も受け入れ、国内の産業の競争力を強化せよ」
 「国営企業や各種の規制は、企業の投資意欲を削ぎ、潜在GDP拡大を妨げる。国営企業は民営化し、規制も全面的に撤廃し、企業が好きにビジネスを展開できるようにせよ。また、企業の所有権もきちんと守れ。さもなければ、企業が投資を増やすことはない」
 といった主旨の政策を「強要」し、対外負債返済の原資を破綻国に調達させるわけである。

 この時点で気づかれた方も多いだろうが、上記は現在のギリシャやスペイン、ポルトガルやアイルランドといった、いわゆるPIGS諸国において現実に実施されている政策と酷似している。

 さすがに、PIGS諸国はユーロ加盟国であるため、「競争力ある為替レート」という政策は取りようがないが、「財政赤字の是正」「財政支出削減」「税制改革(増税)」「直接投資の自由化」「国営企業の民営化」「規制緩和」などは、そのままである(ユーロ加盟国では「所有権法の確立」や「貿易の自由化」はすでに達成されている。)

 問題は、過去にワシントン・コンセンサスに基づく構造調整計画を実施された国は、周囲の国(特に、アメリカ)は別に不況でも恐慌でも何でもなかったが、現在はそうではないという点である。
 例えば、97年のアジア通貨危機で対外負債のデフォルト(債務不履行)寸前にまで追い込まれた韓国は、それまでの「日本的」であった経済構造を、IMF管理下でほとんど丸ごと変えられてしまった。
 具体的には、金利が自由化され、上限金利が無くなった。複数の財閥企業が過当競争に陥っていたことが問題視され、企業の統廃合が推進された。すなわち、国内市場における寡占化が人為的に推し進められたのである。
 さらに、外国からの投資の自由化も実施され、国内の銀行やサムスン電子、現代自動車など、大手輸出企業の株式を外国資本が購入していった。

 IMFによる「構造改革」で、韓国経済は確かにグローバル市場において競争力が高まったが、それが「国民経済」にとって有益だったかどうかは疑問だ。
 何しろ、韓国の大手輸出企業がグローバル市場で巨額の利益を稼いでも、韓国国民の実質賃金は下がる一方なのである。
 さらに、李明博政権は法人税の優遇措置を講じ、「国民の損」の下で大手輸出企業が利益をより拡大できる構造を作った。結果、大手輸出企業の純利益は最大化され、オーナーや「外国人」への配当金支払い額が増えていった。

 別に、利益を上げた企業の株主が配当金をもらうことが、悪いことだとは全く思わない。
 だが、それが「政府の支援」により実現している場合は、全く別の話である。何しろ、政府の支援の裏には必ず「国民の損失」が隠されているのだ。
 韓国が代表例だが、新自由主義的な政策により経済構造を変えさせられた国では、国民が置き去りにされやすい。
 結果、現在は各国で反新自由主義的な国民運動が沸き起こっている。
 韓国の場合は「反・米韓FTA」であり、アメリカでは「ウォール街を占拠せよ」になる。

 さらに、バブル崩壊後にワシントン・コンセンサス的な政策を強要されたギリシャやスペインでは、国民の所得水準がゾッとするようなペースで下がっており、デモやゼネストによる騒乱が続いている。
 現在の世界経済は、最大の経済規模を持つアメリカを持つアメリカまでもがデフレに片足を突っ込んでいる。アジア通貨危機の時期とは、外部環境がまるで異なる。
 しかも、ユーロ加盟国は対ユーロ諸国に対して固定相場だ。為替レート下落による輸出増も見込めず、PIGS諸国は出口のない状況に追い込まれている。

 2012年3月末、スペインでは反緊縮財政のゼネストが実施され、デモ隊と警官隊が衝突した。スペイン内務省によると、全土で176人が逮捕され、警官・市民合わせて104人が負傷したとのことである。

【図149-1 12年2月時点 ユーロ主要国及び日米英失業率(単位;%)】
20120410a.png
出典:ユーロスタット

 何しろ、図149-1の通り、スペインの失業率は不動産バブル崩壊により23%を超えている。そんなスペインにおいて、政権が政府支出の大幅なカット(270億ユーロ)という2012年予算案を閣議決定したのである。
 スペインのGDPは約1兆ユーロであるため、対GDP比で3%弱といったところである。日本で言えば、14兆円規模に相当する。

 失業率23%の国が、日本の感覚で14兆円の政府支出を削るわけだ。
 そもそも、スペインの失業率が23%を超えているのは、バブル崩壊が原因である。しかも、2011年Q4のスペインの住宅価格は対前年比で11.2%と、むしろ下落ペースを速めている。

