マスコミの人間に心はあるのか
2012-04-30
日本のマスコミの視線ー政府の腐敗より京都の遺族 4/28 seetell
先週の月曜日、京都で2人の人間の命が奪われた。一台の車が、小学生の列に突っ込んでいったのだ。亡くなったのは、小学生一人と、その子供の傍らで一緒に立っていた妊婦だった。本当に、悲劇としか言いようがない。ご家族と地域の方々のことを思うと、私たちの心も痛んでたまらない。
今回、この出来事のあとに何が起こったのかについて書こうと思う。記事の内容を以下に記す。
先週の月曜日に京都で起こった死傷事故は、無免許運転のドライバーが引き起こした交通事故だった。このドライバーの運転する車が、小学生の列とその傍にいた妊婦に突っ込んでいったのだ。妊婦と一人の子供が亡くなり、8人の子供が負傷した。
この事故は、地域住民に強い衝撃を与え、憤慨させた。だが、全く思いがけないところから痛烈なコメントが飛び出した。
現場にヘリを出動した但馬救命救急センター(TECCMC)によるコメントだ。それも、無免許運転のドライバーに対してではなく、マスコミが同救急センター内で行った勝手な取材に対してだった。
救急センターのスタッフは、公式ブログに『マスコミの人間に心はあるのか』と題して、コメントを掲載している。
ブログには、センター側が再三取材拒否をしているにもかかわらず、それどころかまるで構うことなく、複数のマスコミ関係者が慰安室の前で家族の映像を撮ったりしていたと書かれている。
記者やカメラマンらはまるで、ずけずけと土足で他人の家に乗り込んで、そのままぶらぶらと居座るような無礼さだった、とも書かれている。
さらに、「ご家族、医療者、関係者の心情を考えられないくらいマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか」とも書いている。救命センタースタッフの怒りが、いかほどのものであるかが想像される。
ブログの中には、かなり辛辣なコメントさえあった。同センターは京都にあり、京都の人は日本人の中でもとりわけ、あからさまには人の悪口を言わない,と言われているのにもかかわらずだ。
スタッフの怒りは明らかで、「このブログが多くの方に読まれていることは十分に存じ上げております。だからこそ敢えてここで述べます。」と記し、コメントを締めくくっている。
救命センターのスタッフのこの行動を心から賞賛したい。彼らは、人々の悲しみの場面で勝手気ままに振舞ったマスコミに対して声を挙げ、公に反論を唱えたのだ。
だが実は、私たちのこの賞賛は、突然の不幸にみまわれたご家族にマイクやカメラを向けて更なる苦痛を味わわせたマスコミに対する、強い非難でもあるのだ。
さらに重要なことは、この報道関係者たちは、一体、どれほど暇だったのだろう、ということだ。世の中には、小さな地町村であれ、一つの地方であれ、国家レベルであれ、膨大な数の不正や汚職、腐敗がはびこっており、報道関係者たちが調査、報道すべきネタなど、それこそいくらでもある。
そしてマスコミは、言論出版界、いわゆる第4階級である。本来の任務は、普通の家族の守り手であり、真実を発見することだ。加えて、政治家・官僚・企業・特別利益団体や圧力団体に、その説明責任を果たさせる役割を担っているのだ。
しかし、日本ではマスコミは力のある者の側につき、ごく普通の人々の側には立ってはいないのだ。腐敗した側につき、その言いなりだ。
一般人を騙している権力側の人間たちに代わって、謝罪までするのだ。マスコミは、政財界のえり抜きの権力者たちに擦り寄る、取り巻きのおべっか野朗どもなのだ。
結局、マスコミそれ自体ももはや腐敗しているのである。マスコミは、エリートたちが遂行する仕事を詳細に取材して調べ上げるという、まさに必要とされている本来の使命、つまり公益のための奉仕をしていない。
それどころか、もっぱらこのエリートたちを、立派な尊敬すべき地位というオーラの中に包み隠す役割に専念しているのである。
エリートたちの言動とその振る舞いの、裏と表を調査・取材する代わりに、今回、マスコミのしたことは何か。それは、計り知れないほどの不運と悲しみの中にいる、京都に住むごく一般の家族にスポットを当てるという選択だ。
すでに腐敗し倦怠しているマスコミにとっては、手軽なネタだったろう。やることなど何もない中、ラジオのニュース速報だけは聞いていていたはずだ。これだ、と思わず膝を叩いたに違いない。この話だったら、マスコミ本来の仕事をする必要がないのだ。
マスコミ側がすべき調査は必要とされない“ネタ”だ。報道関係で働く者たちは、もはや、真実を暴くことでキャリアを積もうなどとは思っていない。エリートが一般の人々から隠したいような真実を、だ。
その代わりに、それまで手にしていたカップを置き、飢えた野犬の群れのように大急ぎで悲しみの現場に駆けつけるのだ。
泣き崩れる家族の映像と、悲しい事故についての“感想“を、一つでも二つでも、ただただ手に入れたい一心で。常識と良識のある人たちなら、すでに誰でも思っていることだが、全く、不愉快極まりない。
この恐れを知らない記者たちが、悲しみの只中にいる人々のプライバシーを侵害しているというのに、他方、政治家たちが企んでいる国の政策については、誰が知っているのか。
官僚と大企業の経営者らの間で、どんな裏取引が交わされているのかなど、一体誰にわかるというのだ。
もちろん、誰にもわからない。マスコミはよそ見をしているのだから。
記者たちは、救急車を追いかけるのに忙しすぎて、日本という国を崩壊させつつある政治腐敗など、気にかけている暇はないのだ。
