大勘違いは大間違いの元
2011-09-14
貧困と格差については何処の国もマスコミ、政府、御用評論家などが実態を「隠そう隠そう」としているものだから、国民は意外と勘違いしている。
そこに政治が絡みつくので、実際はかなり大きな勘違いをしている。
小さな政府論なども、その支持者達自身がかなりの勘違いをしているようだ。
勘違いは言うまでもなく「間違い」で、この間違いが政治などに利用されると「間違った政治」が行われる。
大きな勘違いは大間違いの元になる。
まあ、あたりまえのことですが、このことについて面白い記事がありましたので、紹介します。
貧困大国アメリカをめぐる「勘違い」 8/21 李啓充氏のコラムから引用です。
行動経済学の大家として知られるデューク大学心理学部教授ダン・アリエリが、米国における富の不均衡を巡って、非常におもしろい実験をしていたので紹介しよう(Perspectives On Psychological Science 6: 9-12, 2011)。
3つの国について、資産所有額を上から下まで20%毎に区切った上で、それぞれの区分における富の所有率を被験者に見せ、「あなたはどの国に住みたいですか?」と、問うたのである。

国1が「仮想の国」における富の分配であることはいうまでもないだろう。全国民が等しく富を分け合っている「おとぎの国」にあっては、「究極の平等」が成り立っているので、それぞれの区分が、等しく20%ずつの富をわかちあっている。
国2では、資産所有額最高の区分に属する20%の国民が、36%と比較的大きい富を所有しているものの、最低区分の11%と比べると、その違いは3倍強に過ぎない。
「おとぎの国」と比べて、さして富の分配に不均衡がないこの国はどこかというと、スウェーデン。高負担・高福祉で国家を運営している「代表」ともいうべき国である。
国3は、富の分布が著しく偏り、最上層の20%が国全体の富の84%を所有しているのに対し、最下層40%の国民が所有にあずかっている富の割合はわずか0.3%にしかすぎない。
実は、国3は米国であるが、米国における貧富の格差がべらぼうに大きいことは、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著、岩波新書)がベストセラーになったこともあるし、読者はとっくにご存知だったろう。
さて、アリエリの実験結果であるが、米国民のうち、「国3(つまり米国)に住みたい」と答えた人は10%にしか過ぎず、9割の人が「国1あるいは国2に住みたい」と答えた。
さらに、国2と国3に比較を限定したとき、国3を選んだ被験者はわずかに8%。92%の回答者が、そうとは知らずに「米国よりもスウェーデンに住みたい」という選択をしたのである。
次ぎに、被験者に米国における富の分配率を「推測」させたところ、その回答(平均)は、資産額が多い区分から順に「58%-20%-13%-6%-3%」というものであった(「84%-11%-4%-0.2%-0.1%」という非常に苛酷な不均衡があるとは夢にも思わずに、現実はもっと甘い状況にあると「勘違い」しているのである)。
最後に、「理想」とする富の分配を答えさせたところ、その答えは、「32%-22%-21%-14%-11%」となり、スウェーデンの分配率に極めて近い数字となった。
それだけでなく、この数字は、共和党・民主党の支持政党や所得額等の違いで大きく変わらず、「こと富の分配に関する限り、スウェーデン型の社会が理想」ということで、米国民のほとんどが(そうとは知らずに)意見を一致させているのである。
これまで何度も論じてきたように、米国の保守派は、「富の再分配」という言葉に対して非常に強い拒絶反応を示す体質を持っている。
彼らのほとんどは、「(旧ソ連型の社会主義はもとより)西欧・北欧の社会民主主義も米国にはそぐわない」と思い込み、「高負担・高福祉の『大きな政府』などもっての他」と言ってはばからない。
就任後一貫して高額所得者に対する課税強化を主張してきたオバマに対しても、「米国は政府を今以上に小さくしなければいけないのだから、増税なぞまかりならん」と頑なに拒否してきた。
