二度死んだオサマ・ビン・ラディン
2011-05-03
小泉の友達のブッシュの友達はアルカイダだ。と言うのはよく知られている日本の政治家の発言に人名を当てはめたものだ。
ブッシュ家とラディン家の親密な関係を書いた伝記作家は不審死を遂げた。
ロシア情報部は「アルカイダ」は米国が製造した観念の中に存在しているものだとした。
どうせ、架空の話だから、9.11以来の「テロとの戦争」にケリをつけるなら、ほっといても良さそうだが、「テロとの戦争」を続けたい勢力に利用させないためか。
ROCKWAY氏から
ーーーーーーーーーーーーーーー
オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ
二度死んだオサマ・ビン・ラディン
◆5月3日
オサマ・ビン・ラディンが米軍によって、殺されたという報が入った。それで全米がお祭り騒ぎのようだ。オサマ・ビン・ラディンが死亡した、というニュースが全米を駆け巡ることで、何がもたらされるのか、というと、少なくともアフガンでの戦争を継続する理由はなくなったということだ、とポール・クレイグ・ロバーツは指摘する。
アフガンでの戦争をしなくて済む理由がでたことで、オバマ政権はアフガンからの撤退を鋭意進める事ができ、巨額になった財政赤字を少しでも減らし、来年に迫ってきた大統領選挙で有利な流れを作りだそうとしている、というわけだ。
しかし、ビン・ラディンは実際には既に死亡しているというのが、専門家たちの一般的な見方である。このブログでもそれを取り上げた事があった(「チェイニー副大統領(当時)がブット女史暗殺命令を出した」2009年5月19日号)。
ビン・ラディンは既に死亡していたから、遺体はない。だから、早々に海に流して誰もその遺体を確認することはできないということにされたのだろう。従ってアメリカの発表を信じるしかないのだが、嘘ばっかりついてきたアメリカのいうことを誰も信じる人はいないだろう(おっと、まだいるようだ・・・)
今まではビン・ラディンが生存していることにしておけば、「テロとの戦争」という大義名分は成り立つから、戦争を継続したい勢力がビン・ラディンを生存していることにしてきたと言えよう。
しかしここに来て、戦争を継続させたい勢力のベクトルが弱まり、戦争終結を求める勢力の勢いが強まってきたのかもしれない。それが目の前で急落しているドルを救うためであっても、あるいは来年の大統領選のための布石であっても、戦争終結の動きになるというのならば、それはそれで歓迎すべきことになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=24587
【5月2日 by Dr. Paul Craig Roberts】
もしも今日が4月1日ならば、オサマ・ビン・ラディンがパキスタンでの戦闘で殺されすぐさま海葬されたという今日の朝の見出しをエイプリル・フールの冗談だと理解したことだろう。そういうことで、このことを我々は、アメリカ政府がアメリカ人の騙されやすさということに対する無限の信仰を持っている、という証拠であるとするべきだ。
考えてみよう。腎臓を病み透析を必要としていて、糖尿病も持っていて低血圧の人物が山の中の隠れた場所で十年間も生き残れたのか? もしも、ビン・ラディンが透析器具を手にし医療措置を受けていたのならば、その透析器具の発送情報で彼の居場所は分かったのではないか? 彼を見つけるのに何で10年も掛かったのだ?
ビン・ラディンは自分の持つ数百万ドルという資金を、スーダン、フィリッピン、アフガンなどのテロリスト・キャンプのための資金援助に使用し、その聖戦士らを革命のために送り出し、北アフリカ、チェチェン、タジキスタン、ボスニアのイスラム原理主義者らと共闘させているという、凱歌を上げるアメリカのメディアがビン・ラディンの死を繰り返して祝う中で言われている内容を考えてみよう。それはたった数百万ドルの資金援助としては大層な活動内容である(恐らくアメリカは彼をペンタゴン預かりとしているのだろう)、しかし主要な問題点は:ビン・ラディンはどのように自分の資金をどう送金したのだろうか、という点だ。どんな銀行システムが彼を援助したのだろうか? アメリカ政府は人々の資産を押収し国そのものを押収することにも成功している。リビアが最近の例だ。ビン・ラディンの場合には何故やらなかったのか? 彼は1億ドルもの金貨でも持ち歩き、遠方で行う作戦の支払のために密使でも送っていたのだろうか?
