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もうすぐ北風が強くなる

小沢一郎氏の冒頭意見陳述

 小沢一郎氏の冒頭意見陳述  10/6 産経 (産経による注釈はすべて省略)

(指定弁護士が起訴状の読み上げ終了)

裁判長「それでは、意見を述べてください」

小沢「よろしいんですか」

裁判長「座って述べても結構です」

小沢 
それでは裁判長のお許しをいただきましたので、意見を述べさせていただきます。

違法捜査により得られた調書を唯一の証拠としているこの裁判は、直ちに打ち切るべきです。

百歩譲って裁判が続けられるとしても、私が罪に問われることはありません。
虚偽記載ではなく、まして共謀の事実は断じてございません。

国民からなんの付託も受けていない検察という一捜査機関が国家権力を乱用したもので、日本憲政史上の汚点として後世に残されるでしょう。

虚偽記載自体、マスコミや特定団体など、第三者から指摘されたものです。
収支報告書の誤りは、自主申告して修正することが大前提です。

贈収賄の事実もないのに、不適切な供述調書をもとに捜査することは、国民に選ばれた政治家の活動、国民の自由を侵害する恐れがあります。

収支報告書の誤りは、修正することで処理されてきました。
この事件が立件された後もそのような処理がなされてきました。

唯一、私とその団体が犯罪を犯した証拠もないのに強制捜査を受けました。
贈収賄など実質的な犯罪は行われていない。

現行法の精神を無視し、なぜ捜査を受けなければならないのか。
捜査を終結すべきなのに続けたのは常軌を逸している。

国家権力が小沢を標的に行ったもの。
根拠ないのに、明白な権力の乱用で、民主主義国家における暴力行為です。小沢を表舞台から外す社会的な抹殺で、暗殺より残酷と言えます

何の証拠もないのに、野党第一党代表を狙い撃ちしたもの。
衆院選挙は国民が直接、権利を行使し国の代表を選ぶ唯一の行為です。
政権交代が行われようというその選挙の前に、権力の乱用を許すなら民主主義国家と呼べません。

日本は戦前、権力が結託し、政党政治の抑圧を許しました。
それが敗戦の悲劇につながりました。
そのような過ちを繰り返すのでしょうか

震災や原発事故の復旧はいまだなされておらず、世界経済も混迷状態にあります。
偏狭なナショナリズムやテロが台頭し、日本の将来が暗澹(あんたん)たるものになる。
国家権力の乱用をやめ、民主主義を取り戻さなければなりません。

まだ間に合うと私は考えます。
裁判所には、見識ある判断をお願いし、私の意見を終えます。
ありがとうございました。
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S・ジョブス:2005卒業スピーチ

 かつて、感動し、今も感動する、スティーブ・ジョブス氏の伝説のスピーチ。

ジョブズの卒業祝賀スピーチ     H-YAMAGUTU.NETから
(2005年6月12日、スタンフォード大学)

本日は、世界有数の大学の1つを卒業される皆さんとここに同席することができ、たいへん光栄に思います。実のところ、私は大学を出ていません。ですから私にとって、これが今までで大学卒業に最も近い経験になります(笑)。
今日私がお話したいのは、私が自分の人生から学んだ3つの話です。それだけです。たいしたものではありません。たった3つです。

最初は、「点と点をつなぐ」という話です。

話は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生だったため、私を養子に出すことにしました。
彼女は、私が大卒者の家庭で育てられるべきだと強く考え、弁護士の夫婦と養子縁組の手配を整えていました。
しかし実際に私が生まれた最後の土壇場で、彼らは女の子が欲しいということになってしまったのです。
そこで夜遅くに、養子縁組待ちのリストにあった両親のところに電話が行きました。「予定外の男の赤ちゃんが生まれました。養子縁組を希望しますか?」両親は答えました。
「もちろん」と。その後、母が大卒ではなく、父は高卒ですらないということを知って、生みの母親は養子縁組の最終書類への署名を拒否しました。
彼女が折れたのは数ヶ月後です。両親が、私を大学に行かせると約束したからでした。これが、私の人生の始まりです。

私はリード大学を半年でドロップアウトしましたが、実際に退学するまでの間18ヶ月間ほどは大学に居残っていました。なぜドロップアウトしてしまったのでしょうか?