先週の月曜日、京都で2人の人間の命が奪われた。一台の車が、小学生の列に突っ込んでいったのだ。亡くなったのは、小学生一人と、その子供の傍らで一緒に立っていた妊婦だった。本当に、悲劇としか言いようがない。ご家族と地域の方々のことを思うと、私たちの心も痛んでたまらない。
今回、この出来事のあとに何が起こったのかについて書こうと思う。記事の内容を以下に記す。
先週の月曜日に京都で起こった死傷事故は、無免許運転のドライバーが引き起こした交通事故だった。このドライバーの運転する車が、小学生の列とその傍にいた妊婦に突っ込んでいったのだ。妊婦と一人の子供が亡くなり、8人の子供が負傷した。
この事故は、地域住民に強い衝撃を与え、憤慨させた。だが、全く思いがけないところから痛烈なコメントが飛び出した。
現場にヘリを出動した但馬救命救急センター(TECCMC)によるコメントだ。それも、無免許運転のドライバーに対してではなく、マスコミが同救急センター内で行った勝手な取材に対してだった。
救急センターのスタッフは、公式ブログに『マスコミの人間に心はあるのか』と題して、コメントを掲載している。
ブログには、センター側が再三取材拒否をしているにもかかわらず、それどころかまるで構うことなく、複数のマスコミ関係者が慰安室の前で家族の映像を撮ったりしていたと書かれている。
記者やカメラマンらはまるで、ずけずけと土足で他人の家に乗り込んで、そのままぶらぶらと居座るような無礼さだった、とも書かれている。
さらに、「ご家族、医療者、関係者の心情を考えられないくらいマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか」とも書いている。救命センタースタッフの怒りが、いかほどのものであるかが想像される。
ブログの中には、かなり辛辣なコメントさえあった。同センターは京都にあり、京都の人は日本人の中でもとりわけ、あからさまには人の悪口を言わない,と言われているのにもかかわらずだ。
スタッフの怒りは明らかで、「このブログが多くの方に読まれていることは十分に存じ上げております。だからこそ敢えてここで述べます。」と記し、コメントを締めくくっている。
救命センターのスタッフのこの行動を心から賞賛したい。彼らは、人々の悲しみの場面で勝手気ままに振舞ったマスコミに対して声を挙げ、公に反論を唱えたのだ。
だが実は、私たちのこの賞賛は、突然の不幸にみまわれたご家族にマイクやカメラを向けて更なる苦痛を味わわせたマスコミに対する、強い非難でもあるのだ。
さらに重要なことは、この報道関係者たちは、一体、どれほど暇だったのだろう、ということだ。世の中には、小さな地町村であれ、一つの地方であれ、国家レベルであれ、膨大な数の不正や汚職、腐敗がはびこっており、報道関係者たちが調査、報道すべきネタなど、それこそいくらでもある。
そしてマスコミは、言論出版界、いわゆる第4階級である。本来の任務は、普通の家族の守り手であり、真実を発見することだ。加えて、政治家・官僚・企業・特別利益団体や圧力団体に、その説明責任を果たさせる役割を担っているのだ。
しかし、日本ではマスコミは力のある者の側につき、ごく普通の人々の側には立ってはいないのだ。腐敗した側につき、その言いなりだ。
一般人を騙している権力側の人間たちに代わって、謝罪までするのだ。マスコミは、政財界のえり抜きの権力者たちに擦り寄る、取り巻きのおべっか野朗どもなのだ。
結局、マスコミそれ自体ももはや腐敗しているのである。マスコミは、エリートたちが遂行する仕事を詳細に取材して調べ上げるという、まさに必要とされている本来の使命、つまり公益のための奉仕をしていない。
それどころか、もっぱらこのエリートたちを、立派な尊敬すべき地位というオーラの中に包み隠す役割に専念しているのである。
エリートたちの言動とその振る舞いの、裏と表を調査・取材する代わりに、今回、マスコミのしたことは何か。それは、計り知れないほどの不運と悲しみの中にいる、京都に住むごく一般の家族にスポットを当てるという選択だ。
すでに腐敗し倦怠しているマスコミにとっては、手軽なネタだったろう。やることなど何もない中、ラジオのニュース速報だけは聞いていていたはずだ。これだ、と思わず膝を叩いたに違いない。この話だったら、マスコミ本来の仕事をする必要がないのだ。
マスコミ側がすべき調査は必要とされない“ネタ”だ。報道関係で働く者たちは、もはや、真実を暴くことでキャリアを積もうなどとは思っていない。エリートが一般の人々から隠したいような真実を、だ。
その代わりに、それまで手にしていたカップを置き、飢えた野犬の群れのように大急ぎで悲しみの現場に駆けつけるのだ。
泣き崩れる家族の映像と、悲しい事故についての“感想“を、一つでも二つでも、ただただ手に入れたい一心で。常識と良識のある人たちなら、すでに誰でも思っていることだが、全く、不愉快極まりない。
この恐れを知らない記者たちが、悲しみの只中にいる人々のプライバシーを侵害しているというのに、他方、政治家たちが企んでいる国の政策については、誰が知っているのか。
官僚と大企業の経営者らの間で、どんな裏取引が交わされているのかなど、一体誰にわかるというのだ。
もちろん、誰にもわからない。マスコミはよそ見をしているのだから。
記者たちは、救急車を追いかけるのに忙しすぎて、日本という国を崩壊させつつある政治腐敗など、気にかけている暇はないのだ。
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原発事故の地震原因を封印する保安院
2012-04-30
大飯再稼働へ保安院躍起?「地震原因説」封印 4/27 東京新聞 (書き出し)kikkochan.blogから
大飯再稼働へ保安院躍起?
