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もうすぐ北風が強くなる

田村:復興には日銀資金創出100兆円の決断を

【日曜経済講座】編集委員・田村秀男 「日本大復興」の条件を考える
2011.3.27 08:12

100兆円の日銀資金創出決断を

 中東騒乱に伴う原油高騰やくすぶる欧州の財政危機に加え、東日本大震災は世界経済の先行き不透明感を強めていると欧米の論者が言う。だが、日本にはまだまだ金融面でのゆとりがあり、財政・金融一体で大復興に踏み出せる。必要なのは迅速な政治決断だ。

 ◆GDP比6%の危機

 未曽有の大震災と大津波被害、さらに原発災害の追い打ちで被害規模は日を追うごとに拡大する。内閣府が23日に発表した震災被害額試算では道路や住宅などへの直接的な被害額が16兆~25兆円になる。民間企業設備の被害や壊れた東京電力福島第1原子力発電所がまき散らした放射能汚染による損害を加えると、優に30兆円を超えるだろう。国内総生産(GDP)比で6%に達する戦後以来の最大の危機、非常時である。

 この際、復興のグランドデザインを描き、そのうえで緊急の災害対策と数年がかりで遂行する大復興プランを実行に移す。東日本に限らず、大都市も地方も産業も電力も大地震に強い日本列島に作り替える。そうもくろむなら復興資金需要は被害額の数倍、100兆円規模を想定してもおかしくない。

 現実には、菅直人内閣も、対決する谷垣禎一自民党も平時の感覚のままという点では同類である。ちまちました財源の捻出で対立する一方では、臨時増税で気脈を通じあう。大正解に目を背け、重箱ならぬ財務官僚の机の引き出しを引っかき回して隅っこから答えを求めようとする。

 国の経済というのは本来、マジックのようである。われわれ一般の家計はストック、つまり資産を失えば、そのまま再起不能になりかねない。ところが国は違う。戦後復興を引き合いに出すまでもなく、国がヒトの頭脳や努力、技術、設備、土地など資源を総動員する。その結果、新たな生産と支出、つまりフローが生まれ、破壊された資産を取り戻すばかりか以前よりもはるかに巨大な資本ストックを築き上げる。

 鍵はおカネにある。国家は国債発行により国民の貯蓄を吸い上げるばかりか、政府と中央銀行は新たにカネを創出して、必要分野に配分できる。財政と金融こそは日本の潜在力、復元力を発揮させる魔法のエンジンである。菅直人首相も谷垣さんもこの際、経世済民の原点に目覚めるべきだ。

 ◆「阪神」の復興が手本
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 阪神大震災後のケースをみてみよう。当時は連立政権で自民、社会、新党さきがけの3党寄り合いだった。社会党の村山富市氏が首相で、首相官邸に危機管理体制はゼロだった。震災勃発当時、村山首相は危機の重大性を認識するのに手間取り、自衛隊の救援出動も遅れた。復興のための財政出動も当初はもたついたが、95年度は3度の補正予算で計3兆3800億円を投入した。国民資産は10兆円規模で破壊されたが、被災した地域や住民ばかりでなく国民全体の努力によりわずか2年間で21兆4150億円も経済規模を拡大するのに成功した。

 グラフは阪神大震災のあった94年度から97年度までのGDPの主要項目別のGDP実質伸び率(いわゆる実質経済成長率)寄与率の変遷である。家計消費は96年度までは一貫して堅調で、94年度の成長すべてを支え、95年度も全体の2・3%成長のうち1・5%を、96年度も2・9%のうち1・7%を占めている。95年度に目覚ましい伸びを示したのが公共投資と民間設備投資である。公共投資は全体で2・3%の成長率のうち0・6%を、設備投資は0・5%を構成した。

 96年度になると、公共投資は削減され成長率を押し下げたが、民間住宅投資が急増し、寄与度は0・6%に、設備投資はさらに加速して同0・8%に達した。しっかりとした個人消費の基盤のうえで、財政支出が設備投資や住宅投資の呼び水となって、カネの流れを躍動させ経済復興が進行したわけである。

 今の日本に財源はある。日銀引き受けによる数十兆円規模の復興国債の発行である。政府はこれまで国民の預貯金を100兆円借り上げて米国債を保有している。それを担保にすれば日銀は楽々と復興国債を引き受けられる。

 円の信認は崩れはしない。日銀は大震災後、緊急に100兆円の資金を金融市場に流し込んだが、円高が続く。海外の投資家は日本国民の貯蓄が財政赤字をまかなえるとみて、日本国債と円を買い、さらに復興期待から底値で日本株買いに出動する気配だ。

 この新財源を復興基金として4、5年がかりで被災地の復興や電力の再構築など大地震に耐えるインフラ整備に充当する。財政資金主導で消費も投資も回復していく。その結果、税収も増えて財政収支の悪化を食い止められる。それが日本の底力というものである。
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小沢氏:原発も復興も思い切った手立てが必要

「一日も早く復興を」 小沢氏 (03/29 岩手日日新聞

 本県選出国会議員で民主党元代表の小沢一郎氏は28日、東日本大震災後初めて本県入りし、県庁で達増拓也知事と会談した。緊急対策や復興支援の要望を受け小沢氏は、一日も早い被災地復興に向けて、災害復旧に関する従来の考え方や手法を超えて、県や市町村の実情に合わせて地域が使いやすい予算を国が手当てする必要性を強調した。