17年後、私は確かに大学に入学しました。しかし私は、さしたる考えもなしに、スタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。労働者階級だった両親の貯蓄はすべて大学の学費に消えていってしまいます。
6ヶ月後、私はそこに価値を見出せなくなっていました。私は、自分が人生において何をしたいのか、それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず自分がここにいることで、両親は生涯かけて貯めた金を残らず使い果たそうとしています。だから私は退学すると決めました。これですべてうまくいくと信じていました。
もちろん、そのときはたいへん恐ろしい思いをしました。
しかしふり返ってみると、あれは私の人生で最良の決断の1つだったといえます(笑)。ドロップアウトしたそのときから、私は興味を持てない必修科目はやめて、それよりはるかに面白そうな科目に出ることができたからです。

リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。キャンパス中どこでも、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。
私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出て、そのやり方を学んでみようと思ったのです。セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。
それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。

もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役に立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。
しかし10年後、最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計していたとき、その時のことがよみがえってきたのです。
そこで私たちは、それらをすべてマックに組み込みました。美しいフォントを持った初めてのコンピュータです。もし私が、大学であの授業にもぐりこんでいなかったとしたら、マックには複数フォントも字間調整フォントも入っていなかったでしょう。ウィンドウズは単にマックをコピーしたものなので(笑)、パソコンがそれらを持つことはなかっただろうと思います(拍手)。
もし私がドロップアウトしていなかったら、あのカリグラフィのクラスにもぐりこむこともなく、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかったでしょう。
もちろん、大学にいた当時、そんな先々のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできませんでした。しかし10年後からふり返ってみると、非常にはっきりと見えるわけです。

繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。後からふり返って初めてできるわけです。
したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。
点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。

2つめは、「愛」と「敗北」についての話です。

私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができたからです。
実家のガレージでウォズとアップル社を始めたのは、私が20歳の時でした。私たちは一生懸命働きました。
そして10年後、アップル社は、たった2人のガレージ企業からスタートして、従業員4千人以上を抱える20億ドル企業になっていました。
しかし、私たちの最高の作品、マッキントッシュを発表して1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に、私は会社をクビになってしまいました。
なぜ自分が始めた会社をクビになるのでしょうか?(笑)アップルが大きくなっていったため、私たちは、非常に有能と考えた人物を、私の右腕として会社を経営してもらうために雇いました。最初の1年前後はうまく行きました。
しかしやがて、互いの将来ビジョンは離れていき、最後は決定的な亀裂を生じてしまいました。そのとき取締役会が支持したのは彼のほうだったのです。こうして私は、30歳にして会社を追い出されました。
それはもう公然と追い出されたわけです。自分が大人になって以来全てをかけて打ち込んできたものが消えたのですから、私はもうぼろぼろでした。

数ヶ月の間、私はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分は前の世代の起業家たちの名誉を汚してしまった、渡されたバトンを落としてしまったのだ、と感じました。
デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、全てを台無しにしてしまったことを詫びたりもしました。知らぬ者のない失敗者です。シリコンバレーから逃げ出すことすら考えました。
しかし、やがて私の中で何かが見え始めました。私はまだ自分の仕事を愛していました。アップルでのできごとがあっても、その気持ちはいささかも変わらなかったのです。私はふられてしまったわけですが、まだ好きでした。だからもう一度やり直してみようと決めました。

その時は分かりませんでしたが、後からみると、アップルを追い出されたことは、人生で最良のできごとでした。
成功者であることの重みが、もう一度初心者であることの身軽さに代わったのです。
ものごとに対して前ほど自信も持てなくなりましたが、同時に私は自由の身となり、人生で最もクリエイティブな時期にもう一度入ることができました。

その後5年の間に、私はNeXTという会社を立ち上げ、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、その女性と結婚しました。
ピクサーはやがて世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。
思いがけないことからアップルがNeXTを買収し、私はアップルに復帰しました。NeXTが開発した技術は、最近のアップルの復活において中核的役割を果たしています。ローレンと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

私は断言できます。もし私がアップルを追い出されていなかったら、これらのことはひとつとして起こらなかっただろうと。
もちろんそれは苦い薬でした。しかし患者には、それが必要だったのでしょう。時として人生には、レンガで頭を殴られるようなひどいことも起きます。
しかし信念を投げ出してはいけません。私が続けられた理由はただ1つ、自分のやっている仕事が好きだったということです。
そしてこれは皆さんの仕事や恋愛においても同じです。
皆さんも、仕事が人生の大きな部分を占めていくでしょうが、真に満足するために必要なのはただ1つ、皆さんが素晴しいと信じる仕事に取り組むことです。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、皆さんがやっている仕事を愛さなければなりません。
もしまだそれを見つけていないのであれば、探し続けてください。
ひとつの場所に固まっていてはいけません。
心というのはよくしたもので、見つければそれとわかるものです。
そして素晴らしい恋愛と同様に、年を重ねるごとによくなっていきます。ですから、探し続けてください。ひとつの場所に固まっていてはいけません(拍手)。

