日本の社会制度はわけのわからないモンスター
2012-04-08
社会福祉の制度策定に貧困者の声が入っていない。
障害者保護の制度策定に障害者が入っていない。
労働者保護の制度策定にも実際の底辺労働者が入っていない。
介護保険制度も同様で、年金制度も実際の保険料を払う勤労者が入っていない。
そんな制度策定を戦前から続けてきたために、日本の各種社会制度は当事者には非常に使いにくく、わけのわからないモンスターになっている。
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「日本のセーフティーネットはスカスカ」 2/8 BLOGOSから
現代社会の問題点を改めて提示する新感覚のインタビューシリーズ「SYNODOS×BLOGOS 若者のための『現代社会入門』」。第2回は、著書「困ってるひと」がベストセラーとなった作家、大野更紗さんにご登場いただきました。
大野さんは、24歳の時に突然、免疫疾患系の難病にかかりました。しかし、著書の中では難病という生死に関わる事態を、ユーモアを交えて「困る」と表現。その上で、自らの闘病の経験を基に日本の社会保障制度の問題点を指摘し、大きな話題となっています。現在も闘病中でありながら、精力的に障害者運動の当事者や社会保障関連の取材を行っているという大野さんに話を聞きました。(取材・執筆:田野幸伸、永田正行【BLOGOS編集部】)
わけのわからない日本の社会制度は“モンスター”
―ご著書の中では社会保障の手続きの難解さを「モンスター」と表現されていますが、健康な状態で日常生活を送っていると、この表現の実態は理解できないと思います。ですので、具体的に教えていただけますでしょうか?
大野更紗氏(以下、大野氏):「社会保障」と言っても非常に範囲は広いですし、分野も多岐に渡りますので、なかなか全体がこうとは言いにくいです。その前提の上でお話しますが、そもそも日本のいわゆる「健常者」として暮らしていたら、お役所の窓口というのは非常に縁遠い存在だと思います。
わたしは2008年9月に発病したのですが、それまでは大病を患ったことも入院したこともありませんでした。病気や障害とはまったく無縁の生活を送っていたのです。ただ、わたしはそれまでミャンマー難民の研究者を目指して、フィールドワークなどをやっていました。
こうした経験から、移民や難民の方に関わる部分ですけど、ある程度日本社会の矛盾に関して「理解している側」に入っているつもりでした。
ところが、自分が実際に難病という"くじ"をひいて、その当事者になってみたら、じつは今までは、自分は"逃げられる"ところに居たということがはっきりとわかったんです。
「モンスター」と表現しているのは、「何がどうなっているかわからない」からなんです。
制度の構造や仕組みが理解できれば「モンスターだ」なんて誰も思わない。「何がどうなっているのか」が、まったくわからない。だから「モンスター」と表現したのです。
具体例をあげると、原因がわからず治療方法が確立されていない、「難病」と呼ばれる疾患にかかったとします。
「難病」だけでも、複雑ですよ。病院にかかって、診断をつけてもらうまでが、まず大変です。なにせ病名だけでも、厚生労働省の見解では、数百~数千あると言われています。
そのうち、「診断基準が一応確立し、かつ難治度、重症度が高く患者数が比較的少ないため、公費負担の方法をとらないと原因の究明、治療方法の開発等に困難をきたすおそれのある疾患」(ちなみにこのあたりはお役所言葉なのでざっくりわかってもらえばいいです)に指定されている56疾患については、医療費の保険診療ぶんの自己負担額、その一部について助成を受けられる制度があります。
「難病医療費等助成制度」という制度、通称「特定疾患」ですね。
ところが、この制度を利用するためだけでも、毎年更新が必要です。
その度に大量の書類をそろえなければならない。そうした書類の収集、作成も自分でやらなければならない。
自分の体が動かない状態、役所まで出向けない状態で、延々とお役所の窓口ジプシーみたいなことをしなければならない。
この制度をひとつ利用するだけでも、「困ってるひと」には大変なことです。そのほかにもさまざまな制度がありますが、一つひとつ自分が何を使える可能性があるのかを調べるだけでも、書類の山と格闘しなければならない。
自分がそういう状況に陥って、「ここまで大変な状況なのに、どうしてこれまで誰も何も言わなかったのだろう」と非常に不思議に思いました。
そこで、よくよく考えてみると、「ここまで大変」だからこそ、実際に当事者になってしまうと「生きているだけで精一杯」で、物事を整理するとか、発信するとか、助けを求めるといったことができなくなってしまうんです。
それが日本の社会制度の現状がモンスターたる由縁かなと思います。
―社会制度を利用しようという気持ちが萎えてしまうぐらい「わけのわからない」ものだということでしょうか。
大野氏:日本の既存の障害者制度というのは、世界的に見ても非常に特殊な制度で、障害の種別を基本的に身体、精神、知的という3つに分けて手帳を発行するものになっています。
人間の状態を制度に当てはめていくシステムだといってよい。
日本にいると、こうした障害者制度が普通だと思ってしまうのですが、このような手帳制度は先進諸国の中でも非常に稀です。
日本だけだと思います。とにかく枠をつくって、現実をそれに当てはめていこうというイメージです。
難病患者の人たちというのは、わたしを見ていただければわかるとおり、見た目でその辛さや、障害の度合いを判断することはむずかしいですよね。
こうした「見えにくい障害」は、現行制度の中では、判定の過程で障害を軽く見積もられがちなんです。そういうシステムになっている。3つの分類にきちんと収まらないために、いわゆる「制度の谷間」といわれる部分に落ちてしまうのです。
―なぜ利用者目線で制度が構築されていないのでしょうか。
大野氏:日本では、お役所も生活者も、パブリックに社会の問題を解決するという行為に全然慣れていませんね。
社会制度というのは、完璧な、それこそコンビニみたいにバッチリ用意されているもので、「窓口に行けば何でも用意されている」と思い込んでいる部分があるのではないでしょうか。
けれど、実際はそうではありません。お役所も制度を使う人がいなければ、運用する前例がつくれないため、経験やノウハウが蓄積されないですよね。
使う側も電話をかけて「前例がないので」と一旦断られてしまうと、それであきらめてしまう。
お役所が悪い、政府が悪いというのは簡単ですが、お役所が慣れていないということは、市民も慣れていないということです。
役所や制度で問題を解決するということは、理屈で合理的に解決することですが、そういう行為に日本社会は慣れていない。
歴史的な文脈というのは、大事です。現状、結果として誰にとっても使いにくい制度になってしまっているのだけれど、ではどうしてそうなったのか。根源をたどっていかないと、解決策は見えてこない。これは、わたし自身だって、自分が難病患者という立場になってはじめてわかったことですけどね。
それにそもそも、日本の人は、社会保障制度について知る機会も少ない。
いわゆる「標準的な家庭」に生まれ育ったならば、日本の社会保障制度がどのように成り立っているかを学ぶことはほとんどありません。
「生活保護の申請は、どの法律に基づいていて、どのような状況に陥ったら申請する権利が発生するのか」とか「障害者福祉制度は、どのような理念の下に成り立っているのか」、「年金制度はどう設計されているのか」ということを学校で習うことはない。
パブリックな制度によって社会問題を解決するという手段を比較的多用するアメリカや欧州では、中学や高校の段階でそういった基礎的なリテラシーを学びます。
これは難病患者の問題に限りませんよね。誰だって生きていれば、普通にいろんなことが起こる。失業した場合やDV被害を受けた場合に、どのような対応法、法律があるのか。
以前、DV被害者の支援をしている方にインタビューをしながら、はっとしたことがあって。アメリカからDV問題の研究者が、その施設の視察にきたとき、「日本でせっかくDV防止法ができたのに、その周知が低くて機能してないなんて信じられない。アメリカだったら、『DV防止法ができました!DVを受けたときの相談機関はここ!』って電車の中刷りとかバスの広告とか、とにかくそのへんに貼りまくるよ」と言っていたそうです。
アメリカという国も大きくて多様ですから、一般化することはできないんだけれど。でも、印象的でした。
現代日本のセーフティーネットは“スカスカ”
―パブリックに対する意識が、なぜそれほどまでに低いのでしょうか。
大野氏:高度成長期からバブル期の日本というのは、基本的に「なんとなくイケイケドンドン」だったわけです。
いろんな偶然が重なって、お金がたくさんあった。わたしはその頃生まれていませんので(笑)、どういう感覚だったのかは実際はわかりませんけれども。ともかく、パブリックな手段で社会問題を解決しなくても、細かい部分で不備はあったけれど、マクロではおおむね何とかなってしまった。
そうしたなかで、人口変動が進み少子高齢化になると、さまざまな問題が露呈することは識者も指摘していたし、行政も把握してはいたのですが。
これまでの日本は、おもに「家族」と「企業」というインフォーマルな領域に社会問題の解決を委ねてきたわけですね。
「家族」が引き受けてきた福祉の負荷というのは、とても大きい。介護が必要になったらお嫁さんやお母さんがインフォーマルにその負担を引き受ける。子どもが生まれたらお母さんがお世話する。
そこにはひとつの家族モデル、お父さんが「新卒一括用・年功序列・終身雇用・正社員」のサラリーマンとして働きに出て、お母さんが家事や育児をし、子どもがいるというモデルがあったわけですが、この「典型核家族」のモデルが現実で崩壊しつつある。
もうひとつの柱であった「企業」による福祉も瓦解が始まって久しい。
たとえば湯浅誠さんらの「年越し派遣村」のように、リーマンショック後は非正規雇用の問題がマスメディアでも注目されるようになりました。
2010年の非正規労働者の割合は34.3%、働いている人の3人に1人は非正規雇用です。さらに男女別でみると、女性の労働者の53.8%が非正規。
日本型終身雇用のモデルはすでに崩れている。
つまり、日本が社会問題の解決を図る上で前提にしてきたインフォーマルな手段、「家族」と「企業」という2つの柱が崩れてしまった。
社会問題の解決手段イコール福祉だとすると、福祉をインフォーマルにこの2つに預けてきてしまった。そもそもパブリックを利用することに慣れていないし、また意識も低かったわけです。
しかし、インフォーマルな柱が崩れた現在、わたしたちはいよいよ、パブリックな手段で社会問題を解決しなくてはやっていかれない、というフェイズに突入しているのだと思います
―しかし、現在の日本においては、「財政的にお金がない」状態で制度の再設計をやらなければならない。「ゼロサム」的な状況の中でできると思いますか。
大野氏:というかやるしかないでしょう! 可能性は結構感じています。
論壇的な話をすると、いろんな分野、とくに経済論壇の人たちとコミュニケーションを重ねていくことはとても大事なことだと思います。
これまでの「困ってるひと」たちは、経済成長を主張する経済学者を「ネオリベだ」「効率性の悪魔だ」みたいなイメージで論じがちでした。わたしはもともと大学でミクロ経済学入門の授業をちょっとだけかじっていたというのもありますが、いわゆる「経済学的思考」というのが、「ネオリベ」だとか「金の亡者だ」とかいうイメージとはまったく違う思考方法だということはわかる。
飯田先生が以前、言っていたのですが、たとえ低成長だとしても、成長をあきらめてはいけない。かつてのような特殊な高度経済成長は見込めないとしても、とにかく成長をあきらめることをしない。
成長をあきらめるということは、「困ってるひと」をさらに窮地に立たせる要因にもなります。
再分配の制度設計を考えることと、成長をあきらめない方法を考えることは、矛盾はしない。
むしろ、お金を増やす方法を考えてくれる経済学者とは、協力していかなければならないということを強調しておきたいと思います。
「ゼロサム」的な状況と言われましたが、医療や社会福祉・保険について細かい制度設計の勉強をすればするほど、やはりパイの切り分けに終始するとお互い苦しくなってしまうとわかります。
それは当たり前で、自分の取り分を増やそうという心理に社会全体がなってしまうからです。そうなると弱者同士が対立させられる構造にもちこまれやすい。
そういう社会は非常に閉塞感に満ちていると思うし、それこそ心理的にも物理的にも経済的にも選択肢はどんどん狭まってしまう。悪循環ですね。
最近、いわゆる「生きづらさ」ということが叫ばれています。こうした「生きづらさ」というぼんやりとした"あいまいなポエム"なものを細かく合理的に解体していくことが現在の自分のミッションだと思っています。
自殺者が3万人を超えるという状況が何年もつづいていますが、こうした閉塞感を打開するためにも「生きづらさ」の中身を具体的に解体したいという思いがあります。
―「生きづらさ」を実存の問題ではなく、社会制度の問題として捉えていくべきということですか?
大野氏:起き上がるのもしんどい難病患者となっても、フィールドワーカーの癖が抜けないんですよね。今もフィールドワークに行っています。
たとえば先日、婦人保護施設というところにお邪魔させていただきました。婦人保護施設というのは日本社会の傷ついた女性たちが最後に行き着くところ、と言えるかもしれない。
この施設の法的根拠は売春防止法なんですが、DV防止法ができて以来、DVの被害を受けた女性が一時的なシェルターとして利用する機能も担っています。
こうした施設などで、貧困の最底辺に陥ってしまう人たちの話を丹念に聞くと、その要因は非常に複雑でたくさんあるんです。
たとえば軽度の知的障害や精神疾患、あるいは親が貧困・低学歴であるとか、本当にケースによって多様なんです。また、そこに暴力の問題が絡んでくる場合もある。
婦人保護施設に逃げてきた一人の傷ついた女性を「可哀想」だと感じて、「この人を助けたい」と思ったときに、実際には、助けられない自分に直面しました。
つまり、要因があまりに多様すぎて、「貧困」という言葉では片づけられない。その言葉の裏には多くの社会的、経済的要因がある。その一つひとつを、まるでパズルをうめるようにして丁寧に解決していかなければならない。
今の日本社会は、セーフティーネットがスカスカなんです。
いわゆる「普通」の状態から一歩踏み外すと、一気にスコーンと貧困に落ちてしまう。このネットの網の目を細かくより直すためには理屈と理論と細かい分析が必要です。
グルグルポンの一発解決策は、はっきり言ってありません。ですので、時間もかかるし、地道ですし、大変なことです。
しかし、やらなくてはならない。経済成長で全体のパイの大きさを何とかして大きくしようと努力する人たちがいて、かつわたしたち側というか、制度や社会保障とか「困ってるひと」の問題について考える側は緻密なパズルを組み合わせていく。
それぞれ使う知識や"頭の筋肉"は全然違いますが、最終的にアウトカムとして目指しているのは「より生活しやすい」「より生きやすい」社会だと思います。方法は違うけど目指しているものは同じなんです。
誰も生きにくい社会なんて望んでいない。目標を共有することが大事です。そういう意味で、SYNODOSみたいな、異種混合のプラットフォームがあるといいですよね。
エスカレーターもノンステップバスも先人たちの闘いの功績
―財源は無限ではありませんから、社会保障と国の経済のバランスは非常に難しい問題だと思いますが。
大野氏:よく「最大多数の最大幸福!」などと言われますが。こういう論壇でよく使われるような言葉って、ほんとにみんながベンサムとかミルとかの本を読んで使っているのでしょうか(笑)。
ああいう難しい本、ほんとに読んでるんでしょうか。茶化したいわけではありません。
抽象的な一般概念というのは力を持ちますから、安易に使えば、それなりの代償を払わなければならなくなる。
ともかく、この社会で可視化されていない問題は、まだまだたくさんあると思います。
日本社会にとっての「制度」との距離感の問題というのは、介護保険が端的な例になっていると思います。
介護保険は2000年にスタートし、まだ12年しか経っていない非常に若い制度です。これは、いわゆる有識者と呼ばれる人たちが設計をした、上からつくった制度とも言える。しかし、これが今おおいに揺らいでいる。
日本人にとっての社会制度は、介護保険に対する態度、つまり「サービス」という感覚に近い。なんとなくお上が決めてくれるんだ、というものです。
「どこまで助ければいいか」「どういう基準にすればいいか」を遠いところにいるエライ誰かが決めてくれるんだと。
しかし、本来の社会保障というのはおそらくそういうかたちでは成立しない。
当事者意識不在のパブリックな制度というのは、長つづきしないと思います。
介護保険制度については、「目的がなんなのか」を、設計する人、現場の人、利用する人、みんながわけがわからなくなってしまっている。
つまり、耐久性のある制度をつくっていくためには、社会で合意を取るというプロセスは非常に重要になるのです。たとえ手間がかかったとしても、「納得する」「目的を共有する」こと。コミュニケーションが全然足りてない。
今は経済状況が厳しいですから、何ごとも反射のように「財源が!」「予算が!」という話になりがちですが。コミュニケーションのプロセスをすっ飛ばして、短視眼的にその場しのぎばっかりして、また崩壊して、またつくり直す。
それじゃあみんな摩耗して疲れきってしまう。なにより、膨大なコストがかかります。
―多くの人は自分が「困る」という事態を想定していないという問題もあります。
大野氏:人間は親を選べませんから、そもそも生まれた瞬間から不平等とか不均等というのはスタートしている。
それを宿命だとか宿業だとするのは、何もしないことと、ほぼ同意義ではないでしょうか。
社会保障制度とか福祉を考えるということはその宿命、宿業に抗うということでもある。
多くの人は「自分だけは落ちない」とはもう思っていないでしょう。
そうじゃなかったら、わたしがBLOGOSに出てるわけないと思います(笑)。
今は、所得がいくらかとか、どんな社会的立場かに関わらず、多かれ少なかれ不安を抱えている。「困ってないひと」は、いないんじゃないでしょうか。
震災以降、本当に明日自分の身に何が起こるかわからないということが実態として明らかになったと思いますし、そうした意識を社会全体が共有していると思います。
いままで対岸の火事、他人事だったことが、実質的にそうではなくなった。
いつ親の介護が必要になるかわからないし、いつ自分が脳梗塞になるかもわからない。事故に遭うかもしれないし、被災してすべてを失ってしまうかもしれない。
つまり、社会のリスク、”くじ”というのはそこらへんに転がっていて、いつ地面を踏み抜いてセフティーネットの下に落ちてしまうかはわからない。
だから、現在はそういう意識を共有できたという点でスタート地点だと思います。
震災後、よく「当事者」という言葉が使われるようになりましたが、当事者というのは当事者になろうと思ってなるものではない。
実態として本当にそうなる人が増えるから、社会も考えはじめる。
やっぱり社会制度が必要だとみんなが思いはじめているから、今日こうして議論としてあがってくるのです。
対岸の火事だと思って眺めている人が多数派であるかぎり社会は変わらないし、そう思ってない人が増えているからこそ、変化の萌芽が出ていると思うんです。
―たとえば「ユニバーサルデザイン」という言葉はすでに社会に浸透していると思います。制度以外の部分で「困ってるひと」にとっての日本社会の問題点を教えてください。
大野氏:たとえば、新宿駅にエレベーターがありますよね。
わたしも難病になり障害当事者の歴史を勉強するようになって、はじめて知ったことなのですが、そのエレベーターが設置されるまでには、もうすごい延々の闘いの歴史があるんです。