関西電力大飯原発3,4号機の再稼働を何としても実現させたいからなのか、
経済産業省原子力安全・保安院が東京電力福島第一原発事故の「地震原因説」をうやむやにしている。
地震の揺れによる原子炉系配管損傷の可能性を認識しているにもかかわらず、
関係閣僚会合で十分説明しなかったのだ。
原発事故原因 地震説封印か
今月3日、野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相ら関係3閣僚の初会合。
保安院の説明資料には福島事故の地震による影響について次のように記されていた。
「安全上重要な機能を有する主要設備については、
地震の影響により微少な漏えいが生じるような損傷はあったかどうかまでは現時点では確かな事は言えないが、
基本的には安全機能を保持できる状態にあったと推定される」
持って回った言い方になっているのは、
経済産業省所管の独立行政法人・原子力安全基盤機構(JNES)が
昨年12月にまとめた解析結果が念頭にあるからだ。
それは、1号機の原子炉系配管に事故当時、地震の揺れによって0.3平方cmの亀裂が入った可能性を示す内容。
わずか0.3平方cmとはいっても、水の漏れた場合、1時間当たり約7.2トンもの量になる計算だ。
炉心溶融につながる冷却水喪失事故の引き金にもなる。
JNESが地震による配管損傷のシュミレーションをしたのは、
衆院科学技術イノベーション推進特別委員長を昨年9月まで務めた
民主党の川内博史衆院議員に要請されたためだ。
東電が主張する「津波原因説」に追随してきた保安員としては、
「地震原因説」の裏付けになりかねない結果に当初は無視を決め込んで
「(地震原因説について)さらなる解析作業や、
収束作業の進展に応じた現場検証を通じて検証することが必要と考えている」と明記した。
「地震」による配管損傷の可能性」までは認めなかったものの、今後の調査は約束していた。
閣僚会合配布資料「検証の必要性」触れず
ところが、保安院が完了会合で配布した資料は、「検証の必要性」に全く触れていなかった。
しかも、資料には
「微少の漏えいを仮定したうえで、解析を行ったところ、
3平方cm程度以上の損傷が生じていたとすると、、実測結果とは整合しない」と記載。
「0.3平方cm」は出さず、代わりに実測値とは乖離する「3平方cm」を持ちだして地震原因説を否定しているのだ。
6日の第3回閣僚会合後、枝野氏の記者会見で配布された資料でも
「地震原因説」を否定していた。
「地震によって起きた事」と題したイラストで、
「原子炉自動停止」
「(非常用発電機など)正常に稼働 冷却機能を維持」と強調する念の入れよう。
というのも、地震で重要機器が損傷したとなれば、
安全評価(ストレステスト)や、原発関連指針の全見直しを迫られ、再稼働が難しくなるためだ。
「不都合な話 説明しない」
川内氏は
「保安院は不都合な話は自分たちからは絶対に説明しようとしない。
配管損傷は専門的な問題だけに、殆どの国会議員は騙されてしまう」と嘆いた上で、政府に注文する。
「地震による配管損傷の可能性は間違いなくある。
保安院は約束通り、地震原因説について早急に検証するべきだ。
少なくとも国会の事故調査委員会が報告書を出すまでは、再稼働の議論はできない」
ーーー
<参考>事故調査委員会
事故調査委員会で「地震原因説」について田中三彦氏×深野保安院長↓
5.田中三彦氏福島第一の地震の影響について深野保安院長を追及・
事故調4/18(内容書き出し)
事故調査委員会で「地震原因説」についての深野保安院長↓
[再稼働]なぜ地震対策が30項目に入っていない?深野保安院長を追及・
事故調4/18(動画・内容書き出し)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
津波ではなく、その前の地震で既に配管破断して冷却は不能になっていた。
このことについてのページリンク。
メルトダウン!
3号機、大津波の前に地震で配管破損、漏出!
次の原発大事故を準備する政府
すべての原発が地震で配管破断の危険
原因は津波ではない、地震による配管破断
原発は地震で壊れていた:ネイチャー
これからの生活と放射能汚染
地震の配管破断でメルトダウン、津波原因説の矛盾
大飯再稼働へ保安院躍起?