ところが、「大きな政府」が大嫌いな保守の人々に、「理想の富の分配率」を数字で答えさせると、「(大きな政府で国家を運営している)スウェーデンの数字が理想」という答えが返ってくるのだから、驚くとともに呆れざるを得ないのである。
実は、「富の再分配」を推進するためには「沢山持っている人・企業から税や社会保険料をたくさん払っていただいて、社会全体に分配する」という「大きな政府」を運営することが必須であり、その反対に、これまで本コラムで何度も論じてきたように、「小さな政府路線を推し進めて自然の流れ(=市場)にまかせていると必ず富の不均衡が拡大する」ことに例外はない。
ここまでを要約すると、貧困大国アメリカの国民は、富の分配を巡る現状と理想に関して、自国についてもスウェーデン型の社会についても大きな「勘違い」をしていると言わなければならないのである。
それだけでなく、所得階層間の階段を上る機会は限りなくゼロに近い(たとえば、一度ホームレスになってしまった人が大富豪になるということは、ほぼありえない)という現実があるのに、「自分にはいつか金持ちになるチャンスがある」という「非常に大きな勘違い」(別名「アメリカン・ドリーム」)を抱いている人が少なからず存在するために、「富の再分配」を強化する政策がいつまでたっても実施されないようなのである。
以上、今回は、富の不均衡に関する米国民の勘違いについて論じたが、最後に、日本における富の不均衡について、ショッキングなデータを示そう。
図は、日米英3カ国の「ジニ係数」(ジニ係数は所得の不均衡の指標。「0」はすべての国民が等しい所得を分かつ「究極の平等」、「1」はただ1人の国民がすべての所得を占有する「究極の不公平」。数字が大きいほど、不均衡の度合いが強い。)

(図は等価当初所得での比較)の推移を示したものだが、90年代以降、米国をはるかに上回る勢いでジニ係数を増大させてきた(つまり、所得の不均衡を増大させてきた)日本が、2008年に、ついに、米国を追い抜いたことがおわかりいただけるだろうか?
換言すると、日本は、とっくに米国に匹敵する「貧困大国」になってしまっているのであり、「日本の貧富の格差は米国ほどひどくない」と勘違いしている場合ではないのである。
そこに政治が絡みつくので、実際はかなり大きな勘違いをしている。
小さな政府論なども、その支持者達自身がかなりの勘違いをしているようだ。
勘違いは言うまでもなく「間違い」で、この間違いが政治などに利用されると「間違った政治」が行われる。
大きな勘違いは大間違いの元になる。
まあ、あたりまえのことですが、このことについて面白い記事がありましたので、紹介します。
貧困大国アメリカをめぐる「勘違い」 8/21 李啓充氏のコラムから引用です。
行動経済学の大家として知られるデューク大学心理学部教授ダン・アリエリが、米国における富の不均衡を巡って、非常におもしろい実験をしていたので紹介しよう(Perspectives On Psychological Science 6: 9-12, 2011)。
3つの国について、資産所有額を上から下まで20%毎に区切った上で、それぞれの区分における富の所有率を被験者に見せ、「あなたはどの国に住みたいですか?」と、問うたのである。

国1が「仮想の国」における富の分配であることはいうまでもないだろう。全国民が等しく富を分け合っている「おとぎの国」にあっては、「究極の平等」が成り立っているので、それぞれの区分が、等しく20%ずつの富をわかちあっている。
国2では、資産所有額最高の区分に属する20%の国民が、36%と比較的大きい富を所有しているものの、最低区分の11%と比べると、その違いは3倍強に過ぎない。
「おとぎの国」と比べて、さして富の分配に不均衡がないこの国はどこかというと、スウェーデン。高負担・高福祉で国家を運営している「代表」ともいうべき国である。
国3は、富の分布が著しく偏り、最上層の20%が国全体の富の84%を所有しているのに対し、最下層40%の国民が所有にあずかっている富の割合はわずか0.3%にしかすぎない。