わたしたちは、スロープやエレベーター、ノンステップバス、バリアフリー、ユニバーサルデザインといったものが、当たり前に用意されたサービスだと思っています。
きっとJRや国が用意してくれたのだろうと思いがちですが、実は戦後の高度成長期に一つひとつ闘って勝ち取ってきた人たちがいる。
日本にも公民権運動者みたいな方々がいたんです。わたしは、今そうした活動をたどる取材をしています。
今の日本の社会保障制度はスカスカだという話をしてきましたが、スカスカでもスカスカなりに切り開いてきてくれた人がいました。
SYNODOSの論考にも載せているのですが、それこそ地べたをはって、車椅子で都庁の前に一年半ぐらいテント張ったりですとか、新宿駅に毎年毎年車椅子で乗り込んで「エレベーターをつけろー」と行進して突破してくれたりとか、そうやって現実の矛盾に対して体を張って突破してきてくれてきた人たちがいるんです。
これらは近い同時代史なので、まだ資料としては散在しているしまとまっていないんだけれども。今、この人たちの歩みを少しずつ取材しながら、つくづく感じることは、わたしたちが当たり前だと思っていることも、じつはそうではないのです。
―社会の矛盾や問題点を指摘し、改善するための活動をしてきた人がいるということですね。
大野氏:日本社会はコンシューマリズム(消費者にとっての利益を優先させる理念のこと)にちょっと偏重しすぎかなと思う側面もあります。
「何でも誰かが用意してくれる」と思っている部分がありますよね。
コンシューマリズムを基礎とする社会というのは、ものすごくお金を持っている人には、ものすごく便利かもしれない。つまり、お金を払えばひたすら便利なものが買える。
しかし、中流以下では少し話が違ってくる。コンシューマリズムに支配された社会というのは、「失敗が許されない社会」と言い換えてもいい。相手に100%完璧、エラーなしを求めるということは、自分もエラーを出してはいけないということになります。
こうした社会は、これからの選択肢や方法を考える上で苦しいものがあります。現在から、さらに完璧を求めるとなると、かなり苦しくなる感じがしませんか。現状打開のために出す政策としても、切るカードがなくなっていきます。
自分が楽になるためには、もう少し相手も楽にしてあげなければいけない。
少しだけ消費者の利便性を下げることで、労働者側の余暇の時間を増やすという方法によって、負担を調整することも考えなくてはいけない。
厚労省の官僚の人が悪いというのも簡単ですが、それだけではやっぱり建設的な議論にはならない。
風の噂で聞いた話ですが、ある課の職員の人たちが9時から5時まで何をしているかというと、ずっと「国民のクレーム」を聞いていると。5時でシャッターが閉まると、それから一生懸命書類をつくり出すと。たぶん、官僚の人もわけがわからなくなっていて、守る目的がいつのまにか「同僚の書類」になってくる。
自分の中の持続可能性のリアリティを大事にする
―価値感の転換も必要だということでしょうか
大野氏:欧州も金融危機で悩んでいますし、アメリカだって悩んでいます。
経済成長をあきらめないという前提を置いた上で、かつ持続可能な生きやすい世の中を考える上では、既存の価値観から抜け出して、さまざまな方法を試してみる。
いままで人間の社会が直面したことがない超少子高齢化が直近に迫っている中では、コンシューマリズムではない思考で、社会のシステムを考えることも必要とされてくる。
高度経済成長、バブル期という過去を否定はしません。「本当にありがとうございました」と思います。
しかし、わたしたちはこれから、地に足をつけて、現実を見定めて歩いていかなければならない。今の団塊の世代の人たち、高度経済成長期を経験してきた企業のトップ、あるいは社会のメインストリームにいるような人たちは、「俺たちがこの社会をつくってきたんだ」という自負が、口に出しているか出していないかはともかく、感情のレベルでは結構あると思います。
でも、日本の高度成長期やバブルが、本当に実力だけで勝ち取ったのかということには、検証が必要で、実際は拡張された自己像の側面もあったと思います。「こういうことを言ったら、もしかするとおじさんたちは傷つくかもしれない」と勝手に勘ぐって遠慮したりすること自体が、団塊世代の人たちに失礼だとわたしは思っています。親の世代を、団塊の大人を、信用しています。だから、率直に言います。
わたしは世代間対立論というのは基本的に嫌いです。嫌いなものは少ないんですが、数少ない嫌いなもののひとつです。高齢者をバッシング、批判するのは、若者を一括りにして批判するのと同じです。
細かい分析をしていくとまったく一括りにできない。そもそもこれから高齢者がどんどん増えていくのに、そういう人たちをエンパワーしないで、どうやってこの社会を維持するんだという問題もあります。
ただ、既存のシステムが崩れている状況の中では、物事にやわらかく対応する柔軟性が求められる。
これだけ就活の矛盾が指摘されているのに、一向に新卒一括採用のシステムは変わる気配がない。
その阻害要因は、大人に柔軟性がないことに原因があるかもしれない。
さらに言えば、「すでに問題であると明らかになっていること」について、誰もそれを正面から言い出さないこと、コミュニケーションしないことは、長期的に見ると大いなる社会的コストを生じさせます。怖がらないでください。怖がらずに、どんどん話していきましょう。
―今「困ってないひと」たちは、「困ってるひと」のために何ができるでしょうか。自分がいつか「困る日」に備えて、社会制度の整備に尽力する必要があるかと思うのですが。
大野氏:そこまで構える必要はないと思います。まあ正直なところ、みんな仕事とかで忙しいじゃないですか(笑)。
無理はつづかないですし。あまり気合を入れて、「いつ自分も弱者になるかわからないんだから、弱者のことを考えなければ!」というポエムに走ると長つづきしません。
自分の中の持続可能性のリアリティを大事にすることが重要だと思います。たとえば、子どもが生まれて、パパになったと。それで、「自分でベビーカーを押してみて、はじめて世の中の段差という障壁について考えた」というようなレベルの気づきを、一個一個大事にしていく。
変わろうと呼びかけている人がいて、そのとき、自分に協力できる余力があるのであれば、協力すればいい。
余力がなくて、今自分の生活が精一杯だということであれば、わたしはそれでいいと思います。
自分の生活者としてのリアリティを大事にすること、自分の実感を大事にすること、それこそが今まで日本の論壇に欠けていたことです。
みんな頭でっかちになって空中戦で「べき論」を主張しつづけてきた。それこそ自分の問題じゃなくて、抽象的な対岸の火事として考えてきた。
自分の生活者としての身体感覚で気づいたこと、感じたことからはじめればいい。そのアンテナの感度を高くすれば、十二分にも過ぎるのではないかと思います。
障害者保護の制度策定に障害者が入っていない。
労働者保護の制度策定にも実際の底辺労働者が入っていない。
介護保険制度も同様で、年金制度も実際の保険料を払う勤労者が入っていない。
そんな制度策定を戦前から続けてきたために、日本の各種社会制度は当事者には非常に使いにくく、わけのわからないモンスターになっている。
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「日本のセーフティーネットはスカスカ」 2/8 BLOGOSから
現代社会の問題点を改めて提示する新感覚のインタビューシリーズ「SYNODOS×BLOGOS 若者のための『現代社会入門』」。第2回は、著書「困ってるひと」がベストセラーとなった作家、大野更紗さんにご登場いただきました。
大野さんは、24歳の時に突然、免疫疾患系の難病にかかりました。しかし、著書の中では難病という生死に関わる事態を、ユーモアを交えて「困る」と表現。その上で、自らの闘病の経験を基に日本の社会保障制度の問題点を指摘し、大きな話題となっています。現在も闘病中でありながら、精力的に障害者運動の当事者や社会保障関連の取材を行っているという大野さんに話を聞きました。(取材・執筆:田野幸伸、永田正行【BLOGOS編集部】)
わけのわからない日本の社会制度は“モンスター”
―ご著書の中では社会保障の手続きの難解さを「モンスター」と表現されていますが、健康な状態で日常生活を送っていると、この表現の実態は理解できないと思います。ですので、具体的に教えていただけますでしょうか?
大野更紗氏(以下、大野氏):「社会保障」と言っても非常に範囲は広いですし、分野も多岐に渡りますので、なかなか全体がこうとは言いにくいです。その前提の上でお話しますが、そもそも日本のいわゆる「健常者」として暮らしていたら、お役所の窓口というのは非常に縁遠い存在だと思います。
わたしは2008年9月に発病したのですが、それまでは大病を患ったことも入院したこともありませんでした。病気や障害とはまったく無縁の生活を送っていたのです。ただ、わたしはそれまでミャンマー難民の研究者を目指して、フィールドワークなどをやっていました。
こうした経験から、移民や難民の方に関わる部分ですけど、ある程度日本社会の矛盾に関して「理解している側」に入っているつもりでした。
ところが、自分が実際に難病という"くじ"をひいて、その当事者になってみたら、じつは今までは、自分は"逃げられる"ところに居たということがはっきりとわかったんです。
「モンスター」と表現しているのは、「何がどうなっているかわからない」からなんです。
制度の構造や仕組みが理解できれば「モンスターだ」なんて誰も思わない。「何がどうなっているのか」が、まったくわからない。だから「モンスター」と表現したのです。
具体例をあげると、原因がわからず治療方法が確立されていない、「難病」と呼ばれる疾患にかかったとします。
「難病」だけでも、複雑ですよ。病院にかかって、診断をつけてもらうまでが、まず大変です。なにせ病名だけでも、厚生労働省の見解では、数百~数千あると言われています。
そのうち、「診断基準が一応確立し、かつ難治度、重症度が高く患者数が比較的少ないため、公費負担の方法をとらないと原因の究明、治療方法の開発等に困難をきたすおそれのある疾患」(ちなみにこのあたりはお役所言葉なのでざっくりわかってもらえばいいです)に指定されている56疾患については、医療費の保険診療ぶんの自己負担額、その一部について助成を受けられる制度があります。
「難病医療費等助成制度」という制度、通称「特定疾患」ですね。
ところが、この制度を利用するためだけでも、毎年更新が必要です。
その度に大量の書類をそろえなければならない。そうした書類の収集、作成も自分でやらなければならない。
自分の体が動かない状態、役所まで出向けない状態で、延々とお役所の窓口ジプシーみたいなことをしなければならない。
この制度をひとつ利用するだけでも、「困ってるひと」には大変なことです。そのほかにもさまざまな制度がありますが、一つひとつ自分が何を使える可能性があるのかを調べるだけでも、書類の山と格闘しなければならない。
自分がそういう状況に陥って、「ここまで大変な状況なのに、どうしてこれまで誰も何も言わなかったのだろう」と非常に不思議に思いました。
そこで、よくよく考えてみると、「ここまで大変」だからこそ、実際に当事者になってしまうと「生きているだけで精一杯」で、物事を整理するとか、発信するとか、助けを求めるといったことができなくなってしまうんです。
それが日本の社会制度の現状がモンスターたる由縁かなと思います。
―社会制度を利用しようという気持ちが萎えてしまうぐらい「わけのわからない」ものだということでしょうか。
大野氏:日本の既存の障害者制度というのは、世界的に見ても非常に特殊な制度で、障害の種別を基本的に身体、精神、知的という3つに分けて手帳を発行するものになっています。
人間の状態を制度に当てはめていくシステムだといってよい。
日本にいると、こうした障害者制度が普通だと思ってしまうのですが、このような手帳制度は先進諸国の中でも非常に稀です。
日本だけだと思います。とにかく枠をつくって、現実をそれに当てはめていこうというイメージです。
難病患者の人たちというのは、わたしを見ていただければわかるとおり、見た目でその辛さや、障害の度合いを判断することはむずかしいですよね。
こうした「見えにくい障害」は、現行制度の中では、判定の過程で障害を軽く見積もられがちなんです。そういうシステムになっている。3つの分類にきちんと収まらないために、いわゆる「制度の谷間」といわれる部分に落ちてしまうのです。
―なぜ利用者目線で制度が構築されていないのでしょうか。
大野氏:日本では、お役所も生活者も、パブリックに社会の問題を解決するという行為に全然慣れていませんね。
社会制度というのは、完璧な、それこそコンビニみたいにバッチリ用意されているもので、「窓口に行けば何でも用意されている」と思い込んでいる部分があるのではないでしょうか。
けれど、実際はそうではありません。お役所も制度を使う人がいなければ、運用する前例がつくれないため、経験やノウハウが蓄積されないですよね。
使う側も電話をかけて「前例がないので」と一旦断られてしまうと、それであきらめてしまう。
お役所が悪い、政府が悪いというのは簡単ですが、お役所が慣れていないということは、市民も慣れていないということです。
役所や制度で問題を解決するということは、理屈で合理的に解決することですが、そういう行為に日本社会は慣れていない。
歴史的な文脈というのは、大事です。現状、結果として誰にとっても使いにくい制度になってしまっているのだけれど、ではどうしてそうなったのか。根源をたどっていかないと、解決策は見えてこない。これは、わたし自身だって、自分が難病患者という立場になってはじめてわかったことですけどね。
それにそもそも、日本の人は、社会保障制度について知る機会も少ない。
いわゆる「標準的な家庭」に生まれ育ったならば、日本の社会保障制度がどのように成り立っているかを学ぶことはほとんどありません。
「生活保護の申請は、どの法律に基づいていて、どのような状況に陥ったら申請する権利が発生するのか」とか「障害者福祉制度は、どのような理念の下に成り立っているのか」、「年金制度はどう設計されているのか」ということを学校で習うことはない。
パブリックな制度によって社会問題を解決するという手段を比較的多用するアメリカや欧州では、中学や高校の段階でそういった基礎的なリテラシーを学びます。
これは難病患者の問題に限りませんよね。誰だって生きていれば、普通にいろんなことが起こる。失業した場合やDV被害を受けた場合に、どのような対応法、法律があるのか。
以前、DV被害者の支援をしている方にインタビューをしながら、はっとしたことがあって。アメリカからDV問題の研究者が、その施設の視察にきたとき、「日本でせっかくDV防止法ができたのに、その周知が低くて機能してないなんて信じられない。アメリカだったら、『DV防止法ができました!DVを受けたときの相談機関はここ!』って電車の中刷りとかバスの広告とか、とにかくそのへんに貼りまくるよ」と言っていたそうです。
アメリカという国も大きくて多様ですから、一般化することはできないんだけれど。でも、印象的でした。
現代日本のセーフティーネットは“スカスカ”
―パブリックに対する意識が、なぜそれほどまでに低いのでしょうか。
大野氏:高度成長期からバブル期の日本というのは、基本的に「なんとなくイケイケドンドン」だったわけです。
いろんな偶然が重なって、お金がたくさんあった。わたしはその頃生まれていませんので(笑)、どういう感覚だったのかは実際はわかりませんけれども。ともかく、パブリックな手段で社会問題を解決しなくても、細かい部分で不備はあったけれど、マクロではおおむね何とかなってしまった。
そうしたなかで、人口変動が進み少子高齢化になると、さまざまな問題が露呈することは識者も指摘していたし、行政も把握してはいたのですが。
これまでの日本は、おもに「家族」と「企業」というインフォーマルな領域に社会問題の解決を委ねてきたわけですね。
「家族」が引き受けてきた福祉の負荷というのは、とても大きい。介護が必要になったらお嫁さんやお母さんがインフォーマルにその負担を引き受ける。子どもが生まれたらお母さんがお世話する。
そこにはひとつの家族モデル、お父さんが「新卒一括用・年功序列・終身雇用・正社員」のサラリーマンとして働きに出て、お母さんが家事や育児をし、子どもがいるというモデルがあったわけですが、この「典型核家族」のモデルが現実で崩壊しつつある。
もうひとつの柱であった「企業」による福祉も瓦解が始まって久しい。
たとえば湯浅誠さんらの「年越し派遣村」のように、リーマンショック後は非正規雇用の問題がマスメディアでも注目されるようになりました。
2010年の非正規労働者の割合は34.3%、働いている人の3人に1人は非正規雇用です。さらに男女別でみると、女性の労働者の53.8%が非正規。
日本型終身雇用のモデルはすでに崩れている。
つまり、日本が社会問題の解決を図る上で前提にしてきたインフォーマルな手段、「家族」と「企業」という2つの柱が崩れてしまった。
社会問題の解決手段イコール福祉だとすると、福祉をインフォーマルにこの2つに預けてきてしまった。そもそもパブリックを利用することに慣れていないし、また意識も低かったわけです。
しかし、インフォーマルな柱が崩れた現在、わたしたちはいよいよ、パブリックな手段で社会問題を解決しなくてはやっていかれない、というフェイズに突入しているのだと思います
―しかし、現在の日本においては、「財政的にお金がない」状態で制度の再設計をやらなければならない。「ゼロサム」的な状況の中でできると思いますか。
大野氏:というかやるしかないでしょう! 可能性は結構感じています。
論壇的な話をすると、いろんな分野、とくに経済論壇の人たちとコミュニケーションを重ねていくことはとても大事なことだと思います。
これまでの「困ってるひと」たちは、経済成長を主張する経済学者を「ネオリベだ」「効率性の悪魔だ」みたいなイメージで論じがちでした。わたしはもともと大学でミクロ経済学入門の授業をちょっとだけかじっていたというのもありますが、いわゆる「経済学的思考」というのが、「ネオリベ」だとか「金の亡者だ」とかいうイメージとはまったく違う思考方法だということはわかる。
飯田先生が以前、言っていたのですが、たとえ低成長だとしても、成長をあきらめてはいけない。かつてのような特殊な高度経済成長は見込めないとしても、とにかく成長をあきらめることをしない。
成長をあきらめるということは、「困ってるひと」をさらに窮地に立たせる要因にもなります。
再分配の制度設計を考えることと、成長をあきらめない方法を考えることは、矛盾はしない。
むしろ、お金を増やす方法を考えてくれる経済学者とは、協力していかなければならないということを強調しておきたいと思います。
「ゼロサム」的な状況と言われましたが、医療や社会福祉・保険について細かい制度設計の勉強をすればするほど、やはりパイの切り分けに終始するとお互い苦しくなってしまうとわかります。
それは当たり前で、自分の取り分を増やそうという心理に社会全体がなってしまうからです。そうなると弱者同士が対立させられる構造にもちこまれやすい。
そういう社会は非常に閉塞感に満ちていると思うし、それこそ心理的にも物理的にも経済的にも選択肢はどんどん狭まってしまう。悪循環ですね。
最近、いわゆる「生きづらさ」ということが叫ばれています。こうした「生きづらさ」というぼんやりとした"あいまいなポエム"なものを細かく合理的に解体していくことが現在の自分のミッションだと思っています。
自殺者が3万人を超えるという状況が何年もつづいていますが、こうした閉塞感を打開するためにも「生きづらさ」の中身を具体的に解体したいという思いがあります。
―「生きづらさ」を実存の問題ではなく、社会制度の問題として捉えていくべきということですか?