今朝の新聞の見出しには、でっち上げられた出来事という臭いがする。その臭いは旗を振り「USA、USA」と歌う人々によって誇張された勝利の凱旋を挙げるニュース報道から漏れ出している。何かが背後で動いているのだろうか?
オバマ大統領は勝利を獲得するのに必死であることは疑いない。彼は愚か者の失敗を犯した、アフガンでの戦争を再開し、十年戦った後アメリカは敗北ではないとしても行き詰っている。ブッシュ・オバマの戦争政権は、アメリカを破産させ、巨大な財政赤字を生み出し、ドルの下落をもたらした。そして再選の時期が迫っている。
「大量破壊兵器」などの幾種類もの嘘とごまかしで、最近のいくつかの政権はひどい結果をアメリカと世界にもたらした。しかし全てのごまかしが同じではない。思い出そう、アフガンに侵略した理由は、ビン・ラディンを捕らえるところにあった。今やオバマ大統領は、ビン・ラディンは独立国内で作戦をしているアメリカ軍特殊部隊によって頭を撃ちぬかれ、水葬に付されたというのだから、もはや戦争を継続する理由は存在しないことになる。
恐らく、アメリカドルの急落が実際の予算削減を余儀なくさせているのだろう。制限のない戦争を終了することで可能となるだろう。ドルの下落が限界点に至るまでは、多くの専門家らは何年も前に死亡していると考えているオサマ・ビン・ラディンは、アメリカの軍・治安関連産業界に利益をもたらすための便利な道具として存在していたのだ。
●ビン・ラディンの遺体は水葬に
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/02/bin-laden-body-buried-sea
【5月2日 Brian Whitaker – Guardian】
オサマ・ビン・ラディンの遺体をどうするかというジレンマは、彼は水葬に付されたいう報告が正しければ、直ちに解決されたことになる。
土葬することになると、彼の墓が論争の的になるかもしれず、またどこに埋葬するのか、という問題が生じる。
「世界で最も捜査の的になっていたテロリストの遺体を受け入れる国を見つけるのは困難だっただろう」と、アメリカの高官は語った。「そこでアメリカは彼を水葬することにしたのだ」と言う。
ビン・ラディンの埋葬場所がイスラム主義者の聖地になってしまうという恐れは、おそらく根拠はないだろう。ワハビ・サラフィの習慣にはそのようなことは受け付けられない事だから。サウジの王でさえ印のない墓に埋葬されているくらいだ」
アメリカのベテラン高官は最初、通信各社に対して、ビン・ラディンの遺体はイスラム教の伝統に従って、儀式として24時間以内に洗浄し包み埋葬するという処理がされる可能性があったと語った。
すばやく埋葬するというやり方は、イスラム教の国ではイスラムの習慣に従ったやり方であり必要なこととされているが、そのすばやい処理の仕方が、たしかにアメリカ当局はDNAを採取していて確かであるとしているのだが、殺された人物が本物のビン・ラディンだったのかという疑惑を引き出す可能性がある。
この24時間以内の処理というのは、アメリカで過去に必ずしも常に守られていたわけではない。例えば、ウダイとクァセイ・フセイン(イラクの独裁者だった男の息子達)は、埋葬されるまで11日間が過ぎていた。
確かにあるイスラム教徒のウェブサイトでは、一定の環境の下ではそれは許されている、とはしているが、水葬というのはイスラムでは稀なことだ。
長い航海だと船が陸地に着く前に遺体が損壊するかもしれないという場合。もう一つは、敵が墓を掘り返して遺体を切り刻んだりする危険性がある場合で、ビン・ラディンのケースでは適用される規則ということになりそうだ。
水葬では、遺体は「粘土の容器内に入れて、ないしは足に重しをつけて」水面下に置かれねばならない、とされている。このウェブサイトでは、「海の生物に直ちに食べられてしまうことのないような深さに置くこと」とされている。
●ビン・ラディンは既に死んでいる
【2001年12月26日 Fox News】
アル・カイダの指導者の葬式に参列したタリバンの指導者の言葉を引用して、ウサマ・ビン・ラディンは肺の合併症のため静かに死んでいた、とパキスタン・オブザーバー紙は報じた。
「同盟軍は狂った捜査作戦を進めているが、ウサマを生死にかかわらず捕らえるという願いを達成することは決してないだろう」と情報筋は語った。
ビン・ラディンは、この情報筋によれば、重篤な肺の合併症を患っていて、トラボラ山脈の付近で12月中旬に死亡したという。ビン・ラディンは彼の最後の棲家でりっぱに葬られ、彼のワハビ信仰に沿って墓が作られたという。
