fc2ブログ

もうすぐ北風が強くなる

決して労働者を守らない国

 昨日の労働問題記事に続いて、労働と貧困に対する政治の問題。
 弱い労働者を決して守ろうとしない、政府と大企業。

 2008年のリーマン・ショックによって先行きリスクを知った国内企業は、一斉に季節工、派遣労働者などを首切りし、寮から路頭に放り出した。
 労働者の裏切り者「連合」は知らんふりを続けた。
 その年末に年越し派遣村が起こる。
 翌年には、この国初めての政権交代となった。

 以下の書評はその政権交代前に書かれている。
 今となっては、政権交代は米国と財界に潰され、小沢叩きに乗じて民主党を裏から乗っ取った松下政経塾政権は、自民党でも最悪な小泉政権とほとんど変わらない政府となった。
 文中に「自民党」とあるのは、そっくり「民主党」と差し替えてかまわない。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書評 矢部武『世界で一番冷たい格差の国日本』  2009/7/29 martbm氏から

アメリカが、NGOにさまざまに、税制優遇していることは知られている。

宗教系の、ボランティアと合わせても、相当の、人たちが、ボランティアで、社会奉仕を行っている。

アメリカの、サブプライムローンによって、多くの人が、家を奪われ、路頭に迷っているのではないかと、一般に思われているが、著者は、そんなことはない、と言う。多くの、ボランティアが、間に入り、借金を棒引きにしてもらったり、政府に援助をさせるなどして、多くの人たちが、なんとか、家を奪われることは、まぬがれている、というのだ。

それに対し、日本の、派遣社員が、一斉にレイオフされた問題や、地方の役所が、貧しい人に、援助することなく、追い返し、自殺させている例が、並べられる。

意外に聞こえるかもしれませんが、生活保護の受給条件は日本のほうが厳しいと思います。アメリカで問われるのは個人の受給資格のみだが、日本では家族の所得なども事実上調査される。

日本の役所がなぜ、困っている国民を「助け」ないのか。

それは、国民を助け「ない」のが、自民党の「政策」だから。まずこの、あまりにも、自明な前提を、思考の出発点にしなければなりません。

これが、あの有名な「水際作戦」、です。

日本の役所は、生活に困り、苦しんで、国に助けを求めて来る、国民を、「なんとしてでも」生活保護を与えず(絶対に、生活保護の申請書すら、くれません)、追い返します。そして、一人でも、多くの国民を追い返した、役人を「優秀」だと、表彰するというわけです。

なぜ、こんなことになっているのでしょう。

それは。

これが、自民党の「政策」だから、なのです。
自民党は、困っている国民を「絶対」に助けない。

かといって、NGOなどの、こういった困っている人たちをなんとか助けたいと活動している人たちを、税制優遇などでサポートするわけでもない。

つまり、「なにもしない」のです(銀行などの、大企業は、いくらでも、金をジャボジャボつぎこんで、助けますけどね)。

きっと、困っている日本国民を眺めていることが、この上なく、喜悦なのでしょう。日本国民が、貧困で苦しめば苦しむほど、彼らの、貴族きどりの、サド的欲望を満すのでしょう。

日本国民が嫌いなんでしょうね。彼らが好きなのは、平等社会、日本の、日本国民じゃなく、海外の、金持ちセレブ外国人、なんでしょーね。

私は、あの、年末の、派遣社員の、各企業の、横並びの、大量解雇は、完全な、「国策」だと思っている。今の法律では、ある期間、働くと、正社員として、雇い直さなければならないことが決まっている、という。だとするなら、このような、大量の解雇は、本当に、サブプライムローンの問題だったのかは、あやしくないか。

解雇は、分かっていた。

だとするなら、これこそ、「人災」と言うのではないか。

これが、自民党の、やり口、であることを、忘れられるわけがないではないか。一体、自民党は、どのツラ下げて、この選挙に挑もうというのであろう。冗談も休み休み言えって話であろう。

それにしても、そういった、自民党の、「健忘症」は、とどまるところを知らない。どーも、彼らは、自分たちが「なにをしてきた」のかを思い出せないようだ。

自民党よ。

正直に、人を信じて、まじめに働いてきた、日本人をこれ以上、だますな。ばかにするのもいいかげんにしろ。お前たちが、「与党」の間、つき続けた、嘘、を日本人は絶対に、一つとして、末代まで、忘れることはないだろう。

日本の経済低迷は、労働力の、調達が、中国などの、周辺国から、「いくらでも」なんとでもなると考えられた時点から、始まった。

しかし、そう言われてから、ずいぶんと月日がたったように思われるが、あい変わらず、日本に企業は存在している。彼らは、なぜ、日本を出ていかないのであろう。海外がもうかるなら、どーぞ、日本を出っててくれませんですかね。どーぞ、中国の会社になってくださいよ(あんたのサービスは買いませんけど)。

彼らが、あいかわらず日本に本社を置いている理由はなんであろう。それは、各国の政治へのリスクを考えているのだろうか。日本の老人たちの、個人資産はまだまだ、むしりとれると思っているのだろうか。

この本を読むと、日本企業が、海外で、不当に労働者を扱い、不興をかっている例が多くでてくる。もしかしたら、こういう企業の、彼らのために働いてくれている労働者への、扱いの、あまりの非人道的待遇が、そもそもこの、日本ぐらいでしか耐えられないレベルであることに、彼ら自身が気付いてきたから、ではないのであろうか。日本の方が、あらゆる面で、「まだまし」といったところか。

いずれにしろ、日本の人たちの生活を少しでも、自分たちの商品で、便利に、幸せになってもらいたいと思っていない、たんに、日本人が必死で働いて、大事にしてきた、お金をなんとか、口先でむしりとれないか、と隠微にたくらむ、会社は、それがたとえ、日本人が作った、日本で生まれた会社であろうと、どーぞ、タックス・ヘイブンだろーとどこであろーと、出てってくれませんかね。

ゴミよ。
二度と、この国に戻ってくるんじゃねぇ。
関連記事

食べられる魚と注意する魚

今、海の放射能汚染はどうなっているのか”食べられる魚と注意する魚”水口憲哉氏 たねまきJ 4/4 書き起こし「kiikochan.blog」氏から

たねまきジャーナル、今日の特集です。
今日のテーマは「食品セシウムの新規制値がスタート 今、海の放射能汚染はどうなっているのか」
こうしたテーマでお送りしようと思っております。
今日はですね、
東京海洋大学の名誉教授でいらっしゃる水口憲哉さんとお電話を繋がせていただいております。

・食品の新しい基準値
・子どもは10ベクレル以下がいい
・魚の行動範囲と時期を考える
・広範囲での魚の計測数を増やすべき
・湖の汚染は長く続く

水野:
水口さんはこの海洋汚染の大変権威でいらっしゃいますけれども、
福島の事故から1年経って、今海の中がどうなっているのか?
今日はそれを教えていただきたいんですね。
1年でいろんな変化はあったんでしょうか?

水口:
これまで世界でも例を見ない原発からの大量の放射能が、海に直接流れ出しましたが、
その汚染の結果が、今も続いているというのが現状ですね。

水野:
まだ何にも良くはなっていないんですが、
海って、パッっと見たらそんなふうには見えないんですよね、わたしたち。

水口:放射能は見えもしないし、匂いもないっていう事で、みんな困っているんですけれどもね。

 食品の新しい基準値について

水野:
そうですね、そして食べ物に対しての基準の値というのが4月1日から変えられました。
それで、陸のものから申し上げますと、
食品全体はお肉もお魚も野菜も、食品に含まれる放射性セシウムの基準が
今までは1K当たり500ベクレルだったんですよね、水口さん。

水口:はい

水野:
で、これを1K当たり100ベクレルというところまで、きつく基準を決め直したわけですよね。
そうしたら何が起こったかといいますと、
陸で言いますと、今日もですね、千葉県の木更津市と、市原市で採れたタケノコ。
このタケノコが基準が超えるセシウムが出ました。
最大で120ベクレル検出したという発表になっているんですね。
食品の検査値が新しい基準を超えたのは、これが、ま、初めてなんですけれども、
水口さん、タケノコっていうのは山ですよね。

水口:そうですね

水野:セシウムが溜まりやすい?

水口:
いや、そこいらのところはなかなか色々あるんですけどね、
合計するとかいろいろややこしいんですけれども、
ま、わたしも千葉県で、地元のものを食べていますから、

水野:あッ、そうですか

水口:ああ・・・そうですか・・・

水野:
これ、お聞きになったらいかがですか?
千葉県の地元のタケノコの基準が出たっていうのは、どんなお気持ちなさるものですか・

水口:
ま、そんなに・・・こちらの方は、特に私の方は外房ですので、
木更津よりは少し降ってきたセシウムの量は少ないんですけれども、
それでも、心配ですね・・・

 10ベクレルまでにして欲しい

水野:
そうですか・・・そしてですね、じゃあ、この100ベクレルっていうものを
お魚で見たらどうなのか?っていう話ですよね。

水口:
わたしはもともと、500とか100っていうのは、あまりにも高い値過ぎるので、
小さな子どもには、低線量、内部被ばくのことを考えたら、
10ベクレル以下のものを食べさせたいと、ずっと発言もし、書いてもいますけれどもね。

水野:10ベクレル。
近藤さ~ん、今のこの、水口先生がおっしゃった数字というのは、
非常に、その象徴的な意味があるかと思うんですね。
今までは500ベクレルまでOKしていたんですよ!
やっとそれが100ベクレルになって、これで安心だと思っている方がいらっしゃるかもしれないけれど、
水口さんは子どもには10ベクレルまでにして欲しいと。


近藤:
結局、チェルノブイリでもそうなんでしょうけれど、
内部被ばくの影響っていうのは十分わかっていませんよね?先生

水口:
そうですね。
ですから、特に福島とか、外部被ばくもあって、なおかつ内部被ばくもあるっていう事になりますと、
まあ、非常に厳しい訳ですよね。

近藤:あの、僕へ先生、いい歳とっているんですけれども、魚以外、肉類が食べられないんですね。

水口:あぁー・・・はい、

近藤:
で、年齢的に考えた場合に、子どもは10だとしても、
もう60過ぎた大人っていうのはどう考えたらいいんでしょうか?