関西電力大飯原発3,4号機の再稼働を何としても実現させたいからなのか、
経済産業省原子力安全・保安院が東京電力福島第一原発事故の「地震原因説」をうやむやにしている。
地震の揺れによる原子炉系配管損傷の可能性を認識しているにもかかわらず、
関係閣僚会合で十分説明しなかったのだ。
原発事故原因 地震説封印か
今月3日、野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相ら関係3閣僚の初会合。
保安院の説明資料には福島事故の地震による影響について次のように記されていた。
「安全上重要な機能を有する主要設備については、
地震の影響により微少な漏えいが生じるような損傷はあったかどうかまでは現時点では確かな事は言えないが、
基本的には安全機能を保持できる状態にあったと推定される」
持って回った言い方になっているのは、
経済産業省所管の独立行政法人・原子力安全基盤機構(JNES)が
昨年12月にまとめた解析結果が念頭にあるからだ。
それは、1号機の原子炉系配管に事故当時、地震の揺れによって0.3平方cmの亀裂が入った可能性を示す内容。
わずか0.3平方cmとはいっても、水の漏れた場合、1時間当たり約7.2トンもの量になる計算だ。
炉心溶融につながる冷却水喪失事故の引き金にもなる。
JNESが地震による配管損傷のシュミレーションをしたのは、
衆院科学技術イノベーション推進特別委員長を昨年9月まで務めた
民主党の川内博史衆院議員に要請されたためだ。
東電が主張する「津波原因説」に追随してきた保安員としては、
「地震原因説」の裏付けになりかねない結果に当初は無視を決め込んで
「(地震原因説について)さらなる解析作業や、
収束作業の進展に応じた現場検証を通じて検証することが必要と考えている」と明記した。
「地震」による配管損傷の可能性」までは認めなかったものの、今後の調査は約束していた。
閣僚会合配布資料「検証の必要性」触れず
ところが、保安院が完了会合で配布した資料は、「検証の必要性」に全く触れていなかった。
しかも、資料には
「微少の漏えいを仮定したうえで、解析を行ったところ、
3平方cm程度以上の損傷が生じていたとすると、、実測結果とは整合しない」と記載。
「0.3平方cm」は出さず、代わりに実測値とは乖離する「3平方cm」を持ちだして地震原因説を否定しているのだ。
6日の第3回閣僚会合後、枝野氏の記者会見で配布された資料でも
「地震原因説」を否定していた。
「地震によって起きた事」と題したイラストで、
「原子炉自動停止」
「(非常用発電機など)正常に稼働 冷却機能を維持」と強調する念の入れよう。
というのも、地震で重要機器が損傷したとなれば、
安全評価(ストレステスト)や、原発関連指針の全見直しを迫られ、再稼働が難しくなるためだ。
「不都合な話 説明しない」
川内氏は
「保安院は不都合な話は自分たちからは絶対に説明しようとしない。
配管損傷は専門的な問題だけに、殆どの国会議員は騙されてしまう」と嘆いた上で、政府に注文する。
「地震による配管損傷の可能性は間違いなくある。
保安院は約束通り、地震原因説について早急に検証するべきだ。
少なくとも国会の事故調査委員会が報告書を出すまでは、再稼働の議論はできない」
ーーー
<参考>事故調査委員会
事故調査委員会で「地震原因説」について田中三彦氏×深野保安院長↓
5.田中三彦氏福島第一の地震の影響について深野保安院長を追及・
事故調4/18(内容書き出し)
事故調査委員会で「地震原因説」についての深野保安院長↓
[再稼働]なぜ地震対策が30項目に入っていない?深野保安院長を追及・
事故調4/18(動画・内容書き出し)
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津波ではなく、その前の地震で既に配管破断して冷却は不能になっていた。
このことについてのページリンク。
メルトダウン!
3号機、大津波の前に地震で配管破損、漏出!
