萩原朔太郎
2011-01-04

10代の末頃、萩原朔太郎の詩が好きでした。
他の詩人は何となく詩らしすぎて、余り興味が無かったものでした。
彼の詩は、音韻と内容のメリハリにバランスが非常に良くとれている。と感じるのです。
晩期の散文は余り興味がありません。
何度も引越しを繰り返すうちに20年ほど前、文庫本ばかりぎっしり詰めた段ボールを2箱間違えてゴミに出してしまい、他の貴重な本と一緒に消滅してしまいました。
(つまり、捨てる予定の2個が残っていて............捨てました(笑)。引越しなどの際は気をつけましょう。)
今も時折思い出す二つを載せます。
旅上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに
殺人事件
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。