実は、国3は米国であるが、米国における貧富の格差がべらぼうに大きいことは、「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著、岩波新書)がベストセラーになったこともあるし、読者はとっくにご存知だったろう。
さて、アリエリの実験結果であるが、米国民のうち、「国3(つまり米国)に住みたい」と答えた人は10%にしか過ぎず、9割の人が「国1あるいは国2に住みたい」と答えた。
さらに、国2と国3に比較を限定したとき、国3を選んだ被験者はわずかに8%。92%の回答者が、そうとは知らずに「米国よりもスウェーデンに住みたい」という選択をしたのである。
次ぎに、被験者に米国における富の分配率を「推測」させたところ、その回答(平均)は、資産額が多い区分から順に「58%-20%-13%-6%-3%」というものであった(「84%-11%-4%-0.2%-0.1%」という非常に苛酷な不均衡があるとは夢にも思わずに、現実はもっと甘い状況にあると「勘違い」しているのである)。
最後に、「理想」とする富の分配を答えさせたところ、その答えは、「32%-22%-21%-14%-11%」となり、スウェーデンの分配率に極めて近い数字となった。
それだけでなく、この数字は、共和党・民主党の支持政党や所得額等の違いで大きく変わらず、「こと富の分配に関する限り、スウェーデン型の社会が理想」ということで、米国民のほとんどが(そうとは知らずに)意見を一致させているのである。
これまで何度も論じてきたように、米国の保守派は、「富の再分配」という言葉に対して非常に強い拒絶反応を示す体質を持っている。
彼らのほとんどは、「(旧ソ連型の社会主義はもとより)西欧・北欧の社会民主主義も米国にはそぐわない」と思い込み、「高負担・高福祉の『大きな政府』などもっての他」と言ってはばからない。
就任後一貫して高額所得者に対する課税強化を主張してきたオバマに対しても、「米国は政府を今以上に小さくしなければいけないのだから、増税なぞまかりならん」と頑なに拒否してきた。
ところが、「大きな政府」が大嫌いな保守の人々に、「理想の富の分配率」を数字で答えさせると、「(大きな政府で国家を運営している)スウェーデンの数字が理想」という答えが返ってくるのだから、驚くとともに呆れざるを得ないのである。
実は、「富の再分配」を推進するためには「沢山持っている人・企業から税や社会保険料をたくさん払っていただいて、社会全体に分配する」という「大きな政府」を運営することが必須であり、その反対に、これまで本コラムで何度も論じてきたように、「小さな政府路線を推し進めて自然の流れ(=市場)にまかせていると必ず富の不均衡が拡大する」ことに例外はない。
ここまでを要約すると、貧困大国アメリカの国民は、富の分配を巡る現状と理想に関して、自国についてもスウェーデン型の社会についても大きな「勘違い」をしていると言わなければならないのである。
それだけでなく、所得階層間の階段を上る機会は限りなくゼロに近い(たとえば、一度ホームレスになってしまった人が大富豪になるということは、ほぼありえない)という現実があるのに、「自分にはいつか金持ちになるチャンスがある」という「非常に大きな勘違い」(別名「アメリカン・ドリーム」)を抱いている人が少なからず存在するために、「富の再分配」を強化する政策がいつまでたっても実施されないようなのである。
以上、今回は、富の不均衡に関する米国民の勘違いについて論じたが、最後に、日本における富の不均衡について、ショッキングなデータを示そう。
図は、日米英3カ国の「ジニ係数」(ジニ係数は所得の不均衡の指標。「0」はすべての国民が等しい所得を分かつ「究極の平等」、「1」はただ1人の国民がすべての所得を占有する「究極の不公平」。数字が大きいほど、不均衡の度合いが強い。)

(図は等価当初所得での比較)の推移を示したものだが、90年代以降、米国をはるかに上回る勢いでジニ係数を増大させてきた(つまり、所得の不均衡を増大させてきた)日本が、2008年に、ついに、米国を追い抜いたことがおわかりいただけるだろうか?