大野氏:起き上がるのもしんどい難病患者となっても、フィールドワーカーの癖が抜けないんですよね。今もフィールドワークに行っています。
たとえば先日、婦人保護施設というところにお邪魔させていただきました。婦人保護施設というのは日本社会の傷ついた女性たちが最後に行き着くところ、と言えるかもしれない。
この施設の法的根拠は売春防止法なんですが、DV防止法ができて以来、DVの被害を受けた女性が一時的なシェルターとして利用する機能も担っています。
こうした施設などで、貧困の最底辺に陥ってしまう人たちの話を丹念に聞くと、その要因は非常に複雑でたくさんあるんです。
たとえば軽度の知的障害や精神疾患、あるいは親が貧困・低学歴であるとか、本当にケースによって多様なんです。また、そこに暴力の問題が絡んでくる場合もある。
婦人保護施設に逃げてきた一人の傷ついた女性を「可哀想」だと感じて、「この人を助けたい」と思ったときに、実際には、助けられない自分に直面しました。
つまり、要因があまりに多様すぎて、「貧困」という言葉では片づけられない。その言葉の裏には多くの社会的、経済的要因がある。その一つひとつを、まるでパズルをうめるようにして丁寧に解決していかなければならない。
今の日本社会は、セーフティーネットがスカスカなんです。
いわゆる「普通」の状態から一歩踏み外すと、一気にスコーンと貧困に落ちてしまう。このネットの網の目を細かくより直すためには理屈と理論と細かい分析が必要です。
グルグルポンの一発解決策は、はっきり言ってありません。ですので、時間もかかるし、地道ですし、大変なことです。
しかし、やらなくてはならない。経済成長で全体のパイの大きさを何とかして大きくしようと努力する人たちがいて、かつわたしたち側というか、制度や社会保障とか「困ってるひと」の問題について考える側は緻密なパズルを組み合わせていく。
それぞれ使う知識や"頭の筋肉"は全然違いますが、最終的にアウトカムとして目指しているのは「より生活しやすい」「より生きやすい」社会だと思います。方法は違うけど目指しているものは同じなんです。
誰も生きにくい社会なんて望んでいない。目標を共有することが大事です。そういう意味で、SYNODOSみたいな、異種混合のプラットフォームがあるといいですよね。
エスカレーターもノンステップバスも先人たちの闘いの功績
―財源は無限ではありませんから、社会保障と国の経済のバランスは非常に難しい問題だと思いますが。
大野氏:よく「最大多数の最大幸福!」などと言われますが。こういう論壇でよく使われるような言葉って、ほんとにみんながベンサムとかミルとかの本を読んで使っているのでしょうか(笑)。
ああいう難しい本、ほんとに読んでるんでしょうか。茶化したいわけではありません。
抽象的な一般概念というのは力を持ちますから、安易に使えば、それなりの代償を払わなければならなくなる。
ともかく、この社会で可視化されていない問題は、まだまだたくさんあると思います。
日本社会にとっての「制度」との距離感の問題というのは、介護保険が端的な例になっていると思います。
介護保険は2000年にスタートし、まだ12年しか経っていない非常に若い制度です。これは、いわゆる有識者と呼ばれる人たちが設計をした、上からつくった制度とも言える。しかし、これが今おおいに揺らいでいる。
日本人にとっての社会制度は、介護保険に対する態度、つまり「サービス」という感覚に近い。なんとなくお上が決めてくれるんだ、というものです。
「どこまで助ければいいか」「どういう基準にすればいいか」を遠いところにいるエライ誰かが決めてくれるんだと。
しかし、本来の社会保障というのはおそらくそういうかたちでは成立しない。
当事者意識不在のパブリックな制度というのは、長つづきしないと思います。
介護保険制度については、「目的がなんなのか」を、設計する人、現場の人、利用する人、みんながわけがわからなくなってしまっている。
つまり、耐久性のある制度をつくっていくためには、社会で合意を取るというプロセスは非常に重要になるのです。たとえ手間がかかったとしても、「納得する」「目的を共有する」こと。コミュニケーションが全然足りてない。
今は経済状況が厳しいですから、何ごとも反射のように「財源が!」「予算が!」という話になりがちですが。コミュニケーションのプロセスをすっ飛ばして、短視眼的にその場しのぎばっかりして、また崩壊して、またつくり直す。
それじゃあみんな摩耗して疲れきってしまう。なにより、膨大なコストがかかります。
―多くの人は自分が「困る」という事態を想定していないという問題もあります。
大野氏:人間は親を選べませんから、そもそも生まれた瞬間から不平等とか不均等というのはスタートしている。
それを宿命だとか宿業だとするのは、何もしないことと、ほぼ同意義ではないでしょうか。
社会保障制度とか福祉を考えるということはその宿命、宿業に抗うということでもある。
多くの人は「自分だけは落ちない」とはもう思っていないでしょう。
そうじゃなかったら、わたしがBLOGOSに出てるわけないと思います(笑)。
今は、所得がいくらかとか、どんな社会的立場かに関わらず、多かれ少なかれ不安を抱えている。「困ってないひと」は、いないんじゃないでしょうか。
震災以降、本当に明日自分の身に何が起こるかわからないということが実態として明らかになったと思いますし、そうした意識を社会全体が共有していると思います。
いままで対岸の火事、他人事だったことが、実質的にそうではなくなった。
いつ親の介護が必要になるかわからないし、いつ自分が脳梗塞になるかもわからない。事故に遭うかもしれないし、被災してすべてを失ってしまうかもしれない。
つまり、社会のリスク、”くじ”というのはそこらへんに転がっていて、いつ地面を踏み抜いてセフティーネットの下に落ちてしまうかはわからない。
だから、現在はそういう意識を共有できたという点でスタート地点だと思います。
震災後、よく「当事者」という言葉が使われるようになりましたが、当事者というのは当事者になろうと思ってなるものではない。
実態として本当にそうなる人が増えるから、社会も考えはじめる。
やっぱり社会制度が必要だとみんなが思いはじめているから、今日こうして議論としてあがってくるのです。
対岸の火事だと思って眺めている人が多数派であるかぎり社会は変わらないし、そう思ってない人が増えているからこそ、変化の萌芽が出ていると思うんです。
―たとえば「ユニバーサルデザイン」という言葉はすでに社会に浸透していると思います。制度以外の部分で「困ってるひと」にとっての日本社会の問題点を教えてください。
大野氏:たとえば、新宿駅にエレベーターがありますよね。
わたしも難病になり障害当事者の歴史を勉強するようになって、はじめて知ったことなのですが、そのエレベーターが設置されるまでには、もうすごい延々の闘いの歴史があるんです。
わたしたちは、スロープやエレベーター、ノンステップバス、バリアフリー、ユニバーサルデザインといったものが、当たり前に用意されたサービスだと思っています。
きっとJRや国が用意してくれたのだろうと思いがちですが、実は戦後の高度成長期に一つひとつ闘って勝ち取ってきた人たちがいる。
日本にも公民権運動者みたいな方々がいたんです。わたしは、今そうした活動をたどる取材をしています。
今の日本の社会保障制度はスカスカだという話をしてきましたが、スカスカでもスカスカなりに切り開いてきてくれた人がいました。
SYNODOSの論考にも載せているのですが、それこそ地べたをはって、車椅子で都庁の前に一年半ぐらいテント張ったりですとか、新宿駅に毎年毎年車椅子で乗り込んで「エレベーターをつけろー」と行進して突破してくれたりとか、そうやって現実の矛盾に対して体を張って突破してきてくれてきた人たちがいるんです。
これらは近い同時代史なので、まだ資料としては散在しているしまとまっていないんだけれども。今、この人たちの歩みを少しずつ取材しながら、つくづく感じることは、わたしたちが当たり前だと思っていることも、じつはそうではないのです。
―社会の矛盾や問題点を指摘し、改善するための活動をしてきた人がいるということですね。
大野氏:日本社会はコンシューマリズム(消費者にとっての利益を優先させる理念のこと)にちょっと偏重しすぎかなと思う側面もあります。
「何でも誰かが用意してくれる」と思っている部分がありますよね。
コンシューマリズムを基礎とする社会というのは、ものすごくお金を持っている人には、ものすごく便利かもしれない。つまり、お金を払えばひたすら便利なものが買える。
しかし、中流以下では少し話が違ってくる。コンシューマリズムに支配された社会というのは、「失敗が許されない社会」と言い換えてもいい。相手に100%完璧、エラーなしを求めるということは、自分もエラーを出してはいけないということになります。
こうした社会は、これからの選択肢や方法を考える上で苦しいものがあります。現在から、さらに完璧を求めるとなると、かなり苦しくなる感じがしませんか。現状打開のために出す政策としても、切るカードがなくなっていきます。
自分が楽になるためには、もう少し相手も楽にしてあげなければいけない。
少しだけ消費者の利便性を下げることで、労働者側の余暇の時間を増やすという方法によって、負担を調整することも考えなくてはいけない。
厚労省の官僚の人が悪いというのも簡単ですが、それだけではやっぱり建設的な議論にはならない。
風の噂で聞いた話ですが、ある課の職員の人たちが9時から5時まで何をしているかというと、ずっと「国民のクレーム」を聞いていると。5時でシャッターが閉まると、それから一生懸命書類をつくり出すと。たぶん、官僚の人もわけがわからなくなっていて、守る目的がいつのまにか「同僚の書類」になってくる。
自分の中の持続可能性のリアリティを大事にする
―価値感の転換も必要だということでしょうか
大野氏:欧州も金融危機で悩んでいますし、アメリカだって悩んでいます。
経済成長をあきらめないという前提を置いた上で、かつ持続可能な生きやすい世の中を考える上では、既存の価値観から抜け出して、さまざまな方法を試してみる。
いままで人間の社会が直面したことがない超少子高齢化が直近に迫っている中では、コンシューマリズムではない思考で、社会のシステムを考えることも必要とされてくる。
高度経済成長、バブル期という過去を否定はしません。「本当にありがとうございました」と思います。
しかし、わたしたちはこれから、地に足をつけて、現実を見定めて歩いていかなければならない。今の団塊の世代の人たち、高度経済成長期を経験してきた企業のトップ、あるいは社会のメインストリームにいるような人たちは、「俺たちがこの社会をつくってきたんだ」という自負が、口に出しているか出していないかはともかく、感情のレベルでは結構あると思います。
でも、日本の高度成長期やバブルが、本当に実力だけで勝ち取ったのかということには、検証が必要で、実際は拡張された自己像の側面もあったと思います。「こういうことを言ったら、もしかするとおじさんたちは傷つくかもしれない」と勝手に勘ぐって遠慮したりすること自体が、団塊世代の人たちに失礼だとわたしは思っています。親の世代を、団塊の大人を、信用しています。だから、率直に言います。
わたしは世代間対立論というのは基本的に嫌いです。嫌いなものは少ないんですが、数少ない嫌いなもののひとつです。高齢者をバッシング、批判するのは、若者を一括りにして批判するのと同じです。
細かい分析をしていくとまったく一括りにできない。そもそもこれから高齢者がどんどん増えていくのに、そういう人たちをエンパワーしないで、どうやってこの社会を維持するんだという問題もあります。
ただ、既存のシステムが崩れている状況の中では、物事にやわらかく対応する柔軟性が求められる。
これだけ就活の矛盾が指摘されているのに、一向に新卒一括採用のシステムは変わる気配がない。
その阻害要因は、大人に柔軟性がないことに原因があるかもしれない。
さらに言えば、「すでに問題であると明らかになっていること」について、誰もそれを正面から言い出さないこと、コミュニケーションしないことは、長期的に見ると大いなる社会的コストを生じさせます。怖がらないでください。怖がらずに、どんどん話していきましょう。
―今「困ってないひと」たちは、「困ってるひと」のために何ができるでしょうか。自分がいつか「困る日」に備えて、社会制度の整備に尽力する必要があるかと思うのですが。
大野氏:そこまで構える必要はないと思います。まあ正直なところ、みんな仕事とかで忙しいじゃないですか(笑)。
無理はつづかないですし。あまり気合を入れて、「いつ自分も弱者になるかわからないんだから、弱者のことを考えなければ!」というポエムに走ると長つづきしません。
自分の中の持続可能性のリアリティを大事にすることが重要だと思います。たとえば、子どもが生まれて、パパになったと。それで、「自分でベビーカーを押してみて、はじめて世の中の段差という障壁について考えた」というようなレベルの気づきを、一個一個大事にしていく。
変わろうと呼びかけている人がいて、そのとき、自分に協力できる余力があるのであれば、協力すればいい。
余力がなくて、今自分の生活が精一杯だということであれば、わたしはそれでいいと思います。
自分の生活者としてのリアリティを大事にすること、自分の実感を大事にすること、それこそが今まで日本の論壇に欠けていたことです。
みんな頭でっかちになって空中戦で「べき論」を主張しつづけてきた。それこそ自分の問題じゃなくて、抽象的な対岸の火事として考えてきた。
自分の生活者としての身体感覚で気づいたこと、感じたことからはじめればいい。そのアンテナの感度を高くすれば、十二分にも過ぎるのではないかと思います。
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資本主義万能の神話
2012-04-08
原著者が言っている「資本主義」とは、新自由主義版の資本主義のこと。
すなわち、市場万能主義を社会思想とする連中の資本主義のことである。
健全な社会に必要な弱者保護のため改良、修正、規制しながらの市場経済体制のことではない。
これらの経済体制に限定した「資本主義」ならば北欧のみならず、ほぼ欧州とカナダ、豪州、ニュージーランド、ラテンアメリカの一部が戦前から経験を蓄積している。これらの地域では保守派でさえ、市場万能主義を社会思想とする考えは概ね否定されている。
もともと19世紀の欧州で、各種の社会派、社会主義派からの経済体制批判として生まれた概念が「資本主義」である。
「競争なき資本主義は腐敗する(電力が良い例)」が、競争があっても個人的な私利私欲の競争を動機の原理とする以上、これを社会思想とするとか言葉をごまかして「資本主義の社会体制」などと主張するのは、人道にもとる反社会的考えなのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
資本主義にまつわる10の神話 2/15 プラウダ 4/4 「マスコミに載らない海外記事」から
新自由主義版の資本主義は疲れ果てている。
人を食いものにする金融界の連中は利潤を失いたくないので、借金の重荷を退職者や貧しい人々に転嫁する。
"ヨーロッパの春"の亡霊が旧世界を徘徊し、資本主義に反対する人々は、人々に、彼らの生活がいかに破壊されつつあるかを説明している。
これがポルトガル人経済学者ギリェルメ・アルヴェス・コエーリョによる記事の主題だ。
あらゆる国民は自分たちにふさわしい政府を持つのだという有名な表現がある。
これは必ずしも正しくない。思考パターンを方向づける強引なプロパガンダによって国民は惑わされ、容易にごまかされてしまうのだ。
嘘とごまかしは人々を大量破壊し抑圧する現代兵器だ。それは戦争という伝統的手段同様に効果的だ。多くの場合、この両者はお互い補いあっている。
選挙で勝利を勝ち取り、言うことを聞かない国々を破壊するため、両方の手法が利用されている。
資本主義イデオロギーを土台とし、資本主義が神話の域にまで持ち上げられた、世論を操作のための様々な方法がある。
それは何世代にもわたり、百万回も繰り返されている偽りの真実の組み合わせであり、それゆえ多くの人々にとって疑う余地のないものになっている。
こうしたものは、資本主義が信用できるものであるかのように表現し、大衆の支持と信頼を取り付けるようするよう意図されている。
これらの神話は、マスコミ、教育機関、一家の伝統、教会の会員、等々によって広められ宣伝されている。
これらの神話の中でも最もよくあるものは以下の様なものだ。
神話1. 資本主義の下では一生懸命働く人は誰でも豊かな資本家になれるし、資本主義制度は自動的に勤勉な個人に富を与える。
労働者達は無意識に空虚な望みを抱くのだが、しかしもしそれが実現しない場合、自らを責めるだけだ。
実際、資本主義の下での成功の可能性は、どれだけ一生懸命に働くかとは無関係で、宝くじと同じようなものだ。富はごく稀な例外を除いて、一生懸命働くことで生み出されたるではなく、より大きな影響力と権力を持っている人々の詐欺と、そうした人々に良心の呵責が欠如している結果なのだ。
成功は勤勉の結果であり、運と十分な信念と相まって、起業家活動に携わる能力と、競争力の程度に依存するというのは神話だ。
この神話は、この制度を支持する信奉者達を生み出す。宗教、とりわけプロテスタントもこの神話を奉じることに尽力している。
神話2. 資本主義は全員の為に富と繁栄を生み出す
少数者の手中に集中された富は遅かれ早かれ全員の間で再配分される。この神話の狙いは雇用主がつべこべいわれずに富を貯め込むことが出来るようにすることにある。
それと同時に、遅かれ早かれ労働者達はその労働と献身報われるという希望が主張される。実際、マルクスさえ、資本主義の究極的な目標は富の分配ではなく、富の集積・集中だと結論していた。
ここ数十年の金持ちと貧乏人との間の、特に新自由主義による支配が確立して以来、拡大する格差がその逆であることを証明している。
この神話は戦後期の"社会福祉"段階の間、最も普及したものの一つで、その主要課題は社会主義諸国の破壊だった。
神話3. 我々は運命共同体である
資本主義社会には階級はないので、失敗と危機の責任も全員のものであり、全員がつけをはらわねばならない。
この神話の狙いは、労働者に後ろめたさを感じさせ、資本家が収入を増やし、経費は国民に負担させられるようにすることだ。
実際、全て責任は、政府を支持し、政府によって支持されている億万長者で、課税、入札、金融投機、海外移転、身びいき、等々で大きな特権を享受しているエリートにある。
この神話は、国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。
神話4. 資本主義は自由を意味する
本当の自由は、いわゆる"市場の自己調整"のおかげで、資本主義の下でこそ実現できる。
この神話の狙いは、あらゆることが額面通りに受け取られ、マクロ経済的決定に参加する国民の権利を否定する、資本主義という宗教に良く似たものを創り出すことだ。
実際、意思決定における自由は究極的な自由だが、それを享受しているのは、国民ではなく、政府機関さえそうではなく、有力な人々の小集団だけだ。
サミットやフォーラムの間、閉ざされたドアの背後の小集団、大企業、銀行、多国籍企業のトップ達が、戦略的な性格の主要な財務や経済の意思決定をしているのだ。
市場はそれゆえ、自己調整しているわけでなく、操作されているのだ。
この神話は、そうした国々には自由が無く、規制しかないという想定に基づいて、資本主義でない国々の内政問題に介入するのを正当化するのに利用されてきた。
神話5. 資本主義は民主主義を意味する
民主主義は資本主義の下でのみ存在可能だ。
この神話は上の神話と素直に繋がるが、社会秩序の他のモデルに関する論議を防ぐために作られた。他のものは全て独裁制がと主張されている。
資本主義には自由と民主主義といった概念が与えられてはいるものの、その意味は歪曲されている。実際、社会は階級に別れており、超少数派の金持ちが、他の全員を支配している。
この資本主義的"民主主義"というものは偽装した独裁制にすぎず、"民主的改革"というのは進歩とは反対のプロセスだ。
上の神話同様、これも資本主義でない国々を非難し、攻撃する為の口実として利用される。
神話6. 選挙は民主主義と同義語だ
選挙は民主主義と同義語だ。
この神話の狙いは他の制度を中傷したり、悪者扱いして、指導者達がブルジョア的でない選挙、例えば、年齢や、経験や、候補者達の人気度などの理由によって決められる政治・選挙制度について議論するのを防ぐことにある。
実際、ごまかして、買収するのは資本主義制度で、投票は条件条項であって、選挙は形式上の行為に過ぎない。選挙では常にブルジョア少数派の代表達が勝利するという事実だけで、選ばれた連中が人々の代表でないことがわかる。
ブルジョア選挙が民主主義の存在を保障するという神話は最も強固に定着されたものの一つであり、一部の左翼政党や勢力さえそれを信じている。
神話7. 与党を変えるのは、代替案があるのと同じことだ
与党の立場を時々交替するブルジョア政党には代替基盤がある。
この神話の狙いは、民主主義は選挙に還元されるのだという神話をあおり、支配階級の中で、資本主義制度を永続させることにある。
実際、二大政党やら多数政党議会制度が一党制度であることは明らかだ。これらの政党は一つの政治勢力の二つあるいはそれ以上の派閥であり、代替政策を持った政党を模倣したこうした政党が交替をする。
国民は、彼等はそんなことはしていないと確信して常に体制の代理人を選ぶのだ。
ブルジョア政党には異なる基盤があり、それはまさに反対のものであるという神話は最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。
神話8. 選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる
政治家は国民によって権限を与えられたのだから気の向くままに支配ができる。
この神話の目的は、国民に空約束をして、実際に施行される本当の施策を隠すことにある。
実際、選挙で選ばれた指導者はその約束を果たさず、あるいは、ひどい場合には、往々にして元の規約とは不一致だったり、相反したりさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。
積極的な少数派によって選ばれたそうした政治家達は、任期途中で支持率が最低になることが多い。こうした場合、代表性が失われていることが、合法的手段による政治家の変更には至らず、対照的に、現実の、あるいは変装した独裁政治において、資本主義民主主義の退廃をもたらすのだ。
資本主義下における民主主義を歪曲する組織的慣行が、投票に行かない人々の人数が増えている理由の一つである。
神話9. 資本主義に代わるものは存在しない
資本主義は完全ではないが、唯一可能な経済・政治制度であり、それゆえ最も適切なものである。
この神話の狙いは他の制度の研究や推進を抹殺し、武力を含めたあらゆる手段を用いた、競争を抹殺することにある。
現実に他の政治・経済制度が存在しており、最も良く知られているのは科学的社会主義だ。資本主義という枠組みの中でさえ、南米の"民主社会主義" や、ヨーロッパの"社会主義的資本主義"といった別バージョンが存在する。
この神話は、人々を脅し、資本主義に代わるものについての論議を防ぎ、全員の一致を確保することを目的としている。
神話10. 節減は富をもたらす
経済危機は従業員福利厚生の行き過ぎのためにひき起こされた。それを無くせば、政府は節約でき、国は豊かになる。
この神話の狙いは、資本家の債務支払い責任を、退職者を含め、公共部門に責任転嫁することにある。
この神話のもう一つの狙いは、それが一時的なものだと主張して、人々に貧困を受け入れさせることだ。
それは公共部門の民営化を促進することも狙っている。
節減が最も利益の上がる部門を民営化することで実現されたもので、将来の収入が失われてしまうということには触れられぬまま、節減は"救済"であると国民は信じ込まされつつある。
この政策は国家歳入の減少と福利厚生、年金の削減を招くのだ。
リュボフィ・リュリコ
記事原文のurl:english.pravda.ru/business/companies/15-02-2012/120518-ten_myths_capitalism-0/
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前回の記事について、「読点が多すぎて文章がブツ切りになってしまい、意味が通じない箇所が多々あり。意味を斟酌するために何度も読み直さねばならないというストレスを強いられる。」という御意見をtwitterで拝見した。全くおっしゃる通り。(もちろん、ストレスを感じながら無理にお読みいただくように、とまでお願いしていない。)
お手数ながら、代案をお知らせいただければ、早速入れ換えさせていただく。夏目漱石の有名な逸話を思い出した。「僕だって無い知恵を絞って講義をしてるんだから、君だって腕を出したまえ。」
この文章、日本ジャーリズムになりかわって、日本政治を分析してくれているようだ。日本の大手新聞をやめて、プラウダを講読したほうが良いかも知れない。(英語のリンクから辿ると、ロシア語原文、その元と思われるポルトガル語原文には、12項目あるように見える。差分を何とかしたいものだ。)
神話3. 我々は運命共同体である 日本は一つ、絆で結ばれている。
これは、もちろん国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。
先日の夜の国営放送、2000人の集会だかをネタに、異神の怪を執拗に宣伝していた。郵政解散以来の強烈なプロパガンダ。腹が立ってテレビを消した。
神話7でも、二大政党なるものが全くの食わせ者であることが語られている。原発と隷米政策を推進してきた自由でも民主でもない党をおい落として、大本営広報部マスコミによるプロパガンダのおかげで政権についた民主的どころではない党も、一つの政治勢力の二つの派閥であり、代替政策を持った政党を模倣した、こうした政党が交替をした。ところが、交替した政党が原発と隷米政策を推進し続けるだけ。そこで、茹でガエルならぬ、賢い有権者が、万一これまでのインチキ与党を経験していない絶滅危惧種に投票をしたら(まずありえない事態だが)偉いことになる。それを防ぐべく、宗主国・属国支配層は、小泉経験をもう一度とばかりに、タレント弁護士を担ぎ上げているのだろう。豪腕政治家氏の言葉とされる「神輿は軽くてパーが良い」を思い出した。
異神の怪は、既成政党とはまさに反対のものであるという神話は、最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。
「シロアリを退治しないで消費税を上げるのはおかしい」といっておいて、シロアリを退治しないまま消費税を上げると平然と言える神経はあっぱれ。
神話8. に書かれている通り。
往々にして元の規約とは不一致だったり、相反しさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。
原発再稼働の為、福耳氏らは着々と「判断基準」なるお手盛り規則を準備中。これも神話8の好例 ストレス・テストのように皆合格する基準だろう。そう、
選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる。
すなわち、市場万能主義を社会思想とする連中の資本主義のことである。
健全な社会に必要な弱者保護のため改良、修正、規制しながらの市場経済体制のことではない。
これらの経済体制に限定した「資本主義」ならば北欧のみならず、ほぼ欧州とカナダ、豪州、ニュージーランド、ラテンアメリカの一部が戦前から経験を蓄積している。これらの地域では保守派でさえ、市場万能主義を社会思想とする考えは概ね否定されている。
もともと19世紀の欧州で、各種の社会派、社会主義派からの経済体制批判として生まれた概念が「資本主義」である。
「競争なき資本主義は腐敗する(電力が良い例)」が、競争があっても個人的な私利私欲の競争を動機の原理とする以上、これを社会思想とするとか言葉をごまかして「資本主義の社会体制」などと主張するのは、人道にもとる反社会的考えなのである。
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資本主義にまつわる10の神話 2/15 プラウダ 4/4 「マスコミに載らない海外記事」から
新自由主義版の資本主義は疲れ果てている。
人を食いものにする金融界の連中は利潤を失いたくないので、借金の重荷を退職者や貧しい人々に転嫁する。
"ヨーロッパの春"の亡霊が旧世界を徘徊し、資本主義に反対する人々は、人々に、彼らの生活がいかに破壊されつつあるかを説明している。
これがポルトガル人経済学者ギリェルメ・アルヴェス・コエーリョによる記事の主題だ。
あらゆる国民は自分たちにふさわしい政府を持つのだという有名な表現がある。
これは必ずしも正しくない。思考パターンを方向づける強引なプロパガンダによって国民は惑わされ、容易にごまかされてしまうのだ。
嘘とごまかしは人々を大量破壊し抑圧する現代兵器だ。それは戦争という伝統的手段同様に効果的だ。多くの場合、この両者はお互い補いあっている。
選挙で勝利を勝ち取り、言うことを聞かない国々を破壊するため、両方の手法が利用されている。
資本主義イデオロギーを土台とし、資本主義が神話の域にまで持ち上げられた、世論を操作のための様々な方法がある。
それは何世代にもわたり、百万回も繰り返されている偽りの真実の組み合わせであり、それゆえ多くの人々にとって疑う余地のないものになっている。
こうしたものは、資本主義が信用できるものであるかのように表現し、大衆の支持と信頼を取り付けるようするよう意図されている。
これらの神話は、マスコミ、教育機関、一家の伝統、教会の会員、等々によって広められ宣伝されている。
これらの神話の中でも最もよくあるものは以下の様なものだ。
神話1. 資本主義の下では一生懸命働く人は誰でも豊かな資本家になれるし、資本主義制度は自動的に勤勉な個人に富を与える。
労働者達は無意識に空虚な望みを抱くのだが、しかしもしそれが実現しない場合、自らを責めるだけだ。
実際、資本主義の下での成功の可能性は、どれだけ一生懸命に働くかとは無関係で、宝くじと同じようなものだ。富はごく稀な例外を除いて、一生懸命働くことで生み出されたるではなく、より大きな影響力と権力を持っている人々の詐欺と、そうした人々に良心の呵責が欠如している結果なのだ。
成功は勤勉の結果であり、運と十分な信念と相まって、起業家活動に携わる能力と、競争力の程度に依存するというのは神話だ。
この神話は、この制度を支持する信奉者達を生み出す。宗教、とりわけプロテスタントもこの神話を奉じることに尽力している。
神話2. 資本主義は全員の為に富と繁栄を生み出す
少数者の手中に集中された富は遅かれ早かれ全員の間で再配分される。この神話の狙いは雇用主がつべこべいわれずに富を貯め込むことが出来るようにすることにある。
それと同時に、遅かれ早かれ労働者達はその労働と献身報われるという希望が主張される。実際、マルクスさえ、資本主義の究極的な目標は富の分配ではなく、富の集積・集中だと結論していた。
ここ数十年の金持ちと貧乏人との間の、特に新自由主義による支配が確立して以来、拡大する格差がその逆であることを証明している。
この神話は戦後期の"社会福祉"段階の間、最も普及したものの一つで、その主要課題は社会主義諸国の破壊だった。
神話3. 我々は運命共同体である
資本主義社会には階級はないので、失敗と危機の責任も全員のものであり、全員がつけをはらわねばならない。
この神話の狙いは、労働者に後ろめたさを感じさせ、資本家が収入を増やし、経費は国民に負担させられるようにすることだ。
実際、全て責任は、政府を支持し、政府によって支持されている億万長者で、課税、入札、金融投機、海外移転、身びいき、等々で大きな特権を享受しているエリートにある。
この神話は、国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。
神話4. 資本主義は自由を意味する
本当の自由は、いわゆる"市場の自己調整"のおかげで、資本主義の下でこそ実現できる。
この神話の狙いは、あらゆることが額面通りに受け取られ、マクロ経済的決定に参加する国民の権利を否定する、資本主義という宗教に良く似たものを創り出すことだ。
実際、意思決定における自由は究極的な自由だが、それを享受しているのは、国民ではなく、政府機関さえそうではなく、有力な人々の小集団だけだ。
サミットやフォーラムの間、閉ざされたドアの背後の小集団、大企業、銀行、多国籍企業のトップ達が、戦略的な性格の主要な財務や経済の意思決定をしているのだ。
市場はそれゆえ、自己調整しているわけでなく、操作されているのだ。
この神話は、そうした国々には自由が無く、規制しかないという想定に基づいて、資本主義でない国々の内政問題に介入するのを正当化するのに利用されてきた。
神話5. 資本主義は民主主義を意味する
民主主義は資本主義の下でのみ存在可能だ。
この神話は上の神話と素直に繋がるが、社会秩序の他のモデルに関する論議を防ぐために作られた。他のものは全て独裁制がと主張されている。
資本主義には自由と民主主義といった概念が与えられてはいるものの、その意味は歪曲されている。実際、社会は階級に別れており、超少数派の金持ちが、他の全員を支配している。
この資本主義的"民主主義"というものは偽装した独裁制にすぎず、"民主的改革"というのは進歩とは反対のプロセスだ。
上の神話同様、これも資本主義でない国々を非難し、攻撃する為の口実として利用される。
神話6. 選挙は民主主義と同義語だ
選挙は民主主義と同義語だ。
この神話の狙いは他の制度を中傷したり、悪者扱いして、指導者達がブルジョア的でない選挙、例えば、年齢や、経験や、候補者達の人気度などの理由によって決められる政治・選挙制度について議論するのを防ぐことにある。
実際、ごまかして、買収するのは資本主義制度で、投票は条件条項であって、選挙は形式上の行為に過ぎない。選挙では常にブルジョア少数派の代表達が勝利するという事実だけで、選ばれた連中が人々の代表でないことがわかる。
ブルジョア選挙が民主主義の存在を保障するという神話は最も強固に定着されたものの一つであり、一部の左翼政党や勢力さえそれを信じている。
神話7. 与党を変えるのは、代替案があるのと同じことだ
与党の立場を時々交替するブルジョア政党には代替基盤がある。
この神話の狙いは、民主主義は選挙に還元されるのだという神話をあおり、支配階級の中で、資本主義制度を永続させることにある。
実際、二大政党やら多数政党議会制度が一党制度であることは明らかだ。これらの政党は一つの政治勢力の二つあるいはそれ以上の派閥であり、代替政策を持った政党を模倣したこうした政党が交替をする。
国民は、彼等はそんなことはしていないと確信して常に体制の代理人を選ぶのだ。
ブルジョア政党には異なる基盤があり、それはまさに反対のものであるという神話は最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。
神話8. 選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる
政治家は国民によって権限を与えられたのだから気の向くままに支配ができる。
この神話の目的は、国民に空約束をして、実際に施行される本当の施策を隠すことにある。
実際、選挙で選ばれた指導者はその約束を果たさず、あるいは、ひどい場合には、往々にして元の規約とは不一致だったり、相反したりさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。
積極的な少数派によって選ばれたそうした政治家達は、任期途中で支持率が最低になることが多い。こうした場合、代表性が失われていることが、合法的手段による政治家の変更には至らず、対照的に、現実の、あるいは変装した独裁政治において、資本主義民主主義の退廃をもたらすのだ。
資本主義下における民主主義を歪曲する組織的慣行が、投票に行かない人々の人数が増えている理由の一つである。
神話9. 資本主義に代わるものは存在しない
資本主義は完全ではないが、唯一可能な経済・政治制度であり、それゆえ最も適切なものである。
この神話の狙いは他の制度の研究や推進を抹殺し、武力を含めたあらゆる手段を用いた、競争を抹殺することにある。
現実に他の政治・経済制度が存在しており、最も良く知られているのは科学的社会主義だ。資本主義という枠組みの中でさえ、南米の"民主社会主義" や、ヨーロッパの"社会主義的資本主義"といった別バージョンが存在する。
この神話は、人々を脅し、資本主義に代わるものについての論議を防ぎ、全員の一致を確保することを目的としている。
神話10. 節減は富をもたらす
経済危機は従業員福利厚生の行き過ぎのためにひき起こされた。それを無くせば、政府は節約でき、国は豊かになる。
この神話の狙いは、資本家の債務支払い責任を、退職者を含め、公共部門に責任転嫁することにある。
この神話のもう一つの狙いは、それが一時的なものだと主張して、人々に貧困を受け入れさせることだ。
それは公共部門の民営化を促進することも狙っている。
節減が最も利益の上がる部門を民営化することで実現されたもので、将来の収入が失われてしまうということには触れられぬまま、節減は"救済"であると国民は信じ込まされつつある。
この政策は国家歳入の減少と福利厚生、年金の削減を招くのだ。
リュボフィ・リュリコ
記事原文のurl:english.pravda.ru/business/companies/15-02-2012/120518-ten_myths_capitalism-0/
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前回の記事について、「読点が多すぎて文章がブツ切りになってしまい、意味が通じない箇所が多々あり。意味を斟酌するために何度も読み直さねばならないというストレスを強いられる。」という御意見をtwitterで拝見した。全くおっしゃる通り。(もちろん、ストレスを感じながら無理にお読みいただくように、とまでお願いしていない。)
お手数ながら、代案をお知らせいただければ、早速入れ換えさせていただく。夏目漱石の有名な逸話を思い出した。「僕だって無い知恵を絞って講義をしてるんだから、君だって腕を出したまえ。」
この文章、日本ジャーリズムになりかわって、日本政治を分析してくれているようだ。日本の大手新聞をやめて、プラウダを講読したほうが良いかも知れない。(英語のリンクから辿ると、ロシア語原文、その元と思われるポルトガル語原文には、12項目あるように見える。差分を何とかしたいものだ。)
神話3. 我々は運命共同体である 日本は一つ、絆で結ばれている。
これは、もちろん国民の窮状に対する責任を逃れ、国民にエリートの失敗のつけを払わせる為、エリートによって吹き込まれている。
先日の夜の国営放送、2000人の集会だかをネタに、異神の怪を執拗に宣伝していた。郵政解散以来の強烈なプロパガンダ。腹が立ってテレビを消した。
神話7でも、二大政党なるものが全くの食わせ者であることが語られている。原発と隷米政策を推進してきた自由でも民主でもない党をおい落として、大本営広報部マスコミによるプロパガンダのおかげで政権についた民主的どころではない党も、一つの政治勢力の二つの派閥であり、代替政策を持った政党を模倣した、こうした政党が交替をした。ところが、交替した政党が原発と隷米政策を推進し続けるだけ。そこで、茹でガエルならぬ、賢い有権者が、万一これまでのインチキ与党を経験していない絶滅危惧種に投票をしたら(まずありえない事態だが)偉いことになる。それを防ぐべく、宗主国・属国支配層は、小泉経験をもう一度とばかりに、タレント弁護士を担ぎ上げているのだろう。豪腕政治家氏の言葉とされる「神輿は軽くてパーが良い」を思い出した。
異神の怪は、既成政党とはまさに反対のものであるという神話は、最も重要なものの一つで、資本主義制度を機能させる為、年中論じられている。
「シロアリを退治しないで消費税を上げるのはおかしい」といっておいて、シロアリを退治しないまま消費税を上げると平然と言える神経はあっぱれ。
神話8. に書かれている通り。
往々にして元の規約とは不一致だったり、相反しさえする、宣言していなかった施策を履行し始める。
原発再稼働の為、福耳氏らは着々と「判断基準」なるお手盛り規則を準備中。これも神話8の好例 ストレス・テストのように皆合格する基準だろう。そう、
選挙で選ばれた政治家達は国民を代表しており、それゆえ国民の為に決断できる。
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百人百話:田口葉子さん
2012-04-08
百人百話:田口葉子さん 書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から
Q.自己紹介をお願いします。
初めまして。
私は福島県のいわき市、いわき生まれで、田口葉子と申します。
私の住んでいるところは、いわき市でも、そうですね、原発からいうと53㎞くらいのところにあります。泉町のほうになります。そこの所謂新興住宅地のところに、会社員をしております主人と小学校4年生になります女の子の3人で、あとペットが2匹いますけど、そのペットを2匹含めた5人で生活しております。
Q.お仕事は?
美容関係の仕事をさせていただいております。
Q.3.11の前後の変化
そうですね。
仕事においても、生活においても、子供に対する学校生活、主人の仕事、全て、私の実家、おばあちゃんとかおじいちゃんについても、考え方もすべて変わってしまったっていう。
3.11の大震災の前と後と私の生活、家族の生活、すべてが変わったと思います。
Q.3.11発災当時の状況
ちょうど2時46分っていう時間帯は、私、まだ去年ちょっと入院しまして、退院したあとでまだ仕事も再開してなくて、家でおばあちゃんと一緒にテレビを見ていたんですね。
そこでグラグラっと地震速報がなったかどうかも覚えてないんですけど、突然の揺れが来たことでびっくりして、とにかく避難経路を確保しようっていうことで、窓を開けながら家の外壁を見ていると、家の外壁がグラグラと揺れていて、そこでしばらく地震が続いたので、そこで立ち尽くすっていうか、おばあちゃんなんかは座ったままの状態だったんですけど、その後ちょっと収まってから、ふっと我に返った時に、
「娘が帰ってくる時間だ」
子供が。
「果たして学校から出てしまったんだろうか」
とか、
「無事に帰って来れるだろうか」
「迎えに行かなくちゃ」
っていう、ただ、余震がすごかったので、もうどうしていいかわからない、パニック状態に陥っていました。
ちょうどご近所の方もいる方はびっくりして外に出ていたので、皆で
「とにかく道路のところに安全なところに居よう」
って言って、そしたら娘がちょうど帰ってきたんですね。
子供たちはちょうど学校から出てしまっていて、途中で地割れをするところを見たりとか、瓦が落ちてきたところとかはなかったんですけど、そういったところでも子供たちもパニックで帰ってきて、ご近所の方達、あのとき寒かったんですけど、雪もちょっと降ってきたんですね。いわきのほうでは。
そんな状況で外にずっと5時くらいまで居て、まさか津波が来てるとか、全く電話もつながらなければテレビを見る余裕もなかったので、まさかあんなにひどくなってるとは思ってもみませんでした。
Q.震災の情報はどこから?