水口:
わたしは70なもんで、まァ、わたしなんかは「あんまり問題ではないけれども」っていう言い方をして、
新聞でそういう事に対して、匿名で手紙がありましたけれどね、
「自分も年寄りだけど、そんな事はない」って言って。
ただですね、結局は低レベルの物の影響っていうのは、
よく言われるように10年後20年後に1万人に1人というように、10万人に1人でがんが発生するという、
そういうレベルなんですね。
そうしますと、もう、90になって何が原因か分からないものと、
若い人が、小さな子どもが本当に、二十歳前後のこれからという時に身体の調子がおかしいというのとでは
全然意味が違うんですね。
ま、そこのところをやっぱり大事に考えないといけないんで、
小さな子どもにはやっぱり、なるべく放射能汚染の食べ物は食べさせないようにした方がいいと思いますけどね。

水野:
ただ、水口さんがおっしゃる、10ベクレルまでのものをとおっしゃいますが、
10ベクレルまでのものを簡単に手に入れる

水口:
水産物でいいますとね、
10ベクレル以上のものを食べないようにしても、いくらでも食べ物はあるんです
それがあるもんでわたしは、たとえばこの魚については、
東京とか大都市で、築地を通して食べる場合には70%位食べるものがありますよということで、
安心指数という事を提唱しているんですけれども、

水野:70パーセントほどの魚は10ベクレル以下で食べられますよという意味、

 魚の行動範囲を考える

水口:
種類によりますよね。
だから西日本を中心に取れている物についてはほとんど100%で、
ですから、静岡県から西の方の方達はですね、
あんまり、わざわざ近東の方から魚を取り寄せて食べるという事をしないで、
地元でいくらでも美味しい物を食べられる訳ですから、
従来通り地産地消でですね、地元の魚を食べていればほとんどもう、心配はないんです。
だから、そこいらのところが、たとえばヒラメならヒラメ、スズキならスズキが汚染したっていうと、
日本中でその魚が心配だっていう事になっちゃうんで、
そうではないんで、
実際に魚の分布とか行動範囲を考えるとですね、
限られたものは心配ですけれど、多くのものがあまり心配しなくていいんですよね。

水野:逆にそのあたりの情報を持っていないが故に、余計な心配をする事もあると思うんですが、

水口:そうなんですね。

水野:
その、今、行動範囲とおっしゃいましたよね、
これは魚がどんだけ海の長距離泳ぐか、どれだけの行動をするか?って言う事ですよね。

水口:
ある意味活動範囲といいますか、泳ぎまわっている範囲が、
一つの種類でも地域ごとに大きく分かれている魚が多いんですね。
ですから、ヒラメとかスズキなんていうのは
本州太平洋側の北部っていう所を活動範囲としているものなので、
その範囲よりも外の日本海側とか九州とか瀬戸内海のものは、殆ど汚染の影響を受けないんですね。
だから、そういう事がちゃんと伝わっていないもんで、みんなもう、日本中魚が心配だっていう事になってしまうから、

水野:じゃ、東日本の方々はヒラメやスズキ等に対してもある程度の警戒はした方がいいと。

水口:はい、それはもう、はっきりとしていますよね。

水野:
それはもうはっきりしていえるんですか、
たとえば東日本の方々が、警戒するべき、ちょっと色々考えなければいけないのはどんなお魚ですか?

水口:
それはもう、ほとんどいろんな事を今まで言われている、発表されている、
ヒラメ、カレイ類とかですね、スズキとか、そういうものはもう、100とかそういう値が出ていますけれども、

水野:
それは、水口さんがお書きになっている本があるんですけれども、
「食品の放射能汚染完全対策マニュアル」ということで、
出来るだけ0ベクレルの食卓を目指しましょうという事で、
いろんなお魚、それぞれ東京で築地を通して食べる場合は、
どのお魚が安心できる、いやここは不安であるというのを数値になさっているわけですね。

水口:そういうことです。

水野:
で、これはね、行動範囲という事で言いますと、
西日本の食卓を考えてもですね、
沢山の距離を泳いで、来たから、あるいは東日本から西日本にやってくる魚もいるんですよね、
そういう意味で西日本の方達が注意を要するのはどういうところでしょう?

水口:
一つはブリですね。
ブリは日本列島の太平洋側を広く泳ぎまわって、
まァ、日本海側のものとは最近別々だっていう事が分かりだしていますけれども、
かなり広いんで、実際に測定値もですね、青森から静岡ぐらいまで10ベクレル以上の値が出るんですね。
ですから、これは「気がかりゾーン」という事で
もっと、国や都道府県などが徹底的にブリなんかを調べる必要があるんですね。

水野:なるほど、
そうした遠距離を泳いでくる魚に対してはちゃんと測定をきっちりとして、
はっきりしてもらえれば大丈夫なものは大丈夫で安心していただけるんですものね。

 時期も考える

水口:
そうです、ですからカツオなんかは、去年の初ガツオのシーズンなんかは
一生懸命水産庁始め業界も調べましたけれど、
これは赤道からやってくるものなので、汚れた、汚染している訳がないんですよね。
ですから大丈夫だ大丈夫だっていう事だったんですけど、
それが東北の沖を通って、また、いわゆる戻りガツオっていうことで、
本州沿岸を南下していく時、お盆過ぎには10ベクレルを超え
たんですね。

水野:時期によっても違うんですね

水口:
そういう事です。だからどういう移動経路を通っているか
汚染域にどれだけ遭遇するかっていう事が、問題なんですね。

水野:汚染された海域をどれぐらいの時間泳いでいるかっていう、

水口:そういうことです。

水野:
っていう事は、
しょっちゅうですよ、どのお魚が、今どんな状況かっていう事を調べて発表してくれない事には、
子どもたちに安心したものを食べさせるっていうのが難しいじゃないですか。

水口:
ええ、ですから、ある程度、遊泳範囲って言いますか、回遊範囲は
魚種ごとにはある程度、一つの魚種でもグループごとに特定されていますから、
その見分け方を安心指数という形でわたしは一つ一つについて書いたんですね。

水野:
先ほど水口先生がおっしゃったヒラメスズキという話、
これは東日本の話ですけれど、
100っておっしゃったのは100ベクレルっていう意味でしたか?

水口:ええ、そういう事ですね。100ベクレルっていう値も出ていましたね。

水野:
そういう値も出ていたっていう事ですね、
ただこれもやっぱり、時期と、その魚が泳いだ海域がどうかということでいうと、
ものすごく細かく、

水口:
ただそのヒラメとかスズキなんかは、
カツオやブリやマグロなんかとは違って、
泳ぎまわりますけれど、その範囲が限られているんですね。
本州の東北部、太平洋側の東北部っていうように限られているんですね。

水野:近藤さ~ん、近藤さんは本当にお魚が好きですよね、

近藤:僕はヒラメ大好き

水野:ヒラメ私も大好きィ~

近藤:もう、ヒラメが一番ですね、僕ww

水野:わたしブリも大好き

近藤:ブリも好きだよね

水野:
カツオも好きだしwだからやっぱり、もっと細かい検査値を、
きめ細やかに発表してもらわないと、ま、大人はいいとしてね、子どもはどうするか?ですやんか。

近藤:そうですね、んー・・・

 福島以外の地域で魚の計測数を増やすべき

水口:
だから、あの、福島については非常に計測数が多いんですけれども、
神奈川県よりも西とか、日本海側、青森、北海道なんか、あまり多くないんですね、計測数が。
是非そういうところを計測して、
あの・・初めから福島なんかは、汚染値が高いんで、
・・・あの・・これはもう初めから食べない方がいいんで、事業者も自主規制で事業をやっていませんから、
だからそれよりももっと広い範囲で、きめ細かにそういった心配な魚種について測るべきなんですね。

水野:
あのですね、これ宮城県のお話なんですけれどもね、
宮城県と県の漁業協同組合がですね
スズキとマダラ、ヒガンフグ、フグですね。
これについて、もう、今回放射性セシウムの値が100ベクレルというふうに厳しくなったら、
「もう水揚げを自粛しますわ」と、いうふうにおっしゃっているんだそうで、
それこそ宮城県って漁業で成り立っている村が多くってね、何とか復興へと、ね、

水口:
これは震災による津波の影響も大きくて、
漁船や漁港が大きな痛手を受けていますから、
ま・・・非常に厳しい話ですね。

水野:厳しいですね、
やっとこさ、これで復興へ向けてというところにですね、あの・・

水口:
ただこれはですね、
まあ、100という新しい基準に対して厚生労働省なんかは、用心して50を中心に、今測りだしているんですね。
漁業組合なり漁連も、そういう事を考えて、
ま、100を超えたっていう以上に、50と100の間の物についても用心して、自主休業っていう事を言っているんですよね。
これは、消費者の人達は、やっぱり100と言われても心配だから、
なるべく低い値のものという事で、いろんな形で心配していますから、
消費者に合わせて事業者の方で獲り方を変えていくっていう、ま、そうせざるを得ない厳しい状況なんですね。

水野:やはり、漁民の方々、いろいろおっしゃっているでしょうね

水口:ええ、また、獲っても流通を通してなかなか売れないもんで、

水野:そうでしょうね

水口:
心配している人が多くてね
ですからみんな「測ってくれ、測ってくれ」っていう声が、
いろんな処で生産者の方から出ているという状況ですよね。

水野:これ測る道具などは十分に用意されているんでしょうか?

水口:
いや、これは、低い値になればなるほど時間もかかるし、費用もかかるもんで、
ちょっとキビシイ
ですけどね。
だから、今までの測ったもので一番多いのが実は牛肉なんですよね。
これは1頭ずつ測っている感じになっちゃっているからですね、
魚の場合はそんな事はやっていないんで、
そこいらのことを考えると・・・ま、今だんだん牛肉中心から変わってきていますけれど、
ま、いろいろ難しいですよね。
なにを中心に測るかっていうのも含めていろいろ考えなければならない事があるわけですよね。

 湖の汚染はぐるぐる回るだけ

水野:
これ、新しい情報でね、こういう話もあるんです。
湖で釣れたワカサギから、新たな基準値を大幅に超えるセシウムが検出されたと。これ群馬県なんですよ!