換言すると、日本は、とっくに米国に匹敵する「貧困大国」になってしまっているのであり、「日本の貧富の格差は米国ほどひどくない」と勘違いしている場合ではないのである。
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鉢呂辞任はマスコミと経産省の抹殺謀略
2011-09-14
言葉尻のキャンペーンによる鉢呂経産相辞任については、TPPと原発推進そして前原発言隠しの謀略的な政治抹殺であることを「鉢呂抹殺はTPPと原発推進、前原発言隠し」に書きました。
新たに、原子力政策の根幹を決める、「総合資源エネルギー調査会」の人事発表の寸前だったことが分かった。
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!
鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だった
2011年09月14日(水)長谷川幸洋(東京新聞論説副主幹)「ニュースの深層」現代ビジネスから (※ )はもうすぐ北風の注釈。
鉢呂吉雄経済産業相の辞任問題は、いまも謎の部分が多い。
鉢呂が記者会見で「死の町」と発言したのは事実である。だが、大臣辞任にまで至ったのは、記者との懇談で「放射能をうつしてやる」と"発言"したという新聞、テレビの報道が批判に拍車をかけた側面が大きい。
ところが、その発言自体の裏がとれないのだ。高橋洋一さんが9月12日付けのコラムで指摘したように、各社の報道は「放射能をうつしてやる」(東京新聞)から「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞)、「放射能を分けてやるよ」(FNN)に至るまでまちまちだった。
鉢呂本人は終始一貫「そういう発言をしたかどうか記憶にない」と言っている。実際の発言がどうだったかどころか、本当にそういう趣旨の発言をしたかどうかさえ、はっきりとした確証がないのである。
そこで私は13日午後、鉢呂本人に衆院議員会館の自室でインタビューした。鉢呂事務所は「辞任以来、どなたの取材も受けていません」と取材をいったん断ったが、その後、数時間経って「本人がお会いすると言っている」と連絡があり、インタビューが実現した。以下はその主なやりとりである。
「朝日新聞の記事は間違いだ」
-いま、どういう心境か。
「『死の町』という言葉は、大変な被災に遭った福島のみなさんに不信の念を抱かせる発言だったと思っている。私は原発から3キロ圏内を視察した。ひとっ子1人いない様子を見て、私にはああいう表現しか思い浮かばなかった。申し訳ないし、反省している」
-8日夜の記者懇談はどういう状況だったのか。
「あの夜、視察から赤坂の議員宿舎に戻ってくると、記者さんが5,6人待っていた。みんな経済部の記者さんだと思うが、私はそれまで経済部と付き合いがなかったので、顔見知りはだれもいなかった。後ろのほうに政治部の記者さんが2人いたと思う。こちらは知っている」
「原発周辺では線量計を持っていた。私は一日で85マイクロシーベルトだった。その数字を記者たちに喋ったのは、はっきり覚えている。朝日の検証記事(13日付け)で『私が線量計をのぞいて数字を読み上げた』というのは間違いだ。線量計はJビレッジ(原発作業員の基地)に返却してきた」
-「放射能をうつしてやる」と言ったのは本当か。
「『うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。『ほら、放射能』という報道もあったが、放射能という言葉を出したかどうか分からない」
「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。そんなことがあれば覚えています」
-記者は発言を録音していなかったのか。
「していなかったと思う」
「第一報を流したフジテレビは現場にいなかった」
-朝日の検証記事によれば「放射能をうつしてやる」発言の第一報はフジテレビだったとされている。フジの記者は懇談の場にいたか。