彼の最も信頼したボディ・ガードなどアル・カイダの中の親しい関係者ら約30名、家族、何人かの「タリバン」の友人などが、葬式に参列した。「偉大な指導者」に対して、哀悼を表す最後の斉射がなされた。
埋葬前のビン・ラディンの顔を見たというタリバンの人物は、「彼は青ざめて見えた・・・しかし穏やかな表情でまた自信にみちていた」と語った。
ビン・ラディンは死を前にしてなんらかの自責の念をもっていたかどうか、という質問に対して、その人物は強く「否」と答えた。むしろ、ビン・ラディンは異邦人によるイスラムに対する陰謀と覇権的意図についてイスラム教徒の間に気づきをもたらすという自分の使命を達成したという誇りを感じていた、と語った。
ビン・ラディンは、抵抗の機運を生み出すために捧げられた者たちとしてのアフガンの数百人の犠牲は、全能のアラーによって充分な報いを授けられるだろう、という見方をしていると語った。
ビン・ラディンはどこに葬られたのか、という質問に対して彼は、「トラボラ地区の他の場所同様、その特定の場所もまた忘れ去られねばならない」と述べた。
ブッシュ家とラディン家の親密な関係を書いた伝記作家は不審死を遂げた。
ロシア情報部は「アルカイダ」は米国が製造した観念の中に存在しているものだとした。
どうせ、架空の話だから、9.11以来の「テロとの戦争」にケリをつけるなら、ほっといても良さそうだが、「テロとの戦争」を続けたい勢力に利用させないためか。
ROCKWAY氏から
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オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ
二度死んだオサマ・ビン・ラディン
◆5月3日
オサマ・ビン・ラディンが米軍によって、殺されたという報が入った。それで全米がお祭り騒ぎのようだ。オサマ・ビン・ラディンが死亡した、というニュースが全米を駆け巡ることで、何がもたらされるのか、というと、少なくともアフガンでの戦争を継続する理由はなくなったということだ、とポール・クレイグ・ロバーツは指摘する。
アフガンでの戦争をしなくて済む理由がでたことで、オバマ政権はアフガンからの撤退を鋭意進める事ができ、巨額になった財政赤字を少しでも減らし、来年に迫ってきた大統領選挙で有利な流れを作りだそうとしている、というわけだ。
しかし、ビン・ラディンは実際には既に死亡しているというのが、専門家たちの一般的な見方である。このブログでもそれを取り上げた事があった(「チェイニー副大統領(当時)がブット女史暗殺命令を出した」2009年5月19日号)。
ビン・ラディンは既に死亡していたから、遺体はない。だから、早々に海に流して誰もその遺体を確認することはできないということにされたのだろう。従ってアメリカの発表を信じるしかないのだが、嘘ばっかりついてきたアメリカのいうことを誰も信じる人はいないだろう(おっと、まだいるようだ・・・)
今まではビン・ラディンが生存していることにしておけば、「テロとの戦争」という大義名分は成り立つから、戦争を継続したい勢力がビン・ラディンを生存していることにしてきたと言えよう。
しかしここに来て、戦争を継続させたい勢力のベクトルが弱まり、戦争終結を求める勢力の勢いが強まってきたのかもしれない。それが目の前で急落しているドルを救うためであっても、あるいは来年の大統領選のための布石であっても、戦争終結の動きになるというのならば、それはそれで歓迎すべきことになる。
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●オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=24587
【5月2日 by Dr. Paul Craig Roberts】
もしも今日が4月1日ならば、オサマ・ビン・ラディンがパキスタンでの戦闘で殺されすぐさま海葬されたという今日の朝の見出しをエイプリル・フールの冗談だと理解したことだろう。そういうことで、このことを我々は、アメリカ政府がアメリカ人の騙されやすさということに対する無限の信仰を持っている、という証拠であるとするべきだ。
考えてみよう。腎臓を病み透析を必要としていて、糖尿病も持っていて低血圧の人物が山の中の隠れた場所で十年間も生き残れたのか? もしも、ビン・ラディンが透析器具を手にし医療措置を受けていたのならば、その透析器具の発送情報で彼の居場所は分かったのではないか? 彼を見つけるのに何で10年も掛かったのだ?