次の原発大事故を準備する政府
すべての原発が地震で配管破断の危険
原因は津波ではない、地震による配管破断
原発は地震で壊れていた:ネイチャー
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小沢氏無罪、なお腐れきっている大マスコミ
2012-04-29
国民はいくらでも騙せると思ってる米国の犬≡大マスコミ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要 4/28 日刊ゲンダイ
無罪判決でも犯罪人扱い報道
小沢元代表は、大新聞テレビを訴えた方がいいんじゃないか。そうでないと、連中は懲りない。この謀略報道の洪水は止まりそうにない。
検察のガセ情報をさんざんタレ流して小沢の政治生命を抹殺したくせに、無罪判決が出た後も、「それでも残る疑惑」だの「国会で説明責任がある」と書き立てている大マスコミ。
中には、「ほとんど有罪」の大きな見出しを掲げたり、識者のコメントを使って指定弁護士に「控訴しろ」とそそのかす記事もある。こうなるともう完全な人権侵害だ。人物破壊だ。
どうして、そこまでして狂ったように小沢を葬りたいのか。一体、大新聞テレビはだれの回し者で凶器を振り回しているのか。
そもそもこの小沢裁判は、「無罪判決」の中身を論評する以前の問題である。その価値もない。起訴したこと自体が疑惑、間違いだったのだ。
政権交代直前の09年3月、地検特捜部は小沢の元秘書を突然、政治資金収支報告書の「記載ミス」という微罪で逮捕し、その立証が困難とみるや、別の秘書を立て続けに逮捕。
収支報告書の「記載ミス」は無数にあるのに、小沢以外の政治家には目もくれず、執拗に小沢を狙い、失脚をもくろんだ。
当初、特捜部は「ゼネコンからの裏献金があるに違いない」「小沢をやれる」と“妄想”を抱いて突っ走ったが、結局、何もナシ。
すると、今度は、デッチ上げの捜査報告書を作って検察審査会(検察審)の審査員を“誘導”。ムリヤリ、小沢を「強制起訴」させたのが経緯だ。
検察が勝手に筋書きを描き、見立てに沿う作文調書を作り、それでも起訴がムリなら検察審を使う――。どう考えても不当不法。
こんなデタラメ捜査手法、起訴が許されたら、司法はどんな冤罪もデッチ上げられる。民主主義国家じゃなくなってしまうのだ。
元毎日新聞記者で、政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。
「民主主義国家には基本的人権を守るためのルールが決められています。つまり、適正、適法な手続きです。ところが、今回、検察の捜査手法は無法の積み重ねで、検察審の審査内容はいまだに分かりません。つまり、適正、適法な手続きとは到底、言えないのです。『小沢氏ならいいだろう』と軽くみるムードもありますが、有権者の負託を受けた政治家だからこそ、より慎重な手続きが必要なのです。
今回のような捜査手法、起訴が許されるなら、誰でもすぐに犯罪者にされてしまう。大変、恐ろしいことです」
小沢事務所が問われた取るに足らぬ政治資金の記載ミスに比べ、検察、裁判所がやってきたことは数倍、数十倍も悪質なことなのだ。
<その批判もなく小沢は実質有罪、政治的けじめをつけろと叫ぶ大マスコミの狂気>
その意味で、小沢事件は司法の信頼の根幹を揺るがし、ゾッとする検察官による捜査報告書の捏造まで明るみに出た。
それなのに、大マスコミは批判の矛先を司法権力に集中させようとしない。
〈結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断〉(読売社説)、〈裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない〉(朝日社説)などと、改めて小沢を責め立てる。本末転倒だし、トチ狂っているとしか思えない。
そもそも大マスコミの小沢追及の論調はブレまくってきた。もはや一行も触れようとしないが、批判の出発点は「ゼネコンからの裏ガネ」だった。
ところが、今は「収支報告書は秘書任せ」「秘書への監督責任」のみをあげつらう。実にチンケな話で、小沢の「道義的責任」「政治的責任」「国会での説明責任」を仰々しく糾弾するのだ。
振り出しの「ゼネコンからの裏ガネ」はどうなったのか。小沢に「収賄」の嫌疑をかけた特捜部の「小沢との全面戦争」は、とっくに検察の敗北でケリはついている。
検察は一連の捜査で70社近くのゼネコンを絞り上げたが、出てきたのは不可解な「水谷建設からの1億円」だけ。
捜査に参加した元検事の前田恒彦受刑者(証拠改ざん事件で有罪確定)は、小沢公判でこう証言した。
「佐久間達哉特捜部長(当時)は、胆沢ダムを受注した元請け・下請けのゼネコンごとに、○○社が1億、××社が2億と夢みたいな妄想を語っていたが、現場は厭戦ムードが漂っていた」
水谷からのカネだって、「石川議員を調べた吉田正喜副部長(当時)も、田代政弘検事も『アレはないんじゃないか』との心証を抱いていた」(前田受刑者)という。小沢が問われた政治資金規正法違反事件は、検察の妄想捜査の残りカスをかき集めたに過ぎないのだ。
「それも今回の無罪判決によって、小沢氏を罪に問える材料は全て消えたのです。
だから、メディアは『政治とカネ』や『道義的、政治的責任』という漠然とした言葉で責めるしかない。検察と一体になって『小沢はワルだ』とあおった非を認めようとせず、悪あがきを続けているだけです。