まず、3月11日の震災の時には、電話も何もつながらない、やっと夕方少し落ち着いてからテレビを見て、津波の被害とかものすごい建物の損壊とか、そういったのを初めて目にしたんですね。
その日は怖くてもう着の身着のままで寝て、次の日をむかえるんですけども、まず水が出ないということで、水が出ないけどっていうことで、初めて本当にすごいことなんだなっていうのに気づいて、テレビをつけるとまだ原発が爆発したっていうのは、ちょっと耳にしてなかったような気がするんですね。
次の日、とにかくいわきは、ものがない、水が出ない、震災当日の日も自動販売機とかでお水を探したんですけど全くなくて、隣のご主人、やっぱりご家族三人で女の子が一人幼稚園に行ってる子がいるんですけれども、その方が「一緒に買い物に行きましょう」って言ってくれて、一緒に買い物に行ったんですね。
その時にすごい行列、200人くらい外で待っていたと思います。普通にマスクもせず、何もせず、普段着で買い物に行きました。買い物に行って、外で2時間くらいまって、やっと一人10品というもので、とにかく必要なものを買おうという形で買いました。
その後帰ってきて、新聞とかも多分来てなかったと思い・・・、あ、次の日は新聞は来てたんですね。新聞の情報よりもまずテレビの情報を、24時間テレビをやってる状況だったので、見ていて3月13日くらい・・・ちょっと時系列がわからないんですけども、枝野官房長官がその当時出ていた時に、
『非常事態だ。原発が爆発した。福島だ』
っていうことで、福島の原発は、第一と第二があるんですけれども、それによっていわきからの距離も若干違うんですね。
『第一原発が爆発した。』
その時に、
「いわきは何キロ何だろう」
って思ったんですけど、その時うちの主人が地図を見て、だいたい直線だと50㎞圏内か、もしくは60㎞圏内くらいの位置だということで、
「じゃぁ、大丈夫なのかな?」
だからその程度だったんですね。
でも、そのうち、枝野さんの尋常じゃない汗を見て、
「本当にこれでいいんだろうか」
と、不安になるんですけれども、その時にうちには家族3人にほかに、うちの主人のおじいちゃんが施設の方から水も出ない、職員も少ないという形で、私の自宅の方に来たんですね。私の母親もいましたし、おばさんも一人住まいなので、6人で家で避難してた感じですね。
そんな形でいたので、なんでいうんですかね。とにかく食料もなくて不安だらけだったんですけども、14日になって『原発が爆発した』と。その時に、
「爆発・・・、爆発って何だろう・・・」
っていう感じだったんです。
「どんな爆発なんだろう?」
と全く知識が無いので、原発のことは考えたことが無かったんですね。
15日、はい、テレビで爆発してるシーンも見ましたし、その時に初めてインターネットを開いて様々な情報が、本当かウソかはわからないまま情報を鵜呑みにしていたこともあるんですけども、その中で15日にはうちの周りは新興住宅地で、小さいお子さんを持ってる方がほとんどなんですね。みんな居ないんですよ。避難してしまって。その時に、
「これは本当にヤバいのかな・・・?」
ってちょっと思って、娘を外に出した記憶はないんですけども、とにかく水は無いから水はくんでこなきゃいけない。周りは居ない。ガソリンも無いので車も走っていない。食料もない。
Q.いわきの西、須賀川への避難
15日の夜、多分7時過ぎだったと思うんですけど、一度須賀川に親戚が居るので、須賀川のほうに行こうと思ったんですけど、須賀川はいわきから見ると西側の方ですかね。そちらのほうにとにかく遠くに逃げればいいんじゃないかっていう考えしかなかったので、そちらに行こうと試みたんですけども、でも、その時に乗ったのが、私と娘と私の母と叔母の4人だけだったんですね。主人と主人の父親は、いわきに置き去りにしてしまったんですね。車に乗れないということと、主人の父親がやっぱり体もおぼつかないのもありますし、
「避難したくない」
っていうことがあったので、
「じゃあとにかくお前たちだけで行け」
ということだったので、夜7時すぎだったと思うんですけど、一度家を離れたんです。でも、途中まで行ったときに、とにかく心もとなくって、置いてきてしまったことに。叔母も
「今避難しなくても大丈夫だよ。家にいればいいんだよ」
ということだったので、気にはなってた・・・私も車の運転がよくできなかったので、一度戻ったんです。また。
戻って、その日はそのまま自分の家で休んだんですけども。
16日も本当に自衛隊とかが水をかけてたのが何時だったのかちょっと覚えてないんですけど、そういったのを祈るような気持ちで見ながら16日を過ごしたんですね。
17日になって、高速道路が走ってると聞いたんです。高速道路がとおってるんだったら、ガソリン半分以下だけど行けるとこまで行けるんじゃないかということで、その時に初めてやっぱり『出よう』っていうことを決心したんですね。
その時には、私と娘と主人、3人。あと、私の母親と叔母はバスでやはり須賀川のほうにバスが走ってるのもラジオで確認できたので、バスで須賀川の方に二人は行きました。主人のほうの父親は、身体がおぼつかないので、うちの主人のおばさんのところにお願いをしたんですね。水と食料とを持って。
バラバラに行って、変な話、叔母とは涙の別れをしながら、本当にこれで会えなくなるんじゃないかっていう、そういうのがありましたね・・・。
・・・すいません。
<涙されています。>
・・・そうですね。すいません・・・。
娘がどうなってしまうんだろうって・・・。
そう思いましたね・・・。
それから、高速に乗ってつくばの方に主人の義兄がそちらに居るので、とにかくそこまで行こうと必死で、もう本当に車の暖房もつけずに。
Q.寒かったですか?
寒かったので、暖房もつけるとガソリンが減ってしまうと思って、毛布を娘に懸けながら・・・<涙されています。>
道も判らずに必死になって遠くに逃げようっていう形で行きました。
17日には義兄の家にお世話になって、でも義兄の家に行ったら、義兄は結構しっかりした方なので、娘さんがいるんですけども、その娘さんは既に福岡の方に避難させていたんですね。私も「ここでもダメなのかな」って思ったんですけども、でもそこまで行くのが精いっぱい・・・だったんですね。そんなにやっぱり親戚のお宅といっても迷惑がかかるので、ちょっとホテルでも予約をとって、そっちに移ろうかっていうふうに移ったんですね。
そのホテルに3泊くらいしたんですけど、そのホテルでもすごい地震で、8階だったので怖くていられなくて、地震の怖さっていうのが・・・すごくて、そこにもいられないっていうことでまた義兄の家にお世話になったんですね。
Q.揺れるんですね?
それから私も・・・。
揺れます。それはものすごい、あの時震度5強くらいあったと思うんですけど、茨城のほうでも。でもそのホテルの中にも、たくさんいわきナンバーの方がいらっしゃって、
「あぁ、みんなこっちに避難してるのかな」
なんて思いながらいたんですけど、でもとりあえずそうしていても時間だけが過ぎて、原発の状況も全然収まらないと。
「もしかしたら1週間くらいで帰れるんじゃないかな」
って思ったんですけど、全然そんな気配もないので、そこで主人のほうも仕事が始まるということで、大体、春のお彼岸明けくらいに仕事が始まるっていうことだったので、その前に私の独断で、
「アパートを借りてしばらくこっちにいようかと思う」
って言ったら、主人も
「そうだね。しばらく親戚もいるので、全然知らないところではないから、しばらくこっちにいたら」
っていうことで、1Kの小さなアパートを借りたんです。はい。
借りて、そこが3月25日くらいからそこをお借りして、荷物も本当に電化製品なんかはレンタルをして、その他必要な家具とかは全部ついていたので、布団はお義兄さんのところからいただいて、そうやってそこに身を寄せたんですね。
主人が仕事が始まるっていうので、主人だけが戻ったんです。その間、私と娘は学校もまだ始まるか始まらないかもわからなかったので、そこに何もすることもなく、窓も締め切ったまま、テレビだけを二人で見ていたって感じです。
Q.子供の学校が普通通りに始まると連絡が来た・・・
いや、うーん、学校が始まるって、普通通りに学校が始まるって連絡がきたんですね。ただ、その、どうして地震もまだあるのに、余震も続いてるし、原発も本当に全然収まらない状況で、学校が始まるっていうのが信じられなくって、私は学校には行かせられないって思って、茨城の方の学校にも行かせようかと思ったんですけど、
「茨城ってちょっと近いかな」
っていうのも不安で、「茨城でももしかしたら・・・」っていうのがだんだん情報がいろいろ入ってきてたので、
「茨城でも本当にいいんだろうか?」
っていうのがあって、そこで学校には行かせることをしないで、1か月間だけ学習塾に娘は行かせたんです。学校に行かない代わりに学習塾にちょっとでも勉強させたくって、行かせたんですけど。
娘もストレスでうまく表現ができないっていうか、なんか精神的にやっぱり参ってるみたいで、変な話、おトイレが近くなっちゃったりとか、すごく不安で、情緒が不安定になってきたんですね。
で、『どうしようか、どうしようか』って。
主人はいわきに戻ってたので、いわきに戻ってると普通に生活をするっていうか、普通ではないんですけど、若干思ってるよりもみんな普通に生活をしているっていうことを耳にはしていたんですけれども、じゃあどうしようか。このまま学校行かせないっていうのも困るし、こっちの学校に転校させるか、もしくはもっと遠くに行かせればいいのかとか、いろいろ考えたんですけれども、でも私自身の体力と寂しさもあったんだと思うんですけど、これ以上遠くに行くのは、自分の中で難しいっていうふうに思ってしまったんですね。娘もやっぱり、主人に家族ばらばらになるっていうことで不安定さもあったので、一度連休明けには戻って学校に行かせようかなっていうことで、学校の方に連絡はしたんですね。
学校の先生も、結構しっかりした先生なので、『マスク着用、お水は持ってきてください』とか、結構好意的に放射能に対しての知識も多分、先生はおありだったんだと思います。子供のためになんとか被曝を減らせないかとか、そういうことを考えてくださる先生だったので、主に担任の先生とそんな形でして。
Q.学校給食への不安
後は給食も心配だったんです。給食は、しばらくは簡易給食っていって、パンと牛乳とか、そういうものしか出さなかったんですけど、栄養面でも気になりますけども、なんといってもその『牛乳』。
チェルノブイリのころでも、牛乳が汚染されててそれを飲んで子供たちがっていうのが、情報として入ってたので、
「牛乳はやっぱりまずいんじゃないかな」
ということで、牛乳だけをやめるか、ただ栄養面も気になったので、
「とにかくお弁当にします。お弁当にさせてください。」
っていうことで、その頃は学校もある程度簡易給食だったので、
「お弁当いいですよ」
っていう感じでお弁当を持たせていたんですね。
しばらく経ってから、2学期かな、
『完全に給食が始まります』
そうしたときに、校長先生から電話が来たんです。
「給食は安全ですので、食べてください。」
給食自体強制だと思ってなかったので、
「いや、今はまだ食べられません」
「どうしてですか?」
「放射能の、放射性物質が検出されてるので、安心できない。安全ではなくて安心できない」
っていうのを言ったんですね。校長先生は、
「いや、あのモニタリングとかもきっちりしてるので、安全です。安全ですので食べてください」
ということだったんですけど、多分お弁当を持っていってる子には、多分、校長先生は直接っていうか、連絡をしていたんだと思うんですけど、その中で私は
「まだ安心はしていない、だったら、どこの食材を使ってるとか、数値までを出してくれるのが一番ありがたいんですけれども、その辺を見せてくれたらば、目で確認したのであれば、お弁当から給食に替えることは考えます」
って言ったんですが、
「それは一杯あるので、そこまではできない。給食センターに聞いてください」
っていうことだたったんですね。
「じゃあまだ自分で納得して安心はしないので、お弁当のままでいきます」
ということで、それで今もまだお弁当です。
Q.なぜそこまで給食を強いるのでしょうか?
それは私個人の考えですけども、学校が『給食を食べろ、食べなさい』っていうことには、何点かあると思うですけど、まずいわきに避難してる子供たちがたくさんいたと思うんですね。その中でお弁当を作ってくれる家庭と作れないっていう方もいらっしゃると思うです。
そういった中で差が出てきてしまうっていうのを、ある意味子供を使って安全をアピールするまでは、そこまでは考えるのかしら?とは思うんですけど、でも上から言われれば、もしかしたらそういったこともあるんじゃないかっていうことで、何点かそういったことはあると思います。それは私個人の考えですけど。
Q.一時避難から戻ってからの生活
まずこっちに戻ってきてからは、住宅街、よく子供が遊んでるんですけれども、全く子供は遊んでいませんでした。
Q.ガイガーカウンターで周囲を測ってみた
その頃、そうですね、主人の義兄からガイガーカウンタを借りてきてたので、それで家の周りをちょっと測ったんですけど、家の周りで0.6とか、機械によっても違うのかもしれないんですけど、そのくらいあって、家の中でも0.2くらい、あと1階と2階では数値がちょっと違うんですね。
2階建ての家なので、1階では0.2くらいなんですけども、2階で特に眠る部屋、寝室だと0.3くらいとかはあるんですね。ベランダが2階にはあるので、ベランダは除染すれば少し違うのかなと思って、主人がやったんですけど、あんまり変わらなかったんですね。デッキブラシで洗った程度なんですけど、高圧洗浄機ではなくって、そんなでいて、学校もやっぱり登下校、結局新興住宅地っていうのは山に囲まれているので、数値がもしかしたら高いのかなって。
学校も、結構学校にも行って測ってきたんですけど、内緒で。
学校で地上、校庭近くは地上1㎝くらいで、0.7くらいあったんですね。
校庭ではもちろん遊ばせられないし、体育もできないだろうと思って、登下校に関しても結構子供の足で25分くらい学校まで歩くので、送り迎えをしています。はい。
Q.子供の通学路の線量も測ってみた
場所によって全然違うんですが、草むらの中とか、草むらの近くは0.4とかそのくらい。その当時はですね。
最近は測ってないんですけど、その0.4という数字が、果たしてすごい子供に対してどんな影響があるのか、影響がないのか、それがわからないんですね。
そうですね。連休明けには完全に戻ってきました。
Q.その頃(5月)と今(9月)で線量の変化は?
その頃から比べて、今家で測ってる数値は、家の中でだいたい0.12~0.13、0.15くらいまで家の1階部分であります。2階部分もそんなにさほど変わりは無くなってきたんですけど、ただ外は0.2以上検出することがあるので、やっぱり異常な数値だと思うんですけど、慣れてきてしまってる自分が、それが一番怖い・・・。はい。
今は1学期はマスクもさせて、花粉の時期でもあったので、登下校させていたのが、それが今は無いんですね。暑いっていうのもあって、マスクを外したまま今でも、タダ送り迎えの形はとってますけれども、学校の中でもマスクは無くてっていう形。窓も開けっ放しなので。そういうふうに慣れてきてる自分が怖い・・・。
Q.周りの人は?
周りも至って普通です。はい。
あの・・・、友人でも気にする友人と、同じくらいの子供を持っていても全く気にしないっていうか情報を見ていないのか見たくないのか。それからだんだん自分が
「これは危ないんじゃないか。放射能ってほんとにこれではダメなんじゃないか」
って思っていても口に出せなくなってくる。
なんか、「え!?」っていう感じに、「そんな今更言っても」みたいな。
そういうふうになると、自分が
「あ、やっぱ自分がおかしいのかな?こんなに気にして生活して、自分がやっぱおかしいのかな?」
って思うようになってくるですね。
Q.放射能問題を気にする方ですか?
結構それもあやふやなところがあって、気にするところは気にするんですけど、食材気にしてる割には外食もしたりして、その辺で自分で
「なんでこれが許せるんだろう・・・」
そこがわからない時があります。はい。外食大丈夫なのかなとか、気にしてるほうだとは思います。はい。
当時の爆発の時から比べると、今は子供も外で遊んでたりしますし、なんかだんだん本当に気にしなくなっていくとは思います。
前は本当に子供を外で遊ばせるなんて考えられなくって、でも今は例えば子供が「自転車乗りたい」っていたらば、外で自転車乗らせたりとか、多分食べ物に関しては同じで、申し訳ないんですけども、どんなに数値が出ていないって公表されていても信用できないところがあって、食材だけは気を付けています。お水と。はい。
野菜はなるべく遠くのものを入れたりとか、主に西日本か、この辺普通に買い物すると北海道か青森が一番遠いところで、あとはほとんど茨城県産、もちろん福島県産がメインですけど、福島県産、茨城県産、千葉県産くらいまでが改めてみると多いなって。気にしてなかったんですね。きっとね。
国産という意味では気にはしてましたけど、逆に西日本のモノっていうのは、旬のモノじゃなければ入ってくるんですね。ここがまだ旬じゃなければ、例えば高知の方のナスとか、じゃがいもなんかも宮崎県とか、先にできるあったかい方から入ってくるんですけど、段々地元が旬になってくると、それが無くなってしまうんですよ。そうした時に、
「あれ?何を買ったらいいのかな」
っていうふうになって、今までは『これを作りたいから、これを買ってこよう』と思ってたんですけど、今は『これが手に入ったから、これを作ろう』というふうに変わりましたね。はい。
そうですね。あと、気を付けてるっていうことは、自分も震災時は本当にマスクもきっちりして手洗い、顔もしっかり洗っていたのが、今は、顔なんてほとんど洗わない…洗わないっていうか昼間はそのままですし、外から帰ってきて洋服を払うようなこともしなくなりましたし、子供に対しても、「素肌は出さないほうがいいんじゃないかな」と思っていても、どうしても暑いので、そういうのも気にせずやってしまったり、ただ、うちの娘は結構皮膚が弱いので、アトピーまではいかないんですけど、掻いて血が出ちゃったりするんですけど、傷口から例えば放射能が入ると危険だってちょっと聞いたような気がして、
「傷口は大丈夫なんだろうか」とか、
「絆創膏をはっただけで大丈夫なんだろうか。」
「お風呂に入るときも、水が傷口に入ったらどうなんだろう」
というふうには、未だにそれは思います。ただ、入れてますけど・・・。
「転ばないように、絶対転ばないように」
っていうのはあります。
私の、そうですね、友人たちは・・・、放射能に対してあの当時は震災で爆発した当時は、みんな多分避難してた人たちが友人の中でも多いんですけど、その中で農家の人がいるんですけど、その人が
「お米できるけども、子供には食べさせられない。」
そういった考えを持っていたんですね。
「自分たちで作ってるお米を自分たちは食べるかもしれないけども、子供には食べさせられない」
って言ってるのを見て、やっぱり同じ考えなんだなっていう、思う友達も多かったんですけど、段々そういったことを半年経った今、米所、コメが出始めましたけど、不検出だっていうところも多いじゃないですか。そうすると、
「お米は大丈夫だよね」
って皆変わっていったりとか、
「出てないんだから、大丈夫だよね」
とか、逆に放射能に汚染されたものを口にする、汚染されている状況を・・・討論し合うっていうか話し合うこと自体がタブーになってきてるというか、前はメールとか電話の中、直接会ってとかはなかなか震災当時はできなかったので、電話でそれぞれ「どうなのかしら、どこに行ってるの?」とか様子を伺いながらいたんですけども、その時にはただ放射能に関しての知識っていうのは無かったと思うんですね。
それは、テレビだけの情報では得られない情報、得られないっていうことを。新聞なんかでも得られないっていうことが、私はそう思うので、インターネットを見てる人はある程度危機意識はありますけども、見ない人はもちろん見ることができないし、聞くこともできない。テレビでの報道のみ。NHKとかね。それのみなので、そこまで危険だって思えない、思わない人たちが多いと思うんですね。
その中で、
「放射能ってこうなんだよね。内部被曝って怖いんだよね。子供は感受性がもっと強いんだよね」
そういうふうに言っていくと、
「何言ってるの?この人。考えすぎなんじゃないの?大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫でしょ?」
って言われちゃうと、
「普通にお店で売ってる野菜を買う」
って友達に聞いたら、
「うん。買ってるよ」
って。
「福島県産?牛乳でも?」
「買ってるよ。」
「気にしないの?」
「何が?」
って言うんですね。
「いや、これだけ汚染されていると、野菜とか心配じゃない?」
って言っても、
「でも国が、県が大丈夫っていってるんだから、私はそれを買う」
って言われて、
「気にしてるの?」
って言われると、気にしてるんですけど、それをちょっと・・・なんか言いづらいっていうか、なんか自分だけが良いっていうか、自分さえ良ければいいみたいに聞こえるんじゃないかと思って。避難をしてる時もそうですけど、自分たちは逃げてるけど、友人でも医療関係の人たちは残っていたんですね。
その友達がまだ避難してないっていうのを聞いたりすると、自分がすごく悪い子としてる。避難してることを隠さないといけないのかなって思うようになってしまいましたね。
Q.インターネットで見た情報も多い?