水口:
これはですね、
これは日本で今まで殆ど、淡水魚の放射能汚染という事を問題にされていなかったんですけれども、
チェルノブイリの事故の時にはヨーロッパではもう、大変だったんですよ、北欧も含めて。湖。
湖っていうのは森なんかと同じように、そこに降った放射性セシウムはぐるぐる、
何時までもそこの中でぐるぐる回って循環しているわけですね。
海の場合にはある程度やっぱり広がって、薄くなっていきますけれども、
どうしても湖なんかでは値が高くなりがちなんですね。
これは時間的にも長く続く可能性がある。

水野:長く続きますか、なかなか外へ出ていかないという事ですね

水口:そういう事です。ぐるぐる回っているわけですよね、

水野:んー。これ1K当たり426ベクレルって、非常に高いですね。

水口:ですから、ま、

近藤:群馬の人達は釣ることだけを楽しむ人が、だから、食べないで。

水野:そうか、食べないでもね。

水口:
だからいまいろいろややこしいんですよ、関東では。
釣って食べなければ、釣ってもいいっていう県と、
もう、釣ること自体を中止している県とがあって、ややこしいんです
よね。

水野:
本当に長い長い闘いが続きますね。
今日もお話しどうもありがとうございました。

 エンディングコメント

水野:
近藤さ~ん、今日はお魚の話をお送りしましたけど、どんな思いで、
ま、近藤さんは特に関東で暮らしていらっしゃるから、きいてはりました?

近藤:
先生が70で食べるって言っていたから、僕も食べようかなぁ、っていう…気分ですかねぇ。
もう、そんなに水野さん、10年20年、魚ナシで僕は生きられませんわ。

水野:本当にそうですよ

近藤:食べようかなっていう・・・・・気がします。

水野:
ねえ、・・ただ本当に日本人にとって魚って、
もう、最大って言ってもいいぐらいのね、喜びの種でしょ?

近藤:そうですね・・・もう、魚があればっていう感じですね、今、ねえ。

水野:
ところが、それをいかに子ども達に食べさせるかという事で、
こんなに四苦八苦しなければいけないというね、状況
ま、そうしたなかで、地元ってどこか?っていう話が繰り広げられている訳ですけれども、

近藤:う~ん、

水野:再稼働についても、ね、もう安全基準1日か2日で作れなんて、

近藤:うん、ちょっとビックリだね。

水野:ビックリしますねぇ~~

近藤:前のめりしているよね

水野:
まず、するべきことはそっちなんでしょうかね?
また、おしまいにも複雑な思いそのままになってしまいました。
 ーーーーーーーーーーーーーーーー
 (引用者)
 何十年にもわたって研究してきた専門家にはたやすいことかも知れませんが、魚種と回遊範囲なんて、一般の素人では大変な注意と労力が必要ですね。
 疲れます。
 東電にこのストレスも補償してもらいたい。
関連記事

百人百話:植木宏さん

  百人百話:植木宏さん     書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から

Q.自己紹介をお願いします。

 植木宏、40歳です。
 家族が妻一人の子供二人。長男が4歳、そして次男が2歳の家族構成です。
 僕は、もともと出身が福島県の郡山市。今はちょっとね、今回の原発の影響で引っ越しして、今長野県の松本市に家族を引越しさせて。
 僕自身は、やっぱり地元が福島っていうのがあって、こちらの方に残ってできることをやろうと思って、今、残って頑張ってます。
 家はもう引き払っちゃったんで、僕は実家に住みながら、拠点にしながら頑張ってます。おやじとおふくろと三人で暮らしてます。

Q.「郡山は線量が高い」と伺っていますが?

 当時住んでたのは、須賀川市だったんですけども、郡山から須賀川に入ったとこだったんですよ。そこで、ガイガーカウンタが手に入った時測ったら、最初の頃なんですけど、2は超えてました。2マイクロシーベルト/時を超えてました。
 実際自分で手に入って、自分の家の庭と中ですね。測ってみましたら、庭でだいたい2.5~3あったんですね。家の中も大体0.4を超えてたんで、
「これは流石に子供には無理だな」
と思って、引っ越し決意したんですね。
 その家自体は、僕は大した感じることはなかったんですけども、うちの実家。今さっき言ってた須賀川の自宅から実家って、500mくらいしか離れてないんですよ。そこの実家をこないだ雨樋の下測らせてもらったら、メーター振り切れちゃって、15マイクロシーベルト超えてたんです。
 なんでそこを測ったかというと、僕、人の家とかあちこち町中とかいろいろ計測してたんですけど、家のかあちゃんが庭とかお花とか好きなんで、
「なんか庭に出てここの場所に来るとヒリヒリするのよ」
って言ってたんです。はい。
「そこでちょっと一回測ってみ?」
なんて言われて測ってみたら、メーター振り切っちゃって、びっくりしちゃった。
 その雨どいの、部屋っていうか外側の中にも寝泊まりしてるので、ちょっときついっすよね。正直ね。
Q.ご自身でもヒリヒリする感じはありましたか?
 僕はなかったです。家のかあちゃんだけですね。
「顔がヒリヒリすんだよねー。目がショボショボする」
って。

Q.お仕事は何を?

 そうですね。僕ちょっと一杯あるんで長くなっちゃうんですけど、一番最初は、高校卒業して自衛隊に入りました。2年間やったあと、家稼業が高級紳士服、オーダーメイドの紳士服やってまして、家を継ごうと思って、東京に行って修行してって感じで、実家の家業を継いだんですね。
 でも、その後にたまたま出会ったのが、倫理法人会っていう会で、そこの社長さん方といろいろ交流もってたら、たまたま紹介してくれたのが、その時地球環境の第一人者だったネットワーク地球村の高木義之さんという方なんです。
 その人の講演会を聞いて、その後地球環境の活動に入らせていただいたんですね。
 その後に、地球環境問題っていうのに取り組んでるうちに、ある時きっかけがあって、それは9.11の事件ですね。あれを境にして支援活動を始めたんですけども、全国で募金しながらいろいろできることをやってきたんですけれども、なんか聞くとどういうわけか、大きい国際団体なんかもそうなんですけど、事務経費でだいたい終わってしまうなんて話をきいたもんで、じゃあ自分たちで集めたやつを100%届けようっていうことで、自分たちで集めて、それ誰がいくのかなと思ったら、僕が指名されて、本当英語もしゃべれないしやったことなかったんですけど、運がいいっていうのと、元自衛隊だっていうことで危機管理っていう部分ですかね。それで選ばれて言ったんですけどね。

Q.どこへ行ってたんですか?

 アフガニスタンに行ってたんです。

Q.アフガニスタンに何をしに行ったんですか?

 支援活動ですね。その支援活動の内容っていうのは、帰還難民とか、自立支援とか、地雷除去、あと井戸掘り、学校建設、いろんなことやりました。

Q.何年間くらいやりましたか?

 3年やってました。
 ただ3年間ずっといたわけじゃなくて、冬場は雪が積もっちゃうと何もできなくなるので、そういうときは帰ってきたり、テロが起こりそうだっていう情報が入った時は、一応帰ってきて。3か月を一つの基本として活動してました。
 その後に帰ってきて、そのまま地球村っていう団体の東京の事務局長をやることになって・・・。

Q.NPOですか?

 はい。NPO法人のネットワーク地球村っていう。そこでずっと6年くらいでしょうかね、活動してきて、そのあと結婚して子供ができたんで、東京でちょっとね、変な話ですけど、子育てしたくないっていうのがもともとあったんで、地元郡山のこの美しい大自然の中で子育てしたいなということで帰ってきたんです。
 帰ってきて一番最初、友人がたてた本屋さんを手伝うことになって、そこで勤めながら、その後ちょっといろいろあって、幼稚園の園長先生の広報として引き抜かれて、そっちのほうで仕事してたんですけども、今回の3.11を機に、ちょっと活動範囲も広がってきたのもあり、いつまでも活動のほうでお金もらってるのも悪いんで、自ら辞めて、そして今このハッピーアイランドネットワークっていう活動に移行させてもらったところです。

Q.震災後はどのような活動を?

 はい。これは、もともと3.11っていうか、大地震があったとき、僕東京に居たんですね。東京で震災が起きて、ちょうど練馬で練馬区長選があったんですよ。その区長選の広報の人の選挙のお手伝いをさせてもらって、その時に地震が起きたんですよね。そこで起きたものですから、僕が福島県出身っていうのもあるし、支援活動をずっといろいろやってきたんで、
「もう選挙どこじゃない。とにかく行け。君のノウハウっていうか今までやってきたことを活かしてこい」
って言われて、3月の17日ですかね。交通手段が無かったんで、福島に帰れなかったんだけど、臨時便の飛行機で福島空港に。
 そこから流れとしては、『がんばれ東日本・練馬』っていうことで活動が始まったんです。そこで救援物資とか、新潟行って物資集めしたりとかして、いわき、相馬、南相馬、あと郡山市内の避難所、あと宮城県の山本町とかあちこち行かせていただいて、「必要だ」と言われたところには、すぐ届けるというようなことを活動してきたんです。
 それと同時に一緒にやってたのが、大阪を拠点にしている心援隊っていうグループだったんですね。心の援助の隊。そこのまーちゃんっていうのが友達だったので、そこの人たちが今度原発爆発した後に、すぐに大阪のほうで団体立ち上げて、避難場所を確保して、わざわざこちらに来ていただいて、『赤ちゃんを救えプロジェクト』っていうのをやってたんです。その時に妊婦さんとかお子さんいる家族、皆大阪のほうに避難活動やってたんですね。
 その後に、そうやってね、ガイガーカウンタとか手に入るようになってから、どんどん線量が上がっていくのが判って、
「これは流石にマズイ」
となって、これは優先順位が違う。支援物資届ける方も、ある程度ライフラインが整ってきた時点で、僕たちもお金なくなってきたし、物資もなくなってきたし、もう大丈夫だろうということで、急きょ切り替えて、少しでも子供たちを県外に避難させる・保養させるっていうプロジェクトの方に移行したんです。
 名前を変えてってわけじゃないんですけど、一緒にやってきた中で、同志っていうか、やっぱ『子供たち、命が優先だ』っていう仲間たちと一緒に作ったのが、この『ハッピーアイランドネットワーク』。
 『ハッピーアイランドネットワーク』っていうのは、福島っていうのは、福の島なので、英語にしたんです。するとハッピーアイランド。これを「目指していこうよ。もう一度、この美しい福島をもう一回取り戻せるように願いを込めて」ということで名前を付けたんです。
 僕たちは最初は、講演会。とにかくたくさんの人たちに今の現状を伝えるために、田中優さんとか、野呂美加さんとかをお呼びして講演会開催して、その中に相談窓口、避難とか保養とかプログラムがある団体を呼んで、とにかくつなげるための役割として活動してました。
 それをずーっとしばらく続けて、何十回やったでしょうね。十何回開催して、結構な数の県外のほうに避難活動のお手伝いをさせてもらったと思います。
 その中でも、例えばですけど、ネットを使える人、特にツイッターとかブログ見てる人はいち早く皆さん逃げたじゃないですか。情報を得て。
 でも、残ってる人たちって、いろいろ聞いてると
「情報が入ってこない」
って言うんですよね。
 入ってくる紙面のやつは、みんな『安心・安全・大丈夫』キャンペーンだったんで、皆それ信じ切っちゃってるっていのも変なんですけど、片一方の情報しか入らなかったので、どれだけ危険なのかっていうのを皆認識してなかったんですね。
 なので、「これはまずい」ってなって、
「じゃあ紙面で出そう。紙面でやればとにかく判りやすく書いて、誰でも呼んでくれるような新聞を作ろう」
と思って作ったんです。それは20万部発行して、汚染地域の酷いところを優先に配らせてもらってる活動もやってます。

Q.3.11当日は何を?

