もう、我慢はしない.黙っていたら被害者は潰される
2014-12-09
「待っていても何も進まない。もう我慢の限界だ」 ―被災者が原発事故の被害を訴える 11/22 福島 フクシマ FUKUSIMA
「3年8カ月、じっと我慢をして待っていた。国、行政が助けてくれるだろうと。しかし一歩の進展もない。我慢の限界だ。このまま黙っていたら東京電力、国によってわれわれ被害者は潰される」(原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団・団長 長谷川健一さん)
11月16日福島市内で、「もう我慢はしない!立ち上がる」のスローガンを掲げ、被害者らでつくる30団体〔※〕が共催・賛同し、「原発事故被害者集会」が開催された。
飯館村民の半数に迫る2837人が11月14日に国の紛争解決センターに申し立てた「原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団」。
2013年3月に始まり福島県内すべての自治体と隣県の4千人の住民からなる「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」原告団。
「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家の遺族が起こした「原発さえなければ裁判」弁護団。
年間1ミリシーベルト以下の環境で教育を受ける権利と体制を求めて8月29日に新たに始まった「子ども脱被ばく裁判」。
検察の不起訴処分に対し検察審査会で「起訴相当」を含む議決が出される中、東京電力幹部らの責任を追及している「福島原発告訴団」―など、被害を告発し賠償を求める動きが各地で強まる中で、それぞれの取り組みを行てきた住民らが、一堂に会し発言し交流が持たれた。
以下、被害者団体、弁護団、ゲストなどの十数の集会発言の中から、4氏の発言(要旨)を紹介する。

※主催:原発事故被害者集会実行委員会/共催:原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団、ふくしま集団疎開裁判の会、福島原発告訴団/賛同(27団体):原発損害賠償京都訴訟原告団、原発賠償関西訴訟原告団、原発賠償ひょうご訴訟原告団、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団、福島原発かながわ訴訟原告団、福島原発被害山木屋原告団、原子力損害賠償群馬弁護団、原発さえなければ裁判弁護団、原発事故被災者支援北海道弁護団、原発被害救済千葉県弁護団、原発被害救済山形弁護団、埼玉原発事故責任追及訴訟弁護団、東日本大震災による被災者支援京都弁護団、東日本大震災による福島原発事故被災者支援関西弁護団、兵庫県原発被災者支援弁護団、福島原発事故被害者救済九州弁護団、福島原発被害救済新潟県弁護団、福島原発被害首都圏弁護団、みやぎ原発損害賠償弁護団、やまきや未来の会弁護団、原発賠償関西訴訟KANSAIサポーターズ、原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会、全国一般ふくしま連帯労働組合、那須塩原 放射能から子どもを守る会、福島原発かながわ訴訟を支援する会、福島原発さいたま訴訟を支援する会、ぽかぽか★サポートチーム(原発賠償ひょうご訴訟)
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宝物である子どもたちが 危機にさらされている
ふくしま集団疎開裁判の会
今野寿美雄さん
私は浪江町から福島市内に来ています。小学3年生の子どもがいます。
今年の8月29日、福島地裁に「子ども脱被ばく裁判」が提訴されました。
子ども脱被ばく裁判には二つの裁判があります。ひとつは「子ども人権裁判」、もうひとつは「親子裁判」です。
子ども人権裁判は、福島県内に住む小中学生が、小中学校のある市町村に対し、子どもには被ばくについて安全な環境で教育を受ける権利が保障されていることを確認する裁判。
親子裁判は、原発事故で福島県で被ばくした親子が、子どもの命を救おうとしない国と福島県に対して、正しい救済を求める裁判。この二つが提訴されました。
現在、子ども人権裁判の原告が35名、親子裁判が158名となりました。
井戸謙一弁護士を団長とする弁護団、水戸喜世子(大阪府高槻市)、片岡輝美さん(福島県会津若松市)を共同代表とする支援団が結成されています。
◇政府や行政の対応に怒り
みなさんの宝ものとは一体なんですか。おカネですか。金のネックレスですか。ダイヤの指輪ですか。
私にとっての宝物とは子どもです。
いま宝物である子どもたちが危機にさらされています。放射線にもさらされています。こんな環境にしたのでは誰ですか。
大人たちなんです。子どもたちは、その厳しい中をいま生きていかなければなりません。