「フジテレビはいなかった。フジの記者は○○さん(実名)という女性なので、それは、あの場にいれば分かります」。
フジは「放射能を分けてやるよ、などと話している姿が目撃されている」と伝聞情報として第一報を伝えている。鉢呂の話でも、フジの記者は現場にいなかったという。ここは大事なポイントである。
-大臣辞任は自分から野田佳彦首相に言い出したのか。
「そうです。あの日は工場視察に出かけるとき、記者が宿舎にたくさん集まっていた。そのとき、どういう気持ちだったかといえば、これから視察に行くわけですから(辞任の意思はなかった)…。ただ工場視察を終えて、午後7時から総理にお会いするときは腹が決まっていた」
-首相から辞任を求められたのではないか。
「それはない。私はまず一連の事実経過を説明し、そのまま話を続けて、辞める意志を自分で伝えました」
-ずばり聞くが「大臣は経済産業省にはめられたのではないか」という説がある。これをどう思うか。
「それは憶測でしょう。私は推測でモノは言いたくない」
-役所と対立したことはなかったのか。「鉢呂大臣は幹部人事の入れ替えを考えていたらしい」という話も流れている。
「幹部人事をどうするか、だれかと話したことは一度もない」
「原発反対派を加えて、賛成反対を半々にするつもりだった」
そして、ここからが重要な部分である。
-脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。
「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」
「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」
-それには役所が抵抗したでしょう。
「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」
-もう一度聞くが、それで役所と激論にならなかったのか。官僚は面従腹背が得意だ。
「私は最初から強い意思で臨んでいた。私は報告書の内容が必ずしも一本にならず、賛成と反対の両論が記載されてもいいと思っていた。最終的にはエネルギー・環境会議で決めるのだから、役所の報告が両論併記になってもいいでしょう。私のリストは後任の枝野幸男大臣に引き継いだ。後は枝野大臣がどう選んでくれるかだと思う。」
この話を聞いて、私は「これで鉢呂が虎の尾を踏んだ可能性がある」と思った。鉢呂は大臣レベルの会議が物事を決めると考えている。ところが、官僚にとって重要なのは法律に基づく設置根拠がある調査会のほうなのだ。
なぜなら、法律に基づかない大臣レベルの会議など、政権が代わってしまえば消えてなくなるかもしれない。消してしまえば、それでおしまいである。ところが、法に基づく会議はそうはいかない。政権が代わっても、政府の正式な報告書が原発賛成と反対の両論を書いたとなれば、エネルギー政策の基本路線に大きな影響を及ぼすのは必至である。官僚が破って捨てるわけにはいかないのだ。
フジテレビはなぜ報じたのか
以上の点を踏まえたうえで、フジの第一報に戻ろう。
もし鉢呂の話が真実だとしたら、フジはなぜ自分が直接取材していないのに、伝聞情報として「放射能を分けてやる」などという話を報じられたのか。
記者の性分として、自分が取材していない話を報じるのはリスクが高く、普通は二の足を踏む。万が一、事実が違っていた場合、誤報になって責任を問われるからだ。記者仲間で「こんな話があるよ」と聞いた程度では、とても危なくて記事にできないと考えるのが普通である。
どこかの社が報じた話を後追いで報じるならともかく、自分が第一報となればなおさらだ。
フジは鉢呂本人に確認したのだろうか。私はインタビューで鉢呂にその点を聞きそこなってしまった。終わった後で、あらためて議員会館に電話したが、だれも出なかった。
もしも、フジが本人に確認したなら、当然、鉢呂は「そういう記憶はない」と言ったはずだ。それでも報じたなら、伝聞の話に絶対の自信があったということなのだろう。
(※二日間近く時間がたっぷりとあったことに注意。大手マスコミ5社で根回しするのは簡単なのだ。「絶対の自信」なわけだ)