 小沢氏は知事や副知事らと非公開で会談し、終了後に記者団の質問に答えた。

 この中で小沢氏は「未曽有の災害で特に沿岸の皆さんの生活やふるさとが根底から破壊されてしまった」と被災者の苦悩を推察。生活の安定とふるさとの再興に向けて「被害が甚大なので、地域の皆さんの力だけでなく、国として本腰を入れてバックアップしなければならない。そのためには巨額の費用が必要になる」との認識を示した。

 その上で「政府も単に各省庁の被害額の算定と積み上げの結果を待ってということでは、早期回復はできない」と指摘し、「従来の考え方、手法を超えた形で何とか予算を付けて生活を取り戻し、道路や橋、港湾、住宅、船などのインフラ整備に全力を挙げて、一日も早く復興しなければならない」と国の全面的な支援の必要性を強調した。

 また、東京電力福島第1原発事故に絡んでは「非常に厳しい状況に差し掛かっていると認識している。自然災害に加え、放射能汚染の問題で仮りに最悪の事態を招くようなことになったら、日本全体がめちゃくちゃになってしまう。政府は、国民に事実を伝え、総力を挙げて一刻も早くふさわしい対応をしてほしい」と国の対応に注文を付けた。


原発事故「明確な話避けてた」=政府、東電を批判-小沢氏 (時事)

 民主党の小沢一郎元代表は28日午前、東京電力福島第1原発の事故に関し「原子力の溶融がずっと前から指摘されていたが、原子力安全・保安院、東電、内閣は明確な話を避けてきた」と述べ、政府や東電の対応を厳しく批判した。岩手県庁で達増拓也岩手県知事と会談後に記者団に語った。

 小沢氏は、現在の事故対応について「思い切った手だてなしに(原発に)水を入れる、バルブを開けることを繰り返せば、放射能は広範囲に飛散し、汚染が広まることがある」と疑問を呈すとともに、「(政府は)国民、地域の皆さんに正直に話をして、理解を求めた上で、思い切った作業をするべきだ。このままずるずる行ってしまうと日本全体がめちゃくちゃになる」と強調した。
(2011/03/28-13:07)
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村覆う見えない恐怖 飯舘村

村覆う見えない恐怖 放射能に揺れる福島・飯舘
河北新報 3月30日(水)6時14分配信

 東京電力福島第1原発事故の影響で、水道水や土壌から高い濃度の放射性物質が検出された福島県飯舘村。人口約6100、農業や畜産業で暮らす小さな村は突然、原発事故と放射能漏れの渦中に巻き込まれた。村に残る人たちは、見えない恐怖に神経をすり減らす日々を強いられている。

▼テレビ音なし
 「マスコミは『(放射性物質は)ただちに健康に影響はない』というが、将来はどうなのか。ここに住む人の視点に立った情報が知りたい」
 生後10カ月の長女らと村で暮らす佐々木美絵さん(26)は訴える。
 家族の事情で村外へ避難できない。「社会的に弱い人ほど情報も手に入らない。取り残されるのでは、という不安がある」と佐々木さん。
 情報を入手するために、震災や原発事故を報じるテレビを見ずにはいられないが、音にストレスを感じるようになり、画像だけを流す。音の出ないテレビの前で、原発事故が早く収まることを祈る毎日だという。
 飯舘村の水道水から飲用の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える965ベクレルの放射性ヨウ素を検出―。20日、県がそう発表してから、村の生活は一変した。
 土壌などの汚染も明らかになった。土1キロからヨウ素117万ベクレルとセシウム16万3000ベクレル、雑草1キロからは254万ベクレルのヨウ素と265万ベクレルのセシウム。
 数値はいずれも20日をピークに下がる傾向にあるが、村は今も、全住民に水道水の摂取を控えるよう求めている。

▼村内現在4000人
 「国や県が検査結果の意味や対策をしっかり説明しなければ、風評被害や住民の不安は拡大していくばかりだ」。菅野典雄村長は頭を抱える。
 農業や畜産業への影響は大きい。4月にはコメ作りが始まるが、作業の遅れは避けられない。地震の直後、飯舘村小宮の農業安斎徹さん(61)は種もみを水に漬けたが、例年のように田植えができるかどうかを危ぶむ。
 「田植えが遅れてしまえば、収量は半分にまで減るだろう。たとえ収穫できても、飯舘産のコメが売れるのだろうか」と安斎さんは話す。
 村は高級和牛ブランド「飯舘牛」でも知られるが、村内の畜産業関係者からは「ブランド自体を捨てなければいけないかもしれない」との悲痛な声も上がる。
 村外への避難で、6100人の村民は一時、3000人に減った。その後、避難先から戻る人も目立ち、今は約4000人になっている。
 原発から北西約40キロの飯舘村。安斎さんは不安とともに疑問も抱く。「放射性物質の数値だけが一人歩きしている」。県外の友人から毎日のように「避難しないのか」と言われるが、村を離れるつもりはないという。
(太楽裕克、橋本俊)
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