子どもたちに安全・安心を与えられるのは誰ですか。壊してしまった大人たちが、元に戻して子どもたちに与えたいです。
子どもは未来からの送りものです。
私は、事故から現在までの政府や行政のデタラメな対応に怒りを持っています。そして声を挙げました。
本当は、お母さんたちが話をしたいのですが、いろいろ問題があって、代表して私がここに立っています。お母さんたちは悩んでいます。怒っています。
子どもは子どもたちを守れない。子どもを守るのは大人の責任です。
大きな声を挙げて、ダメなものはダメだと、守るものは守ると、子どもたちに明るい未来をプレゼントしましょう。
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生活のすべてを破壊され 心まで汚染
原発事故被害糾弾 飯舘村民救済申立団
菅野哲さん
私たち飯舘村民はなぜこんな苦しい思いをしなければならないのでしょうか。
私自身も農家で野菜をつくっていました。すべて失いました。
あの美しい私たちの村、飯舘村が、消えてなくなろうとしています。無残な姿をさらけ出しています。
美しかった私たちの生活空間、その飯舘村をできるなら戻してほしい。
それが飯舘村民の一途な願いだと思っています。
飯舘村の農家の皆さんは、涙を流して、牛を放し、農業を廃業して、やむなく避難をしたわけです。させられたんですね。
避難させられて3年半が過ぎました。何が変わったでしょうか。
変わったのは、除染でフレコンバックが山積みになっている飯舘村だけです。
避難をしている飯舘村民の生活環境は、依然として、3年半変わらない。仮設で暮らしている人は3割。7割の人はそれぞれバラバラにアパートで暮らしています。
家族がバラバラにされて、じいちゃん、ばあちゃんは、仮設で悲しんでいます。孫の顔も見れない。孫は遠くに行ってしまった。会えない。
あの賑やかだった家族の雰囲気が一瞬にしてこの3年半、変わってしまったわけです。
飯舘村民は避難が遅かった。指示がされない。あの44.7マイクロ(シーベルト/時)の報道がなされたのは、23年(2011年)の3月25日です。
その時点で避難をさせられるものと思っていました。
しかし逆でした。
何回も講演を学者が開いて、「安全です」という宣言です。安心した飯舘村民はその場で暮らしていました。
ましてや放射能まみれの水道水まで飲まされて、そのことによってしなくてもいい、無用な被ばくを長期間にわたってさせられたわけです。
その心というのはいかほどかと。ふるさとを失うというが、私たち飯舘村民にとって、ふるさとではないんです。
私たちの生活そのものの基盤でした。それをすべて破壊され、奪われました。
その心が、村民には悲しい心としていつまでも残る。
いわゆる原発の放射能によって、心までも汚染されてしまったということです。
これは一生涯、引き続いて行くことでしょう。仮設でもっともっと長生きできた人が、相当数の数で亡くなってしまいました。悲しいことです。
この悲惨な暮らしをいつまで続けろというのでしょうか。
早く、早く、この放射能の心配がない、元のような暮らしができるように、安心して、暮らせるように、東電は償い、国はその責任を果たすべきだという風に思っています。
そして、国には二度とこのような悲惨なことを起こさないように、しっかりと政治を行ってほしい。
さらにこれからの子どもたちを健やかに育てられる環境をつくってほしい。
原発なんか必要ないんです。
どうかみなさん、福島県民一丸となって、もっともっと声を挙げて全国に、そして、世界に発信していこうじゃありませんか。

(「誤れ!償え!」。「償え」は「まやえ」と読み、飯舘村の方言で「弁償しろ」の意だという)
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被災者が自ら 勇気をもって立ち上がった
「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団
服部弘幸さん
私たちの裁判は、震災から丸二年の節目となる2013年3月11日に、福島地裁に原告800名をもって提訴を行った民事裁判です。
要求は単純にたった二つです。まずは、「元に戻せ」「放射能のなかった元の環境に戻してくれ」。そして、もう一つが、「戻るまでの間、原告一人当たり月5万円の慰謝料を払ってくれ」。要求はたった二つ、シンプルな要求になっております。
ただ、私たちは、民事裁判ですので慰謝料を要求する形で裁判を起こしましたけど、私たちの本当に狙うものは慰謝料の請求ではありません。
あくまでも国と東電の今の無責任な対応に対してのきちんと責任を求め、司法の場で白黒はっきりさせて、国と東電に責任を認めさせる。
そういう思いで、私たちは原告に加わり、裁判を行ってまいりました。
第一回目の口頭弁論からすでに一年以上を経過しています。その間、追加提訴を三回行い、原告団は現在3865名と大きな原告団になることができました。