経産省は鉢呂が原発エネルギー政策を中立的な立場から見直す考えでいることを承知していた。具体的に調査会の人選もやり直して、発表寸前だった。そういう大臣が失言で失脚するなら当然、歓迎しただろう。
(※まさしく、これを謀略と言わずに何が謀略だろう。)
そして「死の町」に続く決定的な"失言"をテレビが報じたのを機に、新聞と通信各社が後追いし既成事実が積み上がっていった。いまとなっては真実は闇の中である。
子供のことを考え、1ミリシーベルト以下にするよう首相に頼んだ
-福島では「鉢呂さんは子供の被曝問題でしっかり仕事をしてくれていた」という声もある。
「それは年間1ミリシーベルトの問題ですね。8月24日に私は福島に行って除染の話を聞いた。『政府は2年間で汚染を6割減らす』などという話が報じられていたが、汚染は割合の話ではない。あくまで絶対値の話だ。しかも1ミリシーベルトは学校を想定していたが、子供は学校だけにいるわけではなく通学路も家庭もある。そこで私は菅総理と細野大臣に電話して、子供の生活全体を考えて絶対値で1ミリシーベルトにしてくれと頼んだ」
「すると菅総理も細野大臣も賛同してくれて、2日後の26日に絶対値で1ミリシーベルト以下にする話が決まった。良かったと思う」
-辞任記者会見では「何を言って不信の念を抱かせたか説明しろって言ってんだよ!」と暴言を吐いた記者もいた。あの質問をどう思ったか。
「その記者と部長さんが先程、私の事務所に謝罪に来ました。私はなんとも思っていません。部長さんにも部下を責める必要はないと言いました。まあ、仕事ですからね」
(※鉢呂氏の不自然な弱気を考えるに、さらに、大きな罠を仄めかされた可能性か。)
取材とはいえ、ああいう言い方はない。「記者」という仕事の評判を貶めただけだ。まったく残念である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鉢呂氏は旧社会党系だが、労組出身ではなく、自社さ政権で政務次官を短期間務めたが、他は党務、国対が長期にわたる。
マスコミには脇の甘さをつけ込まれた。
新たに、原子力政策の根幹を決める、「総合資源エネルギー調査会」の人事発表の寸前だったことが分かった。
当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!
鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だった
2011年09月14日(水)長谷川幸洋(東京新聞論説副主幹)「ニュースの深層」現代ビジネスから (※ )はもうすぐ北風の注釈。
鉢呂吉雄経済産業相の辞任問題は、いまも謎の部分が多い。
鉢呂が記者会見で「死の町」と発言したのは事実である。だが、大臣辞任にまで至ったのは、記者との懇談で「放射能をうつしてやる」と"発言"したという新聞、テレビの報道が批判に拍車をかけた側面が大きい。
ところが、その発言自体の裏がとれないのだ。高橋洋一さんが9月12日付けのコラムで指摘したように、各社の報道は「放射能をうつしてやる」(東京新聞)から「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞)、「放射能を分けてやるよ」(FNN)に至るまでまちまちだった。
鉢呂本人は終始一貫「そういう発言をしたかどうか記憶にない」と言っている。実際の発言がどうだったかどころか、本当にそういう趣旨の発言をしたかどうかさえ、はっきりとした確証がないのである。
そこで私は13日午後、鉢呂本人に衆院議員会館の自室でインタビューした。鉢呂事務所は「辞任以来、どなたの取材も受けていません」と取材をいったん断ったが、その後、数時間経って「本人がお会いすると言っている」と連絡があり、インタビューが実現した。以下はその主なやりとりである。
「朝日新聞の記事は間違いだ」
-いま、どういう心境か。
「『死の町』という言葉は、大変な被災に遭った福島のみなさんに不信の念を抱かせる発言だったと思っている。私は原発から3キロ圏内を視察した。ひとっ子1人いない様子を見て、私にはああいう表現しか思い浮かばなかった。申し訳ないし、反省している」