ビン・ラディンは自分の持つ数百万ドルという資金を、スーダン、フィリッピン、アフガンなどのテロリスト・キャンプのための資金援助に使用し、その聖戦士らを革命のために送り出し、北アフリカ、チェチェン、タジキスタン、ボスニアのイスラム原理主義者らと共闘させているという、凱歌を上げるアメリカのメディアがビン・ラディンの死を繰り返して祝う中で言われている内容を考えてみよう。それはたった数百万ドルの資金援助としては大層な活動内容である(恐らくアメリカは彼をペンタゴン預かりとしているのだろう)、しかし主要な問題点は:ビン・ラディンはどのように自分の資金をどう送金したのだろうか、という点だ。どんな銀行システムが彼を援助したのだろうか? アメリカ政府は人々の資産を押収し国そのものを押収することにも成功している。リビアが最近の例だ。ビン・ラディンの場合には何故やらなかったのか? 彼は1億ドルもの金貨でも持ち歩き、遠方で行う作戦の支払のために密使でも送っていたのだろうか?
今朝の新聞の見出しには、でっち上げられた出来事という臭いがする。その臭いは旗を振り「USA、USA」と歌う人々によって誇張された勝利の凱旋を挙げるニュース報道から漏れ出している。何かが背後で動いているのだろうか?
オバマ大統領は勝利を獲得するのに必死であることは疑いない。彼は愚か者の失敗を犯した、アフガンでの戦争を再開し、十年戦った後アメリカは敗北ではないとしても行き詰っている。ブッシュ・オバマの戦争政権は、アメリカを破産させ、巨大な財政赤字を生み出し、ドルの下落をもたらした。そして再選の時期が迫っている。
「大量破壊兵器」などの幾種類もの嘘とごまかしで、最近のいくつかの政権はひどい結果をアメリカと世界にもたらした。しかし全てのごまかしが同じではない。思い出そう、アフガンに侵略した理由は、ビン・ラディンを捕らえるところにあった。今やオバマ大統領は、ビン・ラディンは独立国内で作戦をしているアメリカ軍特殊部隊によって頭を撃ちぬかれ、水葬に付されたというのだから、もはや戦争を継続する理由は存在しないことになる。
恐らく、アメリカドルの急落が実際の予算削減を余儀なくさせているのだろう。制限のない戦争を終了することで可能となるだろう。ドルの下落が限界点に至るまでは、多くの専門家らは何年も前に死亡していると考えているオサマ・ビン・ラディンは、アメリカの軍・治安関連産業界に利益をもたらすための便利な道具として存在していたのだ。
●ビン・ラディンの遺体は水葬に
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/02/bin-laden-body-buried-sea
【5月2日 Brian Whitaker – Guardian】
オサマ・ビン・ラディンの遺体をどうするかというジレンマは、彼は水葬に付されたいう報告が正しければ、直ちに解決されたことになる。
土葬することになると、彼の墓が論争の的になるかもしれず、またどこに埋葬するのか、という問題が生じる。
「世界で最も捜査の的になっていたテロリストの遺体を受け入れる国を見つけるのは困難だっただろう」と、アメリカの高官は語った。「そこでアメリカは彼を水葬することにしたのだ」と言う。
ビン・ラディンの埋葬場所がイスラム主義者の聖地になってしまうという恐れは、おそらく根拠はないだろう。ワハビ・サラフィの習慣にはそのようなことは受け付けられない事だから。サウジの王でさえ印のない墓に埋葬されているくらいだ」
アメリカのベテラン高官は最初、通信各社に対して、ビン・ラディンの遺体はイスラム教の伝統に従って、儀式として24時間以内に洗浄し包み埋葬するという処理がされる可能性があったと語った。
すばやく埋葬するというやり方は、イスラム教の国ではイスラムの習慣に従ったやり方であり必要なこととされているが、そのすばやい処理の仕方が、たしかにアメリカ当局はDNAを採取していて確かであるとしているのだが、殺された人物が本物のビン・ラディンだったのかという疑惑を引き出す可能性がある。
この24時間以内の処理というのは、アメリカで過去に必ずしも常に守られていたわけではない。例えば、ウダイとクァセイ・フセイン(イラクの独裁者だった男の息子達)は、埋葬されるまで11日間が過ぎていた。
確かにあるイスラム教徒のウェブサイトでは、一定の環境の下ではそれは許されている、とはしているが、水葬というのはイスラムでは稀なことだ。
長い航海だと船が陸地に着く前に遺体が損壊するかもしれないという場合。もう一つは、敵が墓を掘り返して遺体を切り刻んだりする危険性がある場合で、ビン・ラディンのケースでは適用される規則ということになりそうだ。