 僕、やっぱり地震が起きた時東京で地震があったんで、
「これはえらいことが起こった。ひょっとしたら関東大震災かな」
ってちょっと思ったんですね。
 でも、ちょうど車に乗ってたんです。その時。でも。その後に事務所に戻って、テレビ皆で見てて、震源地どこなんだ?ってなった時に、もうとにかくびっくりした。それ以上のものは無いんですけど、『福島県』っていうか『宮城県沖』っていうのが・・・。
「えぇ!東北だったのか!?」
って、もうすぐに自分の家、家族心配だったので、電話しましたね。全然つながらなくて、たまたま僕、二つあったんですけど、ウィルコムはピッチは結構繋がりやすかったんですよ。そっちの電話使って家族に電話したら、なんとか無事だったみたいなんで、本当にホッとしたっていうか。
 いやもうとにかく、家のなかメチャメチャになっちゃったし、その中で子供達も幼稚園とか保育園で無事だったっていうことも確認できたということで、ちょっとホッとしたっていう部分があったんですね。
 その後に本当に、フッと浮かんだのは、僕、環境問題もやってたので、原発心配だったんですよ。津波が起きて、福島県なんで当然原発のことは常に頭にあったんですけれども、「大丈夫かな?」っていうのが先に思った部分ですね。
 そしたら、最初は全然情報が入ってこなかったんで判んなかったんですけど、偶然にもその時にツイッターを始めたばっかりだったんですよ。ツイッター始めてフォローも少ないし、フォロワーも少なかったんですけども、ちょっとなんかある一部からそういう情報が入ってきたときに、どんどんフォローしていったら、なんかえらいことが起きてるということがだんだん判ってきて、「原発が危ないぞ」っていう情報も出てきて、
「テレビを見ろ!なんか原発、電源停止して危険な状態にあるみたいだぞ」
っていうのも判ってきて、なんかリアルタイムに原発情報っていうのが入ってきたんですね。
 なのでちょっと恐ろしくなってしまって、それからテレビで少しずつ出るようになってきたときに、すぐまた家族に電話して
「万が一のことがあるかもしれないから、来る前に逃げるための準備しとけ」
って連絡したんですよ。
「詰められる分でいいから、重要なものだけ全部詰め込んで、何かあったらもう一回電話する。そしたら迷わず逃げろ」
っていう話をして、そんなこと言ってたら・・・

Q.その時点では単身赴任状態だったわけですね?

 そうなんです。僕は東京。うちの家族は須賀川に住んでいたわけです。そういう状況だったんですね。
 案の定「爆発した」っていう情報が入ってきて、もう、すぐですね。何も考えずに
「とにかく逃げろ」
ということで、東京に。うちのかみさんの実家は東京だったので、
「東京に来い」
ということで、そうですね。夜中までかかりましたね。夜中の1時くらいに練馬の実家の方に到着したくらい・・・

Q.ご両親は避難されなかった?

 家族だけです。うちの両親、うちのおやじもそうなんですけど、
「ま、大丈夫だ」
っていう派だったんで、押し問答してもしょうがないしと思って、とりあえずうちの家族だけ。「逃げられる人だけ逃げろ」ということで、逃がしました。

Q.家族内での意見は?

 一致しないですね。とにかくうちも本当に離婚寸前まで・・・変な話、離婚寸前までケンカして、とにかく逃げろと。引っ越しもできないって、これ言っちゃうと怒られちゃうかもしれないけども、うちの家族でもいろいろもめごとがたくさんあったんですね。
 何が最初の原因かっていったら、東京に避難してた家族が「来週戻るから」っていう話になって、
「なんで?せっかく逃げて避難したのに、なんで戻っていくんだろう」
ってまずケンカ一発目始まったんです。始まって、結局帰ってきちゃったんですよね。
「保育園が始まっちゃうから帰ってきた」
「保育園と今のこの状況、どっちが重要なの?」
ということで、とにかく揉めました。そういうのも聞いてくれなかったんで、納得いかないこともあったし、かみさんはかみさんで、もともと看護婦さんだったっていうのもあるし、「そこまで恐れなくていい」っていう情報がメールで入ってきてた時だったんですね。

Q.知人から?

 そうです。知人から回ってきて、そのメールをくれた方が那須に住んでる発明家っていったらいいんですかね。その先生からのメールだったんですね。
 なので、いろいろ話してる中で、引っ越しも視野に入れた上で、家族でっていうことだったんですよ。
「もし、引っ越すんだったら、じゃあ避難するんだったら、そこへ行く?」
っていうことになって、那須。那須だったら大丈夫だって。
「那須が大丈夫な根拠は何?」
って聞いたら、発明家の先生が、
「那須連峰があるから、今の段階では風が谷側まで抜けちゃうから、降ってきても全部そっちに流れちゃうから大丈夫」
っていう話だったんですよね。
 でも、僕は直感的に、
「そんなわけないだろう!?」
と思ったわけですよ。
「あれだけ大量に出てる中で爆発したわけですから、那須だけ大丈夫ってことは有り得ない」
と思って言ったんですけど、全然聞いてくれなくて、
「じゃあ直接聞きに行こうよ」
っていうことで、聞きに行ったんですね。
 その先生からはいろいろアドバイス受けた中でも、原発の状況って結局どうなってるかっていうのは、誰もわからなくて、推測状況だったんですね。だから、
「はっきりしたことは言えないけども、ただ一つ言えるのは、この1か月間で、最悪の状態を迎えるのか、収束に向かうのか、その判断基準にしてほしい。もし仮に爆発しても、すぐに降ってくるわけじゃないから、(爆発ってわけじゃないですね。メルトダウンか。)その判断基準にしてくれ」
って言われて、それで一応帰ってきたんですね。
 でも帰ってきても、やっぱり不安ばっかりで子供は外にどうしてもやっぱり出るし、家の中に居るだけじゃないですからね。

Q.ご自身ではどのように情報収集されましたか?

 僕はそれはツイッターでいろいろ聞いてたのはありました。ツイッターが多分一番の情報源だったと思いますね。
「とにかく今こういう状態だから逃げろ」
っていうのが、すごい多かったときだったので、僕も本当に素人に近いので、頼れるものっていうのは多分ツイッターしかなかったと思います。
 ブログとかいろんな人たちのを見てても、探し出せなかったんです。最初ね。武田先生もそうです。どういう先生の話を聞けばいいのか全然わからなくって、結構僕ネット見てたんですけど、それでも遅かったんです。辿りつけなかったっていうか、普通の人で、例えば一日僕は、どっちかっていうと見られる環境にあったんですけども、一般の人で仕事やってて、家事やってたら探し出すの結構大変だったんじゃないかと思います。そんな状況です。
 そういう意味では、どっちかっていうと基準は直感ですね。直感の部分・・・動物的直感っていったらちょっと変ですけど、「絶対違う」っていうのが、帰ってきたときですけど、その先生の話聞いた後で、
「俺は信じない」
ってその時言っちゃったんですよね。悪いけど、科学者っていうのは、どうも偏ってる部分をちょっと感じちゃったんですよ。だから、研究とか自分の知ってることを言うことが喜びに感じちゃったり、どうも他人事のように感じちゃう部分があったんですね。データとかは詳しいかもしんないですけど。
 もし爆発した時なんて、責任とれるのかっていったら、とれないわけじゃないですか。そういう中では、親が判断するしかないし、自分の直感で判断するしかなかったんで、俺は曲げなかったんですよね。那須だけ大丈夫なんてありえないし、不動産屋さんで家まである程度見てきたんですけど、何となく違う。もっと新潟とか遠くに逃げないと、もう一回あたりそうと思って、そういういちゃもんっていうか、夫婦間でもケンカしながらも日が経っていって、俺も何回も言っても言うこと聞かなかったので、じゃあ
「頼むから、頼むから一日も早く逃げてくれ。どうでもいい。とにかく逃げてくれ」
って毎日のようにせがんでた。流石にかみさんも、自分の中で1か月経った後ですね、収束の見込み無いっていうのもだんだん判ってきたし、日々情報っていうのはどんどん悪化してくる状況の情報が入ってきたんで、さすがにかみさんも「無理だな」と思ったみたいです。
 そこでちょうどネットで探してたら、長野県の松本市で??避難っていうのは20㎞圏内じゃないですか。被災証明書とか罹災証明書とかがないと県外に避難できないっていうか受け入れてくれないって。そんな中でも松本市長は、
「15歳以下のお子さんを持つ家族でも受け入れますよ」
っていう話だったんで、すぐに申し込んで「見させてください」っていうことで、松本市に行って、そしたら本当にいいとこだったし、500㎞、600㎞離れてれば、ここまでなら大丈夫かなっていうのもあって、すぐに手続きをさせてもらったんですね。

Q.長野での生活はいかがですか?