さらに特筆すべきは、県内全市町村に原告の方がいらっしゃることです。手前味噌ですが、「オール福島」、福島県民を代表して、私たちは裁判をたたかっていると自負して裁判を行っています。
裁判は、一年を過ぎ折り返しを回ったところと、私たちも判断をしております。
今まで主に責任論のやり取りをやってきましたが、今度は私たち一人ひとりの被害をしっかりと裁判所に伝えて被害の実情を見てもらって、みんなが苦しんでいる多様な被害を法廷の場で裁判所に認めてもらうという段階に入ってまいりました。
◇横のつながりでお互いに励まし合い
本日、ここにお集まりいただいた様々な団体のみなさんと、私たちと、共通点は何かとえば、被災者が自ら勇気をもって立ち上がった、その一点に尽きるであろうという風に考えております。
一人ひとりは小さな声しか出せないけれども、そこでうつむいて被害をそのままにして泣き寝入りするのではなくて、どんなに小さな声であっても、どんな小さな力であっても、声を挙げて、立ち上がって、行動していくことが何よりも大事だ。
そういう強い使命感を持って行動をおこされたと思います。
全国20カ所に上る地裁に、こういった原発訴訟が起こされておりますけれども、そのもっとも大きな裁判として、みなさんを引っ張っていけるようなたたかいを是非していきたいと思っております。
これを機会に全国の様々な原告団、弁護団、市民団体のみなさんとつながり、お互いを励まし、こういった行動をどんどん作って、いっしょに行動をしていきたいと思います。
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被害を徹底的に語り合い訴える
原発さえなれば裁判
飯舘村民救済申立団
福島原発告訴団
弁護団・保田行雄弁護士
今回、「もう我慢をしない、立ち上がる」、こういうスローガンのもとに、被害者のみなんさんがこういう形で集まりを持たれたということは、大変画期的なことだと思っています。
僕自身も東京に住んでいますから、被害者のみなさんたちが、この原発被害を受けて、どんな状態にあるのか、どんな気持ちにいるのか、そのことが正確に伝えられていないという思いに駆られてきました。
東京にいますと、国や県や各自治体の長の話すことが、あたかも被害者の声のようにいわれています。
しかし本当に苦しんでいる被害者一人ひとりの声は伝わってきません。
◇加害者の賠償基準ではなく
いま被災地の避難をされた地域の人たちも、不動産賠償などが始まりました。
不動産賠償の次に来るのは避難の解除の問題。そして避難慰謝料の打ち切りという問題です。
しかしどうでしょう。避難慰謝料を打ち切られて、どうやって生活していけというんでしょうか。
そういうことがまかり通ろうとしています。
いままで国は原賠審(原子力損害賠償紛争審査会)をつくり、中間指針をつくって、様々な賠償策を取ってきました。東電もそれに従って賠償の提示を行なってきました。
これは実は加害者側のつくった賠償基準であり、賠償の提示であります。
これから皆さん方が本当に声を挙げて自分たちの被害を訴え、「こんな被害を受けたんだから、こういう賠償をすべきだ」という声を挙げて行くべき時期に来たと思います。
その意味で今回の集会はとてもよかったと思います。
いままで自分たちのたたかいに必死で、他がどんなたたかいをしているか、なかなか知る機会も見る機会も少なかったと思うんですが、
この交流こそは、福島原発の被害者から始まり、被害を徹底的に語り合いながら、それを全国に広げて行けば、必ず、皆さん方の願う完全賠償と本当の償いが実現できると思っています。
幸い、今回、飯舘村の村民の約半数が立ち上がりました。
これは恐らく福島における被害者運動を変えて行くものだと考えます。
私たちは、飯舘村の村民の皆さんの共に寄り添いながら、そして、今回の福島原発全体の被害者の皆さんと共にたたかっていきたいと思います。
今日はそのスタートにしたいと思います。

(「あの美しい私たちの村が消えてなくなろうとしている。無残な姿をさらしている」菅野哲さんの発言/写真は飯舘村・飯樋)
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<どんどん復興している><みんな笑顔で前を向いている>―そういうアナウンスが、国、行政、メディアによって執拗に繰り返されている。
それが、被ばくと健康被害に危惧を持つことや、原発事故の被害について声を挙げることに対して、<復興の足を引っ張るな>と抑圧する力として働いている。
「我慢をする」とは、そういう仕組みの中で強いられているものだった。
それに対して「もう我慢はしない」として声を挙げ、被災者が自らの言葉で被害を訴え始めた。
そして、その被災者同士が互いにつながり始めた。これは、保田弁護士が言われたように、ひとつの転換点になるかもしれない。