そうですね。インターネットを見ての情報も多いです。はい。
あとは友人が原発に対して、反原発の姿勢をとってる友人がいるので、その方からのある程度の情報、知識とか入ってくることもあります。
あとは講演会とかそういう案内も来るので、行けるときにはそういったものに耳を貸してるつもりです。
前にいわきで来ました広河隆一さんですよね。フォトジャーナリストの方の講演と、矢ケ崎教授。その方のは行って、あとこの間25日に行った肥田先生、ちょっと行けなかったんですけど、ネットの方でちょっと拝見はさせていただいたんです。ちょっと音声がよく聞けなくって、行きたかったんですけど、そういったことで本当はどうなんだ?っていうところを自分が知りたくって、その本当がどうだかはわからないんですけど、ただ、放射能を子供たちが生活するところも一度汚れてしまってるので、
「どうして大人、行政、市も県も国も、なんでこれを片づけようとしないのかな?」
って思います。
Q.行政の姿勢に苛立ちはあるが、どこへぶつけたらいいかわからない。
そうですね、国や県、市、行政に対して、苛立ちはあるんですけど、それを本当にどこにぶつけていいかもわからないし、どうやってそれを訴えればいいのかわからない・・・ですね。誰に言ったらいいとか。
本当に怒らなくちゃいけないっていうか、
「本当に言うとしたら、東電に言うんだろうか」とか、
「それともそれを推進してきた国に言わなくちゃいけないのか」
とか、そう思うと自分の中でいっぱいいっぱいになっちゃうんですね。
どこに怒りをぶつけていいかわからない。
Q.食品の放射性物質の暫定基準値
給食の時もそうだったんですけど、国が暫定基準を設けている。それがセシウムは500、ヨウ素が2000、ほとんどヨウ素は検出されていないようですが、セシウム500という数字は、果たして大人も子供も、これが適正なのだろうか。
ドイツか何かの基準で、大人は40ベクレル、子供は10分の1以下なので、4ベクレル以上は食べない方が良いって、多分そういった話があると思うんですけれども、それを知ってる人はどれくらいいるんだろう。
ただ、給食の問題が出た時に、それを校長先生に言ったんですね。
「暫定基準が甘くなってるのをご存知ですか?それで大丈夫だと思いますか?」
先生は、
「まぁ国が安全だと言ってるので」
っていう答えしか返ってこないんですけど、その中で500ってものすごい数字だと思うんですけど、それが内部被曝っていうのは呼吸からも取り込みますけど、食べ物や飲み物の蓄積ってやっぱり怖いと思うんですね。その辺で、
「暫定基準っていつまで続くんだろう。牛肉の問題もあり、今度はお米は若干200ベクレルでしたか、上限が。その200ベクレル、厳しくしたっていっても、ドイツで40だって言ってるのに、なんで日本は200や500や、なんか素晴らしい数字だな」
と思うんですけど、その辺が本当にこの暫定基準、いつまで続くの?それの甘んじて『数値が暫定基準値以内だから大丈夫だ』っていう根拠は何なのかな?って。その辺は考えますね。
食べ物とかに関しては、本当に福島県全体、いわきでも農家の従事者っていう方も多いんですけど、その中で自分たちで作ってる野菜を食べる、お米を食べるというのが当たり前に家庭菜園なんかもそうですけど、その中で最初の頃は、
「もう汚染されてしまった土地だし、お米なんか食べられない」
と農家の人たちが言うくらいな感じだったと思うんですね。
私なんかは、生産者から買って食べるほうだったので、作る側の気持ちっていうのがちょっとよく判らない。拒否すればそれだけで済むので、でも生産者の方にとってみたら、それは死活問題。今まで自分たちで食べる分だけを作ってきた人たちだって、今度は買わなくちゃいけないかもしれない。
国の方から作付けがオッケーだって言われて作ってるんですけど、それだって作らなければ補償もないかもしれない。そういうことで、しょうがなく、まぁしょうがなくっていうか、コメ作りが仕事なので、そういうふうにしてる人たちもいる。
あと、友人にお米の販売をしてる友人がいるんですけど、地元で。地元のお米とかを販売してるんですけど、震災後、どれくらいだったか忘れましたけど、22年産のお米、いわゆる去年取れたお米をいつも買ってくれてる人がいて、ただ、
「『22年度産のお米は、福島に保管してあったものは要らない』って断られた」
って言ってました。
お米屋さんにとってみたら、それはもちろん安全だと思うし、倉庫にもきちんと入ってるし管理されたお米ですよね。売れないこと自体がおかしい。新米についても、今不検出とか出てますけども、友達としては、「不検出だから大丈夫なんだよね」っていう気持ちと、「本当に売れるのかな?でもお米屋さんにとったら、これは死活問題だ」と、そういうふうにも言ってました。
結構インターネットとかでも販売もしてたりして、それの中から福島のお米がおいしいということで、お気に入りで買ってくださる方が、はい。県内。福島は米所なので。
そのお米、22年度産なのに、原発の事故があってからは、『福島のお米は要らない』。多分県外だと思うんですね。そういった中で、売れなくなってしまった。
それだって営業的にみたら大変なことなので、これから、そのお米ができるにあたって、出荷できるのかどうかもまだ判りませんけども、『風評被害』というのか『実害』なのかは、ちょっとわかりませんけども、数字が出ていなくても、「福島県、福島県産っていうだけで売れないんじゃないか」と、それを心配してます。
消費者側としては、暫定基準値が500ベクレルっていうのは、非常に不安なところでもあるんですが、生産者としてみれば、売れないのは困る。売れなければ補償がされるのか、補償っていうか賠償っていうか、その辺が違うんでしょうか、されるのかどうか。
それまで農家の方達だって生活があるので、補償や賠償がされるまで生活をしていけるんだろうかとか。
その両方の立場からいうと、暫定基準を今すぐ甘くするのがいいのかって、ちょっと結局潰れていくこともあると思うんですね。生産者側、それから付随して小売業とか、それを確保してるところとかも、もしかしたらダメになっちゃうところもあるのかもしれないというと、それこを日本の経済が、私はそういうことはわからないので、日本の経済、もしくは福島県の経済、いわきの経済、それはどうなっていってしまうんだろうとか。
ただ暫定基準500っていうのはいつまで続くんだろうっていうのと、たとえばそれを消費者に選択させてもいいんじゃないかと。
たとえばきちんとした数字を出して、それを消費者が選択すれば、例えば、『この梨一つに、10ベクレル入ってましたよ。こっちの梨は不検出。入ってませんでした』
っていうので、それで選択はできなんだろうか。
生産者側にとってはやっぱり『売りたい、出したい』おいしいものを作ってるので、その気持ちはすごくわかって、それを今までだったら普通に食べてたので、食べたい気持ちはあるんですけど、でも多少私たち大人は、我慢しても子供には食べさせたくないので、そこの辺で選べる基準っていうのがあったほうが、消費者にとってはありがたいんじゃないかなと思うんですけど。
Q.これからの生活をどう考えるか。
そうですね。
だんだんこの状況に本当に慣れてきてしまっているので、避難を考えるっていうのも、それすらも考えなくなってきてるんですけど、ただ、慣れていっても気を付けられるのは、食材とかその辺しかないんじゃないかとか。
いつ本当に原発がまた爆発するのか、最近原発のニュースっていうのが、メディアではあんまり流れないと思うんですね。
インターネットの方で入ってくる情報のほうが早いので、本当にこれ以上酷くなった時に、ここに居られるのか?
ただ、そういう報道がないと、本当に普通に生活をしてしまうんですね。
その辺で危機感が薄くなっていくっていうのは感じます。
Q.このまま留まりいわきで生活することの不安
そうですね・・・。
この原発が爆発しない限りは、爆発・・・っていうか本当に酷くならない限りは、多分、地元で生活していくようにはなるとは思うんですけど、ただ、子供が何年か後にもしかしたらどこか不具合が出てきたときに、その時に後悔するんじゃないかとは思うんですけど、ただ慣れてしまった状況がある。楽な方を選んでしまっているので、それは耳をふさぎたくなるような気持ちもあるんですけど。
ただ、今後娘、子供たちには、できれば・・・ここを出ていってもらいたいっていうのもありますし、でも、そうなった時に、果たして子供がほかに行ったときに、『福島県の子供だから』っていうことで、無いかもしれないんですけど、いわゆる・・・拒否をされるっていうか、そういった目で、『福島だから』っていう目で見られたりはしないだろうかとか、極端な話、結婚するときに、もしかしたら『福島だから』っていうことで、結婚できないなんてことになってしまったら、どうしようかな・・・と。
そうですね・・・。
<涙されています>
子供のことを思うと、これで良かったのかなって、いっつも思います。
でも、決断できない自分が居るので・・・それは本当に娘に対して、これで本当に良かったのかどうかっていうのは、未だに迷うところですね・・・。
本当によっぽどいわき市全体で避難命令でもでない限りは、出ていけないと思うんですね。出ていけないというのは、様々な条件がありますけど、自分で決断できないところもあって、多分そのままこの流れで、福島が汚染されたっていう状況を皆が忘れるまで居るんだろうなと・・・。
ただ、あと何年か後に子供たちに、何か・・・放射能の影響かはその時に判るかどうかわからないんですけど、何か状況が出た時に、自分は後悔するんじゃないかと・・・。そうなってからでは遅いんではないのかなと思うんですけど・・・、そうならないことを祈るばかりです・・・。
自分のことは、もう別に半分諦めてるんですけど、やっぱり家族に何かあったらと思うと、自分は耐えられるけどって思うんですね。
去年私大きな病気をしたので、その時にこの病気が家族じゃなくて良かったって思ったんですね。自分だったら耐えられるけど、これが、ましてや自分の子供だったりしたら、この状況は耐えられない。ただ、決断、その放射能に対して、実際、本当に避難することもできないっていうか、決断ができない自分が情けない・・・。<涙されています>
自分にも憤りを感じますけど、本当にこの状況を誰に・・・何て伝えたらいいのか・・・。みんなが同じ状況でいるのに、自分だけが・・・、本当にどこに怒りをぶつけていいかはわからないですね・・・。
Q.娘の将来のこと、夫との話
あんまりそう深くは話したりはしないんですけど、ただ、娘には娘の人生があるので、娘の考えを尊重させたいっていうのはあるみたいです。
それは私も同じなんですけど、ただ、今いわきで生活するっていう現状が、果たして最善の方法なのか?っていうのは、お互いが疑問を持っています。
ただ、離れることによってのストレスっていうのもかなり大きかったんですね。だからその辺で寂しさもありましたし、私自身も年老いた親を置いてきぼりにはできない。ましてや周りに誰もいないのに、置いていくこともできない。置いていったときに、どうなってしまうだろう・・・?
自分の病気のこともありますけど、どこかに行って新たに生活を始めようっていうことに対して、すごい不安があって、やっぱり家族三人で、ただここで生活していくんであれば、限りなく自分で自衛をして守れるところは守ろうっていう決断で戻ってきたんですけど、だんだんそれがやっぱり慣れてきてる自分がいて、ふっと気づくと
「あぁ、これでいいのかな・・・」
って思っても行動に移せない自分がいるんですね。それが情けない・・・。
<涙されています>
先の話ですけども、娘の結婚とかに関しては、本当に県外のいわゆる福島から関係のない人たちにとっては、非常に福島っていうだけでイメージ的にも内情的にも、やっぱり好ましくないんじゃないかと思われる、私は思うんですね。
ただ、県内の人、私も主人といわき同志で結婚してますけど、県内同志の福島県の人たちが一緒になることに関しては、さほど抵抗はないのかもしれない。だけど、たとえば娘に子供ができた時に、果たしてちゃんと・・・ちゃんと生まれるんだろうかとか<涙されてます>、生まれても体が弱くて・・・その子を心配するようになったら、すべてこの放射能のせいに結び付けられるものなのか、それとももともとのものなのか、その因果関係が・・・認められなければ・・・ずーっと自分の娘が産んだ子に対しても、申し訳ないって思うんじゃないかと、たった一人の娘なので・・・それが心配ですね・・・。
頼る人もいなくなってしまったらどうしようって。一人きりになってしまったら、どうやって生活していくんだろうって思うと、それが心配です。<涙されています>
このままいわきに残るか、家族がバラバラになってそれぞれいるか、それとも3人で家族がみんなでどこかで生活をするかっていうのには、そこまでは話し合ったことがないんです。主人は仕事がずっといわきであるので、生活ができるのかとか、家族3人で行ったとして、仕事を見つけたとしても生活ができるのかとか、家があるのでその家をどうすればいいのかとか、ローンもあります。はい。2000万くらいは残ってるかと思うので、その辺で住んで10年くらいにはなるんですけど、その辺で住宅ローンはどうやって払ったらいいのかとか、残してきた年を取っていくばかりの親たちを一緒に連れてくればいいのかとか、でも、連れてくるっていっても、私の母親の方にも家はありますし、その家はどうしたらいいんだろうとか、ただ、このままいわきにいてもいわきの発展って、そんなにないんじゃないだろうかとか、そう思うと・・・。
ただ、どうしていいかわからないです。
家族3人で避難するってことは、無いと思います。
ただ、子供・・・本当に子供がもう少し大きければ、親元を一人で離れていられるようであれば、子供だけは県外もしくは海外にでも行かせたいくらいです。それができない。
できないと思います・・・。
ただ、今まで生活、今まで福島県の人たちって何か本当に悪いコトしたのかな。なんで福島県だったんだろう。早く元通りにしてほしい。でも、もしかしたらそれは不可能なんじゃないかとか、元通りにできないんであれば、何かもっと方法はあるだろうと。除染を進めるなり、生活に関してもきっちりと補償並びに賠償をきっちりしてくれるとか、なんか、どんどん私たちの生活を奪って
『補償はしたくない、賠償はしたくないから、なんでも安全だっていわれてるんじゃないか』
っていうふうに思うことがあります。
やっぱりお金が出せないから、補償もできない。避難させることも場所もない。だから避難をさせないんじゃないかなとか、3月15日にいわきの23マイクロシーベルトという数字が市政だよりかなにかに載ってたんですけど、この数字って最近見た数字だなっていうか、後からわかった数字で、あの当時はどのくらい本当に線量が飛んでるかとか、そういうこと全くわからないで水汲みにいったり、買い物をしたり、結局ガソリンがないから歩いて買い物にいったりとかした方とか多いんですね。
あの時の被曝量って・・・、24時間外には居なかっただろうけども、そんなに内と外とあんまり変わらないのかな、どうなんだろう。今内部被曝の線量、ホールボディカウンターで測っても、果たして正確な数字が出るのかどうか。
あの時にやってもらえれば、確かにどのくらいもしかしたら被曝をしてるっていうのは判ったかもしれないけど、今更やって
「大丈夫でした」
って終わられたら、その後病気になった時に、これはどこに言えばいいんだろう。じゃあ
「あなたはそれは放射能とは全然関係ないですよ」
って言われて福島県の人たちはいってしまうんじゃないかって。そういう危機感はありますね。
データだけをとられても治療を目的としなければ。
いわきではガラスバッジは配られてないんです。多分福島県の中通り地方とあとは町とか村とかの単体では、ガラスバッジを配ってるんですけど、いわきは全くその予定もないとは聞いたんですけど。
だから、いわき自体、小名浜っていうところがあるんですけど、そことかも比較的線量が低いようなんですね。だから漁業ももちろん今は漁業はできないですけど、ありますので、その辺であんまり危機感を持ってない人っていうのも多いとは思うんです。本当に普通に生活している人たち。
風が北から来るので、その時に線量が上がるのか?果たして放射能自体は飛んできてるんだろうかとか、それもわからない・・・。
Q.原発の再稼働、輸出のニュースを聞いて…。
原発を輸出するって聞いた時には、
「まだそんなこと言ってるのかな」
って思ったんですけど、所詮他人事にしか思ってないんじゃないかとか、実際福島県に来て、本当に線量測ってそこで生活をして、そこで第一次産業、農家を営んでる方とか漁業を営んでる方とかの意見っていうのは、本当に伝わってるんだろうか。
こんなにも、精神的にも参ってしまっている人たちがたくさんいるのに・・・やっぱり所詮他人事にしか感じないのかなって。
『福島県は福島県だけで、それをこなしていけ』
みたいな、実際自分たちのところで原発が爆発したら、あの人たちはどう思うんだろう。
それでも原発を推進しなくちゃいけないのかっていう・・・信じられないですね。
原発によって仕事を受けてるっていう方もたくさんいるとは聞きますので、でも、原発中のすべてを破壊してしまうほどの威力があるっていうのは、今回初めて原子力についてなんて勉強したことなかったので、第一原発や第二原発の近くに6号線が通っているので、その辺を普通に通ったりもしてましたし、あの辺に子供たちが遊ぶ施設が結構あるんですけど、公園とかもそういうところにも、
「いや、いいとこだね」
なんて言ってた程度だったので、まさかあそこがこんなんなるとは・・・思ってなかったですね。
「いつでも爆発するんじゃないか」っていうその危機意識は、持っていたいと思います。
Q.自己紹介をお願いします。
初めまして。
私は福島県のいわき市、いわき生まれで、田口葉子と申します。
私の住んでいるところは、いわき市でも、そうですね、原発からいうと53㎞くらいのところにあります。泉町のほうになります。そこの所謂新興住宅地のところに、会社員をしております主人と小学校4年生になります女の子の3人で、あとペットが2匹いますけど、そのペットを2匹含めた5人で生活しております。
Q.お仕事は?