 帰ってないです。1回だけですね。お盆前にちょろっとだけ。時間が空いたので。1週間だけ居て、そうですね。
 見に行ったときは家族みんなで見に行ったんですけど、こっちに居ると見えない緊張と見えない恐怖と、見えない不安っていうのはいろいろ被ってたんだなって、あっちに行って気づいたんです。
 マスクしなきゃいけない。
 子供達守らなきゃいけない。
 常に神経ピリピリだったんですね。その時は。
 でも、松本行って、街の様子とかチラッと見てきたら、あまりにも綺麗で、あまりにも脱力感っていうか、なんていうんでしょうね。幸せ感っていうか、当たり前のきれいな空気、当たり前のきれいな水、当たり前の食べられる、安心して食べられるっていうのが、どれだけ幸せかっていうのが、一日で判ったんです。
 だから、
「もうここだ、ここにしよう。居るだけで気持ちいい。松本にしよう」
って決めた。
 その時に本当に、僕はショッキングだったんですけど、うちの子供、その時4歳の長男が行って、綺麗なお花見つけてね、
「おとうちゃん、これ触っていいの?」
って第一声だったんですよ。
 『ばい菌マン』っていう表現なんですけど、放射能のことを『ばい菌マン』って言ってて、
「『ばい菌マン』居ないの?」
っていうのが第一声だったんです。
「マスクしなくていいの?土触っていいの?車触っていいの?」
 その言葉がちょっとショックでしたね。
 子供もわかんないようでしっかりと理解してたり、僕たちの親・両親がピリピリしてるっていうのは、子供もわかってたし、何かおかしいっていうのは多分感じてたと思うんですよ。子供は子供なりにものすごい神経使って、その日々を暮してたんだな。それが今回本当に安心・安全な場所に行ったときに、ふっと出てきたんでしょうね。
「雨に濡れて大丈夫?」
とか。
「ここだったら大丈夫だよ。マスクしなくていいからね。ただ車はまだ洗ってないから触らないでよ」
って言いながら、
「あとは大丈夫だよ。思いっきり遊んでおいで」
って、公園で思いっきり遊んでる姿を見て、涙ですね。本当にね。
 幸せ感っていうか、こういう当たり前のことが如何に幸せなのかというのが、一番わかった瞬間だった。
 そんな中ですぐに次の日には、住まわせてくれる場所を、教員住宅でしょうかね、入れさせてもらって、ある程度の広さだったんで、すぐに決めました。あとは引っ越し準備で5月20日に引っ越しして。<笑>

Q.お子さんの体調変化は?

 うちは無かったです。
 特に鼻血とかもないし、体調不良っていうのも無かったですね。 
 でも神経使ってたのか、ピリピリはしてました。そのくらいです。

Q.周囲のお子さんたちは?

 周囲で、僕直接みたわけじゃないんですけど、こういう活動してるといろんなとこから情報入ってきたり、友達からも電話かかってきたりとかするんですけど、私の妹の友達も、
「子供が突然鼻血出したんだけど、これって放射能の影響?」
とか、
「大丈夫なの?」
っていう連絡が入ったとか、こないだ伊達市のお母さんなんかは15人しかいない保育園で15人が入院しちゃってて、原因不明。原因不明っていうのは、診断されたのは結局ね、喘息であったり、肺結核であったり、結核かな?とか下痢とか鼻血とか。
 入院しないでも、結局体調不良がずーっと続いてる子供たちが多い。
 一番聞いてびっくりしたのは、全く放射能とか興味ないお母さん、マスクもしなくていい、普通に平気で暮らしてたお母さんが、全く興味なかったんだけども、自分の子供が40度くらいの熱だして、急に入院した。
「風邪でしょう」
っていうことで、薬もらって退院ってなったわけですけど、結局自宅に戻ってきて薬を飲んでも全然治んない。それよりずーっとそれが続いて
「おかしい!」
っていって、もう一回病院行ったら、また入院。結局治らなかったですね。
 これはさすがに、何かおかしいって思って、結局そのお母さん、家族は新潟の方に避難しましたね。

Q.そういった情報はどこから?

 お母さん方から子供たちに現れてる症状の情報っていうのは、直接聞いたのは2件くらいなんです。あとは、いろいろ情報では聞いてますけども、不思議と福島県内でそういう情報っていうのはあんまり聞いてないんです。
 聞いてなかったんで、本当なのかなって。むしろ東京のほうが結構大騒ぎになってて、鼻血の報告がいっぱいあって、福島県そんなに起きてないと不思議に思ってたんですけれども、チェルノブイリの架け橋の野呂さんの講演会のあと、医療相談会っていうのをやったんですね。問診っていうか。
 その時にやっぱり心配だったお母さんとか、何か症状が起こってるお母さんがいっぱい集まって話を聞くと、
「結構いらっしゃるんだな」
っていうことが判ったんですよ。やっぱ下痢がとまんないとか、鼻血がずっと出てるとか、体調不良ですよね。
「なんかおかしい」っていうお母さん方が結構いっぱい、あの時で30人とか40人くらいいらっしゃったんですね。
 それくらいです。僕が知ってるのは。

Q.日頃そういったことを話し合わないのですか?

 ないですね。そういう場がないんですよ。
 普段の生活の中で、たまに友達とかと電話するとかそのくらいで、僕の友達でも、そういえばそんなに聞いてなかったんですね。噂くらいのレベルしかなかったんですけど、実際居るんだなっていうのを初めて知りました。
 どっちかわかんないっていうのもあると思うんですね。別に放射能じゃないかもしれないって思いこんじゃってるかもしれないし、その辺の判断は難しいと思います。

Q.どのような想いで活動を続けられていますか?

 僕の想いは一点です。
 本当に【子供たちの苦しむ姿を絶対に見たくない】っていうのが、一番ですね。
 野呂さんの講演会の時に、スライドでチェルノブイリの子供たちの入院してる姿とか、手術の映像とかを見させてもらったときに、自分の子供と重ねちゃったんですよ。
 もし自分の子供がこんな状況になったら、後悔しかない。悔しいどころじゃないですよね。もし万が一自分の子供だったら、ものすごいエネルギーを発するだろうなっていうくらいの覚悟を自分の中でしてます。
 それを『安心・安全・大丈夫』って通しちゃってる国とか県とか、ちょっと信じらんないと思うのがあります。
 やっぱり「自分の子供だけ助かればいいや」っていう気持ちは、僕は無いです。やっぱり地元福島で育ってきたわけだし、そういう子供たちを絶対見たくないし、それを嘆いてるお母さん方の姿も絶対見たくないですから、少しでも変な話ですけど、何て言ったらいのかな・・・。
 100%無事であってほしいというのが、本当に最高の願いですよね。
「何もなかった、騒ぎすぎたよ。お前たち騒ぎすぎだよ」
と言われるのが、僕たちの目的なんです。本当に5年後、10年後、30年後、
「あれだけ騒いで迷惑掛けやがって」
って言われるのが目的です。目標っていうか。その上何もなかったらいいなってくらい思ってますよね。
 だから、『安心・安全・大丈夫』ってその言葉聞くと、疑問っていうか怒りっていうか、出てきちゃうんですけども、まだ判んないじゃないですか。変な話ですけど、本当に安全って判るっていうのは、本当に5年後、10年後、20年後、30年後何も症例が一つもなかったら、僕は言える言葉だと思ってるんですよ。
 今、それを叫ぶ人たちっていうのは、もう共犯者だと正直僕は思ってるんですね。
 誰も責任とれないんですよね。
 責任とれない。
 ごめんなさいじゃ済まないんですよ。
 責任取って辞めた、そういう問題じゃない。
 ・・・死んじゃうわけです。子供たちが。
 その時誰も責任とれない。
 誰も責任取らない。
 
 そんなことに本当に遭わせたくないっていうのが、変な話僕の中の一番の怒りの部分なんですよね。
 『安心・安全・大丈夫』はそうですよね。
 今は本当に呼びかけとしては、国も県もアドバイザーも大人たちも、ここに住んでる人たちも、『安全だから大丈夫だよ』っていうのは、本当に無責任だなっておもってるんですよ。何かあった時、本当に誰も責任とれないわけですから。
 皆でこういう現実は現実で受け止める。
 そこで「きちっとした対策とか予防とかやっていこうよ」っていう予防キャンペーンとかだったら判るんですよ。最低限ね。『避難』っていうのが一番の理想なんですけども、少なくとも残んなきゃいけないんだったら、
「しっかりと予防と対策やっていこうよ」
って呼びかけするんだったら、ちょっとは納得します。
 それが全くないで、何もこれから起こることなんか誰にも判らないことに対して、無責任にそういうこと言う人、ちょっと許せないんですね。

Q.活動を通して見えてきたものは?

 まず最初の頃は、やっぱり僕は、『避難・危険・危ない・不安』ありましたけど、それをとにかくブログで書き続けたんですよ。
 こういう情報がある。
 こういう情報がある。
 動画も含めていろいろ出してたら、僕、基本的にクレームはほとんど無いんですよね。無いキャラクターっていうのもあって、無かったんですけども、一番最初、クレームを受けたのは、実は友達だったんです。後輩で、ずっと長年友達やってた彼から、最初入ってきたのは、ガイガーカウンタで数字が上がってるよっていう動画だったんですね。それを見たら、
「この人は専門家なんですか?」
「あ、ごめん。ちょっとわかんないな」
って話して、流れたんですけども、俺がとにかく『危険だ・危ない、東電のやってること』を流していったら、
「これ、やって何がしたいですか?」
って次に入ってきたんです。
「いやいや、ちゃんと今起こってることを皆知らないと、対応できないでしょってことで、俺は流し続けてるんだ」
って言ったら、そしたら次入ってきたのが、
「そうやってね、一方的な情報を流しててどうすんですか?」
その辺詰めてないんでわからないんですけど、
「植木さんたちの都合のいい情報ばかり流して、不安を煽ってるだけで、何してるんですか?」
って入ってきたんですよ。その言葉っていうのは、ちょっと僕もショックだったんですけど、もっと頭に来たのが、
「植木さん、悪いですけど県から出ていってください。静かに去っていってください。本気で福島県のことを想うんだったら、立て直しを考えてるんだったら、植木さんは邪魔してます」
ってはっきり言われたんです。「出てってください」って言われてね、
「ちょっと本当に馬鹿じゃないんだったらそのくらい判ってください。」
すごいこう・・・、何て言うんですかね。いままであんなに仲良かった友達から、後輩なんですけど、ここまで言われて僕もさすがにカチーンとして、1回削除しちゃったんですよ。頭来て。コメントに書かれちゃって。
「どういうことなんだ?」
って思って、その場でメールして、
「ちょっと1回話したいんだけど」
ってことで出したんですけど、
「じゃあ話す前に、僕がしゃべってもいいですよ。あってもいいですよ。ただ、今流した植木さんとやりとりしたやつも全部ミクシーとかブログにちゃんと公平に出してください」
って話になって、書かれた文章を、俺も覚悟して出したんですね。書かれた部分を。
 そしたら、ものすごい擁護してくれる人「その通りだ」って言ってくれる人と、二分しちゃって、
「やっぱ危険、危険っていうか不安を煽ることばっかりやって私もちょっと植木さんにメールしようと思ってたんだ」
って言う人もいれば、でも、その文章を読んでる方々からは、
「いや植木さんの情報が、本当に今まで全てだったし、こういうことが起こっていることに対して、ここの情報しか知らなかった。本当に避難情報もいっぱい載ってたんで、それが本当に良かった。今起こってること、私たち、どう探していいかわからない。植木さんのブログ見て、本当に参考にさせてもらってるんです。だから、あなたがいろいろ『出ていけ』とかどうのこうのっていうのは、主婦っていうかお母さんの立場からすると、ものすごい営業妨害っていうわけじゃないですけども、命を守ろうとしてる人を邪魔してます」
とか、いろいろ物議をかもしだしたんですね。