 この状況でスペイン経済がデフレに突っ込まず、名目GDPと税収を増やすことに成功したとしたら、まさに「マタドールの奇跡」と呼びうる。(呼び名は何でも構わないのだが)
 特に、現在のスペインは若年層失業率が50%を上回っており、その上で緊縮財政を政府が強行しようとしているわけであるから、国内がゼネストで騒乱状態になったとしても、無理もない話である。

 また、スペイン以上に状況が悪化しているギリシャでは、4月4日に年金受給者の男性がアテネの国会議事堂前でピストル自殺をした。

 男性のポケットからは「(政府が)生きる望みを打消し、正義も何もない。ごみ箱から食べ物を探すことになる前に威厳ある最期を遂げるしか方法は見つからない」という、凄絶な遺書が発見された。

『2012年4月5日 ロイター紙「ギリシャ年金受給者が議会前で自殺、「ごみ箱あさりたくない」」
 財政危機による緊縮策が続くギリシャで4日、年金受給者の男性(77)が首都アテネの中心部にある議会近くで自殺を図った。男性は借金に困っていたとされ、ごみ箱をあさりたくないなどと記した遺書が残されていた。
 目撃者によると、男性は朝のラッシュ時に議会前のシンタグマ広場を訪れ、頭に銃を当てて
 「私には借金がある。この状況にもう耐えられない」と叫びながら引き金を引いたという。
 また、別の目撃者はテレビの取材に、男性が子どもたちに借金を残したくないと話していたと述べた。
 警察によると、男性のポケットから見つかった遺書には、「(政府が)生きる望みを打ち消し、正義も何もない。ごみ箱から食べ物を探すことになる前に威厳ある最期を遂げるしか方法は見つからない」などと、政治家や財政危機を非難する記述があったという。
 現場となった広場には、事件から数時間後に臨時の教会が設けられ、ろうそくや花がたむけられたほか、財政危機を非難する市民らのメモが木に掲げられた。』

 国民経済の失敗には、フロー面に絞ると二つしかない。すなわち、

(1) 極端な供給能力不足によるハイパーインフレーション
(2) 国民が所得を得ることを不可能にする恐慌

 の二つである。
 上記二つがなぜ国民経済の失敗かといえば、双方ともに最終的には国民が「飢える」ためである。

 ギリシャの場合、バブル崩壊(しかも外国マネーに依存したバブル崩壊)により、国民の所得が容赦なく減少していっている。
 しかも、バブル崩壊後に緊縮財政という最悪の組み合せを強行しており、労働者が失業者になり、公務員は解雇され、年金も削減され、国民の所得減少を「促進する」政策を推進していっているわけである。
 すなわち、ギリシャは上記の(2)のただ中にあるのだ。

 国民経済の基本は、「国民が働くこと」である。
 国民が働き、付加価値を生み出し、支出が行われ、所得が創出されない限り、国民経済は成長しない。
 すなわち、政府は常に国民の雇用機会が最大化されるよう、政策を打っていかなければならないのだ(同時に、インフレ率上昇にも目配りする必要がある)。

 現在のギリシャやスペインなどのPIGS諸国は、完全に所得拡大の道を見失っており、国民全員の所得が減っていくという最悪の状況にある。
 上記の記事のような痛ましい出来事は、今後も起こりうるだろう。日本の98年以降(デフレ深刻化)を見れば分かるが、国民経済の失敗は、容易に人命を失わせる。(日本の場合は自殺者の増加)

 PIGS諸国の場合は、ユーロ加盟により対外負債(共通通貨建て)が極端に膨らみ、各国共に財政危機、国民経済の収縮に陥っている。
 これらの国々がユーロに加盟している限り、ギリシャのような悲劇が続くことになるだろう。
 まさに「ユーロの悲劇」である。
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 このブログ内での、ユーロの基本的で致命的な欠陥とリーマンショック以来の二極化の危機についての、関連記事リンクです。

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百人百話:本田貴之・直美さん

  百人百話:本田貴之・直美さん夫妻  書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から

Q.自己紹介をお願いします。

(貴之さん)名前は本田貴之です。年齢は22歳です。出身地は、皆さん知ってるとおり福島県の三春町なんですけど、ほぼ郡山市に近い三春町です。結婚していて、妻がいて、あと子供が二人います。

(直美さん)本田直美です。出身は福島県二本松市です。長男が本田ゆめとです。今1歳9か月かな。次男があゆむといって、今4カ月です。

Q.今はどちらで暮らしてらっしゃるのですか?