朝日新聞は社説で『政治的けじめ、どうつける』と小沢氏に迫りましたが、けじめをつけるべきは朝日の側であり、小沢バッシングに狂奔した全メディアです」(元NHK記者で評論家の川崎泰資氏)
その朝日は「報道検証」と称して、「本紙は有罪決めつけていない」「検察リークありえない」と自己弁護していたが、ゴタクを並べるのは、どうでもいい。朝日はじめ、大マスコミは「小沢報道は全部ウソでした」と謝罪する必要がある。
<これで消費増税がつぶれたら困ると書くスリカエ>
大新聞の狂気はそれにとどまらない。判決翌日の紙面でさっそく「増税法案、小沢氏無罪も影響」(朝日)、「消費増税に『足かせ』」(毎日)、「小沢系 増税阻止へ反攻」(読売)と大騒ぎしていた。“小沢は数の力で野田政権の邪魔をする”“消費税問題を混乱させるだけで、良い結果を生まない”と、こんな論調のオンパレードだ。
しかし、消費増税が暗礁に乗り上げているのは小沢のせいか? そうではないだろう。国民の6割がノーと言っている増税に突っ走ろうとする野田悪政に正義がないのだ。経済評論家の上念司氏が憤慨して言う。
「デフレ下で消費税率を上げれば、税収が減ってしまうのは常識です。もちろん、財務省は百も承知。その証拠に、今月4日の国会で、『デフレ下で国民所得が減っている中、税率を上げれば税収は増えるのか、減るのか』と追及された古谷主税局長は、『減少します』とハッキリ答えています。要するに財務省は、国民は幼稚園児程度だとバカにして、何も知らせずにダマしているわけです。いま重要なのは消費増税ではなく、デフレを脱却して税収を増やすこと。それなのに、大メディアは小沢氏が消費増税を潰すのが悪いと非難している。揚げ句、消費増税に反対する人のコメントは、すべて“小沢元代表に近い関係者”と書く。小沢氏が反対するものは善なんだと読者に思い込ませてしまおうと、悪質な印象操作をしている。戦前のファシズム報道そのもので、こんなデタラメはありません」
国を滅ぼすのは小沢ではない。消費増税であり、それを強行しようとする野田政権と財務官僚、その走狗と化した大マスコミの方だ。
露骨で薄汚いスリ替え報道にダマされてはいけない。
<政局を書くのはそれだけ小沢の強大な力を認めているからだ>
どうして大マスコミはここまで小沢にこだわるのか。一方では「広がらぬ賛同者」「党内で孤立」と書いているのだから、無視すればいいのだが、それをしない。要するに、小沢が傑出した力を持っていることをマスコミが一番よく知っているからなのだ。
「戦後、刑事被告人になりながら、これほど力を持ちつづけた政治家は、田中角栄と小沢一郎だけです。3年間も検察と戦い、党員資格まで停止されたのに、同志が140人もいるのは驚きです。損得を考えたら、小沢について行くメリットはない。大勢の仲間がいるのは、政治家としての実行力やビジョンが並外れているからでしょう。大手メディアが、狂ったように小沢の疑惑を騒ぎ立てるのは、気になって仕方がない、無視できない裏返しです」(政治評論家・本澤二郎氏)
もし、小沢が取るに足らない政治家だったら、有罪だろうが無罪だろうが、無視している。
大新聞テレビが、小沢の力量を認めながら、いや、認めているからこそ、なにがなんでも抹殺したいと考えているのが真相なのだ。
「大手メディアは、小沢が目障りで仕方ないのですよ。社説などでは、政治に“強いリーダーシップ”を求めながら、ホンネでは傑出した人物を快く思わないのが、日本のメディアの伝統です。
しかも、小沢は、大手メディアの既得権益をブチ壊そうとしている。記者クラブ制度にメスを入れ、テレビの電波行政を変えようとしている。既得権にあぐらをかいている大手メディアにとって、これほど怖いことはない。
力のある小沢は、絶対に潰したいということなのです」(本澤二郎氏=前出)
それで小沢が復権すると、民主党政権が分裂する、社会保障と税の一体改革が遅れると騒ぐ。世間に“小沢不安論”をまき散らす。何かにこじつけてでも、小沢を排除追放したくてしようがないのだ。
<この国の大マスコミは戦前戦中と同じ権力走狗>
こうしてみると、日本の大マスコミがいかに次元が低いかがよく分かる。国民を賢くさせて、国を豊かにさせる発想などゼロだ。小沢無罪判決を受けて、自民党の代議士がツイッターでこうつぶやいた。
「小沢には監督責任、道義的責任はあるが、判決が出た以上、国会でこの問題を引きずり、時間を費やすべきではない。デフレ円高脱却など、国会は前向きな政策論争を行い、一つ一つ方向を出していくべき」といった内容だ。
小沢喚問を要求して、民主党政権を引っかき回そうとする自民党執行部まで皮肉ったのだが、本当の報道の役割とは、こういうこと。
無意味な小沢喚問を書き立てることでなく、国民のためになる知恵を授けることだ。そこを自覚しなければ、日本の沈没を止められるわけはない。政治評論家の森田実氏がこう語った。
「この国はマスコミによって、どんどん劣化している。それは権力のチェックをせず権力と一体化してしまったからです。戦前戦中、軍部のお先棒を担ぎ、国民を戦争に駆り立てたマスコミは、その反省に立てば、国民生活を滅ぼす消費増税など逆立ちしても推進してはいけない。大衆を犠牲にしてはいけないのです。ところが、財務省や大政党、アメリカの手先として大衆を脅かして増税を進めて心が痛まない。
大衆増税に反対の小沢さんたちのグループを率先して潰そうとする。腐ってます。権力の犬に成り下がってしまったのです」