水葬では、遺体は「粘土の容器内に入れて、ないしは足に重しをつけて」水面下に置かれねばならない、とされている。このウェブサイトでは、「海の生物に直ちに食べられてしまうことのないような深さに置くこと」とされている。
●ビン・ラディンは既に死んでいる
【2001年12月26日 Fox News】
アル・カイダの指導者の葬式に参列したタリバンの指導者の言葉を引用して、ウサマ・ビン・ラディンは肺の合併症のため静かに死んでいた、とパキスタン・オブザーバー紙は報じた。
「同盟軍は狂った捜査作戦を進めているが、ウサマを生死にかかわらず捕らえるという願いを達成することは決してないだろう」と情報筋は語った。
ビン・ラディンは、この情報筋によれば、重篤な肺の合併症を患っていて、トラボラ山脈の付近で12月中旬に死亡したという。ビン・ラディンは彼の最後の棲家でりっぱに葬られ、彼のワハビ信仰に沿って墓が作られたという。
彼の最も信頼したボディ・ガードなどアル・カイダの中の親しい関係者ら約30名、家族、何人かの「タリバン」の友人などが、葬式に参列した。「偉大な指導者」に対して、哀悼を表す最後の斉射がなされた。
埋葬前のビン・ラディンの顔を見たというタリバンの人物は、「彼は青ざめて見えた・・・しかし穏やかな表情でまた自信にみちていた」と語った。
ビン・ラディンは死を前にしてなんらかの自責の念をもっていたかどうか、という質問に対して、その人物は強く「否」と答えた。むしろ、ビン・ラディンは異邦人によるイスラムに対する陰謀と覇権的意図についてイスラム教徒の間に気づきをもたらすという自分の使命を達成したという誇りを感じていた、と語った。
ビン・ラディンは、抵抗の機運を生み出すために捧げられた者たちとしてのアフガンの数百人の犠牲は、全能のアラーによって充分な報いを授けられるだろう、という見方をしていると語った。
ビン・ラディンはどこに葬られたのか、という質問に対して彼は、「トラボラ地区の他の場所同様、その特定の場所もまた忘れ去られねばならない」と述べた。
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大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸:ウォルフレン
2011-05-03
未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸【カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)インタビュー】
2011年5月2日 掲載 日刊ゲンダイ
菅政権は東電と保安院に動かされている
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)――オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。
小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。
小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
小沢一郎氏はいま日本の超法規的な権力といえる官僚や検察、また大手メディアから政界を追われる身にあります。日本は民主国家であるはずですが、非公式な権力によって小沢氏の政治力は奪われ、おとしめられようとしています。
彼は何度か首相の座に就くチャンスがありましたが、非公式権力が団結してそれを阻んできたのです。個人的には、小沢氏には政界の中枢で動いてほしい。
多くの国民は彼の時代は終わったと思っているでしょうが、今こそ日本は彼のような強いリーダーシップを持った政治家が必要なのです。
それは東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた被災地と原発事故の対応で、菅政権が行政コントロールを失ったかのような印象を内外に与えたことでも明らかです。
もし小沢氏が首相であれば、統括的な政治力を発揮していたことでしょう。
というのも、福島の原発事故で東京電力と原子力安全・保安院は政治家との関係構築がうまくゆかず、むしろ首相官邸が彼らに動かされてしまった。
これこそが、小沢氏がもっともあってはならないと考えていたことだからです。政治主導といいながら、政治家が既成の権力にひれ伏した証拠なのです。
小沢氏であれば、こうした状況でこそ既成権力のいいなりにならなかったと思います。
今回の震災では、日本人の忍耐強さが世界中の人たちから驚嘆されました。オランダのテレビ局は「なぜ日本人は盗みをしないのだ」と聞いてきました。日本人は良識の民です。