(貴之さん)今は京都市のほうで暮らしています。

Q.避難された経緯は?

(貴之さん)そうですね、事故が起こって最初はあまり危険だとは思っていなかったんですけど、原発関係とかに興味がある方に
「子供が居るんだったら避難をしたほうがいいんじゃないの。」
と言われて、そこから考え始めて、あとは大阪のNGO団体を紹介していただいて、そこから京都の避難者サポートネットワークさんを紹介していただいて、京都の団体さんに支援していただいて京都市に避難することになりました。
 三春町についてというよりは、故郷についてといったほうがいいのかなと。出身は三春町なんですけど、ほぼ郡山に近い三春町で、郡山と三春町が入り組んでるところなんてす。とても中途半端なところで、いろいろ消防だったりもごちゃごちゃしていて、三春から来るのか郡山から来るのか判らないところで、そんなとこに生まれ育って、実は小学校とか中学校も特殊なところで、廊下が無かったので、小学校も中学校も。そしてチャイムも鳴らない。普通の中学校じゃなかったので・・・。

Q.どういうことですか?

(貴之さん)教科教室型といって、教科によって教室を変えて移動するんですけども。チャイムがならないので、もちろん時計がそこらじゅうにあって、授業が始まる前に教科の専用の教室に移動して、そこで授業を受けるっていう形で、全国でも珍しかったみたいで、結構見学の方がたくさん来られてて。
 郡山市は、福島県のほぼ真ん中あたりにある大きい市、人口34万人くらいの市です。
 三春町はその東隣にある人口1万9000くらいの町です。
 二本松市は、郡山の北にある、郡山と福島のちょうど真ん中あたりにある市で、人口が大体5万6000とかそのくらいの町です。
 二本松から三春町は、大体車で3,40分くらいですね。

(直美さん)自分が生まれたところは、二本松市の旧東和町というところなんですけど、東和町は本当に自然も豊かで人もすごく・・・道端とかですれ違った時も、声を掛ける。挨拶なんて常識だし、あそこに誰が住んでるとか本当に知ってるし、なんていうんでしょう、日常生活でも人間関係っていうのは、やっぱり都会とは違って・・・なんて言えばいいんだろう・・・?人情が熱いというか、知らない人はいないっていう感じですかね。

Q.3.11当日は何をしていましたか?

(貴之さん)3月11日は、ちょうど前日に子供を預けに妻の実家に行ってたので、たまには二人でどこか行こうか、どっかぶらぶらしようかという話になり、ちょうど二人でショッピングセンターに居たんですけど、「ドーナツ食べたいね」っていう話で、ミスタードーナツに入って、ドーナツを選んでる途中に携帯からものすごい音がして、なんか「初めて聞くよ、そんな音」くらいそこらじゅうで聞こえ出して、そのうちだんだん揺れ始めて、最初は大したこと無いだろうなって思ったんですけど、そしたらもう、いきなりすごい揺れになって、
「あ、これは本当にあぶねぇな」
と思って、無理やり手を引っ張って逃げるぞって外に逃げたら、周りの人も本当にみんな外に逃げてきて、すごい揺れで、車のクラクションとかもすごい鳴ってて、しまいにはあっちのほうで火災があったとか話があったり。
 最初に心配したのは、実家の方に預けていた長男のことが心配で、とりあえず実家に行こうかということで車で実家の方に向かったんですけど、その途中も道路はひび割れてるわ、信号は動いてないわで、ものすごい交通マヒしていて、でもそれでも事故っていうのはあまりなかったんですけど、そういうところが東北のいいところかなと。譲り合いながらみんなでなんとかっていうところが東北のいいところかなと。
 そして、実家のほうに着いて、なんともなかったと。あとは、自分の家の方に帰って、帰ってみたら結構倒れてたりしてました。タンスも倒れて、テレビも倒れて、でも、地震の方ではそんなに被害はなかったんですけど、はい。
 後々の原発の事故で、いろいろ不安がありました。