-8日夜の記者懇談はどういう状況だったのか。
「あの夜、視察から赤坂の議員宿舎に戻ってくると、記者さんが5,6人待っていた。みんな経済部の記者さんだと思うが、私はそれまで経済部と付き合いがなかったので、顔見知りはだれもいなかった。後ろのほうに政治部の記者さんが2人いたと思う。こちらは知っている」
「原発周辺では線量計を持っていた。私は一日で85マイクロシーベルトだった。その数字を記者たちに喋ったのは、はっきり覚えている。朝日の検証記事(13日付け)で『私が線量計をのぞいて数字を読み上げた』というのは間違いだ。線量計はJビレッジ(原発作業員の基地)に返却してきた」
-「放射能をうつしてやる」と言ったのは本当か。
「『うつしてやる』とか『分けてやるよ』と言った記憶は本当にないんです。もしかしたら『ほら』という言葉は言ったかもしれないが、それさえ、はっきり覚えていない。『ほら、放射能』という報道もあったが、放射能という言葉を出したかどうか分からない」
「はっきり言えるのは、私が防災服を記者になすりつけるような仕草をしたことはないっていう点です。一歩くらい記者に近づいたことはあったかもしれないが、なすりつけるようなことはしていない。そんなことがあれば覚えています」
-記者は発言を録音していなかったのか。
「していなかったと思う」
「第一報を流したフジテレビは現場にいなかった」
-朝日の検証記事によれば「放射能をうつしてやる」発言の第一報はフジテレビだったとされている。フジの記者は懇談の場にいたか。
「フジテレビはいなかった。フジの記者は○○さん(実名)という女性なので、それは、あの場にいれば分かります」。
フジは「放射能を分けてやるよ、などと話している姿が目撃されている」と伝聞情報として第一報を伝えている。鉢呂の話でも、フジの記者は現場にいなかったという。ここは大事なポイントである。
-大臣辞任は自分から野田佳彦首相に言い出したのか。
「そうです。あの日は工場視察に出かけるとき、記者が宿舎にたくさん集まっていた。そのとき、どういう気持ちだったかといえば、これから視察に行くわけですから(辞任の意思はなかった)…。ただ工場視察を終えて、午後7時から総理にお会いするときは腹が決まっていた」
-首相から辞任を求められたのではないか。
「それはない。私はまず一連の事実経過を説明し、そのまま話を続けて、辞める意志を自分で伝えました」
-ずばり聞くが「大臣は経済産業省にはめられたのではないか」という説がある。これをどう思うか。
「それは憶測でしょう。私は推測でモノは言いたくない」
-役所と対立したことはなかったのか。「鉢呂大臣は幹部人事の入れ替えを考えていたらしい」という話も流れている。
「幹部人事をどうするか、だれかと話したことは一度もない」
「原発反対派を加えて、賛成反対を半々にするつもりだった」
そして、ここからが重要な部分である。
-脱原発依存やエネルギー政策はどう考えていたのか。
「政府はエネルギー政策を大臣レベルの『エネルギー・環境会議』と経産省の『総合資源エネルギー調査会』の二段構えで検討する段取りになっていた。前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」
「このうち総合資源エネルギー調査会は私が着任する前の6月段階で、すでに委員の顔ぶれが内定していた。全部で15人のうち3人が原発反対派で残りの12人が賛成派だ。私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」
-それには役所が抵抗したでしょう。
「役所は『分かりました』という返事だった。私が出した委員候補リストを基に人選を終えて、後は記者発表するばかりのところだった」
-もう一度聞くが、それで役所と激論にならなかったのか。官僚は面従腹背が得意だ。
「私は最初から強い意思で臨んでいた。私は報告書の内容が必ずしも一本にならず、賛成と反対の両論が記載されてもいいと思っていた。最終的にはエネルギー・環境会議で決めるのだから、役所の報告が両論併記になってもいいでしょう。私のリストは後任の枝野幸男大臣に引き継いだ。後は枝野大臣がどう選んでくれるかだと思う。」