菅政権の全体的な震災対応は及第点をつけられるかもしれません。
ただそれは、1995年の阪神・淡路大震災時の自社さ政権の対応と比較してという条件においてです。
率直に言えば、日本政府の対応は全体を統括する行政力が不足しています。官邸と関係省庁との連携が円滑でないばかりか、地方自治体への情報伝達や物資の輸送など必須の危機管理体制が整備されていなかった。
私が力説したいのはここです。
どの国家もこの地震ほど大規模な災害を被ることはそうはありません。ただ首相が強いリーダーシップを発揮して、政治力を十分に機能させれば、地方自治体やさまざまな団体、組織を統制でき、今よりも効果的な結果が出せたはずです。
今後、日本が抱える課題は、被災地をどう復興させるかです。
東北地方の再開発は原子力ではなくソーラーを基礎に、全産業を取り込んだ計画を策定すれば、ソーラー技術のさらなる発達が期待できます。
ただ、日本はいまだにアメリカの準植民地という立場にいます。独自の外交政策を策定し、実践してはじめて独立した民主国家になれる。それを実現しようとしているのが小沢氏なのですが、国民だけでなく権力機構からの反発がある。
それが残念なことです。
(インタビュアー・堀田佳男)
2011年5月2日 掲載 日刊ゲンダイ
菅政権は東電と保安院に動かされている
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)――オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。
小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。
小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
小沢一郎氏はいま日本の超法規的な権力といえる官僚や検察、また大手メディアから政界を追われる身にあります。日本は民主国家であるはずですが、非公式な権力によって小沢氏の政治力は奪われ、おとしめられようとしています。
彼は何度か首相の座に就くチャンスがありましたが、非公式権力が団結してそれを阻んできたのです。個人的には、小沢氏には政界の中枢で動いてほしい。
多くの国民は彼の時代は終わったと思っているでしょうが、今こそ日本は彼のような強いリーダーシップを持った政治家が必要なのです。
それは東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた被災地と原発事故の対応で、菅政権が行政コントロールを失ったかのような印象を内外に与えたことでも明らかです。
もし小沢氏が首相であれば、統括的な政治力を発揮していたことでしょう。
というのも、福島の原発事故で東京電力と原子力安全・保安院は政治家との関係構築がうまくゆかず、むしろ首相官邸が彼らに動かされてしまった。
これこそが、小沢氏がもっともあってはならないと考えていたことだからです。政治主導といいながら、政治家が既成の権力にひれ伏した証拠なのです。
小沢氏であれば、こうした状況でこそ既成権力のいいなりにならなかったと思います。
今回の震災では、日本人の忍耐強さが世界中の人たちから驚嘆されました。オランダのテレビ局は「なぜ日本人は盗みをしないのだ」と聞いてきました。日本人は良識の民です。
菅政権の全体的な震災対応は及第点をつけられるかもしれません。
ただそれは、1995年の阪神・淡路大震災時の自社さ政権の対応と比較してという条件においてです。
率直に言えば、日本政府の対応は全体を統括する行政力が不足しています。官邸と関係省庁との連携が円滑でないばかりか、地方自治体への情報伝達や物資の輸送など必須の危機管理体制が整備されていなかった。
私が力説したいのはここです。
どの国家もこの地震ほど大規模な災害を被ることはそうはありません。ただ首相が強いリーダーシップを発揮して、政治力を十分に機能させれば、地方自治体やさまざまな団体、組織を統制でき、今よりも効果的な結果が出せたはずです。
今後、日本が抱える課題は、被災地をどう復興させるかです。
東北地方の再開発は原子力ではなくソーラーを基礎に、全産業を取り込んだ計画を策定すれば、ソーラー技術のさらなる発達が期待できます。
ただ、日本はいまだにアメリカの準植民地という立場にいます。独自の外交政策を策定し、実践してはじめて独立した民主国家になれる。それを実現しようとしているのが小沢氏なのですが、国民だけでなく権力機構からの反発がある。
それが残念なことです。
(インタビュアー・堀田佳男)
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