(直美さん)地震が起きた時は、本当にドーナツが食べたくて、これから会計しようと思って並んでた時だったので、その時になんか携帯の音がいつもと違う音がして、「あれ?何だろう?」とか思って、そしたら揺れ始めて、すぐ揺れは止まるだろうなと思って普通にしてたんですけど、だんだん揺れが大きくなるし、もう周りにあった棚とかすごい揺れて倒れるんじゃないかとか、天井落ちてくるんじゃないかっていう恐怖にさらされて、外に出る人もいっぱいいたんで、これは外に出ないと危ないと思って、ドーナツ食べたかったんですけど、もう「ドーナツなんてもう、食べてる暇ないや!買ってる暇ないや!」って思って、外に出て、やっぱりほかの店に入ってた人もやっぱり外に出てて見てたんですけど、やっぱりすごい皆・・・やっぱ電話してましたね。やっぱり。家族とかだと思うんですけど、でもやっぱみんな携帯使ってるんで、自分も長男を実家に預けてたもんで電話したんですけどやっぱ繋がんなくて、その時は本当にどうしよう、どうしようって感じで、一番長男のことが気になって仕方なくて、本当に・・・泣くしかなかったですね。その時本当に揺れも大きくて怖かったので、今までも体験したことがない地震だったので。

Q.原発の事故について

(貴之さん)原発事故については、テレビをずーっと見ていたので、テレビで知りましたね。そうですね、その爆発した時点では、原発まで50㎞以上離れてたんですけども、今までもこの国の政府の対応を見る限り、安全ではないだろうなと・・・自分で思ったんですけども。そしたら20㎞から30㎞と避難区域が広がって、でも郡山は避難区域にはならなかったんですけど、そこからなんかちょっと怪しいなとは思いだしたんですけど、原発については、まぁ生まれた時から浜通りのあそこの町にあるんだなくらいなもんで、そこで電気造って東京に送ってるんだなくらいの考えでしたね。
 その時点では全く知識は無かったです。
 爆発直後から、ツイッターをやっていたので、そこでいろいろ情報を手に入れたんですけども、その情報を見る限りだと安全ではなさそうだなと。ただ、危険かどうかはまだ判らないなっていう状態だったんですけども。
 のちのち、「あぁ、これは多分危ないな」っていうことが判り始めたので、それで避難したんですけども。
 なぜ危険かと思い始めたのかというのは、今までの日本政府の対応、いろいろなことを見てきましたから、いくら若いとはいえ、「これはおかしいだろ」というのはわかりましたし、そういうのを見てたんで、正直に話すわけがないなと。何かが危険なものが出てても、この国が正直に言う訳がない。

(直美さん)原発とか放射能に関しての知識は、私は本当に全然知らなくて、ただ浜通りのほうに原発はあるんだなっていうくらいで。
 3.11が起きた時は、情報っていうのはやっぱテレビしか知らなかったですね。やっぱ。テレビ見てて、なんか原発のところから煙が出てたので、「あれ?何だろう?いつもと違うな」くらいの感じで、それほど危ないとかそういうのは感じてなくて、ただ爆発して「え?これからどうなるんだろう」っていう感じで。
 それでテレビも本当のことを言ってなかったみたいだし、本当のこと、危ないって知ったのは、やっぱ旦那から聞いてですかね。やっぱ旦那はツイッターをその時やってたので、そこからいろいろそういう情報を知ったみたいで、最初それを言われたときは、
「それ本当なのかな?」
という疑問を抱いてたんですけど、だんだんそういうのを聞いたりしてると、本当に危ないんだなと思って、やっぱその時次男がお腹の中に居たので、「福島で産んでも大丈夫なのかな」とか、そういうのがあって。
 そうですね、やっぱ最終的には旦那からの情報ですね。

(貴之さん)ツイッターがメインだったんですけど、まずはいろんな情報を集めようと。ウソでもいいしホントでもいいんで、放射能についての知識を集めようと。集め始めて、あとは自分でネットで検索して、一体どういうことがあるのかっていうこと。あとは昔にあったチェルノブイリの事故、あれも調べてみて、どれがどう危険なのか、将来的にどういう影響があるのかっていうのを調べてみて、あと知人から「逃げた方が良いんじゃないの」っていうのもあったので。

Q.避難について

(貴之さん)うーん、結局、後悔したくなかったんです。もし福島に居て、子供に将来何かあったとしたら、絶対後悔するなと。後悔したくなかったんで、本当にそれだけなんですよね。
 そうですね、放射能の影響で子供が将来的に病気になってしまうんじゃないのかっていうことを考えたら、本当に怖くて怖くて。
 それを考えたら「逃げよう」という思いしかなかったですね。
 二人とも故郷を離れたくないっていう気持ちはすごく強かったんですけども、でも、子供のことを考えるとっていうところでしたし、ものすごく複雑なところがありました。故郷を離れるということは、生まれ育ったところを捨てるようなものだなということも考えましたし、なんかものすごく言葉に表せないような複雑な気持ちが入り混じりました。