美容関係の仕事をさせていただいております。
Q.3.11の前後の変化
そうですね。
仕事においても、生活においても、子供に対する学校生活、主人の仕事、全て、私の実家、おばあちゃんとかおじいちゃんについても、考え方もすべて変わってしまったっていう。
3.11の大震災の前と後と私の生活、家族の生活、すべてが変わったと思います。
Q.3.11発災当時の状況
ちょうど2時46分っていう時間帯は、私、まだ去年ちょっと入院しまして、退院したあとでまだ仕事も再開してなくて、家でおばあちゃんと一緒にテレビを見ていたんですね。
そこでグラグラっと地震速報がなったかどうかも覚えてないんですけど、突然の揺れが来たことでびっくりして、とにかく避難経路を確保しようっていうことで、窓を開けながら家の外壁を見ていると、家の外壁がグラグラと揺れていて、そこでしばらく地震が続いたので、そこで立ち尽くすっていうか、おばあちゃんなんかは座ったままの状態だったんですけど、その後ちょっと収まってから、ふっと我に返った時に、
「娘が帰ってくる時間だ」
子供が。
「果たして学校から出てしまったんだろうか」
とか、
「無事に帰って来れるだろうか」
「迎えに行かなくちゃ」
っていう、ただ、余震がすごかったので、もうどうしていいかわからない、パニック状態に陥っていました。
ちょうどご近所の方もいる方はびっくりして外に出ていたので、皆で
「とにかく道路のところに安全なところに居よう」
って言って、そしたら娘がちょうど帰ってきたんですね。
子供たちはちょうど学校から出てしまっていて、途中で地割れをするところを見たりとか、瓦が落ちてきたところとかはなかったんですけど、そういったところでも子供たちもパニックで帰ってきて、ご近所の方達、あのとき寒かったんですけど、雪もちょっと降ってきたんですね。いわきのほうでは。
そんな状況で外にずっと5時くらいまで居て、まさか津波が来てるとか、全く電話もつながらなければテレビを見る余裕もなかったので、まさかあんなにひどくなってるとは思ってもみませんでした。
Q.震災の情報はどこから?
まず、3月11日の震災の時には、電話も何もつながらない、やっと夕方少し落ち着いてからテレビを見て、津波の被害とかものすごい建物の損壊とか、そういったのを初めて目にしたんですね。
その日は怖くてもう着の身着のままで寝て、次の日をむかえるんですけども、まず水が出ないということで、水が出ないけどっていうことで、初めて本当にすごいことなんだなっていうのに気づいて、テレビをつけるとまだ原発が爆発したっていうのは、ちょっと耳にしてなかったような気がするんですね。
次の日、とにかくいわきは、ものがない、水が出ない、震災当日の日も自動販売機とかでお水を探したんですけど全くなくて、隣のご主人、やっぱりご家族三人で女の子が一人幼稚園に行ってる子がいるんですけれども、その方が「一緒に買い物に行きましょう」って言ってくれて、一緒に買い物に行ったんですね。
その時にすごい行列、200人くらい外で待っていたと思います。普通にマスクもせず、何もせず、普段着で買い物に行きました。買い物に行って、外で2時間くらいまって、やっと一人10品というもので、とにかく必要なものを買おうという形で買いました。
その後帰ってきて、新聞とかも多分来てなかったと思い・・・、あ、次の日は新聞は来てたんですね。新聞の情報よりもまずテレビの情報を、24時間テレビをやってる状況だったので、見ていて3月13日くらい・・・ちょっと時系列がわからないんですけども、枝野官房長官がその当時出ていた時に、
『非常事態だ。原発が爆発した。福島だ』
っていうことで、福島の原発は、第一と第二があるんですけれども、それによっていわきからの距離も若干違うんですね。
『第一原発が爆発した。』
その時に、
「いわきは何キロ何だろう」
って思ったんですけど、その時うちの主人が地図を見て、だいたい直線だと50㎞圏内か、もしくは60㎞圏内くらいの位置だということで、
「じゃぁ、大丈夫なのかな?」
だからその程度だったんですね。
でも、そのうち、枝野さんの尋常じゃない汗を見て、
「本当にこれでいいんだろうか」
と、不安になるんですけれども、その時にうちには家族3人にほかに、うちの主人のおじいちゃんが施設の方から水も出ない、職員も少ないという形で、私の自宅の方に来たんですね。私の母親もいましたし、おばさんも一人住まいなので、6人で家で避難してた感じですね。
そんな形でいたので、なんでいうんですかね。とにかく食料もなくて不安だらけだったんですけども、14日になって『原発が爆発した』と。その時に、
「爆発・・・、爆発って何だろう・・・」
っていう感じだったんです。
「どんな爆発なんだろう?」
と全く知識が無いので、原発のことは考えたことが無かったんですね。
15日、はい、テレビで爆発してるシーンも見ましたし、その時に初めてインターネットを開いて様々な情報が、本当かウソかはわからないまま情報を鵜呑みにしていたこともあるんですけども、その中で15日にはうちの周りは新興住宅地で、小さいお子さんを持ってる方がほとんどなんですね。みんな居ないんですよ。避難してしまって。その時に、
「これは本当にヤバいのかな・・・?」
ってちょっと思って、娘を外に出した記憶はないんですけども、とにかく水は無いから水はくんでこなきゃいけない。周りは居ない。ガソリンも無いので車も走っていない。食料もない。
Q.いわきの西、須賀川への避難
15日の夜、多分7時過ぎだったと思うんですけど、一度須賀川に親戚が居るので、須賀川のほうに行こうと思ったんですけど、須賀川はいわきから見ると西側の方ですかね。そちらのほうにとにかく遠くに逃げればいいんじゃないかっていう考えしかなかったので、そちらに行こうと試みたんですけども、でも、その時に乗ったのが、私と娘と私の母と叔母の4人だけだったんですね。主人と主人の父親は、いわきに置き去りにしてしまったんですね。車に乗れないということと、主人の父親がやっぱり体もおぼつかないのもありますし、
「避難したくない」
っていうことがあったので、
「じゃあとにかくお前たちだけで行け」
ということだったので、夜7時すぎだったと思うんですけど、一度家を離れたんです。でも、途中まで行ったときに、とにかく心もとなくって、置いてきてしまったことに。叔母も
「今避難しなくても大丈夫だよ。家にいればいいんだよ」
ということだったので、気にはなってた・・・私も車の運転がよくできなかったので、一度戻ったんです。また。
戻って、その日はそのまま自分の家で休んだんですけども。
16日も本当に自衛隊とかが水をかけてたのが何時だったのかちょっと覚えてないんですけど、そういったのを祈るような気持ちで見ながら16日を過ごしたんですね。
17日になって、高速道路が走ってると聞いたんです。高速道路がとおってるんだったら、ガソリン半分以下だけど行けるとこまで行けるんじゃないかということで、その時に初めてやっぱり『出よう』っていうことを決心したんですね。
その時には、私と娘と主人、3人。あと、私の母親と叔母はバスでやはり須賀川のほうにバスが走ってるのもラジオで確認できたので、バスで須賀川の方に二人は行きました。主人のほうの父親は、身体がおぼつかないので、うちの主人のおばさんのところにお願いをしたんですね。水と食料とを持って。
バラバラに行って、変な話、叔母とは涙の別れをしながら、本当にこれで会えなくなるんじゃないかっていう、そういうのがありましたね・・・。
・・・すいません。
<涙されています。>
・・・そうですね。すいません・・・。
娘がどうなってしまうんだろうって・・・。
そう思いましたね・・・。
それから、高速に乗ってつくばの方に主人の義兄がそちらに居るので、とにかくそこまで行こうと必死で、もう本当に車の暖房もつけずに。
Q.寒かったですか?
寒かったので、暖房もつけるとガソリンが減ってしまうと思って、毛布を娘に懸けながら・・・<涙されています。>
道も判らずに必死になって遠くに逃げようっていう形で行きました。
17日には義兄の家にお世話になって、でも義兄の家に行ったら、義兄は結構しっかりした方なので、娘さんがいるんですけども、その娘さんは既に福岡の方に避難させていたんですね。私も「ここでもダメなのかな」って思ったんですけども、でもそこまで行くのが精いっぱい・・・だったんですね。そんなにやっぱり親戚のお宅といっても迷惑がかかるので、ちょっとホテルでも予約をとって、そっちに移ろうかっていうふうに移ったんですね。
そのホテルに3泊くらいしたんですけど、そのホテルでもすごい地震で、8階だったので怖くていられなくて、地震の怖さっていうのが・・・すごくて、そこにもいられないっていうことでまた義兄の家にお世話になったんですね。
Q.揺れるんですね?
それから私も・・・。
揺れます。それはものすごい、あの時震度5強くらいあったと思うんですけど、茨城のほうでも。でもそのホテルの中にも、たくさんいわきナンバーの方がいらっしゃって、
「あぁ、みんなこっちに避難してるのかな」
なんて思いながらいたんですけど、でもとりあえずそうしていても時間だけが過ぎて、原発の状況も全然収まらないと。
「もしかしたら1週間くらいで帰れるんじゃないかな」
って思ったんですけど、全然そんな気配もないので、そこで主人のほうも仕事が始まるということで、大体、春のお彼岸明けくらいに仕事が始まるっていうことだったので、その前に私の独断で、
「アパートを借りてしばらくこっちにいようかと思う」
って言ったら、主人も
「そうだね。しばらく親戚もいるので、全然知らないところではないから、しばらくこっちにいたら」
っていうことで、1Kの小さなアパートを借りたんです。はい。
借りて、そこが3月25日くらいからそこをお借りして、荷物も本当に電化製品なんかはレンタルをして、その他必要な家具とかは全部ついていたので、布団はお義兄さんのところからいただいて、そうやってそこに身を寄せたんですね。
主人が仕事が始まるっていうので、主人だけが戻ったんです。その間、私と娘は学校もまだ始まるか始まらないかもわからなかったので、そこに何もすることもなく、窓も締め切ったまま、テレビだけを二人で見ていたって感じです。
Q.子供の学校が普通通りに始まると連絡が来た・・・
いや、うーん、学校が始まるって、普通通りに学校が始まるって連絡がきたんですね。ただ、その、どうして地震もまだあるのに、余震も続いてるし、原発も本当に全然収まらない状況で、学校が始まるっていうのが信じられなくって、私は学校には行かせられないって思って、茨城の方の学校にも行かせようかと思ったんですけど、
「茨城ってちょっと近いかな」
っていうのも不安で、「茨城でももしかしたら・・・」っていうのがだんだん情報がいろいろ入ってきてたので、
「茨城でも本当にいいんだろうか?」
っていうのがあって、そこで学校には行かせることをしないで、1か月間だけ学習塾に娘は行かせたんです。学校に行かない代わりに学習塾にちょっとでも勉強させたくって、行かせたんですけど。
娘もストレスでうまく表現ができないっていうか、なんか精神的にやっぱり参ってるみたいで、変な話、おトイレが近くなっちゃったりとか、すごく不安で、情緒が不安定になってきたんですね。
で、『どうしようか、どうしようか』って。
主人はいわきに戻ってたので、いわきに戻ってると普通に生活をするっていうか、普通ではないんですけど、若干思ってるよりもみんな普通に生活をしているっていうことを耳にはしていたんですけれども、じゃあどうしようか。このまま学校行かせないっていうのも困るし、こっちの学校に転校させるか、もしくはもっと遠くに行かせればいいのかとか、いろいろ考えたんですけれども、でも私自身の体力と寂しさもあったんだと思うんですけど、これ以上遠くに行くのは、自分の中で難しいっていうふうに思ってしまったんですね。娘もやっぱり、主人に家族ばらばらになるっていうことで不安定さもあったので、一度連休明けには戻って学校に行かせようかなっていうことで、学校の方に連絡はしたんですね。
学校の先生も、結構しっかりした先生なので、『マスク着用、お水は持ってきてください』とか、結構好意的に放射能に対しての知識も多分、先生はおありだったんだと思います。子供のためになんとか被曝を減らせないかとか、そういうことを考えてくださる先生だったので、主に担任の先生とそんな形でして。
Q.学校給食への不安
後は給食も心配だったんです。給食は、しばらくは簡易給食っていって、パンと牛乳とか、そういうものしか出さなかったんですけど、栄養面でも気になりますけども、なんといってもその『牛乳』。
チェルノブイリのころでも、牛乳が汚染されててそれを飲んで子供たちがっていうのが、情報として入ってたので、
「牛乳はやっぱりまずいんじゃないかな」
ということで、牛乳だけをやめるか、ただ栄養面も気になったので、
「とにかくお弁当にします。お弁当にさせてください。」
っていうことで、その頃は学校もある程度簡易給食だったので、
「お弁当いいですよ」
っていう感じでお弁当を持たせていたんですね。
しばらく経ってから、2学期かな、
『完全に給食が始まります』
そうしたときに、校長先生から電話が来たんです。
「給食は安全ですので、食べてください。」
給食自体強制だと思ってなかったので、
「いや、今はまだ食べられません」
「どうしてですか?」
「放射能の、放射性物質が検出されてるので、安心できない。安全ではなくて安心できない」
っていうのを言ったんですね。校長先生は、
「いや、あのモニタリングとかもきっちりしてるので、安全です。安全ですので食べてください」
ということだったんですけど、多分お弁当を持っていってる子には、多分、校長先生は直接っていうか、連絡をしていたんだと思うんですけど、その中で私は
「まだ安心はしていない、だったら、どこの食材を使ってるとか、数値までを出してくれるのが一番ありがたいんですけれども、その辺を見せてくれたらば、目で確認したのであれば、お弁当から給食に替えることは考えます」
って言ったんですが、
「それは一杯あるので、そこまではできない。給食センターに聞いてください」
っていうことだたったんですね。
「じゃあまだ自分で納得して安心はしないので、お弁当のままでいきます」
ということで、それで今もまだお弁当です。
Q.なぜそこまで給食を強いるのでしょうか?
それは私個人の考えですけども、学校が『給食を食べろ、食べなさい』っていうことには、何点かあると思うですけど、まずいわきに避難してる子供たちがたくさんいたと思うんですね。その中でお弁当を作ってくれる家庭と作れないっていう方もいらっしゃると思うです。
そういった中で差が出てきてしまうっていうのを、ある意味子供を使って安全をアピールするまでは、そこまでは考えるのかしら?とは思うんですけど、でも上から言われれば、もしかしたらそういったこともあるんじゃないかっていうことで、何点かそういったことはあると思います。それは私個人の考えですけど。
Q.一時避難から戻ってからの生活
まずこっちに戻ってきてからは、住宅街、よく子供が遊んでるんですけれども、全く子供は遊んでいませんでした。
Q.ガイガーカウンターで周囲を測ってみた
その頃、そうですね、主人の義兄からガイガーカウンタを借りてきてたので、それで家の周りをちょっと測ったんですけど、家の周りで0.6とか、機械によっても違うのかもしれないんですけど、そのくらいあって、家の中でも0.2くらい、あと1階と2階では数値がちょっと違うんですね。
2階建ての家なので、1階では0.2くらいなんですけども、2階で特に眠る部屋、寝室だと0.3くらいとかはあるんですね。ベランダが2階にはあるので、ベランダは除染すれば少し違うのかなと思って、主人がやったんですけど、あんまり変わらなかったんですね。デッキブラシで洗った程度なんですけど、高圧洗浄機ではなくって、そんなでいて、学校もやっぱり登下校、結局新興住宅地っていうのは山に囲まれているので、数値がもしかしたら高いのかなって。
学校も、結構学校にも行って測ってきたんですけど、内緒で。
学校で地上、校庭近くは地上1㎝くらいで、0.7くらいあったんですね。
校庭ではもちろん遊ばせられないし、体育もできないだろうと思って、登下校に関しても結構子供の足で25分くらい学校まで歩くので、送り迎えをしています。はい。
Q.子供の通学路の線量も測ってみた
場所によって全然違うんですが、草むらの中とか、草むらの近くは0.4とかそのくらい。その当時はですね。
最近は測ってないんですけど、その0.4という数字が、果たしてすごい子供に対してどんな影響があるのか、影響がないのか、それがわからないんですね。
そうですね。連休明けには完全に戻ってきました。
Q.その頃(5月)と今(9月)で線量の変化は?
その頃から比べて、今家で測ってる数値は、家の中でだいたい0.12~0.13、0.15くらいまで家の1階部分であります。2階部分もそんなにさほど変わりは無くなってきたんですけど、ただ外は0.2以上検出することがあるので、やっぱり異常な数値だと思うんですけど、慣れてきてしまってる自分が、それが一番怖い・・・。はい。
今は1学期はマスクもさせて、花粉の時期でもあったので、登下校させていたのが、それが今は無いんですね。暑いっていうのもあって、マスクを外したまま今でも、タダ送り迎えの形はとってますけれども、学校の中でもマスクは無くてっていう形。窓も開けっ放しなので。そういうふうに慣れてきてる自分が怖い・・・。
Q.周りの人は?
周りも至って普通です。はい。
あの・・・、友人でも気にする友人と、同じくらいの子供を持っていても全く気にしないっていうか情報を見ていないのか見たくないのか。それからだんだん自分が
「これは危ないんじゃないか。放射能ってほんとにこれではダメなんじゃないか」
って思っていても口に出せなくなってくる。
なんか、「え!?」っていう感じに、「そんな今更言っても」みたいな。
そういうふうになると、自分が
「あ、やっぱ自分がおかしいのかな?こんなに気にして生活して、自分がやっぱおかしいのかな?」
って思うようになってくるですね。
Q.放射能問題を気にする方ですか?
結構それもあやふやなところがあって、気にするところは気にするんですけど、食材気にしてる割には外食もしたりして、その辺で自分で
「なんでこれが許せるんだろう・・・」
そこがわからない時があります。はい。外食大丈夫なのかなとか、気にしてるほうだとは思います。はい。
当時の爆発の時から比べると、今は子供も外で遊んでたりしますし、なんかだんだん本当に気にしなくなっていくとは思います。
前は本当に子供を外で遊ばせるなんて考えられなくって、でも今は例えば子供が「自転車乗りたい」っていたらば、外で自転車乗らせたりとか、多分食べ物に関しては同じで、申し訳ないんですけども、どんなに数値が出ていないって公表されていても信用できないところがあって、食材だけは気を付けています。お水と。はい。
野菜はなるべく遠くのものを入れたりとか、主に西日本か、この辺普通に買い物すると北海道か青森が一番遠いところで、あとはほとんど茨城県産、もちろん福島県産がメインですけど、福島県産、茨城県産、千葉県産くらいまでが改めてみると多いなって。気にしてなかったんですね。きっとね。
国産という意味では気にはしてましたけど、逆に西日本のモノっていうのは、旬のモノじゃなければ入ってくるんですね。ここがまだ旬じゃなければ、例えば高知の方のナスとか、じゃがいもなんかも宮崎県とか、先にできるあったかい方から入ってくるんですけど、段々地元が旬になってくると、それが無くなってしまうんですよ。そうした時に、
「あれ?何を買ったらいいのかな」
っていうふうになって、今までは『これを作りたいから、これを買ってこよう』と思ってたんですけど、今は『これが手に入ったから、これを作ろう』というふうに変わりましたね。はい。
そうですね。あと、気を付けてるっていうことは、自分も震災時は本当にマスクもきっちりして手洗い、顔もしっかり洗っていたのが、今は、顔なんてほとんど洗わない…洗わないっていうか昼間はそのままですし、外から帰ってきて洋服を払うようなこともしなくなりましたし、子供に対しても、「素肌は出さないほうがいいんじゃないかな」と思っていても、どうしても暑いので、そういうのも気にせずやってしまったり、ただ、うちの娘は結構皮膚が弱いので、アトピーまではいかないんですけど、掻いて血が出ちゃったりするんですけど、傷口から例えば放射能が入ると危険だってちょっと聞いたような気がして、
「傷口は大丈夫なんだろうか」とか、
「絆創膏をはっただけで大丈夫なんだろうか。」
「お風呂に入るときも、水が傷口に入ったらどうなんだろう」
というふうには、未だにそれは思います。ただ、入れてますけど・・・。
「転ばないように、絶対転ばないように」
っていうのはあります。
私の、そうですね、友人たちは・・・、放射能に対してあの当時は震災で爆発した当時は、みんな多分避難してた人たちが友人の中でも多いんですけど、その中で農家の人がいるんですけど、その人が
「お米できるけども、子供には食べさせられない。」
そういった考えを持っていたんですね。
「自分たちで作ってるお米を自分たちは食べるかもしれないけども、子供には食べさせられない」
って言ってるのを見て、やっぱり同じ考えなんだなっていう、思う友達も多かったんですけど、段々そういったことを半年経った今、米所、コメが出始めましたけど、不検出だっていうところも多いじゃないですか。そうすると、
「お米は大丈夫だよね」
って皆変わっていったりとか、
「出てないんだから、大丈夫だよね」
とか、逆に放射能に汚染されたものを口にする、汚染されている状況を・・・討論し合うっていうか話し合うこと自体がタブーになってきてるというか、前はメールとか電話の中、直接会ってとかはなかなか震災当時はできなかったので、電話でそれぞれ「どうなのかしら、どこに行ってるの?」とか様子を伺いながらいたんですけども、その時にはただ放射能に関しての知識っていうのは無かったと思うんですね。
それは、テレビだけの情報では得られない情報、得られないっていうことを。新聞なんかでも得られないっていうことが、私はそう思うので、インターネットを見てる人はある程度危機意識はありますけども、見ない人はもちろん見ることができないし、聞くこともできない。テレビでの報道のみ。NHKとかね。それのみなので、そこまで危険だって思えない、思わない人たちが多いと思うんですね。
その中で、
「放射能ってこうなんだよね。内部被曝って怖いんだよね。子供は感受性がもっと強いんだよね」
そういうふうに言っていくと、
「何言ってるの?この人。考えすぎなんじゃないの?大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫でしょ?」
って言われちゃうと、
「普通にお店で売ってる野菜を買う」
って友達に聞いたら、
「うん。買ってるよ」
って。
「福島県産?牛乳でも?」
「買ってるよ。」
「気にしないの?」
「何が?」
って言うんですね。
「いや、これだけ汚染されていると、野菜とか心配じゃない?」
って言っても、
「でも国が、県が大丈夫っていってるんだから、私はそれを買う」
って言われて、
「気にしてるの?」
って言われると、気にしてるんですけど、それをちょっと・・・なんか言いづらいっていうか、なんか自分だけが良いっていうか、自分さえ良ければいいみたいに聞こえるんじゃないかと思って。避難をしてる時もそうですけど、自分たちは逃げてるけど、友人でも医療関係の人たちは残っていたんですね。
その友達がまだ避難してないっていうのを聞いたりすると、自分がすごく悪い子としてる。避難してることを隠さないといけないのかなって思うようになってしまいましたね。
Q.インターネットで見た情報も多い?