この話を聞いて、私は「これで鉢呂が虎の尾を踏んだ可能性がある」と思った。鉢呂は大臣レベルの会議が物事を決めると考えている。ところが、官僚にとって重要なのは法律に基づく設置根拠がある調査会のほうなのだ。
なぜなら、法律に基づかない大臣レベルの会議など、政権が代わってしまえば消えてなくなるかもしれない。消してしまえば、それでおしまいである。ところが、法に基づく会議はそうはいかない。政権が代わっても、政府の正式な報告書が原発賛成と反対の両論を書いたとなれば、エネルギー政策の基本路線に大きな影響を及ぼすのは必至である。官僚が破って捨てるわけにはいかないのだ。
フジテレビはなぜ報じたのか
以上の点を踏まえたうえで、フジの第一報に戻ろう。
もし鉢呂の話が真実だとしたら、フジはなぜ自分が直接取材していないのに、伝聞情報として「放射能を分けてやる」などという話を報じられたのか。
記者の性分として、自分が取材していない話を報じるのはリスクが高く、普通は二の足を踏む。万が一、事実が違っていた場合、誤報になって責任を問われるからだ。記者仲間で「こんな話があるよ」と聞いた程度では、とても危なくて記事にできないと考えるのが普通である。
どこかの社が報じた話を後追いで報じるならともかく、自分が第一報となればなおさらだ。
フジは鉢呂本人に確認したのだろうか。私はインタビューで鉢呂にその点を聞きそこなってしまった。終わった後で、あらためて議員会館に電話したが、だれも出なかった。
もしも、フジが本人に確認したなら、当然、鉢呂は「そういう記憶はない」と言ったはずだ。それでも報じたなら、伝聞の話に絶対の自信があったということなのだろう。
(※二日間近く時間がたっぷりとあったことに注意。大手マスコミ5社で根回しするのは簡単なのだ。「絶対の自信」なわけだ)
経産省は鉢呂が原発エネルギー政策を中立的な立場から見直す考えでいることを承知していた。具体的に調査会の人選もやり直して、発表寸前だった。そういう大臣が失言で失脚するなら当然、歓迎しただろう。
(※まさしく、これを謀略と言わずに何が謀略だろう。)
そして「死の町」に続く決定的な"失言"をテレビが報じたのを機に、新聞と通信各社が後追いし既成事実が積み上がっていった。いまとなっては真実は闇の中である。
子供のことを考え、1ミリシーベルト以下にするよう首相に頼んだ
-福島では「鉢呂さんは子供の被曝問題でしっかり仕事をしてくれていた」という声もある。
「それは年間1ミリシーベルトの問題ですね。8月24日に私は福島に行って除染の話を聞いた。『政府は2年間で汚染を6割減らす』などという話が報じられていたが、汚染は割合の話ではない。あくまで絶対値の話だ。しかも1ミリシーベルトは学校を想定していたが、子供は学校だけにいるわけではなく通学路も家庭もある。そこで私は菅総理と細野大臣に電話して、子供の生活全体を考えて絶対値で1ミリシーベルトにしてくれと頼んだ」
「すると菅総理も細野大臣も賛同してくれて、2日後の26日に絶対値で1ミリシーベルト以下にする話が決まった。良かったと思う」
-辞任記者会見では「何を言って不信の念を抱かせたか説明しろって言ってんだよ!」と暴言を吐いた記者もいた。あの質問をどう思ったか。
「その記者と部長さんが先程、私の事務所に謝罪に来ました。私はなんとも思っていません。部長さんにも部下を責める必要はないと言いました。まあ、仕事ですからね」
(※鉢呂氏の不自然な弱気を考えるに、さらに、大きな罠を仄めかされた可能性か。)
取材とはいえ、ああいう言い方はない。「記者」という仕事の評判を貶めただけだ。まったく残念である。
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鉢呂氏は旧社会党系だが、労組出身ではなく、自社さ政権で政務次官を短期間務めたが、他は党務、国対が長期にわたる。
マスコミには脇の甘さをつけ込まれた。
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