(直美さん)避難するかしないかっていう判断に関しては、やっぱ、私も最初は福島で産んでも大丈夫なのかなっていう不安があって、それで旦那もいろいろ情報を収集したみたいで、やっぱちょっと危ないかもしれないって言われたときは、子供のことを一番考えてしまったので、危ないとこで産むよりは安全なところで産みたいなっていうのもあって、やっぱりほかのとこで産んだ方が良いのかなとは最初思っていて、でもやっぱ知らない土地で産むのは、すごい勇気もいるし、その後知らない土地で子育てもしていけるのかなとかすごい不安だったので、できることならば避難はしたくないなと思って、自分の市ってる土地で産みたいっていうのもあって、最初は避難したくないって思ってたんですけど、あとから支援してくれる団体さんのある一人の方と会った時にそういう話を受け入れてくれるとか、そういう手伝いをしてくれるっていう話を聞いた時は、避難して安全なところで産んだ方が良いかなって思って、そういう話を実際に聞くと安心してきて、思い切って避難した方が良いかなと思って。
 最初はちょっと反対の部分もあったんですけど、だんだんそういう話を聞いていくうちに、もうなんとかなるかなと思って、避難してしまおうっていう感じで、最終的には、そんな夫婦の間では揉めたりっていうのはなくて、すんなり避難することに賛成でしたね、私も。

(貴之さん)そうですね、避難するまでの2か月間で、福島県では『安心・安全キャンペーン』をやってたので、それを鵜呑みにしてたので、親は。
「なんで避難するんだ?」
っていうことを結構思ってたので。であるならば直前に行ってしまおうと思って、避難するということにしました。
「危険かもしれないから避難させたいんだけど」
っていうと、親は
「いや、そういう問題じゃないだろう。仕事はどうするんだ?お金はどうするんだ?」
とかそういうふうな話になっちゃったので、避難する・しないとかっていう会話ではなかったですね。
 何回か議論はしたんですけど、それでも埒が開かなかったので、これじゃダメだなと思って。俺の独断で避難しましたね。
 避難先として京都を選んだ理由としては、たまたま大阪のNGOの団体さんの紹介してもらったっていうのも一つですし、あとは避難する当時で東日本も危ないなっていうのが判っていたので、であるならばそんなに遠くなくて、なおかつ近くもないところといえばどこだろうなというのを思ってたので、それなら関西かなという考えで関西を選んだんですけど、京都の方に避難したんですけど、避難先は4階建ての団地になっていて、もともと国家公務員宿舎であまり公務員の方が住んでいらっしゃらなくて、それで本当にガラガラで、そこに京都府が被災者を受け入れようということで。
 5月の頃は全然ガラガラだったので好きなとこを選べたんですけど、そのうちみんな本当は危険なんじゃないかと福島の人たちが思い始めて、そこから自主避難してくる方がたくさん出てきて、今は本当にあまり空きが無い状態です。この団地も、最初の方は全然知らない土地だったので本当に慣れるので精一杯で。
 だんだん慣れ始めて京都で次男を出産して、本当に京都の人に助けられて、ありがたいなと思いましたし、10月には実は大阪の美容師の団体さんがボランティアで結婚式をあげられることになって、10月21日に結婚式を大阪の中之島公園のほうで上げまして、式の出席者は人前式でやったので、中之島公園っていうところにバラ園というのがありまして、そこで式を挙げて、見知らぬ人200人くらいに祝福されまして。
 親戚とか両親とか友人とか、呼びたかったんですけども、でも、関西なので遠いのもありますし、一番は金銭面が難しいところかなと。そういうのもありまして、呼ぶことはできなかったんですけれども、幸いうちの母が来てくれたので、それはそれで嬉しかったです。

(直美さん)入籍してから結婚式を挙げてなかったので、いつかは結婚式挙げたいなと、そのうち地震も起きて「あー、もう無理だな」って諦めてたんですけど、こっちきてそういうボランティアで挙げてくれるっていう、そういう募集をしてたので、
「あ、これで挙げれたらいいな」
と思ってすぐ応募したんですけど、結果は運が良いのか、抽選で当たっちゃった感じで挙げられて、すごい知らない人も祝福してくれて、すごい嬉しかったですね。
 挙式の中で、なんですかね、あれは確かブレスレッドの交換をしたんですよ。本当だったら結婚指輪なんだろうけど、その時はブレスレッドの交換をして、その時に旦那からのサプライズっていうことで、今までプロポーズっていうのを言われたことが無かったんです。一度も。その時に初めて言われて、それはすごい一番嬉しくて。もう本当に感動的な結婚式でした。

Q.何を言われたんですか?なんて言われたんですか?