3つめは、死に関するお話です。

私は17の時、こんな言葉をどこかで読みました。
「毎日、これが人生最後の日と思って生きなさい。やがて必ず、その通りになる日がくるから」(笑)。
それは私にとって印象的でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分に問い掛けてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」と。その答えが「ノー」である日が続くと、そろそろ何かを変える必要があるとわかります。

自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。
ほとんどのものごと、外部からの期待、自分のプライド、屈辱や挫折に対する恐怖、こういったもののすべては死に臨んでは消えてなくなり、真に重要なことだけが残るからです。
自分も死に向かっているという自覚は、私の知る限り、何かを失ってしまうかもしれないという思考の落とし穴を避けるための最善の策です。あなた方はすでに丸裸です。自分の心に従わない理由はありません。

今から1年ほど前、私はガンと診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にはっきりと腫瘍が映っていました。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかったのですが。医師たちは、これはまずまちがいなく治療不能なタイプのガンだと言いました。長くても3ヶ月から6ヶ月の命だろう、と。
主治医は私に、家に帰って身辺を整理しなさい、とアドバイスしました。「死の準備をせよ」という場合の医師の言い方です。要するに、今後10年かけて子どもたちに伝えたいことがあるなら、この数ヶ月のうちに言っておきなさい、ということです。それはまた、家族が対処しやすいよう、何もかも準備しておけ、ということです。
別れを告げろ、ということですね。

私はその診断結果を抱えて丸1日過ごしました。
そしてその日の夕方遅く生検を受けました。内視鏡を喉から入れ、それが胃を通って腸に達します。そこからすい臓に針を刺して腫瘍の細胞が幾つか採取されました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったのですが、立ち会った妻に後で聞いたら、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見たとき、叫び出したのだそうです。それはきわめて珍しいタイプのすい臓ガンで、手術で直せるものでした。
私は手術を受け、そして今は、ありがたいことに元気です(拍手)。

これが私の人生の中で最も死に近づいた経験です。
この先何十年かはこれ以上近くならないよう願いたいですが。この経験を経た今、私はあなた方に、死というものが有益ではあるが純粋に頭の中の概念でしかなかった以前と比べて、少しだけ確信をもっていうことができます。

誰でも死にたくありません。たとえ天国に行きたいと願う人でも、そこに行くために死にたいとは思いません(笑)。
しかし死は、私たちすべてが共有する行き先です。かつてそこから逃れた者は1人としていません。
そしてそれは、そうあるべきことなのです。死はおそらく、生物にとって最高の発明です。
それは生命にとって、古いものを取り除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です。
今、「新しいもの」とはあなた方です。しかしそれほど遠からぬうちに、あなた方もしだいに「古いもの」となり、取り除かれる日が来ます。ドラマチックな表現で申し訳ありませんが、これが真実です。

あなた方の時間は限られています。他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれてはいけません。それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。
他人の意見の雑音によって自分の内なる声が掻き消されてしまわないようにしてください。
そして最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。
心や直感は、あなたが本当は何になりたいのかすでに知っています。他のことは全て二の次です(拍手)。

私が若い頃、「ホール・アース・カタログ」という驚くべき本がありました。私の世代にとってはバイブルの1つです。それはここからそう遠くないメンローパークに住むスチュアート・ブランドという人物が作り出したものです。
彼の詩的なタッチは、誌面に命を吹き込んでいました。1960年代終わりごろですから、パソコンやデスクトップ印刷はまだありません。
全てはタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られました。グーグルが生まれる35年も前の、ペーパーバック版グーグルとでも呼ぶべきものです。理想主義的で、いかしたツールやすばらしい考えに満ちあふれていました。

スチュアートと彼のチームは、この「ホール・アース・カタログ」の発行を何度か重ね、一通りのことをやり尽くしたところで最終号を出しました。
1970年代半ばのことです。私はちょうど今のあなた方と同じ年頃でした。最終号の背表紙には、早朝の田舎道の写真がありました。あなたが冒険好きならヒッチハイクの途上で一度は出会いそうな光景です。
写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「ハングリーであれ。愚か者であれ」。
それが彼らからのお別れのメッセージでした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私は常に、自分自身そうありたいと願い続けてきました。
そして今、卒業して新たな人生に踏み出すあなた方に対しても、同じことを願っています。