 そういうことがあって、ちょっと僕も悩んだ時もあったんですよ。変な話ですけども、戦争が起こった時に、もし戦場だったら、男っていうのは女子供に「逃げろ」っていうのは当たり前だと思ったんです。普通に。
「でも、今回のは違うんだ?何が違うんだ?」
って本当に正直疑問に思ったんです。
「こんな危険だよ」って、皆それは知ってる。
「それで十分じゃん」
って思うんですけど、それでも避難させない・・・。できない・・・。
 僕の中には"?"しかなかったんですよね。
 いろいろ聞いていくと、結局経済だったりお金がなかったりとか、お父さんの話だと寂しいとか、1人で暮らしていけないとか、子供と離れるの嫌だとか、逆もありますよ、もちろん。お母さんが離れたくないと。お母さんが大丈夫って言ってるとか、いろんな人間の生々しいものが浮き彫りになってきたっていうのが、今回の本当にね、そういうやりとりしてちょっとショックだった部分大きかったんですけど、改めて冷静に見てみると、『人間性』が全部浮き彫りになっちゃったな。
 国の体制もそうですし、県もそして、親たちも福島県人も、それぞれの人間が『放射能』っていうキーワードをもとにして、『人間性』が全部綺麗に出てきちゃったなって思うくらい、いろんな人たちが思ってることっていうのが、
「あ、あなたこんなこと思ってたの?」
っていうのがいっぱい見てきたっていうのがありましたね。
 僕、その1通のお手紙っていうか、その一番ショックだったのと同時に、やっぱ福島県を何とかしようと頑張ってる人たちも居るんだということも同時に判ったんですね。
 だから一概に「逃げろ」だけでも、本当に残された人たち、経済的に本当にね、後輩自身も実は、今回の地震も含めて、今まで何回も会社がつぶれそうになっても立て直して、一生懸命やってきたの判ってて、なんとかこれから軌道に乗りそうだっていうときに、大借金を背負っちゃったんですよ。今回。
 もうかみさんにも言えないくらいうちも大変なんだって。

Q.借金っていうのを説明してください。

「3.11以降自分の会社、やっと軌道に乗ってきて回ってきたところで、地震が起きちゃって、それをきっかけに本当に経済的に会社も回らなくなってきちゃって、なんとか必死になって取り戻そうと思って頑張ってるのに、そうやって『風評被害』で不安を煽ることによって、どんどん流出しちゃったら、福島県どうなるんだ?経済もう疲弊しちゃって、潰れる企業増えちゃって、失業者が増えてって、本気でそれ望んでんですか?」
っていう話になっちゃったんですよ。
 彼の話を聞いて、呆気に取られちゃった。
 なんで呆気に取られちゃったかっていうと、【命と経済】っていう部分で、これが天秤の基準になってたんですよね。同時に進行するっていうことは本当に難しいことなんだなって。多分みんなここに残ってる人たち、特に会社を運営してる人たちっていうのは、どっちかっていうと多分経済っていうか、会社の運営のほうっていうか、損得を優先してる人たちが多い。当たり前の話かもしれないですけど。
 それによって、結局出られない家族、残らなきゃいけない従業員がどんどん増えちゃってるっていうのが当たり前ですけど、それによって雁字搦めになって出られないでいる人もたくさんいるんだなっていうのも、初めて気づいたんですよね。
 正直言って、苦しい・・・。

Q.彼の立場もわかる? 

 わかる。
 だから、その辺はちょっと冷静になったんですよね。その時。
 だから、3月以降この福島県に残ってて、一生懸命復興のために頑張ってる人たちのために、何ができるんだろうと思うと、【無い】ってこと。僕の中に、僕ができることって何だろうっていうと、除染とか変な話ですけど、気休め程度くらいしか無い・・・っていうのが正直なとこなんです。
 これ、本当にね・・・、答え無いんです。今は。
 命優先が100%になっちゃってる僕としては、『経済よりも命だろ』。
 子供たちが死んじゃったら、将来の福島もないんじゃない?
 「今さえ良ければいい」とか、「今さえ乗り越えればいい」っていう問題じゃないんじゃない?
 何十年、何百年ともしかしたら続くかもしれない、この放射能の影響を目先で考えちゃってる人が多いんだなって思う・・・。
 これがはっきりと見えないんですよね。未来がどうなるかっていうのは、僕も判らないんです。本当に。
 この部分が一番苦しいです。
 ただ、今はできるだけ避難の時期だ。福島県を捨てるわけじゃないっていうのは、彼とはその後メールのやり取りもしてないんですけども、結局、難しいのは、難しいっていうか、彼がどう考えてるのか僕は知りたいんですね。
 結局「今さえ良ければいい」と思って、経済を立て直そうと思って考えて頑張ってるのか、その本音の部分はやりつくしてないんですよ。本当に放射能は安全だと思ってるのか、それは見ないことにして経済復興しようとしてるのか、わからないんですね。そこが判るとまた話し合いができるのかなと思うんですけど、どう見ても今の状況だと、彼のツイッターとか見てても、全くそういうことに触れないんですよね。多分経済優先で、あとは福島の経済を活性化させたいっていうのが本音なんだなって。
 それで彼はものすごい頭いいんですよ。いろんなこと知ってて、放射能のこともとことん研究してというか、知り尽くしてるはずなのに、そういう情報は一切ださないんですね。
 かといって「ランチなう」とかね、そっちのほうばっかなんですよ。どうでもいい情報。なんでもっと「予防しよう」とかやんないのかな?っていうのが不思議なんですよね。
 そんな中で、結局僕は「出ていけ。福島県に居ると邪魔だ」と言われてますけど、僕だけじゃないじゃないですか。情報を出すっていうのは、もう福島県内のお母さん方もそうですし、いっぱいいるんですよね。
 そういう情報をとにかく皆で出し合ってる、それ自体を『ネガティブキャンペーンやめろ』って、その後輩は片っ端から『ネガティブキャンペーン』やってる人に対して、言い続けてるらしいんですよね。
 でも、抑えきれないと思うんですよ。だんだん最初は噂話から、現実になってきて、その現実が見えてきて尚更情報発信してるわけですから、どんどん広がってるのはありますよね。不安がね。
 そうなったらどうなるかっていったら、結局、ちゃんとした情報、国から出てない、ちゃんと公表しなきゃ尚更不安だから、やっぱり不安がどんどん大きくなると、どんどん県外へ流出していくんですよね。そうなってきたとき、結果的には、「もう福島県に住みたくない」っていう人がどんどん増える一方で、経済なんてのも成り立たなくなってくんじゃないかなって、僕は思ってるんですけど、そこを見据えてちゃんと彼は話してるのか、そこを議論したいんですよね。議論したいっていうか、彼がどう思ってるのか聞きたいんですけども。
 まぁ今のところ連絡は取れないですね。取っても僕もゆっくり話する時間もないし、変な話ですけど、そこまで言うんだったら本当にね、2年後3年後、本当に何もなかったときに、ゆっくりと時間作ってお話したいなと思います。それまでは多分平行線だと思うんで、無駄な時間使うよりは、また5年後でもいいから、時間をとってお話する機会があればいいなと思ってます。
 あの、とにかく情報、ツイッターとかブログで僕、バンバン情報出してるじゃないですか?
 で、変な話ですけど、彼が何で僕をターゲットにしたかっていうと、僕大した文章じゃないんですよ。文章能力もそんなに高いわけじゃないし、詳しく書いてるわけでもないし、一言、二言、自分の思ってることを書いて、あとは転送したりとかしてるくらいなんですけども、彼から言わせると、今一番、なんていうんですか、活動してて目立つ存在で、影響力あるのが僕だと思ってるんですね。福島県内の中でも。
 僕が出すことによって、それがさらに広がっちゃうとか、恐れてるらしいんですよ。
 だから、例えば変な話ですけど、僕をじゃあ情報を出さないようにして県外に逃げたって言っても、これだけね、福島県内の中で現実がどんどん発信されてる中で、片っ端から除外することもできないし、むしろ県外に逃げた人たちも、福島県に対して、友人とか知人とかにもどんどん情報を送ってる最中なんですよね。
 そうするともう情報を遮断したり隠ぺいするってことは、多分不可能に近いと思うんですね。それを一生懸命叩く。叩くっていうのも当然できないし、そういう意味では、僕、情報っていうか、事実ですよね。事実っていうのは、広がる一方だし防ぎきれないと思うんですよ。そういう中で本当にね、一生懸命『ネガティブキャンペーン』を抑えようとしても、それは無駄だと思いますよね。
 さっきちょっとお話したブログでやり取りした中で、いろんなお母さん方が支持してくれた。逆に彼自身がそれを書いたことで、福島の『ネガティブキャンペーン』を彼自身がやっちゃった部分があるんですよね。
 逆に僕の方が得しちゃったっていうか、ちゃんと信頼してもらった。やりとりの怒りのメールも含めてですけど、情報を出したことによって、同情っていうことじゃないですけど、僕が思ってることも、彼が思ってることもよく判った。
 でも、彼は攻撃的なメールで来たんで、逆に彼に対して福島県人はこう思ってるんだっていうのに対して、県外の人たちも県内の人たちも、逆にその人自身がその『ネガティブキャンペーン』をはっちゃってるっていうふうに認識してる人たちも多いんですよね。
 そういう意味では本当に逆効果だったんじゃないかなってね。
 だから、伝えるっていうのは、攻撃的に書いちゃうと伝わんなかったり逆に敵作っちゃうってことが、本当にたくさんあるってことを彼知らないのかな?っていうかね。
 表現の仕方って本当に難しいなって思いましたね。その時。

Q.そのほか、周囲で「葛藤」は何かありましたか?