大マスコミがしつこく小沢抹殺報道を続けるのは、「自分たちは権力の走狗です」という堕落の正体をさらけ出していることを意味するのだ。
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小沢報道は全部ウソだったと謝罪の必要 4/28 日刊ゲンダイ
無罪判決でも犯罪人扱い報道
小沢元代表は、大新聞テレビを訴えた方がいいんじゃないか。そうでないと、連中は懲りない。この謀略報道の洪水は止まりそうにない。
検察のガセ情報をさんざんタレ流して小沢の政治生命を抹殺したくせに、無罪判決が出た後も、「それでも残る疑惑」だの「国会で説明責任がある」と書き立てている大マスコミ。
中には、「ほとんど有罪」の大きな見出しを掲げたり、識者のコメントを使って指定弁護士に「控訴しろ」とそそのかす記事もある。こうなるともう完全な人権侵害だ。人物破壊だ。
どうして、そこまでして狂ったように小沢を葬りたいのか。一体、大新聞テレビはだれの回し者で凶器を振り回しているのか。
そもそもこの小沢裁判は、「無罪判決」の中身を論評する以前の問題である。その価値もない。起訴したこと自体が疑惑、間違いだったのだ。
政権交代直前の09年3月、地検特捜部は小沢の元秘書を突然、政治資金収支報告書の「記載ミス」という微罪で逮捕し、その立証が困難とみるや、別の秘書を立て続けに逮捕。
収支報告書の「記載ミス」は無数にあるのに、小沢以外の政治家には目もくれず、執拗に小沢を狙い、失脚をもくろんだ。
当初、特捜部は「ゼネコンからの裏献金があるに違いない」「小沢をやれる」と“妄想”を抱いて突っ走ったが、結局、何もナシ。
すると、今度は、デッチ上げの捜査報告書を作って検察審査会(検察審)の審査員を“誘導”。ムリヤリ、小沢を「強制起訴」させたのが経緯だ。
検察が勝手に筋書きを描き、見立てに沿う作文調書を作り、それでも起訴がムリなら検察審を使う――。どう考えても不当不法。
こんなデタラメ捜査手法、起訴が許されたら、司法はどんな冤罪もデッチ上げられる。民主主義国家じゃなくなってしまうのだ。
元毎日新聞記者で、政治評論家の板垣英憲氏はこう言う。
「民主主義国家には基本的人権を守るためのルールが決められています。つまり、適正、適法な手続きです。ところが、今回、検察の捜査手法は無法の積み重ねで、検察審の審査内容はいまだに分かりません。つまり、適正、適法な手続きとは到底、言えないのです。『小沢氏ならいいだろう』と軽くみるムードもありますが、有権者の負託を受けた政治家だからこそ、より慎重な手続きが必要なのです。
今回のような捜査手法、起訴が許されるなら、誰でもすぐに犯罪者にされてしまう。大変、恐ろしいことです」
小沢事務所が問われた取るに足らぬ政治資金の記載ミスに比べ、検察、裁判所がやってきたことは数倍、数十倍も悪質なことなのだ。
<その批判もなく小沢は実質有罪、政治的けじめをつけろと叫ぶ大マスコミの狂気>
その意味で、小沢事件は司法の信頼の根幹を揺るがし、ゾッとする検察官による捜査報告書の捏造まで明るみに出た。
それなのに、大マスコミは批判の矛先を司法権力に集中させようとしない。
〈結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断〉(読売社説)、〈裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない〉(朝日社説)などと、改めて小沢を責め立てる。本末転倒だし、トチ狂っているとしか思えない。
そもそも大マスコミの小沢追及の論調はブレまくってきた。もはや一行も触れようとしないが、批判の出発点は「ゼネコンからの裏ガネ」だった。
ところが、今は「収支報告書は秘書任せ」「秘書への監督責任」のみをあげつらう。実にチンケな話で、小沢の「道義的責任」「政治的責任」「国会での説明責任」を仰々しく糾弾するのだ。
振り出しの「ゼネコンからの裏ガネ」はどうなったのか。小沢に「収賄」の嫌疑をかけた特捜部の「小沢との全面戦争」は、とっくに検察の敗北でケリはついている。
検察は一連の捜査で70社近くのゼネコンを絞り上げたが、出てきたのは不可解な「水谷建設からの1億円」だけ。
捜査に参加した元検事の前田恒彦受刑者(証拠改ざん事件で有罪確定)は、小沢公判でこう証言した。
「佐久間達哉特捜部長(当時)は、胆沢ダムを受注した元請け・下請けのゼネコンごとに、○○社が1億、××社が2億と夢みたいな妄想を語っていたが、現場は厭戦ムードが漂っていた」
水谷からのカネだって、「石川議員を調べた吉田正喜副部長(当時)も、田代政弘検事も『アレはないんじゃないか』との心証を抱いていた」(前田受刑者)という。小沢が問われた政治資金規正法違反事件は、検察の妄想捜査の残りカスをかき集めたに過ぎないのだ。
「それも今回の無罪判決によって、小沢氏を罪に問える材料は全て消えたのです。
だから、メディアは『政治とカネ』や『道義的、政治的責任』という漠然とした言葉で責めるしかない。検察と一体になって『小沢はワルだ』とあおった非を認めようとせず、悪あがきを続けているだけです。
朝日新聞は社説で『政治的けじめ、どうつける』と小沢氏に迫りましたが、けじめをつけるべきは朝日の側であり、小沢バッシングに狂奔した全メディアです」(元NHK記者で評論家の川崎泰資氏)