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。

アース

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スティーブ・ジョブス氏の功績を讃える

 jobsjp2.jpg ジョブス
 ウォズニアックとジョブス1976

 スティーブ・ジョブス氏が亡くなった。
 彼は、パーソナル・コンピューターにグラフィックス・ユーザーインターフェイスの魂を入れ、リサ、マッキントッシュと世界にコンピューターとそのインターフェイスを広めた。
 アップルの歴史は、デザインとは機能と操作性のインターフェイスであることを知らしめた。

 人間の文化と格差の是正、知識の普及と大衆化に比類のない力を与え続けてきた。
 彼の功績を讃えたい。

 彼の人生への考えは、感動といまや伝説の「2005年スタンフォード大学卒業祝辞」にあります。

 彼、スティーブ・ジョブスの存在は、あまりにも大きく、私はこれ以上論評などできない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 スティーブ・ジョブス氏死去 10月5日(ブルームバーグ)

  コンピューターから音楽、携帯電話産業に革新をもたらし、消費者のデジタルライフを一新したアップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が5日死去した。56歳だった。
  ジョブズ氏は2011年8月24日にアップルの最高経営責任者(CEO)を辞任した。カリフォルニア州クパティーノに本社を置くアップルが同日発表した。同氏は2003年にすい臓がんの一種で珍しい型の神経内分泌がんと診断され、09年には肝臓移植手術を受けていた。
  同社取締役会は「スティーブの才能と情熱、エネルギーはわれわれすべての人生を豊かにし、改善する無数の技術革新の源だった」と述べ、「世界はスティーブによって計り知れないほど良くなっている」との声明を発表した。
  大学中退後の1976年、エープリルフールの4月1日に実家のガレージでアップル・コンピューター(当時)をスタートさせたジョブズ氏は、長髪のテクノヒッピーといった反体制的スタイルで、シリコンバレー企業家の象徴的存在となった。テクノロジー関係の本格教育を受けたことはなく、ビジネス経験もなかった。
  その代わり、テクノロジー特有の優雅さを理解する心と、コンピューターは単なるおもちゃや仕事の道具にとどまらないとの信念があった。コンピューターは人生に欠かせないツールになり得ると-。同氏は自ら起こしたテクノロジー革命によってこれを実現した。
 
            市場席巻
  アップルはジョブズ氏の指揮で新しいデジタル時代を築き上げた。コンピューター「マッキントッシュ」に始まり、後にメディアプレーヤー「iPod(アイポッド)」、そして多機能携帯端末(スマートフォン)の「iPhone(アイフォーン)」、さらにはタブレット型コンピューター「iPad(アイパッド)」と、アップル発の波を次々と起こし、市場を席巻した。

  ジョブズ氏はアップルの価値を高め、エクソンモービルに続き時価総額で世界第2位の企業に躍進し、単にハイテク世界の預言者ではなく、経営の巨匠として称賛されるまでになった。
  ジョブズ氏の波乱万丈の職歴の第1幕は、76年から84年の上昇期。コンピューター「アップル?」の成功で始まった。80年には新規株式公開(IPO)にこぎ着け、約3年後にはグラフィックを多用した「マッキントッシュ」を送り出した。
           秘密主義と完ぺき主義
  第2幕は挫折を味わう84年から97年まで。取締役会との権力闘争の末、85年にアップルを追放される。ジョブズ氏はNeXTコンピューターを創立。映画プロデューサーのジョージ・ルーカス氏からデジタルアニメーションの制作スタジオを買い取り、これが後のピクサーとなった。

  アップルによる97年のNeXT買収から第3幕が始まる。古巣アップルに舞い戻ったジョブズ氏は、経営に苦しむ同社を立て直し、ビジネス史上最大の復活劇とまで言われるほどの成功を収めた。
  努力を傾ける対象がマックであれ、アイフォーンであれ、あるいはヒットメーカーのピクサーのアニメーション支援であれ、ジョブズ氏が証明して見せたのは、複雑なテクノロジーでもシンプルで美しい製品に設計することが可能であり、消費者の絶大な支持を得ることができるということだった。

  アップル製品へのきめ細かい目配りはやがて、ジョブズ氏自身のイメージに投影され、同氏の存在はアップルというブランドと切り離せなくなった。公の場では黒いタートルネック風シャツとジーンズというスタイルが同氏の定番となった。
             駐車場でのエゴ
  めったにインタビューに応じないことで神秘性を醸したことも、ジョブズ氏のカリスマ性をさらにかき立てた。また独特の新製品発表のスタイルも、ジョブズ氏のオーラを強めた。念入りなリハーサルを重ねたプレゼンテーションでは、最後の最後まで一切の妥協も許さなかったという。
  こうした完ぺき主義が奏功し、アップルの売上高はジョブズ氏のCEO退任前の2011年4-6月期に286億ドルを達成。82%という大幅増収を成し遂げた。株価は8月24日に376.18ドルで引け、時価総額は3488億ドルに膨れ上がった。