 結局離婚しちゃった家族も、何人か知ってますけども、そこも浮き彫りなんです。『人間性』が浮き彫りになっちゃって、放射能のことで当然ですけど、夫婦間で話しますよね。その時に
「旦那ってのは何も考えてないんだな。この危機的な状況の中で、私たちを守るっていう発想が無いんだな」
っていうのがあって、愕然としちゃって離婚しちゃった家族も知ってますし、一応職場の人なんですけども、避難を促して、
「今こういう状況だから、小さいお子さんいるでしょ?僕は一時避難でもいいから、とにかく外に行った方がいいよ。少しでも安全なとこに行った方がいいよ」
ってお話したら、
「できないんです」
っていうんですよ。
「何で?」
って言ったら、
「旦那が・・・。うちの旦那『大丈夫だから』『国も言ってるし、県も言ってるし、何もないんだから』『大丈夫なんだから行くな』って話になった」
って、そこで初めてちょっとね、「え!?」って思ったらしいんです。
「私たちを守ってくれるんじゃないんだ?逃げろって言ってくれるんじゃないんだ?」
そっちをずっと信じ込んじゃって、話がずっと平行線になっちゃって、話すとケンカになる。話せばケンカになる。毎晩そういうのが続いて、結局
「話しても無駄だ、一緒に居ても、子供たちの将来・未来が不安でしょうがない。」
 もう腹くくって離婚しちゃった奥さんもいらっしゃいますよね。
 非常に全部じゃないんですけど、聞いてる範囲では、奥さんっていうかお母さんっていうのは、やっぱ【命の視点】で考えてる人が多いですね。
 やっぱり自分たちの子供、自分がお腹を痛めて産んだ子供、将来的に何かあっちゃいけないっていうのが、やっぱ【命の視点】で考えるお母さん。
 お父さんっていうのは、話聞いてる中では、どっちかっていうと【無関心】の人が多く聞いてますね。【無関心】。「大丈夫」何も調べてないくせにテレビの情報を鵜呑みにしちゃって「大丈夫」「県もこうやって発表してる」「数値も低いだろう」って。テレビのテロップに流れてる情報だけがそのまま鵜呑みにしちゃってる部分が多くて、テレビに出てくる人たち、皆『安心・安全・大丈夫』じゃないですか。それをそのまま受け取ってる人たちが多くて、だからスイッチ切っちゃってるんですよね。それ以外にないんですよね。
 かといって、自分で逆のこと、危険なことを調べるかってことも特にしてないし、「皆大丈夫っつってるから、大丈夫だよ」みたいな、流されてるっていうのがあるのかな?ってちょっと思いますけどね。

Q.父親との葛藤は?

 変な話、うちのおやじっていうのは、俺と全く真逆っていうか、多分ね、一般的なお父さんに近いのかなって思うんですけど、テレビ見て文句言ってるんですよ。
「政府が悪い。国が悪い。県が悪い。なんで皆うごかねぇんだ?アクションおこさねぇんだ?」
って、ずっといろいろ言ってるんです。「誰が悪いんだ、政治家が悪いんだ」とかって言ってんですけど、
「それをそのままそっくり県のとことかどこでもいいから、対策本部でもいいから、そのままそっくり言ってくれ。それを言ってくれたことによって、変わるかもしれない。それが一人じゃなくていっぱい増えてったら変わってくんだよ」
っていつも言ってるんですね。でも、
「なんで俺が言うんだ?俺に人の意見とか、そんなのいちいち言ってくことねぇべ?!」
ってケンカになっちゃうんです。
 要するに、愚痴なんですよ。
 なんでもそうなんですよ。愚痴だけ並べても、世の中って変わらないじゃないですか。それをテレビに向かったって変わらないですよね。
 それを「具体的に行動おこさないと変わってかない」って何回説明しても、わかんないんです。
 じゃあパレードとか反対アクションとかあったとき、
「お父さん、一緒に行かない?行けば1人また増えるし、こういうことを想ってるんだよって意思表示をそこで言えばいいだけなんだよ。なんかで演説しろとかそういうわけじゃなくて、参加するだけでもいいじゃん。一緒に行こうよ」
って言っても、
「そんなの行くか!」
みたいな感じなんですよね。
 言いっぱなしなんです。
 要するになんでもそうです、愚痴。
 多分、福島県のよく聞くのは、そこなんですよ。
 結局、その場でテレビに向かって思ってること、愚痴をその場だけで終わらせちゃって、次に「じゃああなた何やるの?」っていうと、それは絶対行動しない。言わない。行動しない。
 それは多分ほとんどの人なんじゃないかなと思います。
 「あぁなんだよね。こうなんだよね。あいつが悪いんだよね。学校が悪いんだよね。」
 みんな人のせいにしちゃってるだけで終わってる。
 ツイッターとかブログもそうですけど、ツイッターって僕は、変な話ですけど、情報を得る参考っていうふうにしか思ってないんですよ。
 そこで、捌け口としてバーッと書いたって、世の中変わんないと思ってます。
 それよりも、そこの中で得た情報から、具体的にどういうアクションを起こしていくんだ?どういう意思表示をしていくんだ?っていう部分からやんないと、単なる捌け口で終わっちゃってるような気がするんですよね。
 だから、うちのおやじ見てると、本当に判りやすいっていうか、
「あ、これが(変な話、福島県の人っていうのも変ですけど)日本人の典型的な例なんじゃないかな」
っていうのが最近気づいたんですよね。
 今は本当に今日も、場が悪い空気だったんですよ。
「もう気分悪いから。早く行っちまえ」
みたいな感じで見送られたっていうか。

Q.お父さんと?

 そうですね。口も聞かないっていうかね。

Q.どんなぶつかり合いだったんですか?

 いや、とにかくね、
「そこまで愚痴言ったりいろいろするんだったら、電話一本でいいから、県に言ったり政治家に言ったり、直接言ってくれ」
「そんなんできるわけねぇだろ!」
ってケンカになっちゃうわけです。。勇気が無いんだと思います。単にここで言うのが精いっぱい、愚痴を言うのが精一杯なんだと思う。具体的に行動に移したり、アクションを起こすことに対して、ものすごい心が弱いっていうか勇気が無いっていうのが、まぁうちのおやじなのかなーなんて思って。
 声を挙げるということが苦手なんでしょうか、なんでなんでしょうかね?不思議なんですけどね。

Q.いろいろなものが見えてきた中で、他に何か気が付かれたことは?

 うーん。気が付いたこと・・・。
 気が付いたこと・・・。
 これ、ぶっちゃけ話でもいいんですかね。
 僕、ほんとね、気が付いたことっていうのは、一つは【皆が被害者で皆が加害者だった】ってことに最近気づいたんですね。
 本当に国が悪い、政治が悪い、自治体が悪いだけではない。
 じゃあそういうふうにさせた原因は、政治家が悪い。
 じゃあ政治家を選んだのは誰?
 市民なんですよね。
 皆が願ったとおりのことが、今原因と結果で表れてるだけなんで、僕はそのことを最近気づくようになってきたんです。
 だから、そういう意味では・・・、東電だけが悪いわけではない。本当に僕たちの意識自体が、選んできたことが、無知・無関心だったこと、無責任だったことが、今全部出てきちゃってるんじゃないかなって思ってるんです。
 そこをちゃんと冷静に判断しながらやってかないと、いつまでたっても変わんないんじゃないかな。今ちょうど選挙が始まってる中で、じゃあ皆政治家の人たち、候補者たちはどんなこと考えてるんだろう?ということをまず聞く。自分の一票を本当にその人に投じるかどうか、何が本質なのかっていうのをちゃんと見極めて、一票かもしれないですけど、「一つ一つ変えてくしかないな」っていうのは思ったんですね。
 皆、なんていうのかな。
 【無力感】でいっぱいなんですよ。
 福島県人だけじゃないかもしれないですけど、【無力感】なんですよね。
 やっても無駄。
 言っても無駄。
 何やっても無駄。
 そういう人たちがあまりにも多いんだなっていうのが、最近つくづく思ったんですね。
 でも、僕たちは違うな。
 【無力】じゃなくて、本当は【微力】なんだな。
 その【微力】なんだっていうことに気付いてほしんです。まずは。
 思ったんですよね。
 僕たちは【微力】だけなんだ。
 例えば、1人が僕たちみたいに活動したりとか、1人が100のことやるんじゃなくて、100人が本当に1歩動かしただけで、世の中って大きく変わってくっていうか、変化していくって思ってんですけど、その1歩が踏み出せない人たちが本当にいっぱい居るんだな。
 でも、そこをどうやってこうアプローチして伝えてって、行動に移すまでっていうのを伝え続けるかっていうのは、非常に今僕の中では、悩みっていうのは変ですね。どういう心に届くメッセージを発していったらいいのか・・・。
 そこが一番・・・伝えるって難しさですかね。
 一番感じてます。