そうですね。インターネットを見ての情報も多いです。はい。
あとは友人が原発に対して、反原発の姿勢をとってる友人がいるので、その方からのある程度の情報、知識とか入ってくることもあります。
あとは講演会とかそういう案内も来るので、行けるときにはそういったものに耳を貸してるつもりです。
前にいわきで来ました広河隆一さんですよね。フォトジャーナリストの方の講演と、矢ケ崎教授。その方のは行って、あとこの間25日に行った肥田先生、ちょっと行けなかったんですけど、ネットの方でちょっと拝見はさせていただいたんです。ちょっと音声がよく聞けなくって、行きたかったんですけど、そういったことで本当はどうなんだ?っていうところを自分が知りたくって、その本当がどうだかはわからないんですけど、ただ、放射能を子供たちが生活するところも一度汚れてしまってるので、
「どうして大人、行政、市も県も国も、なんでこれを片づけようとしないのかな?」
って思います。
Q.行政の姿勢に苛立ちはあるが、どこへぶつけたらいいかわからない。
そうですね、国や県、市、行政に対して、苛立ちはあるんですけど、それを本当にどこにぶつけていいかもわからないし、どうやってそれを訴えればいいのかわからない・・・ですね。誰に言ったらいいとか。
本当に怒らなくちゃいけないっていうか、
「本当に言うとしたら、東電に言うんだろうか」とか、
「それともそれを推進してきた国に言わなくちゃいけないのか」
とか、そう思うと自分の中でいっぱいいっぱいになっちゃうんですね。
どこに怒りをぶつけていいかわからない。
Q.食品の放射性物質の暫定基準値
給食の時もそうだったんですけど、国が暫定基準を設けている。それがセシウムは500、ヨウ素が2000、ほとんどヨウ素は検出されていないようですが、セシウム500という数字は、果たして大人も子供も、これが適正なのだろうか。
ドイツか何かの基準で、大人は40ベクレル、子供は10分の1以下なので、4ベクレル以上は食べない方が良いって、多分そういった話があると思うんですけれども、それを知ってる人はどれくらいいるんだろう。
ただ、給食の問題が出た時に、それを校長先生に言ったんですね。
「暫定基準が甘くなってるのをご存知ですか?それで大丈夫だと思いますか?」
先生は、
「まぁ国が安全だと言ってるので」
っていう答えしか返ってこないんですけど、その中で500ってものすごい数字だと思うんですけど、それが内部被曝っていうのは呼吸からも取り込みますけど、食べ物や飲み物の蓄積ってやっぱり怖いと思うんですね。その辺で、
「暫定基準っていつまで続くんだろう。牛肉の問題もあり、今度はお米は若干200ベクレルでしたか、上限が。その200ベクレル、厳しくしたっていっても、ドイツで40だって言ってるのに、なんで日本は200や500や、なんか素晴らしい数字だな」
と思うんですけど、その辺が本当にこの暫定基準、いつまで続くの?それの甘んじて『数値が暫定基準値以内だから大丈夫だ』っていう根拠は何なのかな?って。その辺は考えますね。
食べ物とかに関しては、本当に福島県全体、いわきでも農家の従事者っていう方も多いんですけど、その中で自分たちで作ってる野菜を食べる、お米を食べるというのが当たり前に家庭菜園なんかもそうですけど、その中で最初の頃は、
「もう汚染されてしまった土地だし、お米なんか食べられない」
と農家の人たちが言うくらいな感じだったと思うんですね。
私なんかは、生産者から買って食べるほうだったので、作る側の気持ちっていうのがちょっとよく判らない。拒否すればそれだけで済むので、でも生産者の方にとってみたら、それは死活問題。今まで自分たちで食べる分だけを作ってきた人たちだって、今度は買わなくちゃいけないかもしれない。
国の方から作付けがオッケーだって言われて作ってるんですけど、それだって作らなければ補償もないかもしれない。そういうことで、しょうがなく、まぁしょうがなくっていうか、コメ作りが仕事なので、そういうふうにしてる人たちもいる。
あと、友人にお米の販売をしてる友人がいるんですけど、地元で。地元のお米とかを販売してるんですけど、震災後、どれくらいだったか忘れましたけど、22年産のお米、いわゆる去年取れたお米をいつも買ってくれてる人がいて、ただ、
「『22年度産のお米は、福島に保管してあったものは要らない』って断られた」
って言ってました。
お米屋さんにとってみたら、それはもちろん安全だと思うし、倉庫にもきちんと入ってるし管理されたお米ですよね。売れないこと自体がおかしい。新米についても、今不検出とか出てますけども、友達としては、「不検出だから大丈夫なんだよね」っていう気持ちと、「本当に売れるのかな?でもお米屋さんにとったら、これは死活問題だ」と、そういうふうにも言ってました。
結構インターネットとかでも販売もしてたりして、それの中から福島のお米がおいしいということで、お気に入りで買ってくださる方が、はい。県内。福島は米所なので。
そのお米、22年度産なのに、原発の事故があってからは、『福島のお米は要らない』。多分県外だと思うんですね。そういった中で、売れなくなってしまった。
それだって営業的にみたら大変なことなので、これから、そのお米ができるにあたって、出荷できるのかどうかもまだ判りませんけども、『風評被害』というのか『実害』なのかは、ちょっとわかりませんけども、数字が出ていなくても、「福島県、福島県産っていうだけで売れないんじゃないか」と、それを心配してます。
消費者側としては、暫定基準値が500ベクレルっていうのは、非常に不安なところでもあるんですが、生産者としてみれば、売れないのは困る。売れなければ補償がされるのか、補償っていうか賠償っていうか、その辺が違うんでしょうか、されるのかどうか。
それまで農家の方達だって生活があるので、補償や賠償がされるまで生活をしていけるんだろうかとか。
その両方の立場からいうと、暫定基準を今すぐ甘くするのがいいのかって、ちょっと結局潰れていくこともあると思うんですね。生産者側、それから付随して小売業とか、それを確保してるところとかも、もしかしたらダメになっちゃうところもあるのかもしれないというと、それこを日本の経済が、私はそういうことはわからないので、日本の経済、もしくは福島県の経済、いわきの経済、それはどうなっていってしまうんだろうとか。
ただ暫定基準500っていうのはいつまで続くんだろうっていうのと、たとえばそれを消費者に選択させてもいいんじゃないかと。
たとえばきちんとした数字を出して、それを消費者が選択すれば、例えば、『この梨一つに、10ベクレル入ってましたよ。こっちの梨は不検出。入ってませんでした』
っていうので、それで選択はできなんだろうか。
生産者側にとってはやっぱり『売りたい、出したい』おいしいものを作ってるので、その気持ちはすごくわかって、それを今までだったら普通に食べてたので、食べたい気持ちはあるんですけど、でも多少私たち大人は、我慢しても子供には食べさせたくないので、そこの辺で選べる基準っていうのがあったほうが、消費者にとってはありがたいんじゃないかなと思うんですけど。
Q.これからの生活をどう考えるか。
そうですね。
だんだんこの状況に本当に慣れてきてしまっているので、避難を考えるっていうのも、それすらも考えなくなってきてるんですけど、ただ、慣れていっても気を付けられるのは、食材とかその辺しかないんじゃないかとか。
いつ本当に原発がまた爆発するのか、最近原発のニュースっていうのが、メディアではあんまり流れないと思うんですね。
インターネットの方で入ってくる情報のほうが早いので、本当にこれ以上酷くなった時に、ここに居られるのか?
ただ、そういう報道がないと、本当に普通に生活をしてしまうんですね。
その辺で危機感が薄くなっていくっていうのは感じます。
Q.このまま留まりいわきで生活することの不安
そうですね・・・。
この原発が爆発しない限りは、爆発・・・っていうか本当に酷くならない限りは、多分、地元で生活していくようにはなるとは思うんですけど、ただ、子供が何年か後にもしかしたらどこか不具合が出てきたときに、その時に後悔するんじゃないかとは思うんですけど、ただ慣れてしまった状況がある。楽な方を選んでしまっているので、それは耳をふさぎたくなるような気持ちもあるんですけど。
ただ、今後娘、子供たちには、できれば・・・ここを出ていってもらいたいっていうのもありますし、でも、そうなった時に、果たして子供がほかに行ったときに、『福島県の子供だから』っていうことで、無いかもしれないんですけど、いわゆる・・・拒否をされるっていうか、そういった目で、『福島だから』っていう目で見られたりはしないだろうかとか、極端な話、結婚するときに、もしかしたら『福島だから』っていうことで、結婚できないなんてことになってしまったら、どうしようかな・・・と。
そうですね・・・。
<涙されています>
子供のことを思うと、これで良かったのかなって、いっつも思います。
でも、決断できない自分が居るので・・・それは本当に娘に対して、これで本当に良かったのかどうかっていうのは、未だに迷うところですね・・・。
本当によっぽどいわき市全体で避難命令でもでない限りは、出ていけないと思うんですね。出ていけないというのは、様々な条件がありますけど、自分で決断できないところもあって、多分そのままこの流れで、福島が汚染されたっていう状況を皆が忘れるまで居るんだろうなと・・・。
ただ、あと何年か後に子供たちに、何か・・・放射能の影響かはその時に判るかどうかわからないんですけど、何か状況が出た時に、自分は後悔するんじゃないかと・・・。そうなってからでは遅いんではないのかなと思うんですけど・・・、そうならないことを祈るばかりです・・・。
自分のことは、もう別に半分諦めてるんですけど、やっぱり家族に何かあったらと思うと、自分は耐えられるけどって思うんですね。
去年私大きな病気をしたので、その時にこの病気が家族じゃなくて良かったって思ったんですね。自分だったら耐えられるけど、これが、ましてや自分の子供だったりしたら、この状況は耐えられない。ただ、決断、その放射能に対して、実際、本当に避難することもできないっていうか、決断ができない自分が情けない・・・。<涙されています>
自分にも憤りを感じますけど、本当にこの状況を誰に・・・何て伝えたらいいのか・・・。みんなが同じ状況でいるのに、自分だけが・・・、本当にどこに怒りをぶつけていいかはわからないですね・・・。
Q.娘の将来のこと、夫との話
あんまりそう深くは話したりはしないんですけど、ただ、娘には娘の人生があるので、娘の考えを尊重させたいっていうのはあるみたいです。
それは私も同じなんですけど、ただ、今いわきで生活するっていう現状が、果たして最善の方法なのか?っていうのは、お互いが疑問を持っています。
ただ、離れることによってのストレスっていうのもかなり大きかったんですね。だからその辺で寂しさもありましたし、私自身も年老いた親を置いてきぼりにはできない。ましてや周りに誰もいないのに、置いていくこともできない。置いていったときに、どうなってしまうだろう・・・?
自分の病気のこともありますけど、どこかに行って新たに生活を始めようっていうことに対して、すごい不安があって、やっぱり家族三人で、ただここで生活していくんであれば、限りなく自分で自衛をして守れるところは守ろうっていう決断で戻ってきたんですけど、だんだんそれがやっぱり慣れてきてる自分がいて、ふっと気づくと
「あぁ、これでいいのかな・・・」
って思っても行動に移せない自分がいるんですね。それが情けない・・・。
<涙されています>
先の話ですけども、娘の結婚とかに関しては、本当に県外のいわゆる福島から関係のない人たちにとっては、非常に福島っていうだけでイメージ的にも内情的にも、やっぱり好ましくないんじゃないかと思われる、私は思うんですね。
ただ、県内の人、私も主人といわき同志で結婚してますけど、県内同志の福島県の人たちが一緒になることに関しては、さほど抵抗はないのかもしれない。だけど、たとえば娘に子供ができた時に、果たしてちゃんと・・・ちゃんと生まれるんだろうかとか<涙されてます>、生まれても体が弱くて・・・その子を心配するようになったら、すべてこの放射能のせいに結び付けられるものなのか、それとももともとのものなのか、その因果関係が・・・認められなければ・・・ずーっと自分の娘が産んだ子に対しても、申し訳ないって思うんじゃないかと、たった一人の娘なので・・・それが心配ですね・・・。
頼る人もいなくなってしまったらどうしようって。一人きりになってしまったら、どうやって生活していくんだろうって思うと、それが心配です。<涙されています>
このままいわきに残るか、家族がバラバラになってそれぞれいるか、それとも3人で家族がみんなでどこかで生活をするかっていうのには、そこまでは話し合ったことがないんです。主人は仕事がずっといわきであるので、生活ができるのかとか、家族3人で行ったとして、仕事を見つけたとしても生活ができるのかとか、家があるのでその家をどうすればいいのかとか、ローンもあります。はい。2000万くらいは残ってるかと思うので、その辺で住んで10年くらいにはなるんですけど、その辺で住宅ローンはどうやって払ったらいいのかとか、残してきた年を取っていくばかりの親たちを一緒に連れてくればいいのかとか、でも、連れてくるっていっても、私の母親の方にも家はありますし、その家はどうしたらいいんだろうとか、ただ、このままいわきにいてもいわきの発展って、そんなにないんじゃないだろうかとか、そう思うと・・・。
ただ、どうしていいかわからないです。
家族3人で避難するってことは、無いと思います。
ただ、子供・・・本当に子供がもう少し大きければ、親元を一人で離れていられるようであれば、子供だけは県外もしくは海外にでも行かせたいくらいです。それができない。
できないと思います・・・。
ただ、今まで生活、今まで福島県の人たちって何か本当に悪いコトしたのかな。なんで福島県だったんだろう。早く元通りにしてほしい。でも、もしかしたらそれは不可能なんじゃないかとか、元通りにできないんであれば、何かもっと方法はあるだろうと。除染を進めるなり、生活に関してもきっちりと補償並びに賠償をきっちりしてくれるとか、なんか、どんどん私たちの生活を奪って
『補償はしたくない、賠償はしたくないから、なんでも安全だっていわれてるんじゃないか』
っていうふうに思うことがあります。
やっぱりお金が出せないから、補償もできない。避難させることも場所もない。だから避難をさせないんじゃないかなとか、3月15日にいわきの23マイクロシーベルトという数字が市政だよりかなにかに載ってたんですけど、この数字って最近見た数字だなっていうか、後からわかった数字で、あの当時はどのくらい本当に線量が飛んでるかとか、そういうこと全くわからないで水汲みにいったり、買い物をしたり、結局ガソリンがないから歩いて買い物にいったりとかした方とか多いんですね。
あの時の被曝量って・・・、24時間外には居なかっただろうけども、そんなに内と外とあんまり変わらないのかな、どうなんだろう。今内部被曝の線量、ホールボディカウンターで測っても、果たして正確な数字が出るのかどうか。
あの時にやってもらえれば、確かにどのくらいもしかしたら被曝をしてるっていうのは判ったかもしれないけど、今更やって
「大丈夫でした」
って終わられたら、その後病気になった時に、これはどこに言えばいいんだろう。じゃあ
「あなたはそれは放射能とは全然関係ないですよ」
って言われて福島県の人たちはいってしまうんじゃないかって。そういう危機感はありますね。
データだけをとられても治療を目的としなければ。
いわきではガラスバッジは配られてないんです。多分福島県の中通り地方とあとは町とか村とかの単体では、ガラスバッジを配ってるんですけど、いわきは全くその予定もないとは聞いたんですけど。
だから、いわき自体、小名浜っていうところがあるんですけど、そことかも比較的線量が低いようなんですね。だから漁業ももちろん今は漁業はできないですけど、ありますので、その辺であんまり危機感を持ってない人っていうのも多いとは思うんです。本当に普通に生活している人たち。
風が北から来るので、その時に線量が上がるのか?果たして放射能自体は飛んできてるんだろうかとか、それもわからない・・・。
Q.原発の再稼働、輸出のニュースを聞いて…。
原発を輸出するって聞いた時には、
「まだそんなこと言ってるのかな」
って思ったんですけど、所詮他人事にしか思ってないんじゃないかとか、実際福島県に来て、本当に線量測ってそこで生活をして、そこで第一次産業、農家を営んでる方とか漁業を営んでる方とかの意見っていうのは、本当に伝わってるんだろうか。
こんなにも、精神的にも参ってしまっている人たちがたくさんいるのに・・・やっぱり所詮他人事にしか感じないのかなって。
『福島県は福島県だけで、それをこなしていけ』
みたいな、実際自分たちのところで原発が爆発したら、あの人たちはどう思うんだろう。
それでも原発を推進しなくちゃいけないのかっていう・・・信じられないですね。
原発によって仕事を受けてるっていう方もたくさんいるとは聞きますので、でも、原発中のすべてを破壊してしまうほどの威力があるっていうのは、今回初めて原子力についてなんて勉強したことなかったので、第一原発や第二原発の近くに6号線が通っているので、その辺を普通に通ったりもしてましたし、あの辺に子供たちが遊ぶ施設が結構あるんですけど、公園とかもそういうところにも、
「いや、いいとこだね」
なんて言ってた程度だったので、まさかあそこがこんなんなるとは・・・思ってなかったですね。
「いつでも爆発するんじゃないか」っていうその危機意識は、持っていたいと思います。