(直美さん)なんて言われたんだっけ、あんとき(笑)
 プロポーズの言葉は、確か、
「これからもずっと一緒に居ような」
だっけかな、確か(笑)だったような気がします。
 ボランティアでそういう支援をしてくれた人たちに対しては、もう本当に感謝しきれないほどすごくありがたいと思ってますし、これから、そういう何か恩返しみたいなことができればいいなとは思います。

(貴之さん)そうですね、多くの人に支えられていて、とてもありがたいなとは思いますし、うちの母親はなんか涙ぐんでましたね。はい(笑)。

Q.現在の生活、これからのことについてどう考えていますか?

(貴之さん)そうですね、今は幸いなことに家族で避難できたので、京都市のほうで生活保護で生活してる状態なんですけども、いつまでも生活保護っていうわけにもいかないですし、まだ若いのでこれから働いていこうという考えはあるんですけど、自分で引っ越しをしてしまって、その影響で腰を痛めてしまって、まともな仕事が今は難しいかなっていう状況なんです。
 生活保護に関しては期限はないですけども、ただ住居に関しては、再来年の5月までには出なくちゃいけないので、それから先のことを考えていかないといけないですし、いつまでも生活保護を受けるのかっていわれれば、そういうわけにもいかないですし。
 これからいろいろと考えていかなきゃいけないことになると思います。

(直美さん)旦那のそういうリーダーシップみたいなとこ、やっぱ頼れる部分でもあるので、いつもそうなんですけど旦那のそういう引っ張ってくれるとこ、なんでもかんでもそういうふうに引っ張ってくれるんですけど、反対されたときもそうでしたし、子供産むっていう決断もそうだし、避難することに関しても、やっぱ旦那が先にそういう提案っていうか、先に言ってくれて、最初にその言葉がなければ避難とかそういうのはしてなかったんだろうなと思って。
 旦那のそういうところは頼もしいですね。
 ここに実際に避難してきてからは、避難する前は関西っていう場所も本当に遠いし、文化とかも違うんだろうなとか思って。あと京都の人はちょっと怖いっていうイメージがあったもので、最初はすごい不安でしたね、やっぱり。でも、実際こっちに来て支援してくださってる方達と関わったりしていると、最初は慣れない土地ですごい本当に不安ばっかりでしたけど、いろいろ話とかも聞いてくださる方もいるし、こっちには福島から同じく避難してきている方も居て、自分たちだけじゃないんだなと思ったら少しホッとしたりして。
 だんだんと慣れてはきましたけど、やっぱ知らない土地での子育てっていうのは、両親とかが居るわけじゃないので、子育てに関してはすごく苦労してますね、今も。
 福島に居れば、育児で疲れた時とかは実家に預けてもらって自分の気晴らしとかに行けるんだろうけど、こっちでは両親も遠いし、そういう頼れる人が居ないので、夫婦だけで二人だけで育てていかなきゃいけないっていうのが大変ですね。
 これからの生活に関しては、やっぱり今生活保護を受け取ってるんですけども、このままじゃいけないなっていう気がして、働いて収入を得て普通に生活したいので、今のところ一応金銭面に関しては不安は無いんですけども、やっぱり健康に関しての不安がありますね。
 やっぱり原発事故が起きて2か月は福島に居たので、福島のもの、食べ物とか牛乳とか水とかも飲んでしまっていたので、今になって健康とか、内部被曝とかそういうのもあるんだろうなと思うと、すごい不安だし、次男がお腹の中に居たので、やっぱ母親の食べたものは胎児に影響が出るっていうことで、やっぱり健康に関してですかね。次男も早めに生まれてきたというのもあるんだろうけど、いろいろ検査したら、放射性物質による健康被害なのかはわからないんですけど、やっぱちょっと異常が出てしまったっていう検査結果が出てしまったので、すごい今それが不安です。
 次男の方は早産で、ホント予定日が8月29日だったんですけども、8月2日、大体1か月くらい早く生まれて早産ということになってしまって、やっぱ最初は母子同室っていうのができなくて、普通なら母子同室で母親と子供、生まれたばっかの赤ちゃんが一緒に同じ部屋で入院っていうことだったんですけど、次男の場合は早く生まれてしまったので、ちょっと小児科の新生児室でちょっとそこで様子を見るっていうことで、入院中は一緒の部屋にはなれなかったんですよ。最初私が産後は退院して、その後次男が退院したのは。
 その間ですかね、検査とかしたんだと思うんですけど、その時に肝機能ですかね。肝機能の数値が高いということを言われまして、その肝機能に関してなんですけど、放射性物質ですかね、あのセシウムが肝臓とかに溜まるとかっていうのを旦那からも聞きまして、もしかしてそのセシウムによってちょっと肝機能がおかしくなってんのかなとか思ったりして、そうだとは限らないんですけど、ちょっと関係してたらどうしようかなとか思ったり。
 なんか長男と比べると次男は体がちょっと弱いのかわからないんですけど、ちょっといろいろ身体の異常というか、病気まではいかないんですけども、ちょっと普通の子供と比べると、弱いとこがあるのかなというのがあって・・・。
 私自身は、その時は妊娠中だったので、もし症状が出たとしても妊娠してるからかなというのであまり気にはしてなかったんですね。やっぱちょっとだるい、だるいまではいかないけど、思っててもやっぱ全部妊娠してるせいだろうっていうのを考えてたので、特にそういう放射性物質とかで影響が出たんだろうっていうのは無かったですけど、子供に関してもその時はあんまり感じてなかったかな・・・。よくわかんなかったですね、その時は。
 お盆に帰省した時は、旦那と長男だけが帰ったんですけど。次男はそのとき生まれたばかりだったので、ちょっと遠くに行くのが負担掛かるので、私と二人でお留守番してたんですけど、長男と旦那が帰ってきたとき、長男のお腹とかすごい蕁麻疹みたいな汗疹みたいなのがすごい出てたのを見て、
「これなんだろう?ただの汗疹かな?」
と思ってたんですけど、福島に行ったときにそういうのが出たっていうのを旦那から聞いて、その時夏だったのでやっぱ暑くて汗をかいたから汗疹でもできたのかなと思ってたんですけど、でも京都に帰ってきてちょっとしたらすぐ治ってしまったので、これはどうだったんだろう、何だったんだろうって思いましたけど。
 でも、すぐ治ったので、あまり気にはしませんけど・・・ね・・・。