Q.最後に、ご家族の心境の変化についてお聞かせください。

 えー、5月、そうですね、4月、5月とうちのかみさんと散々ケンカしたんですね。その原因は、とにかく俺は
「1日もはやく1秒もはやく、この福島県から避難してくれ」
って話をずーっと続けてたんですね。
「どこでもいいから、いっぱい今だったら受け入れ態勢が出来てるから、旅館でもいいし、行ってくれ」
って話したんですけども、
「急には引っ越しできない。荷物もまとまんないし、子供たちのこともあるし、保育園のこともあるんで、出られない」
「どっちが大事なの?」
っていう押し問答がずっと続いてたんですよ。
 で、彼女っていうか、うちのかみさんいわく、
「許容範囲を自分なりに計算した。勉強した。」
 僕が言ってることは、理論的とかデータ的には話せないんですよ、そういう部分で伝わらないっていう部分で、
「僕が言ってることは、全然納得できない。理解できないっていうか、理論的にもっと話してくれ。じゃあどこまでってあんたは判ってるの?」
って言われて、「怖い、危ない」くらいしか確かに無かったので、そこはだけど、うまく伝えきれなかったっていうか、それまで僕もちょっとね、正直悩みました。
 でも、喧々諤々して、本当にね、離婚寸前までいったんですよ。
 とにかく俺も怒鳴って言ったこともあるし、
「もし子供に何かあった時に、俺、本当にゆるさねぇぞ!」
ってことを言ったときに、うちのかみさんなんかもやっぱショックだったと思うし、僕と一緒にいたら、ケンカがずーっと続くと思ったと思うし。
 そんな中で、実際引っ越してみて、生活始まってみると、あまりにも松本市っていうか長野県が良くて、彼女のツイッター、日記、電話で聞くと、
「もう幸せでたまんない」
って言うんですね。そのギャップっていうか、こっちに居た時のピリピリ感とは真逆で、
「毎日が楽しくてしょうがない」
っていうんで。
 ただうちのかみさん、偉いなと思ったのは、「長野県に行って自分たち助かったからいいや」じゃないんですよね。
 あっちから発信できるものを、今一生懸命ブログ書いてくれて、避難先情報一覧をずーっと書いてくれて、
「こうやって問い合わせしたらいいよ」
とか、一つのブログにまとめて発信してくれてたり、今引っ越したというか、福島県の人たち同士で繋がって、『自分たちで出来ることやろうよ』っていう動きを今作ってるんですよね。そういうなかで、いつでもこっちに来られる状況とか、
「1人でこっちに来て寂しい思いしてるお母さんとかに、一緒に生きていこうよっていうネットワークを作っていきたい」
っていう話をしてたんで、そういう意味で、新しい人生、新しい生活が始まった仲で、全てが家族にとってはハッピーに今動いてるかな。
 子供たちも本当にね、ビクビクしないで元気に生きてるし、何の不安もなく、思いっきり遊べてるし、それだけでも僕は安心するし。
 そういう意味では変な話、夫婦間の会話っていうのも、ケンカばっかりしてたときは、電話もしなかったしメールもしなかったんですけど、今は毎日お互いに写真とって、「こんなことやってるよー」ってできるようになってきたし。<笑>

Q.仲直り?

 そうですよね。
 仲直りはしたかなって思ってます。

Q.ご自身はなぜ福島に留まるのですか?

 それ自体が不思議だったんですよ。
「自分たちが逃げて、避難して、安心だからいいや、新しい生活始めよう」
っていう方も多分いらっしゃると思うんですけど、僕はできなかったっていうのは、やっぱり僕は福島県出身だし、僕は福島に育てられた人間だし、この福島っていう土地を愛してるんですよね。友達もいっぱいいるし、育ててくれた先生も、諸先輩方たくさんいる中で、友達もいっぱいいますよね。
 その友達たちを切ってまでっていうか、自分たちの幸せだけでいいのかな?自分たちの家族が助かればいいのかな?もしかしたら、情報が入ってないだけで、逃げられない人たちも居るだろうし、友達だけじゃないんですよね。いろんなお母さま方、子供達。まぁ皆ですよね。福島県人。
『知らないだけなのかもしれない。もしかしたら、僕の一言で、僕が言ったら、きっかけを作ることで、その人たちが助かるかもしれない。』
 そう思ったら、僕が今できること。いつまで続くか判らないですけれども、できることって言ったら、それしかないかなって。
 一番最初に言ったように、僕がこの活動を始めた理由の一つは、本当に子供たちが悲しむ姿、苦しむ姿、絶対に見たくない。それだけなんです。
 理屈抜きにそれは嫌だ。
 それを悲しむ家族、お母さんの泣いてる姿とか、絶対見たくない。
 それはアフガニスタンで、僕はいっぱい見てきたんですよ。いろんな苦しんでる子供達、やせっぽっちで死んでいく子供。そのお母さんの嘆きっていうのは、本当に耐えがたいですよね。
 それが今度アフガニスタンという国とかじゃなくて、自分たちの国で、自分たちの住んでる故郷でそれが起こると思ったら、そんなの理屈あんのかな?ってね。皆で子供たちを、命を守ろうっていうのに理屈なんかないですよね。
 もう、本能なのかもしんないですけど、守んなきゃ。皆で命を守んなきゃ。それだけですよね。想いは。
 だから、いまちょっと家族と離れ離れになって、さびしい思いはお互いにしてるとこあります。
 子供も本当、突然ですけど、僕は子供にははっきり言ったんですね。
「おとうちゃんね、福島に戻るよ。戻って頑張ってくる。」
「何頑張るの?」
「ケンちゃんね、『ばい菌マン』いっぱい吸っちゃったり浴びちゃったりすると、イタイイタイになって苦しいよね。お友達がそうだったらどう?」
「やだ!」
「その一人でもお友達がイタイイタイになんないように、おとうちゃんは皆助けてくる。そして、ばい菌マンやっつけてくる。だから、おとうちゃん、ちょっと福島に帰って、いっぱいね、頑張ってくるから、ケンちゃん、ちょっとお父さんとは離れ離れになるの、本当に寂しいかもしれないけど、ごめんね」
って言って、今こっちに来てるんですよね。
 子供っていうかうちの息子も、
「わかった。おとうちゃん頑張ってきてね。いっぱい助けてきてね」
って励ましてくれるわけですよ。健気だなとおもいつつも、先日、うちのかみさんから電話来て、
「おとうさん、やっぱ一回帰ってきて。」
「どうしたの?」
「夜中、突然長男のほうが、『おとうちゃん何でいないの?おとうちゃん、いつ帰ってくるの?』って泣いてたんだ」
 ずーっとやっぱ子供は子供で、離れ離れになってるおとうちゃんを我慢強く辛抱してたんだな。ある時ふっと寂しさが出てきたときに、
「やっぱおとうちゃんに会いたい」
って溢れてきちゃったんだな。
 だけど、本当にその天秤もほんとに苦しいんですよ。
「本当だったら、長野県に行って、家族と水入らずで新しい生活を始めたら、どんなに楽だろう」
って思うことありますよね。
 でもそれ以上に上まわってるのは、1人でも犠牲者を絶対出したくない。
 その想いだけです。
 ただ、今僕にできることは、何でもやろうって思ってます。
 ・・・。
 そうですね。
 辛いですね。なかなかね。<笑>
 たまにスカイプとかね、電話してお話することあるんですけど、もうしゃべりたいこといっぱいあるんですよね。
「おとうちゃんね、今日こんなことした、あんなことした」
って。あくまでも画面なんですよね。抱きしめたり触れ合ったりっていうのはできないっていうのは、だからちょっとね、もうちょっとしたら、やっぱ家族に会いに行ってこようかな<笑>
 ・・・。
 悔しいっすね。<涙されてます>
 まさかその難民助けてきた僕が、難民になると思わなかったし、まさか福島県の人たち・・・難民ですから、正直言って。うちの家族も難民ですから。
 なると思わなかったですしね。
 それが本当に、人間って本当に不思議だなって。
「アフガニスタン、大変だね」
っていうけど、皆他人事なんです。ある意味ね。それは仕方ないことだと思うんですけど、気づきって、自分に振りかかって初めてわかるんだなって。
 原発って大変だっていうことはわかってた。どれだけ大変かって、あのチェルノブイリの事故が起きてね、子供たちとお母さん方のああいう映像っていうのは、僕も見てたんですけど、どこか他人事だったんだなって。
 自分たちの身にふりかかって、初めてその恐ろしさとか現実がわかって・・・後悔ですよね。
 ・・・。
 もう後悔はしたくないですね。
 僕が活動するきっかけになったのが、あるとき、ネットワーク地球村の高木さんの話を聞いて感動して泣いたんですよ。その生き様っていうか、1人でもやり続けるっていう姿に感動して。地球環境問題っていうかね、地球温暖化にしても何にしても、あの時は絶望的だなってずっと思ってたんです。でもその時にその話をきいて終わった時に、僕はやっぱり無理って思ったんですよ。そんな地球のこととか未来のこととか、そんなの絶対無理って思ったときに、無理って言った瞬間に、頭に不思議な話じゃないんですけど、ピーンって浮かんだ映像っていうのがあったんですよ。
 それが未来の子供なんですよね。自分の子供だったんですよ。未来の子供から、
「おとうちゃんはこの現実を知ったんだよね。その現実を知ったおとうちゃんは、僕たちに何してくれるの?」
ピーンってきちゃったんですよね。
 一旦背中向けたものに対して、ムクッて向き合うことに決めて、それが今多分現実なんだなっていうか、現実に起こっちゃったんだなって。
 子供たちはしっかりと大人の背中を見てると思うんですよ。
 こういう状況の中で、何が起こってて、子供達って知らないようで知ってると思います。
 親の態度も姿勢も、全部見てると思うんです。
 今大人たちはどんなことしてくれるんだろう?子供たちはしっかりと見てんだなと思います。
 そう思うとね、
「おぉ!見てろよ!!」
ってこの間も保育園に行ったときに、
「大人の背中、見せてやる!しっかり見てろよ!頑張るからな!!」 
ってね<笑>言ってたんですけど。
 本当に一人ひとりができることやって、大人の背中を見せる、それが僕がただ一歩の希望かなと思ってますよね。<笑>
 はい。そういうこと思ってます。
関連記事

 | HOME | 

 

プロフィール

もうすぐ北風

Author:もうすぐ北風
こんにちは。
いろんな旅を続けています。
ゆきさきを決めてないなら、しばらく一緒に歩きましょうか。

最新記事(引用転載フリー)

カテゴリ

経済一般 (118)
経済一般~2012冬まで (161)
日本の経済 (224)
通貨戦争 (70)
ショック・ドクトリン (12)
震災関係 (23)
原発事故発生 (112)
事故と放射能2011 (165)
放射能汚染2012 (192)
汚染列島2013-14 (146)
汚染列島2015-16 (13)
福島の声 (127)
チェリノブイリからの声 (27)
政治 (413)
沖縄 (93)
社会 (316)
小沢一郎と「生活の党」 (232)
健康と食 (88)
環境と地球の歴史 (28)
未分類 (175)
脳卒中と入院 (7)

カウンター

最新コメント

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

カレンダー

03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

最新トラックバック

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

Template by たけやん