その朝日は「報道検証」と称して、「本紙は有罪決めつけていない」「検察リークありえない」と自己弁護していたが、ゴタクを並べるのは、どうでもいい。朝日はじめ、大マスコミは「小沢報道は全部ウソでした」と謝罪する必要がある。
<これで消費増税がつぶれたら困ると書くスリカエ>
大新聞の狂気はそれにとどまらない。判決翌日の紙面でさっそく「増税法案、小沢氏無罪も影響」(朝日)、「消費増税に『足かせ』」(毎日)、「小沢系 増税阻止へ反攻」(読売)と大騒ぎしていた。“小沢は数の力で野田政権の邪魔をする”“消費税問題を混乱させるだけで、良い結果を生まない”と、こんな論調のオンパレードだ。
しかし、消費増税が暗礁に乗り上げているのは小沢のせいか? そうではないだろう。国民の6割がノーと言っている増税に突っ走ろうとする野田悪政に正義がないのだ。経済評論家の上念司氏が憤慨して言う。
「デフレ下で消費税率を上げれば、税収が減ってしまうのは常識です。もちろん、財務省は百も承知。その証拠に、今月4日の国会で、『デフレ下で国民所得が減っている中、税率を上げれば税収は増えるのか、減るのか』と追及された古谷主税局長は、『減少します』とハッキリ答えています。要するに財務省は、国民は幼稚園児程度だとバカにして、何も知らせずにダマしているわけです。いま重要なのは消費増税ではなく、デフレを脱却して税収を増やすこと。それなのに、大メディアは小沢氏が消費増税を潰すのが悪いと非難している。揚げ句、消費増税に反対する人のコメントは、すべて“小沢元代表に近い関係者”と書く。小沢氏が反対するものは善なんだと読者に思い込ませてしまおうと、悪質な印象操作をしている。戦前のファシズム報道そのもので、こんなデタラメはありません」
国を滅ぼすのは小沢ではない。消費増税であり、それを強行しようとする野田政権と財務官僚、その走狗と化した大マスコミの方だ。
露骨で薄汚いスリ替え報道にダマされてはいけない。
<政局を書くのはそれだけ小沢の強大な力を認めているからだ>
どうして大マスコミはここまで小沢にこだわるのか。一方では「広がらぬ賛同者」「党内で孤立」と書いているのだから、無視すればいいのだが、それをしない。要するに、小沢が傑出した力を持っていることをマスコミが一番よく知っているからなのだ。
「戦後、刑事被告人になりながら、これほど力を持ちつづけた政治家は、田中角栄と小沢一郎だけです。3年間も検察と戦い、党員資格まで停止されたのに、同志が140人もいるのは驚きです。損得を考えたら、小沢について行くメリットはない。大勢の仲間がいるのは、政治家としての実行力やビジョンが並外れているからでしょう。大手メディアが、狂ったように小沢の疑惑を騒ぎ立てるのは、気になって仕方がない、無視できない裏返しです」(政治評論家・本澤二郎氏)
もし、小沢が取るに足らない政治家だったら、有罪だろうが無罪だろうが、無視している。
大新聞テレビが、小沢の力量を認めながら、いや、認めているからこそ、なにがなんでも抹殺したいと考えているのが真相なのだ。
「大手メディアは、小沢が目障りで仕方ないのですよ。社説などでは、政治に“強いリーダーシップ”を求めながら、ホンネでは傑出した人物を快く思わないのが、日本のメディアの伝統です。
しかも、小沢は、大手メディアの既得権益をブチ壊そうとしている。記者クラブ制度にメスを入れ、テレビの電波行政を変えようとしている。既得権にあぐらをかいている大手メディアにとって、これほど怖いことはない。
力のある小沢は、絶対に潰したいということなのです」(本澤二郎氏=前出)
それで小沢が復権すると、民主党政権が分裂する、社会保障と税の一体改革が遅れると騒ぐ。世間に“小沢不安論”をまき散らす。何かにこじつけてでも、小沢を排除追放したくてしようがないのだ。
<この国の大マスコミは戦前戦中と同じ権力走狗>
こうしてみると、日本の大マスコミがいかに次元が低いかがよく分かる。国民を賢くさせて、国を豊かにさせる発想などゼロだ。小沢無罪判決を受けて、自民党の代議士がツイッターでこうつぶやいた。
「小沢には監督責任、道義的責任はあるが、判決が出た以上、国会でこの問題を引きずり、時間を費やすべきではない。デフレ円高脱却など、国会は前向きな政策論争を行い、一つ一つ方向を出していくべき」といった内容だ。
小沢喚問を要求して、民主党政権を引っかき回そうとする自民党執行部まで皮肉ったのだが、本当の報道の役割とは、こういうこと。
無意味な小沢喚問を書き立てることでなく、国民のためになる知恵を授けることだ。そこを自覚しなければ、日本の沈没を止められるわけはない。政治評論家の森田実氏がこう語った。
「この国はマスコミによって、どんどん劣化している。それは権力のチェックをせず権力と一体化してしまったからです。戦前戦中、軍部のお先棒を担ぎ、国民を戦争に駆り立てたマスコミは、その反省に立てば、国民生活を滅ぼす消費増税など逆立ちしても推進してはいけない。大衆を犠牲にしてはいけないのです。ところが、財務省や大政党、アメリカの手先として大衆を脅かして増税を進めて心が痛まない。
大衆増税に反対の小沢さんたちのグループを率先して潰そうとする。腐ってます。権力の犬に成り下がってしまったのです」
大マスコミがしつこく小沢抹殺報道を続けるのは、「自分たちは権力の走狗です」という堕落の正体をさらけ出していることを意味するのだ。
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