(貴之さん)3月11日以前には全く無かった症状が、あの原発事故からだるさや手の痺れが続くようになって、それが放射能の影響かどうかはまだ判らないんですけど、あとは京都に避難して、お盆に帰ったら長男に蕁麻疹が出てきて、それが福島に居た頃はすごい出てたんですけど、京都に帰ってきたらすぐに消えたんです。自分も福島にいたころはだるさや手の痺れ、そういったものも京都に来たら一切無くなって、やっぱり・・・放射能の影響かなとは思いますけど。

Q.ふるさとへの想いは?

(貴之さん)故郷の福島にはお盆にも帰っていますし、度々帰る機会はあるので何回か帰ってますけど、そうですね、福島のショッピングセンターとかに『福島は負けない』だとか、『がんばろう福島』だとか、そういうのがいっぱい貼ってあるんですけど、目に見えない敵とどうやって戦うんだ?と。福島県人だけ放射能に強くなったのか?と。そんなこともないのに、どうやって戦うんだ?ましてや子供なんて戦いようがないじゃないか。何を言ってるのかな?と。『安心・安全キャンペーン』を今でもやってる。
 一番何が腹が立つかと言えば、東電に腹が立ちますし、政府に腹が立ちますし。そうですね、一番腹が立つのは、その二つかな。
 京都に避難してからも、故郷のことは忘れられないです。
 でもそれでも忘れようとしようとしてる自分もいます。
 あの事故は無かったことなんじゃないかと思いたい自分も居ます。
 そうですね・・・。それでも結局考えてしまうのは、福島のことです。はい。
 福島を汚されたこと、福島の人がバラバラになってしまったこと。これに関しては、何と言っていいのかわからないほど怒りがこみ上げてきますし、とても許せる問題じゃないです。
 最近になって賠償金の話が出ましたけど、お金を払って済む問題なのかっていう話です。言ってしまえば「元に戻してくれ。事故以前の福島に戻してくれ」そんなことはできるわけないのは判ってるんですけど、最近の『事故収束宣言』を見て、事故は一切収束してない。まだまだ苦しんでる人たちはたくさん居るのに、一体どこが収束してるんだ?除染もまだ終わっていないのに、どこをどう見たら本当に事故収束なのかな?と。
 一番苦しいのは、もしかしたら自主避難した人なんじゃないのかなと思う。避難区域の人は避難しろと言われて、避難もちゃんと補償も出ますし、それ以外の自主避難した人たちが一番苦しいんじゃないのかな。
 除染もしてないのに、本当にね。あの宣言を出したことが許せないです。
 除染をして福島が綺麗になることは期待はしてないですね。いくら町を除染したって、結局森もやらなきゃいけないですし、森をやろうとしたら結局木も切らなきゃいけないことになりますし、そんなことしたら禿山になってしまいますし、そしたらもう住めなくなることは一目瞭然ですし、除染は無理なんだなと思います。
 福島県の中通りは、再生しないとは思いませんけども、・・・何十年か経てば放射能は無くなるわけですけど、このまま子供たちを閉じ込めておくのであれば、もう福島に未来は無いなと、そう思いますね。

