「市民的」人間類型か?新中間層の増加
2011-03-06

「市民」とか「新中間層」がいやらしいと言っているわけでは.........実にいやらしいのです。
宮崎学氏が「ヤクザと日本」の中で面白いことを書いている。
「進歩的知識人」たる丸山真男が「軍国支配者の精神形態」と言う論文につけられた比較的長い注記の中で、無法者の理念型(8項目)を抽出している。
丸山はもちろん批判のメルクマールとして書いている。
これが宮崎学氏の、当時書いていた「愚連隊の神様」の場合にぴったり当てはまりそうなので、肯定的に裏返してみると、主人公の人間としての魅力が浮き上がってくるのだったと言う。
以下引用:丸山論を裏返して肯定した「アウトロー」の生き方と、これさらにを否定的に裏返した「市民的人間」の生き方。
1 アウトローの生き方
o 市民生活のルーティンに埋没しない。
o 人間関係をなにより大事にする。モノよりヒトを関心の中心に置く。
o 非常事態に先頭に立って対処し、荒っぽい仕事を厭わない。
o 闘争、喧嘩、波乱においてこそ真骨頂を発揮する。
o 「私」を捨てている。具体的な人間に対しての仁と義を尊ぶ。
o 賃金や報酬の奴隷にならない。そのとき入ってきたカネで生活する。
o 常に最悪事態における身の処し方を基準に考える。瞬間的に善悪を判断し、きっぱりと止めを刺す。
o ブルジョア的な恋愛観、結婚観に縛られない。
2 市民的人間の生き方
o ただ営々と市民生活のルーティンに埋もれて生きる。
o ヒトよりモノに関心がある。人間関係をあまり大切にしない。
o 冒険や荒っぽいことが苦手で、常にそこから逃げる。
o 目的や意味ばかり問い、それがはっきりしないと動かない。
o 私生活と公生活を使い分ける。公で都合の悪いことは私に逃げ、私で都合の悪いことは公に逃げる。
o 定期的な収入を失うことを恐れ、その奴隷になることをいとわない。
o 最悪の事態を考えまいとし、平穏な秩序がいつまでも続くことをこいねがう。善悪の判断にぐずぐずし、きっぱりとした態度がとれない。
o 不倫や「援助交際」にはけ口を求めながら、「仮面夫婦」を続ける。
(引用おわり)
そもそも、1は肯定的に捉えたもので、2は1を否定的に裏返したものなので、当然に1が魅力的で、2はいやらしい人間類型なのです。
ただ、それにしては、私たちの身の回りで、2の市民的人間に(8項目全部ではなくとも)当てはまる人の多いことに気づかれましょう。
こうした「反アウトロー」的な生き方が、社会全面を覆ってきたことで、この息苦しい社会となってしまったのではないだろうか。
また、この2「市民的人間」は特にサラリーマンとりわけ新中間層、責任を取らない上司とか、私たちの身近に実に多い。
トラブルの表沙汰を逃れのはまだしも、陰で卑劣な解決を図る人とか、要は職場に蔓延している見栄の張り合いと足の引っ張り合いなどもそうでしょう。
「けんか両成敗」とか「先に手を出した方は負け」と言った無理やり平和主義は、権利にとっても正義にとっても「冗談じゃない」場合があるものです。
要は宮崎氏の2「市民的人間」類型は、権力、権威、上役などにとって非常に都合の良い類型であり、今この20年ほどの日本社会に増加している。
いわゆる「新中間層」的な考え方、人間類型であることに気がつく。