  ジョブズ氏の場合、成功の大きさに負けない強いエゴがあったことが知られている。駐車場の身障者用スペースに停められたシルバーのメルセデスベンツ「SL55 AMG」にナンバープレートをかたくなに付けないため、アップル本社の駐車場ではすぐにジョブズ氏の愛車だと分かる。
  人を褒めた口の渇かぬうちに同じ人をけなす--。アラン・デウッチマン氏著「スティーブ・ジョブズ氏の再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活」では、この性質を「英雄から大ばか者へのジェットコースター」と表現している。
           シリコンバレーの申し子
  スティーブン・ポール・ジョブズ氏は1955年2月24日、サンフランシスコで生まれた。大学を卒業したばかりで未婚のカップルに誕生した子供は、後にシリコンバレーの中心地となるロスアルトスでジョブズ夫妻の養子となった。

  当時からテクノロジーの雰囲気を漂わせていた環境で育った少年は、周波数カウンターを自作しようと、ヒューレット・パッカードの共同創業者であるウィリアム・ヒューレット氏に電話をかけてあれこれ質問を浴びせるなど、高校進学前からテクノロジー起業家の片鱗をのぞかせた。

  オレゴン州ポートランドの進歩的アートスクールであるリード・カレッジに進学したジョブズ氏は6カ月で中退。その後も友人宅を泊まり歩き、空き瓶回収で生活費を稼ぎながらキャンパスに残った。聴講したカリグラフィー(西洋書道)の授業で、その後の生涯を通じて追求していくことになるエレガントなデザインへの息吹を感じ取った。
          「心の導くままに」
  ジョブズ氏はこのときの体験について、2005年にスタンフォード大学での卒業生向けスピーチで振り返り、美的センスを養うことと技術的な理解を深めることの「点と点がつながった」と語った。テクノロジーと芸術性は相互を補うものであり、コンピューターの新しい世界は創造性への新たな橋渡しになれると実感したという。

  すい臓がん手術の翌年に行われたこのスピーチでジョブズ氏は、「何かを失いたくなくて固執するという罠にかからないためには、人はいつかは死ぬということを忘れないでおくのが一番だ。すでに裸の身なのだから、心の導くままに行動しなくてどうする」と卒業生らに語った。

  コンピューターのOSの分野でアップルの挑戦を受けたマイクロソフトのビル・ゲイツ会長は、07年のイベントでジョブズ氏についてこう語った。「スティーブのセンスが買えるのなら、巨額を払っても欲しい。彼のやり方はとにかく違う。魔法のようだ」。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  米アップルのスティーブ・ジョブズ会長、5日に56歳で死去   10/6  REUTERS

 [サンフランシスコ 5日 ロイター] 米アップル(AAPL.O: 株価, 企業情報, レポート)は5日、スティーブ・ジョブズ取締役会会長が同日死去したと発表した。56歳だった。

 病気療養中だったジョブズ氏は今年8月に、最高経営責任者(CEO)の職をティム・クック氏に委譲していた。 

 アップルの取締役会はジョブズ氏の死去について声明を発表し、「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」述べ、ジョブズ氏の功績を称えた

 さらに「彼の最大の愛は奥さんと家族に向けられている。われわれの心は、彼らや、ジョブズ氏の類まれな才能に魅せられたすべての人々とともにある」と述べた。

 ジョブズ氏はアップルの共同創設者で長年CEOを務め、「iPod(アイポッド」や「iPhone(アイフォーン)」などを世に送り出してきた。

 しかし、ジョブズ氏はすい臓がんやそれに伴うさまざまな症状に苦しめられ、彼の健康状態はアップルのファンや投資家、取締役会にとって大きな懸念の的となってきた。

 投資家はジョブズ氏が療養中も事実上アップルの経営を担ってきたクックCEOを信頼しているが、ジョブズ氏の死去により、同社がクリエイティブな能力を維持できるかどうか、不安視する見方もある。

 ジョブズ氏死去のニュースを受け、さまざまな著名人から追悼の言葉が寄せられている。マイクロソフトMSFTのビル・ゲイツ共同創設者は、「ジョブズ氏と一緒に働くことができて非常に光栄だった。スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ。とても寂しくなる」と述べた。
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