(直美さん)そうですね、福島でやっぱ最初は放射能でこっちに逃げてきたんですけど、今は福島のほうでも普通にみんな、本当に普通にあっちの食べ物食べたり、外に洗濯物干したりっていう感じで、放射能とか全然気にしてない感じなんですけど、やっぱりそういうのは目に見えないので、やっぱ「皆が安心って言ってるから」って、福島に戻ろうとかそういうのは頭の中には考えてないですね。
 何かあってからじゃ遅いので、国の言ってることとかマスコミの言ってることも信用できないし、本当、正直言えば福島に戻りたいっていうのはあるんですけど、やっぱりこれから将来のことを考えると、戻っちゃいけないような気がしますね。

(貴之さん)そうですね、これからどうやって生活していくかっていうことなんですけども、まず福島に帰ることは考えていません。京都の方で永住しようかなと考えています。子供が大きくなって、あっちの家で放射能が無くなれば、夫婦二人だけで帰ってもいいかなとは思いますけど、二人の子供の父親として、そうですね、福島で起こったことは教えていきたいかなと思います。
 特に長男については、福島に生まれて、福島で少しだけ過ごしたので、自分が生まれ育った場所がどういう状況になったのかっていうのを教えていきたいなと思います。
 今は本当に幸せですね。故郷があんな状態になってしまったんですけども、それはそれで受け入れようかなと今は思います。
 そうですね、受け入れてくれた土地の人たちに対しては、今は恩返しはできないですけども、のちのち、恩返しをしていきたいなと思います。
 そうですね、自分の親に対しては、改めて親の気持ちがわかったというか、あれだけ反発してましたけど、まぁ親になったらそういうのも判るなと。確かに息子のことは心配だろうなと。
 離れて判ったというか、遠くに居る息子のことを心配する気持ちもわかりますし、最近になって結構頻繁に電話来るんですけど、福島に居た頃は全然電話なんかよこさなかったのに、「心配なんだな」というのはわかりますし、そういうことですかね。
 でも、両親に対しては、ものすごく遠くに行ってしまったので、寂しがってるのは判るんですけども、こればっかりはどうしようもないかなと。孫の写真を送ってあげたり、本当にたまに帰ることしかできないかな。
 本当はね、福島に帰って子供と一緒に福島で遊びたいです。福島の海にも入りたかったです。もうそれが夢なんですけど、今のこの状況じゃ・・・まぁ無理だなと。
 とりあえず、福島に残っている人なんですけども、安全かもしれないし、もしかしたら危険かもしれない。それだったら避難してほしいな。自分のためにもそうですし、子供のためにもそうですし、福島のためにも日本のためにも、子供は守ってほしい。
 避難して何もなければそれはそれでいい。そしたら、「自分たちはやりすぎだったね」って、それで笑い話にすればいいんじゃないかなって、俺はそう思います。

(直美さん)ふるさとに関して、今は京都にいると自然と忘れている自分が居ますね。あまり考えてしまうと、気分的にも暗くなってしまうっていう部分もありますし、やっぱり自然と忘れて、今のこの京都での生活を楽しんでいる感じなんですけど、やっぱたまに福島に帰りたいなとか思ったりとかして、福島が恋しくなったりするんですけど、この京都が今の福島だったらいいなとか思ったりするんですけど。
 でも京都もだいぶ半年ちょっとくらいは多分こっちに来てると思うんですけど、だんだんとこっちにも慣れて京都の良さも出てきたので、ここがふるさとなんだなって思ってしまいそうになりますね。
 福島に居た頃、原発事故が起きてからは、やっぱ外には出ないでずっと家の中に居て、子供も外に出させないようにしてたんですけど、京都だとだいぶ安全なので、これから長男も最近、結構歩くようになってきたので、外でめいっぱい遊ばせたいなとか、外で本当におもいっきり身体を動かしたりとか、夢というかそういうことをしたいなっていう気持ちですかね。
 やっぱ家族4人にもなったので、いろいろ外に出かけたりしたりしたいし、いろいろ出かけたりとかもしたいし、そんな感じですかね。
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